ペルソナ×ラブライブ!   作:藤川莉桜

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ペルソナ5発売おめでとう!私はkonozamaでした!


第15話

「はあ……はあ……お、お願い海未ちゃん!ストップ!ストーップ!」

 

 通路を全力疾走していた穂乃果達三人が道中で立ち止まったのは、教室出てから間もなくであった。基本的に怠惰な生活を送っており、運動をする習慣の無い穂乃果には、常日頃から己を鍛えている海未のペースに合わせるのは酷だったようだ。ぜえぜえと息も絶え絶えな様子でパーカーに汗を滲ませている。

 

「はあ……はあ……す、少し……はあ……休ませて……もう……限界……」

 

 呼吸が少し落ち着いた穂乃果はそのまま大理石の床にペタリと座り込んだ。

 

「まったく……立ち止まっている余裕はありませんよ」

 

「そんなこと言ったって、海未ちゃん達足早すぎだよ〜!私の体力で付いていけるわけないんじゃん!」

 

 尻餅をついたまま不平不満を並べる。そんな穂乃果を見下ろしながら、海未は呆れ顔で両手を腰に当てた。

 

「仮にもアイドルを目指してるのに、この程度で力尽きるですか?そんな調子では今後のダンスレッスンに耐えられませんよ?」

 

「う……そ、それは……」

 

 図星だったのか、穂乃果の目が泳ぎ始めた。そんな彼女に助け舟を出したのは、二人のやりとりを隣で見ていたことりだ。

 

「海未ちゃん、穂乃果ちゃんは”普通の人”なんだからしょうがないよ」

 

「……はあ」

 

 海未としても、ことりの意見はもっともだと自身の考えを変えたのか、苦笑いしながらも頷く。

 

「では、仕方ありませんね。穂乃果、手を貸してください」

 

 ヒョイっ

 

「ひゃあっ⁉︎海未ちゃん⁉︎」

 

 海未は右手で穂乃果の背中、左手で脚を抱え込んだ。いわゆるお姫様だっこの姿勢だ。

 

「しっかり掴まってて下さい!」

 

「うおおっ!」

 

 軽々と穂乃果を抱き上げた海未は、一気に駆け出す。そのあまりの早さには穂乃果も三度驚かされた。まるで車に乗っているかのように、通路の背景が颯爽と流れていくのだ。

 

「は、速い!」

 

 確かに海未は文武両道を地で行く少女なのは知っていたが、本気を出せばこれ程の力を出せるなどとは幼馴染の穂乃果すらも思いもよらなかった。まだ未発達な少女とはいえ、人一人を抱えて全力疾走を行い、しかも息切れ一つしないとは。腕を引っ張られて並走していた穂乃果が先にばててしまうのも当然だろう。

 そんな風に内心感嘆している時だった。穂乃果の視界に長く続いていた通路の終わりが飛び込んできた。その先には大きな部屋が広がっているわけだが、問題は広間の床が存在せず、底が見えない暗闇になっていることだ。

 

「あ、行き止まりだね」

 

 距離が狭まるにつれ、崖の全貌が明らかになっていく。巨大な広間が丸々穴底になっているわけだが、その面積はかなりの物。一応入り口から抜けて正面に出口は存在するものの、その距離は間違いなく100メートルを余裕で超えているだろう。諦めて早く引き返し、道を変えるべきだと考えた。

 しかし、

 

『そのまままっすぐ進みなさい』

 

「了解」

 

「へ?」

 

 海未は止まらなかった。それどころか減速すらしていない。むしろ絵里の指示に合わせて、さらに加速を始める。それは後ろで追走することりも同じだった。穂乃果は涙目で身を揺すった。

 

「わー!わー!止まって海未ちゃん!その先は崖だよーっ!」

 

 例えオリンピックの金メダリストでも、この距離を飛び越えるなど不可能だ。スポーツ万能少女の海未とはいえ、どうしようもないように見える。しかし、穂乃果の必死の訴えも虚しく、三人は入り口をあっさり潜り抜けてしまう。穂乃果の心配を他所に、広間に到達した海未は脚に力を込め、そして、

 

「ふっ!」

 

「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」

 

 穂乃果を抱えたまま、地面を勢いよく蹴り、宙を舞った。

 

「うひゃあああああああああああああああ!!!!!!」

 

 海未渾身の走り幅跳びの最中に、穂乃果はついうっかり下を見てしまった。下方には底が見えない程の暗い深淵世界が広がっていた。落ちてしまったらもう戻ってこれないかもしれない。そんな恐怖に駆られた穂乃果はこの地獄のようなひと時を乗り越えようと、叫びながらもギュッと目を閉じる。

 やがて、軽い衝撃の到来と同時に浮遊感は消えた。穂乃果が恐る恐る目を開く。先程と同じように海未が穂乃果を抱えたまま通路を駆け抜け、ことりが後ろから追走していた。崖の反対側に辿り着いたのだと頭でようやく理解した頃には、例の巨大な穴底は海未達の遥か後方まで遠ざかっていたのだった。

 

「これだけ離れたならおそらくもう大丈夫でしょう。地震を起こす程の巨躯ならば、あの崖を跳び越えるのは至難の技でしょうし」

 

「す、すごい……」

 

 なんてことのないかのように言いきった海未。そんな海未に平然と付いてきていることりもにっこりと笑って返した。今の穂乃果には件の追跡者よりも、幼馴染達が揃って超人的な身体能力を得ている事実の方が気になって仕方ない。

 

「う、海未ちゃんもことりちゃんもいったいどうしちゃったの⁉︎これならオリンピック優勝も夢じゃないよ!あ、そうだ!これで廃校阻止するのもいいかも」

 

 この状況で場違いな発想を抱く穂乃果に、海未はクスリと笑った。

 

「ふふふ……残念ですが、私達にこんな事ができるのは今だけですよ」

 

「今だけ?それってどういう……」

 

『よくやったわ、二人共。これなら無事に合流できそうね』

 

 突然、絵里が二人の会話に割り込んできた。相変わらず海未にお姫様抱っこされている状態だが、穂乃果は少しでも姿勢を良くしようとする。脳内に直接流れているのだから、わざわざ耳を傾ける必要はないはずだ。にもかかわらず、ついつい身構えて真剣に聞こうとしてしまうのは、絵里の放つ怜悧な空気感による物か。

 

『このまま真っ直ぐ進んでいったら、いずれ迷宮の外に出られるはずよ。そこまで誘き寄せれれば、私と希の二人で例の大型シャドウを仕留めて……』

 

ドンッ!

 

 揺れは再び起きた。それも、教室にいた時よりもさらに大きく。ことりは顔を青ざめさせて後ろに振り向いた。

 

「そんな……あんなに走ったのにさっきより近づいてるよ⁉︎」

 

『嘘でしょ。なんてしつこさなの!』

 

 またも大地が震える。今度の規模は激震と呼んでも差し支えなかった。絵里の声からも焦りが伝わってくる。

 

「まさかこの地震を起こしてる元凶って、あの崖を跳び越えちゃったわけ⁉︎」

 

 事情を知らない穂乃果ですら察してしまう。その元凶に遭遇すれば、ただでは済まないに違いない。一方、苦々しげに背後を睨んでいた海未は突如、その脚を止めた。

 

「……私が時間を稼ぎます。ことりは穂乃果を連れて先へ進んで下さい」

 

「え?え?」

 

 穂乃果は戸惑いを隠せなかった。時間を稼ぐ。穂乃果がその意味を理解するのを待たず、ことりは手に持っていた弓を海未に譲渡する。そして、代わりに穂乃果を抱えた。

 

「海未ちゃん……ごめん!先に行ってるね!必ず待ってるから!」

 

「え、こ、ことりちゃん⁉︎待って海未ちゃんが……」

 

 海未の代わりに穂乃果を抱えたことりは、穂乃果の戸惑いも他所にそのまま元の方向に向かって走り出す。

 

『ちょっと何を言ってるの園田さん!あなた一人では無茶よ!』

 

 声を荒げて制止しようとする絵里の奮闘も虚しく、海未は弓を手に踵を返して反対側へと走り去っていった。

 

『戻りなさい園田さん!ああ、もう……どうしてみんな勝手なことばっかり!』

 

 ことりの脚力は海未に負けず劣らずであった。あっという間に海未との距離がどんどん開いていく。すぐに姿が見えなくなってしまうだろう。声も届かなくなるだろう。

 それでも、穂乃果はことりの肩越しに手を伸ばさずにいられなかった。

 

「う、海未ちゃーん!待って!待ってよ!海未ちゃんには、まだ言ってないことがあるんだよー!!!!!」

 

 穂乃果の声は親友の耳に届かなかった。距離的に届いたとしても、友を守ろうとする少女の心には無意味だったかもしれない。今の海未はただ、迫る脅威に立ち向かい、穂乃果を守ることしか頭に無い。一人でも助けに行くと言っていた時の信念は変わっていないのだ。

 

「さあ、来なさい。穂乃果には……穂乃果だけには指一本触れさせません!」

 

 またもや大地が揺れた。無論、大きさももはや今までとは比べものにならない。邂逅の時は近いのだとわかる。これ程の揺れを引き起こせる巨大な存在。一人で立ち向かうなど、無謀極まりない。しかし、海未は逃げなかった。

 覚悟を決めた海未は対峙する。人類を仇なす影に。そのために太腿のホルスターから一丁の拳銃を取り出す。そして、

 

「力を貸してください……もう一人の私!」

 

 震える手で拳銃を自身の側頭部に突き付け、叫んだ。

 

「ポリミューニアッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『仕方ないわね。ひとまず、あなた達だけでもこっちに戻ってきて。出口までもうそんなに離れてないはずよ。残りの二人も同じように誘導してるから、いずれ合流できると思うわ』

 

「こ、ことりちゃん……海未ちゃんは……」

 

 不安のあまりに背中から恐る恐る尋ねる穂乃果に対し、ことりはにっこりと笑って返した。

 

「心配しないで穂乃果ちゃん。穂乃果ちゃんは私が……私と海未ちゃんが絶対に守るから」

 

 だが、自覚が無いのかもしれないが、ことりの声は明らかに震えていた。顔色も芳しいと言えない。おそらく空元気なのだろうが、それでも穂乃果を安心させたいと思っていることりなりの気遣いに違いない。しかし、穂乃果が知りたかったのはそんなことではなかった。たった一人、”謎の追跡者”と対峙することを決めた海未の安否を尋ねたのだ。

 そんなのは答えになっていない。穂乃果がそう言おうとした矢先、ことりは急に足を止めた。突然の停止に驚いた穂乃果は正面に顔を向けるが、眼前に広がる光景を前に目を丸くして仰天してしまう。

 

「あわわわわっ!な、な、なになになに⁉︎何なの、この顔と手だけの化け物!」

 

 穂乃果の言う通り、それは化け物と形容するしかなかった。液体なのか固体なのかもわからないドロッとした胴体に奇妙な仮面がくっ付いている奇妙な生物。黒色の体をずるずると床に這わせるその姿は、まるで油の塊が意思を持って動いてるかのようだ。そんなおぞましい存在が目の前に三体も揃っていた。

 

「”マーヤ”⁉︎しかもこの数!」

 

『なるほど、獲物は逃がすつもりはないってわけね』

 

 脳内に響く絵里の声には舌打ちが混じっていた。

 

「嘘……よりによってこんな時に……」

 

「ことりちゃんはこれ何なのか知ってるの⁉︎こんな怪物、穂乃果見たことないんだけど!」

 

「……」

 

「ねえ、ことりちゃん!この怪物の仲間がさっきから私達を追いかけてきてるんでしょ⁉︎もしかして海未ちゃんは私を守るために一人で……ねえ!」

 

「……」

 

 何も知らせようとしないことり達に対する不満がついに爆発した。

 少なくとも穂乃果は漫画やアニメならともかく、テレビのドキュメンタリーや図鑑ですらこのような生物は見た記憶がない。ナメクジのようにどろりとした軟体の巨大生物。一応五本の指を持つ手は生えているが、むしろその中途半端に人間を思わせるパーツの存在が逆に不気味さを際立たせていた。

 

「これは……」

 

 そして、こんな奇怪な存在を見て驚かないことりが何も知らないはずがない。

 

「これは”シャドウ”。私達の……人間の敵だよ!」

 

 いつになく真剣な表情のことりは忌々しげに言い放った。無論、穂乃果はシャドウなどという怪物の存在は知らない。自体はとっくの昔に、このお気楽少女の理解の範疇を超えつつあった。

 

「しゃ、シャドウ⁉︎人間の敵って……なんでそれをことりちゃんが知ってるの⁉︎」

 

 しかし、穂乃果の疑問は掻き消された。ことりがシャドウと呼称した怪物が指から鋭利な爪を伸ばし、腕を大きく振り上げたのだ。

 

「危ない穂乃果ちゃん!」

 

「ひゃんっ!」

 

 見かねたことりが穂乃果を抱えて横に転がる。寸でのところで、怪物の爪は空を切った。

 

「うえええ!思ったよりすばしっこくて凶暴だよ!」

 

 床を転がった穂乃果は声を震わせながら後ずさりする。穂乃果達の腰程度の大きさと貧弱そうな見た目に反し、この謎の怪物はただ不気味なだけではない。明確に穂乃果達に対し、敵意、殺意を抱いている。そして、現実に命を奪うだけの力を持っていた。

 

『まずいわ、南さん。前から三体、背後から二体。完全に囲まれてる』

 

「そ、そんなあ……」

 

 こんな凶悪な怪物がまだ他にもごろごろいて、しかも自分らの命を狙っているとは。

 今のはことりに助けられて運良く避けられたが、次も大丈夫だという保証はない。喧嘩や格闘技の心得が全く無い極普通の少女である穂乃果は、恐怖のあまりに完全に血の気が引いてしまっていた。

 

『どうやら逃げ道は無いみたいね。仕方ないわ。応戦しなさい南さん!』

 

「でも……」

 

 ことりはチラリと穂乃果の姿を横目で見ていた。穂乃果は恐怖のあまりに、不安に満ちた表情で肩を震わせていた。天真爛漫な少女と言えど、理不尽な暴力の前には狼に襲われる子羊のように無力でしかない。

 

『大丈夫。そのタイプのシャドウは疾風属性が弱点。あなた一人だけでも充分に撃破可能よ。ペルソナを使いなさい』

 

「……はい」

 

 絵里の指示に静かに頷くことり。額から一筋の冷や汗を流しながら、深呼吸を行う。

 

「やるしかないんだ……ことりがやるしかないんだ……」

 

「ことりちゃん?」

 

 目を閉じて深呼吸を行っていたことりが、ゆっくり瞼を開いた。

 

「穂乃果ちゃん」

 

 ことりは微笑んでいた。手に持っていた槍を床に落とし、太腿に手を伸ばす。

 

「もしも私が悪魔だとしても、あなたは……私を好きでいてくれますか?」

 

「え?」

 

 謎の怪物の登場で混乱に陥っている穂乃果には、ことりの言わんとしていることが全く理解できずにいた。しかし、首を傾げていた穂乃果は、さらなる予期せぬ事態に目をひん剥かせた。

 

「け、拳銃⁉︎」

 

 穂乃果は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。無理もないだろう。普段からお淑やかな幼馴染が、全く似つかわしくない大型の拳銃を取り出していたら。

 そして、躊躇いなく自分の眉間に突きつけていたら。

 そんな非日常な光景を目の当たりにして冷静に受け止められるわけがない。

 

「ちょっと……ことりちゃ……」

 

 穂乃果の目には、思い詰めた幼馴染が拳銃自殺を図ろうとしているようにしか映っていない。その引き金が引かれる前に、すぐにでも力づくで止めるべきだろう。

 しかし、できなかった。

 

「お願いします……もう一人の私……私の中の悪魔……」

 

 今のことりの顔は生きることを諦めた自殺志願者には見えなかった。むしろ、死に抗おうとしているように思えた。それほどまでにことりの瞳は生への渇望、死に抗う意思に満ち溢れていた。真剣な表情で自分に銃口を突きつけているのだ。こんなことりは十年以上共に時間を過ごしてきた穂乃果が全く知らない。

 自分ですら知らない幼馴染の一面を目の当たりにした穂乃果には、ことりを止めることなどできなかった。根拠など無い。それでも、ことりを信じるべきだと直感していた。

 

「ことりに穂乃果ちゃんを……友達を守る力を……下さい!!!!」

 

 額に冷や汗を滲ませ、手を震えさせながらもトリガー部に指をかける。

 そして、意を決したことりは……

 

「お願い!!クレオ!!!!」

 

 引き金を引いた。

 

<私は貴女……貴女は私……>

 

 風が吹き荒れる。青白い閃光が薄暗い大理石の広間を輝き照らす。同時に穂乃果達の目の前で、ことりの全身から漏れ出ている小さな粒子が集っていく。やがて、それは人の形を成していった。

 

<私はクレオ……>

 

 青い光と共にことりの体から飛び出してきた人影は、徐々にその存在感を明確にしていく。人影は女性であった。大きさは約3メートル程。ロングスカートのメイド服を身に纏い、その両手にはバラの花束が握られている。頭部は口と後ろ髪だけが露出した銀色の金属製兜で覆われており、女性の表情は全く読めない。

 しかし、穂乃果はこの正体不明の女性の出現に恐怖を抱かなかった。むしろ安らぎすら感じていた。何故かはわからないが、この女性は自分を救おうとしていると直感しているのだ。それと、女性のヘルメットからはみ出ているグレーのロングヘアーが、どこかことりを彷彿させていたからかもしれない。

 

<未だ己の道定まらぬ我が半身たる雛鳥よ……いつか巣立ちの時を迎えるその日まで、私が貴女を見守り続けましょう>

 

「行くよ、クレオ!」

 

 ことりがクレオと呼んだメイド服の女性は宙に浮いたまま、穂乃果とことりに迫る怪物との間に割って入る。まるで二人を護ろうとするかのように。

 

「クレオ!疾風魔法( ガル )!発動!」

 

 ことりに同調してシャドウと対峙していた女性が、右手に抱えていた花束を天に向けて掲げた。それと同時に辺りの空気は一変する。

 クレオのヘルメットに備え付けられた両翼が突然肥大化。そして、先程穂乃果に襲い掛かった手前の一体に向かって、大きくはばたいた。

 その瞬間、風が吹いた。ただの風ではない。怪物一体を丸々包み込み、目にも見える程に空気を荒れさせ、まるで刃のように身を引き裂いていく。かまいたちと呼んでもいいだろう。

 

「!!!!???」

 

 怪物の内の一体はそんな風の刃に容赦なく切り刻まれていく。発声器官があるかは不明だが、これが人ならば慈悲を乞う余裕すら無いに違いない。無情なかまいたちが延々と漆黒の肉体に傷を与え続けるのだ。徹底的に身を引き裂かれた影は黒い気体となってあえなく霧散した。風が静まった頃には、その場にチリ一つすら残されていなかった。

 

『一体撃破!残り四体よ!』

 

「まだまだっ!クレオ!広域疾風魔法(マハガル)!発動!」

 

 普段のお淑やかさをかなぐり捨てて、ことりが高らかに叫んだ。その時、先程と同じく、再び銀色の翼がはばたいた。今度は幾度も、はばたきを繰り返す。回数と同じだけ、巻き起こった風は辺り一帯を支配していく。そして、残っていた多数の怪物をこれまた同じようにグチャグチャになるまで切り刻んでいった。

 そして、全ての怪物は同時に霧散。気づけば、通路は何事もないかのように再び静まりかえっていた。

 

「やった……!」

 

 とりあえずの危険を排除して安心したためか、全ての怪物を壊滅させたことりはガクリと床に膝をついた。同時に、女性の身体が霧のように元の粒子に戻って崩れていく。

 

「す、すごい……」

 

 穂乃果は思わず感嘆する。今の光景は幼馴染達の超人的身体能力以上の興奮を穂乃果に与えてしまった。なんせ、形容しがたい異形の怪物達を跡形もなく葬り去ったことりは、まるで漫画に出てくる主人公達だったのだから。またしても幼馴染の見知らぬ一面を目にした穂乃果は、興奮を隠しきれない様子でことりに駆け寄った。

 

「すごい!すごい!すごいよ、ことりちゃん!ねえねえ!今のいったいな……」

 

「はあ……はあ……」

 

「こ、ことりちゃん?」

 

 ことりの額はびっしょりと濡れていたのだ。息は激しい運動を行った後のようにきれぎれで、瞳もどこか虚ろに思えてしまう。

不安にあまりに顔を覗き込む穂乃果。そんな親友に対し、ことりは引きつった笑顔で返した。

 

「ご、ごめんね。でも、心配しないで。ちょっと緊張しちゃっただけだから」

 

「でも、ことりちゃんすごい汗かいてるよ!」

 

 少し観察しただけでも額や首元に尋常でない程の汗を滲ませているのがわかることりを前に、穂乃果は不安に駆られていた。ことりは今でこそ普段の生活に全く支障は無いが、かつては病弱で無茶な運動は禁じられていたからだ。穂乃果の頭の中では、幼少期のことりが体を抑えて苦しみに耐えていた姿が想起されている。

 そんな穂乃果の心中を察したのか、当のことりは何でもないと微笑み崩さない。しかし、その笑顔はどこか無理に作っているかのように見えていた。

 

「本当に大丈夫。ことりは大丈夫だから、ね?早く行こう?」

 

 ことりが穂乃果の手を取った。気丈さをアピールする言葉とは裏腹に、ことりの手は震えていたのだった。




〈恋愛・クレオ〉
 音ノ木坂学院2年の南 ことりの初期専用ペルソナ。対応アルカナはLOVERS。花束を携えたメイド服の女性の姿をしている。頭部には翼の意匠を備えた鳥の頭部を模した兜を被っている。
 物理攻撃は一切使用不可能だが、代わりにレベルの高い疾風属性の攻撃魔法と回復魔法を操る後方支援を得意とするタイプ。しかし、ステータスそのものは魔法攻撃力がずば抜けて高いのを除いて全体的に低め。弱点属性は電撃。

力・D
魔・A+
耐・D
速・C
運・B

 ギリシャ神話に登場する、ムーサ(ミューズ)と呼ばれる九姉妹の女神の一柱。ゼウスの娘達としてオリュンポス神族に連なる神々であり、音楽(ミュージック)の語源となった彼女らは芸術を司る女神として官民問わず篤く信仰されていた。

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