待っていた夜は   作:厨二患者第138号

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第3話

 「おい、誰かソイツを捕まえてくれ! 泥棒だ!」

 

 赤い泥レンガで形成された美しい街並み。

 その中でもとりわけ人通りが激しい大通りにて、必死に人ごみを掻き分け、叫びながら走る男がいる。

 しかし同じ町に住む町人と言えど、所詮は他人だった。

 自己を優先、或いは何らかの身の危険を感じ、男の叫び声を敢えて無視して道を往来する者が大半であったのだ。

 彼らは嫌な顔をしながら、申し訳程度に道を開けることしかしない。

 中には男の助けを求める声に善意で反応する者も少なからずいた。

 だが、結局は男の言う『泥棒』を目に捉えることが出来ず、あっさり諦める。

 やはり見知らずの他人のために血眼になって探す変人などいないのだ。

 

 「糞野郎っ!!」

 

 悪態をつきながらも、男は『泥棒』を追いかける事を止めなかった。

 男の目には『泥棒』が映っている。

 それは子供だった。

 しかも身なりからして裕福そうには思えない。

 ボロ布にすら劣りそうな服に加え、やせ細った肉体。

 成程、子供が盗みを働いた理由が良く分かる。

 人間は食事をしなければ生きていけない。

 『泥棒』が盗んだモノとは、この国では主食となるナンだった。

 

 「待ちやがれ餓鬼ぃ!!」

 

 男はやはり声を張り上げて、より一層足の動きを速める。

 そして血走った目で『泥棒』を見逃さんとし、手を伸ばして少しでも『泥棒』との距離を縮めようと努めた。

 が、いかんせん距離があり過ぎる。

 水が流れていくように『泥棒』は走りながら人ごみを器用に避けていく。

 最早男と『泥棒』との距離は自力では詰め難いものとなっていたのだ。

 また、人の往来が激しいという事実がそれに拍車をかける。

 執念というべきか、しかし男は最後まで『泥棒』を見逃さなかった。

 途中で大通りを抜け、路地裏に入っていくのを見た。

 男も遅れてその路地裏に入る。

 すると男にとっては都合がいい事に、路地裏は袋小路となっている。

 『泥棒』は盗んだナンの二つある内の一つを齧り、行き止まりの壁にもたれかかっていた。

 

 「追い詰めたぞ、餓鬼ぃ」

 

 好機と見た。

 男は額から垂れる汗を無視してそう考える。

 ナンのことなぞもうどうでもいい。

 そもそも『泥棒』の薄汚れた手で触れられたナンは売り物にならない。

 ならば何故こうして『泥棒』を追いかけたのか。

 

 「覚悟は出来てんだろうなぁ?」

 

 ただの憂さ晴らし。

 それ以外に理由はない。

 盗まれた恨みにこれだけ無駄に走らされた恨み、そして何よりも日ごろのストレス。

 幸いなことに、『泥棒』には人権がない。

 いくら子供といえど犯罪に手を染めた以上、殴って蹴って殺しても誰も文句は言うまい。

 また、見かけでは『泥棒』の年齢はまだ十にも届いていないように見える。

 路地裏は細い袋小路となっている。

 故に『泥棒』と喧嘩になって男が負ける道理などない。

 加えてここには子供を殴ることに異を唱える宗教家もいない。

 男の口が吊り上がる。

 

 状況は完璧だ。

 

 「いやぁ、おっさんがここまで追いかけてくるとは思わなかったよ。ナンの一つや二つでここまで執着されるなんて、こりゃあ盗む店間違えたかな」

 

 『泥棒』の悪びれもせず言う言葉はとても十歳の子供とは思えない程流暢だった。

 だが、同時にどこか嘲りの色が含まれている。

 表情にも全く焦りは見られない。

 それどころか呑気にナンを食して、ケラケラ笑っている。

 

 そう、まるでこの不利な状況を楽しんでいるようにすら見えるのだ。

 

 「テメェ、自分が何したか分かってんのか、あぁ?」

 

 「罪が怖いんだったら最初から犯罪なんて起こさない。つまりはそういう事さ」

 

 「舐めた野郎だ。殺してやる」

 

 決して高くない沸点に達した。

 次の瞬間には男は『泥棒』に飛び掛かる。

 太い腕は勢いよく風を切り、『泥棒』の小さな頭を捉える。

 『泥棒』はいともたやすく吹き飛んだ。

 男は追撃にマウントを取って動きを封じる。

 そこまで来れば、後は『泥棒』が動かなくなるまで殴り続けるだけ。

 

 それが現段階、男が飛び掛かっている最中に頭の中で思い描いた最高のシナリオだった。

 

 「じゃあね」

 

 だが現実は非情である。

 いや、ある意味ではご都合である。

 男の剛腕は綺麗な弧を描き、確かに空を斬った。

 子供の頭部に当たりでもしたら下手をすれば即死である。

 しかし、手ごたえは感じなかった。

 気づけば目の前から『泥棒』はいなくなっていたのだ。

 

 路地裏に佇むのはただ一人の男。

 彼は自分の店のナンを盗んだ『泥棒』を追いかけてここまで来た。

 そして『泥棒』を追い詰め、粛清と言う名の憂さ晴らしを繰り広げる筈だった。

 では、なぜ憂さ晴らしの相手が忽然といなくなっているのか。

 

 「……あぁ? どこいった餓鬼ぃぃいい!!」

 

 短く、細い路地裏に響いたのは、やはり男の叫び声だった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 「ああー怖かった」

 

 数ある赤いレンガで出来た家々の中の、その一つの屋根の上で俺は残ったナンを食していた。

 今日追いかけてきたおっさんは中々強敵だった。

 完全に巻いたと思って路地裏に入ったのに、まるで待ってましたと言わんばかりに後から路地裏に入ってきた時は滅茶苦茶ビビった。

 そして何よりもあの顔はヤバかった。

 捕まえることなんか忘れて殴り殺してきそうな勢いすらあった。

 というか殴りかかってきた。

 あんな太い腕で殴られたら死ぬわ。

 二度とあのおっさんがいる店ではナンを盗むまいと決心するのに時間はかからなかった。

 

 「さて、んじゃまぁ、じいさんの所に行きますか」

 

 愚痴もほどほどに、俺は最後のナンだけは残して手を合わせる。

 なんだかんだ言って日本人だった時の習慣は忘れられないのである。

 

 今の俺は日本人ではない。

 

 惨めに自殺したわけでも、或いは勇ましく子供を庇って車に轢かれたわけでもなく、ましてや神様の悪戯で死んだわけでもない。

 だというのに何故か、気づけば転生をしていた。

 俺の母親が所謂仏教徒で、そういう事(・・・・・)が世の中にはあると何回か聞かされたことがある。

 しかしながら、俺は特別神様や仏さまを信じている訳ではない無宗教者だったので、話半分にしか聞いてなかった。

 それが今ではこうして現在進行形で経験している。

 という事は転生は本当にあるのだろう。

 幼児退行が物理的に行われるくらいなら、転生などしたくなかったが。

 

 まずはあの人ひとりとしていないボロ屋で、文字通り泣きわめくことに飽きた俺は現実逃避を止めるところから始まった。

 俺はあの時間違いなく赤子で、誰かの手を借りなければ生きていくことなど到底できなかった。

 だから次に俺は助けを求めるよう大声で叫ぶよう努めた。

 発達してない喉は声を出すことにも苦労させた。

 だが他に出来ることもなかったわけで、疲れても休憩した後はまた泣くように叫んだ。

 

 助けが来るまでどれくらい時間が経ったか覚えていない。

 しかし助けはきたのだ。

 その人は老人だった。

 顔は日本人特有のしょうゆ顔ではなく、中東特有の深い彫のある顔。

 まぁ、明らかに日本人ではない。

 ただ言いようもない嬉しさが込み上げてきた。

 後は語るのも無粋というやつだろう。

 俺はその老人に助けられ、今日まで生きている。

 

 「おぉ、また盗みを働きおったな? このバカ息子が」

 

 気づけば俺は我が家に着いていた。

 正確にはただのボロ屋なのだが、そこは気にすることではない。

 今俺に語り掛けた声の主がその例の老人だ。

 俺は『じいさん』と呼んでいる。

 名は未だに教えてくれないのだから他に呼びようがないのである。

 

 とはいえ、それでも俺とじいさんはお互いがお互いを知り尽くしている。

 例えば俺が転生者なのだということもじいさんは知っているし、逆に俺は元々じいさんはメチャクチャ強い武芸者だったという事を知っている。

 因みにじいさんは俺が転生者だと聞いても大して驚かなかった。(俺は驚かなかったことに驚いた。

 また、先程ナンのおっさんから逃げたときの謎の瞬間移動もじいさんから盗み得た歩法(・・)である。

 瞬間移動なんてどんなファンタジーだよとか言われそうだが、出来る物は出来るのだから仕方ない。

 

 「まぁそう言わないでよ。じいさんの分も盗ってきたからさ」

 

 「ふん。お前の母国は道徳すら教えんのか? 人様のモノは盗んではならんと何度言うておる」

 

 日本は道徳をとても重んじるよ?

 代わりに裏では何を考えてるか分からんがな。

 ついでにバレなきゃ犯罪ではないを地でいく国でもある。

 いや、ソレは何処でも同じかな。

 

 「じゃあこれいらないの?」

 

 そう言って俺は残ったナンを食べるそぶりを見せる。

 するとじいさんはにっこりと笑う。

 

 「そうは言うておらんじゃろう」

 

 元はトンデモない達人だったとしても、やはり食べ物には弱いらしい。

 だがそれも無理もない話だ。

 

 じいさんには片腕がない。

 

 戦場に赴いた結果失ったというが、どうも俺はそう思えない。

 なんせあの歩法を用いればそうは簡単にやられたりしないからだ。

 現に俺はあのナンのおっさんから傷一つなく逃走が出来ている。

 ぶっちゃけ、あの歩法は使い方次第ではいくら混沌とした戦場の中でも無傷で帰っていけるだろう。

 

 話を戻そう。

 片腕がないという事は、だ。

 つまりそれは働くことが困難だという事だ。

 働かなければ金は生まれない。

 加えてじいさんはもういい歳である。

 この国の平均寿命がいくつなのかは知らないが、恐らくじいさんは老い先短いだろう。

 ボケてなくとも、そういうの(・・・・・)はちょっとした所作で何となく分かる。

 だから、と言っていいのかは疑問にはなるが俺は最後の時くらい、じいさんに大変な思いをしてほしくないのだ。

 もっともそんな事を本人に言えば余計なお世話だと言われて怒られそうだが。

 

 「全く、強がらずに最初から欲しいって言えばいいのに」

 

 「老いさらばえても儂は男じゃ。男は意地を捨ててはいかん」

 

 「落ちるの結構早かったけどね?」

 

 「うるさいぞ」

 

 軽口の言い合い。

 それも親しき仲であるからこそだ。

 俺はじいさんにナンを手渡す。

 するとじいさんは受け取る前に小さな声で「ありがとな」と呟いた。

 その言葉だけで盗んできた甲斐があったというもの。

 

 泥棒は良くないことだと頭の中では理解できても、恐らく俺はじいさんがこの世からいなくなるまで止めることはないだろう。

 俺を拾ってくれた恩は何があっても全力で返す。

 今の俺の数少ない生き甲斐なのだから。

 




主人公は『縮地:D』を覚えた!

瞬間移動とか男の憧れだよね。
さて、過去編は出来るだけ短くまとめて行きたいと思います。
少し文章に不安が残りますが、まぁそれはいつもの事です。
あとがきを見てくれる方がどれだけいるか分かりませんが、感想をくれると嬉しいです。
やっぱりコメントを見るとモチベが上がりますからw

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