寮部屋の扉がノックされる。と同時に、開かれた。その人物を見て、一夏は慌ててパソコンの画面の電源を消す。箒は呼んでいた雑誌を横に置き、体をその人へ向けた。
「お引越しで〜す」
山田先生は開口一番にそう言った。
「部屋の調整が落ち着いたので、篠ノ之さんは別の部屋に移動です」
頭が一瞬、真っ白になった。箒は混乱しながら、山田先生へ抗議した。
「ま、待って下さい。それは今直ぐに部屋を離れろということですか」
「はい、そうです。お年ごろの女性が、男性と同室で生活するなんて、篠ノ之さんも寛げないでしょうし、織斑くんも、ね」
「いや、そんなことはないです。私はくつろいでいます! むしろ、一夏でないと駄目です!」
「は?」
一夏は、すっとぼけた声を上げた。
「私は一夏が居ないと駄目なんです! 私の口からでは言い難いですけど、恥ずかしいことを教えてもらっている最中なんです!」
「は、恥ずかしい、女性の口では言い難いことを! 教えてもらっているんですか!」
山田先生は目を見開かせて、オウム返しをしている。
「ちょ、ちょっと待て」
一夏の弱い声では、女性二人は止まらなかった。
「ひと通り、その訓練を終えて、実践したいんです。一夏と!」
「織斑くんと、恥ずかしいことを実践! だ、駄目です! そんなこと許可できません!」
「おーい、聞こえてるか」
「一夏がいないと、私は一人で寂しい夜を過ごすことになります!」
「そんなの、先生だっていつもの事です! じゃなくて! それを聞いた以上、同室にさせるわけにはいけません!」
「なんでですか!」
「当たり前です!」
「山田先生も箒も落ち着いて下さい! それと、山田先生は勘違いしています」
「一夏、一夏は私が部屋を離れることに何も思わないのか」
「いや、山田先生の言うことも一理あるし」
「そうか、そうだな。私の相手は一夏しかいないが、一夏の相手は大勢いるからな」
箒に友達だと言ってくれたのは、一夏くらいだ。セシリアとはライバル関係で、クラスメイトには「友達じゃないし」と言われるのが怖くて、箒は確認をとっていない。鈴とは挨拶を交わすが、別のクラスなので、ほとんど話しかけていない。
山田先生が一夏へ詰め寄る。
「織斑くん! 篠ノ之さんだけでなく、他の人ともそういう関係なんですか!」
「山田先生は見て分からなかったのですか? 教室でも食堂でも体育館やグラウンドでも一夏は人気だったでしょう」
「そんな、教室や食堂、グラウンドでそんなことを……」
山田先生の顔が引きつり、口が震えている。
一夏は二人の顔を交互に見て、声をかける機会を伺っていた。
「むしろ、教室以外のどこで触れ合うのですか?」
「ああ、そんなことって。駄目です。篠ノ之さん、自分の体は大切にして下さい!」
「二人共、聞いてくれ!」
一夏の大きな声で、二人は一夏を見る。
「箒、これは良い機会だと思う。箒は色んな人と仲良くなりたいんだろう?」
「色んな人と仲良く! 篠ノ之さんは、その、女性とも、仲良くしたいんですか?」
「はい、恥ずかしいですが、そうです」
「箒、恥ずかしがるなって、それは普通だから。山田先生が勘違いを……」
「普通、普通。そんなに歳は変わらないのに、今の若い子は、進んでいるんですね。……篠ノ之さん! 無理矢理は駄目ですよ!」
「分かっています! 合意の上で無ければ、一人よがりです」
「あう〜、本当に進んでいます」
山田先生はフラフラと部屋を出て行った。その後ろ姿を見送った一夏がため息をつく。
「勘違いしたままだ」
一夏に何が勘違いなのか尋ねられないほど、箒は不安だった。
「一夏、私は新しい部屋で、やっていけるだろうか。そこの生徒と仲良く出来るだろうか」
「大丈夫だって、箒ならやれるさ。セシリアとも話せているだろ」
「セシリアはライバルだと言ってくれたからだ。私は力不足だが、共に競い合う仲間と認めてくれたんだ」
「だったら、IS学園生徒全員と仲良くなれるさ。みんな、専用機専属になろうと競い合ってる。だったら、箒もライバルで友達になれるって」
「そ、そうか?」
「ああ、頑張れ。俺も今までと同じように手伝うから安心しろ」
一夏が変わらず手伝ってくれる。その言葉に箒は安心できた。少しだけ、勇気を出して見ようと思うことが出来た。
「あ、ありがとう、一夏」
箒は早速、自分の荷物をまとめる。部屋に置かれた自分の小物を、鞄に詰め込む。直ぐに用意ができた。
扉を開ける。一歩を踏み出し、振り返った。
今までは箒と一夏の部屋だったが、これからは一夏だけの部屋になる。もう、ベッドの上で悩み相談など出来ないだろう。
IS学園では、ずっと一夏に頼っていた。そして部屋が変わったにもかかわらず、一夏を頼ろうとしている。
「なんだ、忘れ物か?」
一夏が箒に尋ねる。いつもと変わりない顔。もし一夏の方が部屋を移動するのだったら、自分はこんな顔できない、と箒は思う。箒は息を吸い込み、一夏を見る。
「なんだよ、改まって」
「一夏! 来月に催される学年別個人トーナメントで、もし、私が優勝したら……」
「優勝したら?」
「つ、付き合って! 欲しい! ところがある」
「ん? 優勝しなくても、買い物くらいなら付き合うぞ」
「……私と一緒に、姉さんと会って欲しい。私は、少し怖いんだ。一人では、怖くていけない」
「箒の姉さんって、あの束さんだよな。……行方不明、じゃなかったか? 居場所を知っているのか?」
「姉さんの今いる場所は、分からない。だが、きっと居る。私の勘だが、当てがある。きっと、そこに姉さんは居る」
「……おう、分かった。だけど、そのことなら優勝しなくても付き合うぞ」
「駄目だ! 私が優勝できるくらいの技量が無ければ、私は会えない……」
「そっか。だけど、俺も本気でトーナメントを受けるからな」
「ああ、望むところだ。一夏、これからもよろしく頼む」
一夏に手を差し出し、一夏がそれに答える。二人は固く握手を交わし、笑みを浮かべた。
箒は背を向け、歩き出した。そして、急いで振り返り、一夏に詰め寄る。
「一夏、私の新しい部屋はどこだ?!」
「や、山田先生か、千冬姉に聞いてくれ」
一夏が笑いながら答える。
格好がつかないと思いながら、箒は足早に寮監の部屋へと向かった。
◇
胸が高鳴っている。これから話す内容を頭の中で練習する。扉をノックしようとし、下ろす。深呼吸。ノックしようとし、深呼吸。
「篠ノ之さん?」
「うふぇあ!」
箒が振り返ると、鷹月静寐(たかつきしずね)が固まっていた。
「び、びっくりした。篠ノ之さん。大丈夫?」
「あ、ああ、すまん。大丈夫だ」
「そう? それじゃ、部屋に入ろっか」
そう言って、静寐は扉を開ける。
「お、お邪魔します」
「お邪魔しますって、ここは篠ノ之さんの部屋でも有るのよ?」
「う、ああ」
箒は想定していた会話を、繰り出そうと考えていたが、何も声にならなかった。
「ベッドどっちにする? 私は、そのままの廊下側が良いんだけど」
「私は窓、側が、良い」
「じゃあ、決まりね」
静寐は自らのベッドに腰掛ける。
箒もそれに倣い、荷物を置き、座った。
「改めまして。鷹月静寐です」
「あ、篠ノ之箒、です」
沈黙がおちる。箒は目線を彷徨わせ、何か話題になるものを探す。
「篠ノ之さんって、剣道しているの?」
「あ、ああ!」
箒は急いで、荷物を取り、木刀を袋から出す。鞄が倒れ、中の物が辺りに散らばるが、気にしない。
「あの、木刀は危ないから仕舞ってて欲しいな」
「そ、そうだな。勢い良く出してはいけないな」
箒はうなだれ、ゆっくりと木刀を仕舞う。ついでに、散らばった物も鞄へと直し始めた。
「あれっ? 篠ノ之さんって、そう言うのが好きなの?」
静寐が指差した、箒が握っている物。それは、宇宙へ行けるロケットが写っている本だった。ところどころ黄ばみ、折れており、古ぼけた感じがする。
「ああ、これは姉さんが私にくれた本だ。小さい頃、宇宙について教えてくれたんだ。それから宇宙の話が好きになったんだ」
「そっか、ISって元々は宇宙での使用を目的としたマルチプラットフォームスーツだもんね。篠ノ之さんって、宇宙にどのくらい詳しいの?」
「いや、あまり詳しくない。姉さんが話してくれたのは、まだ小さい時で、ほとんど何を言っているか分からなかった。今はただ、宇宙のことが気になるってくらいだ」
「じゃ、じゃあ、最近の宇宙のニュースってどんなのが有った?」
「……私がよく見るのは、地球が終わったり、文明が崩壊したり、人類が滅亡したりする話なんだ」
「それって、月刊m「隕石で滅亡する話が一番分かり易いな」ああ、うん。それは今度から見ちゃ駄目です」
「ああ、一夏にもそう言われた。それにこのIS学園からでは立ち読みが出来る本屋が遠いから、最近は呼んでいない」
「良かった、織斑くんが正してくれて。そうだ、篠ノ之さんって、織斑くんと幼馴染だよね? 織斑くんって小さい頃、どんな子供だったの?」
「おお! それは私も気になるな〜」
布仏本音(のほとけほんね)がいつの間にか、部屋に居た。
「布仏さん、いつの間に。良いけど、次からはノックしてね」
「は〜い。そうだ、これから大浴場の時間だから、そこで話さない? みんなも興味津々だよ」
大浴場。それは寮の設備の中で唯一、箒が使ったことがない部屋であった。
「だ、大浴場、だと……」
「うん、裸の付き合いだよ〜」
裸の付き合い。箒にとっては、友達としたい50のリストに入っている重要な項目だ。難易度はかなり高いとコメントも付いている。
「私は、その、恥ずかしい」
箒の言葉を受けて、静寐が口を開く。
「もしかして、何かの手術の傷跡が有ったり……する?」
「あう、ごめんね。無理に誘っちゃったかな」
静寐とのほほんさんが沈んだ感じで謝る。それに箒は耐えられなかった。
「違う。胸がおっきいのが恥ずかしいんだ!」
静寐とのほほんさんは、ヒソヒソと箒に背を向けて話しだした。
「ちょっと、どうします? あんな事、言ってますわよ」
「本当ざます。今時、珍しい子ざます」
「これは何としても、一緒に入るべきですわよ」
「そうざましょ、そうざましょ」
箒に聞こえたのは、そんな奥様会話だった。静寐とのほほんさんは、二人で口元を隠し、ゴニョゴニョしている。
二人の話し合いが終わり、静寐が箒へと振り向く。
「篠ノ之さん。それなら、胸を隠して入らない? 私も手伝うよ?」
「うっ、しかし」
のほほんさんが箒へ近寄り、上目使いで見てくる。
「しののん。一緒に入って欲しいな。きっと、楽しいよ」
「うぅ、……わ、分かった」
箒が認めると、二人の表情は明るく変わり、ハイタッチをする。
「やった〜」
「さっ、それじゃ、用意しようか」
静寐は学園が用意している寝間着を、箒へ手渡す。
箒はそれをじっと見る。なんだか、騙された気分だった。
「じゃあ、私も用意してくるね〜」
のほほんさんは、いつもと変わらずマイペースに部屋を出て行った。
静寐があごに手を当て、首を傾げる。
「そう言えば布仏さんは、何の用事があったんだろう?」