なにしおはば   作:鑪川 蚕

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17話 島風

目を開けても、暗闇だった。

身体が何か暖かいものに包まれている。これは何かと、掴むと柔らかい感触が返ってきた。綿でできたなにか、なるほど布団か。

モヤがかかったような頭ながら「起きなくては」と考え、上半身を起こした。

周りを見渡すと、ほのかに明るい箇所があり、そこの中心に見慣れた革の鞄があった。窓から射し込む月の光がそれを照らしていたのだ。

ここは自分の部屋、そう確信したのは目が覚めてから優に1分はかかった。

 

長い時間寝ていたのか背中がズキズキと痛い。思わず背中を押さえると、ジットリとしている。かなりの量の寝汗をかいていたのだと気づく。

ひんやりした床を裸足で歩き、手探りでスイッチを探す。

パチリと点けると、蛍光灯から光が溢れ、部屋が明るくなった。

あまりの明るさに目を閉じる。薄く開けたまま壁掛け時計を見やると、短針が9時より少し前を指していた。

お腹が空腹を訴えている。夕食の時間をとうに過ぎているが何か食べ物をと考え、部屋を出ようとした時、勉強机の上に見知らぬメモが置かれていた。

 

『大鳳へ

初任務お疲れ様。夕食を食べ終わったら、執務室まで来てください。執務室に誰もいなかったり、アナタの気分が優れないのなら、翌日にしても構いません。

陸奥より』

 

あの似顔絵の無い、淡々とした筆致。

メモを一通り見ると、くしゃりと握り潰し、ゴミ箱へ放り投げた。

ゴミ箱の縁に当たり、カシュッと乾いた音とともに床に落ちる。

それが拾われることはなく、部屋には誰もいなくなった。

 

 

階段をふらりと降りていき、1階の食堂に着くと、MAMIYAが何も変わらない、明るい声で出迎える。

 

『今晩は!今日もお疲れ様です。しっかり食べて英気を養い、明日に…』

 

最後まで聞き終わらずに食事のボタンを押す。

艦娘ナンバーを何回か間違えながらも入力。

 

『本日は艤装を使いましたか?』

 

少し指を止めた後に『いいえ』を押した。

それからもいくつか質問されたが『はい』『いいえ』を交互に押していった。

間宮が調理をしている映像を眺めて、ぼさっと突っ立ったまましばらくすると、トレーがコンベヤに乗って流れてきた。

トレーには鰹のたたき、肉じゃが、2合ほどの白米。

 

他に誰もいないだだっ広い食堂で一隻、椅子に腰かけ、皿に箸を下ろす。

 

「甘…」

 

じゃがいもを一口含んで呟く。どうやらかなり甘めの味付けにする選択をしてしまったようだ。肉じゃがの器を端に寄せた。

 

そういえば、肉じゃがは海軍から生まれたものらしい。

とある司令官が異国でビーフシチューを食し、その旨さにいたく感動した。本国に帰り、料理長にこれを作るように命じたのだが、料理長がその司令官の話を元に悩みながら作ったものが、のちの肉じゃがだったとか。

実際はこの話は作り話らしいが、もしこの話が本当だったとしたら

ビーフシチューを期待していたその司令官は肉じゃがを前にした時、どのような反応をしたのだろうか?

 

空腹であるにもかかわらず、結局半分も食べないうちにトレーをMAMIYAに返して、食堂を後にした。

 

 

執務室の前に着き、ノックをしようとしたら、扉が少し開いていた。

提督と秘書艦の声が微かに聞こえる。

何故そうしたのかはわからない。音を立てないように扉のすぐ傍で聞き耳を立てた。

提督は書類を積み上げた机でせっせと万年筆を動かし、時折板状の機械らしきものに指を這わせ、秘書艦が傍でその書類のチェックを行う。ふたりとも忙しそうだ。

少し覗いていると、提督が手を止め、左頬をさする。

 

「いつっ…」

「あら、まだ痛むの?」

「木曾のやつ、思いきり殴って… 」

「…悪かったわね。アナタは反対してたのに、アタシが」

 

頬を撫でようとする陸奥の手をやんわりと京は制した。

 

「別に何も悪くない。最後に判断したのは僕ですから」

「でも」

「結果として損害は抑えられた。もし大鳳さんを連れていってなかったら、町は空襲されていた。そうでなくとも、あなたの言うとおりになっていたかもしれない。だから…」

 

提督は机に拳を叩きつけた。

無数の書類が床に散らばる。

 

「くそっ!間抜けが!何故見抜けなかった!?何故対策を打てなかった!?何故これほどの損害を被った!?無能が!辞めてしまえ!」

 

提督はそのまま机にうずくまるように顔を伏せた。

秘書艦は散らばった紙を拾い集め、揃えて机に置く。

 

「過去はやり直しがきかない。顔を上げて。そろそろ招集がかかる頃よ」

「そうですね…」

 

提督は死人のようにむくりと立ち上がり、うなだれたまま部屋の隅にあるハンガーラックに向かう。

両肩に大佐の肩章のついた、金ボタンの白色の上着を羽織り、金糸刺繍の入った制帽を被る。

 

「…大鳳さんや暁、それに木曾は?」

「大鳳はまだ寝ていると思うわ。暁は部屋にこもって三角座り。木曾は艤装庫で整備中よ」

「そうですか…」

 

京が溜め息をついた時、黒電話のベルが鳴った。

 

「はい、こちら舞鶴鎮守府大坂支部」

 

京が駆け付け、応答する。

 

「…はい。…はい。了解しました」

 

受話器を下ろし、陸奥に顔を向ける。

 

「柳司令長官より招集がかかりました。作戦が始まります。秘書艦、陸奥」

「はい」

 

そこには戦いに臨む凛々しい提督が、その補佐を立派に遂行せんとする秘書艦がいた。

 

「この支部における僕の全権限を一時的にあなたに委譲します」

「拝命しました。この陸奥、全力をもって当たらせて頂きます」

 

両者は敬礼を交わし、それぞれの持ち場に向かう。

提督が扉に手をかけた時、思い出したように秘書艦に振り向く。

 

「…抜けた穴に関しては至急別支部の艦娘をこちらに配備するよう手配します」

「…了解しました。…………御武運を」

「…」

 

京は応えずに執務室を後にした。

 

 

執務室の近くの曲がり角。提督の足音が消えていくのを確認して、壁にもたれかかるようにへたりこんだ。

心臓が忙しなく動き、心音の響きが身体を震わせる。

ふらつく足で懸命に立ち上がり、誰にも見つからないように壁を伝って歩いた。

 

 

自室に戻ることが出来たが、道中の記憶が無い。

月光が射し込む部屋の中。何かをくるめた毛布の周りでは、紙や服がそこら中に散らばり、箪笥であった多数の木片が棘を見せ、机が扉を塞いでいた。

毛布にくるまった少女は過呼吸気味に嗚咽する。

 

ーー何故これほどの損害を被ったーー

ーー過去はやり直しがきかないーー

ーー抜けた穴に関してはーー

 

「島風は…、島風はッ!」

 

「ワタシがコロシタ!」

 

 

 


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