裏庭から最後までいたラグという男がいなくなったのを確認すると、すぐに全員が表に向かう。
着くと、すでに回り込んできたゼルフィルドの銃弾が続いていたであろう戦闘をとめていた。
「いおす、ココハ撤退スベキダ」
「ゼルフィルド。……あいつはどうした」
「らぐハ裏部隊ヲ引キ連レテ撤退済ミダ」
対峙しているときのあの異様な感覚を思い出して、自分でも理解できない感情に、固く手を握り締めた。
ぎりぎりと、爪が食い込む。
「…そうだな。撤退だ!!」
イオスのため息。そして高々と上げられた指令に迷い無く従う黒の鎧。
よく訓練されたその動きに、誰も追撃はできなかった。
一部、無茶なことに追いかけようとしていた奴もいたけどな。
あからさまに睨み付けているリューグを横目にいれ、ふぅ、とため息をついた。
「お兄ちゃん!!大丈夫!?怪我はない?」
「俺は平気、トリスは?」
「後ろにいたから大丈夫だって。ッ!!傷ッ!!Fエイドはやく!!」
傷なんて負ったっけか?
…あぁ、さっき握り締めたときの。
トリスが慌てて、絆創膏に似た形の回復アイテム、Fエイドを取り出し、俺の手のひらに貼る。
手を握ったり開いたりすると、妙な張り付き加減に違和感がした。
「他にはない?隠したって駄目なんだからね?」
「んー、多分ないよ。…無事でよかった」
本心だ。
とりあえず今は、無事だった、それだけで十分だ。
「マグナさん、怪我があるなら私が」
アメルがおずおずとFエイドを貼った俺の手を見るが、俺は何でもない風に手をひらひらと振って、アメルに微笑んだ。
「うん、大丈夫だよ。ただのかすり傷だし。アメルだって力を使って疲れてるだろ?俺のはほっとけば勝手に治るし」
「お互いに手のかかるお兄ちゃんがいて大変だよねー、アメル」
おちゃらけたトリスの言葉にアメルは「手のかかるお兄ちゃん」をちらっと見て、ふふ、と笑んだ。
とりあえずそのまま雑談するわけにもいかないので、家に戻るとしよう。
俺の後ろに控えていたバルレルとハサハは、じっと俺の様子を少し離れて伺っているのを感じたが、特に何も言わなかった。
リビングで襲ってきた黒の鎧の奴らについての話になったとき。部屋の空気はずしっと重く、そして固くなる。
その重圧に一番耐えられそうにもない一人が、この物語の発端になっているということを、まだ誰も知らない。
話を切り出したのは、ギブソンだった。
「結局、わかったのは奴らの頭でありそうな三人の名前だけか」
「槍使いのイオス。機械兵士のゼルフィルド。斧使いのラグ…だっけ」
「ラグって人は表には来なかったよな?姉さん、どんな奴だったんだ?」
「それは私じゃなくてマグナから聞いたほうがいいわね」
「…え?俺?」
急に振られた話にやっぱり、と思いつつも戸惑う顔をする。
俺自身も、あいつについては戸惑ったままだ。だからこの状態で何かを話すのには抵抗があるのだけれども・・・そうは言ってられないか。
「ラグはあなたにずっとついていたじゃないですか」
ロッカの駄目押しに、そうだけどさぁ、と一応つぶやいてぽりぽりと頭を軽く掻く。
んー、とうなると、呆れたような視線がいくつか突き刺さった。
それには気付かないふりをして、思い出す。
――また、理解しきれない感情が、俺の中に生まれるのを感じた。
すぅ、と軽く息を吸って、思い出せるままに言葉にする。
別に奴については、下手に隠すよりは、そのまま俺の見たとおりに話せばいい。
とくに情報操作する必要もないだろう。
「外見、というか格好は召還師みたいだったよ。黒のローブをすっぽりかぶって、でも召喚術を使う様子はなかった。
灰色の髪はボサボサで、肌は白くてまったく日に焼けてなかった。
扱っていた武器は……斧、みたいなもの」
「みたいなって?」
「リューグの扱っているような斧とはちょっと違った形をしてたんだ。トリス、ギロチンの刃ってわかるだろ?」
ピクリ、と反応する。
俺とトリスは実際に使用された現場を何度も見てきた。
あの無機質に命を奪う様は、そう簡単に忘れられるものじゃない。
「…あれに柄をそのままつけたような形。大きかった。たぶんこれくらいはあったと思う」
そういって、両手いっぱいに伸ばす。
すぐにその腕を戻し、話を続けた。
「相当の重量はあったはずだったけど、あいつは軽々とそれを扱ってたよ」
途中から奪い取った大剣じゃなかったら、一回斬り合わせただけで剣が折れてただろう。
そして、あれからは染み込んだ血の匂いがした。
「たぶんラグは、裏庭にいたなかでは一番上の権力を持っていたと思われるわ。彼が撤退の言葉を出したら、一斉に動いたし」
「イオスもラグのことを聞いていた、ということは、同等か、それ以上の立場ということか」
「えぇ、そう見るのが自然でしょう。少なくとも、彼らが統率の取れた軍のような集団であり、そのトップにいることは間違いない」
「……目、が」
「…どうした、マグナ?」
注意深く俺を見るフォルテの目にはっとして、無意識に震えていた体を抑え、“マグナ”を意識する。
「ううん。気の抜けた顔だったなぁと思って」
「ヒヒヒ、オメーといい勝負だったなぁ。しかもしょっぱなから殺されかけてやがるしよォ」
バルレルの言葉に反応したトリスの勢いの処理が大変だったことを付け加えておく。
なんか、俺が言うのもなんだけどトリスも過保護だよな。
大きな月が、数十と張られたテントを静かに照らしている。
その中の一つに、機械兵士が入り込んだ。
「らぐ、我ガ将ガオ呼ビダ」
機械の合成音。
まったく動かずに体を横たえていた影は、その音に目を閉ざしたまま、起き上がった。
そのまま、テントを出る。
視界が無いはずなのにそれを感じさせず、だがぎこちない緩慢な歩みに、ゼルフィルドは後に続く。
一つのテントをくぐると、そこにいたのは紅い髪を持つこの軍団の長、ルヴァイドと、金の髪を持ち、少々殺気だっている副将、イオス。
後ろにゼルフィルドがいて、囲まれた状態で、急に呼び出されたというのに、ラグの表情は変わらなかった。
……ラグの瞳は隠されたままだ。
最初に口を開いたのは、ルヴァイド。
「ラグ、貴様に問うことがある」
答える声も無い。
そして、反応すらない。
しかし、ルヴァイドはそれを気にした風もなく、続けた。
「貴様の役割は、我らの視察のみのはずだ。しかし、ゼルフィルドの報告では無許可で戦闘に加わったそうだな」
ラグは、反応しない。
それにイラつき、声を上げたのは、やはりイオスだった。
「貴様、ルヴァイド様の問いに答えろ!!どういうつもりだ!!」
それでも、ラグは何も答えない。
イオスは後ろに控えているゼルフィルドに目を向けた。
「ゼルフィルドもだ。裏はお前の指揮下にあったはず。それなのに何故撤退命令を下すときにラグに許可を求める必要がある?」
任務失敗の報告をしたときに、自分同様にゼルフィルドからそのときの様子を聞き、イオスは今以上に憤慨していたのだ。
どうして、こんなやつの命令を聞く必要があるんだ、と。
「らぐガ戦闘ニ加入シテ来タ瞬間カラ、戦闘ノ指揮ハらぐニ移ッタト判断シタ。立場的ニミテモ妥当ダロウ」
キュルキュルと音を立て、返された合成音にイオスはそれでも、と詰め寄ろうとする。
それをとめたのはやはり、ルヴァイドだった。
「まぁいい」
ため息交じりのそれに、沈黙が落ちる。
今回の戦闘の介入は、少なくともマイナスの結果にはならなかったからだ。
ラグが参加してもしなくても、任務を遂行することはできなかっただろう。
「今後も引き続き、聖女の捕獲任務を続行する。ラグ、それに伴ってお前はどうするつもりだ」
「…………」
「では、好きにするがいい」
あえてルヴァイドは任務の妨げになるようなことはするな、とは言わなかった。
それをすることは、ラグにとってもプラスにはならないだろうから。
ラグは、わずかに頷き、いつものように緩慢な動きでテントを出た。
最後まで、ラグは声を発することはなかった。