「はあっ……はあっ……」
満月が綺麗な夜、男は何かから逃げるように走っていた。
走っている廊下に明かりはついておらず、頼りになるのは月の光だけ。足元がよく見えず、何度も転びそうになるが、それでも男は逃げ続ける。
「くそッ!警備の連中は何をしていた!金を払って雇ってるのに給料分の働きもしないゴミどもが!」
彼は走りながら行き場のない苛立ちを発散させるように叫んだ。
それは突然のことだったのだ。
いつものようにベッドに横になりさあ寝ようとしたところ窓が割れ、不審者が入ってきた。彼には力がある。武力的な力ではない。政治的な力である。
だから彼はいつも強気でいた。政治的な、社会的な力を見せれば誰もが自分に従うようになったから。
だから今回も同じように強気に出た。
しかし今回は相手が悪かった。そいつは有無を言わさず剣を抜き切りかかってきたのだ。
その攻撃は横に飛んでなんとか避けることができた。
しかし彼にこいつにいつものやり方が効かないと悟らせるには十分だった。
そしてこの男は尻尾巻いて逃げてきたのである。
「あれは……」
男は雇った傭兵の元へ走っていた。そいつらに守ってもらおうと思っていたのだ。
彼らがいるはずの場所に向かうと、彼らは壁にもたれかかって座っていた。
「おい!敵だ!何を寝ているんだ!私を守れ!」
彼らが寝ていると思った男は傭兵の一人の肩を揺らす。
(まったく仕事中に寝るとは何事か!)
まったく反応を見せないのに苛立ち思いっきり押すとーー
「……え?」
傭兵はなんの抵抗も見せずにたおれ、恐怖に染まったまま動かなくなった顔を男に向けた。
「くそッ!」
ここにいても無駄だと気付きまた逃げ出す。
どこに逃げても無駄だと頭の奥ではわかっているのに。
「まったく、手間かけさせんじゃねえよ」
その声と同時に誰かが男の前に降り立った。
「ヒッ」
男は突然現れた何者かに驚き、恐れ尻餅をつく。
「俺だって暇じゃないんだ。あまり時間を取らせるなよ、おっさん」
そういって現れた青年は腰の鞘から剣を抜き男に向ける。
「ま、待て!金ならやる!他にもなんでもやるからーー」
「御託はいい。後悔はあの世でするんだな」
「まーー」
「死ね」
青年は男の言葉を最後まで聞くことなく横一文字に剣を振り抜いた。
その剣筋はまっすぐ男の首に刺さり血が噴き出す。
しかも首を切っているからその量は決して少なくはない。
誰が見ても明らかな即死である。
「くそ……思いっきり浴びちゃったよ」
その男は返り血を全身、とまでは行かずとも身体の3分の1赤く染まる程度には浴びていた。
血に濡れて青白い刃が赤く染まった剣を左上から右下に振りって血を飛ばし、鞘に収める。
「首を断ち切るつもりでやったんだけどな……やっぱり力をつけないとダメか」
青年は男の死などまるでなんでもないかのように振る舞う。それが日常であるかのように。それが当たり前であるかのように。
「よくも!覚悟!」
「死ねぇぇえええ!」
すると、そこに二人の傭兵が青年の背後から切りかかる。
(やり損ねてたのか?)
それでも青年は慌てない。なぜなら全然対処できることだからだ。
しかし彼がどうにかする必要もなくーー
「ぐあっ」
二人の男は別の男に殺された。
「あぶなかったなリョート。いつも言ってるだろ。ターゲットを殺しても気を抜くなって」
「抜いたつもりはありませんよジオさん。それに今の二人もちゃんと対処できましたし」
「そこは素直にありがとうございますでいいんだよ。相変わらずかわいくない部下だな」
そんな言葉とは裏腹に男の顔はどこか子供を見る親のようで、それほど不快には思っていないことがよくわかる。
「まあいい。もう仕事は終わったんだ。さっさとおさらばするぞ」
そういって男は窓を開けそこから逃げていく。
「わかりました」
青年もそれに続いて窓から出る。
その時に見た夜空はあの日に青年が決意した時と同じ空だった。
俺がスキアーソルには入って2年が経った。
そこに入ってからいろんなものが変わった。
生活、人間関係、実力。だが変わらないものもある。あの日にした決意は変わらずに俺の胸の中にあった。
スキアーソル
この国の数あるレジスタンスの内、最も国からの警戒が強い組織の1つ。
レジスタンスと言ってもほとんどの団体、集団はただ単に国からの命令を無視したり引きこもったりするだけ。実際に帝国を倒そうなんて奴らは本当にごく一部しか居ない。
そしてスキアーソルはそんな奴らが集まった集団だ。
そんなところに俺は拾われた。正直言って俺の復讐を達成するのにこれほど恵まれた環境はないだろう。ほかの強者に教えを請うことも出来るし、スキアーソルにいれば帝国の奴らを殺すことに関わることも出来る。
まさに絶好の場所だった。
スキアーソルは少数精鋭で現在の団員は5人。それに俺を含め6人となった。
この5人というのが無茶苦茶強いのだ。俺なんてここにやってきた当時だったら一歩も動かずに殺されるだろう。
それに加え、一人一つ神器を持っている。
神器ーーその名前の通り神の道具。
出処は誰も知らない、到底人間には理解できない仕組みを持った道具のことだ。
装飾品から武器、防具まで幅広くあるが、総じてこれを持っているだけで一騎当千の力を得ることができる。
この組織に入って2年が経ったわけだが、実際に国の人間を殺したのは二十人もいない。この殺したのはというのは俺の手でという意味ではない。組織全体で合わせて二十人いないのだ。
この組織の奴らは俺みたいに復讐のために皆殺し、という考え方ではなく悪い奴を懲らしめるなんていういわゆる義賊のような考え方で動く。
だから完全に悪と判断できなければ実行に移さない。
だが実際のところこの国の貴族、王族は本当にごく一部を除き全員クズ、何かしら悪に手を染めている。
だから俺はもう全員殺っちゃえばいいんじゃないか?なんておもっているわけだ。
もちろん口には出さないがな。
「おい、起きてるか?リョート」
扉越しに声がかけられる。もう朝か。どうやらぼーっとしていたようだ。
「はい、起きてますので待っててください。今行きます」
急いで身支度を整える。せっかく来てもらったんだ。待たせるのは悪い。
ドアを開けるとそこにいたのは無精髭を生やした大人の男。
「前から言ってますが、毎朝来てもらわなくていいですよ?④さん」
「何言ってるんだ。俺が世話役を任されたんだ。これくらい当然だ。」
「もう2年も前の話です。もうここでの生活に慣れたので必要ありませんよ」
それもそうだなとがはははと大口を開けて豪快に笑う。いや本当に男らしい人だ。まるで親父みたい。
俺に親父がいたらこんな感じだったんだろうか。
「それにどうせこのあと行く場所はお互い同じなんだ。一緒に行ったっていいだろう?」
「……そうですね。いきましょうか」
やってきたのはアジトの近くにある開けた空き地。というよりは実戦練習のために木を切り倒して開かせた、という方が適切か。
わざわざ未熟な俺のために作ってくれた場所だ
「じゃあ、始めるか」
「はい」
俺はいつもの青白い剣を、ジオさんは彼の持つ神器である赤黒い刀を抜き、構える。
俺とジオさんにとって朝の模擬戦はもはや日課になっていた。始まりは俺がここにきて3日ほどだった時俺がジオさんに戦闘の手ほどきをして欲しいと言ったことが始まりだ。
それからというもの任務がある日以外はこうして毎朝模擬戦をしている。
この模擬戦で木刀なんてものは使わない。ジオさんのなるべく実戦に近づけるという方針が原因だ。木刀だと模擬戦の死ぬことはないという安心感が実戦で影響してくるのだという。それに、木刀と本物では重さなど取り扱い方が変わってくる。だから俺たちの模擬戦はいつも実戦で使っている剣で行っていた。
「こっちの準備はOKだ。いつでもいいぜ」
「じゃあ……いきます!」
体制を低くし全力でダッシュし距離を詰める。勢いを殺さずに一撃。そのまま流れるように二撃、三撃と食らわせていく。相手に反撃の隙を与えないように連続で攻撃していく。
だが目の前の相手にそれは全く通用していなかった。
彼は剣の軌道に自分の刀を置くようにして防いでいく。ただ防ぐだけだったり、剣を滑らせるようにして受け流したりしていく。
しかもその間彼は一歩も動いていない。
これがジオさんと俺の実力の差だ。
「うーん。すこし威力が弱いな。ちゃんと筋トレしてるか?」
「して、ます、よ!」
「そうか、じゃあもっとしろ」
のんきにジオさんはこの状態でアドバイスまでしてくる。その余裕さが俺の神経を逆なでする。しかしこのアドバイスが的を得ているのだからまたタチが悪い。
ちなみにこの模擬戦が始まってから一定時間はジオさんは反撃はしてこない。ただ防御するだけだ。ひたすら俺の攻撃を防御し、受け流していく。
俺としてはこの間にすこしでも本人に動かせたいのだが、この2年やってきて一度もできたことはない。少なくとも覚えている限りは。
「よし、じゃあこっちからも行くぞ」
「ッ!」
今までのただ軌跡に刀を置くだけだった防御から一変し、刀をぶつけるようにして防御した。
それだけで俺は押し負け怯んでしまう。
刀というのは剣よりも刃の部分の幅が狭く、切れ味は鋭いが剣より威力は劣ると一般には言われている。
なのにこの人はなんで刀でここまでの力を出せるのだろうか。
剣で有利なはずの俺は一回やられただけで怯んで後ろに仰け反る。
そこを見逃すジオさんではない。
その隙をつかんと俺の体向けて刀が振り下ろされる。普通ならやられるところだがそんなことになるわけにはいかない。
剣を持っている右腕は先ほどの衝撃でとっさには動かすことができない。だから俺は体ことねじり剣をジオさんの刀にぶつける。
体ごと入ったので不恰好ながら威力はあったようだ。ジオさんもすこし仰け反る。
その間に俺は体制を立て直した。右腕の硬直はもう溶けた。ジオさんに斬りかかる。
そして反撃させないように連続での攻撃。さっきと違うところは反撃の隙を見つけ出そうとジオさんが目を光らせているところだろうか。
そしてまたジオさんとが弾き、俺が迎え撃つ。
同じようなことを繰り返しながら模擬戦の時間は過ぎていった。
「今日はもうそろそろ終わりにするか」
周りが完全に明るくなった頃、ジオさんからそんなことを言われた。
今はだいたい7時頃だろうか。1時間ほど模擬戦をやっていたことになる。
ジオさんはまるで今の模擬戦が大したことないとでも言うように平然としているが、俺は逆に肩で息をし完全にばてていた
「はあっ……はあっ……」
「全くだらしねぇなぁ。若いんだからもうちょっとしゃきっとしろ!」
「ジオさんこそ……どんな鍛え方したんですか」
「どうって……普通だよ」
普通でそんな風になってたまるか。そんなのだったらそこらじゅうに化け物だらけになる。
「これで全然本気じゃないんですから俺はあなたに追いつける気がしませんよ」
「まあ俺の本気は本当の実戦じゃないと出せないしな」
そう言って赤黒い刀を鞘に戻した。
神器『ブラッディア』
ジオさんの使う赤黒い刀だ。
この刀の最大の特徴は斬れば斬るほど力をつけることだ。正確に言えば血によって力をつける。
単純に力が上がるのに加え、血によって切れ味を上げ、リーチも長くする。
「それにお前の目的は力をつけることだろ?そんな弱気でどうする。力を求める理由は感心しないがな」
スキアーソルのメンバーには俺の目的ーー復讐のことは言ってある。とくに反応はなかった。この世界でそんなことを考えるはーー実際に実行に移すかどうかはまた別のことだがーーよくあることだからだ。
しかしそれが好まれるかどうかはまた別の話。
「お前には何度も言ってることだが復讐なんてしても意味はない。また別の悲しみが生まれ、復讐が生まれるだけだ」
「わかってますよそんなこと。これは俺の完全なエゴだ。そのことを自覚してる上で行動してるんです」
はぁ……とジオさんは深いため息を漏らした。
この人は復讐なんてことじゃなく、本当に国をよくしたくて戦っている人だ。俺にそんな眩しいことはできない。
俺の先輩であり、師匠であり、父親のような存在であるこの人に嫌われるのは辛いがこれだけは譲れない。これだけはやめるつもりはない。
これをやめた途端に生きる意味をなくしてしまいそうだから。
「このことを話しても平行線だ。もう飯の時間だ。いくぞ」
この話をするとかならずといっていいほどこの人と気まずくなる。
俺は黙ってジオさんの後ろを気まずい空気を連れてついていった。
「やっときたか。また模擬戦か?」
「たぶんそうです。いつものことじゃないかです」
「私が言えることじゃないけどお前ら戦闘狂だなー」
いつも俺たちが飯を食べる部屋に行くともう準備はできていて、人も三人いた。
「戦闘狂とはまたちがうぞ。これは強くなるための鍛錬だならな」
「同じじゃね?今度私も混ぜてくれよ」
「別に構いませんがただ暴れるだけはやめてくださいね?」
「そんなことしねーよ!」
俺の言葉に図星かほぼ逆ギレのような態度で返してくるレオさん。
正直うるさい。図星だったからって怒鳴るのはやめてくれないだろうか。短期すぎると嫌われると思う。
「団長。あと来てないのは?」
「ん?ああ、あと来てないのはユキナだけだ」
「またあいつかよ……」
「おいリク。どうだ?」
リクと呼ばれた包帯で目を隠した少年は面倒くさそうな顔をしながら手を耳に当てる。
「やっぱり部屋にいますです。この音は……まだ寝てるようです」
神器『ノイマー』ピアスのような形をした神器だ。装着者の聴力が常人の何百倍、いや下手をしたら何万倍にもなる。しかも自分の意思で調節することが可能なので完全に0にすることもできるし、どんな些細な音も聞き取ることができるようにもできる。
そして応用すれば聞くだけで周りの状況をすべて把握できるようになる。
目がないこいつが何の不自由もなく生活できているのはこのおかげだ。
「いつものことだが……リュート、頼めるか?」
「また俺ですか?」
「1番常識的な起こし方ができるのは君なんだ。頼むよ」
「はぁ……わかりました」
渋々了承し、彼女の部屋に向かう。
俺が渋々だが納得したのは団長の言ったことが間違っていることではないからだ。
俺もどちらかというと寝坊は多い方なのであの人たち全員に一度は起こされたことがあるがひどいものだった。
まず団長とジンさんととレオさん。彼らは暴力的すぎる。その性格から来るのかもしれないが、まず叫ぶ。それで起きなかったら殴る。これしかない。これをやるとユキナは無茶苦茶機嫌が悪くなって面倒くさい。
そしてリク。
あいつは逆にもうちょっと頑張って起こして欲しい。
あいつの起こし方は寝ているやつの体を何度かつつく。それで起きなかったら諦める。これだけだ。
これだとほぼ確実に起きないので却下。
俺はよくある少し強めに体を起きるまで揺らすというごく普通かつ安全でほぼ確実に起こすことができる。この能力を買われ、毎朝ユキナを起こすのは俺の役目になっている。
全くと言っていいほど嬉しくもないが。
というわけで俺は今ユキナの部屋の前にいる。
「ユキナ?起きてるか?」
とりあえず無駄とわかっていながらも扉越しに呼びかけてみる。案の定返事はない。というか今までにこの時点で返事が帰ってきた試しがない。
面倒くさく感じため息をつきながら中に入る。
「んぅ……すぅ、すぅ」
中にはやはりベッドで寝ているユキナ。
ベッドの下には衣服が脱ぎ散らかされている。ユキナは基本的に綺麗好きで服を脱いだままにしておくなんてありえない。
だからこれは夜に脱いだものだとわかる。
「はぁ……またか」
思わずため息が漏れる。
ベッドの上で寝ているユキナを見る。
やはり半裸だった。
服は先ほど脱ぎ散らかされたものなので来ておらずーーこちらはもともときていなかったのだろうーー上の下着も来ていなかった。赤黒く不気味な色だが手入れされた髪はベッドに投げ出され、それとは逆に真っ白な肌は窓から差し掛かる太陽の光を反射し宝石に負けないほどにキラキラと輝いていた
ここまでなら普通の半裸で寝る綺麗な少女だが、彼女が抱いている刀が強い違和感を抱かせる。
俺はそんな彼女の無防備な姿に顔を赤くし、 見たい欲求と見てはいけないという罪悪感の葛藤と戦っていたーー何てことはなかく、何の反応も見せず近づいた。
正直もう何度も見すぎて何とも思わない。
最初こそ顔を赤くして葛藤の末結局起こせなかった、なんてこともあったが今となっては彼女の裸など見ても何とも思わなくなった。
どうした俺の性欲。
「おい、起きろユキナ。朝だぞ」
「んん……あと25時間……」
「おいそれもう今日終わってるから。バカなこと言ってないで起きろ」
全然起きようとしないユキナの体を揺らすが、全然起きようとせず身をよじる。
わかるよその気持ち。起きたくないよな。寝るのは気持ちいいよな。
だけど起こさないと俺が怒られるんだ。俺のためにお前の幸せを壊させてもらおう。
そう思い一層強く体を揺らす。
するとユキナの抱えている剣が黒く光り、黒い煙のようなもやもやが出てきた。
それは俺を包みユキナの元へ引き込んだ。
煙の動きは決して早くなく、いつもなら避けることができただろう。でも今の俺はユキナが眠っているのもあり完全に油断していたので避けることができなかった。そして今俺はユキナに抱きしめられている体制にある。
神器『ユーべる』黒色の刀
効果は……よく知らない。
さっきのように黒い雲みたいなもやもやを出す時もあれば、切った相手の視界をなくしたりもする。
そもそもユキナは神器の効果をあまり使わない。それがただ使わなければ勝てないほどの相手が今の所いないのか、自分に負担がかかりすぎるとか何か理由があって使わないのかはわからない。だけどさっきのやつも軽そうに見えてこちらは全力で暴れても抜け出せないほど力も出るし、視界を奪うなんて芸当ができるあたりこの神器はとんでもない代物なのかもしれない。
まあ今はそんなことはどうでもいい。大事なのは今の状況だ。俺は確かにこいつの体を見ることに関しては悲しいことにもう慣れてしまってるわけだが、触れることに関してはまた別。揺らすために触れるならまだいいがこんなにがっつり触れたことなんてないのだ。
④さんくらいの大人になれば落ち着いて対処できるかもしれないが俺はまだ今年20になったばかり。もちろんそんなこととは無縁に生きてきたからまだ童貞だ。耐性だってできていない。
ではそんな奴がいきなり半裸の女性に抱きしめられたらどうなるか。
「なあっ!ちょ、ま……なんでこんな近……ぇえ!?」
まあ軽いパニックを起こすわけだ。
一気に顔が熱くなり鼓動が早くなる。今俺の顔は相当おかしなことになっているだろう。
「早く、離れないと……って何でこんなに力が強いんだ!」
軽く抱きしめているようでかなり力が強く、彼女の腕を掴んでどかそうにもビクともしない。こんな華奢な腕のどこにこんな力があるのだろうか。逆に俺を抱きしめる力が強くなりより彼女と密着することになる。
密着したことで彼女の体の感触をより感じるようになってしまった。どうして女性というのはこんなに柔らかくいい匂いがするのだろうか。
特別大きくもないが小さくもない彼女の女性特有の胸部の膨らみが押し付けられ理性の糸が切れそうになる。
そして目の前には彼女の顔。いやはや彼女の顔はじっくり見たことがなかったが、よく整っていることがわかる。
自然と視線が唇に行ってしまい変な思考を振り落とすように頭を回す。
しかしそんなことをしても結局今の状況は変わらないわけで、再び変な考えが頭に浮かぶ。まるで時間が何倍にも遅くなっているようにも感じた。
(もうなんか……このままでもいいかな)
俺もパニックになってだいぶおかしくなっていたのだろう、そんなことを考え始めた時ーー
「おーい、遅いから来たけど、どうしたん……」
ドアを開いてレオさんが話しかけてくるが、俺たちを見てまるで時が止まったかのように停止する。
もちろん突然の来訪者に驚いた俺も固まっている。
「………」
「………」
「すぅ……すぅ……」
両者が固まっている間ユキナの寝息だけが聞こえる。時間が何時間も止まっているかのように感じた。いや実際は10秒も経っていないのだが。
先に正気に戻ったのはレオさんだった。
彼女はフッと全てを悟ったかのように笑った。俺たちを見るその目はすべてわかってるからとでも言いたげだ。
「邪魔して悪かったな。じゃあ楽しんでな。あまりうるさくするなよ?」
それだけいって彼女は逃げるように去っていった。
「違う!誤解だ!違うからぁぁぁあああああ!」
朝のアジトに俺の叫び声が響き渡った。
「すぅ……すぅ……」
「お前も早く起きろ!」
「さて、朝っぱらからおっぱじめる発情期のやつも来たことだしーー」
「誤解です!」
「まあそれはどうでもいいんだが……」
いやどうでもよくない。俺の今後の扱いについて大いに影響する。そんな変態と思われちゃうやってけない。
ユキナが軽蔑の眼差しを俺に向けてるがお前のせいだからな?
「おいおいリョート。せめて俺たちが寝てからにしてくれないか?」
「どっちにしろやめてほしいのです。僕にとってはうるさくてしょうがないのです」
「やるのはいいけど鍵くらいかけろよなー」
他の三人も好き放題言っているが、断じてそんなことはしない。最初の頃はうっかり道を踏み外しそうになったがもうそんなことはない。
もう相手にするのも面倒なので無視することにした。
もう他の四人はご飯を食べ終えていて、残すのは俺たちだけになっていた。
これもいつもの日常だ。俺がユキナを起こしに行き、手間取っている間に他の四人は飯を食べ終わり俺ら二人が残る。
正直俺は損しかしてない気がするがこの組織では1番新参者なんだ。扱いなんてこんな者だろう。
「どうしたんですか皆さん。いつもならさっさと食べてどっかいっちゃうのに」
「私もそうしたいんだけどさ、団長がなんか話あるって行かれてくれねぇんだよ」
「話?」
「まあその話はお前たちが食べ終わってからしよう。かなり深刻な話になるからな」
「……任務の話ですか?」
「まあそうだが、とりあえず食べ終えてからだ」
団長はこれだけいって何も言わなくなった。
いつもどしんと構えて滅多なことでは動揺しない彼女がこれほどに重大だということは相当だろう。
俺はその話が気になることもあっていつもより急いで飯を食べた。
「アジトの場所がばれた」
飯を食べ終わって俺たちに告げられたのはそんな緊急事態だった。
皆表情は驚きと焦りで染まっている。あ、ユキナだけはあまり変わっていない。
「な、ならすぐに引っ越さねえと!」
「でもここだって相当長い時間かけてやっと見つけた場所です。そんな急には……です」
「でもだからってこのままここにいるのもなぁ……」
皆が皆頭を悩ませる。
「あの……そんなに急ぐ必要があるんですか?」
俺たちはたかが六人の小規模な組織だ。レジスタンスの中には移民なども集まって何百人という大組織にまでなり、地下にトンネルを掘って生活しているところだってある。そこと比べれば俺たちなんて言ってしまえばいつでも潰せる存在だ。
そんなに一刻を争うほどに焦る理由がわからなかった。
「お前は入ったばかりで……って言ってももう2年か、とにかく知らないかもしれないが俺たちは帝国に目を向けられてる。理由はまた長くなるから言わないけどな」
「帝国はレジスタンスには容赦しないです。ただでさえ目をつけられてるんですからすぐに倒しに来るのは当たり前です」
「それにどれだけレジスタンスに容赦がないかはリュートがよく知ってるはず」
ユキナにそう言われ俺は皆殺しにされた村の奴らを思い出した。
確かにそうだ。特に大した活動もせず小さな集団にだってあんなことをしたんだ。
俺たちなんですぐに殺しに来るに決まっている。
「まあお前達落ち着け。まだ帝国にはばれていない」
「え?でもさっきばれたって……」
「帝国には、だ。知ったのはある貴族の男。こいつは馬鹿なのか頭がいいのかわからんがどうやらこの情報と引き換えに自分の身分を高くしてもらおうと帝国と交渉している」
「だからまだ帝国にはばれていない……」
「そうだ。だからお前達に課す任務は、迅速にそいつを殺すことだ」
団長は真剣な顔で俺たちにそう告げた。
「そいつを殺すだけじゃダメだ。誰かに話している可能性がある。その屋敷の人間は皆殺し。その後に屋敷に火をつけて全てを燃やす」
まあそれが妥当だとみんな思っているが、一人だけ苦い顔をしている奴がいた。
ジオさんだ。
彼は正義感で生きているような人間。たとえ自分たちを守るためだといえど屋敷の人間を皆殺しになんてしたくはないのだろう。
「ジオ、そんな顔をするな。幸いにもその屋敷の人間は皆殺すに値するクズだ。ターゲットにもともと入っていた」
それを聞いて誰もが気持ちが軽くなったに違いない。俺でさえただそいつに関わっているというだけで人を殺すのは罪悪感がある。
もちろんジオさんの表情も少しはまともになった。
「自体は一刻を争う。結構は今日の夜だ。では解散!」