初めとは、つまりは始まりだ。
そう、誰かが言ったのを、聞いたことがあるような気がする。
それか、誰にでも最初は初心者だ。だったか?
まぁ、そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも、だ。
「・・・ここは一体、どこなんだ?」
まさか俺がこんな記憶喪失した人のようなこの台詞を言うなんて思わなかった。
それにしても、ほんとに珍しいくらいに真っ暗な場所だな、ここは。
見渡す限りの、黒。いや、闇のほうが表現が近いかもしれない。
それらの闇は、まったく他を寄せ付けない純粋な黒。星の輝きのない宇宙は、おそらくこんな感じじゃないかと思う。
確か俺はいつもどおりの日常を送り、いつもどおりの睡眠をとっていたはず。
別にこれといって、たいしたことはなかったはずだ。
・・・誰か、いるな。
遠くだが、子供の泣き声がする。
この空間は、方向がつかみにくいな。
建物が無いのか?
いや、意識してなかったから俺が気づかなかっただけで、ここには闇しかないみたいだな。
どうりで足音も、人の気配も、匂いも、風も無いわけだ。
だが、実際問題。こんな空間が存在するのか?
俺が夢か幻想を見ているという可能性もあるにはあるあるが、その可能性はほぼ皆無だ。
そんなことをつらつら思考しながらも移動する。(正確には移動しているつもりだ)
すると、どこにも光は無いはずなのに、少年の姿が浮かび上がり、俺は立ち止まる。
少年は、一言で言えば、ぼろぼろだった。
髪も服も体も肌もおそらくはその心も。
少年は、横向きに横たわり、膝を折り曲げ、顔を埋め、ぼろぼろになりすぎてもはや機能していない袖からむき出しの骨の浮き出そうなほっそい両腕で頭を抱えていた。
その小枝のように簡単に折れそうなその腕には、いくつもの火傷や、切り傷、痣がある。どうやら俺から見てもずいぶんな虐待を受けていたらしい。
それには古傷の上から真新しい傷がかぶさっていたりしていて、なかなか世の中には酷いやつがたくさんいるらしい。どこにでも。
少年は、俺の気配に気づいたようだ。
体をわずかに震わせて、ゆっくりと顔を上げて俺と視線を合わせる。
「・・・何」
見かけによらない冷徹な声に内心驚いたものの、表には出さず、聞きたいことだけをたずねようと思い直す。
「ここはどこだ?」
自分の耳に聞こえてきた自分の声は温度が感じられなかった。
普通の子供ならおびえるか、それとも人の声と認識できないかのどちらか。
目の前の子供は、どちらとも当てはまらなかった。
ヒクリ、と体を震わせて、不可思議なものでも見るようにまじまじと俺を観察した後、ぽつりと俺に答えを返した。
「ここは、僕のなかだよ」
「・・・・・・はぁ?」
随分とまぁ、俺が期待したものとはかけ離れた返答だな。
一瞬、他のやつに聞くんだったと思ったが、周りをどんなに見回しても影、いや、気配すらみつからない。
やっぱりこいつに聞くしかないのか、とため息をついた。
しかし、そこで少年の気配がどこか懐かしく感じている自分に気づいた。
「前に、会ったこと、あるか?」
何を言っているんだ、これじゃあまるでナンパじゃないか。
心のなかでそうは思うものの、慎重に少年の様子をみる。
少々うつむき加減の顔を見ながら、どこかで見たことがあるような気がしてなんとなく落ち着かない。
「たぶん、ない。なんだか懐かしく感じるけど」
そうか…。
それにしても、俺はなんでこんなところにいるんだ?
少年の言葉を信じるなら、いつから俺は他人の精神に入れるなんて芸当ができるようになったんだ?
俺が考えていることがわかったのか、それともただの偶然か、少年は先程よりも小さい声で呟くように言った。
「もしかしたら、憑依召還されたのかも…」
「憑依、召還…だと?」
小さな、呟くような声でも、何も無いこの空間でははっきりと耳に届いた。
聞きなれているようで、普段あまり耳にしない単語を繰り返し、やっと少年の言っている意味がわかりかける。
憑依、霊などが人に乗り移り、害を成す。
召還、生き物や霊、ものを呼び寄せること。
大してそちら側の知識がない俺では、漠然としたそのイメージしかない。
それでもなんとなく意味がわかるのはファンタジー系のゲームのおかげだろう。
「ごめんなさい、僕じゃあ、もとの世界に戻すことができない・・・」
「それは・・・かまわない。俺は特に還りたいとも思わないしな」
本音だった。
やり残した仕事はあるものの、普段から執着心の薄い俺はいつ死んでも別に後悔はないように生きている。
少年が言うには、俺はこれから少年の体に乗り移ってしまうらしい。
もう少ししたら、少年自身の記憶が俺に触れるだろうと。
だからおそらく知識不足で生活に困ることはないだろうとも。
「だけど、僕である、それだけで辛い立場におかれることは間違いないと思います」
泣きそうな顔で、少年が言う。
だから、こんなにも傷ついているんだろう、たぶん、今見えているこの傷だらけの少年の姿がそのまま傷だらけの少年の心なのだろう。
その顔を見て、思わず情が沸いてきてしまった。
髪を乱暴にかき混ぜて、俺らしくない笑みを見せた。
心配はいらない、安心しろ、とは言葉にできないから。
「そうだ、名前は?」
今気づいた。俺は少年と呼んでいたが、これから自分が演じる少年の名前を知らなければいけない。
おそらく記憶に触れれば勝手にわかることなんだろうが、それでも直接この少年から教えてもらいたかった。
「僕の、名前は・・・・・・マグナ
マグナ=クレスメントだ 」
これほど俺は驚いたことはない。
マグナ、ゲームのなかの主人公だ。
一度だけ、やってみたことがある。
あんまり忙しくてできなかったのだが、なんとなく面白かったのを覚えている。
そのなかの登場人物が、実際に目の前にいる。
信じられない事態だった。が、俺はなぜかすんなりとこの状況を受け入れることができた。
「俺は、朔耶。 ・・・・・・朔耶だ」
ゆっくりと、休め、マグナ。
そう、ゆっくりと頭をなでながらささやくと、マグナはゆっくりとまぶたを閉じた。
しばらくして、俺はマグナの記憶の奔流に飲み込まれる。