ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百六話 後悔も何もないけど

2026年1月2日

 

「はぁ…………」

 

京都市内の幹線道路を走る、黒いリムジンの高級車両の中。流れゆく景色を眺めながら、溜息を吐く振袖を纏った少女の姿があった。しかし、華やかな着物で着飾っているにも関わらず、少女の表情には影が差し、憂鬱そのものであった。

 

「明日奈、疲れたのかい?」

 

「ううん……大丈夫だよ、お父さん」

 

「もっときちんとしなさい。今日は色々なところの名家の人達が集まる場に出るんだから、そんなだらしのないところ、見せるんじゃありませんよ」

 

「……はい」

 

元気の無い娘の様子に、心配そうに声を掛ける父親と、だらしがないと叱咤する母親。対照的な二人の言葉に対し、当の本人たる娘の明日奈は、内心うんざりしながらも返事をするのだった。

イタチ率いるパーティーが、ALO最大級の高難易度ダンジョンたるスリュムヘイムを攻略し、見事にエクスキャリバー獲得クエストを成功させてから、五日が経過した頃のこと。クエストを成功に導いた立役者の一人である、アスナこと結城明日奈は昨年末より、父である彰三の実家であるここ、京都へと赴いていた。

恒例となっている年末年始の挨拶周りは勿論のこと。それに加えて明日奈の場合は、SAO事件に巻き込まれたことにより、二年以上に亘って入院していた経緯がある。故に、この件に関して心配と世話を掛けたことについて、親戚一同や関係各所へのお礼を言って回ることもしなければならなかった。無論、その辺りの事情は明日奈とて理解しているし、心配や迷惑を掛けた以上は顔を見せることは当然の義務と考えていた。

しかしながら、挨拶の度に親戚やそれに連なる人間からは、奇異や憐れみの視線を向けられるのだから、明日奈が辟易するのも無理は無かった。それは、SAO事件に巻き込まれたことで、二年もの月日をゲームの世界で浪費し、名家出身の子供達の出世レースから脱落したことに対しての同情だった。尤も、当の明日奈にとっては、不本意この上ないものなのだが。

 

「着いたわよ」

 

そうこうしている間に、明日奈とその両親を乗せた車は、目的地へと到着した。到着した場所は、京都市の中でも屈指の規模を誇る高級ホテルである。明日奈をはじめとした結城家一行は、本日この場所で開催される、国内の財閥や大手企業の経営者、政治家といったVIPを集めた、新年を祝うための社交パーティーに参加するためである。

車はホテルの正面ゲート前で停車すると、ボーイの手でドアが開けられた。そして、最初に父の彰三、次に母の京子、最後に明日奈の順に下車した。

 

「結城様でございますね。お待ちしておりました。会場へご案内致しますので、こちらへどうぞ」

 

下車した結城家三名を、待っていたのは案内役らしき男性の従業員。三人は軽く会釈すると、男性に導かれるままにホテルの中へ入り、会場へと進んでいった。途中、彰三が仕事の関係で見知った間柄の人間と幾度かすれ違う度、父親に倣って軽く会釈して、進んでいくのだった。

 

「会場はこちらになります。それでは、どうぞお楽しみください」

 

案内役の男性はそれだけ言うと、明日奈達三人の前から姿を消すのだった。恐らく、次の来客を出迎えるために向かったのだろう。

そして、ネクタイや髪型等、身だしなみを整えると、三人は既に複数の来客を迎えて賑わいを見せていた会場の中へと入って行くのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「大変なご迷惑をお掛けしましたが、お陰様でこの通りです」

 

「その節は、ご心配をお掛けしました」

 

「今後ともよろしくお願いします」

 

パーティー会場に入って以降、明日奈は両親に付き従って、来客一同の元を訪れ、以上のような挨拶を繰り返していた。そんな、何の変化も無いやり取りを連続で行わされてきたことで、自分がNPCになったかのような感覚さえ覚えていた。内心では、明日奈主観とはいえ不毛に等しいやり取りに加え、親類縁者同様の憐れみや侮蔑を含んだ視線に晒され、時に心無いことを言われ、非常にうんざりしている。だが、父親の手前、勝手に会場を抜け出すことも許されない。故に明日奈にできることは、心を無にして完全なNPCとなり、注がれる視線や投げ掛けられる言葉に対する反応を閉ざし、単調な受け答えをすることだけだった。

そして、来場後の挨拶回りが一通り終わった頃のことだった。ようやく一息吐けると思った時のことだった。会場の入口付近が急に騒がしくなったのだ。何事かと視線を向けてみれば、どうやら新たな来客が来たらしい。それも相当なVIPらしく、来場者達のざわめき具合が半端ではない。また挨拶に向かわなければならないのかと若干辟易しつつも、一体どんなVIPが現れたのかと視線を向ける。

すると、そこに集まった来客の中心に、明日奈と同年代の少女二人と少年一人が立っており……その姿を視認した明日奈は、思わず目を見開いてしまった。紺色の長髪を靡かせた振袖姿の美少女と、非常に小柄な袴姿の少年、そして外国人であろう桃色の長髪の美少女。いずれも明日奈と顔見知りの間柄の人物である。そして、三人の姿を見て硬直していた明日奈に気付いたらしく、紺色の長髪の少女が手を振りながら声を掛けた。

 

「明日奈、お前も来ていたのか!」

 

「えっ!?明日奈さんも来ていたの!?」

 

「ホントだ!明日奈だ!ひっさしぶりー!!」

 

紺色の長髪の少女の一言を皮切りに、他の二人も明日奈方へと視線を向けた。その中の一人である桃色の長髪の少女は、明日奈の姿を見るや、周囲の人だかりをかき分けて駆け寄り、抱き着いた。

 

「ララ……それにめだかさんと、まん太さんも!?」

 

「フフ、驚いている様子だな。私の家も、今日はこの会場で挨拶回りをするために来ているというわけだ」

 

「僕のところも同じでね。さっき、ホテルの正面のところで偶然にも二人と出くわしたから、一緒に会場に行くことになってさ」

 

桃色の髪の少女――ララに抱き着かれて驚いた明日奈だったが、後から歩み寄ってきた紺色の長髪の少女――めだかと、小柄な少年――まん太の言葉に、成程と得心していた。

この三人は、明日奈と同じくSAO事件の帰還者学校に通う生徒であるとともに、このパーティー会場に呼ばれる程の名家の出身でもある。めだかとまん太は、日本有数の資産家である黒神財閥とオヤマダグループの令嬢・御曹司であり、ララに至っては欧州随一の軍事国家であるデビルーク王国の第一王女である。特にララに関しては、国賓に相当する立場にある人物であり、この会場の中でも最大級のVIPである。

故に、国内有数の財閥が集まるこのパーティーに出席していてもおかしくない面々なのである。尤も、明日奈を含めてこれだけのVIPがSAO事件に巻き込まれ、しかも最前線で戦う攻略組や、それに関わる生産職プレイヤーで顔見知りになったことは、偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎたことなのだが。或いは、そういった名家に生まれたことで、人の上に立つ才能を持ち、英才教育を受けてきた優秀な人間だったからこそ、攻略組の牽引役やバックアップ役が務まったとも言えるのかもしれない。

 

「明日奈、その子達は……」

 

パーティー会場での、思いがけない出会いの感激の余韻に浸っているのも束の間。明日奈から少し離れた場所に立っていた彰三・京子の両親が声を掛けてきた。

こちらの二人への紹介と挨拶がまだだったと気付いた明日奈はララとの抱擁を解くと、三人に両親を紹介し始める。

 

「お父さん、お母さん、紹介するわ。こちらは私の学校の友達の、黒神めだかさんと、小山田まん太君と、ララ・サタリン・デビルークさんよ」

 

明日奈からその名前を聞かされた彰三と京子は、ぎょっとした顔になる。黒神財閥とオヤマダグループの名前は言わずもがな。ララの祖国であるデビルーク王国に関しては、SAO未帰還者三百名を電子世界に拉致監禁し、違法な人体実験を行っていたALO事件において、彰三が以前CEOを務めていた会社と浅からぬ縁があるのだ。

 

「こ、これはどうも……明日奈の父の、結城彰三です。その……いつも娘に良くしていただいているようで、ありがとうございます」

 

「……明日奈の母の結城京子です。娘がお世話になっています」

 

先程までの挨拶回りの時の毅然とした態度とは打って変わって、かなり委縮した様子で挨拶をする両親に、明日奈は少々驚きながらも、納得していた。

そして、対する三人もまた、順に挨拶をしていく。

 

「黒神めだかです。こちらこそ、レクト・プログレスには、いつも私の父の黒神舵樹がお世話になっております」

 

「小山田まん太です。父のオヤマダグループも、レクト・プログレスのVR技術の提供にはいつも助けていただいていると聞いています」

 

「ララ・サタリン・デビルークです。レクト・プログレスのご協力には、私は勿論、我が父、ギド・ルシオン・デビルークも大変感謝しております」

 

マンタはいつも通りの調子での挨拶だったが、めだかとララに関しては、スイッチを切り替えて、常の自由奔放な振る舞いを排し、公式の場に臨む謹厳な態度と口調で挨拶を行っていた。

 

「その……ララ王女をはじめ、デビルーク王国の方々には、例の事件で大変なご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした……」

 

「頭を上げてください。こちらこそ、父が無関係な方々まで巻き込むような過激な発言をしまして、大変ご迷惑をお掛けしました。あの事件に限っては、犠牲者も出なかったのですから、そんなにお気になさらないでください」

 

ララに対し、深々と頭を下げて謝罪を述べる彰三。後ろに立つ京子も、ばつの悪そうな表情で頭を下げ、それに倣って明日奈までもが頭を下げていた。それに対し、ララは困った表情を浮かべながら、二人に頭を挙げるように宥めるのだった

ララも被害を受けた、SAO事件の延長線上で起こったALO事件。その主犯格は、かつて彰三が全幅の信頼を置いていた部下であり、明日奈の婚約者にまでしようとしていた男、須郷伸之なのだ。この事件の裏が明るみにでたことで、ララの祖国であるデビルーク王国とレクト・プログレスの仲は非常に険悪となり、企業とそれに連なる人間全員が社会的、あるいは物理的に粛清されそうになった経緯があるのだ。この件に関しては、事件を解決に導いた和人と、被害者であるララの説得によってデビルーク国王のギドが矛を収めたことで収束していた。

しかし、下手をすれば戦争にまで発展しかねない国際問題に相当する不祥事を引き起こした部下の所業を看過してしまった事実は消えない。故に、当時のCEOだった彰三と、その妻である京子は、ララをはじめとしたデビルーク王国関係者には頭が上がらないのだ。

 

「それに、被害者というなら、娘の明日奈さんも同じじゃないですか。そういったところでも、お互い様ですよ。だから、本当にもう、お気になさらないでください」

 

「お心遣い、痛み入ります……」

 

そうして頭を下げる彰三を宥め続けることしばらく。罪の意識が和らいだのか、結城夫妻の上がらなかった頭は元の位置に戻り、ようやく背筋を伸ばして対話ができるようになったのだった。

そして、若干の気まずい空気が流れる中、最初に口を開いたのは、明日奈の母親である京子だった。

 

「ところで……本日はお一人で会場にお越しになられたのでしょうか?」

 

「いえ。私の方は、親衛隊隊長と一緒に参りました。残念ながら、父と母は、本国を中々離れられないものですから」

 

「そうですか……しかし、デビルーク王国の親衛隊隊長といえば、王室と親しいご身分の方と伺っております。ぜひとも、挨拶をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

互いの空気が和らいだところで、先程までの謝罪モードとも呼ぶべき状態から、先程までの挨拶回りモードへと切り替える。しかし当然のことながら、単にデビルーク王国の重臣に対して、先の事件の再三の謝罪と新年の挨拶をするというだけではない。

このパーティーにおける対話の機会を活用し、レクト・プログレスにおける最大級の取引先であるデビルーク王国との関係を改善・強化することで、ALO事件で結城家が被った汚名を雪ごうと考えているのだ。そんな、キャリア重視の人生を歩み続けている母の姿に、明日奈は内心で嘆息していた。しかし、結城家の一員である以上、明日奈もこれには最大限協力する義務がある。故に、明日奈もまた、ララへ挨拶をさせて欲しいと頼み込もうとした、その時だった。

 

「ララの付き添いで来られた新鋭隊長でしたら、あちらの側の方で、小山田グループのCEOとご歓談なさっています。ご挨拶をなされるのでしたら、こちらのまん太君に案内していただいてはいかがでしょうか?」

 

先に切り出したのは、ララのすぐ傍に立っていためだかだった。先程まで自分達もいた人だかりの方を指し示し、結城夫妻が挨拶しようとしている人物は、その真っただ中にいるのだと言う。

 

「まん太君、お二人の案内をしてさしあげてはいかがですか?」

 

「えっと…………分かりました」

 

有無を言わせぬめだかの提案ならぬ命令に、まん太は一瞬戸惑ったものの、頷いてこれを了承した。すると次は、そのやりとりを見ていたララが、めだかと視線を交錯させた後、口を開く。

 

「そうだ!私、明日奈さんともう少しお話ししたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「へっ……明日奈、と?」

 

「はい!同じ学校に通わせていただいている身ですが、ここ最近は忙しくて中々お話しする機会もありませんでしから、ぜひとも色々とお話しを聞きたいと思っていたんです!」

 

「いえ、しかし……」

 

「私からもお願いします。年の瀬は学校の中ですら顔を合わせることができない程に忙しかったですからね。ぜひともお仲間に入れていただきたいものです」

 

ララに次いで、めだかが援護射撃をする。このパーティーに明日奈を連れてきたのは、挨拶回りに乗じて二年以上もの入院から回復した姿を見せることも目的に含まれている。そのため、ここで明日奈を連れていかれるのは問題なのだが、相手はデビルーク王国の王女と、黒神財閥の令嬢である。後者はともかく、前者の頼みは逆らえる筈がない。

 

「……分かり、ました。娘を少々の間、よろしくお願いいたします」

 

「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」

 

満面の笑みを浮かべて頼み込むララとめだかに気圧された彰三と京子は、結局、明日奈の引き抜きを認めざるを得なかったのだった。半強制的に案内役をすることになったまん太とともに、人だかりの向こう側にいるVIPに会うために、結城夫妻はその場を後にするのだった。

 

「さて……ようやくこれで解放されたな」

 

「大丈夫、明日奈?」

 

明日奈の両親がまん太とともに人だかりの中へ消えたのを見届けためだかとララは、周囲に聞こえない程度に抑えた声で、明日奈にそう話し掛けた。対する明日奈は、そう切り出されて一瞬戸惑った様子だった。しかし、先程までのやりとりを思い出し、二人が何のために両親を遠ざけたのか、その意図をすぐに察した。

 

「えっと……もしかして、気を遣わせちゃった、かな?」

 

「水臭いよ。私達と明日奈と仲じゃない。そんな他人行儀なのはやめて。それに、普段の明日奈を知ってるから、ちょっと辛そうにしていたことくらい、分かるよ。だから、気にしないで」

 

明日奈の問い掛けに対し、ララは何を今更、とばかりに答えた。隣のめだかも口にこそ出さないが、同意見らしい。そんな友人二人の心遣いに、明日奈は先程までの貼り付けた笑顔とは違う、心からの笑みを浮かべていた。

 

「さて……この場はやはり少々息苦しいな。私と父とまん太の父上殿、そしてララの新鋭隊長殿が来客の相手をしている間に、私たちはもう少し離れた場所に移動するとしようか」

 

「賛成!ほら、明日奈も行こう!」

 

「あ、ちょっと……!」

 

めだかとララに半ば強引に手を引かれ、パーティー会場から連れ出される明日奈。美少女三人揃っての移動だったものの、来客の大多数は、小山田グループ、黒神財閥、デビルーク王国の代表者を取り囲む人だかりに集中していたため、彼女等の動きを気に留める者はいなかった。

 

 

 

 

 

「めだかさん……この部屋って……」

 

「ここのスイートだな。そうか、明日奈は利用するのが初めてだったか」

 

「景色も良いし、家具も間取りも、結構良い感じだよね。日本のホテルの中でも、かなり上等なんじゃないかな」

 

パーティー会場を出た三人が向かった場所は、同ホテルのスイートルームだった。それも、一般人はおろか、常連で利用している顧客ですら中々利用できないような、スイート中のスイートである。そんな一室を予約もなく借りることができるのも、黒神財閥令嬢の名前が為せる業である。

そんな超々高級客室に連れてこられ、戸惑う明日奈を尻目に、めだかとララは、部屋に似合うデザインの、これもまた高級素材でできたイージーチェアに悠々と座る。そして、明日奈にも椅子へ座るよう呼び掛ける。

 

「明日奈も、そっちのソファーに座ったらどうだ?」

 

「えっと……はい」

 

めだかに促され、テーブルを挟んで向かい側のソファーへと座る明日奈。こちらも高級感溢れるデザインと座り心地だが、今の明日奈にそれを楽しむ余裕は無いようだ。そんな明日奈の様子に苦笑を浮かべながらも、めだかは口を開いた。

 

「さて、ここなら誰の邪魔も入らんな。明日奈、そろそろ話してはもらえないか?」

 

「えっと…………何を、ですか?」

 

「お前の今の状況についてだ。さっき会場で会った時のお前は、とてもではないが本心から笑っているようには見えない……貼り付けたような笑顔だったぞ」

 

「うんうん、めだかの言う通りだよ。明日奈、本当に酷い顔してた」

 

めだかの何を今更、とばかりの言葉に、ララが頷きながら続く。周囲の親類縁者、両親は誤魔化せても、SAO事件を経て交流を深めた女友達であるこの二人を相手に、明日奈が内心を隠すのは難しいものがある。家庭の事情や立場にも似通ったものがあるというのもあるのだろうが。

 

「……やっぱり、分かっちゃいましたか?」

 

「さっきも言ったが、私達も同じような身分だからな。無論、話したくないのなら、無理に聞こうとは思わんが……友達として、放っておくのもどうかと思ってな」

 

「溜め込んでるもの、全部吐き出しちゃいなよ。私達で良かったら、いくらでも聞くよ?」

 

優しい笑みを向けながら話し掛ける二人に、明日奈の瞳から涙があふれ出てきた。ここ京都へ来て、関係各所に挨拶回りをする中、本心を表に出すことが出来ず、常に気を張ってきた。そんな明日奈にとって、自身が抱く苦悩を分かってくれるめだかとララの労わりは、何よりも嬉しかった。

 

「二人とも……ありがとう」

 

「友達だもん。遠慮はいらないよ」

 

「全くその通りだな。ほら、話してみろ」

 

明日奈が涙目のまま顔を上げると、いつの間に向かい側から移動していたのか、二人の穏やかな顔がすぐそこにあった。明日奈を中央に、ソファーの両側に腰掛けた二人は、明日奈の手を握り、背中を擦ってくれていた。そんな二人の優しさに、心が温かくなるのを感じながら、明日奈はここ年末年始における自身の近況を……その中で、何を感じたのかを、話しだすのだった――――

 

 

 

 

 

「フム……やはりそうだったか」

 

「明日奈も苦労しているんだね」

 

めだかとララに促され、京都に来てから内に溜め込んでいたものを吐露したことで、明日奈は最初より幾分かは落ち着いた様子だった。

 

「二人とも……こんなこと聞かせちゃって、ごめんね」

 

「全くもう……だから、そういうのはいらないって!」

 

「同感だな。同じような実家の都合を抱える者同士であることに加え、私達はSAO事件以来の同志だ。そういうものは、分かち合ってこそだろう」

 

「うん……ありがとう」

 

先程から謝ってばかりの明日奈に対し、ララは頬を膨らませ、めだかはやれやれと溜息を吐いた。二人が欲しかったのは、謝罪などではない。それを察したアスナが感謝の気持ちを込めて発した「ありがとう」の一言に、二人の不機嫌そうな顔に笑みが戻った。

 

「しかし、不本意なものだな。我々SAO生還者は、確かに二年もの間、現実世界を離れることとなってしまった。しかし、それを惨めだなどと思ったことは……少なくとも私には一度として無かったぞ」

 

「私も同じだよ。あの世界に行ったからこそ、私は明日奈やめだか、イタチ達に出会うことができたんだもん。けどまあ、パパやママ、妹達、それにザスティンには凄く心配を掛けちゃったのは間違いないけどね」

 

めだかとララの話によれば、彼女達もまた、挨拶回りをした先々でSAO事件の被害者に対する憐れみの視線を向けられていたらしい。そんな似たような境遇に遭いながらも、明日奈ほど思い詰めていないのは、偏に家族の理解があったからなのだという。

 

「私の家は、大きい割には放任主義だからな。学業を通して必要な教養を身に着け、文武両道ができているならば、あとは自由にやらせてもらえる点では、理解があると言えるのかもな」

 

「ウチも同じかな?一応、王室だからハードルは皆より高いみたいだけど、そこまで厳しくないよ。SAO帰還者の皆が通う日本の学校に行きたいって言った時は、パパには最初、反対されたけど、最後はママと一緒に認めてくれたし」

 

財閥の令嬢と王女である以上、教育そのものは厳しいようだが、二人の家庭は勉学にせよスポーツにせよ、必要な力量を備えることができれば、あとは自由ということらしい。尤も、めだかもララも、人より優れているという言葉では収まり切らない、超天才児である。故に、実家からどれだけの学業のノルマを提示されようとも、全くと言って良いほど問題にはなり得ないのだが。それでも、必要な力量を提示するだけで、それを習得する方法については本人に一任しているというのだから、教育方針がガチガチに固められている明日奈の家に比べれば、両親が子供の自由に理解があることは間違い無い。

 

「両親の理解ばかりは、そう簡単に得られるものではないし、私達が干渉できることでもないな。友達として役に立てず、済まないな、明日奈」

 

「謝らないでください。それは、私が自分で解決しなきゃならない問題なんですから。それに、聞いて貰っただけでも、かなり救われた気分です」

 

「オーバーだなぁ、明日奈は」

 

ただ話を聞いただけで「救われた」などと口にする明日奈に苦笑するララ。だが、先程までの明日奈の様子を見る限りでは、相当に追い詰められていたことは、ララもめだかも分かっていた。そして、今日このパーティー会場で明日奈が二人と別れれば、再びストレスを溜め込む日々が続き…………元の木阿弥になることも。

 

「明日奈。提案があるんだが、少し良いか?」

 

だからこそ、めだかはここで明日奈を放り出すことにならないよう、ある策を考えていた――――

 

 

 

 

 

 

 

「明日奈、遅いわよ。どこに行っていたのよ?」

 

「……ごめんなさい、お母さん」

 

めだかとララに慰められて落ち着き、パーティー会場へ戻った明日奈に対し、母親である京子から開口一番に放たれた言葉は、これだった。娘の心中など察することなく、非難の視線とともに りつける京子の態度に、明日奈は委縮してしまった。傍らに立っていためだかとララも、何もそこまで言わなくてもと、僅かに眉を顰めていた。

 

「明日奈を叱るのはやめてください。パーティー会場から離れることを提案したのは、私です」

 

しかし、場所が場所なだけに、角を立てるわけにはいかない。明日奈がこれ以上、母親に威圧する視線に晒されないように、京子を宥めるべく前へ出た。対する京子も、黒神財閥の令嬢相手には強気に出ることはできなかったのか、それ以上明日奈を責める真似はしなかった。

 

「めだかさんの言う通りです。明日奈さんはめだかさんと一緒に、年末年始に本国と日本を行き来して疲れていた私を気遣ってくれたんです。あまり叱らないであげてください」

 

「……そう、でしたか。こちらこそ、明日奈に普段から良くしていただいているようで、ありがとうございます」

 

めだかに続き、ララが援護射撃をしたことにより、京子から明日奈に対する非難の視線は完全に止むのだった。当の明日奈は、母親の威圧による緊張から解放されて、内心でほっとしていた。

 

「お二人のお父様には、先程挨拶させていただきました。今後も、娘ともども、よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします」

 

「よろしくお願いします」

 

改めて頭を下げて挨拶する京子に対し、めだかとララもお辞儀する。そうして挨拶を済ませた京子は、明日奈と彰三を伴い、会場を後にしようとする。

 

「二人とも、ここの挨拶回りが済んだのだから、次の場所に移動するわよ」

 

「お待ちください」

 

だが、忙しなく動く京子を、めだかが静止した。挨拶は済んだのに、一体何の用事だろうと、時間を取られることに若干の苛立ちを覚えつつも、京子は向き直った。

 

「何か、ご用でしょうか?申し訳ありませんが、私たちはこの後も予定が……」

 

「そのことなのですが、私に少々提案がございます。お聞きいただけますでしょうか?」

 

有無を言わせない勢いで迫り、提案を聞く以外の選択肢を与えない毅然とした態度で臨むめだかに、京子は常の強硬な態度が取れずにいた。そんな母親の姿に、明日奈は信じられないといった表情を浮かべていたのだった。

 

「実は、こちらに居られますララ王女なのですが、日本の文化に大変興味があるそうです。そこで本日、これより本国よりお越しになられる妹君のモモ王女とナナ王女と合流した後、京都の寺社を巡られるおつもりです。聞けば、明日奈さんも京都に詳しいとのことですので、ぜひとも私とご一緒して案内などしていただければと考えているのですが、いかがでしょうか?」

 

「そ、それは……!」

 

めだかの口から語られた提案に、目を丸くして驚いた様子の京子。ALO事件に際してのデビルーク王国とレクト・プログレスとの間の問題は手打ちとなってはいるが、蟠りや確執は完全に消し去れるものではない。故に、レクト・プログレスの元CEOである彰三と、妻である京子は、両者の関係改善に尽力する責務がある。そのような意味では、今しがた出された提案は、渡りに舟と言える。

 

「私、明日奈さんとは、学校以外でももっとお話しをしたいと思っていました。それに、妹達にも明日奈さんを紹介して差し上げたいんです。勿論、急な提案ですので、無理にお受けしていただこうとは考えておりません。ですが、もしご一緒できるのでしたら、とても嬉しいです」

 

さらに、めだかに続いてララが援護を行う。「無理に誘わない」と言っているが、相手は結城家が深く負い目を感じているデビルーク王国の王女である。そのララが、明日奈との交流を望んでいると言われれば、余程の理由が無い限り断ることなどできる筈も無い。

 

「良いんじゃないか?ララ王女にご一緒できるなんて、光栄なことじゃないか。この後の予定は、明日奈が必ず居なきゃならないものじゃないだろう。京子、行かせてあげなさい」

 

「あなた…………分かりました。それでは、娘をよろしくお願いします」

 

めだかとララから出された、逆らう余地の無い提案に対し、しかし京子は多少の難色を示していた。恐らく、今回の挨拶回りにおいては、明日奈の全快を知らせることが目的に含まれていたために、予定に若干の狂いが生じると考えていたのだろう。しかし、夫である彰三が賛同したことによって、遂に首を縦に振るに至ったのだった。京子と彰三は、明日奈に対して一言二言告げると、去り際にめだかとララに対して夫婦そろって深く頭を下げ、会場を後にするのだった。

 

「中々手強かったが……ようやくこれで、解放されたな」

 

「ありがとうございます、めだかさん、ララ」

 

「礼には及ばんよ。ララ達デビルーク王女の京都巡りは、最初から予定されていたものだ。それを上手く利用させてもらっただけのことだ」

 

「明日奈ともっとお話ししたかったっていうのも、本当のことだしね!」

 

両親から……もっと言えば、母親である京子から解放されたことによって、明日奈の顔に笑顔が戻った。元気の無かった自分に気を遣ってくれたことに始まり、重圧から解放されるための協力までしてくれた友人二人に、明日奈は涙が溢れそうになっていた。

 

「全く、仕方のない奴だ。さて……ララ、そろそろお前の妹達が京都駅に到着する頃だぞ」

 

「あ、そうだね!それじゃあ二人とも、一緒に行こうか!」

 

天真爛漫な笑顔を浮かべたララに手を引かれ、明日奈は共にパーティー会場を後にするのだった。その後、ホテルの前に停めてあったデビルーク王国御用達のリムジンに新鋭隊長のザスティンとともに乗り込み、目的地である京都駅を目指すのだった。

 

「そういえば、マンタから聞いたぞ。年末に私を差し置いて、エクスキャリバー獲得クエストを見事にやり遂げたらしいじゃないか?ぜひともクエストの道中について詳しく聞かせて欲しいんだがな」

 

「それから、ユイちゃんが使ってくれている『カクカクベアーくん』の調子がどうなのかについても教えて欲しいな。そろそろ、『スイスイベアーくん』の開発も始めたいし」

 

道中、ALO関連の出来事や帰還者学校での出来事等における仲間達の近況について、めだかとララは明日奈に尋ねていた。それに答える明日奈の顔には、会話を心から楽しんでいることが傍から見ても分かるような、そんな笑みが浮かんでいた。

 

(ありがとう……ララ、めだかさん)

 

京都にやって来てから、久しく感じていなかった人の思い遣りの温かさを思い出させてくれた友人二人に、明日奈は心の中で本日何度目になるか分からない感謝の意を唱えていた。

SAO事件に巻き込まれ、二年以上もの月日を仮想世界の中で過ごすこととなってしまい……結果として、現実世界において多くのものを失ってしまったことは、間違いない。それでも明日奈には、後悔は無かった。目の前に居る二人をはじめ、かけがえのない友人を得られたもとより、彼等彼女等と触れ合う中で、大切なものを得ることができたのだ。

仲間達と力を合わせ、支え合うこと……困難を打ち破るために、意思を強く持つこと……そして、誰かを愛すること。挙げていけば限が無い程に多くを得たが、それらはSAO事件以前の明日奈では、到底得ることはできなかったものである。

だからこそ、明日奈は強く思う。SAOの中で得た強さをもって、この現実世界の中でも、自分らしく生きていきたいと。だが、現実は重い通りにはいかず、母親相手に碌に自分の意思を貫くことはできず……その実態は、SAO事件前の明日奈と変わらなかった。

 

 

 

現実世界の結城明日奈と、仮想世界の閃光のアスナ。二人とも同じ存在であり、どちらも自分なのに、どうして同じようにいられないのだろう?

目の前にいる、現実世界であろうと仮想世界であろうと、変わらない自分自身を持つめだかを前に……そして、今この場にはいない思い人のことを思い出し、心の中で今の自分とを比較する明日奈の胸中には、そんな疑問が渦巻いていた。

 


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