* * *
大した意味も込めていない無価値なものに、とびっきり嘘くさい言葉を添えて送る。そんな薄っぺらいものでさえ、とびっきり嬉しそうに喜ぶ男子たち。
ほんと、チョロいなぁ。わたしからすればただの社交辞令だったり、自分の誕生日に備えての撒き餌でしかないのに。
……なんて、前は思っていたけど。
「ううっ……わかんない、わかんないぃ……。わたし、どうしたらいいのー……」
まさか今、その経験とひねた価値観が自らを苦しめることになるとは。夕刻寸前の歩道橋の上でわたしの弱音が虚しく響いた。
タイムリミットである八月八日は、もう明日にまで迫ってしまっている。プレゼント選びなんて余裕余裕、わたしなら楽勝でしょ! ……といった調子でどや顔していた数日前のわたしを今すぐはっ倒したい。
一昨日は千葉パルコとC・one、昨日はイオンモール幕張ときて、今日は東京BAYららぽーと。しかしここまで遠出しても未だ収穫はなく、両手は留守が続くばかり。
たった一人の、誰よりも大切な人。そして、誰よりも大好きな人。その人が生まれた日に、わたしの愛情をめいっぱい詰め込んだ物を贈る。どうでもいいイミテーションの宝石ばかり身にまとっていた時には、経験したことのない特別感。けど、その感覚が逆に向かい風を吹かせていた。
「ぱぱっと決められた……はず、なんだけどなぁ……」
あの人が好きなもの、嫌いなもの。
あの人が好きなこと、嫌いなこと。
それらを全部、とまでは言えなくても、今ならだいたい知っている。わたしが知らない部分もまだまだあるだろうけど、それでも、なんとなくわかってしまうくらいには理解していて。
なのに、全然わからない。いくら想像しても、まったくイメージが湧いてこない。一体どうしたらわたしが一番になれるんだろう。
きっとあの人はわたしが何を贈っても、不器用なお礼を優しく言ってくれる。どんなに微妙なプレゼントでも、嬉しそうに受け取ってくれる。
でも、それじゃ嫌だ。そんなんじゃ、だめなんだ。
一年のうちのたった一日しかないからこそ、わたしが一番喜ばせてあげたい。いずれどうでもよくなるような薄っぺらい思い出なんか、あの人には絶対にあげたくないし絶対に作りたくない。それこそ、自分の時以上に強く思う。
わたしはたまらず手を伸ばし、前髪を飾るヘアピンにそっと触れた。
「……泣いちゃいそうになるくらい、嬉しかったなぁ」
忘れない。忘れられない。なにより、忘れたくない。
綺麗にラッピングされた箱を差し出してきた時の不慣れな様子や、真っ赤だった顔も。
当時は素直になれなくてついつい減らず口を叩いてしまったわたしに向ける、苦々しい視線も。
わたしを褒めてくれた時のそっけない声も、ぎこちない言葉も。
結構な時間が過ぎた今でも、思い返せば嬉しさで表情が緩む。心の奥底から温かい気持ちが溢れ出してくる。
だから。
「……よしっ、もうちょっと頑張って探してみよっと!」
やっぱりわたしは、同じ幸せをせんぱいと分かち合いたい。せんぱいの恋人になれた一色いろははどうしようもなく諦めが悪くて、簡単にはくじけない女の子なんだっ!
ひびが入りかけていた意思と折れかけていた意志を両方奮起させ、わたしは今しがた歩いてきた帰り道を引き返した。
――もしかしたら見落としがあるだけかも。
そう前向きに考えつつ、ショッピングモール内を必死で駆け回ることもう一周。しかし結果は変わらず、最後まで手ぶらなまま入り口へ戻ることになってしまった。
「……明日、どんな顔してせんぱいに会えばいいのかなぁ」
壁際でぺたりとしゃがみ込み、悲しく細めた目を頭上へと向けた。
そこには、すっかり色合いの逆転した空が広がっている。まるで目的を達成できなかったわたしをあざ笑うかのように。
流れていく雲。刻々と近づく期限。こんなことしてる余裕なんてないのは、わたしが一番わかってるけど。
やり場のないストレスに何度もため息を吐いていると、ぶらさげたポシェットの中からぶるりと震えが走った。
こんな時に一体誰だ、と不満に思いながらも携帯を取り出せば、なにやら着信中の画面が表示されている。そして、発信者の名前を確認したわたしはそっと視線を外す。
よし、見なかったことにしよう。寝ちゃってて気付かなかったことにしよう。
といった具合に一度は無視を決め込んだものの、振動は止まらない。そのせいで徐々に罪悪感が膨らみ始めてきてしまったわたしは、結局ぽちりと通話ボタンを押したのだった。
「もー、なんですかはるさんー……」
『ひゃっはろー、いろはちゃん。どう? 元気?』
「たった今元気じゃなくなりましたけど」
『あ、そんなこと言うなんてひどーい。お姉さんすごく悲しいなー……』
電話口の向こうからよよよと嘆く声。うん、超わざとらしい。まぁ、人のこと言えないけど。
先々月に連絡先を交換して以来、陽乃さんはちょくちょく電話をかけてくるようになった。しかも暇だとか眠くないだとか、毎回毎回、理由が超しょうもない。……うん、やっぱり人のこと言えないけど。
「……そういうのはいいですから。で、今日も暇つぶしの相手しろーって感じですか? だったらわたし今家にいないんで他の人を……」
『違う違う、今日はちゃんと用があってね』
「……えっ」
だからてっきりまた同じパターンなんだろうなと予測していたが、どうやら今回は違うらしい。
『なにその意外そうなリアクション……。いろはちゃんはわたしのことなんだと思ってるのー?』
「ちょっ……人の真似しないでくださいよー!」
『あはは、ごめんごめん。ついからかいたくなっちゃった』
つい、にしてはやたらと多すぎませんかね……。まったく、みんなしてなんでわたしをいじめるんだ。わたしをいじめていいのはせんぱいだけなのに。せんぱいだけなのに!
なんて自分でもよくわからない怒りを覚えていると、耳元からくすくすと楽しげに笑う声が響いた。せんぱいのことを考えていたのがバレてしまったらしい。
『ま、今日は触れないでおいてあげよう』
「ううっ……」
これ以上はやめて! わたし恥ずかしくて死んじゃう! ていうか結局からかわれてるし!
むず痒くなる優しさに思わず髪を振り乱したくなるがぐっとこらえ、思考を切り替える。
「……と、とにかくわたしのことはいいですから! で、さっき言ってたはるさんの用って一体なんなんですか?」
あまり聞きたくないけど、この場で延々と捕まり続けるのも面倒だ。なので仕方なく、嫌々ながらも尋ねると。
『あ、そうそう、今から静ちゃんとご飯食べに行くんだけどいろはちゃんも来れる? ていうか来なさい』
うん、やっぱり聞くべきじゃなかったかも。おまけに命令形ときた。
「で、でもわたし今日はまだ……」
そこまで言いかけたところで口をつぐむ。
このままがむしゃらに探し回る以外の案が、わたしには浮かんでこなくて。かといって具体性に欠けた周回ばかり増やしても、結果は一向に変わらない気がした。
――なら。
『まだ……なーに?』
「……いえ、なんでもないです。場所どこですか?」
未練を振り切ってそう伝え直すと、携帯で繋がった先から蠱惑的な微笑を漏らしたような息の音が聞こえた。
* * *
メールで送られてきた情報に従い、目的の駅で降りる。
せんぱいと付き合い始めてからは帰りが遅くならないよう気をつけていたので、こんな時間まで外にいるのは結構久しぶりだ。また、この辺り一帯はわたしの主な活動範囲ではないことも手伝って、なんだか新鮮な気分にもなる。それこそ、いけない夜遊びをしている感じの。
でもでも、わたしの心はずっとせんぱいだけのものですからっ!
ふと生まれた些細な自責に、胸の中だけで惚気じみた言い訳を浮かべつつ。吐き出される人の波に押されながらも駅の出口を抜けると、車の前照灯にライトアップされたロータリーが視界の先に広がった。
……さてさて、待ち合わせはこのあたりのはずだけど。
「あ、いたいた。こっちこっち」
陽乃さんたちはどこかなーと首を動かし始めたタイミングで、すっかり聞き馴染んだ声が耳に届いた。反応してそちらに視線を移せば、目的の人物がこちらに向けてひらひらと手を振っている。
ただそれだけの、ありきたりな風景なのに。陽乃さんの姿は、雑踏の中でも相変わらず目立っていた。
「改めてこんばんはですー」
「はーい、こんばんはー」
陽乃さんにぺこりと一礼した直後、はてと気付く。
「……あれ? 先生は?」
「静ちゃんならお店で待ってるよ。席押さえとかないと待たされちゃうからね」
「あー……今の時間帯、席は早い者勝ちですもんね……」
夜の駅前というのは、大抵どこも似たり寄ったりなんだろうけど。少なくとも現在の混雑模様だけでも、付近のお店がほぼ満員に近いことは想像に難くない。
空席状況に懸念を示していると、一歩前を歩いていた陽乃さんがちらりと首だけで振り返った。
「ま、これから行くところはそんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ。ちょっとした穴場だからねー」
「そうなんですか? あ、ていうかわたし何食べるか聞いてない……」
「ふふっ、それは着いてからのお楽しみ」
はるさんがそのセリフ言うと超怖いんですけど。サプライズだとかかこつけて変なもの食べさせてきそうなんですけど。で、わたしのリアクション見て大爆笑しそうなんですけど。
「……ちゃんと食べられるもの、なんですよね?」
はっきりと浮かんだ嫌なビジョンに耐えかね、自ら地雷を踏み抜いてしまった。そんなわたしの疑問を聞いた陽乃さんは、むっと頬を小さく膨らませる。
「もー、失礼だなー。さすがにそういうのはしないってば。静ちゃんもいるんだし」
……あのー、それって先生がいなかったらやるかもしれないってことですよね?
顔を引きつらせたわたしとは対照的に、陽乃さんがくすりとした笑いを落とす。でも今は、前ほど耳にこびりつくようには感じられなくて。
わたしは歩調を少し早め、陽乃さんの隣に並ぶ。
「疑われるのは日頃の行いが悪いからですよーだ」
「おっ、言うようになったなー?」
だからわたしも、こうやって生意気な部分を表に出せるようになったわけで。
という具合に、陽乃さんと仲良くきゃいきゃいじゃれ合いながらも岐路の一つを進んでいくと。
「はい、到着」
暖簾のかかったお店の前で陽乃さんが足を止めた。釣られて看板を見てみれば、お好み焼きともんじゃ焼きがメインのお店らしいことがわかった。
「もんじゃ焼き……」
ええっと……確かでろでろーってしてる感じの食べ物だったっけ。見た目くらいしか知らないけど。
「ありゃ、もしかして知らない?」
「いえ、名前とかくらいは。でも実際に食べたことはないです」
「そっかそっか。じゃあ今日が初体験だね」
……わざと誤解を招く言い方するの、やめてほしいんですが。ほら、あれこれ想像してわたしがいろいろ大変なことになっちゃうから!
一体困り顔なんだかにやけ顔なんだか、自分でも判別がつかない。そんな曖昧な表情を晒したわたしにかすかな笑いを置いて、陽乃さんは引き戸を開けて中に入っていった。
改めてもう一度店構えを眺めつつ、おそるおそる遅れて続く。すると何かが弾けるような音やら焼けるような音やら、ソースの香ばしい匂いやらがまとめて襲ってきて。
あまり馴染みのない空気だ。……でも、嫌いじゃないかも。
なんて感想を抱きながら少し離れてしまった後ろ姿を追っていくと、奥側の席の手前で陽乃さんが立ち止まった。どうやらあそこに平塚先生が座っているらしい。
「静ちゃん、お待たせ。席取っといてくれてありがとね」
「このくらい構わんよ。……それはともかく、肝心の一色はどうした?」
「いろはちゃんなら……」
再び大きくなった背中にちょうど合流した直後、陽乃さんが身体を反転させる。動いた肩口から覗かせたわたしの顔が、その向かいにある平塚先生の瞳と線を結ぶ。
そういえば、プライベートで先生と会うのって……。ふと頭を通り過ぎた思い出の一つに、少しだけ遠くを見つめてしまった。
苦いのに、甘くて。
甘いのに、苦くて。
「……こんばんはです、先生」
陽乃さんと不意打ちと一瞬の回想が重なったせいで、挨拶を済ませるまでワンテンポほど空いてしまった。その時間差を見ていた平塚先生は、わたしを気遣うように優しい笑みを口元に宿す。
「急に陽乃が悪かったな、一色。……詫びと言うのもなんだが、今日は私が全て持とう。好きなだけ食べるといい」
「おー、静ちゃん太っ腹ー! じゃあわたし今日は飲んじゃおっかなー」
花を咲かせ始めた会話とは正反対に、わたしの心は萎んでしまっていて。しかしこのままというわけにはいかず、場の流れに従って椅子を引く。そうして平塚先生の対面には陽乃さん、その隣にはわたしが、といった位置取りになった。
「いろはちゃん、何飲む?」
「……あ、えっと、アイスティーで」
上の空気味になってしまったせいか、どうにも反応が鈍くなる。二人とも触れてこないのが不思議なくらいに。
やがて運ばれてきた冷たい紅茶をちびちび飲みながら、合間合間にため息を交ぜる。
せっかく気分転換しに来たのになー……。
明日が期日という事実を認識するたび、重圧としてのしかかってくる。水浸しになった服のように重くまとわりついてくる。とはいえ、どん詰まりになった現状を打破する策なんかない。そもそも障害となっている壁が何かすら今だわかっていない。
そんな心境から、両手で頬杖をついてむすっとふてくされていると。
「……つくづく感情の移り変わりが忙しいやつだな、君は」
苦言を呈しつつ、どこか嬉しそうにも見える表情で平塚先生が吐息交じりに笑う。一瞬で心情を見透かされた気がして、ぷいっと視線を流してしまう。
すると、陽乃さんが何かを閃いたようにぱんと手を打った。
「あ、それで悩んでたのか」
「……ふぇ?」
「ほら、比企谷くんの誕生日プレゼントがーって」
「え、なんで知ってるんですか」
いつのまに仕入れたんだその情報。わたしのプライバシーどこいった。
「いろはちゃん、この前電話中に自分で言ってたけど」
じとりとした眼差しを送ると、すかさず反撃が飛んできた。そこに含まれていた単語に、一つだけぴんとくる出来事が。思わず嫌な汗がつつりと垂れる。
「……もしかして、わたしが途中で寝ちゃった時、だったり?」
「うん。寝言、ばっちり聞いちゃった」
あああぁぁ……。ど、どうしよう、わたし変なこと言ってないよね? やばいこと言ってないよね?
「いろはちゃんったら、ずっと比企谷くんのこと呼んでてさ。そしたら急に、どうしようどうしようってうなされ始めてね~」
「やめて……お願いしますやめてください……」
「案の定比企谷絡みか。面白いくらいにわかりやすいな」
真っ赤になった耳を両手で塞ぎながらのたうち回るわたしを見るなり、やれやれと肩をすくめる平塚先生。
「ほんとにねぇ」
果てには陽乃さんまで乗っかってくる始末。底意地の悪そうにくすくすと踊る口元を手で隠す仕草が、自分を見ているみたいでやたらとむずむずしてしまう。なるほど、これが同属嫌悪……や、ちょっと違うか。
なんて今度は妙な心地悪さを覚えていると、メインディッシュがやってきた。つまり、もんじゃ焼きである。
しかし、まだタネの状態なわけで。見た目の色合いなどは当然、完成系と違うわけで。
「へー……これがああなるんですねー」
ほんほんと感心しているわたしを見て、陽乃さんはなぜかけらけらと笑い出す。うっ、嫌な予感が……。
「いろはちゃんは無縁そうだもんね、こういうの。パスタとかアボガドとかそういうおしゃれなものがいいー、みたいなこと普段言ってそうだし」
「はるさんまでせんぱいみたいなこと言わないでください!」
まったく、みんなしてマジでわたしのことなんだと思ってるんだ! そういうのはとっくにやめたの! もうしないの!
「なんだ、一色も食べたことないのか」
ぎゃーすかぎゃーすか憤慨しているわたしの耳に、疑問めいた言葉がふと届いた。見れば、平塚先生が不思議そうに目をぱちくりさせている。
……も?
変な言い回しでもないのに、やけに引っかかった。
「このお店ね、去年の文化祭の打ち上げで雪乃ちゃんたちと来たの」
けど、その違和感の正体はすぐに陽乃さんが解説してくれて。
「あー、そういうことですかー……」
集まった人たちは交流関係から簡単に想像できた。奉仕部の三人や今ここにいるメンバーを除けば、小町ちゃんとか戸塚先輩とか材木座先輩とか。きっと、すごく……すごーく楽しかったんだろうなぁ。
一方、わたしはどこへ行ったかも何をしたかもろくに覚えていないわけで。……まぁ仕方ないけどさ。当時はそれでいいって思ってたんだし。
せんぱいたちが過ごしたわたしの知らない時間を比べて羨んでいると、不意に、陽乃さんがにこりと微笑んだ。
「だからお姉さんね、いろはちゃんも連れてきてあげたいなーって思ってたんだ」
「…………へ?」
数拍の間が空いた後、わたしの間抜けな声が狭い空間の中に広がった。
「それにいまさら仲間はずれってのはさすがにね。せっかくここまで仲良くなったんだし、タイミングもちょうどよかったから誘っちゃった」
打って変わって最後はてへりんと軽くふざけた陽乃さんだったが、その変化が逆にわたしの違和感を大きくさせる。直前の言葉は露骨に含ませた言い方だった分、なおさら。
真意を探ろうにも、さっぱりわからない。……タイミング? ちょうどいい?
「相変わらず表向きだけはまともなことを言うな。しかし陽乃を見ていると……本当に物は言いようだと実感するよ」
「ひどいなぁ、静ちゃんまで……」
「その言い方からして、一色にも既に何か言われていたようだな」
ぷっくり頬に空気を溜めた陽乃さんを見て、平塚先生がくくっと声をかみ殺す。
仲睦まじげな二人が交わす言葉の空中戦の横で、わたしの思考は引き続き散らかったままだ。けど、今水を差すのもなんだか気が引けて。
終着点のない迷いから瞳をふらつかせていると、小さく笑みを漏らした声が二つ重なった。
「……さて、時間も限られていることだ。そろそろ焼き始めなくてはな」
「ん、お願い」
頭にぐるんぐるんはてなが回りっぱなしのわたしを置いてけぼりにして、次から次へ話が進んでいく。陽乃さんの一声から始まった時間は、結局わたしだけが仲間はずれ。
らしくない言葉は嬉しかったのに、やっぱりどこか腑に落ちなくて。
なのに、その言葉自体が嘘だとは到底思えなくて。でも、どこか嘘くさくて。
複数の色がごちゃごちゃに混ざり合った表情をしそうになった瞬間、見計らったように陽乃さんがわたしへ向き直る。
「じゃ、いろはちゃんはお姉さんとお話してよっか」
「……え?」
突然の提案に、ますます感情がこんがらがる。なんなんだ、さっきから一体何がしたいんだはるさんは。
内心文句を言いつつ焦点の定まらない視線を隣に向けると、陽乃さんは組んだ両手の上にそっと顎を乗せた。
「決まらないんでしょ? 比企谷くんの誕生日プレゼント」
優しく諭すような声振りを聞いて、ようやく理解と納得の歯車が噛み合う。点と点が結ばれた先で、陽乃さんがあどけなく微笑む。まるで最初から予定どおりだったとばかりに。
「……なんだかはるさん、お姉ちゃんみたいです」
「わたし、実際お姉ちゃんなんだけどなー」
つい出た皮肉も、あっさり、そんなふうにかわされて。
平塚先生といい、陽乃さんといい、せんぱいといい。わたしの周りには、本当にずるい人たちしかいない。
まったく。
――いつだって、ほんと、かなわない。
* * *
自分の内側を曝け出すというのは、相当に勇気がいるわけで。それがたとえ、些細な願いだとしても。また、どれだけささやかな願いであっても。
別に強制されたわけじゃない。実際どうするかはわたしの自由なのだから、陽乃さんの持ちかけを拒否することだってできた。
けど、わざわざこんな回りくどいやり方を用意してまで。
ただの手間でしかない、わたし専用のステージを準備してまで。
もちろん、建前の裏には陽乃さんらしい理由が隠れているかもしれない。それでも今は、わたし以上にめんどくさいこの人を信じてみよう。誰かさんと同じで、特別わかりづらい優しさに甘えてみよう。
そんな結論に至った途端。
「……ガチのプレゼントするって、ほんと難しいです。わたし、そういうの、せんぱいを好きになるまで一切なかったので」
わたしの胸裏は、驚くほど自然に口から抜け出ていった。
「だから……どんなもの渡したら一番喜んでくれるのかとか、全然わかんなくて……」
言葉にするのは、こんなに簡単なのに。
とめどなく溢れ続けるこの想いは、いくら頑張っても形にできない。
舌ばかり回って、気持ちは空回り。恋人に対して不甲斐なさすぎる自分が、どうしようもなくもどかしくて。
「おかしいですよね、ほんと……。わたし、先輩の彼女なのに……」
あはっと誤魔化しながら、押し潰そうとしてくる感情を必死で外へ逃がす。だが、所詮は粗末なその場しのぎでしかない。なくなった部分を穴埋めするかのように、同種の切迫感が再び心の中に這い上がってくる。
役立ちそうなものも、身につけるものも、全部しっくりこなかった。かといって、一過性のものじゃちっぽけな記念品くらいにしかならない。
心に描いた甘い理想とは裏腹に、いつまでたっても留守なままの両手。現実とのいたちごっこが続き、比例して視線の高度も下がっていく。
すると――。
「なんだ、そんなこと」
拍子抜けしたらしく、陽乃さんは脱力してふっと短く息を吐いた。しかしなんだか吐き捨てられた気がして、悪意はないとわかってはいても眉をしかめてしまう。
「そんなことって……」
「だってそうじゃない。いろはちゃんはそんなつまらない子じゃなかったと思うけど」
「じゃあアプローチが間違ってるってことですか? わたしはただ、せんぱいに一番喜んでもらいたいだけなのに……」
「それは恋人だから?」
「……もありますけど、やっぱり、思い出って大事じゃないですか。だからわたしが誰よりも素敵な思い出、作ってあげたいです」
せんぱいとの他愛ないおしゃべりも、くだらないやりとりも。これから二人で共有する時間も、ふとした時に惹かれ合う瞬間も。大小関係なく、その一枚一枚が愛すべき記録だから。いつか二人で、未来の幸せを噛みしめられるように。
「そういう健気な部分は好きよ。でもそれじゃあと一手が足りないんじゃない? 誰だって似たようなこと考えるわけだし」
感情のままになんとか食いついていたが、最後の正論にはぐうの音も出なくなってしまった。
「……じゃあもうどうしたらいいんですかー」
がっくりうなだれたわたしの頭を、視界の端から伸びてきた手がぽんと軽く叩く。拗ねながらもちらり表情をうかがうと、瞳の先で陽乃さんが目を細くさせる。
「自分でよく考えなさい。……いろはちゃんからしか渡せない強烈なものをね」
やけに落ち着き払った声。そして、付け足された一言。言葉は酷く冷たいのに、声色は逆に温かくて。
苦々しい現実の中に芽生えた一抹の甘い期待が、わたしの錆びついた思考をぎちぎちと動かし始めた。
「わたしにしか渡せない強烈なもの……」
うわ言のように呟きつつ、ぴこんと閃きそうなものがないか心のアルバムをめくっていく。
付き合ってからは、この前のデートや相模先輩の一件以外これといった出来事はない。……となれば、もっと前なら。
わたしとせんぱいの記念日、奉仕部での一件やサッカー部を辞めた日のこと、進路相談。
二度目のデート、わたしの誕生日。
初めて自分以外の人に本当のわたしを見せた瞬間や、独りよがりな依頼を押しつけようとしていたあの頃。
どれも一つ一つがすごく濃くて、どれも欠かすことなく書き留めてある大切なわたしの――。
「あっ」
今まで気付かなかったのが不思議なくらい、わたしの気持ちと願いがぴったり合致するものが一つだけ。思わずこぼれ落ちた独り言を聞いて、陽乃さんが表情をいつもの調子に戻す。
「無事見つけられたみたいだし、お姉さんの役目はこれでおしまい、かな?」
この人には、やっぱり最初から全てが見えていて。
そして、これからどうなるかもきっとわかりきっていて。
でも、前みたいに突きつけて、突き放すんじゃなくて。
誰かさんみたいにめんどくさいやり方で、きっと、こうやって。
「……ありがとです、はるさん」
まったく。
――ほんとに、お姉ちゃんみたいだ。
夜風にあたろうと、一旦席を離れて外に出た。
もう一度空を見上げれば、流れていく雲と共に星がぽつぽつと輝いていて。
「せんぱい、喜んでくれるといいな……」
この場にない温もりを求めるように虚空へ自己満足を投げかけた時、誰かが引き戸をがららと開く。そこから現れた人物を横目で確認すれば、見知ったどころか見知りすぎた姿がある。
「邪魔するぞ」
店の壁に寄りかかるわたしに気付き、平塚先生が短く言い添えながら隣に並んできた。
「……先生」
「私は一服しに来ただけだ。安心したまえ」
「や、別にそんなつもりじゃ……」
「冗談だよ」
顔が強張ったわたしを見るなり、紫煙をくゆらせつつ平塚先生が口元を崩す。……みんなしてわたしをからかいすぎじゃないですかね。
とはいえ、今はちょっぴりセンチメンタルな気分だ。そのせいか頬の膨らみ具合はいつもより悪く、すぐにぷしゅっと空気が抜けていってしまった。
「……はー、ほんと、おせっかいな人たちばっかりです」
「おや? 君はむしろ世話を焼かれるのが好きなほうだと思っていたが」
「それはまぁ、そうなんですけど。……なんて言いますか、こう、くすぐったいっていうか」
「くすぐったい、か。……そのくすぐったさを忘れないでほしいなぁ」
なんてことない素直な感想だったが、なぜか平塚先生は懐かしむような色を灯した瞳を遠くへ向けた。相変わらず宛先は不透明で、不明瞭で。けど、戻ってきた視線を見る限りは確かにわたしへのメッセージで。
「君が今感じているくすぐったさは、損得勘定では測れないものだ。それは大人になるにつれてどんどん薄れていってしまう。だから、今、そのくすぐったさをきちんと見ていてほしい。大事なことだよ」
対策会議をした帰り道の、車の中でも。
一回目の進路相談の時も、二回目も。
つい最近の、私情まみれの個人面談でも。
真摯な優しい眼差しと語りかけてくる口調は、今でもまだ、やっぱりくすぐったくて。
「……だから、かっこつけすぎですってば」
「悪いが、そういう性分でな」
わたしの皮肉をするり流すと、平塚先生は煙草の火を消し始めた。けど、言葉の忘れ物がないか確認する時間をこちらに与えるように。ゆっくりと、静かに。
「私はそろそろ戻るが……どうする? もう少し夜風にあたるなら付き合うが」
「……いえ、大丈夫です」
「そうか」
あまり遅くなると陽乃が拗ねるぞ、と言い残し、平塚先生は先に店内へ戻っていく。
閉じられた引き戸の奥へ消えていく背中を見送った後、残ったわたしはもう一度空を仰いだ。
すると、大した時間も過ぎていないのに。
夜の海でぽつぽつと浮かぶ星は、さっきよりも、ずっと輝いて見えた。
* * *
二人との食事会、もとい相談室を経て迎えた当日。
もう迷いはないけど、不安はまだある。そんな胸中のせいか、普段よりも目的地までの距離が長く感じてしまう。身体と心のどきどきが際限なしに上がり続けていく中、黙々と、確実に足を進める。
時間にして、駅から数分。わたしの体感では、数時間。ようやく見えてきた一角に、わたしは一度大きく深呼吸をした。
照らす陽の光が人々や建物の影を作り、どこか寂しげな感じを漂わせる閑散とした住宅街。夜になるとその雰囲気がさらに強まるこの場所は、心の持ち方次第でこうも変わって映るのだと新しく知った。遠くに見えるコンビニの看板も、塗装が剥げて少し錆びている標識も、もちろん。
そのまましばらく歩いて、すっかり通い慣れた一軒家のインターフォンを一切の震え交じりに押す。直後、玄関の戸を挟んで気だるげな足音が耳に届く。
わたしは誤魔化すように、温もりに縋るように、鞄の中にしまってある宝物をぎゅっと抱きしめた。より強く、より届けと、心の中で恋人の愛称を呼びながら、何度も、何度も。
やがてゆっくりと扉が開かれ、のそっとした顔がわたしを出迎えた。
「よう」
「こんにちはです、せんぱい。それと……お誕生日、おめでとうございます」
「……ああ、昨日の電話はそういうことか。今まで小町くらいにしか祝われたことねぇから考えもしなかったわ」
なんて言いつつ、せんぱいは恥ずかしそうにがしがしと頭を掻く。
「まぁ、なんだ……わざわざありがとな、とりあえず上がってくれ」
手をドアノブに固定したまま、せんぱいがふいっと目で促す。
「……お邪魔します」
でも、わたしはお礼の言葉が欲しいんじゃない。
ただ、プレゼントを渡しにきただけじゃない。
中に入るなり、わたしはくるりとその場で振り返った。
「ん、どした」
「あの……これ……」
そして、せんぱいの胸元めがけて宝物だったそれを鞄ごとずずいと押しつける。
「……開ければいいのか」
こくりと首肯すると、受け取った鞄の留め具にせんぱいが指をかけた。
今日持ってきたものは、化粧を直すためのセットでも、勉強をするための道具一式でもない。ある種の宝箱と呼べるものが開かれていくたび、わたしの心臓はばっくんばっくんとうるさくなっていく。
そうして、かぱっと開いや鞄の口から。
わたしの、わたしだけの宝物だったものが、取り出されて。
「……ラッピングされたノート? いやでもこれ……もしかしてお前の?」
シンプルなピンクのリボンで束ねられた数冊のノート。けど、角や糊付けされた部分なんかは痛んでぼろぼろだ。上側も下側も、すれたり引っかかったりで傷だらけ。
「せんぱいに、読んでほしいです。……わたしのこと、もっと知ってほしいから」
「……わかった」
そこで言葉は途切れ、代わりに一つ、しゅるりとリボンを解いた音。
十二月、一月、二月、三月。
せんぱいは、どんな心境で見ているのだろう。
四月、五月、六月。
せんぱいは、どんな気持ちで読んでいるのだろう。
先月、先々週、先週。
なんてことのない平凡な日常も、全て欠かすことなく書き留めた内容を。
一昨日、昨日、空白。
始まりから今の今まで、わたしの全部を綴った、わたしの全てが詰まった日記を。
ノートの時系列が進んでいくたび、だんだんと視点が下がっていく。怖気づいて、逃げ出したくもなる。もし嫌われたらどうしようだとか、もし幻滅でもされたら二度と立ち直れないだとか。どれだけ相手を信じていても、自分の全てを打ち明けることはやっぱり怖いことだから。
そして、誰よりも特別だからこそ、不安はいっそう強まってしまう。涙が浮かんでしまいそうなくらいに、負の感情ばかりがどんどん膨れ上がっていく。
でも、それ以上に。
わたしのことを、もっと知ってほしいから。
今までよりも、もっと理解してほしいから。
今、どのあたりを読んでいるのかはわからないけど。
震える指先をそっと伸ばし、瞳の先にあるシャツの裾を片手で甘えるようにつまむ。
すると、一拍の後にぱたりと日記を閉じた音が静寂の終わりを告げた。
「……ったく。人の誕生日にとんでもねぇ爆弾押しつけてきやがって」
そのままノートで頭をぽすりと優しく叩かれ、おそるおそる顔を上げる。けど、わたしの視界には日付の書かれた表紙しか映らなくて。
「あの……気に入らなかったら、別に、捨てても……」
「捨てられるかよ、こんなにお前の気持ちが詰まったもん」
きっと、わたしが感じていたように。
他の人からすれば、大した意味も込められてない無価値なものかもしれない。
「……その、なんだ。こんな時くらい気の利いたこと言えりゃよかったんだが……さっぱり浮かばん。だから、まぁ、人並みな言葉で悪いんだけどよ……」
どこか噓くさくて、薄っぺらいお世辞のやりとりかもしれない。
でも、それでも。
よかった、と口の中だけで安堵を溶かした。
だって――。
「ありがとな、いろは」
震えていて、かすれ交じりの声遣いと。
そっと引き寄せられた先から伝わる、優しい温もりと。
頭上からぽとりと頬へ落ちてきた、喜びのかたまりが。
――わたしの求めていた答えを、くれたから。
これを投稿する時は、八幡の誕生日ですね。おめでとう!
しかし仕上がったのがギリギリな上、肝心の八幡はラストにしか出てこないという。まぁ斯くしてシリーズはいろはすが主人公だから仕方ないですね!(逃避
続いて重ね重ね申し訳ないですが、この場をお借りして宣伝と再掲をば。
R-18本の方では
高橋徹さん【PixivID:13134519】【ハーメルンID:85690】
暁英琉さん【PixivID:716569】【ハーメルンID:103839】
同時配布の一般本の方では、私の他に
さくたろうさん【PixivID:9357622】【ハーメルンID:103208】
ねこのうちさん【PixivID:1538917】
山峰峻さん【PixivID:2530485】が執筆しています。
素敵な表紙は稲鳴四季さん【PixivID:789384】に描いていただきました!
8月12日(一日目)の東カ33-b【やせん】でお待ちしていますので、よろしくお願いします!
長々と宣伝失礼致しました。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!