待っていた夜は 作:厨二患者第138号
目が、覚める。
仰向けになって寝ていたようで、まるで知らない黒い天井が俺の視界一杯になって広がっていた。そう、黒いのだ。部屋は明るい筈なのに暗い印象を受けるその色は、さながら影である。家主は趣味が悪いに違いないと、そんな風に思った。
(なんか、デジャヴだな)
以前にも似た様な出来事があった気がする。あの時は何故か赤子になっていたが、自分の掌を見る限りどうやら今回はそんなことはないらしい。とはいえ、安堵するにはまだ早い。ここが一体どこなのか、そもそも俺はあのエロ黒タイツに殺されたのではないのか、疑問は尽きないのだから。
取り敢えずは目先の状況の確認。そう思って身を起き上がらせようとすれば、これがまるで力が入らない。指をグーパーさせることくらいは造作もないのだが、身体を起こすとなるとかなり体力を使った。おかげで大した動作をした訳でもないのに、着ている服は汗まみれになった。
ところで今俺が着衣しているこの衣服、まるで心当たりのない代物なのだ。しかも地味に材質がいいのか、普段俺が着てる旅用のローブよりも幾分か着心地がいい。ちょっと腹立つ。
「なんだ、この服」
「目覚めて最初の一言がそれか」
「え?」
不意に声を掛けられて間抜けな声が漏れた。いやだってこの部屋誰もいないと思ってたんだもん。
しかもこの声は知っている。忘れられるものか。年若い女性にしては途方もない年季と威厳を感じさせる声。大凡に有無を言わせないその言葉の主は、予想通り影の国の女王、スカサハの物だった。スカサハはあの時と同じくエロ黒タイツ、もとい影の戦装束を身に纏い近くの椅子に座っていた。
「……俺、てっきり貴方に殺されたもんだと思ってたんだが」
「戦いの最中で眠りこける輩を殺す価値もないわ」
そう言えば、そうだった。俺は最後に彼女の死角に
少しだけ申し訳ない気持ちになる。影の国の女王と言えば、ケルト神話の神殺しで有名だ。またジダンさんが言うにはその実力は今もなお衰えず、寧ろ更に自らを高めているという。そんな彼女を失望させるのは恐れ多いわけで、何と言えばいいのか分からなくなるのだ。
「なに冗談だ、そう真剣に思い悩むな。まだ四半世紀も生きない餓鬼が、私を満足させる命のやり取りを興じる筈もなかろう」
呆れと言うよりも、諦めの側面が垣間見えるような声音だった。伝承を聞く限りスカサハという女傑は生粋の戦闘狂である(神殺しを幾度となく為したという話を聞いた)。ともすると彼女と満足に殺し合いを行えるような英傑は、ケルトの神話以降では現れなかったという事だろうか。
兎も角、スカサハの言葉はもっともだ。俺は所詮一介の男子。前世では日本人としては割と非日常を経験したとはいえ、それもこの十一世紀の世界に比べれば格段も劣る。ともすれば俺が武芸で彼女に劣るのは言うまでもない事で、そもそも比べること自体が烏滸がましいだろう。
まぁ、今俺が気にすべきは俺が強いか否かではない。問題なのは俺が彼女に生かされた理由だ。ご丁寧にルーン魔術で治療してくれたようで、槍による刺傷は傷痕が多少残る程度で治まっている。そう言えばスカサハといえば、ルーンの魔術も極めた最高峰の魔術師だったか。
「……さて、聞きたいことはたくさんあるんだけど、まずここが何処なのかを聞いても?」
「影の国に決まっている。加えて言えば我が城の一室だぞ、この部屋は」
そうだろうな。スカサハがいて、かつ彼女が自由に出入りが出来るような場所と言えば、影の国以外に考えられないだろう。部屋の配色にはセンスを感じないが。
その後俺は彼女にいくつか質問した。
何故殺し合い(一方的な戦いともいえない代物ではあったが)をした相手に治療など施したのか。そもそもスカサハは何がしたかったのか。俺は思いつく限り質問をした。そのどれもが……
「ユージン、貴様を鍛えるためだ」
という割とスパルタな返答だったのである。確かにスカサハはアルスター代表の英雄、クー・フーリンの師匠でもあったと聞き伝わっている。だが、まさかここまで見境なく人を弟子扱いするとは思わなかった。
だって俺、剣才ないって言われたんだもん。他でもないジダンさんと、恩人であるじいさんから。だから俺は「戦いのセンスなんてない」って言ったのだが、どうやらそれが不味かったらしい。彼女はギロリと俺を睨んで、しかし瞳とは反対に口調は楽し気にこう返した。
「バカ者が。剣の才能の有無が戦の才能の有無に直結するとは限らないと知らぬか? 儂の見立てでは、貴様は確かに剣才は無に等しいだろうよ。だが、戦の才に関してはその限りではないと見える。そも今の時代に幻想種を狩れる人間なぞそうそういるものか。だが貴様は未熟ながらもこの地に足を踏みぬいた、あの男達の様にな。ならばその力は確かに本物よ。貴様も戦士の端くれならば自身の力をよく把握しておけ。聞いた限り現世ではキリストの徒が一戦上げようとしているらしいではないか。従軍するのならば、いくら力があっても足りない事はないだろう?」
長い長い。途中から俺を睨むことも忘れて自分の世界に入る彼女に思わず苦笑いする。いやぁ、こうして興奮気味に喋るスカサハをみると絶世の美人と言うか、そもそもこの世界の住人の顔面偏差値高いよなぁとか、そんな事を考えました、はい。
「いや、俺は従軍なんかしないよ。そもそもキリスト教徒じゃないし、俺」
「ならば猶更のこと。修羅となりつつある現世で生きるために力を身に着けるのは、決して悪い選択ではあるまい?」
随分と食い下がるな。どうしてそこまで俺にこだわるのだろうか。彼女が俺に何らかの才能があると宣言したのなら、その才能はきっと俺の中で眠っているのだろう。再三言うが、彼女はケルト神話における最強の戦士である。そしてギリシャ神話でいうケイローンの様な存在だ。彼女の観察眼は当の本人である俺よりも、俺の事を如実に見抜いているに違いないのだ。その才能を引き出したいと思うのは教育者として当然の事であるし、その気持ちは俺にも少しわかる。
だがしかし、スカサハはそれ以外にも理由を抱えているように思えるのだ。でなければ彼女が俺にここまで執着する必要性を感じない。そして俺が他人と違いのある点と言えば、それは……
「……まさか、貴方は」
「貴様が何を思ったのかは知らん。だが、そうだな。どれだけの秘密を抱えていようと、私の様に何とも思わん人間がいるという事を覚えておくと良い」
この反応は、間違いない。スカサハは俺が『転生者』であることを見抜いている。その上で彼女は言うのだ、「気にするな」と。
それは正に救いの言葉だった。
じいさん以外に話したことのなかった秘密を、虚言だと笑うことなく、それを真摯に受け止めてくれる。それがどれだけありがたいことか。秘密を打ち明けた人物が死に、自分を知る人がいないこの世界で、どれだけ彼女のような存在を渇望したことか。気づけば、目元が熱くなっていた。
そして、彼女は告げる。
「ふん、こうして面と向かってしまったのだ。次に出会った時に薬漬けだったという話ほど、後味の悪いものもないだろう? せめて出国する前にここで
「薬、漬け?」
なんか時代錯誤な言葉を聞いた気がする。よく考えてみてほしい。この十一世紀は碌な医療技術も確立されてない。所詮は民間医療レベルで、薬物治療でさえ効果があるかどうか怪しい、迷信に頼ったモノだらけだ。それで薬漬けって、一体どういうことなのだろうか。
さっきまで感動して涙が出てしまいそうだっただけに、それを吹き飛ばした疑問と言うのはかなり気になる。しかし、彼女の返答は存外簡単だった。
「今そのことを気にする必要はない。この国に留まっている間だけは、少なくとも安全だろう」
「……まぁ、貴女がそう言うんだったらそうなんだろうけど」
なんか、釈然としない。
「そんな顔をするな。いつの日か教えてやるから安心せい」
ポンポンと俺の頭を叩くスカサハ。ああ、よくよく考えてみれば俺って外見は十五歳くらいの子供なんだったな。いくら精神年齢がおっさんだとはいえ、彼女から見ればやはり精神年齢込みでも子供だ。
しかし、もし仮に俺の身体がむさいおっさんのままだったのならば、こうして頭を撫でられなかった可能性がかなり高い。それに思い返せば道中で野党に襲われた際、餓鬼であると油断した野盗どもを斬り込んだ記憶もある。この幼い身体で何度も得をしているのだと実感した。実際、美女に撫でられるのは最高だしね。
でもやっぱり女性にずっと触られるのも気恥ずかしい。俺はやんわり彼女の手を除ける。その時、スカサハの手に触れて分かったことがある。それは、ラノベや漫画などで描写されるような女性の柔らかさというものがなかったという事だ。ただ感じられたのは鍛え上げられた武芸者特有の、無駄をそぎ落とされた筋肉の感触。その彼女の感触に戸惑ったせいか、俺は思わず手をニギニギしてしまった。
何と言うか、やっぱり硬い。硬いが、何故か心地がいい。あの朱い槍を振るい続けてきたであろう彼女の手は無骨で、それでいて女性らしい線の細さを兼ね備えている。言葉で表現すればアンバランスで不格好なようだが、実際は違う。優しさと強さを両立させたような、そんな掌。どこか憧れさえも抱かせる彼女の手に、しばらく俺は夢中になっていた。
「……何をしておる」
俺がスカサハの手を握ってから幾ばくか経過した時。彼女は何とも言えない表情と声音、敢えて言うなら困り果てたように声を掛けてきた。
それでようやく正気に返った。顔が熱くなる。十秒くらい前の自分を殴り飛ばしたくらい激しい衝動が走った。
「お、俺、何して」
「この阿呆が。私の方が聞きたいくらいだ」
スカサハは持て余したような目つきで俺を見る。俺も何と言葉を発せばいいか分からず、無言で彼女を見つめ返した。そうしてまた静かな時間が流れて十数秒。先に口を開いたのはスカサハだった。
「……はぁ、まあよい。今のは見なかったことにしてやる。私は気にしないが、今のを家臣がいる前でやってくれるなよ。あやつらはうるさいからな」
ため息交じりに吐き出された彼女の言葉に、俺はただ頷くことしか出来なかった。
ん? でも待ってくれ、その言い方だとまた手をニギニギしてもいいように聞こえるのだが。俺がそのことを聞きただすと、スカサハは「勝手にしろ」と素っ気なく返してきた。
(勝手にしろって、一番反応に困る返答なのですが、それは)
ちょっと女性としての自覚が足りないのではないかと思う。スカサハは言うまでもなく美人だ。顔もそうだが、肉体美も素晴らしい。いくら超弩級の実力を有しているとはいえ、やはり彼女は女性なのだ。美人がたやすく男に体を触らすことを許すべきではない。男なんて何をするか分かったものではないのだから。
「ダメだよ、スカサハ。女性がそう簡単に自分の身体を男に許すべきじゃない」
「それは私を軽んじる発言か?」
槍が心臓に突き付けられる、そんな錯覚を覚えた。でも言ってしまえば錯覚である。一度死に瀕した俺ならば怯むことはあっても、今更怖気づいて何もできなくなる様な事態にはならない。
「まさか、俺は一度貴女に殺されかけている。そんな俺がどうして貴方を軽んじれようか。俺が言いたいのは、貴女は女性で俺は男だという事だ」
「なに?」
「だからさ。貴女は一度自分の魅力に気づいた方が良い。お互いがお互いを多少なりとも好ましく思っているのなら、なおさら俺達の関係はしっかりしておくべきだ」
伝えたいことは大凡伝えた。すると彼女の殺気は鳴りを潜める。もうひと押しといったところか。
「俺は貴方を失望させたくない。だから貴方も、
「どういう意味だ?」
「俺を貴女の弟子にしてほしい。その代わりと言っては変な話だけど、俺も
俺が言いきると、スカサハは目を点にして驚いていた。それは自覚があったからか、それとも無意識な事実に気づかされたからなのか。
「何を言っておる。私が私を嫌っている、だと? 冗談にしては笑え―――」
「冗談なんかじゃない。冗談で、貴女は破滅願望を抱く筈がないからだ」
これは俺の前世を中心とした人生に基づいた勘働きである。決して、今世で得たあの戦闘で不意に感じる『直感』ではない。彼女は確実に死にたがっている。理由なんざ知らない。だが、今をもって俺の理解者となった彼女が、自分自身を嫌いになってほしくない。それは俺の紛れもない本心だ。
「何を根拠にその様な世迷言を」
「だってスカサハ、いろいろ諦めた人と同じ目をしてる」
そう、俺が『
――――――死ねないから、絶望している。
そうでなければ、そんな憂を感じさせる表情であり続ける理由がない。そうでなければ、彼女は千年以上も生きているはずがない。彼女は死ねない。人として、それはもうただの地獄だ。不老不死に良い事なんて一つだってない。周りは老いるのに、自分は何も変わらない。ただの傍観者として、数多の死を見て、彼女は今まで生きてきたに違いない。自分が一番求める物を身近に感じ、でも一生をかけても届かない。
俺だって彼女から見れば一夜の夢の住人に過ぎない。だが、だからこそ、俺は彼女にしてやれることがある。
「俺を弟子にしてくれ。俺は貴女の夢を楽しませるような、そんな人になるためにも」
美綴さんを出せなくて本当に申し訳ない。
ですが、ここで区切りが良いので、取り敢えず次回からはステイナイト編に移れるかと思います。