斯くして、一色いろはの日常は巡りゆく。   作:あきさん

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どこまでも、雪ノ下陽乃はかき乱してくる。

  *  *  *

 

 からからとした暑さが続く、夏の日のこと。

 期末試験は無事に終わり、いい結果も出せた。しかし、これから先を考えればまだまだ足りていない。テスト明けの開放感に油断せず、わたしは今日も今日とて生徒会室で自習に励んでいる真っ只中。その横では、数学の特別講師をしてくれている陽乃さんが読書に勤しんでいた。

 ……でも、こっちにしょっちゅう来てて大学大丈夫なのかな。や、余計なお世話かもだけど。

「いろはちゃん」

「あ」

 つい脱線した思考のせいで、ケアレスミスをやらかしていた。ていうかなんで本読みながら指摘できるの……。どんだけ視界広いんだこの人……。

「さてはなんか違うこと考えてたなー?」

 鋭い。怖い。

 陽乃さんに隠し事が通用しないのは、相変わらずだ。毎回毎回、なぜか即バレする。……おかしい、適当に誤魔化したりはぐらかしたりするのは得意だったはずなのに。わかりやすくなったのかな、わたし。

 だとしたらせんぱいと付き合い始めたからかもー、なんて考えていたら。

「あ、今比企谷くんのこと考えたでしょ」

「ううっ……」

 わかりやすいどころか露骨だった。ほっぺたへにゃへにゃになってた。そんなわたしを見て、陽乃さんがくすくすと楽しげに微笑む。

 陽乃さんだけじゃなく、最近は小町ちゃんにもこんな感じでやたらといじられる。昔はわたしもよくせんぱいをからかってたから、嫌ではないけどいろいろ複雑だったり。

 わたしは赤くなった顔を冷ますように、ひんやりとした警戒色の缶を傾ける。

 瞬間。

「……で、その比企谷くんとはどこまでいったの?」

「んぶっ」

 陽乃さんが投げた言葉の爆弾に思わず吹き出しかけた。いきなりなんてこと聞くんだこの人は。

 ちろりと軽く睨んだが、当の陽乃さんは口元を手で隠して笑いをこらえていた。むー……。

 それにしても、なんというか。

 大抵ネタにされるのは、せんぱいが絡んだ時ばかり。ふと考えた時もそうだし、なにげなく思い出した時だって。実際に隣にいる時とか、甘えたくなった時とかも。小町ちゃんいわく、その様子が見てて微笑ましいらしい。あと、危ない人みたいでちょっと心配にもなるだとか。

 ……まったく、わたしが一体何したって言うんだ。妄想してうっかりやらかすのがせいぜいなのに。

 胸の内だけでぷりぷり怒っていると、陽乃さんが読んでいた本をぱたんと閉じた。そして、ずずいと顔を寄せてきて。

 そのにんまりとした表情から察するに、尋問は続くようだ。うえー……。

「ねぇ、どうなの?」

「どうって……」

 言われても。

 ……うーん、困った。

 言葉を詰まらせているのがじれったいのか、陽乃さんがわたしの頬をうりうりと指で押して催促してくる。

「ほらほら、包み隠さずお姉さんに話してみなさい」

「え、ええっと……」

 どうしよう、と一瞬目を泳がせたものの。

 進路について平塚先生に相談があるらしく、今日せんぱいは別行動。つまり、ここにわたしの味方はいないわけで……。

 そもそも、こうなった時の陽乃さんは絶対逃がしてくれない。どうせ逃げたところで次来た時に改めて聞かれるだけだ。しかも質問が増えてたりとおまけつき。

 仕方なく抵抗を諦め、もにゅもにゅと唇を波打たせつつ体験談を紡ぐ。

「…………き」

「き?」

「……き、きっ、……き、きす? まで?」

 恥ずかしすぎてやたらと疑問形になってしまった。死にたい。

 スカートの裾をぐっと握り、叫びながら逃げ去りたい気持ちを必死にこらえていると。

「あっははははははっ!」

 お腹を抱えて大爆笑された。死にたい。

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですかー!」

 ぺっしんぺっしんわたしの肩を叩き、陽乃さんが抱腹絶倒する。素直に言っただけなのに、なんでだ……。

 ひとしきり笑い終えると、陽乃さんが目の端に溜まった涙を拭う。一体何がそんなに面白かったんですかね……。

「いやーごめんごめん。意外とウブなんだねぇ、いろはちゃん」

 陽乃さんの言葉に、ほっぺたに溜めていた空気がぷしゅっと抜けた。

 ようやく理解が追いついたのは、燃え上がりそうなくらい顔が真っ赤になってからだった。

「な、なな……」

「わたし、もっとぐいぐいいってると思ってたからさ。もうてっきり……」

「は、はるさんっ! ストップです!」

 突き出した手をぶんぶん振って、声の先を制止する。それ以上具体的に言われたらせんぱいとの妄想が捗りすぎて最後まで止まらなくなりますごめんなさい……って、そうじゃなくて!

「やーん、ほんと可愛いんだからー」

 赤面したままあわあわ戸惑っていると、陽乃さんががばっと抱きついてきた。たまらず、といった具合だ。何がたまんないのかはわかんないけど。

「……もう」

 奉仕部とのことが片付くまでは、散々振り回してきた陽乃さん。でも、打ち解けてからはずっとこんな感じだ。や、せんぱいとのことをオモチャにしてくるところは相変わらずだけど。

「じゃ、そんないろはちゃんにお姉さんからアドバイス」

「ふぇ?」

 間の抜けた声をあげたわたしを抱きしめながら、陽乃さんが耳元でこしょこしょ囁く。

「……チャンスがあったら、いろはちゃんからもいかなきゃだめだよ」

「あう……」

 しゅんと肩を落とすと、陽乃さんが吐息交じりに笑った。

 お互い、今より大人になれない理由は違うだろうけど。

 わたしの場合は、単純に怖い。痛そうだからだとか、満足してもらえなかったらだとか、そういうのは二の次で。

 

 たぶん、実際にその時がきたら、わたしは。

 嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで、どうしようもなくなる。身体も、心も、やっと全部せんぱいのものになれたって。

 だからこそ、怖い。わたしはまだまだ精神的にも子供で、ようやく一人でなんとか立てるようになっただけで、まだまだ独りでは歩いていけないから。

 けど、したくないわけじゃない。

 むしろ、いっぱいしたい。

 たくさん、愛されてるって実感したい。

 

 ……でも。

 せんぱいは、どう思ってるんだろう……。

 

 視界の端のほうから、陽乃さんのとぼけたような声が聞こえた気がした。しかし言葉の意味を理解する前に、わたしの頭の中を通り抜けていってしまった。

 

  *  *  *

 

 一日の学校生活が終わりを迎えるまで、あとわずか。人気は次第に薄れていき、遠ざかっていく喧騒ばかりが徐々に増えていく。

 そんな中、わたしは生徒会室の窓から薄く滲み始めた空を一人眺めていた。

 正直、チャンスなんてわざわざ作らなくても充分ある。ぶっちゃけ、これまでに散々あった。でも、今の距離以上をわたしが求めなかった。お互い初めての恋人だからといって、臆病になりすぎてるのかもしれないけど。

「……やっぱり済ませといたほうがいいのかなぁ」

 ファーストキスの時は、自然と。だったら、初体験の時も……なんて。や、さすがに夢見すぎでしょ、わたし。

 自分のロマンチストぶりに自嘲のため息を吐いていると。

「悪い、待たせた」

 がらりと扉が開き、待ち望んでいた恋人が姿を見せた。ただ、わたしの変化にはすぐ気づいたらしく。

「……どした」

 中に入るなり、頭にぽんと優しく手を置いてくれた。……ほんと、ずるいなぁ。わたしなんかより全然あざとい。

 わしゃわしゃと撫でられる感触に、頬が緩む。でも、消えない疑問は心に不安の風を吹かせたまま。それを裏づけるかのように、大好きな温もりに確かめたくなって。

 恋人の背中に腕を回し、身体を前に倒して押しつける。

「せんぱいは……」

「ん?」

「……わたしに、どきどきしてくれてますか?」

 直後、頭を撫でていた腕がぴたりと止まった。

 言葉を待つ間の沈黙が、すごく痛い。どくんどくんと、心臓の鼓動が早くなっていく。唇がふるふると震え、隙間から吐息だけが漏れる。

「お前が何を心配してるのかは知らんが……」

 ようやく聞こえた声に瞳を動かし、上目遣いでせんぱいの顔を覗き込む。

「……少なくとも、好きじゃなかったらこんなことしねぇよ」

「ふあ……」

 空いていた左手をわたしの腰に添え、せんぱいがやんわりと抱き寄せてきた。完全に隙間が埋まり、お互いの身体同士が密着する。同時に、止まっていた右手が再びくしゃくしゃと動き始める。

 

 これやばい……超好きかも……。

 

「……もっと」

 甘えたい気持ちがおねだりとして、無意識に口からこぼれた。

 言葉は何も返ってこないけど。

 わたしのわがままに対する返事は、優しい手つきが静かに物語っていた。

 

  *  *  *

 

「……で、なんであんなこと聞いたんだ」

 二人並んで帰路につく途中、隣で自転車を押しつつせんぱいが尋ねてきた。やっぱり気になっていたらしい。しかし内容が内容だけに、わたしは答えあぐねてしまう。

「その、なんと言いますか……」

「お前にしては歯切れ悪いな」

「だって……」

 せんぱいとしたいとか、したくないとか。それについて悩んでたなんて、恥ずかしすぎてすごく言いにくい。絶対気まずくなるし。でも、隠し事はしたくないんだよなぁ……。

 葛藤に苛まれ、あっちこっちに視線が泳ぐ。口があうあうと何度も言い淀む。

「まぁ、そんな言いにくいなら無理には聞かんが……」

 そんなわたしの様子を見て、せんぱいの表情がかすかに歪む。

 ……えーい、一色いろは! 既に今まで散々やらかしてるだろ! 何をいまさら! せんぱいに心配かけるよりは全然マシでしょ!

 一種の開き直りをして、陽乃さんとの一幕を説明しようと改めて口を開く。

「えっと、はるさんと話してて……」

「待て」

 だが、なぜかせんぱいがわたしを遮った。そして、おでこを手で押さえながら盛大にため息を吐く。……え、なんで?

「もしかしてお前、チャンスがどうとか言われなかったか?」

「……へ?」

 的を射た予想外の言葉に、素っ頓狂な声が抜け出てしまった。その様子にせんぱいは何かを察したらしく、呆れ交じりに続ける。

「あのな、いろは」

「は、はい」

「……俺も言われたんだよ、それ」

 思わず絶句した。

 ということは、つまりあれか。

 たきつけるためか。またか、またなのか。

 今回はからかい半分、面白半分的なやつか。

「…………」

「…………」

 わたしが赤裸々な告白をする必要もなく、気まずい沈黙が流れた。

 やがて、時間差で、わたしの顔はぼしゅっと火を吹いた。

「あああぁぁ……」

「え、な、なに」

「わ、わたし、また振り回されただけ……」

 陽乃さんがくすくすと笑うイメージが、即座に脳裏に浮かんだ。脱力し、膝から崩れ落ちそうになる。真剣に悩んで必死こいてバカみたいじゃないですか、わたし……。

 やり場のない気持ちを晴らすように、せんぱいの左腕にしがみついてがくがくと揺さぶる。

「せ、せんぱいぃ……」

「おわっ、ちょ、とりあえず落ち着け」

 

 どうやら、わたしがまた一つ大人になるのはだいぶ先の話みたい――。

 

 

 

 

 




いろはすとはるのんの絡みを書きたくて、日常に落とし込んだお話でした。

以下、告知です。
「やせん」というサークル名義で、夏コミの参加を予定しています。
俺ガイルの合同誌なのですが、「一般」と「R-18」の二冊のうち、私は一般組のほうで参加させて頂きます。もちろん、ヒロインはいろはすです。
お話の内容としては、雰囲気的に本編のアナザーストーリーに近い感じかなーと。繋がりはありませんけども。
まだ合否すら出ていませんので、詳細は追々という感じで。
落ちた場合は、別のサークルさんのスペースに置かせて頂く予定です。今のところは。
それと予定についてはツイッターで呟くと思うので、宜しければ。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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