ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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マザーズ・ロザリオ
プロローグ この物語の始まる鐘の音


2025年12月21日

 

(…………朝、か)

 

『地獄の傀儡師』こと高遠遙一死銃事件解決から、一週間が経過した日曜日の朝。桐ケ谷家の自室で眠っていた和人は、休みの日にしては珍しいことに、朝稽古が始まるよりもずっと早く目が覚めていた。枕もとの時計を確認すると、本来の起床時間までは一時間半以上はある。

しかし、早く起きたからといって、特にやることも無い。部屋を出て何かをすれば、未だ眠りに就いている妹の直葉、母親の翠、上述の事件の関係で一緒に暮らしている詩乃の三人を起こしてしまうかもしれない。必然的に、自室に居なければならなかった和人は、時間までALOにダイブして時間を潰すことにした。

ベッドから起き上がり、真っ暗闇の部屋の中、電気も点けずにウォールラックへと向かった和人は、ナーヴギアの隣に置かれているアミュスフィアを手に取り、ベッドへと戻った。電源を入れて東部に装着し、再度ベッドに横たわると、毎度お馴染みのキーワードを口にした。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

 

 

ALOへダイブするとともに、和人の意識は愛用のアバターである、猫妖精族『ケットシー』ことイタチへと乗り移った。降り立った場所は、アルヴヘイムの中心たる世界樹の頂上に位置する『イグドラシル・シティ』にて借り受けているホームの中。仲間達とともにクエストに参加し、昨晩ログアウトした場所である。

 

「さて……」

 

ALOへログインし、アバターの動作の調子を確認したイタチは、そのままホームを出て街中を歩いていく。ALO設定の時間は早朝のためか、辺りには朝霧が立ち込めており、空は夜明け前の明るさを帯び弾得ていた。街中には、時間が時間なだけに、プレイヤーの姿は見当たらず、すれ違うのはNPCばかりである。

 

(どこへ行ったものか……)

 

時間を潰すためにALOへログインしたイタチだったが、別段行く宛てがあったわけではない。何か済ますべき用事は無かったかと思い返してみたものの……やはり、これといった要件は特に思いつかない。アイテムの買い足しは昨日の時点ですでに済ませており、フィールドに出てモンスターを狩る気分でもない。果たすべき用事が無い以上は、ただ只管、イグドラシル・シティの街中を歩き回るのみ。つまるところ、ただの散歩だった。

 

(ユイでもいれば、行きたい場所に連れて行ってやっても良かったんだが……)

 

ちなみに、和人の娘という立ち位置にあるユイだが、昨晩から母親である明日奈の端末に移動しており、和人の部屋の端末へは帰っていない。呼べばすぐに来てくれるのだろうが、早朝の暇潰し程度の用事に呼び出すのは憚られた。

そうして手持無沙汰のまま、街中を歩き続けていくと、イタチはふとあることを思い出した。

 

(……そういえば、新生アインクラッドはもうじき、次の階層が実装化される時期だったな)

 

新生アインクラッドが実装化されてから八カ月。五月のアップグレードで第一層から十層、九月に第十一層から二十層が解放された。そして今月、十二月二十四日の夜には、次のアップグレードが行われ、第二十一層から三十層が解放される予定なのだ。

 

(ここ最近は階層攻略には参加していなかったが……たまには前線に出てみるか)

 

SAO生還者として、アインクラッド攻略に関して随一の情報を持っているイタチだったが、ここ最近の攻略にはあまり積極的には参加していなかった。理由としては、SAO事件の中で培った知識と経験を持つイタチやアスナをはじめとしたSAO帰還者が幅を利かせれば、それ以外のプレイヤー達が積極的に攻略に参加し辛くなることが挙げられる。

しかし、今回のアップグレードにおける最初の階層攻略に関しては、そこを曲げて参加してみようかと、イタチは考えていた。その理由は、アップグレード後の次なる攻略階層である第二十一層を突破することで解放される、第二十二層にある。

 

(あのログハウス……SAO事件終息後は全く考えていなかったが、また購入するのも良いかもしれんな)

 

第二十二層は、針葉樹林が広がるばかりで、モンスターの出現頻度も少ないエリアである。有体に言えば“何も無い”ことが特徴であるこの階層は、SAO事件当時は人の行き来も皆無に等しかった。

故に、ソロのビーターであるイタチにとっては、身を隠す拠点を確保するには打って付けの場所であったため、ここにログハウスを購入した経緯があった。攻略最前線で戦うイタチにとって、ログハウスの用途など、持ちきれない各種アイテムの保管や、アルゴのような情報屋と秘密裏に取引するために利用するくらい――アスナ曰く、勿体無いにも程がある――だった。

しかしながら、イタチとて大枚を叩いて購入したログハウスには、全く思い入れが無いわけでもなかった。特にSAOの攻略終盤には、アスナとユイを招いて共に過ごした思い出もある。何より今は、SAO事件当時とは違い、イタチの周囲にはアスナやリーファ、シノンをはじめ、親しい仲間がたくさんいる。仲間同士集まるための拠点があった方が便利なのは間違いない。故にイタチは、このALOにおける次なる目標として、ログハウス購入を視野に入れようかと考え始めていた。

 

(……少しばかり、見に行くのも悪くない、か)

 

そこでイタチは、心中で攻略することを決めた、アインクラッドの様子を見に行くことにした。無論、目標階層が未開放状態のアインクラッドへ、今から乗り込もうというわけではない。攻略対象たる鋼鉄の城の全景とその位置を、遠くからでも確認しておこうと思っただけである。そのようなことをしなくても、アインクラッドの位置を確認する術などいくらでもあるし、そもそも全景事態は今まで、それこそSAOの開発スタッフだった頃から見慣れているものである。故に、イタチが取ったその行動には、大した意味は無い。ただ眺めておきたいと、純粋に思っただけである。

そうしてイタチが足を向けたのは、イグドラシル・シティの中心に位置する展望テラスだった。アルヴヘイムの中心たる世界樹の上に位置するイグドラシル・シティの中でも最も高いこの場所からは、三百六十度全方位に、アルヴヘイム全景を望むことができる。そしてその中には、アルヴヘイムの全土を周回しているアインクラッドも含まれている。

 

(さて、あそこか…………)

 

翅を使って飛翔すれば、目的地には簡単にたどり着ける。しかしイタチは、特段急ぐ必要も無いと考え、最後まで徒歩で移動することにした。そうして、長い坂道や階段を上ることしばらく。イタチは展望テラスへと至る階段の前へと到着した。

周囲には相変わらず朝霧が立ち込め、視界が若干悪かったものの、霧がかかったように全く見えないという程ではない。直に朝日が昇れば、視界も幾分かは晴れるだろう。そう考え、イタチは残り僅かの階段を上り切り、展望テラスへと一歩を踏み入れた。

 

「む…………?」

 

ふと、朝霧の向こう側の景色に景色を望もうとしていたイタチの視界が、一つの人影を捉えた。イグドラシル・シティにもNPCはいるが、その配置場所は、商店が軒を連ね、人通りの多い市街地に限られる。故に、この展望テラスにNPCが居ることは、まずあり得ない。

 

(まさか、こんな時間帯にこんな場所に来るプレイヤーが居たとはな)

 

どうやらイタチよりも早く、この展望テラスにはプレイヤーの先客がいたらしい。この早朝に、自分の他にダイブしているプレイヤーがこんな場所に居たことには少々驚いたが、自分と同じような理由なのだろうと、あまり気にしないことにした。何より、視認した人物はイタチの存在に気付いておらず、イタチ自身もそれほど強い興味を抱いていなかったのだ。

それよりも、今確認すべきはアインクラッドの場所である。薄っすらと空を覆う朝霧の向こう側に注意しながら、周囲を見回すこと一分程度。イタチの赤い双眸が、朝霧の彼方で浮遊するアインクラッドの影を捉えた。

 

(む……あそこか)

 

アインクラッドが見えた方向へと視線を向けたイタチは、同時に先客のプレイヤーの姿を捉えた。しかし、イタチは件のプレイヤーには構わず、アインクラッドの存在を確かめるために、柵へと歩み寄る。

その一方で、朝霧に隠れてシルエットが不鮮明だった人影の正体が、近づくごとに徐々に明らかになっていった。パープルブラックの長髪に、線の細いシルエットの後姿からして、目の前の先客は闇妖精族『インプ』の女性プレイヤーだと分かった。

 

「っ…………誰!?」

 

「…………」

 

イタチとの距離が五メートル程度になろうとしたところで、ようやくその気配を感じたらしいインプの少女が、驚きの声とともに後ろを振り返った。手を腰に差した剣に伸ばしていたことからして、イタチを敵と勘違いしたのだろう。

そんな警戒心を露にしたインプの少女の反応に対し……しかしイタチは、弁明を口にすることはできなかった。イタチの方へ向けられた、イタチと同じ赤い色をした少女の瞳には、大粒の涙が浮かんでおり、頬には幾筋もの涙が流れた痕が残されていた。アバターにかかる過剰なフェイスエフェクトによるものもあるのだろうが、少女は確かに“泣いていた”のだ。

そんな少女に対しどのように声を掛けるべきか、イタチは内心で少し戸惑っていた。しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。少女の誰何に対し、イタチはいつも通りの無表情を崩すことなく、ありのままの経緯を答えることにした。

 

「単にここの景色を眺めに来ただけの者だ。敵意や悪意は無い」

 

「…………そう、なんだ。ごめんね、大声出して」

 

「……気にするな」

 

傍から見れば、女性に背後から音も無く近づく形になってしまったイタチは不審者と見なされても文句は言えない。しかし、少女もまた、過剰反応をして剣を抜こうとしたのだから、お相子だろう。少女の方はそう考えたらしく、イタチの行動に対してそれ以上追及することは無かった。

ともあれ、これで少女の警戒を解くことはできたのだから、イタチがこの場から立ち去らなければならない理由は無い。当初の予定通り、アインクラッドを確認するために、少女の横へ並んで柵の前へと立つことにした。

 

「「………………」」

 

お互いに何を口にするでもなく、展望テラスの柵の前に二人揃って並び、朝霧が徐々に晴れつつある景色を眺める。元々寡黙な性格のイタチからすれば、この状況を苦痛に感じることはほとんど無い。

だが、少女の方はそうはいかないらしい。涙を流していた顔を見られたことと、剣を手に掛けて斬りかかろうとしたことで気まずいのか、イタチの顔をちらちらと窺っていた。恐らく、場の空気を紛らわせるために、話し掛けるタイミングはいつだろうかと考えを巡らせているのだろう。

そうして朝霧の向こう側を眺めることしばらく。未だにどう声を掛けるべきかと逡巡していた少女の姿を不憫に思ったイタチは、自身から声を掛けることにした。

 

「…………随分と早い時間帯だが、どうしてこんな場所に来ていたんだ?」

 

「!………えっと、今日はちょっと早く目が覚めちゃって。それで、気分転換に、景色を眺めたいなって思って」

 

イタチから話題を振られたことに若干驚いた様子を見せたが、どうにか答えることはできていた。軽く言葉を交わしたのみだが、先程まであった気まずさは幾分か和らいでいた。

 

「そう言うお兄さんは、どうしてここに?」

 

「……俺も似たようなものだ。少々早く起き過ぎて、ALOにログインしたわけだ」

 

「へぇ……それでここに来たってことは、景色を見るのが好きだからかな?」

 

「いや、そういうわけではない。少々、見たいものがあったからな」

 

「見たいものって……もしかして、アインクラッド?」

 

「ああ。もうすぐ次のアップデートで、第二十一層から三十層が解放されるからな。特に意味は無いが、とりあえず様子を見ておきたくてな」

 

イタチが口にした言葉に、少女は僅かに目を見開く。話の流れから考えて、アップデートによる新たな階層解放の話が気になっているようだった。

 

「次の階層攻略には、久しぶりに参加しようと思ってな。改めて、場所の確認と様子見に来たわけというだ」

 

「そう、なんだ……」

 

イタチの階層攻略に参加するという言葉に対し、少女はその表情を若干暗くする。どうやら、少女が階層攻略に対して何か思うところがあったというイタチの予想は、間違っていなかったらしい。それを確認したイタチは、ならば、と試しに少女に声を掛けることにした。

 

「階層攻略に興味があるのなら、お前も参加するか?実力があるなら、攻略パーティーに入ることもできるだろう」

 

「えっと……ちょっと、違うんだけどね……」

 

階層攻略への参加を希望しているものと考え、能力があるならば勧誘すると口にしたイタチの言葉に対し、しかし少女はあまり乗り気な様子ではない。どうやら、イタチの見解は若干ずれていたらしい。

 

「ところで、お兄さんってアインクラッドの攻略に詳しいみたいだけど……もしかして参加したことあるの?」

 

「ああ。アインクラッドが実装化された初期の頃には、何度か階層攻略やフロアボス攻略には参加していたな」

 

イタチがアインクラッドのフロアボス攻略のパーティーに参加していたのは、あくまで実装化初期の頃。今現在は、イタチを含めたSAO生還者のパーティーは、アインクラッド攻略最前線からは離れた立ち位置となっていた。

アインクラッドのフロアボス攻略は、SAO事件当時には無かった、HPバーが表示されないという特殊仕様のために、中々に難易度の高いものだった。加えて言うならば、アインクラッドのボス部屋は閉鎖空間であり、太陽と月の光が差さない故に、当然のことながら翅を使った飛行ができない。

結果、アインクラッドでの戦闘は今までのALOには無い制約が課された仕様となったことから、大多数のALOプレイヤー達は苦戦を強いられる羽目になった。しかしそれも、アインクラッドが実装された当初の話。現在は、イタチとアスナといったSAO帰還者が先導してのフロアボス攻略によって蓄積されたノウハウのお陰で、ALOからアインクラッド攻略に参加してきたプレイヤー達も、当初より落ち着いて攻略に臨めるようになっていた。

ともあれ、隣に立つ少女は、イタチがアインクラッド攻略に参加していたプレイヤーだったことに興味を持った様子だった。

 

「そうなんだ……なら、かなり強いんだよね?」

 

「自慢ではないが、アインクラッドの攻略では、パーティーリーダーも務めていた」

 

「ふ~ん……なら、ちょっとお願いがあるんだけど、良いかな?」

 

「……何だ?」

 

話の流れから、少女が自分に何を頼もうとしているのか、なんとなく分かっていたイタチだったが、確認のために聞いてみることにした。そして、笑みを浮かべながら少女が口にした頼み事は、イタチの予想通りのものだった。

 

「ボクと、デュエルをして欲しいんだ!」

 

「……今、ここでか?」

 

半ば予想していただけに、驚きこそしなかったイタチだが、その内容にはやはり耳を疑ってしまう。PvPが好きならば、強い相手と戦いたいと思うのが道理なのだろう。実際、PK推奨のALOにおいて、このような手合いは珍しくない。しかしながら、出会って間もない相手にデュエルを所望するのは、これ如何に。

そもそも出会った当初のしおらしかった雰囲気はどこへ行ったのか。今やイタチの目の前にいる少女にその面影は無く、元気いっぱいの明るく可憐な少女剣士と化していた。

 

「うん!お兄さん、凄く強いみたいだから、できたら今ここで、戦ってみたいと思って!」

 

「…………まあ、良いだろう」

 

SAOにおいてのみならず、ALOにおいても最強クラスのプレイヤーの一人と目されているイタチだが、やたらとデュエルをやりたがる性分というわけではない。勿論、仲間内でのデュエルは頻繁に行うし、月例大会等の催し物には必ずと言って良い程出場する。しかし、初対面の相手に唐突にデュエルを申し込まれて、その場でOKするほどの戦闘狂(バトルジャンキー)というわけではない。

しかし今回、イタチは少々の間を置いてから、この申し出を敢えて了承することにした。その理由は、単にイタチの気まぐれというだけではない。少女がイタチの実力に興味を持ったように、イタチもまた、目の前の少女に対してある種の興味、関心を持ったことが理由として挙げられる。

 

(アバターの動きが自然過ぎる。仮想世界でアバターを動かすのに、かなり慣れているな)

 

フルダイブ環境において、アバターを現実世界の肉体同然に動かすことは、実はかなり難しい。二年間連続で仮想世界にフルダイブしていたSAO生還者や、仮想世界に似た空間を操る忍の前世を持つイタチならばまだしも、一般的なVRゲーマーのフルダイブ時間では、ここまでアバターを自然に動かすことはできない。無論、仮想世界への適性は人によって異なる。コナンやランといった、一度のダイブで仮想世界への適性を示す人間もいる。

しかし、目の前の少女が見せる動作は、現実世界のものと比べても遜色無い。単純に仮想世界への適性が高いというだけでは説明のつかない動きだった。故にその理由を、イタチはデュエルを通して看破しようと考えたのだった。

 

「それじゃ、始めよっか!」

 

「ルールは地上戦のみで、制限時間は五分にしておく。現実世界は早朝で、俺もこれから予定があるからな。あまり長い間は付き合えん」

 

「オッケー!」

 

イタチの提示したルールを承諾した少女は、慣れた手つきでシステムウインドウを操作し、デュエル申請を行う。直後、イタチの視界にデュエル申し込み窓が出現。そこには、『Yuuki is challenging you』と記載されていた。

 

(ユウキ、か……)

 

その名前を確認したイタチは、SAO事件の記憶を遡るも、該当する人物に覚えは無かった。プレイヤーネームを変えているのではとも考えたが、ユウキに似た性格の人物にも心当たりが無い。

結論からして、イタチ個人の推察による極論ではあるものの、目の前の少女――ユウキは、SAO生還者ではないのかもしれない。

 

「時間が惜しいからな。今回は、『初撃決着モード』にするぞ」

 

「う~ん……まあ、しょうがないね」

 

SAOと同様、ALOのデュエルのオプション・モードもまた、『初撃決着モード』、『半減決着モード』、『全損決着モード』の三種類がある。デスゲームと化していたSAOは、有効打を先に与えた方が勝利する『初撃決着モード』以外を選択することはあり得なかった。しかし、ゲームをゲームとしてプレイできるALOにおいては、相手のHP全てを削り合う『全損決着モード』が主流となっていた。

しかし今回は、時間の問題があるので、早々に決着が着く『初撃決着モード』で行うことにしたのだった。ユウキとしては、とことんまでやりたかったのだろう、若干不満そうにしていた。

 

「それじゃあ、始めるか」

 

「うん!」

 

ユウキのデュエル申請を受け取ったイタチが、制限時間設定を行った上で、OKボタンを押す。それを確認した二人は、互いに武器を抜いて構えた。イタチの武器は、ALOにおいて新たに刀スキルを取得したことで使い始めたエンシェント・ウェポン級の銘刀『破軍星』、ユウキの武器はインプのカラーである黒と紫のダークカラーに染められた片手剣である。ユウキの武器もまた、エンシェント・ウェポン級の名剣であることは、イタチにも分かった。

そして、六十秒のカウントがゼロになると同時に、二人は一気に互いの距離を詰め、刃を交錯させた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~……君って、本当に強かったんだね!ボク、ビックリだよ!」

 

「それはこっちの台詞なんだがな……」

 

日の出前のイグドラシル・シティ頂上のテラスにて行われた黒の剣士二人によるデュエルは、五分というタイムリミットが訪れたことにより、引き分けという形で終わった。

 

(純粋な剣技だけの勝負とはいえ……まさか、この俺が一撃も入れられんとはな……)

 

五分間のデュエルの中で、幾度も刃を交錯させていながら、互いに攻撃が一撃も攻撃が通らなかったことに対して、イタチは内心で非常に驚いていた。ALOにおいて、刀スキルを取得し始めて間もないイタチだが、ソードスキルそのものの制作に大きく貢献した立役者である。種族による縛りやスキル値に依る使用可能なソードスキルの制限こそあるものの、SAOは勿論、ALOにおけるプレイヤーの誰よりも武器の性能を発揮できることは間違いない。しかし、そんなイタチの剣技をもってしても、ユウキという少女に有効打を入れるには至らなかったのだ。

 

(あちらも俺に有効打を入れられなかったのは同じだが……それは、俺とユウキの剣技が互角だったということ……)

 

互いの剣技が互角だったということは、反応速度もまた互角かそれに近いレベルだったということである。イタチの反応速度は、前世の忍時代において培った経験を引き継ぎ、SAO事件における二年もの連続フルダイブ時間を経て、文字通り他の追随を許さない程のレベルに達しているのだ。しかしユウキは、今回のデュエルにおいてイタチに迫る反応速度を発揮した。故にこれは、本来ならばあり得ないことであり、ユウキが普通のプレイヤーならば持ち得ない、イタチの前世に相当する“何か”を持っていることを示しているのだ。

 

(俺と同じ、忍世界からの転生者…………では、ないな)

 

ユウキが秘めた秘密について思考を走らせるイタチがまず思浮かべたのは、自身と同じ境遇――――即ち、忍世界からの転生者ではないかということだった。しかし、イタチは思い浮かべたその直後にその仮説を否定した。デュエルで剣を交えて分かったことだが、ユウキの剣技には殺気の類は感じられなかった。対人戦闘にはそれなりに慣れている様子だったが、それはあくまでゲームの中で鍛えたセンスだろう。忍世界のように、殺し合いの世界を経験して磨かれた剣技とは思えなかった。そして、現実世界の実戦経験が無いという仮説が正しければ、イタチの前世である忍世界とは別の世界の出身という可能性も無い。

ならば、ユウキの抱える秘密とは何なのか………………

 

「あ、見て!日の出だよ!」

 

さらに深く考えようとしたイタチだったが、それはユウキの言葉によって中断された。展望テラスから見える、オレンジ色に染まりつつある水平線の彼方。そこから、白い光を放つ太陽がゆっくりと上り始めていた。そして、上り始める太陽の光を背に、アルヴヘイムの大地に浮かぶ鋼鉄の城、アインクラッドのシルエットが浮かび上がっていた。

 

「わぁ~……綺麗だね」

 

「……ああ、そうだな」

 

現実世界、仮想世界を問わず、日の出の光景というものは人の心を惹き付ける美しさがある。ユウキは感動した様子でその景色に魅入っており、隣に立つイタチも僅かに笑みを浮かべていた。

そうして二人して日の出の景色を眺めることしばらく。午前六時の時刻を知らせる鐘が、イグドラシル・シティ全体に鳴り響いた。イタチはそのことを視界端のデジタル時計でも確かめると、早々にログアウトすることにした。

 

「ユウキ、俺は先に落ちるぞ」

 

「えっ!もう行っちゃうの!?」

 

「悪いが、俺も予定があるのでな」

 

アインクラッドの様子を見るついでに日の出まで見た以上、もうここに用事は無い。故にイタチは、家族が起床し始めているであろう家へと戻るために、システムウインドウを操作してログアウトしようとする。

 

「あれ?……そういえば、どうしてボクの名前がユウキだって知っていたの?」

 

「今更か……デュエルの時に、互いのHPバーの上に名前が表示されていただろう」

 

「あ……」

 

呆れた様子でそう答えたイタチに対し、ユウキははっとした様子で口を覆っていた。どうやら、デュエルを自分で仕掛けておきながら、相手の名前に注意にまでは注意を払っていなかったらしい。

 

「い、いや~……ごめんごめん。お兄さん、強そうだったから、動きの方に気を取られちゃって……」

 

「名前の確認までは気が回らなかったか」

 

「本当にごめん。それで……お兄さんの名前は?」

 

「イタチだ」

 

「……猫なのに?」

 

「……よく言われるがな」

 

猫妖精族(ケットシー)でありながら、『イタチ』というプレイヤーネームを使うのは、これ如何に。そんな疑問をぶつけられるのは、今回が初めてのことではない。ALOを改めて開始し、ケットシーを選択して以来、明らかにズレたプレイヤーネームについて、多くの仲間達から突っ込みを受けた。例外は、イタチの前世を知るアスナ、リーファ、シノンくらいだろうか。

 

「それじゃあイタチ、落ちる前に、ボクとフレンド登録してくれるかな?」

 

「……まあ、良いだろう」

 

屈託の無い笑みでフレンド登録をせがむユウキに対し、イタチは特に渋ることなくこれを了承した。そして、ユウキから出されたフレンド登録申請に対し、OKボタンをクリックすると、再度ログアウトするためにシステムウインドウの操作を再開するのだった。

 

「アインクラッドの階層攻略に参加する気になったら、いつでも連絡を寄越せ。お前の実力なら、フロアボス攻略でも十分に活躍できるだろうからな」

 

「うん。ありがとう」

 

フレンド登録を行った後、互いにそれだけ言葉を交わして別れを告げると、イタチは今度こそALOからログアウトするのだった。

 

 

 

 

 

ALOをログアウトし、現実世界へと戻ったイタチこと和人は、アミュスフィアを外して傍らへ置くと、ベッドから上体を起こす。いつもなら、すぐにベッドから立ち上がって、朝稽古の支度をするのだが……イタチの思考は別のベクトルに向いていた。

 

(ユウキ……か)

 

イタチこと和人がユウキとのフレンド登録に了承したのは、自身に迫る実力を持つ強豪剣士との繋がりを作っておくことや、ユウキの内面を知って、仲間にすることも吝かではないと思ったからだけではない。イタチに迫る程の実力を有する謎多き少女剣士の強さの秘密を探ることも考えていたからである。あの凄まじい反応速度には、生来のVRゲームへの適性だけでは説明がつかない何かがあることは間違いない。和人のような転生者でないのならば、一体それは何なのか……

 

(それに、あの“涙”は…………)

 

ユウキが抱えているであろう事情に関して、和人が気になっていたことが、もう一つある。それは、イグドラシル・シティの展望台で出会った時に、その目に浮かべていた、涙のこと。あの涙の理由には、ユウキが今日、あの場所に居た理由と……そして、あの突出した反応速度を発揮できる理由を説明する“何か”があると、和人はそう直観していたのだ。何故ならば――――

 

(……いや、これ以上は止そう)

 

ユウキの涙に一連の謎を解く鍵があると感じた、その理由について明らかにしようと走らせた思考を、しかし和人は中断した。その先には、ユウキの正体を知る何かがあると同時に、踏み込んではいけない一線があるのだと、和人は感じたのだ。その後、和人はユウキとのことを頭の片隅に追いやるべく、朝稽古の支度を始めることにした。

ただ一つ……和人の頭には、ユウキとの別れ際に鳴り響いた鐘の音が、未だに聞こえるような気がした。そしてそれは、和人ことイタチとユウキを巡る、何かの始まりを告げているかのように思えていた。

 

 

 

 

 

これは、二人の出会いの物語。

即ち、『黒の忍』と呼ばれた転生者の少年と、後に『絶剣』と呼ばれるようになる少女が織りなす、大きな物語の序章となる一幕だった――――――


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