とりあえず、いったん荷物を置きに戻ろうということになった。
さっきからハサハが俺の腕のなかでうつらうつらし始めていて、今にも寝そうだ。
時々カックンっと勢い良く頭が落ちたかと思うとバッと目を見開いて、で、またまぶたが落ちてくる。
ま、その心地よさってのは俺はよく知ってる。
こう、眠るか眠らないかっていう境目って、すっごい気持ちいいんだよな。
荷物を置いたら一緒に昼寝でもしようかなぁ…。
人ごみを見ながら、そう考える。
青の派閥の制服が見えた――。
あぁ、そうか。
俺は“朔耶”だ。
“マグナ”じゃない。“朔耶”だ。
何度も何度も自分に言い聞かせる。
そして、同時にむごく嫌な気分になる。
軽く、息を吸った。
「あ!?忘れてた!!」
さも今思い出したかのように、顔をあげる。
トリスとアメル、急な俺の様子に何事かと俺を振り返る。
俺はハサハを地面に下ろしながら荷物をバルレルに預ける。
もちろんバルレルとハサハは不満顔だ。
俺は苦笑して、折った体を起こした。
トリスが何か嫌な予感がしたのか、唇がとがっている。
「どーしたの?お兄ちゃん」
「ん、ちょっと報告しなくちゃならない人がいたんだ。荷物はバルレルにいくらでも持たせていいから先に行ってて?」
「おいッ!!なんで俺がッ!!」
もちろんバルレルに拒否権は無い。
せいぜい俺がいないからって不機嫌なトリスにこき使われてやってくれ。後でお礼はするから。
人差し指を立てる。
それを見たバルレルがふざけるなという顔で親指から中指を立てた。
いくらなんでも三本は多すぎだろう…。
せめて二本だ。
という意味で親指、人差し指を立てた。
「……はぁ~」
「それじゃあ、ごめんね!!すぐに戻るから!!」
交渉成立。
バルレルの大きな溜息に謝って、さっさとその場を後にした。
ったく、帰り道の護衛だけで酒瓶二本だって多すぎだっての。
そう思いながら、だけど少しずつピリピリしてくる気分を感じながら雑踏のなかへ駆け出した。
見たのは、青の派閥の制服。
そして、その主は、俺の呼び出し担当者だ。
もちろん、気分がよくなるはずがない。
いつものように派閥の建物から出ようとすると、甲高い声が上がっているのが聞こえてきた。
きゃんきゃんと嫌でも耳に入ってくる子供特有の甲高い声は、貧血気味の今の俺にとって嫌な音でしかない。
ちょうどその場所にたどり着いたとき、門兵が金髪で身なりの良い少女に手を上げようとしていた。
反射的に駆け出して、その手を掴む時間は一瞬。
「…………え?」
「すみません、門兵さん。この子、俺の迎えなんです。いっつも来るなって言っても聞かなくって…」
「え、えぇ!?ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」
「そ、そうなら、ちゃんと言い聞かせておけよ」
「はい、すみませんでした。ほら、行くよ」
問答無用でずるずると引きずるように連れて行く。
抵抗し、聞き難い甲高い声で暴言を吐いていたような気もするが、全てシャットアウトした。
大体、俺が逆に引きずられたいくらい疲れてるんだって。
自分で思って、勝手に俺がやってるんじゃないかって、一人でつっこんでみた。
胸のうちだけだけども。
「ちょっと!!どこまで行くつもりなのよ!!」
「もうちょっとだって。――ほら、ここ」
「…ここって開発地区じゃない。いい加減放してってば!!」
開発地区には、色々な材質が雑多に放置されている。
その影まで行って、そこでようやく俺は掴んでいて手を放した。
少女はかなり警戒している。
まぁ、いきなり初対面の男にこんな人気の無いところに連れ込まれたら誰だって警戒するか。
だけど、俺にはどうこうするつもりはもちろんない。
……と、言うより、どうこうするつもりがあっても、できないだろうし。
音が、耳元でした。 息を呑む音。 頬に砂の感触。
そこまで知覚して、あぁ、俺倒れたのか…、と他人事のように思う。
少女が慌てたように俺の体をゆする。
そして誰かを呼びに行こうとしたのか、立ち上がるのをとっさに声を出して止めた。
「待って」
こんな時でも『やめろ』と言わないとは、我ながらよくできた仮面だ。
遠くに自分の発したはずの声を聞きながら、半分止まりかけている思考が回る。
とりあえず、この少女で俺の様子を誰かに知らされるという展開はまずい、それだけはわかった。
「誰にも知らせないで」
「で、でも…。あなた具合が悪いんでしょッ!?」
「だから、だよ。とにかく、少し、休めばだいじょうぶだから」
顔も動かせる気がしない。
少女と視線も合わせられない。
引き止めるための手段は、この言葉だけ。
「頼む。少しでいいから、ここにいて…?」
「……本当に?…本当に大丈夫なの?」
恐る恐る俺の顔を覗いてくる少女。
視界に入ってきた少女の表情は、嘘偽りなく、俺の心配をしていた。
もう一押し。
気を抜くと、もう、気絶しそうだ。
「ん、だから。少しここにいてくれないか」
後から考えてみたら、まるで口説き文句のようだ、と思ったが、その時の自分には、それを考えるほどの余裕はなかった。
少女が何と答えたのかは、わからない。
ただ、手に触れられた感触。
それだけが、了承のサインだと、わかった。