まだ使われて間もない、錆一つない新艦娘の艤装が陳列された艤装庫。いつもは教官のアクセスキー無しには開かない鉄扉も外の空気を深呼吸するかのように開いていた。
まだ少し糊の残った制服を纏った大鳳は入り口を潜り抜け、奥へ奥へ自身の艤装の場所へ歩いていく。その足取りは決して軽くはなかった。
どこから取り出したのか深緑の迷彩柄ゴーグルを頭にはめ、大鳳の艤装を覗き込んでいた瑞鳳が中腰のまま挑戦的な眼差しで振り返る。
「来たね」
体の内に熱い意思を秘め大鳳はうつむきがちに少しずつ口を開く。
瑞鳳はその気配を感じとり咽を鳴らす。
「はい。よろしく、お願いします。…あの、先程は、申し訳ありませんでした。どのような罰を与えられても、当然なことを、私はしました。死ねと言われれば死ぬ所存です」
そこで一旦区切り、瑞鳳と視線を合わせ、力強く意思を伝える。
「ですが、私が艦載機を発艦出来るようになってから、死ねとご命令ください。私は空母として死にたいのです。これだけはどうしても譲れません」
対して瑞鳳はポカンと口を半開きにして姿勢を保っていたかと思うと、唐突に腹を抱えて笑いだした。
「あはははははは!!なんか真剣な顔してるなーって思ってたら!さっきのことすっごい気にしてんのね!あっはっはっはっ!え!?鎮守府にすらまだ着任してない新艦にボコボコにされたから、キレて、ワタシ、しょ、処しちゃうの!?そんなの拙者が処されちゃうでござるぅぅぅーーーー!!ぷふふふふ!!!しかも、し、死ねって言ったら死ぬんだ!?しかも、それ、命令するかどうか結局大鳳ちゃんが決めちゃってるじゃん!?もうムリーー!大鳳ちゃん面白すぎーー!!」
腹を抱えてそこらじゅうを転げ回る瑞鳳の姿に圧倒され、酸素を求める魚のように口をパクパクする。だが、これだけはわかる。
すっごいバカにされてる
「わ、笑わないでください!私は真剣に言ってるんです!」
耳まで真っ赤にして叫ぶが瑞鳳はまだ地面を転げ回る。
「そう!にゃにより真剣に言ってるのが面白すぎりゅーー!!あひひひひひ!!」
その後も大鳳は足をジタバタさせたり、腕をブンブン振り回したりと必死に抗議するが、瑞鳳にとっては大鳳の全てがツボになってしまったらしく、転げる速度が加速していった。果ては「その髪型どうなってんの!?」などとからかわれた。貴方も似たようなもんでしょうが。
「ふっふ~~。あ~、笑った笑った。これは確かに笑っちゃうね。今ならわかる」
やっと息を整え、砂と煤まみれになった胴着を気休めにさっさと手で払い、立ち上がる。
恥ずかしさや怒りや気まずさがない交ぜになった微妙な表情の大鳳の肩をポンポンと叩いた
「まあさ、さっきのことは気にしてないから。あ、でも痛かったかも。イ級の副砲くらいは。……ププッ 」
まだ引きずっているらしく、自分のギャグで勝手に吹き出している。幸せそうですね。
「まあまあそんな怖い顔しないで」
「しておりませんが。これが自然体です」
「そう?生まれつき?ワタシはそうは思わないけどなー」
若干つり目なので不機嫌だと思われやすいらしい。鹿島先生からもそう思われたことがあった。最近は尚更だろう。証拠に最近、眉間が凝り固まって疲れる。
「失礼ですが本題に入りませんか?」
「ああ、そうだった、そうだった」
そう言って瑞鳳は大鳳の艤装へと小走りし、弓矢を携えて戻ってきた。
全長2.2mほどの黒いカーボンファイバー弓で弦は茶褐色。
そして90㎝弱のジュラルミン製の矢が4本。一般的に想像されるであろう弓矢一式と変わらない見た目だが、大きく違う点が一点だけ。矢尻が鉄製の矢尻の代わりに深緑の単葉機の模型がつけられていた。
「これもそうだけど、大鳳ちゃんの艤装は翔鶴型の艤装をベースにしてるようだね」
「知りませんでした…」
ちょっと恥ずかしいことなので大鳳は目を逸らす。
「翔鶴さんや瑞鶴さんには直接会ったことがないけど、翔鶴型の艤装の設計図は見たことがあるの。その時の設計図がこれに似てた気がする」
瑞鳳はなにげなく言ったが、基本極秘である艤装の設計図を、艦娘であるとはいえ記憶出来るほど見ることができたとはかなり衝撃的な発言である。
瑞鳳がどういった立場の艦娘なのか密かに大鳳は疑問符を浮かべた。
構わず瑞鳳は続ける。
「多分大鳳ちゃんには姉妹艦がいないことが要因だろうね。この艤装は大鳳型というより改翔鶴型としての構想の元で設計されている。そして、その構想は決して間違っていない…。でも、それこそが足枷となっているんじゃないのかな…」
弓を片手にうんうん唸りだした瑞鳳。大鳳に説明しているというよりも自説を自問自答しているようだ。
いくらかブツブツと呟くと急に大鳳へ片手を差し出した。
「握って」
瑞鳳の行動の意図を掴みきれずにいると、瑞鳳は出した手をふらふらと振る。
「機力の判別をしたいから」
それで合点がいった大鳳はその手を両手で挟むように握り返す。
龍鳳の時もしたその行為は新しい艦娘が顕現した時に必ず行われる行為だ。
機力は一種類であるとも多様であるとも言える。
艦娘がもつ機力の成分は、その艦娘が何の艦種で何の型なのかを判断する際の重要な情報だ。
まず機力生産量の大小。生産量が多いか少ないかで大型艦か小型艦に分かれる。そこから主砲、魚雷、艦載機、電探などとの適正があるかどうか。火力特化か雷撃特化か航速特化か装甲特化か複合特化か、はたまたバランス型かなどに分類していく。そして似たような特徴をもつ既存の艦娘を探し、姉妹艦かどうかを判定する。
これによって新しい艦娘の正体を特定できるのだ。
もちろん姉妹艦がいない大鳳や逆に姉妹艦が多い駆逐艦の例もあるし、誤認の可能性があるから、この手順はいくつかの特定する方法の一つにしかすぎない。ただかなりの精度をもつから今でもよく取られる方法だ。
長々と書いたが要するにスープの味見と同じである。
今では分析計が発明され全てが数値化できるようになったが、昔はこうして文字どおり艦娘の手によって感覚的に行われていた。
さて、現在の大鳳と瑞鳳の関係は回路と電流計の関係と似ている。
今から大鳳が意識的に機力を流す。それは同じ艦娘である瑞鳳の手を通過して、腕が作り出した輪をぐるぐると流れていくのだ。
瑞鳳は流れる機力を感覚で分析していく。
「ちょっと弱いかな…。もう少し強くして」
「こ、こうですか?」
「もっともっとだね」
「くっ、これなら!」
「うん、いい調子いい調子。そのままでキープして」
分析を開始した瑞鳳は通常より深く知るため大鳳に繊細な要求をしていく。
「もっとゆっくり…。でも量は変えないで!」
「むずかしいです…」
「こう、海に手をかざしてワッて半分に割る感じ?」
「ちょっとよくわからないです…」
「じゃあ、九九艦爆の模型を思い浮かべて。メーカーはTOMIYAね。いい…?そして九九艦爆の可愛い足を下から見上げるの。その感じで。………じゅるり」
うへぇとだらしなく眉尻を下げ、舌なめずりする瑞鳳。
大鳳は困った顔をして、一つ提案した。
「流星の左翼でもいいですか?」
「角度は?」
「後ろから見て、尾翼の先端と左翼の先端を結んだ線上から。あ、メーカーはハセヤマで」
「え、意外…。ん?でもこれって…。あ、あぁ~~。くぅ~、確かに…いい」
予想斜め上の提案に感心を隠しきれない瑞鳳はしきりに頷く。
大鳳の提案は王道でもなくマイナー過ぎず、一見凡庸だが通常の鑑賞では出てこない美点の出現を可能とした鑑賞方法だった。
瑞鳳の反応に満足する大鳳は内心ほくそ笑むが、自信なさげに上目使いに訊く。
「だめ………ですか?」
「くっ…いいよ。それでいこう…。でもね、九九艦爆も可愛いんだよ…?」
「ええ、わかります。わかりますが今回は流星ということで」
ばっさりと切り捨てた大鳳はそのイメージを脳内で描きながら機力を流していく。
「ああ、いいよ。いい!そうそう」
「さすがは流星ですね」
「そーーだねーーって、あれ?」
半目になっていた瑞鳳がふいに大きく目を見開く。
そして、手を急に放したかと思うと傍に立て掛けてあった大鳳の弓を持ち出し出口へと走る。
瑞鳳の奇行に反応出来ずにいた大鳳を手招きしながら出口を抜けた。
「道場に戻ろう!確かめたいことがあるの!」
大鳳はわけもわからず言われるがままに駆け出した。
道場。赤紫色が的前の背後の空を染め上げる。板張りの床から28m離れた黒土の山に白い丸の真ん中に黒い丸が塗られた的が4つ均等な幅を保って並べられていた。シンと冷えた床が火照った脚から熱を吸う。
「こっちこっち」
瑞鳳がもうひとつの道場へ行くための渡り廊下から大鳳を呼ぶ。
示された方向を知り躊躇したが、「ハイ」と小さく返事しそちらへと向かった。
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もうひとつの道場に足を踏み入れたのは久しぶりだ。
一見普通の弓道場。しかし大きく違う所がある。50m四方の芝生に様々な高さの棒がそこかしこで刺さっている。棒の先には的がついていた。
ここは空母専用道場だ。主に艦載機操作訓練に用いられている。
「綺麗に整備されているね」
そう、久しぶりなのにも関わらず道場内は威厳を保ったまま綺麗だった。
床や弓置きには埃無く、雑草が刈り取られ一面に一様な芝生の緑がひろがっていた。
現在、この校舎にいる空母は大鳳だけだ。大鳳が在籍している期間中入校した空母はいない。
そして、業者に校舎管理の指示を出すのは鹿島だ。
義務なのかもしれない、ただの日々の雑務の一環に過ぎないのかもしれない。
だが、大鳳は目頭の熱さのあまり両こぶしを握らざるえなかった。
瑞鳳は急かすことなく壁にもたれ、夕日に照らされた大鳳の影を眺めた。
黒い影が微かに揺れていた。
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「さてと、とりあえず大鳳ちゃんにはこれを引いて欲しい」
瑞鳳が弓を渡すと、大鳳は弓を持ったまま目を白黒させた。
「意味がわかりません」
「考える前に行動、行動っ!」
大鳳の背中を押し無理矢理射位に立たせようとする。
「いや、でもですね…」
「まあまあいっぺん大鳳ちゃんの射形を見ておきたかったしやってみてよ」
そう説得されればやるしかない。大鳳は渋々位置を決め、矢をつがえる。
ふぅと息を吐き、弓を持ち上げ、弦と弓を引き離していく。
口部分へと下げた矢の先端が落ち着くまで徐々に肘を引き、狙いが定まったと同時に離す。
矢は若干不規則な軌道を見せながら土山へと突き刺さった。最初と何も形の変わらぬまま。
見慣れた光景に溜め息をつきつつ瑞鳳へと振り返る。
「次をつがえて」
嫌だと言おうとしたが、瑞鳳の瞳は動きもせずに大鳳を見つめていたから、何もいえず次の矢をつがえた。
結果は同じ。刺さったところが先ほどの矢より少し高いくらい。
「次」
振り返る前に矢を渡されたので言われるがままにつがえた。
次の矢も、その次の矢も、またその次の矢も、大鳳は引き続けた。
だが、全ての結果は同じだった。
20本ほど引いただろうか。機力も消費していくため通常より疲れが倍増だ。
休みたいのは山々だが瑞鳳は次々に矢を渡してくるし、さっきああいった手前自分から休憩を申し出るのは憚られた。
気持ちを落ち着け、両腕をあげる。
その時にスッと肩になにかが触れた。
「手首じゃなく腕で弓をそのまま前に送るの。肩は動かさない」
瑞鳳の声が背中から聞こえる。
彼女のゴツリとした手のひらが大鳳の脇下を根元から先へと擦る。
大鳳は少し驚いたが平静に努め、弓のことだけを考える。
「そう、その形。そのままゆっくりと両肘を分けていって…」
今までに何回か体感したことのある弓との一体感。今回のものは一層深く感じる。
狙いが固まる。体内の中心から溢れる力を解き放つように大鳳は弦を離した。
真っ直ぐにブレのない軌道で矢は加速する。
そして異変が起きた。
矢が霞を帯びたように姿が不明瞭になる。
蒼き光を発したかと思うと閃光しその姿を隠す。
バンッという破裂音とともに現れたのは橙色の複葉機。
冬空を滑空する季節はずれの赤トンボだった。
「やっぱりね」
瑞鳳はその機体を目で追いながらニヤリと笑った。
お詫びがあります。
鳳雛は後もう少し続きます。後編って書いてるのに。
私もこんなに長くなるとは思いませんでした。
そろそろ提督の名前を忘れそうになっている方もいらっしゃるかもしれません。
本当に申し訳ありません。