ペルソナ×ラブライブ!   作:藤川莉桜

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第9話

 1時間。たった約1時間という短い時間ではあったが、海未による穂乃果へのしごきは(穂乃果基準で)過酷なものだった。数学を不得手とする穂乃果にとって、公式を当てはめるという行為そのものが既に苦痛で仕方ないようだ。しかし、海未はそんな彼女に対して、冷酷にもまず公式の暗記という試練を課した。

 横から見ていた静流とことりは、宿題なのだから公式は教科書を参考にさせれば良いではないかと口を挟んだのだが、海未は二人の助け舟に喜ぶ穂乃果を一睨みして却下させた。

 

「海未ちゃーん……もう限界……」

 

 結果、ギャグ漫画なら頭から湯気が出そうなほどに憔悴した穂乃果が出来上がったのだった。机に顔を突伏し、息も絶え絶えな穂乃果を無視して、海未はポンポンとノートを叩いた。

 

「これで七割は出来上がりましたね。さあ、今日の所はこれで結構です。後は家で完成させて来てください。私は弓道部に顔を出さなければなりませんから」

 

 穂乃果から返事が無い。まるでただの屍のようだ。そんな幼馴染を海未は冷たい目で見下ろす。

 

「この程度で根をあげているようでは、とてもではありませんがスクールアイドルなんて続けられませんね。やっぱり穂乃果には無理なのではないですか?」

 

 死に体だった穂乃果は慌てて顔だけ上げた。

 

「そ、そんなことないもん!馬鹿にしないでよ!何度も言うけど、穂乃果は本気なの!」

 

「口だけならば幾らでも言えます。有言実行こそが説得力を持たせれる唯一の機会です」

 

「ぐぬぬぬ……」

 

「ぐぬぬぬとかリアルで言う人、僕初めて見たよ……」

 

 泣きっ面の穂乃果は追いすがるように、ことりに頬ずりを始めた。

 

「うう……助げでことりぢゃん……」

 

「あー……えーっと……」

 

 普段のことりなら二つ返事で助けてくれそうなものだが、彼女の反応はどうにも芳しくなかった。

 

「ことりはこれから保健委員の用事です。あいにく手助けする余裕はありません」

 

 言い淀んだことりの代わりに海未が冷たく答えた。

 

「うっ、そうなんだ……」

 

「ごめんね穂乃果ちゃん……」

 

 ことりは申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げた。

 

「んじゃあさ。夜はー?」

 

「言ったでしょう。私とことりは今夜やらないといけないことがあるのです」

 

 ならば、と穂乃果は最後に新しい友人へとすり寄る。

 

「天宮君ならここの問題わか……」

 

「さあ行きましょう天宮君!今日は弓道部の体験入部に参加していただきます!」

 

「ええっ⁉︎今から⁉︎」

 

 カバンに教科書を詰め終わった海未は、勢い良く静流の腕を掴んで引っ張る。

 

「ええ、今からです」

 

 海未は当然と言わんばかりに強く言い放った。

 新天地では心機一転のために今まで経験したことの無いクラブ活動に参加しようと決めていた静流だが、肝心の音ノ木坂に存在する数多の部の活動内容について全く前知識が無い。と言うよりも女子校ではどこの部に入っても浮いてしまうであろうことが悩みであった。

 そんな彼の相談に乗ったのが現役弓道部員の海未だった。海未曰く新入生達と同様の体験入部を試してみてはどうか、と。正式入部後の練習も強制参加ではないらしく、その点でも静流にとって都合が良い。

 まだ入部先を決めていはいないが、まだ知り合って間も無いとはいえ、他の女生徒達に比べれば幾分か気心の知れた海未のいる弓道部に所属するのも悪くないとは確かに思い始めている。

 しかし、それは一刻を争う話ではないはずだったのだが。

 

「いやー、僕としては別に今日じゃなくてもいいんだけなあ」

 

 穂乃果が先程からうんうん唸りながら頭を抱えている問題の内容は、前いた学校では既に済ませている範囲だ。請われたならば助け舟を出して構わないと考えていたのだが、それは問屋が卸さないというのが海未の意思らしい。

 

「いいえ!善は急げと言います!二年から中途入部ならば早めに参加しておいた方が今後のためにもなるでしょうし!さあ!早く!」

 

「い、痛い痛い……わかったからそんなに強く引っ張らないで」

 

 新調したばかりの特注男子生徒用ブレザーが千切れないよう、興奮気味の海未を宥める。女性と思えない程の力の入り様。よっぽど腹に据えかねているようだ。

 

「海未ちゃんのいじわるー!そこまで嫌がらせしなくていいでしょ!」

 

「知りません!あなたの自業自得なんですから!」

 

 シュビッと風を切るような音が聞こえそうな勢いで、人差し指を穂乃果の鼻に突きつける。あまりの迫力に穂乃果も気圧されてしまっていた。

 

「良いですか!朝一ですよ!朝一!家で片付けずに明日の朝ことりに助けてもらおうなどという真似は許しません!」

 

「あはは……それじゃあ」

 

「ぶーっ!海未ちゃんのバーカ!バーカバーカバ……」

 

 教室のドアをピシャリと締める瞬間、穂乃果が両手を振り上げながら何か抗議していたのが目に映ったが、海未は全く振り返ることなく完全に無視してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シュッ!

 

 風を切るような音と共に、一本の矢が弓道場の一角に設置された的へと突き刺さった。

 

「まさかのジャストミート……」

 

「おおっ!初めてにしてはなかなかやるじゃん!」

 

 弓を構える静流の体を支えていた弓道着の女生徒は、的の丁度真ん中に命中した矢を見て感嘆の声をあげた。静流自身もこうも上手くいくと思っていなかったのか、しばしポカンと的を見つめていた。

 

「天宮君だっけ?君って結構筋良いねえ。本当に弓道初めてなの?そういや月光館学園て弓道部はかなり強かったはずだけど。去年もあそこに優勝持ってかれちゃってさー」

 

 弓道着の女生徒は感心しながら呟く。そして、どうやら月光館学園高校弓道部にはかなりの辛酸を舐めさせられたらしく、後半部分は苦々しそうな顔をしながら回想に耽っていた。

 

「ええと、あそこではSF超常現象研究部に所属してました。……一度しか部室行ったことないですけど」

 

 いわゆるオカ研という奴だが、どうやら完全な幽霊部員だったらしい。

 

「じゃあ完全に初心者か。でも、磨けば光る逸材間違いなし!これで今年の我が部は男女で優勝杯をいただきね!フッフッフッ……今年の都大会では覚悟しときなさい月光館学園!」

 

 女生徒改め弓道部部長はまるで悪役のような不敵な笑みを浮かべる。既に彼女の中では輝かしい壮大なプランが出来上がっているようだ。取らぬ狸の皮算用とも言うが。

 

「いやー、素晴らしい掘り出し物を見つけてきてくれたじゃないの。でかしたわよ海未!部長の私も鼻が高いわ!」

 

「いや、別に弓道部に決めたわけじゃ……」

 

「というわけだから、新入部員君の指導頼むわよー?海未」

 

「あのー?部長さん、人の話聞いてますー?」

 

 廃校寸前ゆえに数の少ない新入生を巡って、これまで熾烈な部員獲得争いに興じてきただけのことはある。相当なふてぶてしさだ。強引ながらも新たな部員を増やすことに成功した部長を務める少女はすこぶる上機嫌なようだ。

 

「ってあれ?」

 

 別の的を相手に練習に励んでいるはずの海未の方へ振り向いた部長は目を丸くした。

 

「どうしたのよ海未!今日は一発も的に当たってないじゃない!珍しいこともあるものねえ」

 

 海未が練習に使用していた的の周囲には大量の矢が転げ落ちているが、中心に突き刺さっている物は一つも無かった。と言うより、まともに的に掠っている矢すら無い。

 

「うう……」

 

 海未は頬を赤らめたまま床に泣き崩れている。その姿はやたらと扇情的だった。

 

「駄目です……集中出来ません……」

 

「はあ、仕方ないわねえ」

 

 部長は壁に掛けられている時計を見やるとため息を吐いた。

 既に殆どのクラブは練習を終えて帰宅の準備を始めている頃合いだ。弓道部員も既にここにいる三人しか残っていない。

 

「もう時間だし、二人とも帰りなさい。海未がこの調子じゃこれ以上練習しても仕方ない気がするわ。今日の片付けは私がやっとくから」

 

「面目ありません……」

 

 頭を深々と下げる海未に対して、部長はケラケラ笑いながら手を振った。

 

「良いってことよ。海未は期待のルーキーを引き込んでくれた功労者だしね」

 

「なぜか僕が弓道部に入部するのが完全に確定してるみたいなんですが……」

 

「いちいちこまけえことは気にしないの。禿げるわよ」

 

 説得もとい上手く丸め込まれる形になったが、別段悪い気はしなかった。多少おべっかも混じっているとはいえ、自分の存在価値を認められて不愉快になる者などまずいないだろう。これもまた運命の巡り合わせというものだろうか。

 そんな風に半分観念していた時だった。弓道場の外からコンコンと扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「海未ちゃーん!……あれ?」

 

 練習の終わりを見越してやって来たのだろう。ことりが扉を勢い良く開けて弓道場へと入ってきた。だが、中の光景を目にするなりキョトンとしている。力無く床に倒れたまま項垂れる海未を前にして戸惑っているようだ。

 

「……いったいどうしたの?」

 

「まあちょっと……ね」

 

 聞かれた静流は肩を竦めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありません。せっかくの体験入部だったというのに情けない姿ばかり見せてしまい……」

 

 制服に着替えた海未は相変わらずどんよりとした空気を放っていた。それでもさっきまでに比べれば幾分かマシではあるものの、俯き加減は変わらず表情も暗い。

 

「まあ弓道部のエースさんの本領発揮はまた今度ってことで」

 

「うう……面目ありません……」

 

 部長曰く、普段なら百発百中らしいのだが、今日の練習ではその冴え渡る技量をついぞ目にすることが出来なかった。自分の弓の実力にはそれなりの自負がある海未にとって、屈辱的とも言える時間だったわけである。

 

「それもこれも穂乃果のせいです!あ、アイドルだなんて……!」

 

 顔を赤らめ、妙に語気が荒い海未。その姿にもしやと思い、隣で黙々と煎餅を頬張っていた静流は一端食べるのを止めて海未に問いかけるのだった。

 

「……もしかして園田さん、本当はアイドルに興味あるのかな?」

 

 もしそうだとしたら、穂乃果の結成したスクールアイドルに海未を加入させる計画は決して望み薄ではない。海未も内心で可愛らしい衣装を纏って歌とダンスを披露してみたいと思っているならば、お互い望み叶ったりだろう。

 

「そ、そ、そ、そんなわけないに決まってるではないですか!わ、わ、ワラシがアイドルをやるだなんて……ありえないでしゅっ!」

 

「落ち着いてよ。噛んでる噛んでる」

 

 別に『海未がアイドルになりたいのか』を聞いたわけではないのに墓穴を掘っていた。おまけにあからさまに挙動不審となっているのだから、本当は自分がアイドル活動に興味津々であると自供しているようなものだ。

 

「だ、だいたいあの穂乃果のことです!どうせまたすぐに飽きて投げ出すに決まっています!今日の宿題だって途中で放り出すかもしれませんよ!」

 

「……ねえ海未ちゃん」

 

 今まで海未の話に一切口を挟まずにひたすら黙って聞いていたことりは突然立ち止まり、静かに校舎裏の一角を指差した。いまいち陽当たりが良くないためか、昼食時以外はたむろする生徒も殆どいない場所だ。

 

「見て」

 

 ことりに従い、二人は少し遠く離れたその場所を凝視する。

 

「えいっ!ふっ!ほっ!」

 

 少女の掛け声と軽やかな流行曲のメロディが耳に飛び込んでくる。

 

「あれは……」

 

 海未は目を丸くした。

 

「やっ!はっ!」

 

 穂乃果だ。上着を脱いだブラウス姿の穂乃果が、スマホから流れる人気アイドルソングに合わせて、激しいテンポのステップを刻んでいる。どこかたどたどしいその動きは時折危なっかしくて見ていられないが、ダンスの練習に一心不乱で打ち込んでいるのは間違いなかった。

 

「有言実行……だね」

 

 煎餅を口に咥えたままの静流はボソッと呟いた。穂乃果は自分が本気であると示すため、廃校阻止の夢さっそく行動に移し始めたのだ。

 

「さっき弓道場に行く途中で見かけたの。穂乃果ちゃん、あの後ずっとここで練習してたみたい」

 

 未経験者である穂乃果のダンスははっきり言って、同じく素人でしかない海未達の目から見ても技術的には稚拙でしかなかった。肝心のステップはどこかぎこちないし、その表情はあまりにも硬い。さらに練習の疲れもたまってきているのだろう。さっきからどんどん音楽とのテンポがズレてしまっている。

 これでは人前に出て披露したところで笑い者になるだけだ。今のままでは学校を有名にするなど夢のまた夢でしかない。おそらく形になるだけでも途方もない努力が必要になるだろう。海未の判断はあまりにも残酷な真実だった。やはりスクールアイドルで廃校阻止など無謀極まりない賭けに過ぎなかったのだ。

 

だが、それなのに。

なのに穂乃果のぎこちない舞から、何故か目が離せない。

そのひたむきな姿に心打たれずにいられない。

 

やがてスマホから流れるアイドルソングがフィナーレを迎える。同時に穂乃果のステップも止まった。

 

「ふう……遅くなってきたし、続きは家でやろうっと!」

 

 額に流れる一雫の汗を拭い、道具をバッグに詰め込んでいく。

 

「練習もこれから毎日続けて、宿題もちゃんと提出して、絶対海未ちゃん見返してやるんだから!そしてそして!」

 

 穂乃果は手をぎゅっと握りしめる。

 

「海未ちゃんと……一緒にアイドルやるっ!海未ちゃん認めてもらって、一緒に学校を守ってみせるっ!」

 

 夢見る少女が瞳をキラキラと輝かせる。その眼差しは輝きに違わず、希望に溢れているのだった。

 

「よーしっ!頑張るぞー!!」

 

「穂乃果……」

 

 鼻歌交じりで軽やかにスキップしながら校舎裏から立ち去っていく穂乃果を見送った後、ことりは穏やかな笑みを浮かべつつ口を開いた。

 

「ふふふ……穂乃果ちゃんったら、よっぽど海未ちゃんと一緒にスクールアイドルやりたいんだね。ちょっとだけ妬いちゃうかも」

 

 海未は何も答えない。

 

「海未ちゃん、私ね……穂乃果ちゃんとアイドル活動、やってみる」

 

 ことりの決意を耳にした海未は、一瞬惚けたような顔をした。普段は自己主張をしないはずのことりが、自ら親友の夢に力を貸すと宣言したのだ。幼い頃より彼女を知る海未には驚きだった。

 

「だって、あんなに真剣な穂乃果ちゃんって久しぶりだもん」

 

 人は無意識の内にいくつもの仮面を使い分けて生きている。

 ズボラでいい加減な穂乃果。

 わがままで人の話を聞かない穂乃果。

 いつも明るく元気で皆の中心にいる穂乃果。

 そして、一度決めたら何処までも突っ走るという穂乃果の別の一面が、明らかにされたのだ。これが彼女の持つ本当の自分なのかは、まだわからない。だが、少なくともこの穂乃果もまた穂乃果である。

 

「穂乃果ちゃんがああやってみんなを巻き込む時って、いつも楽しいことばかりだったよね。ほら、小さい頃に三人で木に登った時とか」

 

「はい、私も覚えています。あの時は大変でしたよ。嫌がっていた私を無理やり一緒に登らせた挙句に、結局降りれなくなって危うく大怪我を負ってしまうところでしたね。あれは本当にいい迷惑でした。怖くて怖くて……それまでで一番泣いてしまっていたかもしれません」

 

「そうだね。ことりも怖かったよ。でもね」

 

「ええ……でも、楽しかった。今でも忘れられない、穂乃果との大切な思い出……」

 

 海未の琥珀色に煌めく瞳が、風に吹かれた水面の如くユラユラと揺れる。口元は微かにつり上がっている。美しい思い出が少女の目に映し出されているのだろうか。

 過去に思いを馳せる幼馴染に、ことりは優しく笑った。

 

「ねえ。海未ちゃんもどう?穂乃果ちゃんと一緒に……アイドルやろう?」

 

「私は……」

 

 形の整った唇がゆっくり開かれる。

 

「私は……私には無理です」

 

 海未は……首を縦に振らなかった。

 

「あの子は本気だったのに、私は信じてあげれませんでした。それどころか傷つけるような事を言ってしまった……」

 

 穂乃果に対して、スクールアイドルに対して、海未は徹底して全否定を突き付けてしまった。傍から見れば、穂乃果の邪魔をしてしまったも同然だ。そのことが海未の中で重くのしかかっているのかもしれない。当の穂乃果はむしろ海未と一緒に踊ることを望んでいるというのに。

 

「きっと私にはあの子と一緒に歩む資格なんてありませんよ……」

 

「そんなこと無いよ!アイドルに反対してたのは海未ちゃんは穂乃果ちゃんが心配で……」

 

「二人のスクールアイドル活動は陰ながら応援します。頑張ってください……」

 

 海未はことりに背を向けた。ことりの説得には応じない、という意思表示だろう。

 

「海未ちゃん……」

 

「すいません。少し……一人にさせてくれませんか?今日は初の迷宮探索ですから、心の準備を頂きたいのです」

 

 海未が俯き加減でトボトボとその場を離れていく。普段は背筋を伸ばしている彼女らしくない、あまりにも小さな後ろ姿だった。

 やがてスマホから海未の姿が見えなくなったのを確認した静流は、空気を読んで音を立てぬようにと口で咥えたままだった煎餅をようやくパリッと噛み砕いた。そして、

 

「この学校の女の子は不器用な子ばっかりだなあ」

 

 隣で暗く沈んでいることりには聞こえない程度の小さな声で呟くのだった。


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