待っていた夜は 作:厨二患者第138号
あと最後のはオマージュ。
それが異常な光景であるとすぐに分かった。分からなければ人として、否、この地球に生きる生物としてどうかしてる。
かたや空を飛び、得体の知れない光弾を放つローブの女がいる。かたや血の様に朱い槍を振り回し、その光弾を叩き落とす青い装束の男がいる。両者によって再現されるはさながら神話に語られるが如き戦い。
そしてもし仮に、そんな戦場に何の力も持たない一般人がいたとしたらどうなるか。簡単な話だ。きっとその力なき者は圧倒的な暴力の渦に飲み込まれ、最終的には塵芥となり果てるだろう。
―――それは、嫌だ。
十年前、若しくはそれ以上に危険な状況。少なくとも今現在、空中で殺し合ってる二人はあの時の狂った男よりも格段に
巻き込まれたら最後、絶対に死ぬ。それが分かってしまう。
「っは、っは、っはぁ!!」
とにかく走った。冬の冷たい風が顔に突き刺さるが、そんなことなど気にしてられない。足を止めてしまえばきっともう走れなくなる気がする。誰かが追いかけてきている訳ではないというのに、説明のつかない焦燥感が綾子の足を急かした。
鞄の中にはそれほど物が入ってないのにも関わらず、どうしてか岩の様に重い。そのせいで走ることが思い通りにいかず、速度も平時より遅く感じられた。荷物の存在がこれほどまでに邪魔だと感じた日が今までにあっただろうか。ならばいっそのこと投げ捨ててしまおうか、そこまで考えてそれだけは出来ないことに思い至る。
教科書や参考書、ノートは学生である綾子にとって大事なモノではあるが、それも自分の命があってこそ。しかし、それでも綾子はその鞄を捨てる訳にはいかなかった。せめて、せめて鞄の中に大事にしまってある
「―――っ!」
綾子は鞄を投げ捨てる。代わりにその手には包帯の巻かれた杭が握られていた。
それは十年前、あのアサシンと名乗った男から手渡された大切なお守り。この杭こそが『彼』と綾子を繋ぐたった一つの接点であり、また今まで何度も彼女に危機を知らせてくれた文字通りのお守りである。危ないから捨てろと両親に取り上げられそうにもなったことがあるが、この通り片時も離した時がない。
上空からはまだ衝撃音が響いてくる。あの人外どもはまだ空で殺し合っているのだ。辺りは静かだからなおさら戦闘によって生じる音は今も新都に響いて、いる?
「あれ?」
おかしい。
どうして今まで疑問にすら思わなかったのだろうか。いや、そもそも最初に気づかなかったこと自体が異常とすら言える。何か作為的なモノを感じた綾子は、忙しなく動かしていた足を止めた。
―――新都でこんなに騒音を撒き散らしているのにも関わらず、どうして周りは静かなんだ?
綾子は辺りを見渡す。本来そこそこ人通りのある道には、今は誰もいない。それどころかビルをはじめとした近くの建物らにも人の気配が全く感じられなかった。なんせ電気がついてないのだ、暗い建物中に人がいる道理がない。
学校を出てまだ一時間、つまり時刻は九時程度。この時間帯で、否、どんな時間であれ新都において人が全くいなくなるだなんてことは起こる筈がないのだ。しかし、その有り得る筈のない出来事が今起きている。
「……そのまま走り去ってくれれば見逃してもよかったのですが、仕方ない」
綾子が走ってきた方向から淡泊な女性の声が聞こえてくる。振り返ると、十五メートルほど先に黒いスーツを着こなした長身の女性が見えた。
自分以外に人がいた事に驚きつつも、素直には喜べなかった。その女性は手にグローブをはめながら、ゆっくりとこちらに距離を詰めてくる。
綾子が喜べなかった理由が彼女の瞳にあった。
無感情な目が綾子を射抜くが、その眼に綾子は映ってない。それが綾子には末恐ろしく思えたのだ。その眼はまるでそう、以前綾子がスーパーのバイトで見た精肉を解体する店員と全く同じだったから。
「あ、アンタは―――」
誰かと、そう問おうとした。周囲には誰もいない新都、そして意味深な言葉と共に現れた男装の麗人。答えなんて分かり切っているのに、綾子はそれでも問いかけようとしたのだ。
だが男装の女性はそんなことすら許さなかった。
有無を言わせぬ圧力が綾子を襲う。それだけで綾子は言葉を詰まらせた。圧力の源である女性は拳を握り、一呼吸で綾子との距離を詰めた。もはや人の膂力を無視した速度に、綾子は
「このっ!!」
直立した状態から横に飛び込むことが出来たのは、弛まぬ彼女の鍛錬のお陰だろう。回転の後、綾子の元居た位置から凄まじい轟音と打撃音が彼女の耳に叩き付けられた。
―――ほらね、この人も人をやめてる。
男装の女性が何をしたのかは見なくとも分かった。
今の音は拳によって生じた打撃、英語ではこれをパンチという。ただし綾子の知るパンチとは何もかもが違う。まず拳はアスファルトを砕かない。そしていくらグローブをしているとはいえ、それだけの力が籠った拳が無傷というのも納得できない。
しかし現に暗い赤色の髪を持つ女性は特に苦悶の表情を見せることなく、あろうことか自力でアスファルトに突き刺さった拳を抜いていた。その拳はやはり全くの無傷で、微かにグローブが光っていた。
男装の女性が地面から手を引き抜いている間に、綾子は許される範囲まで距離を取った。下手に距離を離すとかえって危ない。
あの女は獣だ。ただ殺す理由が本物の獣と違うだけであって、根本的な部分で今のあの女の行動原理は殺すことにある。故に彼女の間合いから離れすぎてしまってはならない。
あくまでも間合いというのは獣が獲物を仕留めるために用意した領域である。つまり獣の領域から離れるという事は、獣に再度距離を詰められてということだ。そして綾子が追撃を受けたとして、それをもう一度無傷で凌げるという保証はどこにもない。
「驚いた、咄嗟の判断で躱されるような温い一撃ではなかった筈ですが……ただの一般の方ではないようですね」
無感情だった瞳に、ほんの僅かばかりの熱が帯びる。どうやら下手に助かったのが彼女のプライドに火をつけたらしい。
とはいえ、女性の言う一般の方というのが文字通りの意味を示すというのならば、美綴綾子という女子は間違いなくそれだ。幼い頃に少しばかりの非日常と武道を経験しただけの、本当に何の特異性も持たない女子高生なのだ。
だからこんな異常な空間で綾子が誰かに殺される理由なんてない。
「……あたし、一応穂群原学園の一般的な女子生徒だと思うけど?」
なんなら笑い飛ばして軽口をたたく。綾子にとって死による恐怖はこれで二度目だ。だからといって慣れた訳ではないが、それでもパニックを起こして何も出来なくなるだなんて事態にはならない。
それは十年前の出来事、そして何よりも彼女の持ち合わせる精神力が為せる業。
恐怖は押し殺し、押し寄せる緊張はねじ伏せる。代わりに心の底から湧き出てくる興奮の波には身を任せ、自身を奮い立たせる。今、美綴綾子に出来るのはそんなことだけだ。
「呼吸が整った? それにこの古いルーンの反応。成程、貴女の力の源は
納得したように呟くのは男装の麗人。彼女はグローブを嵌め直し、恐らくは次の攻撃のために備えている。彼女の視線は綾子の手にある
そして綾子が持っている物と言ったら一つしかない。
「……お守り」
先の鋭い黒い鉄杭。綾子がお守り代わりにしているこの杭は、確かに触れているだけで安心する。女性の言っていることの半分は理解できないが、この杭が今まで自分を助けてきたのだという事は分かった。それだけで嬉しい気持ちになる。
だが、この気分を生み出したのが男装の女性ならば、この気分をぶち壊したのもまた彼女だった。
「一体如何な愚か者がその神秘を施したのかは知りませんが、ええ。なおさら貴女を生かしておく訳にはいかなくなりました」
「……最初から生かす気なんてなかったくせに」
少しだけ、腹が立った。自分が殺されるのは百歩譲っても嫌だが、何も知らない他人にあの人を貶されるのはもっと嫌だ。そして何よりも、何が何だか分からない内に殺されるだなんて有り得ない。
故に、背を向けた。
美綴綾子はその短い生涯を通じて、いかなる戦いであっても逃げるという行為だけは避けてきた。勝ち負け関係なく、綾子は性分として勝負事から背を向けるのが嫌だったのだ。しかし今回ばかりは話が違う。この戦いは自身の命がかかっている。それはすなわち、負ければ死に直結するということ。
そして人として当然の欲求として、綾子はまだ死にたくない。勝ち目のない勝負はしたくない。だから綾子は迷わず背を向け、全速力で敵から距離を離した。
「窮したかっ!!」
後ろからあの女性の怒声が耳に届く。少しだけ驚いた。今まで恐いくらい淡々と言葉を紡いできたあの女が、まさかこうも激昂するとは。しかし心当たりはある。
恐らく武人として、綾子のとった逃走という手段は気に食わなかったのかもしれない。同じような状況で、同じような事をされたら綾子だってよい気分にはならない。もっともあの女が何を思おうが、今の綾子にとってはどうでもいい話だ。というか一方的に殺しに掛かってきた癖して一体何を怒っているのだか。そういうのを世間では理不尽と言う。
「―――っ」
鋭く風を切る音が聞こえる。物凄い速度で距離を詰めているのが背中越しでも伝わってくる。接触まであと三秒もない。その時、変に冷えた汗が額に流れた。
あの時、もしあの拳に何の対応もしなかったならば、綾子は物言わぬ肉塊と化していたに違いない。信じられないがそれだけの威力があの女性の拳にはある。故に綾子は絶対に女性の一撃を食らってはならない。しかしそれがどれだけの難題であるかを綾子は知っている。
速さ、威力、技量。全てにおいて綾子はあの女に劣っている。真正面から戦うのは得策ではないとして、かといって背を向ければすぐに捉えられた後に瞬殺される。一見、詰んでいるかのように見えるこの状況で、綾子にはある策があった。
―――威力、速度で負けてるのなら、争わなければいい。
そういう武術が日本には存在する。二十世紀、昭和二十三年にて創始された極力相手との力の衝突を避け、効率よく相手を制する業。その武術の名を―――
「合気道、ですか」
迫りくる拳をいなしたと確信した。半ば運に頼ったタイミングで振り返り、裏拳で流れるように相手の拳の道を作り、カウンターのための布石を用意する。綾子が想像していたシチュエーションがそれだ。
しかしどうだろう、現実として綾子の視界は明滅している。何が起こったのか分からなかった。ただ腹部から酷い激痛がするだけ。
酸素が足りない。呼吸が出来ないからだ。息を吸おうとしても、身体の内側がそれを拒む様に空気を取り込ませてくれない。この現象には覚えがある。キャッチボールでボールを取り損ね、そのボールが鳩尾に直撃した時に感じたあの息苦しさと一緒だ。
ただし、全身に駆け回るこの激痛は日常の微笑ましい一面なんかの比ではない。起き上がることすら億劫で、白くぼやけた視界の奥に移るのはゆっくりこちらに歩いてくるあのスーツの女。
「っは、っく、っはぁっ」
無様だ。ようやく自分の置かれた状況が分かった。
―――あたし、吹き飛ばされたんだ。
なんて出鱈目なんだろう。綾子は結局の所、あの女の拳を防ぐことなど出来なかったのだ。多少天運に任せたとはいえ、自分でも自画自賛したいくらい完璧な合気だった筈だ。それがどうして、予想と正反対な事態になってしまったのか。
「自惚れないでください。そんな小手先だけの技術で私を何とか出来る訳がないでしょう。良い判断だったのは認めますが、それだけです」
事実、綾子が女性の一撃を受けてなお生きながらえているのは、彼女の反撃が全くの無意味では無かったからだ。ある程度威力を抑え、その上で綾子は殴り飛ばされたのである。
その距離はおよそ三十メートルほど。それだけの距離を綾子は飛んだ訳だ。あまりに馬鹿馬鹿しくて、笑いたくなってくる。大体地面を砕くって何だ。どうしてそんな化け物染みた行為が平然と出来るのか。
ああ、馬鹿馬鹿しい。
「……そのまま大人しく、安らかにして下さい。抵抗しなければ一瞬です」
何かを言っている。スーツの女が足元までたどり着き、拳を振り上げているのが微かに見えた。
痛みで脳が働かない。いや、激痛の処理に追われて一時的に外部に対する機能を失っているだけだ。だから考えることは何とか出来る。
「っぐう、うう」
殺される。きっと殺される。何を言っているのかは分からなくとも、どんなことを話してるかは見当がつく。
―――ああ、理解できない。
ふざけているとしか言いようがない。あの時、確かに助けられたのだ。助けられたのに、お礼も言わずに勝手に死ぬだなんて許されない。
また頭にきた。
死にたくない。死にたい筈がない。こんな、簡単に人を殺す様な奴なんかに、こんなところで、何の意味もなく死んでやるものか――――――!!
「……っな!?」
それは、本当に、魔法の様に現れた。
目も眩む光の中、その存在は丁度二人の間に現れた。
綾子は懐かしくも見覚えのある後ろ姿。スーツの女にとっては新たなる脅威。
女性と影が衝突する。正確には歪な剣を持った影が女性の方に踏み込んだ。ガキン、という金属同士がかち合った音が響く。押し負けたのは女の方。今度は彼女が二十メートル近く吹き飛ばされ、不利と悟ったのかそれを利用して更に距離を取った。
「……」
この瞬間を待ち望んでいたというのに、何の言葉も出ない。それは、あまりにも突然過ぎて、恐らくは生涯で一番混乱していたからだと思う。
「――――――」
突如として現れた影は、黒い外套を纏った男性だった。何かを呟いた後、その男は綾子に振り返って―――
「形式だから聞かせてもらうよ。君が俺のマスターかな」
どうも、呼符三枚でジャンヌ当てました(挨拶)
お陰様で総合評価が3000を超えました!
いやーこんな拙い文でも美綴たんがヒロインだと伸びるんですねーw
誰か他にも美綴たんヒロインのイチャラブストーリー書いてくれないかな(チラッチラ
最後に、いつも誤字報告をして下さる皆様、楽しい感想を送ってくれる読者の皆様にはこの場を借りて感謝を。
本当にありがとうございます!