* * *
時間の進行に伴い、校内の様子も本格的に文化祭モードへと切り替わった。
すれ違う生徒たちの手には、書類や道具、買い物袋。耳に届く楽しげな雑談の裏には、釘を打つ音やノコギリの切断音。
お祭りだ。自然と心はそう叫ぶ。
しかし、花火大会の時と違って、今回は頭の中がお祭り気分でいられなかった。そういう気分になれなかった。なってくれなかった。
これまでにあった当たり前がふとなくなった時、人は寂しいと感じてしまう……か。以前、平塚先生と一緒に見た夢跡のような風景を思い返す。
その結果、ただでさえメランコリックな足取りが余計に重さを増した。
リノリウムの床を叩く自分の足音も、どこか泣きを帯びているように聞こえる。
けど、こんな場所で立ち止まっているわけにはいかない。明確な目的と意思の両方を持って臨む後輩がいるのを知ってしまったのだから、なおさら。
ネガティブな感情を諦めの悪さでぐっと押し返し、わたしは会議室の扉を開いた。
そうして迎えた定刻どおりの午後四時。定例ミーティングに今日も欠席者なし。
会議室全体を見渡すようにしながら、川崎くんが号令をかける。
「では、定例ミーティングを始めるっ……ます」
「よろしくお願いします」
日を置いたせいか、川崎くんの表情にはちょっとだけ硬さが戻ってしまっていた。だが、嘲笑や苦笑、誹り罵りといったものは起こらない。
初々しさの戻った顔色も、はっと思い出したような語尾修正も、どうやら川崎くんの個性や属性として肯定的に認識された模様。そりゃまぁ敬語も態度も適当で中身空っぽそうなやつが生徒会長やってるくらいだもんね! みんないまさら気にしないよね! ……はー、つらたん。
わたしが非生産的な自虐をしている間に、会議の主題は各部署ごとの進捗報告へ移る。
「じゃあ、宣伝広報から順に……」
指定された担当部長の人がはいと返事をし、のそっと席を立つ。
「掲示予定の半分は終わりました。で、ポスター制作のほうもだいたい同じくらいの進行度です」
「は? いくらなんでも遅すぎませんか?」
おっといけない、ついつい素の声が。
ただのオブジェと化していた生徒会長が突然のカットイン。困惑と驚愕が場の空気を支配し、温度の下がったような静寂が強調されていく。
このままわたしが仕切り続けても議事進行的には何の問題もないが、そうした場合、川崎くんがお飾りの委員長になってしまう。つまり、多少強引にでも軌道修正しなくちゃいけない。
……というわけで。
「ほら、委員長。仕事仕事」
「そこで俺に振るんすか!?」
首突っ込んでおいてと言いたげな顔に対し、わたしはあえて他人事にしたまま、んふーと無言のスマイルでその抗議を受け流す。
すると、川崎くんは気抜けしつつも、奪われては雑に投げ返された自分の仕事を引き継ぐ。
「……実際、今のペースじゃやばいってのは確かっすよね。何か問題でも起きたら一発でアウトな状況だっつーことくらいは俺にもわかるんで」
「はい……なるべく前倒しできるように急ぎます……」
なるべくじゃ困るんだよなぁ……。
そんなどこかのお偉いさんじみた追撃は喉の奥へ引っ込め、ひとまず静観者に戻っておく。
「じゃあ次は、有志統制、お願いします」
「……あ、は、はい。ええと、現在参加予定となっている有志団体は……」
という調子で、受け答えする側のほとんどがしどろもどろになりながら。
以降も、定例ミーティングは続いていく。
……さて、どうしてくれようか。あ、違うどうしたものか。
各部署ごとの報告事項もひととおり済んだところで、わたしはうーんと頭を捻る。
後は問題点の洗い出しと対策、スケジュールの修正と共有。今日はそこまでのはずだった。
しかし、困ったことに。今後に支障をきたすレベルで大幅な遅れを生じさせている部署が出てきている。おまけに、そういった問題の部署は一つや二つじゃない。
先行きがどんどん怪しくなっていく。悠長に構えていられなくなっていく。
積み上げた予定と過程の防壁を現実が飛び越えてくる。理想を理不尽に裏切ってくる。
けど、ここで先を諦めてしまったら。未来のためよりも、今の楽を選んでしまったら。
また、何もしなかったせいで、もう一人の未来までも潰してしまったら。
きっと、わたしは死ぬほど後悔する。
だから、結果的には無駄な空回りとなってしまっても。
他の人からすれば、不可解な言動に捉えられてしまったとしても。
今の自分にできることが、それしかないのなら。
今は見つけられなくても、そうすることで、やっと見つけられるものがあるとしたなら。
精一杯、わたしはやってみよう。
――正しくなくて、正しい嫌われ者を。
* * *
時計の短針と並走するように、議事も一巡りした頃。
温度もすっかり三方向へ分かれてしまった雰囲気は、解散という委員長の号令により、ようやく平穏を取り戻す。
はたして、道化じみたわたしの姿はみんなにどう映っただろう。
生徒会長という権力を振りかざし、水を差すだけ差し、場を乱すだけ乱す迷惑な奴。そんな印象の更新が起きたかもしれない。最悪、もっとマイナスのイメージで塗り替えられた可能性もある。
でも、何かを成し遂げるためには、それが必要不可欠だから。
差し込んでくる陽の光に照らされつつ、儀式的な労いの言葉や遠ざかっていく足音を、わたしは無言で見送った。
かちこちと時計の音のみが響く会議室内は、幕引きの悪さを強く物語る。
「……いろはさーん」
「勘弁してほしいっす……」
「会長……いくらなんでも……」
「さすがに、うん……」
「……口を挟みすぎだと思う」
小町ちゃん、川崎くん、生徒会メンバー。わたしを気遣い残ってくれた全員が、折を見て、揃えた視線と言葉を一斉に向けてきた。どうやら暴走と判断されたらしい。
「だって、嫌じゃないですか。なぁなぁで進めて、また前みたいな思いするの」
しかし、後付けた一言を聞いた途端、生徒会の面々は複雑そうな表現で苦言を飲み込む。責めることも庇うこともできず、ただただ、歯がみするように。理由を知らない二人だけがその光景に首を傾げていた。
遅延を生じさせる原因なんて、何事においてもある程度決まっている。加えて、アクシデントやハプニングが起こったという報告はどの部署からも聞いていない。つまり、どうしようもない、どうにもならないものが原因で進行が滞ったわけじゃないのだろう。
となれば、残る可能性は二つ。効率を度外視したか、精神的な問題かだ。
もちろん断定はできないし、これも推測でしかない。けど、今は特に仕事のない記録雑務を除いた全員が終始、言われて仕方なくという正反対の気概を背負っていたわけで。
「……みなさまに一体何があったのかはわかりませんが、とにかく、なんとかしなくちゃですね」
再び下り始めた重苦しい帳を裂いたのは、件の例外、記録雑務の担当部長による一定の理解を示したため息。
すると、似たような感情が込められた吐息を重ねた人物がもう一人。
「まぁ……なぁなぁで進めたくないってのは、俺たちも同じだけど。……それに、会長がむちゃくちゃなのも今に始まったことじゃないし」
「なんですかその誤解されそうな言い方……」
「だって事実じゃないか……突然生徒会を休みにしたかと思ったら、今度は思いつきで仕事命じてきたり……」
「それはまぁそうなんですけど」
「そこはあっさり認めちゃうんだ……」
被害者直々の切り返しにわたしが開き直れば、書記ちゃんたちの呆れ笑いが連なって。そんな生徒会の日常が、ほんのちょっぴり、収まりの悪い空気を弛緩させた。
といっても、所詮は一時的な空気のほぐれ。逸れた話題の焦点もすぐに引き戻されてしまう。
「……あの、それで結局俺たちはどうしたらいいっすかね?」
「ん? 何もしなくて大丈夫だよ?」
「それだと会長さん、みんなに誤解されたままだと思うんすけど……」
「だから、それでいいの」
「……どういうことっすか?」
「わかんない?」
にっこり笑顔でくりんと首を捻り、どやっと質問に質問を返す。ふっふーん、どうですかこの先輩力! もちろん悪い意味で!
そんなふうに、物事をわかっている先輩っぽく振る舞ってみたものの。
「……全然わかんないっす」
「はぁ、もう……兄といい、いろはさんといい、どうしてこう……」
川崎くんには本気で頭を抱えられ、小町ちゃんにはなぜかマジなトーンで呆れられ。
「本当に何か考えがあるのか、単に誤魔化しただけか……沙和子ちゃんたちはどっちだと思う?」
「今のは別に誤魔化したとかそういうわけじゃなさそうだけど……でも、いろはちゃんだし……」
「会長の場合、前科もありますしね……判断に悩みます……」
「さすがにひどくないですか!?」
生徒会メンバーに至ってはガチの審議を始め出すとかいうこの仕打ち。散々である。ていうか副会長たち疑いすぎでしょ……。
「なんか思ってた反応と違いすぎて超納得いかないですけど、まぁいいです……。とにかくっ」
不平不満をもっと叩きつけておきたいが、ぐっとこらえ、こほんと仕切り直すことにして。
「何も考えてないのにあんな口出しの仕方するわけないじゃないですか。このままでいいってのもちゃんと理由があります。わたしもそこまでアホじゃないです」
「……本当に?」
「や、そこは素直に信じてくださいよ……」
どんだけ信用されてないんだ……。
尊敬も尊崇も信頼も信任もまるで感じられない有様に一人打ちひしがれていると。
「……会長さんがそこまでして文化祭を成功させたいのって、一体何のためにっすか?」
不意に、そんな質問が飛んできた。
声の主である川崎くんは、どこまでもまっすぐな眼差しで。けど、緊張とはまた別の険しさを滲ませた表情で、じっとわたしを見据えている。
「んー……」
聞かれたのがそっちでよかったと安堵しつつも、なんて説明したものかと悩む。
別に答えられないわけじゃない。ただ、今は胸の内を明かしたくない。今は、口にした瞬間にわたしの中から一気に重みを失ってしまう気がして。
でも、そのさらに奥、心の根っこに生まれたものは。
どれだけ大義名分を並べ立てても、変わらない。
どれだけ万人向けに飾り立てても、変わっていない。
だから、わたしは。
嘘にならない範囲で、妙に納得のいく一言を。
「そんなの……もちろん、わたしのためだよ!」
いつもどおりのわたしらしく、ひけらかすような笑顔で宣言するのだった。
* * *
特に方針を変更することもなく、とりあえずはみんなの出方をうかがってみよう、ということで話のまとまった延長戦。フォローの対象が一人どころじゃなくなってしまったが、そちらは大した問題でもない。……や、それはそれでだいぶ問題あるかもだけどさ。
とにかく、後はみんなのバイタリティ次第だ。素直に受け止めてくれるか、強制性を感じることなく受け入れてくれるか、本音を閉ざし耳も心も塞ぐか、言葉に窮して本能から反発するか。こればかりは蓋を開けてみないとわからない。
期待と危惧が入り乱れた心境での帰り道。わたしの隣には小町ちゃん。
でも、昨日みたいに和気あいあいとしたムードは一切なくて。たまたま帰る方向が一緒というだけのような、そんな距離感。今ここに川崎くんがいたとしても、たぶん、この微妙も微妙な空気は変わらない。
「それにしても、お姉さんの代わりに妹ちゃんのお迎えかー。川崎くん、頑張るなぁ……」
「ですねー」
話の種としてもちょうどよかったのでそのまま振ってみたものの、小町ちゃんは起伏のない相槌を打っただけ。
「……もしかしなくても、怒ってる?」
「いえ、別にあのくらいじゃ怒りませんよ。小町が何年アレの妹やってきたと思ってんですか」
ぐうの音もでない正論だった。やっぱり怒ってるようにしか見えない……。
ええとあのそのと気まずそうに視線を回すわたしを見て、小町ちゃんは観念したようなため息を一つ挟んだ後、冷たさの裏側をぽつりとこぼす。
「……ただ、そんなところまで影響されなくていいのにとは思ってます」
「へ……? そんなところって……」
誰の、という部分は瞬時に理解できたが、もう片方はいまいちぴんとこない。そこだけが思い至れないのは、わたしの知らないところに発端があるからだろうか。
頭に疑問符を浮かべたままでいると、小町ちゃんがじとりとした眼差しを向けてくる。
「もちろん、めんどくさくて馬鹿なところに決まってるじゃないですか」
「んなっ……」
前者については否定しないけど、後者については異を唱えたい。
しかし、小町ちゃんの追撃がわたしの反撃を遮る。
「……まぁ、いろはさんは彼女さんですし、似てくるのはしょうがないかなぁって思う部分もあるにはあるんですけどね」
「小町ちゃん……」
「でも、それだけで済ませられるのは、小町がお兄ちゃんの妹だからなんだろうなぁ……」
引いているような表情から一転、寂しげな微笑と共に小町ちゃんが目を閉じた。
視点が変わることで見え方も変わってくるのなら、その人の視点でしか見えてこないもの、その人にしか見えないものだったりが必ずある。
わたしは一年にも満たない時間。あの人たちは一年と約半年。小町ちゃんはその何倍、何十倍もの長い時間を、あの人と一緒に過ごしてきたからこそ。
定例ミーティングの延長戦。そこに参加していたメンバーの中で唯一、今年の文実には無関係なあの人のことを口にしていたのだって、きっとそう。
だから、きっと。
小町ちゃんなら、小町ちゃんにならと。
そんな都合のいい理解を願いながら。
一方的で身勝手な信頼を押しつけながら。
「ねぇ、小町ちゃん。……ちょっと長めの独り言、聞いてもらっても、いい?」
「……小町でよければ、ぜひ」
「ありがと」
そうして今、わたしは胸中を紡いでいく。今は、伝えるための言葉にしていく。
衝動的で突拍子もないのはいつものことだし、今回に限っては、巻き込んだ規模が内輪の話で片づけられる大きさじゃないのも重々承知の上。
けど、もう、あと半年もないんだ。
だから、今やるしかないんだ。
今始めなかったら、もう間に合わなくなってしまう。
だから、たとえ、うまくいかなくても。
このまま失敗して、否定されて、笑われて、責められることになってしまっても――。
* * *
小町ちゃん、わたしね……今の、この学校がすごく好きなんだ。
せんぱい、雪乃先輩、結衣先輩がいて。
小町ちゃん、はるさん、平塚先生がいて。
葉山先輩に三浦先輩、ついでにまぁ……戸部先輩も。
あとは城廻先輩に、今の生徒会メンバー。最近だと川崎くんもだね。
こんなふうに、ここでたくさんの人と出会ってさ。で、あれこれ話すようになってさ。
最初はあんなにつまんなかったのに……気づいたら、すごく好きになってた。
大切なことも、いっぱい……その人たちに、教えてもらった。
……なのに。
わたし、その人たちにまだ何も返せてないの。
いつもいつも、わたしがもらってばっかりで……何も、返せてないの。
みんなは、そんなことないって言ってくれるかもしれない。
でも、それで納得しちゃうのは、わたし的にやっぱりなんか違くて……。
けど、わたしにできることなんて、みんなと比べたら限られてて……。
だから、せめて……。
みんなが……大切な人たちが、この学校にいるうちに……卒業していっちゃう前に……。
素敵な思い出の一つくらい、作ってあげられないかなって。そう思ったの。
まぁ、そんなサプライズ的な感じで……わたし、やってみたいんだ。
どんなに難しくても、大失敗しちゃうとしても、頑張りたい。
苦しくて、つらくて、何が何だかわかんなくなっちゃっても、諦めずに最後まで……。
だから、わたしがひとりでやろうとしてるってこと、今は内緒にしてて。
後でいくらでも怒られるから、今は……めんどくさくてバカなわたしのこと、見守ってて。
――ありがと、小町ちゃん。
お久しぶりだったな(小声
文化祭編はまだまだ続くます。
あと、この話が今年最後の投稿になりますので、併せてご挨拶をば。
更新ペース遅いわ間隔空くわで本当、申し訳ありませんでした。
にもかかわらず、ずっと更新されるのを待っていてくれた方、本当にありがとうございます。
こんなわたしですが、来年もお付き合いくださると泣いて喜びます。
そして、来年は更新速度を上げれるよう頑張ります。
ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!
みなさま、よいお年を!