待っていた夜は   作:厨二患者第138号

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第7話

 頬が、裂ける。

 

 血が飛び散って、視界が回る。奴の爪から逃れるために倒れる様にして体を捻ったからだ。すぐさま態勢を立て直し、視界を奴の元へ向ける。だが、その時には奴の巨体が目の前まで迫っていた。

 

 ――――――間に合わないっ!

 

 そう直感した。だから回避することは諦めて、全力で奴に体を傾ける。半ば無意識でじいさんの剣を構えていたのは幸いだった。

 

 次の瞬間、俺は吹き飛ばされた。自動車と激突したかのような衝撃。圧倒的な圧力が俺を宙に飛ばしたのだ。僅かな滞空の後、気づけば俺の背中は派手な音と共に巨木に叩き付けられていた。

 

 「……っ痛」

 

 チカチカと世界が点滅する。巨木に背を預け、身体は思うように動かない。霞がかった視界の先では、奴が地を割りながら攻め入って来る。

 

 カタチは馬だ。だが普通の馬とは違う。額には先の尖った鋭く長い角、大凡の馬とは一線を画す速度に筋肉。何よりも今まで見てきた生物の中でも、最高の魔力保有量。これではまるでおとぎ話に出てくる化け物だ。あれがジダンさんの言う幻想種という奴なのかもしれない。何にせよ、普通の生き物じゃないのは確かだ。

 

 「――――――糞がぁ!」

 

 石になったかのように重い身体を無理やり動かす。このまま呑気に巨木に身を寄せていれば、あの化け物に体を押しつぶされるか、或いはあの殺人的な角に串刺しにされる。直感なんかなくとも分かることだ。そら、もう奴は俺の視界の大半を占めるくらい近づいている。

 

 足を、動かす。頭の中は真っ白だ。死が目前まで迫っている。とても冷静になんかいられない。だから頭の中を空っぽにさせて、無理やり冷静であろうとする。それが功を奏したのか、俺は奴の巨体で圧死することはなかった。

 

 『縮地』

 

 それはジダンさん曰く、対人最強の歩法。相手は化け物だがそれでもこの技術は奴にも通じたようだ。俺は反射だけで『縮地』を用い、その結果奴の死角となる宙を舞っていたのである。瞬間移動ってホント便利であると、再三実感した(正確には瞬間移動ではないが、今はどうでもいい事だ)。

 

 奴の無防備な首が映る。巨木にその立派な角が深く突き刺さってしまったようで、あの化け物はそれを抜くのに難儀している。いい気味だと思う。ぜひともそのまま無様を晒してくれると嬉しい。

 

 ――――――この好機を逃す訳にはいかない。

 

 空中にいるまま、体を最大限捻るとギチギチと体が軋んだ。また軋みと伴って、強烈な激痛が襲ってくる。それを心地よく思うのは、決して俺がマゾヒストなんかだからではない。歓喜を覚えるのはこの痛みと引き換えに、奴を確実に殺せるからだ。

 

 ベーゴマの要領で捻った体を一気に開放する。体につられて腕が鞭の様にしなり――――――そして次の瞬間には肉を断つ重い感触が伝わってきた。右手で持つじいさんの剣、それが奴の首を刎ねたのだと分かる。

 

 ドシンと、奴の首がなくなった身体が崩れ落ちる。またそれと同じくして、重力により俺も地面に落ちた。頭から落ちたせいで結構痛い。だが、そんなものなど本当に些細なことだった。今はそれ以上にただただ嬉しい。

 

 「……やったぜ」

 

 勝利の余韻、これで四度目だ。最初はライオンとか馬、蛇などがごった煮した怪物。空中に漂う様にうごめく眼球にゴブリンの大群。そして先程の馬の化け物。これらのおぞましい怪物たちに勝利してきた。

 

 正直、生きた心地がしなかった。一つ一つの戦闘が命がけで、今こうして生きていること自体が夢現だ。俺は地面に大の字になって生き残れたことに誰とも知れない何か、しいて言うならじいさんの剣に感謝する。今回の戦闘で命を拾えたのも、このじいさんの剣による。ただの鉄の剣であれば奴の突撃を受けた時点で割れてしまっただろうし、そもそもあの化け物の首など切断できやしない。よく分からないが、この剣は並々ならぬ素材でできているらしく、途轍もない頑丈さと切れ味を誇っている。

 

 「はぁ、はぁ、っく」

 

 今になって息が荒くなる。それもそうだ。今の今まで、俺は呼吸さえも忘れて殺し合いを興じていたのだから。凄まじい疲労感が俺を襲う。汗が全身から噴き出て気持ちが悪い。風呂なんかこの地には存在しないのだから、結局この汗は魔術かタオルかで何とかするしかない。

 

 ここは影の国、その入り口付近である。橋に聳え立つ塔を超え、いくつかの島を経てようやっとこの場に辿り着いた。その間に何度も死にかけたし、その度に強くなった。もし仮にジダンさんに鍛えられなかったら、今頃俺は最初のごった煮化け物の養分となっていただろう。

 

 動悸が収まらない。仕方ないので自分の身体に『ベオーク』のルーンを刻む。ルーンというのはいわば古代から伝わる魔術的な文字の事で、それを対象に刻むことでその文字の恩恵が得られる。今回のこの『ベオーク』の意味は大雑把に言って回復である。だからある程度は俺の状態を改善させてくれるだろう。

 

 「ふぅ」

 

 少しだけ落ち着いた。やっぱり魔術って便利だ。俺がまだ現代人だった頃にもこうした魔術と言うのは存在したのだろうか。いや、今そんな事を考えても仕方がない。魔術は便利、それだけ分かってれば十分である。

 

 ゆっくりと体を起こす。まだ横になって休んでおきたい気分だが、また先程の化け物と遭遇してしまえば今度は本当に殺される。一日に一度の戦闘が限界だ、経験上少なくともあのレベルの化け物と戦うのは一度までだ。だからすぐに身を隠せるような場所を確保しておく必要がある。

 

 身を起こし、その足を進めようとした時だ。

 

 「見事。この時代にまだ秘境を目指す戦士がいようとは」

 

 どう形容してやればいいか分からないくらい美しく、また力強い声が俺の耳に届いた。久々の、具体的には一か月ぶりの意味のある人の声。それを聞いて本当は安堵するべきなのだろう。しかし俺が最初に抱いた感想は――――――

 

 「なんて、魔力っ」

 

 その存在の巨大さによる恐怖だった。声を掛けてきた人物は、それこそ今まで見てきた化け物の何十倍もの魔力を保有していた。しかもそれだけではない。

 

 俺が声の聞こえた方を振り向いた時、そこに居たのは圧倒的な気を纏った黒い装束の女性だった。容姿など目に入らなかった。あるのは素人目で見てもわかる技量の高さ。ただそこに立つという身のこなしが、俺と彼女の差をありありと示していた。

 

 よく見れば、彼女は槍を携えている。その槍は悪趣味なことに血の様に真っ赤で、しかし造形はかなり凝っている。パッと見使い古されているように見えるが刃こぼれなどはない。要するに、彼女は槍の扱いに長けているという事だ。もし俺が彼女に挑めば十を数えるまでもなく殺される。今までの経験と分析で、そういう結論がついた。

 

 ――――――ならばどうする?

 

 目と目が合ってしまった以上、奇襲はできない。もっとも奇襲が出来たところで彼女を殺せるかと問われれば、否としか答えようがないが。真正面からの戦闘など論外だ。瞬く間にあの朱い槍で心臓を貫かれる。

 

 そもそも俺は彼女という圧倒的な存在に声を掛けられるまで、近くにいたという事実にさえ気がつかなかったのだ。彼女はその気になれば俺を殺せたはずだ。ともすれば彼女は俺を殺す気がないと取れる。俺から仕掛けなければ殺し合いには発展しないだろう。だったら俺は彼女と真正面から会話をするべきだ。

 

 「良い目だ。分かり切っている事だが、何用でこの影の国へ来た。ここは貴様のような生のあるモノが訪れるところではない」

 

 「……じいさんの、俺の育ての親が影の国を目指せと言った。それだけだ」

 

 不味い、思った以上にぶっきらぼうな言い方になってしまった。彼女の機嫌を損ねてしまったらどうするつもりなんだ俺は、ここはもっと慎重に……

 

 「ほう。本当にそれだけか?」

 

 俺の懸念はどうやら杞憂だったらしい。彼女は俺の物言いに大して気にした様子を見せず話を続ける。どうやら彼女は俺が思っている以上に大物の様だ。

 

 「ああ、それだけだ。俺はただじいさんに『影の国へ向かえ』と言われたからここに来た。影の国が一体どういうところなのかは知らないけど、それでも遺言には従うべきだろう?」

 

 「然り。親孝行なのだな、貴様」

 

 「そんな大したものじゃないさ」

 

 割と話しやすい人で驚いた。意外と話好きの女性なのかもしれない。しかし次の彼女の台詞で和やかな雰囲気は消え去った。

 

 

 

 「ならば、疾くこの場から立ち去ると良い」

 

 

 

 底冷えするような声だった。もはや言霊。彼女に立ち去れと言われて、意味もなく立ち去らなければいけないと錯覚してしまった。しかし理由もなく「帰れ」といわれて「はいそうですか」と納得できる程俺もお人よしじゃあない。

 

 「……一応、理由を聞いても?」

 

 「なに、簡単なことだ。これより先は死者の国。日の当たらぬ暗い世界、行きは良いが並大抵の者では現世に帰れない。幾ばくか言葉を交えて分かった。貴様はこちら側にくる必要はない」

 

 「そう言う訳にはいかない。さっきも言っただろう? 大恩人の遺言なんだよ、今はそれが俺の人生における目標だ」

 

 手を剣に掛ける。いざとなればやるしかない。

 

 「本気か?」

 

 「本気だとも。それとも貴方は男の覚悟を踏みにじる気か?」

 

 体の疲労はベオークによりそれなりに回復している。魔力は十分。この女性を前にしてどれだけ戦えるか、否、どうすれば退けられるかを考える。正直、勝算は薄い。

 

 「よくぞ言った。ならば力を示せ」

 

 溢れんばかりの闘気が彼女を取り巻く。これは相当だ。今までの何よりも、そしてこれからも彼女ほどの力をもった人物を見る事はないだろう。そう思えるほど彼女の力は圧倒的であり、見惚れるべき代物だった。

 

 「応とも。俺はユージン、しがない旅人だ」

 

 「スカサハ、影の国の門番にしてその女王だ」

 

 成程、うすうす気づいていたがやはりそう言う事か。これだけの人物がまさかただの一般人な訳ない。この人が神代から続く国を治める女王か。ならばこの闘気にも納得である。

 

 ――――――さて、何処まで行けるものか。

 

 目の前の最強を前にして、ひたすら冷静であろうと努めた。

 

 




久々の投稿。
まぁこんな作品を待ってくれる人なんて……(しょんぼり

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