しかしもうストックがない…
「はあ~なんだかなぁ」
隠れ家である東京のタワーマンションの一室。
安く質素なコンビニ弁当の玉子焼きをご丁寧に醤油をかけて頬張っている相方の、脈絡のない呟きに刹那は真顔でそちらを見た。
「どうかしたのか?体調管理はしっかりしておけ」
「風邪ひいたとかそんなんじゃねえから安心しろ。ここ数日、いやここに居を構えてから俺たちはコンビニや簡単な手料理で飯を済ませてきた。宇宙に上がってもトレミーの簡素な飯しか食べてない」
「そうだな」
「わかってる…俺たちに割り当てられた金銭は限られる、それぐらいは百も承知だ。だから工面してどうにか余裕を持って過ごしてきた…だがそれでいいのか…こんなわびしい食生活で満足できる質素な腹の持ち主なのかお前は…」
「話が見えない。何が言いたい」
ベッドを利用して腹筋を行いながら刹那は次の言葉を求める。
「外食しないか」
沈黙が空間を埋めつくし、窓越しに晴れ間の青空を飛ぶ小鳥のさえずりが微かに耳元に入り込んでくる。
雑踏がないだけに尚更しっかりと刹那の頭にその言葉は深く刻み込まれた。
「いいだろ一回ぐらい。そのぐらいの贅沢するだけの余裕はある。せっかく東京に来たんだ、何か旨いもん食わなきゃそんだろ」
「俺にはお前の行動を逐一止める権利はない。行きたければ一人で行けばいい」
「ばっか、一人で外食じゃつまらんねえだろ?こういうのは二人以上でわいわいしながら旨いもんにありつけるのが醍醐味なんじゃねえか」
-俺には何が言いたいのかさっぱりわからん
無機質な面持ちの裏にそんな感情を秘めているであろう刹那に構わず、ジルウェは更に続ける。
「日本の食い物は旨いのがたくさんあるぞ。寿司にしゃぶしゃぶ、お好み焼きなんてもんもあるらしい」
「…」
「まああんま高いのはさすがに勘弁だがちょっと奮発するぐらいなら当分の間の財布にも支障はない」
一人勝手に熱が上がっているジルウェの姿を刹那は口を挟むことなく眺めていた。しかもいつの間に用意していたのか観光雑誌まで取り出してきた始末だ。
スメラギの酒にしてもそうだが、その熱意はどこから来るのか刹那には理解しがたい。
別段食料などあるものを食べればそれで解決する話だ。
わざわざ値の張る食物を食べたがるジルウェやミッション中に酒を楽しむスメラギの嗜好には、さすがに付いていけない。
「俺たちは常に死と隣り合わせの場所にいる。だからこういう機会なんてこの先なかなかないだろう…身勝手な要求だってのもわかってるだがその上で言わせてくれ、頼む、今日は俺と外で食べてくれないか」
「それに腹が減っては戦はできぬと日本のことわざにもある。だから頼む、この通り」
「……」
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丁度同じ頃彼らが身を潜めているマンションの同じ階層の一つ隣の部屋。
その部屋の住人が彼女と彼女の兄を招いていた。
「ママ~もう帰っちゃうなんて~」
「他人の私物をむやみやたらに汚すんじゃない。まったく、本当に昔からそういうところは変わらないな。すまないな沙慈くん、こういう妹で」
クッションに顔を埋めてしょぼくれるルイスにネクサスが呆れた息を吐いて注意する。
そんな彼らの微笑ましいやり取りに姉のことを脳裏に思い浮かべ、沙慈は言葉を返す。
「いえ慣れてますから」
「ちょっと沙慈!その言い方じゃいつも私がだらしないみたいじゃない!」
「事実だろうに…そう思う自覚があるのなら少しは節操というものを身に付ける努力をしたらどうだ。そのまま成人する気か?貰い手が苦労するぞ」
「余計なお世話です~いーだ」
クッションをぎっしり抱き締め舌を出すルイス。
その仕草にネクサスは困り果てたように顔をしかめ、反面沙慈は無意識に頬を赤く染める。
ガールフレンドの愛らしい一面に心を刺激されたというべきか。
「沙慈くんお姉さんがいると伺っているが今日は家に戻られないのか?」
「はい今日も取材で忙しくて当分戻れないってさっき連絡がありました」
「確かJNNの記者だそうだが。主にどの分野の取材を担当しているのだ?」
「僕もあまり詳しいことは知らないんですけど前に帰ってきた時はこないだ東京で起きたテロの犠牲に遭った遺族の人たちのところに取材をしたって言ってました」
「と言うとあの世界同時多発テロの…」
東京や世界の主要都市で起きた爆発物による大規模テロ。
何百人もの罪無き市民の尊い命が失われた痛ましい事件。
ネクサスもイタリアで起きたテロの現場に立ち会いその一味と思われる一団と銃撃戦を行ったが、テロ組織の全容を解明するには至らず手をこまねいていた。
そんな時に彼の元にある一報が届いたのだ。
ソレスタルビーイングのガンダムによってテロ組織が殲滅されたと
正規軍がするはずの仕事をソレスタルビーイングに奪われたとあっては、ネクサスとしては面目が立たない。
紛争根絶を掲げている彼らも一部から見ればまたテロ組織も同然なのだから。
「こんな暗い話をしても面白くはあるまい。この後予定がないのなら一緒に食事でもどうだろう」
「さんせー!いこいこ!」
「いいんですか?」
物思いに耽っていたネクサスから思いがけない提案を持ちかけられた沙慈は、今もクッションを手放さなず柔らかな感触を味わっているルイスから視線を反らす。
「ああ、元より今日はルイスと外で食事をする予定だったのだ。ルイスも私と二人きりよりも君も一緒の方が落ち着くだろう。それに私自身君という人間をもっと知りたいのでな」
「じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」
「決まりね。私前から行きたかったお店があるの」
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「…」
「刹那どうした?もう腹いっぱいか?」
「いやそうではない」
「ならもっと食え、食える時に食っておくのは人間として当たり前のことだ。ほれこれ焼けたぞ」
時刻は夜七時。
刹那を半ば強引に連れ出した形でジルウェが赴いたのは日本全国でチェーン展開している、それなりに名の知れた焼肉屋。
二人ではいささかスペースに余りが目立つテーブル席に向かい合わせに座り、ジルウェはトングを手に刹那の小皿に肉を重ねていく。
「お待たせしました。カルビ二人前でございます」
「ありがとさん。後追加でタン塩とジンジャーエール、ライスとオレンジジュース頼む」
「かしこまりました」
「いつもこうなのか」
「うん?何がだ」
「ずいぶん手慣れているが」
さして上機嫌になるわけでもなく、淡々と肉を口に運ぶ刹那に問われてジルウェは暫し考えてから答えた。
「焼肉はガキの頃に一回だけだ。外食はクリスティナとリヒティなんかと行くぐらいだな。たまにクリスティナがフェルト連れてきたりラッセとモレノのおっさんの愚痴に付き合わされたりしてるな」
-最も最後のやつに限ってはほぼ毎回ロックオンを道連れにしてはいるが
ラッセもモレノも酒が回りだしたらいつにもまして口数が多くなり気性も激しくなるので、一人では到底耐えられない。
そういう意味ではどれだけ酒を飲んでも理性を保っていられるスメラギは幾分かマシな部類だが、あれはあれでまともではない面が多すぎる。
「だいたい俺たちぐらいの年じゃ外でメシ食うなんざ普通だぞ。任務中ならともかく今の俺たちは一般人に成りきる必要があるんだ。こういう時ぐらいハメを外したってバチは当たらないだろ」
「そういうものなのか…」
「そういうもんさ。だがさっき言ったことや今回のことはくれぐれもティエリアには言うなよ。また自覚が足りないだの何だの、後々小言を言われるのが目に見えてるからな」
今頃宇宙でアレルヤと共に行動しているであろう気難しいマイスターの端正な顔が頭の中によぎる。
先日人革連との戦闘で自身はナドレを晒し、アレルヤはキュリオスもろとも滷獲される寸前まで追い込まれてしまったばかりなのだ。
こんなところで呑気に外食していることが露呈されれば、確実に耳にたこができるぐらいの説教の弾丸をぶちまけてくるだろう。
「あいつも真面目が過ぎるよなぁ…いちいち細かいことに目くじらを立ててたんじゃその内皺が増える一方になるぞ」
「それはどういう意味だ」
「そりゃお前、怒ると皺が増えるってよく言うだろ。生真面目なのはあいつのいいところでもあるがあんまり度が過ぎるのも考えもんだ……でもなぁ」
-不思議とあいつの老けた姿とか想像できねえんだよな
冷淡な性格と無愛想な顔を常にしているせいか、ティエリアの老体など微塵も予想がつかない。
単純に自分の想像力が陳腐なだけだろうが、ティエリアなら不老長寿だとしても違和感ないと思えるのはどういうことだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていると背後の席からの会話が耳に入りこんでくる。
「お待たせしました。こちらジンジャーエールとオレンジジュースになります」
「いや私たちは頼んでないが」
(どっかで聞いたような声だな)
店員と客のやり取りを聞きジルウェはそんな感想を抱いた。
「ああ、それたぶんこっちのだ」
「大変失礼しました!お客様」
「いやそこまで気にしていないよ」
後ろの席の客に謝罪をした店員はグラスを二つ持ってジルウェと刹那にも頭を下げる。
「失礼しましたお客様!」
「間違うことは誰にでもある。次は気をつけてな」
「申し訳ありませんでした」
ジルウェがそう諭すと店員はもう一度頭を下げて席を離れる。
置かれたジンジャーエールを一口、口に含んだジルウェはそういえばと腰を上げて、後ろの客に店員と同じように頭を下げた。
「そっちにも迷惑をかけた。すまない」
「大丈夫だ…君は」
「は?…」
その言葉に伏せていた顔を上げたジルウェは凍りついた。
何故ならそこにいたのは隣人の沙慈とその恋人のルイス、そしてイタリアのバーで会ったルイスと同じ淡い金髪の男ネクサス。
「まさかイタリアで会った君がルイスと沙慈くんの知人だったとはな。いやはや世界というのは思った以上に狭いものだな」
「そう、ですね」
-最悪だ
ジルウェは日本酒を勢いよく飲み干すネクサスを前に密かに心で毒づいた。
沙慈からお互いが顔見知りであり隣人であると知らされたネクサスの案によって、ジルウェと刹那は彼らと同席する羽目になってしまったのだ。
ネクサスとジルウェ、沙慈とルイスに刹那といった配分で席が分けられている。
(頼むからボロ出さない程度に接してくれよ)
自分なら誤魔化せる自信は充分にあるが、人付き合いの経験値の浅い刹那がこの局面を乗り切れるのかが心配だ。
内気そうな沙慈はとにもかくにも彼と対照的にルイスは積極性の塊のような人柄をしている。
詰め寄られてミスを踏まなければいいが
そこでふとジルウェは思い出す。
「妹さんだったんですね。彼女」
「そうだ、ルイスは私のただ一人の大切な妹だ」
(ってことはその兄がこいつか…ならAEUの)
最初にルイスと会った時、兄がAEUの凄腕パイロットと胸を張って言っていたのを覚えている。
凄腕なのかどうかその是非は置いておくとして、モビルスーツのパイロットであることは紛れもない事実であろう。
既に戦場で遭遇したことがあるのか、それともこれから機体越しに出くわすことになるのか。
どちらにしても敵だとわかった以上は無用な会話は避けるべきだ。
それが最善なのだが
「なのにどうにも最近態度がつれない気がするんだ。何故だ…昔はあんなにお兄ちゃんお兄ちゃんと私の後ろを付いて片時も離れようとしなかったというのに…!」
(酔い潰れんの早すぎだろ!たかだか二杯目だぞ!)
酒が回りだしたせいか、口数が多くなり呂律も回らなくなっているネクサス。
顔を真っ赤に染めながらまくし立てるように語る妹関連の愚痴にジルウェは飽き飽きしつつ、肉の面倒を見ていた。
(今までで一番面倒くせえタイプだな。ラッセやモレノのおっさんの方が何十倍も可愛く思えてくる)
酔った年上の面倒には慣れているといってもそこに身内のどうでもいい話を聞かされても、ジルウェとしては何の得もない。
「用無しなのか!彼氏ができたら兄は目障りだとでも言うのか!どうすれば、どうすればいいのだ!うわああああ!」
「ちょ!?おい!」
(泣き上戸特性まであんのかよ!くっそ面倒くせえな!!)
仕舞いには泣き出すネクサスに沸き上がる怒りをストローでジンジャーエールに泡を立てて抑えるジルウェだが、彼にも限度がある。
最悪我慢の限界で手を出してしまうかもしれない。
むしろそっちに走れたらどれだけ楽になれることだろうか
「どうしたらいいかね」
「……自分でどうにかしろ」
「すみません僕にもどうにも」
一人では対処のしようがないので刹那たちに助け船を求めるが、刹那も沙慈もジルウェの助けになるような反応を示さない。
刹那に至っては心底関心がないのがあからさまに見て取れる態度だ。
「お兄ちゃん飲み過ぎるとほぼ毎回こうなっちゃうのよ。私にもお手上げ、酔いが冷めるまで待つしかないわ」
「それまで俺、耐えられる度量ないぞ」
そう言いつつもジルウェは肉を頬張りネクサスの相手を続ける。
「どうして…ナズェ」
「はあ…そんなんだから嫌われんだろ……あ」
言い終えてから地雷を踏んでしまったと気づいた。
だがもう遅い
ネクサスはさっきの比にならないぐらいに泣きわめいく。
「うわああああ!」
「……もう勘弁しろ」
ジルウェの刹那との初めての外食はこれまで体験したどの食事より騒がしく終わった。