息を荒げながら、制服の襟で顔を煽るシャルル。そこから無防備に覗く華奢な鎖骨に、箒は目が行ってしまう。男性なのに簡単に手折ってしまえそうな肉付きで、息を荒げるのも合わせてか、危うくて不安になる。
「シャルル様! このような所へどうしたのですか!」
シャルル親衛隊員の彼女が、シャルルに質問しながら詰め寄る。シャルルは自然に箒の後ろへと移動する。
「お、お話の邪魔しちゃってごめんね」
「邪魔なんて! シャルル様が邪魔になるなんて、ありえません!」
「そう、なの? ボ、ボクはちょっと、道に迷ってね」
シャルルは箒の前へ移動し、言い難そうに口を開く。
「い、一夏と、歩いていたんだけど、その、はぐれちゃったんだ」
(歩いていたのに、はぐれる?)
箒は首を傾げる。その間、シャルルと親衛隊員が、箒を中心にグルグル周っていた。
「そうですか! どこへ行きましょう! シャルル様となら、どこへでも一緒に行きますから!」
「えっと、一夏が、今いるところって分かる、かな?」
「おまかせ下さい!」
親衛隊員は携帯電話を取り出し、電話をかけ始めた。それを横目で見ながら、箒はシャルルが落ち着きないのに気がついた。
「トイレか? 確か、男性専用のトイレは無いが、ユニセックストイレなら……」
「ああ、お手洗いじゃないよ。その、篠ノ之さん、一夏の事で、ボクに怒ってる、かな?」
「怒る? どちらかと言えば、私が怒られる方なのだが」
「一夏に怒られる方? ええっ! 一夏とそういう関係なの?」
「ああ、デュノアさんにも迷惑を掛けた。昼は無理矢理に触って済まなかった」
「ああ、そっちか。それは、うん、もう良いよ」
「それで! 一夏様はどこにいるの!」
親衛隊の人は、大きな声で電話している。箒は長引きそうだと感じ、自分が一夏の電話番号を知っていることを思い出した。
携帯電話を取り出し、連絡帳を開く。両親、繋がらない姉の番号、そして一夏。連絡先はそれだけだった。この画面を見る度に、箒は悲しくなる。そんな思いをしながら一夏へと電話を掛けた。
「一夏か? デュノアさんに替わるぞ」
箒は一夏へと繋がったことを確認すると、直ぐにシャルルへと携帯電話を渡した。
「わわっ、あっ、一夏? うん、篠ノ之さん。そうだね……」
(よく考えたら、一夏へ電話したの、初めてだった)
友達へ電話をかける。ドキドキ体験になるはずの動作は、あっさりしたものになった。箒はいつも一夏に引っ付いていたので、電話を掛ける必要が無かったのだった。
箒は周りを見渡す。廊下には箒を合わせて三人の学生。二人が携帯電話を使って、箒だけが寂しく立っている。
(デュノアさんが笑うたびに、なぜか惨めな気持ちになる)
自分が渡した携帯電話でそれほど楽しまれると、今まで携帯電話で楽しんだことがない箒には、立場が無かった。友達にゲームを貸したら、簡単にハイスコアをとられて返された気分に似ているだろう。箒はそんな友達がいないから、想像でしかないが。
「篠ノ之さん。あの、一緒に、一夏の所に行ってくれないかな? 一夏も移動中って言ってるから、あのっ、無理じゃなきゃ、だけど」
シャルルが電話をしながら、箒を伺う。一夏が移動しても良いように、何度か携帯電話を使うかもしれないと思い、箒はそれに頷く。
「大丈夫だ、一夏は何処へ向かうと?」
「第三体育館だよ。一夏に学園内を案内してもらっていて、次は第三体育館だったんだ。だけど」
「分かりました!」
親衛隊員が、シャルルへと向き直す。シャルルが一歩下がった。
「シャルル様、一夏様の居場所が分かりました。さあ、行きましょう。私に付いてきて下さい。これはきっと運命です。私たちは出会うことが決められていたのです」
「あの、篠ノ之さん。この子は何?」
「何って、シャルル親衛隊の隊長らしい」
「シャルル親衛隊、それって、ボクの親衛隊って事、だよね。アハハハ、どうしよう……」
シャルルは顔に手を当て、動きを止める。目の前の現実が受け入れ難いようだ。現実を受け入れられないのは箒にも良くあるので、何も言わない。
「行きましょう。シャルル様。私達が出会うのは運命だったんです」
親衛隊員はシャルルの手を取り、連れて歩こうとする。シャルルは掴まれた腕を体の内側に捻り、その手をすぐさま外す。
「あ、あのね、ボク、篠ノ之さんに用事があるから、し、篠ノ之さんと、一緒に行くよ」
親衛隊の人の足が止まる。ゆっくりとこちらに振り向き、張り付いた笑顔で「なんて仰りました?」とシャルルに尋ねた。
「用事? 用事とは一体なんだ?」
箒もシャルルが言う用事が気になり尋ねる。
「いいから、ほら! 昼休みのことで!」
「さっき許してくれたのでは無かったのか……いや、何でもない」
箒はシャルルに腕を掴まれ、一緒に廊下を走る。
後ろから「待って下さい」や「その手を離しやがれ!」なんて言葉が聞こえる度に、二人の走る速度が上がる。
「デュノアさん、第三体育館なら先ほどの階段を降りた方が近いが、何処へ向かっているんだ?」
「ああ、そうなんだ! ごめん! 戻るよ!」
「急いでいるのなら、私が先導しようか?」
「うん、お願い!」
箒とシャルルは校舎を走り、階段を駆け下りた後も足を止めなかった。校舎の外に出て、石畳で舗装された道に入った所で歩くことにした。
箒は息を切らしながらも、シャルルに尋ねた。
「デュノアさん、一体どうしたんだ? 一夏に何かあったのか?」
「えっ? さっきのを見て何も思わないの? 親衛隊とか変じゃない?」
「むっ、そうだったのか。デュノアさんが普通に対応していたので、気が付かなかった」
「そっか。ほら、ボク、秘匿されてて、あんまり人付き合いが無かったんだ。だから、持てはやされるのは慣れてないんだ」
「そうなのか? デュノアさんは、私より上手に話をしているが?」
「そんなことより、篠ノ之さん。ボクの事はシャルルって呼んでよ。向こうではデュノアって呼ばれること、少なかったんだ」
「そ、そうか! シャルルって、呼んでも良いのか!」
(唐突に、名前を呼び合う事になった! さすが、外国人だ! 私が言えない事を簡単にやってのける! 確実に私よりコミュニケーション能力が高い!)
箒は名前で呼び合う友達は、一夏しかいない。セシリアはライバルで、鈴との関係は二組で余り話さないからよく分からない。
(これは、友達が出来る期間、モテ期ならぬトモ期みたいなのが私に来ているのではないか?)
「私の事も! ホウキと! 呼んでみないか?!」
「え、ああ、うん。一夏もそう呼んでるけど、良いの?」
「勿論だ!」
箒は大きく返事をする。男嫌いが治り、そして新しく友達ができたことが嬉しかった。箒は自分の顔が笑顔になっているのが分かった。
第三体育館へ向かって舗装された道を歩く。しかも友達と。箒は今にもスキップしだしそうだった。
「こんにちは」
シャルルが挨拶をする。箒はそちらに顔を向け、違和感を覚えた。
「はい、こんにちは」
男性の用務員と挨拶を交わすシャルル。そして箒はシャルルの後ろに隠れた。
「あれっ、どうしたの?」
シャルルは心配そうな声で箒に尋ねるが、箒は何も言わない。
(なぜだ? 少し、怖いぞ。あの男性の用務員に近づくことが出来ない。殴り掛かってしまいそうだ)
箒は心配になり、シャルルの体を触る。背中を触り、横腹を触り、肩を触り、二の腕に手を動かした所で、シャルルが声を上げた。
「ちょ、ちょっと。ダメだって!」
(怖くなかった。男嫌いは治ったのか? それとも、シャルルが特別なのか?)
「駄目だよぉ、そんなところ触ったら」
シャルルが箒の手を逃れるために、体をくねらす。そして、その手から携帯電話が落ちた。箒がそれを見ると、一夏と電話が繋がったままだった。
「あっ、ごめん。落としちゃった。でも、ホウキもいけな……、一夏! もしもし、ごめん! 繋がったままだった! べ、別に何も怪しいことはしてないよ!」
シャルルが瞬時に携帯電話を取り上げ、一夏に詫びている。箒は携帯電話の料金が気になった。今まで電話したことが無かったので、どのくらい料金が掛かるのか把握していないのだ。
「ごめん、ホウキ。電話、繋がったままだった。一夏に聞かれちゃったかもしれない」
シャルルは箒へ携帯電話を返す。
「まあ、電話料金は大丈夫だ。無料通話分があったと思う」
「だ、大丈夫なの? 本当に?」
「おーい、シャルル! 箒!」
一夏が走りながら、こちらに近づいてきている。その後ろから女子学生を何人か引き連れて。
「うわ、まただ」
シャルルがうんざりした声を上げる。箒は一夏が追われている事を理解した。
「行こう、ホウキ。逃げないと!」
「私も? 私は追われないと思うが」
「一夏の誤解を解かなきゃ! 走って!」
箒とシャルルは一夏を加え、再び走りだした。第三体育館へ向かうのを止め、遠回りして寮へと向かうことになった。全て走りながら話していたので、一夏と箒の息が上がる。
一夏は辺りを見渡し、他の学生が居ないことを確認し、木陰に座り込んだ。
「今日は一段と多いな」
箒が尋ねると、溜息をついていた一夏が顔を上げる。
「ああ、そーだな。みんな、シャルルの事を知りたいんだろ」
「うぅ、やっぱりボクの所為だよね」
シャルルが自嘲気味に、呟く。それに一夏が反応した。
「シャルルは悪くない!」
座り込んでいた一夏は、体を起こし、シャルルの肩を掴む。
「シャルルは悪くない。 女子達も二、三日したら大部分は離れる。少しだけ、あと少しだけ、辛抱してくれ。そしたら、二人で歩ける!」
「ありがとう、一夏。心配してくれて。でも、顔が近くない?」
小さなシャッター音が箒の耳に入ってきた。そちらに顔を向けると、黄色のリボンタイをつけ、カメラを構えた学生がいた。たしか新聞部の一人だ。一夏がクラス代表に選ばれたときに、写真撮影をしていた人物だ。
彼女は箒に向かって、口元に人差し指を当て「静かにしていて」とジェスチャーをした。
箒は別に言う必要もないと思い、一夏の方へ顔を向けた。未だにシャルルの肩を掴んでいる。
箒はもう寮へ戻ろうと思い、その場から離れようとした。
「ホウキ、ちょっと! 誤解を解かなきゃ!」
シャルルが箒を止めた。一夏とシャルルとカメラが此方を見ている。
そして、シャルルはしっかりと一夏へ告げた。
「い、一夏。ボクは! 別にホウキとは! 何の関係もないからね。誤解しないで!」
「シャルル、なにいってんだ?」
「な、何の関係も、無い……」
「女友達とかじゃ、ないから!」
箒は、足元がふらつくのが分かった。このまま倒れるのではないかと思った。
(分かっていた。そんな簡単に友達になれる訳がないと、中学一年生の一学期から分かっていた)
「おい、箒。お前、何したんだよ? シャルルがこんなことを言うなんて」
一夏がシャルルから手をどけ、此方を伺う。
「う、分からない。きっと、何かを、してしまったと思う」
箒には思いつかなかった。嫌われているなんて、一つも思わなかった。男嫌いが治っているか実験に使ったことも仲直りして、名前で呼び合う事も出来たと考えていた。箒の中でシャルルは、仲良しの友達だった。
「シャルル、箒は何をやったんだ?」
一夏が再びシャルルへ向き直す。ちょうどシャルルが手を伸ばし、一夏を掴もうとしていた。そして、その手が一夏の胸に当たる。
「ホウキは関係ないの! ボクは一夏に誤解されたくなくて! 一夏! ホウキとは、何も無いからね!」
「キター!」「よっしゃー!」「特ダネ! 修羅場! あ、続けて続けて」
草むらの中から女子学生が何人か立ち上がり、また座った。カメラのシャッター音が連続で鳴っている。
(関係すら、無い。嫌いでも好きでも無い。無視するってことだろうか。中学二年生の時みたいに)
箒はその場で膝を抱え込み、座る。箒が良くする現実逃避の方法だった。そして、周りの声がよく聞こえる方法でもあった。
「織斑くんに誤解されたくない!」
「デュノア君の方から、織斑君へアピールしてきた!」
「一夏は渡さないぞっ!って感じで篠ノ之さんを見てる!」
「織斑一夏の幼馴染と一緒に歩いていたシャルル・デュノア。誤解しないでと織斑一夏に大きな声で言う。そして一夏の胸に優しく手をあて、自分はこの人だけだと周りに示しながら、彼は愛を囁くのであった。彼らの顔が真っ赤に染まっていたのは、夕日だけの所為では無かった」
(戻ろう、寮へ。今日はもう、寝よう。今日の出来事は夢にしよう)
箒は立ち上がり、一夏とシャルルの静止する声を無視して走った。
「それを見ていた幼馴染は、涙をこらえながら走り去っていった。辺りは暗く、彼女の行末を暗示しているようだった」
新聞部員の実況の声が、逃げる箒の耳に残った。
◇
箒が寮の廊下を歩いていると、鷹月静寐が手を振るのが見えた。箒は後ろを確認し、自分に手を振られているのかを確かめてから、手を振り返した。
「篠ノ之さん、良かった。探したよ。こんなことなら昨日の内に、番号を交換しておけば良かった」
捨てる神あらば、拾う神ありだと箒は感謝した。箒は目の前の笑顔に、抱きつきたくなった。箒は急いで携帯電話を出し、準備をする。
「デュノア君の歓迎会をしようって話になってね。今、皆に連絡しているんだ」
「そうか、私も手伝えることがあれば、なんでも言ってくれ」
番号を交換しながら、箒はワクワクした。連絡先に一件、登録が増えるのだ。これで五人目。箒からしてみれば、かなりのハイペースだった。
友達じゃないと言われたシャルルの歓迎会だろうと、箒は鷹月さんの為に万全を尽くすつもりである。
「それじゃ、織斑君に時間を伝えてくれない? ご飯も食べないようにって。前みたいに、寮の食堂の時間が終わってから開始するから。また、なにか手伝って欲しいことがあったら連絡するね」
静寐は要件を済ますと忙しなく歩いて行った。手帳に視線を落としながら、器用に人を避けている。
(クラス思いの熱心な委員長だ。私も出来るだけ支えにならなければ)
箒は一夏に会いたくは無かった。シャルルが近くにいるからだ。会わす顔が無い。しかし、だからといって手伝わないのは嫌だった。クラスメイトに頼られるなんて、箒には中々無いことだからだ。
「おい、箒! なんで先に行くんだよ」
箒の後ろから、一夏の声が聞こえた。振り向くと、一夏とシャルルがくっつきながら歩いている。
「……済まない。私は、その、ああ言う事を言われるのが、あまり慣れてなく、だな」
(心が弱いんだ、私は。友達じゃないと言われるだけで、気分が落ち込むんだ。友達になれたと思っていたから、尚更)
「箒、何を言われたんだ?」
「一夏も聞いていただろう。シャルルが私は女友達じゃない、と」
「そ、そうだよ、一夏。ホウキは女友達とかじゃないよ。関係なんて持ってないよ!」
一夏は顎に手を当て、首をひねる。
「よく分からんが、シャルル。箒の友達になってくれないか」
「何言ってるの、一夏。ホウキとボクは友達だよ」
(えっ? どういうことだ? 私は友達なのか?)
「ん? まあ、いっか。友達なら」
「そ、そうだな。シャルルと友達なら、良い。うん、良かった」
「うん、良かったよ。一夏が誤解しないで」
何が何だか分からないが、友達なら良い。そう思い、箒の沈んでいた心が、ゆっくりと動き始めた。投げやりになっていた感情が、落ち着きを取り戻す。安堵した息が、自然と箒の口からもれた。
「そうだ、一夏、シャルル。今日、シャルルの歓迎会をするので、夕食は食べないで待っていて欲しい」
「おっ! そうか、やったな」
「本当! 嬉しいなぁ」
「ああ、御礼は主催者に言ってくれ」
シャルルが嬉しそうに笑うのを見て、箒は是非その笑顔を発案者に見て欲しいと感じた。きっと、この笑みを見たら、頑張って良かったと思えるだろう。
(シャルルとは友達だったんだ、良かった。きっと、誤解だったんだ)
「織斑君にデュノア君! 今日の事、聞いた〜?」
「おう! ちょうど今、聞いた!」
「楽しみにしてるよ!」
一夏とシャルルが声の方向に手を振る。あれは同じ一組のクラスメイトだ。名前は分からないが。
手を振り終わった一夏を見て、箒はあの事を思い出した。
「そうだ、一夏。気になることが有るんだ。今度、一緒にオカマバーへ行かないか?」
「ほう、篠ノ之。愚弟をどうするつもりだ」
箒は後ろを振り返る。千冬が苛立ちを隠せないかのように、目元を動かしながら、箒へゆっくりと詰め寄っている。
「ちふ……織斑先生。ただ、一夏をオカマバーに誘っただけです。これは、そう確認です! 性癖を確認したいんです!」
「やっぱり、織斑くんってソッチのケが……」
「そう言えば、新聞部の号外、見た?」
「飛ばし記事だと思ってたけど、篠ノ之さんが言うなら、もしかして、本当かなぁ」
「ちょ、ちょっと待て! 行かないぞ、箒! オカマバーなんて!」
一夏は大声を上げて、「オカマバー!」と叫んでいる。
「ムキになる所が怪しい」
「やっぱり、前々からそうじゃないかと思ってたのよ」
「デュノア君の告白シーン見たかったなぁ」
「写真は今度のオークションで出されるみたいよ」
「どうして、こう馬鹿ばかり。おい! お前ら、さっさと散れ! そんな噂、流すなよ!」
千冬が声を荒げる事で、学生たちは散っていった。箒も危険を察知し去ろうとするが、何者かに掴まれた。
「篠ノ之、お前は残れ。なぜ、あんな事を言ったのか、分かり易く説明しろ」
肩が万力で絞められたように、痛みが走る。これは危険だ。箒は素早く口を動かした。
「私の男嫌いが何処までなのか、確認したかったからです。シャルルだと怖くなく、男性の用務員だと、怖かったからです。この境界線を調べれば、治ると思いました」
箒はよどみなく、答えた。ふざけたり誤魔化しできる状況ではないと、肌で感じ取っていた。
「おい、篠ノ之。男が嫌いなら自分から男に近づくな。調べるな。一夏を巻き込むな。分かったな」
「はい! 分かりました」
箒の肩に置かれた手の力が無くなり、箒はその場に崩れ落ちた。
確かに、近づかなきゃ良い話だ。IS学園ではそれが出来る。箒は男を近くに感じると殴ってしまう癖があるが、一夏とシャルルには、その癖がでない。急いで治す必要は無かったのだ。
◇
シャルルの歓迎会が終わり、箒は片付けを手伝っていた。出たゴミをまとめ、持ち上げる。
「本当に一人で大丈夫? 篠ノ之さん」
「ああ、大丈夫だ。準備をあまり手伝えなかったからな。このくらいはさせてくれ」
「じゃあ、お願いね」
箒は複数の少し重いゴミ袋を持ち上げ、外にあるゴミ置き場まで持っていくことにした。
外に出ると、歓迎会の暖かさや寮の喧騒が嘘のように無くなる。普段は気が付かない外灯の音も聞こえる。まるで自分一人だけの世界になったみたいだ。
箒はゴミ袋を左右に振り回しながら、寮から少し離れたゴミ置き場へと向かう。星が一つも見えない空を見上げながら、姉から聞いた星の話を思い出す。
ゴミ置き場の扉を開け、臭いに顔をしかめながら、ゴミ袋を放り投げた。扉を閉め、手をはたき振り返ると、姉が居た。
「久し振りだね、箒ちゃん! 大きくなったねぇ。こうして会うのは何年ぶりかな?」
篠ノ之束が、手でウサギの耳の真似をしながら、箒の前に立っていた。
「ねえさん?」
(夢? 本物? どうして此処に? IS学園にいた? なんで今?)
箒は自らの姉へ手を伸ばし、自分の手が汚れていることに気づいた。こんな手で姉を汚したくなく、引っ込めた。代わりに恐る恐る声をだした。震える声が出た。
「ね、ねえさん。今まで、どこに、何処に居たのですか?!」
「んふふ〜、ひ・み・つ。素敵なレディは秘密を持っているのさ!」
目の前にすると、何を言って良いか分からない。箒が聞きたいことは沢山あった。なぜ、黙って家を出て行ったのか、そのとき連れて行ってくれても良かったの ではないか。電話を此方からかけられない理由はなぜなのか。無人機を操っていたのは姉さんか。そして、無人機で銃口を向けたのはなぜなのか。
聞こうと思っていたことが、頭の中を駆け巡る。しかし、どれも口からは出てこなかった。
「な、なんで私を、私を、すて、捨て」
箒が言い終わる前に、誰かが束の後ろに立つ。
千冬が音もなく、束の後ろから首を掴んでいた。
「束! 侵入者は、お前か。何をしにきた?」
「ちーちゃん! 久しぶり! 元気にしてた?」
束は体を千冬の方へ向け、掴まれているのにもかかわらず、笑顔で挨拶をしていた。
「何を、しに、来た?」
千冬がもう一方の片手で束の頭を掴む。姉の嬉しそうな悲鳴で、箒は二人の間に入ることにした。ゴミ袋を持っていた手で千冬の体を強く押した。
「織斑先生、止めて、下さい。姉が、嫌がっています」
「どけ、篠ノ之。そいつは、何をしでかすか分からん」
箒は千冬を睨む。不安と心配で息が切れる。姉に聞きたい事、言いたい事がありすぎて、箒はどうしたら良いのか分からない。その苛立ちを姉に向けることが出来ず、箒は千冬を睨むしか無かった。
千冬は箒に睨まれても、変わらず束を掴んでいる。その目はいつになく真剣だった。
「いや〜、学内のSNSを見てみると、いっくんがホモになった、真実の愛に目覚めたって流れてたから気になっちゃって、ついでに箒ちゃんの様子も見たくなってね」
束が箒の後ろから、なんとでも無さそうに言う。
箒は、いま聞いたことが信じられず、振り向き確かめた。
「姉さんは、一夏、の為に。……私はついで、ですか?」
「ち、違うよ! 箒ちゃん! 今のいっくんは、私が作った」
「黙れ! 束!」
千冬が聞いたことのない声で、束を静止する。
「あれ、ちーちゃん。まだ、箒ちゃんに言ってなかったの?」
「だ、黙れと言っている!」
千冬は先程よりも、目が大きく見開き、呼吸も荒い。そして、体を震えさせながら、束を掴んでいた。
「わ、分かったよ。言わない、言わないから、離して〜」
「本当だな、言うなよ!」
「うん、言わないよ! いっくんが生体ISコアだなんて! ホモになると思わなかったから様子を見に来たなんて! 絶対、言わないから!」