Dies irae ~Unlimited desire~ 作:ROGOSS
陽が落ちる寸前のほんの数刻の時。
世界が淡い暖色で染まるその時間を人は黄昏時という。
あの世とこの世が最も近くなり、2つの世界の狭間となる僅かな刹那。
永遠の黄昏に染まる浜辺で少女は歌を歌い続けている。
フランス語だろうか。
消え入りそうな声でありながらも、美しくも繊細な歌声は意味は分からずとも不吉な内容だということを予感させた。
「血、血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう飲み物を。ギロチンの渇きを癒すために。
血、血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう飲み物を。ギロチンの渇きを癒すために」
永遠に繰り返されるフレーズ。
悲しいことに彼女はそこしか知らず、その意味を知らない。ギロチンのもとに生まれ、ギロチンに殺された忌み子。無知な彼女を人々は恐れ、虐げ続けた。
たった一人を除いて……
彼女にゆっくりとメルクリウスは歩み寄っていく。
その恰好は、相も変わらずみすぼらしいものだ。
「あぁ、
「カリオストロ……?」
マルグリッドは歌うのをやめると目の前でかしずくメルクリウスへ目を向けた。
久々に誰かと話すことができる。
純真無垢な彼女は何も知らない、何も知ることができない。白いマルグリッドはカリオストロの帰還を心の底から喜んでいた。
「おかえり! やっと放浪はやめたんだね」
「ふふ、私にとってあなた以外に信仰に忠誠に値するお方などいない」
「言っている意味がよくわからないよ?」
「ご安心を、この私がすべての演出をお引き受けいたします。あなたはただ、時が満ちるまでその歌声を人々の声を癒してくれれば……それが女神であるが故のつとめ」
「女神? 私は神様じゃないよ?」
彼女はニコリと笑いながら答える。
彼女は知らない。自分が歩んできた人生の過程と結果を。なぜ殺されなければいけないのか、なぜ嫌われなければいけないのか。最後の瞬間まで、呪いの歌を歌い続けた彼女は、既知感でしかない世界を生き続けるメルクリウスにとって想定外でありイレギュラーであり、だからこその女神だった。
「私は代替を通じて世界を変えようと試みた。だが、存外うまくはいかないのが世の常。それでも積み重ねてきたものは嘘はつかない」
メルクリウスはマルグリッドの手を取った。
マルグリッドは目を丸くしながらも、されるがままだった。メルクリウスは柔らかな手の甲にキスをすると微笑を浮かべる。
「もう間もなく、あなたが主役の歌劇が始まります」
「主役? 私にはできないよ?」
「いいえ、あなたにしかできないのです。あなたの相方は少々役不足かもしれませんが、豪華な配役に変わりはない。あなたの出番はもしかしたら無いかもしれませんが、お楽しみになられますよ」
「楽しいの?」
「それはもちろん。あなたのために創り上げるのですから」
「嬉しい、ありがとうカリオストロ」
マルグリッドはまぶしいほどの笑顔をメルクリウスへ向ける。
心なしかその時だけ、メルクリウスに浮かぶ笑顔にも混ざり物がない無垢ものだった。
まもなく終幕の時を迎えようとしていた。
○●○●○
一層強く感じる不快感、嫌悪感に士郎は壁にもたれかかった。
シャルロットととの闘いから数日が過ぎていた。あの日から続く痛みは日を増すごとに強くなっていった。
あれからベアトリスとは会っていない。櫻井も忙しいといったまま、家を空けていた。
ヴァレリアが告げた言葉が不意に頭によぎる。
大隊長。
その言葉から今まで戦ってきた騎士団よりも強力であることは明白だった。
だとしても、逃げることなど考えていないし、許されてもいなかった。
士郎が信じる道を進みために置いてきた者をないがしろにはできない。
拘り過ぎてはいけないが、忘れてはいけない。それは勝者に対する義務だった。
「衛宮君」
考えに気を取られていたせいか、いつの間にか目の前に立っていたベアトリスの存在に気づくことができなかった。
気まずさからか、思わず目を背ける。
「俺は、シャルロットを……」
「いいの。いつかこうなるかもしれないってことはわかってた。仲間と争ってでも、殺しあってでもこの理想を願いを叶える必要があるの」
「ベアトリス……」
初めて彼女の顔を見る。
その目は潤んでいるものの、怒っているのか悲しんでいるのか判断がつけられなかった。
「私たちにとってまずい状況になったわ」
「そんなに強いのか?」
「正直大隊長クラスになると私でも想像がつかない。ただ、強い。その一言だけなの」
「それでも負けられない。退くわけにはいかない」
「そうよ、最後まで付き合ってくれるわよね?」
「あぁ、それが俺の意思だ」
「ありがとう」
そうつぶやくとベアトリスは歩き出した。
彼女もまた決心を固めるため士郎に会いに行ったのだ。
そして士郎も歩き始める。それぞれに待ち受ける戦場へ赴くために。
これ以上の被害を出さぬため、敬愛すべき仲間を救うため、士郎とベアトリスに求められているものは過酷すぎるものだとしてもその足を止めるわけにはいかなかった。