――危なかった。
イオスを押さえつけ、それからようやく俺は緊張を解くことができた。
もうここには、ラグはいない。
あの銃撃が止んでから数回襲い掛かってきたのをかわし、斬り合い、何を思ったか、戦闘の中盤にならないうちに背を向け、姿を消してしまった。
ラグがいなくなって尚、どこにひそんでいるか、わからない上に、ラグの気配があたりに漂い続けているような気がして、落ち着かない気分になる。
俺はなぜか、ラグだけは何の気配も読み取れないのだから、なおさらに。
最初のゼルフィルドの銃撃を直前に察知できたのは、ほとんど偶然に近い。
確実に俺を狙っていた銃撃は、反射的にアメルを引き寄せていなかったら致命傷だったに違いない。
奴らの目的がアメルでよかった。 まさか捕獲対象を殺してしまうようなことはできなかっただろうから。
俺が今生きているのも、そのおかげだ。
もしこれが他だったら、まとめて銃弾の嵐の中だっただろう。
「残念だったね、アメルは渡さない」
「くっ!!」
もがくイオスをさらに強く拘束する。
――と、気づいた。
押さえつけているイオスの体が震えている。
原因は、力が及ばなかったことに対しての屈辱か、命を失う可能性の恐怖か、それとも、守るべき対象のアメルを盾にした俺に対しての怒りか。
もしかしたら一番最後かもしれない。
俺は、当然の行動をしただけなんだけどな。
体重をイオスにかけるふりをして、イオスの耳元に口を近づけた。
他の仲間たちは、まだ動けるゼルフィルドや、兵たちを警戒して、俺の声は届かない。
「指を握って俺の問いに答えろ。 イエスは一回、ノーは二回だ」
「……ッ」
一瞬のためらいのあと、俺が隠し持っているナイフの存在に気づいたのか、肯定のサインを感じる。
視線は周りへ向けたまま、ラグの姿は見えない。
「ラグは正規の軍人じゃない」
一回……是。
「あいつの狙いは、俺一人」
一回・・・・・・是。
「お前は奴の素性を知っている」
一回、二回……否。
ち、知らないのか。
まぁそれほどイオスが奴の情報を持っていると期待していたわけじゃないからそれほど落胆はない。
さて…俺はイオスには何も興味はないが、一応俺なりのフラグをたてておこうか。
「お前、自分の命を軽く思うなよ」
「――ッ!! ゼルフィルド!! 僕はいい!! 撃て!!」
「なにッ!?」
――普通人が言ったそばからそんなことするか? ずいぶん天邪鬼なやつだな。
そうは思って呆れても、事態は一気に緊迫する。
ゼルフィルドを見ると、すでに狙いをこちらに向けていた。
知っている。
この後、ゼルフィルドは発砲することを知っている。
だが、その銃弾は、俺たち誰一人として命中することはない。
「――危機一髪…ってところかしら?」
そう、ミモザの召喚によって。
俺たちとゼルフィルドの間に召喚された二頭のカバのような召喚中は、あくびのようなものをしてから同じくミモザの手によって送還された。
あまりのことに、場が呆気にとられる。
誰かが乾いた笑いをこぼした。 確かにその気持ちはわかる。 あれはかなりの力技だ。
「そこのボウヤ? ちゃあんと命は大切にしないとね?」
「うるさいッ!! 邪魔をするな!! 敵である僕をかばったつもりか!!? ずいぶんと甘い奴だなッ!!」
「そーゆーことは、その震える体をどうにかしてから言ったほうがいいと思うわよ?」
「…くっ」
きゃんきゃんとずいぶん元気な奴だ。
体重をかけたままの体勢だから、声が近くて耳鳴りがする。
「それに――」
隠されていた気配が、あらわになる。
イオスの無謀な行動に対してか、それとも生来のものか、圧倒的な存在感に自然と目が引き寄せられる。
そこに現れたのは、ルヴァイド。
「大将のお出ましみたいだし」
あまりにいつもどおりなミモザの声の調子が、ミモザの度胸を表している。
他は、ルヴァイドのまとう空気に体をこわばらせた。
動くのは、ルヴァイドただ一人。
まるで黒いドクロのような仮面のせいで、ルヴァイドの表情は伺えない。 だが、前に対峙したときよりも憤って見えるのは、イオスの行動と、ゲームでルヴァイドの性格を少しでも知っているからだろうか。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「イオスよ、今回は聖女の監視のみを命じたはずだが?」
「――ッ、申しわけ、ございません」
「へぇ…ずいぶんと余裕じゃねーか。 だがあんた、この状況がちゃんとわかってんのか?」
「……」
「さあ答えて!! あなたたちが一体なんなのか!! アメルを付けねらう理由を!!」
なんとか持ち直したフォルテが強気に笑み、ケイナが弓を構えながら問う。
そう、その目的のために、俺たちはわざわざ襲撃されやすいようにピクニックなんぞふざけたことをしたのだ。
「……どうやら貴様たちは勘違いしているようだ」
「なんだって?」
ルヴァイドが号令と共に、右腕を上げる。
「!!!!???」
「こんな、兵が…いつの間に」
号令で一斉に姿を表した黒の鎧は、あまりにもフロト湿原の緑と異なりすぎて、不気味なほどだった。
目立つはずのそれらに、仲間たちは気づけずにいたことにショックを受ける。
「こりゃあ…やべぇかもな」
フォルテの額に汗が浮く。
俺は、ルヴァイドに見えるように体勢を少しだけ変えた。
「だが、イオスを救ってくれたことには感謝しよう。 今回は見逃してやる」
「…あら、ずいぶんと紳士的なのね。 その好意、ありがたく受け取っておくわ」
「ミモザ先輩!?」
ミモザの判断はもっともだ。
俺とバルレルが本気になればおそらくは大丈夫だが、それを除外すると、このメンバーと人数さでは圧倒的に不利…どころの問題じゃない。 話にならない。
「…ひとつ、教えといてやろう」
それは、ずいぶんと低く、俺たちへと届いた。
そして、ルヴァイドは告げる。
黒の旅団の正体を。 デグレアという、国の名を。
「――なんだって」
衝撃的な事実に、息を飲む音がする。
もとから知っていた俺も、のどを鳴らした。
「…だからなんだって言うのよ」
押し殺したような声が後ろから聞こえてきたとき、俺はやっぱりな、と、妙な安堵を覚える。
トリスは続ける。
「あんたたちみたいな奴らに、アメルを渡すことなんてできない!!」
「ほう…どうしても聖女を渡さないと言うか」
「そんなこと、絶対にさせるもんですか!!」
「いいだろう…、その選択をしたことを、己の無力さをせいぜい後悔するがいい」
「後悔なんてしない」
トリスは言い切って、今にも戦闘を始めかねない勢いで、俺がいつか買ってトリスに渡したあの杖を構えた。
ミモザが、そんな空気を切り替えるように、手を叩く。
「はいはーい、今回は互いに戦闘はなし、ね?」
「あぁ」
「ミモザ先輩・・・」
「ただし、私も青の派閥の召喚師として、あなたに言うわ」
ミモザの表情が、召喚師のそれに一瞬にして切り替わる。
初めてみるその表情に、思わずミモザの意外な一面を見たような気がした。
おそらく、そう思ったのは俺だけではないはずだ。
だが、賢くも誰もがそのことを口には出さなかった。
「さ、行きましょ」
「え、でも」
「大丈夫よ。 彼らはもう、私たちに手を出してこないわ」
半分無理矢理にミモザはトリスをその場から連れ出した。
反射的に従うレシィとレオルド、それからフォルテとケイナも続き、俺はバルレルとハサハに先に行くよう促す。
解放したら暴れかねないイオスの首筋に、ナイフのもち手で強めに殴り、気絶させる。
それからゆっくりと立ち上がって、一瞬ルヴァイドと目を合わせた後、俺は振り返ることなく街の方向へ向かった。
ルヴァイドも、ずいぶん甘っちょろいやつだ。
部下の命をそこまで丁重に扱うとは。
軍の上司がそんなんで務まるとは、な。
足元で、低くうなるような声が聞こえたような気がしたが、意識にすらかけなかった。