今日中に次話を投稿できるように努めます。
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「やっぱり珍しいよね。翔くんが風邪を引くなんて」
ガンガンと痛む頭を押さえて僕はベッドにぐったりと体を沈める。
瞼がカイロの様に熱くなり、目を開けているのも辛い。いや、瞼だけじゃなくて耳、鼻、頬、おでこ、顔全体から体に至るまで、まるで自分がストーブになったかの様に感じる。
「まだ五月になってないからさ、ちょっと寒かったんだね……」
ゴホゴホと咳込みながら僕は応えた。
丁度昨日、学校の帰りに雨が降り出した。
明菜は置き傘をしていたから大丈夫だったけれど、僕は特にそういった準備もなかった。だから雨の中を走って帰った。
桜も散って五月のすぐ手前。そんな時期でも雨は冷たく、三寒四温が続いた後というのもあって体調が崩しやすくなっていたのだろう。
「私の傘に一緒に入ろうって言ったのになぁ」
「つい一昨日に、黒板にでっかく相合傘を書かれて泣き顔になってたのは誰?」
「いひゃいよぉ」
ぐにーっと頬を引っ張る。痛くなんかないくせに。
熱で弱った僕には痛い思いをさせるほどの力なんてない。あってもそこまではしないけれど。
わざわざ痛いなんて言って僕をからかう算段は見え見えだ。
「またクラスのやつらにからかわれる口実を作りたくなかったんだよ。誰かさんがまた泣いちゃうでしょ?クラス会議なんてやだよ僕は」
「えへへ……」
明菜が舌を出してペロリと笑う。
この悪戯そうな顔をして実際に悪戯をする明菜は質が悪い。よっぽどのことじゃなきゃ僕は許してしまうからだ。本気になって怒ったことはあんまりない。
ふうと溜め息を吐いてまた咳込む。
僕の咳と一緒に『一緒の傘に入りたくなかった理由』が出てしまわないように用心した。
「別に傘に入ったっていいじゃん。通学路、私たちと同じ道の人いないよ?」
「…………」
目を瞑って寝返りをうち、明菜に背を向ける。
風邪とは別に真っ赤になっている顔を見せたくなかった。そうした理由は、『一緒の傘に入りたくなかった理由』と同じだ。
「……移るかも知れないから家に帰りなよ」
「やーだよ。だってこんな機会、次は何時だか分からないもん。私が風邪引く度に翔くんからからかわれた分、今日できっちり返すんだから」
そういうと明菜はリンゴと包丁を取り出して、手際よく皮を剥き出した。
「明菜って料理出来たっけ?」
「結構得意なんだから」
そういいながら真剣に包丁を操って、デザインカットでウサギを作って見せた。
「はい、ウサギさん!」
「…………。普通に向くより、作り方分かってればウサギの方が簡単って知ってた?」
「もうっ!」
「ムガッ!?」
思い切りウサギを口の中に突っ込まれた。
ビックリしたけれど、リンゴの冷たさと酸味が熱を出している僕には心地よかった。
「今日は私がからかう番なの!」
「看病してよ……」
頬をぷくっと膨らませて怒る明菜を見ていると、何だか元気が出て来た。
本当ならこうやって喋るのも辛いはずなのに、そんなの気にならない程に。
看病してよ、なんて言ったけど、明菜が側にいるだけで風邪なんてすぐに治ってしまいそうだ。側にいるだけで僕にとっての看病なんだな、きっと。
そんな僕の表情を察したのか、膨らんだ頬は萎んで、その代わりに小さなえくぼが出来ていた。
「お母さんがいたら、こんな風にリンゴとか剥いて看病してくれるのかな……」
「お母さんなんだから当然だよっ」
「なんでそんなことが分かるの?」
「優しそうな人だったし、私も同じ女の子だから分かるよ」
「どうかな。仕事とはいえ、僕をおいて冥王星まで行っちゃう人だよ?」
「ボイジャー計画……だっけ?」
「うん。お父さんがそう言ってた。あ、他の人にはこのこと言ってないよね?」
「極秘任務なんでしょ?勿論誰にも言ってないよっ」
お母さんは僕が4歳の頃、ISSで仕事をしていて、その過程でボイジャー計画、太陽系外縁への調査飛行の為に、宇宙の向こう側へ行ってしまった。
それは長い長い旅路で、片道で9年もかかる旅らしい。
帰ってくる頃には僕はもう大人で、その成長を見られないのは悲しいと言っていたらしい。
「そんな大変な仕事をしてるお母さんだから、翔くんも憧れてるんでしょ?宇宙飛行士に」
憧れている。お母さんみたいなかっこいい宇宙飛行士に憧れた。けれど、僕の本当の気持ちは違うんだ。
そんな風に頑張るお母さんを助けて上げたい。迎えに行くには、きっと宇宙に出た方が手っ取り早いと考えたから。
そんな純粋な気持ちだ。
でもマザコンなんて思われたくなかったから隠している。3年生にもなってお母さんお母さんと言うのは、なんだか気が引けた。
「そうだ!お粥作って上げるよ。きっと翔くんのお父さん帰ってくるの遅いでしょ?」
ベッドの脇に置いた椅子から立ち上がり、明菜は部屋を後にしようとした。
体が無意識に動いた。
気づけば明菜のスカートの裾を掴んでいた。
「大丈夫だよ。今日は食欲ないから、リンゴ食べたら薬飲んで寝るよ。だからさ、その…………」
明菜は僕の顔を見ると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「えへへ、どうしたの翔くん。ここにいて欲しいの?さっきは帰れって言ったじゃん」
「うっ…………」
こうやって弱ってベッドに伏してると、どうして本心を隠せないのだろうか。
明菜は体が弱くて病気がちだからここにいるのはよくない。移してしまったら、多分僕より酷い病状になる。だからさっき言った帰れというのは本心に違いはない。
でももう一つの心は違うんだ。
一人でいるのが心細かった。
「大丈夫だよ。私も家に帰ったら手洗いうがいして薬を飲むよ。だから今日はゆっくり眠って、明日一緒に学校に行こうよ。ね?」
スカートを掴んだ僕の手を優しく両手で包んでまた咳に座る。
明菜の手が冷たくて気持ちがいい。
また明日ね、と明菜の口元が動くのを最後に、僕は夢もない眠りに落ちた。
目が覚めたら、きっと明菜はいないだろうけど、また会えるからそれでいいんだ。
楽になった心も、ゆったりとベッドに沈めた。
◇
翔くんから離れてすぐ、フォグとヘイルと呼ばれた二人がこっちに来た。
早速私の目論みは外れてしまった。
翔くんと桜花ならきっと一人を相手にするくらいならどうってことはないだろうと考えて、今は自分がどうするべきか考えることにした。
今の自分に何ができる?
武器なんて持ってない。戦闘技術だって、IS学園に入学してから競技用として学ぶつもりだったものだから、てんでなっていない。本当に私ってダメなんだな……。
いや、ダメなのは諦めることだ。頭をもっと回しなさい明菜!
「そんなバカでかいもの背負って戦うとか舐めてるんッスか?」
「私らは楽勝だって!?」
「上等!ボコボコのボコにしてやるッスよぉ!」
無数のミサイルと粒子弾が飛んでくる。
肝を冷やすなんてものじゃない!ミサイルはまだいいとして、粒子弾は当たれば絶対防御を抜いてダメージを受ける!
「イチかバチか!三橋のみんな、ごめんなさい!」
「あっぶねぇ!」
「あーもう滅茶苦茶だって!」
もう無我夢中だった。
拡張領域内に入っていた機材を手当たり次第に投げつける。ISの膂力で投げつけられるそれは、火器に及ばずとも並大抵の威力ではないはずだ。
こうやって牽制しながら時間を出来る限り稼ぐしかなかった。
けれども段々と速度が低下していく。桜花から降りたことで既存の秋桜の速度まで落ちてきているからだ。
このままじゃ本当にマズい……!
まだ2分と経ってないのに、万策尽きちゃうの?
「フォグ!私のグレーレちゃんの邪魔をしないでって!フォグのそれのせいで当たらないって!」
「正確無比な
ってあれ?仲間割れ?
「私の『
「私の『
私がバレルロールや捻り込みなどの不規則な動きで撹乱しながら逃げてると、オープンチャンネルで喧嘩をしているのが聞こえる。
これってもしかして、チャンス?もしかして翔くんの方に向かったガストって呼ばれるテロリストがいないと連携が成り立たないのかな……?
でもチャンスと言っても、もう拡張領域に投げつけるものはないし……。
いや、まだ一つだけ残ってる。それに向こうは今油断してる。
今ならやれる!
そう踏み切って、一気に秋桜を急降下させる。テロリスト二人は私の行動に一瞬だけ反応が遅れた。
「待て!逃がすものかッス!」
テロリストの、フォグの方が私に向かってほぼ直角に瞬時加速をして追いかけてきた。
よし、今だっ!
「っっせいっ!」
「グエッ!?」
「フォグ!?」
急降下を止め、フォグに向かって瞬時加速をする。
フォグのIS、確か『スペクテル・ネーヴォア』って言ったっけ。あれは私を背負った桜花の速度、マッハ2について来れていた。つまり、軍用IS並の機動性を持っている。だから瞬時加速すればマッハ3近い速度が出るはずだ。
秋桜はISとしては機動力が低いが、それでも瞬時加速でギリギリ音速に到達する。
つまり相対速度だとマッハ4の速度で重さ5トンの『ビッグディッパー』をフォグにぶつけた。
スペースダストの衝突にもある程度耐える、この頑丈宇宙探査機に衝突するのだ。いくらISといえども、このダメージはバカにならないはず………!
そして見事に作戦が成功し、打ち所が悪く気絶したのかフォグが衝撃でバラバラになった『ビッグディッパー』と一緒に海へ落ちていく。
「よし……!」
私もやればできるものだ!
あとは目の前のもう1人のテロリスト、ヘイルだ。
私は自分で責任を果たしかけている。このままもう1人も……。
「……油断したとはいえ、フォグを落としたって。そっか、もう遊んでられそうにないって」
はっとして、ヘイルの方を見やる。
「ーーーーーーっ!?」
一瞬、自分の喉元に冷たい手が触れるような感覚に陥った。
今までとは全く違う。ゲラゲラ笑いながら、よく分からない口喧嘩をしながらとか、そういう雰囲気は完全に霧散していた。
「女の方は生死を問わないって言われてたな。ISコアと集積情報さえ手に入ればいいんだっけ?」
「あー。目がチカチカする。寸でのところで持ち直したッス。本当に気絶するところだったッスよ」
心の中で恐怖心がけたたましい警鐘を打ち鳴らす。
私の考えが甘かった!
それに海に落ちたはずのフォグが帰って来た。フォグを戦闘不能にすら出来ていない。
私の見せた意地の抵抗は、ただ単にテロリストを本気にさせるだけのものでしかなかった。
「結構痛かったッスよ。左腕が折れちまったッスよ。わかるッスか?この痛さ」
逃げなきゃ。
とにかく逃げなきゃいけない!
瞬時加速でまた逃げようとする。けれど既に私の退路は塞がれていた。
「きゃぁっ!?」
私が向かった先からミサイルが飛んでくる。それを避けることが出来ずに被弾してしまう。
そして爆風で吹き飛ばされた方向からもミサイルが飛んでくる。私はお手玉をされるように何度も被弾した。
「な、何……これ……!」
「冥土の土産だ。グレーレはPICを搭載した小型ミサイル。イメージ・インターフェースによってミサイルの機動を自在に帰ることが出来るんだよ。だからほら!」
またミサイルを無数に飛ばしてくる。
それらは空中で停止したり、直角に曲がったり、後進したりと本当に自由な機動を描いている。
そしてそれが正確無比に私へ向かってくる。
「こういうことができるんだよ!」
その殆どが私を射抜き、もう既に秋桜のシールドエネルギーは2割しか残っていない。
なんとかこのお手玉状態を脱しようと試みて、スラスターを全力で吹かした。
「うわぁぁっ!!」
私の横を粒子弾が掠めて行った。
掠めて行ったのは私の左腕。そこは既にミサイルで装甲がなくなっていた。
そんなところを掠めて行ったのだから、絶対防御が発動した。
そして粒子弾の熱量が絶対防御を超えて肉体にダメージが入った。
「ぁぁああああ!!」
痛い!痛い!痛い!
左腕は大火傷をして皮膚が爛れている。
ここまで酷いと本当は痛みなんてないはずが、視界からの情報がそれを補ってしまっている。
首の皮一枚で何とか意識は保っている。でも、それはもう限界。
どうして私たちなの?どうしてこんな目に合わなきゃいけないの?
どうして……?
「左腕をやれたッスか?狙い通りッスね。目には目を、歯には歯を、左腕には左腕ッスからね」
シールドエネルギーはさっきの粒子弾の被弾でゼロになった。
もう秋桜には空を飛ぶちからも残っていない。
私は重力に任せて落下していくしかないんだ。
このあとどうなっちゃうんだろ?
死んじゃうのかな?
自分の責任も果たせないで?
そんなのヤダよ……。
翔くん、ごめんね。私、何もできなかったよ。
もう一度会いたいよ……。
私は逆らうことなく、自分の意識を手放した。
◇
風が吹き荒れ雨が降り、波がうねる海を一人の女が浮いていた。
ボディースーツに包まれた褐色の肌に長身長髪。スタイルは抜群なのではないだろうか。
だが、顔は非常に不細工なことになっている。いや、それだけ怪我が酷いのだろう。
鼻は折れ、右目は溢れて歯はすべて無くなっている。頭から多量の血も漏れ出しているから、頭蓋骨も割れているだろう。
ガストと呼ばれるこの女は、桜花を駆る翔に負けたのだ。
秒速8キロメートルの速さで張り手を顔に受けたのだ。生きているのが幸いである。
いや、ISの絶対防御によって寸でのところで命が繋ぎ止められているのだ。
今もISを展開しているのだが、装甲という装甲すべてが剥がれ落ち、展開していない時と変わらない姿になってしまっている。
それだけ衝撃が強かったのだろう。
「見つけたッスよガスト。帰投するッス」
ISが海中から姿を表した。フォグだ。
フォグの肩には外傷は見当たらないが、意識のないヘイルが担がれている。
「…………」
「その顔、あいつにやられたんッスね」
歯を全て失っているせいで話せないでいるガストの状況を察したフォグは、一言口にするとガストをもう片方の肩に担いで飛び出した。
「任務は失敗。原因は我々の油断と、目標の持つ戦闘能力が想定外であったこと。こう報告するしかないッス」
真面目な表情でそう告げた。
「ヘイルもこの通り、完全に伸びちまってるッス。間が悪かったんッスよ、あたしら」
肩に担いだヘイルをぶらぶらと揺すってガストに見せる。
「もうナノマシンの残量がないッスから、ステルスも交信妨害もできなくなるッス。米軍に捕捉される前にとっととずらかるッスから、ちっと歯を食い縛っといて欲しいッス」
まあその歯じゃ食い縛れないッスけどね、と余計な一言を付け加えるフォグを完全に無視して、ガストは空の一点を睨み付ける。
その眼は何処までも鈍く暗く、呪い殺さんとするものである。
「そーんな睨んでも何もならねぇッスよ。今は回復を優先するッス。はぁー……。あんなのの情報ゲットしたところで、どうしろって言うんッスかね、うちらのボスは」
フォグは空を仰ぎながら、そうぼやいた。
嵐の中からはもう抜けていて、空には青空が広がっている。