ペルソナ×ラブライブ!   作:藤川莉桜

11 / 20
時間掛かってしまいました。しかも以前に一話ごとを6000文字前後に収めたいと言っときながらその倍です。


第11話

『あたしのせいだ!あたしがあの時、お姉ちゃんを止めてたら、こんなことにならなかったのに!」

 

 スマートフォンのスピーカーから後悔に苛む少女の悲痛な叫びが溢れる。少女の懺悔を聞いていたことりは電話を握りしめたまま、言葉が全く見つからず何の慰めも掛けることが出来ずにいた。

 

「雪穂ちゃん……」

 

 一人の生徒を失った教室の放課後は閑散としていた。いや、正確に言えば放課後だけではない。全校集会が終わった後の、このクラスの空気は常に陰鬱としたものであった。

 授業を再開したのは良いものの、生徒全員が揃って上の空。特に穂乃果と親交が深かったヒデコ達は始終沈み込んだままであった。海未は眉間に皺を寄せて考え込んだ表情のまま一日中黙して語らず、一見して比較的立ち直ったように見えることりすらも、教師から当てられても全く答えられないという普段の彼女なら考えられないミスを犯してしまう。

 まるで教室全体に大きな穴がぽっかりと空いてしまったかのような喪失感に襲われていたのである。眩い輝きでクラスを明るく照らしていた太陽が消えた代償は大きい。かの天照大御神が岩戸に隠れた際には世界全体が暗くなってしまったと伝えられているが、まさに今のような光景だったのではないだろうか。

 

「雪穂ちゃんのせいじゃないよ」

 

 ようやく口を開いたことりは優しく諭すような口調で、通話相手である雪穂の自責を否定した。

 

『だって……だって……お姉ちゃん……お姉ちゃぁん……」

 

 電話の向こう側にいる雪穂はとうとう泣き出してしまったようだった。どうすればいいのかわからずことりがオロオロしていると、突然海未がスマートフォンを取り上げた。

 

「そうですよ雪穂。あなたのせいではありません」

 

 海未はひたすら考え込んでいたさっきまでとはうって変わって、微笑みすら浮かべる穏やかな表情と口調になっている。突然の変貌にことりと静流は顔を見合わせた。

 

『そんなこと言ったって!』

 

 行方不明になった姉の身を案じる少女はやはり泣き止まない。そんな雪穂に対して、海未は驚くべき言葉を投げかけた。

 

「それに心配する必要はありません。穂乃果ならすぐに帰ってきますから。穂乃果は私が連れ戻してきます」

 

『え?』

 

 事情を知らないために海未の話が理解出来ずに戸惑う雪穂だけでなく、隣で聞いていることりも目を丸くした。

 

「必ず連れ戻します。どんな手を使ってでも。私の命に代えてでも」

 

『待って!どういう意』

 

「失礼します」

 

 雪穂の疑問を遮って電話を切った海未は、無言でことりにスマートフォンを手渡した。一方、スマートフォンを受け取ったことりは血の気の引いた青い顔で呆然と海未を見つめていた。

 

「う、海未ちゃん!それって……」

 

「言った通りです。私は今夜穂乃果の救出に向かいます」

 

 さも当然と言わんばかりに、何の淀みもなく海未は答えた。

 

「でも、会長さん達が穂乃果ちゃんの居場所はわからないって……」

 

「関係ありません。例えどんなに反対されようと、私一人でも行かせてもらいますから」

 

 決意を新たにした海未は窓の外を仰ぎ見た。赤く染まった夕焼けの空に浮かぶ太陽は既に、無数に並ぶ東京の高層ビル群の中へと消え行こうとしている。まもなく夜が来る。穂乃果が待っているであろう、あの夜がやって来る。

 

「待っててください穂乃果。必ず助け出してみせます」

 

「海未ちゃん……」

 

 太陽は沈んでも必ず再び登ってくる物だ。だから、あの少女もそうでなければならない。もしも世界が太陽を覆い隠そうというのなら、誰かがそのベールは取り払う必要がある。そして、その役目は自分が担う。

 そう心に決めていた海未の前に少年が立つ。少年は今までにない険しい表情を見せていた。それだけで海未には彼の考えが予想ついていた。

 

「……止めても無駄ですよ。私の決心は固いのですから」

 

「……」

 

「もしや力づくですか?言っておきますが、私には武道の心得があります。怪我の1つや2つは覚悟していただきますよ」

 

 二人はしばしの間、無言で威圧感をぶつけ合う。お互いに睨み合ったまま、決して視線を外そうとはしない。普段は穂乃果と海未のストッパーを務めていることりも、今はただ隣でオロオロしているだけで間に入ることすらままならないでいた。一体いつまで一触即発の状態が続いてしまうのかと、ことりの胸中に不安が渦巻き始めた頃、静流の方から目を逸らして深いため息を漏らした。

 

「やっぱり、どうやら説得は無理っぽいね」

 

「わかってもらえて嬉しいです」

 

 しかめ面だった静流が徐々に表情を緩ませていく。むしろ、呆れ顔と呼んでいいかもしれない。

 

「はー……別に止めるつもりは無いけど、君一人でどうやって彼女を見つけ出すつもりだったの?副会長ですら居場所がわからないって言ってるのに」

 

「え?」

 

 冷静沈着な大和撫子として校内でも人気のあるこの少女だが、その人となりを知ればまた違った面が見えてくる。

 一度血が昇ると穂乃果を笑えない程度に周りが見えなくなる。そして何より、クールなイメージに反して感情を隠すのが下手だ。元より己の感情を隠すつもりすら無い穂乃果とは正反対のベクトルで察しやすいと言えた。

 

「そ、それは迷宮内をしらみ潰しに……」

 

 露骨に目を逸らし始める海未。静流はまたもや、ため息を吐きながら見下すような視線を送った。

 

「探索の時間は限られてるし、僕らの体力だって無限じゃないんだ。そんな非効率な事を続けていたら命がいくつあっても仕方ないよ。なにより時間が掛かれば掛るほど高坂さんの身も危なくなる」

 

「で、ですが……」

 

「そもそも、あの塔は毎日、いや常に中の構造を変化させているんだ。どの道誰かの手助けに必要になるよ」

 

 さっきまでの強気な姿勢は何処へ行ったのか。今の海未は歳相応に弱々しくなっている。

 

「君も中々に無鉄砲な所あるよね。危なっかしいなあ」

 

「うう……」

 

「仕方ないね。それじゃあ僕が助太刀してあげよう!」

 

 海未は琥珀色の瞳を大きく見開いた。

 

「君と一緒に迷宮の奥まで潜ってみるよ。あの子が見つかるまで」

 

 少年は自分の命を危険に晒そうというのだ。出会って間もない級友のためだけに。

 

「貴方は……貴方は何故そこまでしてくれるのですか?私達と貴方はまだ知り合ったばかりです。殆ど互いに何も知らない間柄だというのに……」

 

「何故……か。うーん、困ってる人を助けるのに大層な理由はいらないとは思うけどね」

 

 それに、と少年は続ける。

 

「彼女の歌、まだ聴いてないからね」

 

 無言で海未は静かには下を向いた。大和撫子と称される一因である癖の無い黒髪が、少女の表情をまるで仮面のように覆い隠す。

 

「おかしいこと、言っちゃったかな?」

 

 海未は俯いたまま首を横に振った。

 

「いえ、違います。そうではありません。ただ……」

 

 慌てて静流の懸念を否定した海未が顔を上げた。目元には今にも溢れ落ちそうなほどの雫が出来上がっていた。急に顔を上げたせいか、溜まっていた大粒の涙は目元を離れて海未の頬をそっと伝っていく。

 

「手を差し伸べてくれる人の存在が……共について来てくれる人の存在がこんなにも嬉しいだなんて……」

 

「海未ちゃん……」

 

 これまで黙って二人を見ていたことりが、涙を手で拭きとろうとする海未の肩を支えた。静流はそんなやりとりを前に満足気に笑っている。

 

「うん!よし決まりだ!早く妹さんもヒデコちゃん達もこれ以上悲しませるわけにはいかないからね。ちゃっちゃと助けに行こうじゃないか!」

 

「ところで……貴方はどうやって穂乃果を助けだそうというのですか?」

 

 涙を拭き終えた海未が恐る恐るといった様子で尋ねた瞬間、静流の笑顔が凍りついたように固まった。

 

「えっと……それはこれから……」

 

「……貴方も思いついていなかったのですね」

 

 さっきの意趣返しと言わんばかりに、海未は大袈裟にため息を吐いて見せた。

 

「ま、まだまだ!夜まで時間はあるし!」

 

「もう、そんな調子で私のことをとやかく言われても困ります」

 

 咎めているというより、からかっているような口調だ。二人の間にあったピリピリとした緊張感に包まれていた空気が、既に和らいでいるがわかる。安堵したことりは二人から視線を外し、ふと、今は消えていなくなった親友の席へと今度は目を向けた。

 

「あれ?穂乃果ちゃんの机の中……」

 

 ただ日常から消え失せてしまった穂乃果との時間を慈しむだけのつもりだった。故にこの少女が抱いた違和感は偶然の産物でしかない。だが、人の世はいつの時代も偶然によって大きなうねりを見せてきたのだ。これもまた少年達にとって大きな転機となるのだろうか。

 

「二人共!これ見て!」

 

 ことりに言われた通り、二人の少年少女は穂乃果の机の中を覗き込む。思春期を迎えた静流にとって、うら若き乙女の秘密の領域を探るのはあまり褒められた行為ではないとは思うのだが、この際構っていられない。

 結論から言えば、静流の心配は杞憂でしか無かった。穂乃果の机には彼女の私物はおろか、教科書やノートといった勉強用具の類すらも全く残されていなかったのだから。

 だが、

 

「穂乃果ちゃんの机の中、何も入ってないの」

 

「そんなはずはありません!穂乃果は教科書を回収するために学校へ侵入したのでしょう⁉︎」

 

 何も残っていないからこそ、三人にとって大きな違和感がそこにあった。

 

「……ごめん南さん。もう一度高坂さんの妹さんに電話を掛けてもらえないかな?」

 

 言われた通りに再び雪穂と連絡を取りあったことりは、通話が終わるなり静かに頷いた。静流は唸りながら手に顎を乗せる。

 

「ありえる理由は2つ。まずは1つ目、最初から高坂さんは忘れ物なんてしていなかった。でも、これに関しては現時点では可能性が低い。彼女の妹さんに確認してもらった限り、家に数学の教科書は無かったんだよね」

 

「うん、雪穂ちゃんに頼んで穂乃果ちゃんの部屋を全部調べてもらったんだけど、やっぱり見つからなかったって」

 

 すなわち、穂乃果の見立て通りに机の中に置き去りだった可能性が高い。と言うよりほぼ間違いないだろう。図書館などの公共施設も一応ありえなくもないが、穂乃果は大の勉強嫌いである。言い方は悪くなるが、彼女が友人達が側にいない中、教室と自宅以外で教科書とノートを開くなど到底考えられない。

 

「ということは……」

 

「ああ、もう1つの可能性、高坂さんは影時間が到来する前、既に教室に来ていた。そして、机の中に放置されたままだった教科書を回収していた、ってことだね。そして、今朝、教室の扉は解放されたままだった。つまり……」

 

「穂乃果ちゃんは教室にいた時に校舎の変異に巻き込まれた?」

 

 自分の教科書を机から引っ張り出したまさにその時だったのかもしれない。不運な事故に巻き込まれてしまった少女は、日付が変わる直前お目当の物を手にしていたのだろう。

 

「……そうか!だったら!」

 

 手に顎を乗せた状態で愉快そうに静流はニヤリと笑った。さながら犯人の正体を見破った推理小説の主人公のように。

 

「ど、どうしたの?」

 

「すごいよ。閃いちゃった。これこそまさにパズルのピースが揃ったって奴なのかもしれない!」

 

「意味がわかりません。いったい、どうしたのです?」

 

 やけにもったいぶった物言いにイラついたのか、海未は眉を顰めながら問いかけた。

 

「ごめんごめん。ふざけてるつもりは無いんだ。二人共、よく聞いて欲しい。これはあくまで可能性が高いという話。絶対に上手くいく保証は無いし、リスクもかなり高い。けど、それでも彼女を探し当てるにはやはり一番可能性が高い方法があるんだ。それを今、この場で僕は見つけ出した!」

 

 一瞬怪訝そうにしていた海未とことりの目が徐々に丸くなっていく。静流の言わんとしていることを理解したのだ。

 

「まさか……」

 

「そのまさかだよ。高坂さんに会いたいなら、僕らも彼女と同じ道を辿っていけばいいんだ!あの子は教室にいる最中に巻き込まれてしまった。だから……」

 

 静流はグルグルと空をかき混ぜているかのように人差し指を回している。その姿はさながら、察しの良い生徒の反応に喜びながら答え合わせを始める教師のようだ。

 

「僕らも教室で影時間を迎えれば、彼女と同じ場所に行けるかもしれない!」

 

 静流が妖しく口元を釣り上げると同時に、穂乃果が行方不明になって以来ずっと翳りが差していた海未達の瞳に輝きが戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目よ!危険過ぎるわ!二重遭難に陥いったらどうするつもりなの!」

 

 絵里は開口第一に怒鳴りながら理事長室の壁に拳を叩きつけた。かなりの力を込めていたようで、ドンっと重く鈍い音が部屋中を響き渡った。

 

「教室に入ったまま影時間に突入するですって?馬鹿を言わないで!正面のゲートからでも何が待ち受けているのかわかったものじゃないのよ!どこに飛ばされるかなんて全く予想もつかない!そんな不安要素だらけの作戦、断じて許さない!」

 

 関係者以外は誰もいない理事長室とはいえ、人目を憚らずに威圧感を放つ彼女の剣幕に、海未の後ろで控えていたにも関わらずことりは一瞬ビクッと震えてしまう。絵里とは互いに視線を外さない海未は一切動じなかったが、表情は微かに険しくなった。

 

「うーん……でも、あの子の居場所がわからない以上、見つけ出すアイデアとしては悪くないとは思うんやけどね」

 

「希まで何言ってるの!確かにそう!救出に向かうだけならね!問題はその後よ!」

 

 本来なら味方のはずの希がよりによって後輩達の肩を持ったのが気に入らないかったのか、絵里の怒りはまさに火に油を注いだかのように更なる苛烈さを増していた。

 

「おまけにただでさえ実践経験の乏しい新人ばかりなのに、そんな博打みたいな真似……決して認められないわ!」

 

 一気にまくし立てた後に、より強い語気で言い放つ。絵里の怒りは後ろの机で手を組んだまま黙して語らない理事長にも向けられた。

 

「理事長も何か言ってください!たかだか一人のために、ようやく確保した貴重な戦力をみすみす失う危険を冒すなんて……」

 

 その時、無表情を務めていた海未の眉毛がピクリと動いた。

 

「たかだか……一人?」

 

「えりち……」

 

 絵里の隣にいた希が眉毛を八の字にしながら横に首を振った。

 

「気持ちはわかるけど、あの女の子は海未ちゃん達の大事な幼馴染なんよ。もうちょっと言い方があるんやないかな?」

 

「……くっ!」

 

 片腕とも言える存在の希に諭された絵里は苦々しげに、壁に叩きつけていた拳をゆっくり下ろした。ヒートアップしていた親友がいくらかクールダウンするのを見届けた希は、ため息混じりで少し気まずそうに海未達に向き直る。

 

「君らも許したげてな。えりちも君らが心配やから反対しとるんよ。おまけ今日はあの子の件で警察から事情徴収も受けさせられてたからなあ。今朝からちょっとイライラしてるみたいなんや」

 

「いえ、会長のお考えはリーダーとしては当然ですね。単純な足し算引き算なら一般人の穂乃果を切り捨てるのは自明の理でしょうから」

 

「う、海未ちゃん!」

 

 もはや挑発とまで呼べる海未の棘がある物言いに、矛先を向けられている絵里は不愉快そうに顔をしかめた。喧嘩腰の海未を止めようと、ことりがその華奢ながらしっかりと鍛えられて無駄な肉の無い腕を掴む。

 あまりにも剣呑な空気を放つ二人に、横にそれぞれ並ぶ友人達は頭を抱えているようだった。

 

「ともかく……私は反対です。この判断は断固として覆すつもりはありませんから」

 

 絵里は苛立ちを隠せない様子で前髪を雑に掻き上げると、背後の静流をギロリと睨みつけた。精錬されたサファイアのように深みのある青の瞳が、鋭い眼光を放ちながら少年をまっすぐと捉える。

 

「……天宮君、あなたには少しがっかりしたわ。まさかよりにもよって言い出しっぺとはね。もうちょっと思慮深くて聞き分けの良い子だと思ってたのに」

 

 睨まれた静流は困ったような顔で肩を竦めるだけだった。

 理事長室にしばしの沈黙が訪れる。壁に設置された時計の針が刻み続ける際の無機質な音が少女達の精神を苛ませていく。

 

「園田さん……いえ、海未ちゃん」

 

 ようやく理事長は沈黙を破り、ゆっくりと口を開いた。

 

「あの子を……穂乃果ちゃんを……どうしても助けてあげたいのね」

 

「はい、そのつもりです」

 

「そう……やっぱり。いえ、当然ね」

 

 理事長は迷いなく即答した海未に微笑むと、椅子から立ち上がって窓際に移動した。大人の貫禄のある背中が生徒達に向けられる。

 

「貴女の気持ち……すごくわかるわ。だって大切な幼馴染なのだもの。当たり前よね。私にもそんな人達がいたから、すごくわかる」

 

 少年少女達からはその表情は見えない。だが、背中越しのその語り口は普段の理事長としての厳格な口調ではなく、自分達の母親が我が子に優しく語りかける際のそれに酷似していた。

 

「責任者として、まだ子どもに過ぎない貴方達の命を預かっている身としては……貴方達の作戦に反対です。あまりにも無謀すぎます。決して認められる内容ではありません。綾瀬さんの言う通り、貴方達まで失うわけにはいかないのですから」

 

 結局、理事長は穂乃果よりも、海未達の身の安全を優先させた。

 この決断に絵里はそっと胸を撫で下ろし、海未は今にも理事長ヘと飛びつきそうな勢いで食ってかかろうとする。

 

「ですが」

 

 理事長がこちらへと向き直った。

 

「友達を心配して一晩中泣きじゃくった娘を持つ母親としては……放っておけないわね」

 

 理事長は、いや、穂乃果と海未の幼馴染を娘に持つ女性は、手がかかる子どもを前にしているかのような、困っているかのような、しかしながら何処か嬉しそうな顔をしていた。

 

「ことりったら、貴方達がいないところでは目が腫れちゃうくらいに泣いてたのよ?」

 

「も、もうお母さん!」

 

「ことり……」

 

 海未は驚いた様子でことりを眺めた。ことりにはそれが少々気恥ずかしいらしい。微かに頬を赤く染めてはにかみながら、天井を仰ぎ見ている。まるで悪戯が見つかった子どものようだ。

 

「海未ちゃんを心配させたくなかったから……みんなの前では絶対に泣くもんかって決めてたの。でも、その分、家では我慢できなかったみたい」

 

「すいません、ことり。私は自分の事しか考えていませんでした……私には穂乃果だけでなく、あなただっていつも一緒にいたはずなのに」

 

「そうやって一人だけで抱え込まないで海未ちゃん」

 

 自分の不甲斐なさを痛感するあまりこうべを垂れる海未に、ことりは優しく微笑み返した。

 

「海未ちゃんはいつだって一生懸命な子だから。穂乃果ちゃんが心配で頭がいっぱいになっちゃうのは仕方ないと思う。それにそんな海未ちゃんだから、私は海未ちゃんを信じて追いかけていられるんだ。真っ先に穂乃果ちゃんを助けに行くって言った時、海未ちゃんはやっぱりすごいなって思ったもん」

 

 だけどね海未ちゃん、と付け足してことりは続ける。

 

「穂乃果ちゃんが大事なのは……海未ちゃんだけじゃないんだよ?」

 

 穂乃果の友人の中では一番早く冷静さを取り戻していたかのように見えていたことりだが、その実、陰で一人悲しみを堪えていたのだろう。そして、今は海未の勇気に触発されて、危険を顧みず自ら穂乃果を助け出そうとしている。そんな娘の健気な姿に、最も側にいる理事長としては思うところがあったようだ。

 

「……今回だけですよ。今後は同じような手を使うことは一切認めません」

 

「理事長!」

 

「ありがとうございます!」

 

 絵里の怒声と海未の歓声が同時に飛び交う。

 

「東條さん、絢瀬さん、彼女達の突入の際にはサポートをお願いしますよ。貴方達の能力は高坂さんを救出するのに必要不可欠です」

 

「はい、理事長先生」

 

「納得出来ません……こんな!」

 

「絢瀬さん、気持ちはわかりますが、もしも高坂さんを見捨てれば、いずれにせよ園田さんは二度と我々に協力してくれなくなりますよ。彼女の意思は誰にも曲げることはできないと薄々気づいているでしょう?だったら少しでも救出の可能性を向上させるべきです」

 

「くっ……」

 

 歯を食いしばって眉間に皺を寄せる絵理に苦笑いしつつ、理事長は再び自分の椅子に腰を落ち着けた。

 

「時が経つのは早いものね。いつも穂乃果ちゃんとことりの後ろで泣いていたあの子が、こんなにも強い女性に育つなんて……」

 

 感慨深げに呟く理事長に対して、海未は微笑みながら首を横に振った。

 

「私はまだまだ強くありません。穂乃果がいなくなった途端、これ程までに取り乱してしまうように未熟者です。むしろ、私にも弱い姿を見せまいとしていたことりの方が本当に強いのだと思います。私は激情に駆られ、ことりの涙に気付けない程まで周りが見えなくなってしまっていました」

 

「ふふふ……そんなことないわ。どんなに大切な人であっても、迷いなく危険な場所へ飛び込んでいくなんてなかなか簡単に決めれるものじゃない。それに貴女はそうやって自分の過ちを素直に認めれる。大丈夫よ。貴方は間違いなく強い。そしてこれから、今よりももっと強くなれるわ」

 

 海未はここまで言われても納得しきれなかったようだが、娘と同年代の少女の強い決意に理事長は満足しているようだ。

 

「ですが、作戦を認める代わりに一つ約束です」

 

 突如として理事長の笑顔が消え、真剣な表情に切り替わった。理事長が慈愛に溢れる母としての姿ではなく、再びこの場の責任者としての仮面を付け替えたのだろう。人は無数の仮面を付け替えて生きている。この女性もまた例外ではないということだ。

 

「必ず帰って来てください。貴方達と同じような思いをする人をまた増やしてはいけません。もしも失敗すれば、次は御家族が今の貴方達のような辛い悲しみを背負います。ある日突然大事な人が消えていなくなる苦しみはもはや理解できるでしょう?」

 

「その心配は無用です。必ず穂乃果を助け出して帰ってきますから!」

 

 やけに自信たっぷりと応える海未を前に、理事長は苦笑いしながら肩を竦める。

 

「……ここまで決意が固いなら、私が止めても無駄だったでしょうね」

 

「ええ、理事長と会長が諌められたとしても、私一人で行くつもりでした。例え力づくで止めようとしても」

 

神妙な面持ちで拳を強く握りしめる海未。そんな彼女の肩に、ポンと手を置く人物がいた。

 

「何を一人で背負ってるの。僕も行くよ」

 

 まるでピクニックでも付いて行くかのような軽いノリで語る静流に、絵里は青ざめる。

 

「天宮君!君はまだ一度も実戦を経験してないでしょ!無茶よ!」

 

「いや、でも作戦を考えた僕が行かないとか、ちょっとありえないかなーとか」

 

「そういう問題じゃないわ!」

 

「……良いのですか?」

 

「さっきも言ったけど、君だけでどうにかなるわけないでしょ。ここは言葉に甘えて、ね?」

 

「はい……ありがとうございます」

 

「海未ちゃん!天宮君も!一緒に頑張ろう!絶対に穂乃果ちゃんを助け出そうね!」」

 

「ふふ……もちろんです」

 

 ことりは海未に抱きつきながら満面の笑みで笑った。これで穂乃果を助けに向かうメンバーは揃った。そう思っていた。

 

「……私も行きます」

 

「西木野さんまで⁉︎」

 

 壁際に寄りかかっていた真姫はそっと手を上げた。この場にいる誰もが驚いたようで、各自大袈裟なリアクションを取っている。合理主義者の真姫はてっきり反対派なのだとばかり思っていたのだろう。たった一人の女生徒を助けるために、複数人が不確実な計画によって身を危険に晒す。どう見ても非合理的な判断であるのは海未すらも認めるところであった。

 

「先輩達は戦いに関しては素人に毛が生えたレベルでしょ?私も一緒に行けば生存率は格段に向上するはずです。少なくとも損はしませんよ」

 

 真姫が右目をつぶって軽くウインクした。同世代の少女と比べても長身、かつ華やかで大人びた容姿を持つ彼女だけに非常に様になっている。

 

「でも、あなたまで行く必要は……わざわざ危険を冒す理由は無いでしょう」

 

「顔を知ってる人が死ぬかもないなんて、目覚め悪いじゃないですか。それに先輩達の作戦、今度はまるっきり勝ち目が無いってわけじゃないでしょ?まあ相変わらず分は悪いけど」

 

 意外な人物の参加表明にあんぐりと口を開いていた静流だが、次第に口元を楽しそうに吊り上げた。

 

「西木野さんって……意外とお人好しなんだねえ」

 

「お、お人好しは余計です!それに闇雲に先輩を探すのだったら私だって力を貸そうだなんて思ったりしませんよ!あくまで勝算があるからですから!」

 

 今までの殺伐としていた理事長室に、和気藹々とした空気が流れ始める。

しかし、その中でも未だに交わろうとしない者がいた。拳をきつく握りしめ、わなわなと震わせている絵里だ。彼女は俄然として己の主張を変えていなかった。変えるつもりすらなかった。

 

「……みんな何言ってるのよ。自分達のやろうとしている事がどれだけ危険か本当にわかっているの?ゲームみたいにやり直しなんて一切効かないのよ?」

 

 絵里の声は震えていた。一時的に絵里と険悪な空気まで流れていた海未までもがいたたまれなくなったかのように俯く。

 

「これは単なる迷子探しじゃない。あなた達まで犠牲になってしまったら私は……私は……!」

 

「わかってますよ」

 

 内心を吐露したこの少女に優しく声をかけたのは静流だ。

 

「だから絢瀬先輩は心配してくれてるんですよね」

 

 少年は、絵里に対してこれ以上無いほどに深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げる静流の姿を前に、絵里はもはや言葉を失ってしまったようだ。苦々しそうに歯を食いしばりながらも、視線を合わせることができなくなっていた。一方、少年は慌てて目を背けた絵里の姿に微笑むと、体を起こして背後の共に戦場へ向かう仲間達に振り返った。

 

「よし、善は急げだ。今日の夜に僕らの教室から高坂さんに会いに行こう!」

 

 穂乃果を助けることを目標に団結した少年少女達。最後まで反対を続けていた絵里には、もはやその意思を喪失しようとも彼らを直視できなくなっていた。顔を見せまいとするかのように壁の方を向いていた。

 

「本当にえりちは心配性やなあ。素直になれないのが玉に傷やけど、本当に良い子や」

 

 疎外感に苛まれているであろう親友に希は背後からそっと声を掛けた。他の誰にも聞こえないように声のボリュームを落としているのは、絵里に気を使ってのことだろう。

 

「なあに、大丈夫や。一度この子らが中に入ってしまえば、うちの索敵でばっちり拾えるからな。なんとかなると思う」

 

 絵里は希に一切黙ったまま何も語らない。どんな表情なのかも見せようとしない。決して見せたりはしないだろう。如何なる時も強い存在たらんとする絵里が自分の弱った姿を見られるのは許されることではないのだから。

 しかし、絵里の親友である希には、彼女の後ろ姿を目にするだけでそれとなく秘めた感情を察することができる。希から見た今の絵里の後ろ姿は、少なくとも常に模範的な生徒であろうとする厳格な生徒会長としてのものではなく、か弱い年頃の少女そのものの小さな背中でしかなかった。

 

「ねえ希」

 

 口をようやく開いた絵里もまた同じく、すぐ側にいる希にしか聞こえないような小さな声で呟く。

 

「ん?」

 

「もしも私が高坂さんの立場になっていたら……あなたはあんな風に助けに来てくれる?」

 

 決して顔を見せようとしない絵里の背中に向かって、希は改めて優しく微笑んだ。

 

「当たり前やん。それはえりちも同じやない?うちは海未ちゃんみたいに一人で飛び込んでくるじゃないかって逆に心配になってるよ?」

 

「……ふっ」

 

 相変わらず顔を見せることなく、返事も返ってこなかったが、絵里も同じく静かに笑ったように見えたのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。