如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか 作:てきとうあき
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一体全体私は如何してこんな所にいるのだろうか?
横には隊長が、そして正面にはずらりと多様な年齢の男女が……。
いや、年齢は多様と表現するのはおかしいだろう。
少なくとも50歳を超える方々だ。
いずれも小娘である私からすれば貫禄も自信も、そして何よりも放たれるプレッシャーが半端無い。
そんな方々と対等に……いや、むしろ上の立場の如く振舞っている隊長を横目に私は再び思う。
如何してこんな所にいるのだろう……。
副隊長の逸見とかを連れてくれば良いのに……。
-2-
「斑鳩、ちょっと付き合ってくれないか?」
隊長にそう声をかけられて私は「いいですよ」と気軽に返事をした。
だって、隊長のその軽い声のかけ様はまるで「ちょっと学校から離れた所に美味しいケーキ屋ができたんだ。一人で行くのも少し恥ずかしいし帰り道に一緒に寄らないか?」と言いたげな気軽さだった。
となれば別に大した用事もある訳ではないのだから条件反射で返事をしてもおかしくないだろう。
ところがだ。
私がそう返事するなり「良かった。では今日は公欠扱いになるからすぐに移動するぞ。もう迎えは来ている」とだけ伝えられ、連れて行かれるとそこにはヘリが待機していた。
一体何事かと目を白黒させている内に私はヘリに搭乗させられ、一般庶民の私にはどう表現すればいいか解らないが、如何にも高級そうな和風の料亭か宿の様な建物に連れてこられた。
そしてある一室に通されて今この現状という訳だ。
隊長が用意された座布団に正座をするのを見様見真似で私も正座をする。
その動作だけでも何度か失敗しそうになり、自分でも異様に緊張しているのが解る。
何故ならどう見てもこの人達が只者に見えない。
私の何倍もの人生を責任を負って成功を積み上げ自分に自信という物を感じている方たちだ。
そして実際に隊長から紹介されてそれは事実と判明した。
老齢の女性達は西住の重鎮、長老とも言えるような方達であり、男性達はこの熊本……いや、九州で聞けば誰でも知っているような企業の社長や会長と議員や首長であるらしい。
「まほお嬢様、今日はお忙しい中、我等の為に御足労いただきありがとうございます」
そう言いながら斑鳩の五倍は人生を積んでいそうな女性が深く頭を下げると、それに習う様に周囲の人間も頭を下げた。
「いえ、これも次期当主としての勤めです」
一泊置いてから隊長が声をかけると、それがまるで許しが与えられたかの様にゆっくりと彼女等は頭を上げた。
「お連れの方もようこそいらっしゃいました」
すると今度は先程の隊長ほど深く長くは無いが、それでもしっかりと私に頭を下げてきたのだ。
「え、あ、いや、そんな。あ、いえ此方こそ」
咄嗟の事であたふためき、支離滅裂な返答をしつつ自分の名前を告げながら私はガバりと頭を下げた。
下げた後に何だこの返答は。まるで意味が解らないと顔を赤くしたり青くしたりしたが、お歴々は一切気にしていないようだった。
それもそうだろう。
この人達は斑鳩という人物そのものには欠片も敬意を払っていない。
この場以外で出会ったのならこんな丁寧で下手に出るような態度を取る訳がない。
西住家の次期当主である御嬢様の御学友であり連れであるからこうした態度に出てるのだ。
私自身は面識がある訳でもないので当たり前である。
一方でそんな人達から下に置かぬ態度を取られながらもそれを当然の様に受け入れている隊長にやはり住む世界が違うのだなと強く実感した。
斑鳩も一般庶民であるから感覚としては解らないが、この九州で戦車道を歩み、黒森峰に在籍しているのだからある程度は理屈として知っていた。
西住家は元々古くからある由緒正しい武家である。
歴とした領地を持った大名であり、華族でもあった西住家は熊本においては間違いなく統治者であり支配者でもあった。
無論、日本においては昭和22年に法の下の平等と貴族制の廃止によって華族制度も撤廃されているし、華族だからと言って皆優雅な暮らしができる訳ではなく財政破綻によって華族の身分を返上する家も後を絶たなかった訳でもある。
しかし、西住家は自身の支配圏に強い影響力を残したまま家を存続させる事に成功した家であった。
戦前では広い土地を小作に貸し出す事で収益と影響力を確保し、戦後に農地改革が行われた時も山林を多く保有していたのでそれほど痛手ではなかった。
その後も、土木・建築・自動車・鉄道・電気機械・造船は勿論、その中でも二次大戦後に重工業を代表する基幹産業である鉄鋼業を飛躍させた造船に関してはいち早くその重要性を重視し、海に面している熊本の利点を最大限に活かした。
この時の保有会社、技術力、ノウハウを生かして国内でも最大規模の黒森峰学園艦を西住の主導で造船し、開校している。
また西住の保有する戦車の管理・保管・運用もそれら重工業の力が大きい。
それだけではなく金融・通信・輸送・保険・エネルギー産業といった企業もそうだ。
それらの会社は西住が創立・設立に関わっており、上層は関係者によって地位を占めているし筆頭株主でもある。
無論、政治基盤に関しても抜かりはなく、県知事や他の首長も基本的には西住の関係者かまたは息のかかっている者である。
大なり小なり西住の影響と支援を受けているのだ。
全国規模とはいえ戦車道流派としての収入だけであの経済規模が成り立つ訳がない。
こうした背景により、西住流は戦車道を過不足なく行えるだけの基盤があるのだ。
だからこそ自分達より遥かに若い娘に頭を下げ、尊い者として置くのだ。
こういう場面を見るたびに西住流の家元、即ち当主というのは単に戦車道が卓越していれば良い訳ではないのだなと漠然に思う。
この人達が隊長に敬語を使うのは義務である。
しかし、隊長がこの人達に敬語を使うのは義務ではない。
配慮なのだ。
-3-
「本日お越しいただいたのは他でもありません。
今年の戦車道全国高校生大会の勝算についてお聞きしたいのです」
「勝算……ですか?」
「はい、私達と言えども夢想家ではありません。
現実において全くの無敗とは行かない事は承知しています。
また、まほ御嬢様の力量についてもやはり疑う余地はありません。
しかし、それでもほぼ確実と言われていた去年は残念ながら敗退してしまいました。
それが不運によるものだという事も疑問の余地はありません。
それでも我等は不安に思ってしまうのです。
今年こそは無事優勝できるのだろうかと……。
小心者の要らぬ不安だとは重々理解していますが、どうかこの蚤の心臓を安心させてくださりませんか?」
先程から代表をしていた老婦人が静かに言葉を繋げた。
顔に刻まれた皺の数からすればそうとうな高齢だと言う事が覗ける。
しかし、着物に身を包んだその姿が正座をする姿はその年齢を一切感じさせなかった。
しっかりと折り曲げられた足とそこからピンと伸びて微動だにしない背筋。
少なくとも自分より遥かに美しい正座である。
今でこそ話し口調から好々爺を感じさせるが、一皮剥けば歴戦の戦車乗りの姿が出てくる事は疑いもなかった。
どうやらこの方々は黒森峰が優勝できるのかと不安に思っているらしく、それがこの会合の主目的らしい。
しかし、西住流の方々は解るとして、企業や政治家の方々は西住流の興廃がそれほど気になるのだろうか?
正直なところ、西住流が負けても彼等の会社の運営が傾くとは思えないが。
最も社会経済など殆ど解らない身である。
戦車道に限らず有名企業が社会人チームを作り、それに決して安くない投資をして勝たせる様にしてる事もあるのだからそれの延長線、または肥大化させた様な感じで私の知識が及ばない所で経済に関係してくるのかもしれない。
または単に私の想像が及ばない位、西住の影響力が精神的な面でも高く、繋がりと誇りを共有化していて、まるで己の事の様に西住流を応援しているのかもしれない。
そのどちらか、あるいは両方かもしれないが、私から見れば少なくとも全員が真剣に心配しているのが確実であった。
どちらにせよ、何故自分がこの場にいるのか解らない。
何か粗相はしていないだろうか、又はしてしまわないかと思うと胃が痛いと感じてくるほどだ。
何せここにいる人達は直接的・間接的にしろこの熊本の殆どに関わっている人達だ。
私の父親の働いている会社もこの人達の会社か、または影響下にある会社だろう。
また西住流の方々に不興を買えば私の戦車道人生はそこで終了したも同然である。
緊張によって私の手は無意識に右胸へと動いた。
「決意と意気込みによる勝算と現実的な側面から見て予想した勝算。
どちらをお聞きになりたいですか?」
隊長がそう言うなりお歴々の内の男性方が少しだけざわついた。
しかし、西住流の老婦人達は一切動揺する事無く「では決意の程を」と聞き返した。
「全身全霊を持って準備し、百戦百勝を信じて勝負に挑む次第です」
通常、こういう場で勝負に対する意気込みと来れば殆どの人間が似たような事を言うだろう。
しかし、発言したのは西住まほである。
私は当然、おそらくはこの場にいる人達も彼女がどういう存在かはよく理解しているだろう。
彼女を知る人間ならばそれが決してその場限りで表面上の決意ではなく、心の底から真意として発言しており、そしてそれを必ず実践するだろう事は疑い様も無かった。
「……それは妹君が相手でもですか?」
私はその瞬間だけ胃の痛さを忘れた。
そうだ、妹様だ!
妹様が戦車道大会に出てくるのだ!
私が守れなかった妹様が。
あの時何もできずに何も声をかけれなかった妹様が。
もう戦車道をやる事は無いと思っていた妹様が!
……再び戦車道に戻ってきてくれた事は嬉しい
しかし、それは黒森峰ではなく別の学校でだった。
それを知った時、私は一体どういう感情を抱いたのだろうか?
「無論、そのつもりです。誰が相手だろうと私は西住流そのものです」
「……では現実的な勝算についてお願いします」
「九割程です」
再びざわめきが場を支配した。
ただし今度は私と西住流の老婦人達からも音が漏れていた。
「……内訳をお聞きしても?」
「今回のトーナメントでは黒森峰は最良の場所を引いたと判断しています。
四強の内、私たちを除く三強と当たるのは準決勝と決勝の二回。
私達黒森峰が最強であるというのは疑い様も無い事実ですが、それでも三強は侮れません。
二度戦いその二度とも確実に勝利するとは断言できません。
恐らく5%程で敗北の可能性があります」
「5%が二度で10%の敗北率。だから約九割という訳ですね」
ざわめきが継続して場を支配する。
人によっては弱気だと、場合によっては敗北主義者だと罵るかもしれない。
だがこれを言っているのは西住まほなのだ。
あの天才西住まほなのだ。
逆に考えれば"勝負は時の運"の要素が強いフラッグ戦の戦車道において優勝九割を宣言しているのだからこれは賞賛してしかるべきだろう。
「いいえ違います」
しかし、隊長はあっさりと否定した。
「二校と戦ってどちらかに敗れる可能性が5%です」
「……それでは計算が合いません。残りの5%は何処に?」
「大洗です」
瞬間、ざわめきが肥大化した。
私自身も驚きの声をあげてしまった。
「……それほど妹君を買っていると?
確かにあの方も非凡天才と称して差し支えは無い方でした。
まほ御嬢様は私たちに思う事があるかもしれませんが、それは理解しています。
むしろ理解できない節穴など西住流に必要ありません。
……しかし、大洗は初心者ばかりで保有している戦車の数も質も下の下と聞きました。
如何に妹君とはいえ、優勝どころか決勝に来るのも難しいのでは?」
「確かに以前の妹ならば難しいでしょう。
私たちはトーナメント配置は最良に近い物ですが、一回戦目にサンダース 準決勝でプラウダ、そして決勝で私達と戦う大洗は最悪に近い。
以前の妹ならばあの戦力でサンダースにすら勝利する事は困難です。
万が一、勝利しても使用車両が増える準決勝では万に一つもプラウダに勝ち目はない。
そんな妹が、大洗が決勝までこれたのならば妹は以前の妹ではない。
私のコピーに過ぎない妹ではなく、妹自身の戦車道を見つけている筈です」
「……つまり、四強に負ける確率が5%。
大洗に負ける確率が5%という訳ですね」
「それは少し語弊がありますね。
妹が決勝まで登ってくる確率が5%です」
……それはどういう事なのだろうか?
場の雰囲気がそう疑問に感じる中で隊長はゆっくりと湯飲みで舌を湿らせると言った。
「決勝まで登ってきたのなら先程申した様に妹は自分の戦車道を見つけています。
その場合、私は100%負けます」
場のざわめきは収まった。
ただ、静寂だけが場を支配していた。
-4-
「まさか、そんな……」
男性の一人が呻く。
無理も無い。
私も聞いていて絶句したのだから。
「……どうやら流石のまほ御嬢様も溺愛しておられる妹君の事となるとその卓越した審美眼も些か曇る様子ですね」
別の男性が呆れた様に零す。
これもやはり無理は無いだろう。
しかし、私はかつて交わした隊長との会話を思い出した。
『もし、みほが西住流の縛りから抜けて、その才能を自由に外へ思いっきり伸ばし、自らが思うように戦えるようになったのならば、
更に、戦車道の経験も無くまだ何の癖もついていない真っ白な素材の雛を、みほが教導してその才能を余す事無く開花しさせ、自身が率いる隊員としたのならば、
私など足元にも及ばない。恐らく、戦車の質も数も倍以上のハンデがあったとしても負けるよ』
……これを聞いた時は私自身も過剰な評価ではないだろうかと思った。
しかし、後から意識してみれば……何となくであるが何処か妹様の指示や指揮に枷を感じてしまうのだ。
妹様の指示の元で戦車を操縦していたから感覚的に解ってしまうのだろう。
もっとやりたい事があるのではないだろうか?
もっと別の指示がしたかったのではないだろうか?……と。
それでもそのくびきから解き放たれた場合、何処まで妹様が羽ばたくのかは私には想像もつかなかった。
果たして本当に隊長より上なのだろうか。
上だとしても隊長が足元にも及ばないという程なのだろうか。
それは解らないが今のこれだけは確実に言える。
確かに以前の妹様ならば決勝まで来る事は不可能に近い。
無論、妹様がそれでも突出した戦車長でもあり指揮官であるのは間違いない。
それでも全くの初心者とたった五台の……それもあの種別の戦車でサンダースとプラウダに勝つ事はまず無理だろう。
もしかすると最大参加車輌数が10台の一回戦ならばサンダースには勝てるかもしれない。
その可能性がある時点で妹様は天才と断言できる。
しかし……参加車両数が増える準決勝ではまず不可能だ。
プラウダは全体の統制、錬度も黒森峰に引けを取っていない。
四強の内で黒森峰に次ぐ学校を強いて決めるとすれば恐らくはプラウダとなるだろう。
そんなプラウダに常識的に考えてあの様な人員・戦車で勝てる訳がない。
……そう、常識的に考えればだ。
もし、妹様が天才ならば。
それも並みの天才では駄目だ。
人知を超えた直感に他を圧倒する感性。
殆ど神がかりと言っていい程のそんな天賦の才を持ち……かつ狂っていなければならない。
だから……決勝まで上がってくる可能性があるのかどうかは私には解らない。
しかし、もし仮に決勝まで来たのならば、それは確かに今までの妹様ではない。
開眼……覚醒……観照……何といえばいいか解らないが境地に達した妹様は形容しがたい存在になっているだろう。
「私共も御嬢様の才覚は重々承知しております。
その精神性の高さ、自己の有様の確立、何より己を律する事、間違いなく非凡と証するのに相応しい。
私が御嬢様の年齢の時はその半分もありませんでした。
まこと次期当主として何の不安もありません」
また別の男性が続ける。
どうやら代表として話をするのは先程の老婦人と彼等の中でも決まっていた様だが、口を出さない訳ではなかったようだ。
一方で西住の方々は沈黙を守っている。
「しかし、それでも先程のお言葉は俄かには信じられません。
これまでの御嬢様の実績があったとしても、身内贔屓と思う方が自然でしょう」
「誤解無き様にお願いしたいのですが、私は決して無条件に妹が決勝に登りつめて勝利するとは言っておりません。
むしろその可能性はかなり低いと思っています。
その上で決勝に来るという殆ど不可能に近い事を成し遂げる事ができるのであれば、私はもはや太刀打ちできないと言っているのです。
私とて全くの初心者のあの戦車を率いてサンダースとプラウダに勝てと言われれば全くの不可能ではありませんが、かなり難しい」
「……御嬢様が難しいが不可能ではないと仰る。
ではそれは妹君も変わらないのでは?
妹君が5%だがその二校に勝って決勝に来る可能性があると仰る。
ではそれができて初めて御嬢様と対等になるという理屈になる。
妹君を相手に必勝を約束する事が難しいという事ならまだ解ります。
しかし、御嬢様は必敗を宣言なされている」
「それは先程も申した通りです。
私は決勝に登ってきたという点のみでその場合の妹の才能を仮定している訳ではありません。
本来、妹には私よりも遥かに戦車道の才能がある。
それが開花していないままであるなら決勝に来る事は不可能。
決勝に来たのなら開花している。
開花しているなら私は妹に及ばない。
簡単な理屈です」
「……むぅ」
再び彼等の間でざわめきが起こる。
互いに「いや、しかしそれは…」「信じられん…」とボソボソと会話しているのが聞こえる。
「……私にはとてもではありませんが妹君にそこまでの才があるとは思えませんね」
突如、沈黙していた代表の老婦人が言った。
それを受けて今まで一切の表情の変化を見せなかった隊長が微かにであるがぴくりと片眉を動かしたのが見て取れた。
「それは貴方の目が節穴だからでしょう」
たいちょおおおおおおお!??
貴女は行き成り何を言い出すんですか!?
それは先程の老婦人の「我々は節穴ではない」という発言に対する揶揄なのだろう。
しかし、あの理性的な隊長がこんな"反撃"をするとは思わなかった。
普段なら仮にもっと直接的な嫌味を言われても涼しい顔で受け流す人なのだが……。
密かに(それでいて殆ど公の事実として)シスコンであると囁かれているだけあって、妹様に関する事だけはその限りではないのだろう。
後ろの男性達が「いくらお嬢様でも無礼な!」と騒ぎ立てるが、老婦人が片手を無言で上げて静止するとぴたりと静かになった。
西住の親族の如何なる地位の持ち主なのか、この老婦人が彼らに対して非常に強い影響力があるのが見て取れる。
「……才ではまほ御嬢様には及びもつかない身ですが、年を重ねた分、経験だけは貴女様より遥かにあります。
その経験の量だけは私も自負しております。
その経験を持ってして判断したのですが……」
「ではその経験は空虚の無意味なものだったのでしょう。
中身の無い物が数だけを誇るといいますしね」
た、たいちょおおおおおおおおおおおおおお!!!!!???
何で貴女そんなに喧嘩腰なんですか!?
普段の隊長は何処いったんですか!?
そんなに妹様が否定されたのが腹立ったんですか!?
というかそこまでドがつくシスコンだったんですか?
……そりゃまぁ確かにあんな妹がいたら私だって溺愛しますが……
あ、でも妹様が本当に妹だったら…お姉ちゃんって呼ばれたりしたら……やばいな…
「……ほう、そこまで私の戦歴を評価してもらえないとは流石に心外ですね…」
私がしばしの間、現実逃避している最中に事態は更に深刻化していた。
老婦人は先程までの柔和そうな皮を脱ぎ捨てており、そこには幾重もの経験を積んだ歴戦の戦車乗りがいた。
この風格と威厳、そしてプレッシャーはどこかで見た事がある……。
そうだ、黒森峰に直々に来て頂いて指導していただいてもらった時の家元とそっくりだ……。
その鋭い視線は隊長に向いていたが、それの余波だけで傍にいた私は体が震えた。
背中に冷や汗が流れるのを感じた。
怖い、怖すぎる。
私は"蛇に睨まれた蛙"という表現がどの様な状況に適した諺なのかを身をもって体感していた。
隊長、お願いですから喧嘩を売るなら私がいない所でやってください!
私を巻き込まないでください!
というか何で私を連れてきたんですかぁ!?
緊張とストレスから逃れるように私は右胸の内ポケットを上から掴む。
……どうか、妹様、私に力を…。
「どうやら御嬢様の審美眼への信頼を少しだけ調整するべきのようですね。
先程はお嬢様の手前、非凡ではないと評価しましたが訂正しましょう。
妹君は戦車道という勝利を目指す武道において塵の様なものです。
西住流においては失敗作と表現するのが適切でしょう」
……なんだァ?てめェ…。
-5-
「……なんだァ?てめェ?」
内心だけの呟きと思っていたらどうやら無意識に口から漏れていたらしい。
全員の視線が私に集まるのを知覚したがそんな事はどうでもいい!
「……今、何て言ったよ?」
老婦人……いや、婆が此方に視線を寄越す。
「……どうしましたか、急に?」
「今、何て言ったか聞いてんだよ!」
私の怒鳴り声を涼しい態度で受け流すと婆は鼻で笑った後に急に馬鹿丁寧な口調をやめてこう言った。
「……もう一度言って差し上げましょう。
……塵と言いました。
失敗作だとも言いました。
解ったら先程までの様に震えながら鼠のように小さくなっていろ」
「撤回しろよ……。
さもなくば……」
私はギリギリと音がなる程拳を握り締めながら睨みつけ続けた。
まだだ。まだ落ち着け私。
まだ我慢できる……。冷静になれ……。
「さもなくばどうするんだ?
身の程を弁えろ。
私がお前の様な小娘に丁重な態度を取る必要は本来無いんだ。
御嬢様が連れてきた添え物。それがこの場におけるお前の価値だ。
身を縮こまらせてぷるぷる震えている方がよっぽど身の程を弁えていたぞ。
なんだ?その握り締めている拳は?
殴りかかってくるか?面白いやってみろ。
そんな勇気があるならな」
「おお!やってやらぁ!!!」
私は座布団から跳ねる様に立ち上がり、即座にこの婆に飛び掛った。
相手は高齢だとか目上だとか権力者だとか、そんな事は欠片も私の知ったこっちゃない!
その口からさっきの妹様に対する発言を撤回するまで殴りつけてやる!
しかし、殴りつけようとした腕にするりと婆の手がするりと絡みつくと唐突に視界がぐるりと回った。
「きゃあっ!」
畳に叩き付けられて口から悲鳴が漏れる。
そしていつの間にか腕を背中の方に回され、完全に極められた形になり身動きできなくなっていた。
抵抗しようともがくが欠片もその締めは緩まない。何て婆だ!
「……くそ!離せ糞ババア!」
「やれやれ……お前、自分の立場が解っているのかい?
……そんなにあの失敗作を慕っているのか?
いいか!確かに才能はある!それは認めよう!
だが、戦車道は武道だ!
武道である以上、勝利を目指すのは当然だ。
それにどれだけ力を注ぎこめるか、どれだけ真剣になれるかはその人によるだろう!
しかし、最初から勝利を度外視して参加してもらってはその前提が崩れるんだ!
一人だけ目的が違うものが混じればゲームは成り立たないんだ!
だから妹君は戦車道では失敗作で塵に等しいんだ!
見る目の無い奴だ!お前も!御嬢様も!」
「あの人は戦車長としても全体指揮官としても卓越したものを持っている。
私も皆も!あの人の指示や指揮を喜んで聞くし、あの人を勝たせたいという気持ちを持って戦えた!
そんな人が失敗作な訳がない!
あんな風に戦車を動かせる人が塵な訳が無い!
あの人は何時だって、皆が勝ちたいと思えばそれを優先して叶えようと精一杯努力してきてくれた!
見る目が無いのはお前の方だ節穴ババア!」
「……おい、本当に自分の立場を解っているのか?
私がその気になればお前はもう二度と戦車道ができなくなるぞ?」
婆が体重をかけて私の腕をギリギリと締め付ける……。
ぐぅ……だからと言ってぇ!
「そんな事怖くて日和って賢くなるくらいなら戦車道なんかやってるか!!
おお!好きにしろ!
生き方曲げて、大事な人が馬鹿にされてるのを黙ってみてて、賢く戦車道が出来るほどこちとら器用じゃないんだ!
やれるもんならやってみろや!!!」
気持ちを飲み込んで、それを一生後悔しながら心に重みを感じながら戦車道をするなんて冗談じゃない!
大体、こんな奴等に頭を下げてるなんて絶対に嫌だ!!
"……クスクス"
そう覚悟を決めて啖呵を切っていると何処からか笑い声が聞こえた。
その方向に目をやるとなんとあの隊長がまるで押さえきれない様に笑いを零していた。
「…ふふっ。
もういいでしょう?彼女を放してあげてください」
そう隊長が言うと糞ババアはするっと力を抜き、私を解放した。
一体どういう事なんだ?
あまりの展開に再び飛び掛る気をなくした私は腕をさすりながらゆっくりと立ち上がった。
そんな私を尻目に隊長と婆は会話を続ける。
「最初は御嬢様がどうしてこの娘を連れて来たのか解りませんでした。
何せ借りて来た猫の様に大人しく震えているだけの小心者にしか見えませんでしたから」
「それは酷と言うものです。
普通の人間であればこの場に連れてくれば縮こまるのは当然でしょう」
「その通りです。
つまり、私には凡人にしか見えませんでした。
ところが中々どうして……。
直情的で無鉄砲、一度火がついたら後先考えずに突っ込む大馬鹿者。
その上短気で、実に戦車乗り気質と言えます」
おい、馬鹿にしてんのか。
と言いたくなったがどうもそういう空気ではない様なので黙っておいて睨みつけるだけに留める。
尤も、この婆はそんな私の睨みも何がおかしいのか機嫌良さそうに笑った。
「御嬢様が連れて来た理由が解りましたよ。
成る程、こういう熊本の戦車乗りにそれだけ慕われてここまで行動させるのですから、御嬢様の言だけより百倍は解りやすい。
解りました。御嬢様の言う事をそのまま全てを受け入れる訳ではありませんが、全く荒唐無稽でもなさそうだという事も理解しました。
故に、御嬢様の言を一先ず受け入れましょう」
「よろしいのですか!?
そんな無礼な小娘の行動一つで御嬢様の言葉を信じて!?」
婆の言葉に後ろにいた男性達の一人が疑問の声を挙げる。
それに対して婆はどこからそんな声が出せるのか、決して声量は大きくないが聞く者の心胆を寒からしめる声で言った。
「西住は武門の家!西住流は武道の流派!
熊本戦車乗りの行動は百の言葉に勝る!」
その言葉に他の老婦人達は何度も頷き、一方で男性達は一歩遅れて慌てた様に数度首を縦に動かした。
どうやらこの人達はこの老婦人達に尻に敷かれているらしい……ってちょっと待て!
「隊長!私、嵌められたんですか!?」
「嵌めた訳じゃない。
少なくとも私と彼女達の間には何の打ち合わせも無い。
誓ってこの場に呼ばれただけだ。
本日の用件の内容も聞いていない。
……ただその用件の内容も、こうなる事も予想していただけだ」
「嵌めたのと変わらないじゃないですか!
酷いですよ!予め教えてくれてもいいじゃないですか……」
「馬鹿を言うな斑鳩。
お前が事前に知らされたとして上手く演技なんてできるほど器用なものか」
……ぐっ。
そう言われれば確かに自信を持ってそんな事は無いとは断言できないが……。
「御嬢様、この娘は西住流門下生なのですか?」
「いや、黒森峰なので、当然西住流の手ほどきはしていますが、入門した訳ではないので門下生と言う訳ではありません。
しかし優秀な操縦士である事は保障します」
「それはそれは……御嬢様にそう言わせるとは……」
何だその目は。
こっちを見るな婆。
私が婆の視線を鬱陶しい物の様に感じていると、男性の一人が恐る恐ると挙手をしてから発言してきた。
「……あの、妹君が優秀な戦車乗りかも知れないというのは一先ず解りました。
ですが、結局の所、黒森峰が優勝できないと些か不味いという問題点は解消してないのでは?」
確かに西住流の後援者、または被支配者としては気にしてしまう点だろう。
それに対して婆はこう返した。
「問題ありません。
他校や他流派が西住流を破って優勝したとあれば問題ですが、妹君なら西住の者です。
見方を変えればむしろ好機ともいえます。
黒森峰は……しいては西住流は阿呆から戦車の質に物を言わせて蹂躙するだけで何の技術もいらないと度々批判されますからね。
そんな中で妹君が不利な編成でサンダースやプラウダを破って決勝までくれば格好の反証となります。
二つの異なるブロックから西住の者が勝ちあがってくるのですから、西住流の優位性の宣伝にはもってこいでしょう」
「では妹君が優勝したら?」
「それもまた西住だと言い張ればよろしい」
「敗退したら?」
「やろうと思えば不利な編成でも勝てる。しかし、やはり重装甲の戦車で正面から蹂躙する本来の西住流が一番優れているのだ。という論調にすればいいのです」
それを聞いて隊長は「したたかですね」と笑った。
そんな柔らかい表現ではなく素直に狡賢いと言えばいいのだ。
隊長に婆は「年を重ねて経験を積むと知恵が回るのです」と素知らぬ顔で言いのけて見せたのだ。
……本当に年を取るとこうも人は面の皮が厚くなるのだろうか。
絶対に私はこうはならないぞと心に堅く誓った。
-6-
隊長がそろそろ帰ろうと私に声をかけてきた。
勿論、私はその意見に大賛成だ。
こんな場にはもう一秒だっていたくは無い。
「そういえば名前を聞いておきましょう」
しかし、先に退出する隊長を追いかけて、私も退出しようとすると背中から婆が声をかけてきた。
仕方なしと振り向き対応する。
「最初に名前は告げた筈なんですがね」
「それは申し訳ない。私達に怯えて震えている猫の名前など覚える必要性を感じられませんでしたので」
「……このクソババア」
「ほう、貴女の名前はクソババアと言うのですか。
これまた斬新な名前ですね……。
ですが、安心してください。
私は名前等でその人自身を判断するほど狭量ではありませんから」
ああ言えばこういう…!
本当に可愛げの無い婆だ!
見た目だけ見れば柔和そうな表情に年を取って皺が刻まれても、美しい年の取り方をしているという表現が似合うような婦人なのに……。
最初は私も騙されたがもう騙されない。
その皮一つ剥いだその下は意地の悪い性悪婆が出てくるのだから。
ともかくもここで訂正しなければこの婆は本当にクソババアと呼んでくるだろう。間違いは無い。
だから最後に名前だけ名乗ってとっとと去る事にした。
「……斑鳩!私の名前は"斑鳩 拓海"だ!覚えておけクソババア!」
そういってピシャリを襖を閉めて後にする。
先に行った筈の隊長を追いかけて小走りする私の腰にはぶら下げられたキーホルダー。
かつて、妹様が私にプレゼントしてくれたパンダのキーホルダーが私の動きに合わせて左右に揺れていた。
-了-
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『I'm as mad as hell, and I'm not going to take this anymore!』
(「私はもう怒った、耐えられない!」)
映画「Network(邦題:ネットワーク)」(1976)より