カチャ、と音がした。
音をたてた本人はそれ以上の音を立てないようんに部屋の中に入る。
何をしようとしているのか、それが誰なのかはわかっているけども、俺は気づかないフリを実行している。
そして、そのことに気づいていない侵入者はゆっくりと俺の背後に近付き……。
「お兄ちゃん!!」
「おわっ!?」
声と同時の背中への衝撃。
俺は机に向かって座っていたので額を思いっきりぶつけそうになった。
気付いていたけども、こんなに思いっきりタックルされたらしょうがないだろう!!
「あっぶな、トリス!!」
「えへへへ~」
期待通りの反応だったのか、満足した笑みを浮かべて俺の首に両腕を巻きつけているのはやっぱりマグナの双子の妹、トリスだった。
朔耶としてはまだ数回しか会っていないし、マグナも一時期引き離されていて数ヶ月前に再会したばかりで、なのに。
マグナは離れていた期間のために気まずさを感じることもなく、むしろもっと愛情が深まるばかりで、朔耶はどこか胸が温かくなるような、不思議な感覚を覚える。
今まで、マグナとトリスに会うまで、こんなものがあるなんて知らなかった。
「どうしたんだ?」
そのトリスはえらくご機嫌だ。笑顔が輝いている。
トリスは猫がじゃれるように首元にぐりぐり顔をこすりつけて嬉しくて興奮した声を出した。
「あのね!!今日ね!!決まったんだよ!!」
言葉足らずのそれに、思わず苦笑い。心の中だけにとどめたが。
マグナなら、すぐに意味が通じる。
記憶のフィルターを通すと、すぐに朔耶にもわかるような意味が俺の脳に知覚させられる。つまり。
「卒業試験の日程が決まったのか!?」
「そうなの!!やっと受けられることになったの!!」
物語が、始まろうとしている。
ゲームの中での、俺の知っている未来が、来ようとしている。
卒業試験は、受けるまでにある程度の実力と、その実力を推薦してくれるある程度の権力をもった人が必要で。
「今までさ、あんなに受けさせてくれなかったけど、やっと一人前になれるんだよね」
「うん、やっと、ここまで来れた」
ここまで、来てしまった。
できれば、逃げたかった。
これから、どんなことが起こるかわからない。未来のことなのだから当然のことなのだけれど、中途半端に未来を知っている俺は全く知らないでいるよりも、どこか不安だ。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「…トリス?」
やわらかい声、俺の思考を読んだかのようなタイミングに思わず一瞬、マグナを忘れる。
「きっと、大丈夫、だよ」
すこしだけ、弱い声音は、マグナの記憶の中にあるトリスを思い出させた。
これは、昔の記憶だ。今のじゃない。
潤みそうになった目を閉じて、後ろのあたたかさを感じる。
どのくらい昔からこうして生きてきたんだろう。
そしてあとどのくらいこうしていられるんだろう。
いつか、必ず終わりがくる。
朔耶のことが知られるか、マグナの隠してきたことがばれてしまうか、途中で死んでしまうかもわからない。
未来を知っていることが、こんなにも不安を掻き立てるなんて、思いもしなかった。
それに、俺の知っている未来は“朔耶”がいないものだから、余計に。
未来を知っていて、でも誰にもそのことは言えないだろう。
誰かに話すことによって、その場ではいい方向に行くかもしれないが、必ずどこかで歪みが現れる。
相手が相手だから、簡単にこの世界が破壊される、なんてこともありうるのだ。そうなってはたまらない。
トリスも、もしかしたら感じているのだろうか。
俺ほど原因がはっきりしていなくても、予感めいたものを感じているのだろうか。
それとも、俺の不安を?
「――トリス」
「なぁに、お兄ちゃん」
「がんばろうな」
「うん・・・」
何を、とは言わなかった。俺にはそれだけで十分だった。
こんなふうに、二人っきりで過ごすのも、最後かもしれないなと、思った。