斯くして、一色いろはの日常は巡りゆく。   作:あきさん

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ふと、平塚静と一色いろはは現在進行形と過去形について説く。

  *  *  *

 

 終業式を経て、ようやく始まりを迎えた夏休み。

 それはきっと、過ぎていくのがあっという間なんだろう。勉強の合間を縫って一緒にぶらぶらお出かけしたり、二人並んで花火を見たり。そうして初めてできた恋人と、大好きでたまらない想い人と、素敵な思い出を一緒に作っていって。

 たったこれだけのことが、まるで子供の頃に戻ったようにわくわくした。絶対に幸せいっぱいな夏になると信じて疑わなかった。だから甘えのアクセル全開でがんがんブッ飛ばして、ノンストップでせんぱいにべったべたまとわりついてやるんだ!

 ……なんてカラフルな期待に胸を高鳴らせていたのが、さっきまでのわたし。だが現実は無情にも、出来る限りいろいろな夏期講習に参加するという恋人との別行動だった。

 受験のためというもっともな理由を出されてしまっては、ぐぬぬと歯がみするしかできず。

「はー……いちゃいちゃしたかったなぁ……」

 といった具合にベストプレイスで一人、恋人の不在をぼやいているのが今のわたし。近すぎるくらいすぐ隣に、奇抜なデザインをしたお気に入りの缶を置きながら。

 別に明日でも明後日でもいいじゃん。

 思い出なんて、いつでも作れるでしょ。

 自分の中で何度そう言い聞かせようとしても、本音ではやっぱり納得できない自分がいて。

 確かにそうかもしれない。それでいいかもしれない。けど、二人で共有できる時間は確実に減っていってしまう。だって、青春のカウントダウンは何があっても絶対に止まってくれないから。

 今しか、できないことがある。

 今じゃないと、見れないものがある。

 それがたとえ、ちっぽけな自己満足の山だとしても。

 わたしのためだけにある、些細な宝物の積み重ねだとしても。

 だからこそ、貴重な一日一日を少しでもせんぱいと過ごしたいのに。でも、わたしという存在が足枷になりたくない。そんな願望と自制がせめぎ合った結果、葛藤や焦りとしてもんもんとした感情を生む。

「ううっ……時間、時間が足りないぃ……」

 両手で頭を抱えつつ理想と現実の差にのたうち回っていると、かつかつと床を叩くヒールの音が耳に届く。

「……おや? ここに一色だけとは珍しいな」

 やがて、間を開けずによく通った声が背中に飛んできた。

「あ、先生……」

 しょんぼりとしたまま振り返ったわたしを見るなり、平塚先生が苦笑気味に口元を緩ませる。その表情から察するに、こちらの心境や事情はだいたい把握したらしい。……わかりやすくてごめんなさい、マジで。

「どうした、比企谷と喧嘩でもしたか? 君がそうやって落ち込んでいる姿を見るのは久々だが」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

 両手をわたたっと振って否定したものの、平塚先生はわたしの顔をまじまじと見つめながらふむと腕を組んだ。うわ、なんか捕まりそうな予感が……。ていうかわたしのことせんぱいから絶対聞いてるだろうし、もしかしてお説教じゃ……。

「まぁ何にせよ、そろそろ君とも直接話をしたいと思っていたところでな。ちょうどいい、手持ち無沙汰なら付き合いたまえ」

 やっぱりぃぃぃ……!

 勝気に微笑んだ平塚先生の姿に、わたしはうえーと顔を歪めた。

 ……うーん。

 わたしの夏休みは、ほんと、出だしから先行き不安だなぁ……。

 

  *  *  *

 

 多少薄れたとはいえ、青春真っ盛りの浮かれた声はまだまだあちこちから聞こえてくる。それはわたしも例に漏れず、せんぱいの隣できゃいきゃいとはしゃぎながら、今までとまったく違う夏を満喫する……はずだったのに。

 どうしてこうなったと内心嘆きつつ、平塚先生の後を黙ってついていくどうもわたしです。おまけに強制連行されてるようにしか見えなくて、とにかく周りの視線が痛いです。わたし、何も悪いことしてないってば……。

 しかし愚痴ったところで現状が変わってくれるわけでもない。結局もじもじむずむずとしきりに身をよじって耐えているうちに、やっと職員室の前まで辿り着く。……あー、恥ずかしかった。

「少しここで待っていたまえ」

 人目からの開放感にふーっと一息ついていると、平塚先生はそう言い残して中に入っていってしまった。……あれ? お説教は? ないの?

 首を傾げつつ、わたしは壁に寄りかかっておとなしく待つ。

 きっと半年前の自分だったら、「ラッキー! 今のうちに適当な言い訳作って逃げちゃえー!」なんて不届きなことを考えて、ほくほく上機嫌になっていたと思う。

 でも、そういう悪い子はもうとっくにやめたから。自分に都合のいい時だけいい顔して、都合が悪くなったら逃げるわたしは、もういないから。

 目の前にある隔たりを眺めながら当時の記憶を視界に重ねていると、再び扉が開いた。

「待たせたな。では行こうか、一色」

 戻ってきた平塚先生はわたしの姿を視認した直後、肩を軽く叩いてそう促してきた。しかし突然すぎるあまり、わたしの頭上にふよふよとはてなが浮かぶ。

「……行く? どこに?」

「いいからついてきたまえ。すぐにわかる」

「はぁ……」

 含ませた物言いにわたしは一つため息を吐いた後、平塚先生の後に一歩遅れて続く。ただ、隣には追いつかないように。また、その背中は追い越さないように、ゆっくりと。

 付かず離れず、こっそり歩幅を調整しつつ進んでいく。するとある一角に差し掛かった時、平塚先生が白衣のポケットから金属製の何かを取り出した。

 ちゃらりと音を立てたそれは、見飽きるくらい散々お世話になったものだ。

「あ……」

「君の場合、こっちのほうがいろいろと好都合だろう?」

 キーリングに指をひっかけて生徒会室の鍵をくるりんと回し、平塚先生がふっと笑う。

「……ちょっとずるくないですかね、その手は」

「充分手のかかる生徒だからな、君も。私もこれくらいのことはするさ」

 その『これくらい』が、本当にずるい。わたしの周りには、わたし以上にずるい人ばっかり。だから、余計にたちが悪くて。

「先生のそういうところ……好きですけど、嫌いです」

「なかなか言ってくれるな、可愛くないやつめ」

 ついつい減らず口を叩いてしまったが、平塚先生は気にせずわたしの頭にぽんと手を乗せた。この人にされるのは久しぶりなせいで、ちょっぴり照れくさくなる。

 触れられた箇所をさすっている間に、がららと扉は横へ流されていく。

 その音に気付いた瞬間、わたしの心に嫌な風が吹いた。

 視界に飛び込んでくる、ぽつんと並んだいくつかの机や椅子。主の不在を訴えるようにしんとした空気が漂い、外の環境音だけが虚しく響く。

 ぎらついた太陽に照らされる風景は、眩しいくらい明るいのに。

 それを彩る人の声も、うるさいくらいにまだまだ賑やかなのに。

 恋人に対しての感じるものとはまた別の、意味合いが違う寂寥感。その原因の一つである、調子のいい朗らかの声が今は一切聞こえてこなくて。

「……誰もいない生徒会室って、こんな寂しかったっけ」

「そういえば君は、陽乃にも勉強を見てもらっていたんだったな……」

 無意識にこぼれ落ちた感情たっぷりの声を、平塚先生が独り言を呟くように拾う。

「常に、自分のそばに誰かがいる。それは何も当たり前のことではない。だからこそ、その当たり前がふとなくなった時……人は、寂しいと感じてしまうのだろうなぁ」

 言葉の宛先はわたしへ向けてでもあり、自身へ向けてでもある。腕を組んで壁にもたれかかった平塚先生の姿を見ていたら、なんとなく、そんな気がした。

「……あの、はるさんって、どんな生徒だったんですか?」

 ふと興味が湧いたので尋ねてみると、なぜか平塚先生は苦笑する。なのに、うっすら細めた瞳は今まで見たことないくらい楽しげだ。

「少なくとも優等生ではなかったよ。おかげでずいぶんと手を焼かされたものだ。まぁ、君や比企谷も陽乃に負けず劣らずだがな」

「そんな不名誉なお揃いは求めてないんですけど……」

 不満からぶすっと頬を膨らませてみたものの、笑われただけでやっぱり効果なし。相変わらずわたしのことマジでなんだと思ってるんですかね、この人……。や、確かにめんどくさいタイプの人間だって自覚、超あるけど。

「ただ……」

 ふと、真摯さを帯びた声が耳朶を打つ。思わず目を向ければ、平塚先生の力強い感情の灯った瞳がこちらをじっと見据えていた。

「君たちのような手のかかる生徒がいるからこそ、教師が必要なのだと私は思っているよ」

 やがて紡がれた理屈は、するりとわたしの心に落ちて、濁ることなく溶けた。

 綺麗事、理想論、絵空事、夢物語。

 きっと平塚先生じゃなかったら、間違いなく、そう否定していた。

 でも。

 わたしはもう、この人を知ってしまっている。

 それに、わたしが進んできた道の途中には。

 なにより、これから歩いていく夢物語の先には。

 そんな絵空事が、理想論が、綺麗事がたくさん詰まっていて。

 だから。

「……かっこつけすぎです、先生」

 わたしは、否定なんかできっこなくて。

「かっこつけるのが私だからな」

 最後の強がりも、あっさり、そんなふうに返されて。

「さて……おしゃべりは終わりだ。いい加減、そろそろ観念したまえ」

 あの時と変わらない優しい眼差しが、わたしを射抜く。

 まったく、もう。

「……お世話になります」

 おせっかいにしちゃ、やりすぎ。

 あーあ。

 ――ほんと、かなわないや。

 

  *  *  *

 

 悩みを相談、というよりかは、半ば愚痴る体で話を積み上げていく。

 わたしのこと、せんぱいのこと、二人のこと。

 奉仕部のこと、はるさんのこと、これからのこと。

 その上で、今わたしが感じていることを説明した。うまく話せたかもちゃんと伝わったかもわかんないけど、平塚先生は黙って耳を傾けてくれていた。

「……といった感じです」

 わたしのぼやきがそれ以上続かないとわかると、組んでいた腕を解いて平塚先生がゆっくりと目を伏せる。

「……比企谷から聞いていた限りでは、変わらず甘えてばかりなのだと思っていたんだがな」

 その後、大人びた笑みを浮かべながら平塚先生はわたしの頭へ手を伸ばしてきた。くしゃくしゃと撫でられる感触に、じんわりとした温かさが心からも広がっていく。

「本当に君たちは……いい意味で私の期待を裏切ってくれるな」

 わたしを見つめる温かみ溢れる表情は、生徒の成長を心から喜んでいて。なのに、それがすごく寂しそうにも感じて。

 もしも、巡り合わせが違ったら。

 きっとわたしは、あの時に道を踏み外していた。

 もしも、気付くことなくすれ違ったままでいたら。

 きっとわたしは、後悔と一緒に間違い続けることしかできなかった。

 ――あの人が、先生だからだ。

 今なら、身にしみるくらいわかる。

 捻くれ者の上級生が言った、その意味を。

 不器用な恋人が、そこに隠した感謝の声を。

 だからわたしは、この人を追いかけたいとは思わない。

 いつまでも、追いついてしまいたくない。

 だって、この人は先生だから。このままわたしたちが大人になってしまっても、平塚先生はずっと、わたしとせんぱいの先生だから。

 それは、時間の経過なんかじゃ変わらない。

 たとえ、何十年という遥かに遠い過去になってしまっても。

 いつか、それぞれの思い出の中にしか存在しなくなってしまっても。

 一度色の付いた景色は、絶対に色褪せない。

 だから、たぶん。

「お説教は、やっぱり嫌ですから」

「……本当に、二人揃って可愛くないやつらだ」

 

 ――こんな皮肉で返すのが、今のわたしにできる精一杯の恩返しになるのだろう。

 

 

 

 

 




お久しぶりです(震え声)
これを投稿する時は、ガハマちゃんの誕生日ですね。おめでとう!

ガハマちゃんのお話は他の人に任せ、こっそり巡りゆくの続話を投稿する私でした。

以下、告知です。
夏コミ、参戦決まりました! 『1日目東カ-33b』でございます!
改めて書かせていただきますが、二冊のうち、一冊目は高橋徹さんと暁英琉さん。
二冊目が私、ねこのうちさん、山峰峻さん、さくたろうさんとなっておりますです。
表紙は稲鳴四季さんに依頼させて頂きました。
色々なテイストや雰囲気がそれぞれ楽しめますので、宜しかったらぜひぜひ!

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!



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