モーリンと名乗る彼女に連れてこられたのは、今までに見たことのないつくりの屋敷だった。
特別に金をかけているようには見えないのに、きらびやかな輝きを放っているでもないのに、神妙な気分に、そして、人を落ち着かせる不思議な空間。
ただでさえ広い敷地が、ドアのつくりのせいか、全体的に低い家具のせいか、地味目な色合いのせいか、もっと広く感じる。
「すごー…、大きー」
「ただ広いだけさ、大したことないよ。 無駄に部屋はあるからね、自由に使ってくれてかまわないよ。 女どもはこっちさ、裏庭に井戸があるから汗を流しておいで」
あっけにとられたトリスの声に、笑いながらモーリンは屋敷の敷地内へ案内する。
男性陣は、その場でじっと待っていると、すぐにモーリンは戻ってきた。
横にスライドして開くドアを思わずまじまじと見つめてしまい、それをモーリンに気付かれる。
「なんだい? …って、あぁ、あんたたち、シルターン式の屋敷は初めてなんだ?」
"マグナ"の記憶には文字と図として知識はあるが、実際に現物を見るのは初めてだ。
ネスティとなぜかフォルテは知っていたようだが、他は…あぁ、ハサハとケイナはシルターン出身だったか。
「中に入るときはちゃんと靴を脱いでから入ってくれよ」
じゃないと中に入れないからね! とモーリンはすごんでから見本を見せるように靴を脱ぎ、それらをそろえて端に寄せて一段高い位置にある内側へ乗る。
どうやら、その段差が境界線らしかった。
ぎこちなくモーリンの真似をしながら、屋敷の大きさにしては細長い通路を進む。
「とりあえず、お茶でも淹れてくるから適当にしてておくれよ」
言い残してまた別のドアから部屋を出て行ったモーリンを、何も言えず見送った。
もうすっかりモーリンのペースだ。 誰にも拒むことができない。
適当にって、この空間で一体どうすればいいのだろう。
そこで安心をしたせいか、疲れがドッと押し寄せてきて、その場で地べたに座って胡坐をかいた。
バルレルは俺のななめ後ろに片膝を立てて腰を落とす。
その場にいる全員が、習うように地べたに座り込んだ。
口を開いたのは、珍しくもネスティだ。 いや、この場合次のセリフが予測できるから特別珍しいことでもない。
「一体彼女は何なんだ?」
「え? モーリンさんのこと?」
「――君は馬鹿か!? もし彼女が奴らとつながっていたらどうする? たとえつながっていなくても、僕たちのことを言いふらし、居場所が知られてしまうかもしれないんだぞ!」
「ネス、それは考えすぎじゃない? だってそんなことするような人じゃなさそうだったよ?」
ネスティも彼女の人格はなんとなく察しているのだろう、――だって彼女は尊敬する先輩の一人と似たような雰囲気だったから――だからつまることをせずに言葉を続けた。
「仮にそうだったとして、こんな大人数、たとえ朝早い時間だったとしても、街の人たちが僕らを見かけないはずがない」
こんな大人数が集団で行動してて奴らに居場所がばれないはずがない、ネスティは他人がどう自分たちを見ているか、いっそ過剰な程に意識していた。
ボロボロの男女、それから異界の者たち、数にして10人。 確かに目立たないはずがない。
住人たちは、何があったのかを憶測する。
そして、追いかけてきたルヴァイドたちは住人たちの口を割り、自分たちの居場所を知る。
結果的に、自分たちだけじゃなく、街の人を危険にさらしてしまう。
その可能性は、かなり高い。
「だがネスティの旦那、今すぐここを出たとしても、俺たちの体力が持たねぇ。 少なくともここで2、3日はモーリンとかいう姉ちゃんに世話になってもいいと俺は思うぜ」
フォルテの言葉の途中に、大きくうなづく。
深夜という慣れない時間帯での戦闘、そしてまた全力疾走し、逃走という疲れは、明け方から取ったわずかな睡眠では回復しきれない。 それは考えなくともわかることだった。
見渡せば、全員の顔には色濃く疲労の影が出ている。
もちろん元から体力の少ないネスティの顔色も酷かった。 それでも、言い募るのはあせりか慣れか。
「しかし――」
「あんたも随分と疑り深い性格してんだねぇ…」
あきれた顔をしてモーリンは気を悪くした風もなく、お茶を配る。
全員に小さく丸っこい容器を配り終えると、嗅いだことのない良い香りが部屋を包んだ。
モーリンは容器を載せていた板を邪魔にならない場所に置くと、気まずさから視線をずらしていたネスティと距離を近づける。
横目に身ながら容器に手を着けると、微妙にだが、さめているようだった。 だが飲む分には問題は無い。
「…な、なんだ?」
「まーったく、意地っ張りだねぇ…。 よっと!」
「う、…わッ!? ッ!!」
「ネスが押し倒されたー!!」
わざとらしく言うのはもちろん俺だ。 下手するとネスティの名誉を傷つけかねないが、もう誰も気にしないからいいことにする。
モーリンがネスティの足をむくと、明らかに不自然な、歪んだ足首があらわになった。
「あちゃあ、思ったよりもひどいね、これは」
「ネスティの旦那、それは」
「ネス、どうして隠してたのさ!?」
アメルに治療してもらえばいい、が、そうはできない理由がある。
聖女の癒しは、その対象者の過去や心の内を見透かす副作用がある。
見られては、知られては困る過去が、彼にはあるのだ。
「アメルの手にわずらわせる程のものじゃない。 …放っておけば」
「強がっちゃって…素人判断は危険だよ? ほれ」
「グッ!?」
半眼のモーリンが少しネスティの足をひねるだけで、ネスティは言葉を失うほどもだえる。
もともと良いとは言い切れないネスティの顔色が、さらに悪くなっていく。 微妙に脂汗も出てきているようだった。
「ジッとしてな」
まるで手負いの獣相手にするように、モーリンは言って、歪んだ幹部に手を当て、特異な呼吸音。
同時に淡い光がモーリンの手から現れる。
…これは…召喚術ではなく…気、か?
「どうだい? 少しはマシになったはずだよ」
「…あ、あぁ。 …すまない」
少ししてモーリンの手がどかされると、ネスティの足の腫れがすっかり治っているようだった。
おそるおそる足首を動かして、戸惑いながらもモーリンに礼を言う。
それにしても、あの力…なんだったかな、朔夜の記憶にはあったんだが。
「君はストラを使うことができるのか」
そうだ、ストラ、だ。
気の力で人間本来が持つ治癒力を高め、傷を癒す技術。
もちろん、アメルのように心の中をのぞくことはないから、モーリンにネスティの秘密を知ることはない。
ネスティが密かに安堵しているのを、俺は見逃さなかったが、何も言わなかった。
「まったく、そこのお兄さんだけじゃなく、あんたたち揃いも揃って身体に無茶させすぎだって」
「あ、はは、そんなこともわかるの?」
気を見てみればまるわかりさ、と俺に言われて、思わずひるむ。
…なんだか正体を見透かされているような気がする。 完全に気のせいだと思いたいが、少なくとも俺が態度よりも疲労しきっていることは知られてしまっているだろう。
冷や汗をかく俺にモーリンはため息をついて、まるで仕様のない子だと言いたげに笑った。
そんな表情をされると、なんだが居心地というか、背中がむずがゆくなってくる。
「まぁ、しばらく身体を休めていくこったね。 じゃないと、本当に行き倒れちまうよ」
そういえば、最初に会ったときに行き倒れだと勘違いされていたんだったか。
それがオーバーな表現ではないことは、俺が一番わかっていた。
今の状態だったら、限界が一番早くくるのは絶対俺だ。 それくらい疲弊しきっている。
一応念のため、ネスティの顔色を伺ってみるが、ストラで治療してもらったことですっかり気を許したのか、険しい色はなかった。
もし反対だと言われても、俺の答えは決まっていた。
「よろしくお願いします。 モーリンさん」