女傑提督の戦績   作:Rawgami

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第四幕

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 提督と明石、大淀は、前任者の監視網から外れている数少ない場所、執務室で会合していた。明石も抜け目なく用意をし、ようやく分かりあえた大淀とも信頼を確かめ合い、さらに、提督の『無茶なお願い』を達成するために来た。

 「……ぁの、提督……そんなにじっくりは……見ないでくださいよぅ……」

 恥じらいが前面に溢れ出てしまっている明石の声。しかし提督に容赦は無いようだった。

 「いいえ、すごく綺麗だし……立派だわ。私の想像通り……明石って、すごく“良い”のね」

 「うぅぅ、そんなに弄られちゃうと……壊れちゃいそうですよぉ……」

 「大丈夫。すごくしっかりしてるわ……」

 二人の会話を傍から聞く大淀の目は冷ややかだった。

 「あぁっ! 提督、そこは危ないです! んあぁぁ! そこはもっと危ないですからぁ!」

 「いいじゃないの。いざという時のために……確かめておかないといけないわ」

 「ダ、ダメですよそれ以上はぁ……撃鉄が落ちちゃいますからぁっ!」

 「明石の撃鉄……いいわ。すごく固い……」

 大淀はついに耐えかね、明石の脇腹をペンで突っついた。

 「あう! 痛いよ大淀!」

 「……提督も、いい加減にしてください。確認は済んだでしょう」

 提督は咳払いして持っていたものを元通りに収めると、箱を閉じた。

 「ごめんなさい。少し理性が飛んでしまったわ」

 「でも、自信作になりました! 提督のコーヒーのおかげです!」

 「こちらこそありがとう。これで何とかなりそうよ」

 「それで、まずは……あの人を待つんですね」

 「ええ。こっちは手早く終わらせるつもりだから、これの管理は任せるわ」

 明石に箱を渡す。

 「はい。あとは、提督のタイミングで好きなようにしちゃってください!」

 大淀にも向かって頷く。彼女も神妙な面持ちだった。

 「大淀、心配かけてごめんね。やっと追いつけたと思う!」

 「ええ。待ってたわ、明石」

 二人の絆は固い。提督からしても、見習うべき関係であるように思った。

 これから――全てが上手くいきますように。

 

 

  1

 

 高馬力の爆音二輪で鎮守府に乗り入れし、慣れた足つきで停めた。ツーリストであれば本格的なカスタムを施してある愛車を見て、一言挨拶したくなるほどの『高級品』だ。鎮守府には似つかわしくないことを承知で、敢えてこれを選んだ。

 鎮守府側には既に提督と大淀が立っている。遠くには二輪の音を聞きつけて何事かと野次馬しにきた艦娘らしき影もある。その中で、堂々とフルフェイスを脱ぎ去った。

 「よう、久しぶりだな」

 提督に向かって笑いかける。歯を見せて目を吊り上げ、敵意満載といった感じに。

 「何そのバイク。また買い替えたの?」

 提督の隣に立っていた大淀の表情が一瞬だけ崩れた。提督の応対が想像を超えていたらしい。もっと堅くいくと思っていたのか? 違うな。こいつは恐怖を誤魔化して普段通りにしようとしてるだけだ。

 「前のは弟にやっちまったよ。……つーか貴様、こいつらにあたしのこと言ってないのか? なんだよその目、文句あんのか」

 軽巡大淀。自分の部下になるはずだった艦娘。武闘派だと聞いていたが、そんな風には見えなかった。意外にも軟弱そうだ。眼鏡なんぞ掛けてやがる。ガン付けただけでビビって半歩下がった。大したことないな。

 「艦娘を脅しても何も出ないわ。あなたこそ、任務を忘れてないわよね。服はどうしたの。ライダースーツじゃ暑いだけじゃない」

 「てめぇも偉そうになりやがったなぁ、おい。……はッ。貴様こそ、“大和”を放ったらかしにしてる役立たずじゃねーか。ハリボテのクセしていい気になりやがってよ」

 「……」

 「けっ……」

 互いに睨み合う。しかし相手の目つきはこっちとは違って無表情だ。いつもそうだ。あいつはそうやって人を脅すタイプだから。

 「………………」

 それ以上何も言うつもりはないらしい。こちらの出方を伺っているつもりか?

 「“ババア戦艦”さんよぉ、案内の一つもできねえのか?」

 「……え?」

 思わず声を漏らしたのは大淀だ。だが、お前が思ってるのとは違ぇよ。嘲笑してやろうかと口を開きかけたが、当の提督が先手を打った。

 「語弊があるわね。ただのあだ名よ。不本意な」

 「そう! あだ名だよ! だがお前は偶然にも、あの船と同じ名字だ! だからそう呼ばれるし、それで提督に選ばれたんだろ!?」

 「違うわ。例えあなたの名字が“宗谷”であったとしても、今と同じ」

 「ちっ……。まあいい。その透かしたツラ見んのも少しは楽しみにしてたんだ。それで? てめぇをこき下ろせると来たもんだ。余計楽しくなりそうだな? ん?」

 「公平な調査をお願い致します!」

 大淀が唐突に割り込む。自然と睨むことになった。この三白眼を見てビビらないような肝を持っているとは思えない。眼鏡だしな。

 「公平、ねえ。組織内の人間がこうして出向いている時点で、そんなもの望んでるんじゃねえよ。正義を望むなら外から弁護士でも呼ぶんだな」

 「考えておくわ。……それにしても、艦娘に対する態度を上に報告しても構わないのかしら? 兵器の士気があなたのせいで失われたと報告することくらいはできるわよ。分かるわね?」

 『艦娘は兵器である』という認識を肯定している自分だが、逆を言えば、同じ論調の大本営の機嫌を取り続けなければならないということである。

 自ら入り込んだ立場とはいえ、現状は些か煩雑だった。

 その鬱憤を提督相手に発散しようとしていたのだが、どうも本調子とは言えない。こいつに対する後ろ暗さがあるからか、それとも単純に、自分を見失っちまってるからか。

 にしても、やはりこいつも切れ者である。

 何度も出し抜かれたし、今でもきっと裏で黒いことを考えてやがるに違いない。

 自身のことは自覚しているが、自分と目の前の提督は、間違いなく正反対だ。

 冷静沈着でありながら非常に人情に近い判断を下す提督と、短気無鉄砲で非常に短絡的で野心的な判断をする自分。両者は相容れないと思われるだろうが、向こうはほとんどの場面で上手でありながら、その壁さえも乗り越えんばかりの慈愛の持ち主なのだ。

 それを知っているからこそ、容赦なく立ち回れる。

 「フッ……。いいさ。お前はあたしに屈服して立派なお利口さんになってるわけだしな。生意気効けんのも今のうちだ。泣きついても許さない」

 「……おかげで上手くやっているわ」

 “上手く”、ねえ。明石という反逆者を出しておきながらよく言うよ。

 こちらは隠しカメラとマイクで鎮守府を監視していたのだ。明石が駆逐艦の前でやった演説もしっかりと見ている。さすがに執務室には入れなかったが、それ以外の場所はほとんどこちらの目が届く。届かない場所は、明らかに使われていない様子の空き部屋くらいだ。そもそもそういった場所には仕掛ける算段がなかった。ともかく、鎮守府の様子は見させてもらった。

 こいつは立派な傀儡だ。大本営の望み通り艦娘を兵器として扱い、作戦を淡々とこなしている。あとは――何とかこいつを焚き付けて南方に出撃させたい。

 理想としては、これから始まる身辺調査で焦ったこいつが、どうにかして戦果を上げて大本営から褒められたい――提督を続けたいと思い、南方海域へ強襲を行うストーリーだ。

 そのためには……そうだな、少しくらい希望を持たせてやらないとダメだ。

 大本営は必ずしもこちらの味方をしているわけではなく、提督の戦果次第で今回の告発を黙殺しても良いとしている……そういう嘘を吐こう。

 そのための、“大和”という餌だ。

 「まず教えておいてやるよ。大本営はやはり“大和”をご所望だぞ。……なあ、そこにあるのが分かってるのに、何故お前は取りに行かない? 大和の残骸が打ち上げられた海岸が南方にあるってわかっているのに。何故だ?」

 「現状の戦力では到底辿りつけないからよ」

 「へえ? 本当にそうか? 優秀な提督であるお前なら、大和を持ち帰ることも可能なはずだ。少なくとも上の連中にも一人や二人、まだそう思ってるヤツも居る。……お前にとっては僥倖ってヤツだぜ、ちゃんと聞いとけ。もしお前が“大和”を持ち帰ることができたなら、あたしの意見なんてそっちのけで味方してくれる将校が居るってことだ」

 「…………そうね、喜ばしいことだわ」

 だけど、といけ好かない顔のまま続ける。

 「深海棲艦の生態を知らないあなたたちには、その作戦の難しさを理解できないわ」

 「はァ?」

 「私は最前線に居るのよ。毎日、艦娘に報告書を出すように言ってあるの。敵深海棲艦について気付いたことを全てまとめたものをね。未だに彼らは、いえ、あなたたちは、荒れた海の上に鉄片が漂っていると思っているの?」

 「……どういうことだ」

 「深海棲艦は海の底より出づる。それについては同意よ。実際にそうとしか言えないもの。でも、彼らが身に纏っている硬い装甲が何でできているかは知らないようね」

 「鉄か」

 「そう。海に飛散した船の残骸が、敵に渡っているのよ。……それで私は、ある時南方海域の攻略を机上だけで考えてみたの。どのような敵が現れうるか、どのような戦術、編成を組んでくるか。……私が考えた最悪のケースは、『大和の装甲を身にまとった深海棲艦が居る』というシナリオ。到底、私の鎮守府では及ばないわ。そんなものに勝てる戦力を保有していないもの」

 そんな敵から装甲を剥がし取って大和を呼び起こすことは不可能……そう断じたわけだ。

 深海棲艦は海を荒らし回っただけでなく、海の底に眠っていた鉄くずを鎧として使っているということ。こちらの想定とは大分違う現実だった。確かに、現状、提督以上に深海棲艦について詳しい人間も居ないだろう。

 「じゃ南方は見捨てるってか?」

 「……現状、そうせざるをえないわね」

 「惜しいねえ。あの海域で戦果を上げれば、あたしなんぞすぐに追い払えるのに」

 自分でも、この言葉が彼女に味方している風に聞こえたかどうか反芻して考えた。よく、分からなかった。

 しかしこいつは、やはり大和を迎える絶好のチャンスをふいにするつもりらしい。

 大和が居れば、戦力は飛躍的に上がるというのに。

 「……夏場に立ち話なんてするものじゃないわ。……行きましょう」

 「やっとかよ」

 挨拶代わりのジャブが効いたか?

 

 

  2

 

 提督は執務室へと戻り、冷房のある快適な空間で、泥沼としか思えない調査の開始を自ら宣言した。どうやら艦娘とは接触させたくないらしい。出来る限りこの執務室に留めておきたいとでも考えているようだ。

 「さて。あなたが入りたがっていた執務室よ。座るなら床になるわね。椅子は、私と大淀のしか用意していないから。後は好きにしなさい」

 「別にいいぜ。この窓際なんか良さそうだ」

 こちらのジャブが効いたからって、反撃はなよなよしたアッパーだ。簡単に避けられる。

 窓の下に、壁を背もたれにして座り込んだ。堂々と、胡座をかいて。

 ……このまま密着取材二十四時を始めると思ったら大間違いだ。こちらはやりたいことをやらせてもらう。それが、セオリー無視の超大技であろうが、使いたいと思った時に使う。それが自分という女だ。

 「で、お前。何で夜間トレーニングはわざわざ外でやってるんだ?」

 「?」

 質問の意味が理解できないのではなく、いきなり脈絡のない質問が飛んできたことが不思議だったのだろう。

 「あぁ、『何で知ってる』なんてアホな返事はやめろよ? こっちはもう、お前のスケジュールから生活習慣まで全部把握してるんだ。優秀な艦娘のおかげで、綿密な事前計画が練られたよ。残念なことにその艦娘は匿名だったが……ま、いいさ」

 「鎮守府に軟禁状態の私が、外に出たいと思うのはいけないことかしら。一日に三十分。ちゃんと上の許可も得ているわ」

 「何で夜なんだ? てめぇ、襲われても仕方ねえだろ」

 それくらいアツい女だ。女から見てもこいつは美形だし、見た目だけなら軟弱な女子大生とか新入社員で通用しちまう。まあ軍人の端くれであるから、実際にそんなことをしようものなら全治半年は固いがな。

 「夜間は鎮守府も業務を終えているからよ。そんなの当たり前じゃない」

 執務机の上で羽ペンを手に答える。

 「じゃあトレーニングメニューを教えてくれよ。三十分でどんな運動すれば、満足に身体を維持できるんだ?」

 一日三十分程度で軍人としての肉体を維持できるなら苦労はしない。その時間で疲れ果てて動けなくなるくらいの運動ができるなら別だが。

 「……大淀、彼女にメニュー表を」

 「はい」

 執務机の右側の壁、入口側にある机に居た大淀が、小さなキャビネットから一つのファイルを取り出して持ってきた。

 「……」

 目を通す。一日ごとにやることを変えるが、基本的には三十分間の有酸素運動に統一されていた。また業務の内容次第で負担を増やすこともあるようだ。鎮守府近隣にトレーニングルートを決め、その日にやると決めたメニューをこなす。例えば小さな公園では遊具を使って三種類のトレーニングが実行可能で、手入れのされていない雑木林の中では自然を用いた足腰の訓練が可能。どれも夜間になるため精神的にも統一が不可欠になる。自分との戦いという言葉がより強くなるように……。なるほど、隙がない。

 「じゃあ、昨夜鎮守府内で不自然な停電が起こったのは知っているか? 丁度お前がトレーニングに出掛けようとしていた時間だ」

 「後から大淀に報告を受けたわ。その後明石に修理を頼んだ。彼女の報告書もここに」

 処理したばかりなのだろう並べられた書類から一枚を出し、投げて寄越した。

 「ネズミが配線を噛み切っていたのよ。……人が少ないから、自然と害獣が増えるみたいね。猫でも持ち込もうかしら」

 ネズミの死体の写真まで添付されていた。これまたハズレ。残念。

 「……そちらこそ、どうしてそんなところまで知っているのかしら。この鎮守府内に電気系統を管理するシステムは無いのよ。全てアナログなのだから。……あなたは当然知っているはず。停電していたという“ログ”は、残らないじゃない」

 コンピュータ制御ではないのだから、異常をログとして出力するものは存在しない。証拠として残らない。電気系統の異常は全て、物理的な要因。

 「そうだったな。じゃあ教えてやろう。この鎮守府の対岸、ちょうどあっちの方に、海自の基地がある。ここに鎮守府を建てるからって仮に移設したもんだがな。そこからこの施設を監視することができるんだ。それも、死角なんて無いくらい精密に」

 もちろん嘘だ。こちらにはカメラがあるのだから。

 「そう。人力で記録したということ。ご苦労なことね」

 「幸い、“暇人”が溢れてるんでな」

 カメラのことは気付かれていないか。それとも気付いた上でカマトト振ってるのか。

 こいつは本当に読み切れない。悪賢さと狡賢さで生き残ってきた自分がそう言うのだから間違いない。こいつは仮面を作るのが巧すぎる。本当の顔と瓜二つだが、全く別の表情をした仮面を付けられるようなヤツなのだ。

 こういうヤツが、本気で何かを潰そうと思って立ち上がった時が、一番厄介なのだ。

 だからこそ困難に立ち向かう役目を背負わせるに相応しかったのだろう。

 さて……では、次だ。先ほどの大技と比べれば大したことのないことだが、これはつまり、仕事のための質問だった。明らかにすべきことをするだけ。

 「告発の内容は知ってるな。南西諸島海域攻略に際して、提督様が強硬手段を採っている、と。自分たちじゃ止められないから調査をしてくれとのお願いだった。兵器の方が懸念するくらいなんだからな、相当ひどいことをしたに違いない」

 「大本営が望むことをしようとしただけよ。仕事への評価は、別段悪くないわ」

 そう、こいつはこちらの思惑通りに動いていただけだ。それが、艦娘たちからどう思われているかなど知らずに。

 艦娘に感情があって思考があることなど明白だった。だから、定義をしなければならなかった。こちらとしては、『その上で、彼女たちは兵器である』と決定している。つまり、感情があろうが思考を持とうが、どれだけ人間のように振る舞えようが、艦娘はそのような兵器だという認識を決定した。

 艦娘たちにとって提督とは、『妖精に選ばれた、たった一人の頼れる上司』だ。残念ながら無条件でそれを刷り込むような技術は作れなかったようだが、妖精が選んだという時点で、彼らと同じ価値観を持っていてもおかしくはない……という結論になっている。

 だから、提督があまりにも機械的で事務的、好意的でない人物なのであれば、中には、提督という人間に不信感を抱いて反抗する艦娘が出てくるだろうことなど承知だった。

 むしろこちらとしてはそれを望んでいた。匿名の艦娘はその役目を十全に果たしてくれたといえるだろう。

 目の前のこいつを引きずり落とすための口実を、見事に作ってくれた。

 「違うな。上が望んでるのは、あくまでも『大和の着任』だ。それ以外の功績なんて全て些事にすぎない。お前がどれだけ功徳を積もうが、大目的には敵わない」

 「……素直に言ったら? 私を殴って脅して、艦娘たちに嫌われるよう仕向けたって」

 「何を言ってるんだ? お前の妄想だろう」

 あいつが録音機械を持っていない保証はない。こちらがカメラとマイクを使っているように、この執務室は提督のホームだ。幾重にも張り巡らされた罠があると見て間違いない。

 「……そうかしらね」

 提督は執務机の引き出しを一つ引き、一枚の紙っぺらをまた投げて寄越した。

 あまりにも自然な反撃の狼煙だった。こちらにわざと警戒させた直後の、カウンター。

 「……ッ」

 唇を噛み締めてしまった。こいつ、やはりクソッタレだ。どこまでも突き抜けて腹黒いじゃねえか。思ってた通りだ。とんでもない反撃を、なんとも無いような素振りでいきなりぶち込んできやがった。

 「診断書のコピー。それだけ言えば伝わるわね」

 確かにやり過ぎたさ。ヤツは口の中を切って血を垂らしてたし、痣だらけだった。しかし……ちゃんと躾けたはずだ。医者に行けばもっとひどい目に合うとちゃんと明言した。

 ――こうなったら、それを現実にしてやるしかないか。

 「…………なるほど。あたしを嵌めるための偽造書類だな」

 「いいえ、本物よ。医者の印が見えないのかしら」

 「軍医じゃねえか。しかもこいつ、過去にミスを一回やらかしてるから、弱みを握ろうと思えば簡単な野郎だ。……お前も詰めが甘いよ」

 「そのミスの後、もう一度、今度は最難関大学の医学部に入り直して、卒業をしているわ。しかも主席でね。これ以上に信頼できる医師はいないと思うのだけど」

 「そういうヤツほど、過去の失敗を恐れて逆らえないんだよ」

 利用するなら真っ先に候補になるような医者だ。全く信用はできない。

 だが議論は平行線。先に矛先を変えてやる――。

 「あぁ、忘れていたわ。これも返さないと」

 「んだよ」

 連続攻撃だ。それも、畳み掛けるつもりの一手。

 嘘だろ。開始から十分も経ってない。こんなところで終わってたまるか。

 そう、思わざるを得なかった。

 「小型カメラと集音マイク。今朝収穫した新鮮なものよ。――そうね、あなたがご自慢のバイクを乗り回している辺りの時間かしら」

 「――ぎ」

 歯ぎしりのような音が出る。

 「私の鎮守府に、現代の要素を許可無く持ち込むことは――重大な軍規違反よ。当然知っていたわよね? それとも、私が許可を出したとでも? その証拠は出せるかしら」

 「――――出せる!」

 結果的に、この問いは罠だった。まんまとハメられた。

 「あらそう。楽しみにしてるわね。――でも、こちらはどう否定するの?」

 ポケットから出した一枚の紙。また紙だ。もう、見るのも嫌になってしまいそうだ。

 「もう見る気も起きない? だったら説明しましょうか。『通信記録』よ。基地内に不当な手段で設置された“回線”の通信記録。……ダメじゃないの。一番ダメなものを持ち込んでくれたわね、あなたは」

 現代の象徴とも言うべき電気通信網――インターネット――の存在は、艦娘たちにとってあまりにも刺激的に過ぎるとされ、厳重に規制されていたはずだ。鎮守府内には電線と電話線くらいしか無いのはそのためで、提督もこれを使用した行為は、公私どちらにおいても、行えない。

 「妖精ってね、電波に敏感なのよ。電探妖精なんかすぐに気付いたわ。見たことのない小さな機械があるって、大淀にすぐ報告が入ったもの」

 だから気付いたというのか。妖精の存在を甘く見すぎていた。こちらのミスだ。

 いや――取り返しの付かない証拠を押さえられている。これはただのミスではない。

 チェックメイトだった。

 数手しか打っていない局面。会話の中で、いつの間にかこちらが墓穴を掘るように仕向けられていたように思う。こちらがこう避けると予想して、次の手を用意していて、次々に畳み掛けた。最初からこちらに勝ち目がないと分かっていたのだ。そのための証拠も完璧に押さえてある。破滅したのはこちらだった。

 「………………クソッタレ」

 「もう諦めたの? あなたらしくないわ」

 「はぁぁ!? 何だよあたしらしくないってのは!」

 立ち上がって凄む。座ったままだった提督の胸倉を掴んで引っ張りあげた。

 「っ――また、殴るのかしら」

 拳は既に握っている。振りかぶって、打ち抜くだけだ。それでこいつは無様にもつれて床に倒れるだろう。怯えた目でこちらを見上げ、次の痛みが来ないよう懇願するだろう。

 だが――。

 「ねえ……」

 そう呼び掛けられ、力を込めて持ち上げていた右の拳が止まる。

 真っ直ぐにこちらの目を見て、あの慈愛に満ちた顔をしやがる。どうせそれも仮面だ。仮面に決まっている。それを打ち割って、貴様の本性を引きずり出してやる。

 しかし、手は動かなかった。

 「不毛なのよ。こんな争いは。人間同士の醜い争いなんて……この戦争には関係ないわ。必要すらない」

 「うっせぇなあっ……!」

 「……」

 そっと、提督の両手が、襟を掴んでいたこちらの手を包み込む。

 「ひっ――」

 ――不覚にも、父を思い出した。

 自分の顔が、歪んでいくのがわかった。

 「あなたがどうしても提督になりたかった理由は知っているし、その気持ちも推し量ることができるわ。でもその恨みを私に向けている時間は、あなたにとって何か――為になったの?」

 「ぐぅッ――やめろ、言うな」

 「いいえ。言わなければ終わらないから、言うわ」

 もう逃げない。逃げてしまって申し訳ない――そんな顔をしていた。

 「やめろ――!」

 「――お父様に顔向けできるの?」

 「クソッタレェええ!!」

 手が先に動いていた。提督は殴られ、床に落ちる。軍帽が飛び、執務机の椅子も転がった。

 大淀が駆け寄ろうとしたが、提督は手で制す。

 「大淀は関わらないで。これは、あなたたちには関係のないことだから。――でも、見届けて頂戴」

 「……はい」

 大淀が椅子に腰を下ろしたのと同時、提督は立ち上がり、再び真っ直ぐにこちらを見る。

 「私とあなたの問題で、鎮守府も艦娘も関係ないわ。これは、ただのいざこざなのだから。でも、そのいざこざのせいで、有意義に使えたはずの時間を、大いに無駄にしてしまったのは事実! 艦娘を、間接的にでも巻き込んでしまったのは私の責任。あなたとの問題を解決しないままここに着任してしまったことが、間違いだったわ」

 提督はすっと背筋を伸ばして、優しい声で言った。

 「あなたの怒りを受け止めたつもりだった。私が殴られればそれで、あなたの気が済むと思ったから。でも、あなたは私の考えよりもずっと人間らしい人で、家族のことを思い続ける人だった。それが、私がここに逃げ込んだせいで、あなたの恨みを強いものにしてしまったのよね」

 「っ――っく、ふぅ――!」

 怒りは荒い呼吸となって漏れてくる。知ったような口を利きやがる。

 「ねえ……。あなたは、今、何を望むの? 手札は全部使ってしまったわ。でも……あなたとのことを解決する方法は、あなたに聞くしかないと判断したの。……私があなたの代わりになるために、私は何をすればいいのかしら? 教えて頂戴」

 「……ふ、ははは! お前、どこまでもいけ好かないヤツだとずっと思ってたが、……最悪だ。お前……何のつもりだ?」

 「何って……。できることはするつもりよ」

 「例えあたしがお前に要求したとしても、このクソッタレな紙っぺらがある限り、あたしはおしまいだ! 何の意味がある! どうせ破滅するなら、今更気が済むまで命令したところで意味がねえだろうが!!」

 そうやってがなると、提督はすっと振り向いて、壁際に置かれていたダンボール箱を机の上に置いた。

 「あなたがしたことの証拠、全てがこの中にあるわ。……あなたに任せるつもりよ」

 先ほどの診断書のオリジナルと、通信記録、それに――カメラを設置した瞬間の写真まであった。一体どうやって――。

 「写真? ああ、それは確か、偵察機妖精が撮っていたものね。目が良いの」

 鎮守府の中において、妖精に勝てる者など居ないのか――。

 動かぬ証拠はここに全て揃っている。いっそ突き抜けて、呆れた。

 「何でだ……。何でお前は、こんなこと……」

 理解できない。ずっとそうだったが、この提督は……考えていることが分からない。

 だから――。だから……?

 「………………バカバカしい」

 首を振った。考えることなど性に合わない。

 「ならお前、鎮守府の指揮権を渡せと言ったら、できるのかよ!?」

 「――できるわ。一日なら」

 「本気で言ってるのか? なあお前、本気なのか!?」

 「ええ」

 特に何でもない。大した問題じゃないとでも言うような顔だ。

 それも仮面なのだろう。一体何個……無限にあるように思える。

 「その一日で弔いができるというのならば、一日明け渡すことも厭わない」

 「できるわけがないだろう! 奴らは無限に湧いてきやがるのに!」

 「……そうよね。だから、あなたが望んでもいないことを言うのは、やめなさい」

 「はっ! 何もかもお見通しってか……?」

 力が抜けてしまった。こんなの、もう、座り込むしかできない。腰が抜けてしまいそうだった。

 「……あなたが望むのは、深海棲艦の撲滅よね」

 「決まってるだろ……そんなの」

 死んだ父の仇だ。だから提督になって、奴らを殺せると聞いた時は小躍りしそうだった。いや、実際、酒も入っていて、そうしていたに違いない。狂喜乱舞していた。神は居たのだと確信さえしていた。

 だが――提督の地位は目の前のこいつに掠め取られた。

 そりゃあ――もう痛いほど分かったさ。こいつは提督として、信じられないくらいの適性を有している。自分じゃできないことの全てを実現しかねないこの提督なら、艦娘たちも、そして大本営も、いずれ全てを委ねるようになるかもしれない。

 女傑と讃えられ、そしていつか――勝利を掲げる時が来るかもしれない。

 目の前のこいつから提督の地位を奪うことは――自分には不可能だった。

 もう立派な提督だ。決して揺るがないだろう。

 「………………」

 何も言えなくなり、うなだれた。床を見る。見つめる。それ以外にできることが思いつかなかった。

 もっと嫌がらせをしてやろうと考えていたのに、全部台無しだ。

 そんな時だった。

 執務室の扉が叩かれ、大人びた艦娘が返事も待たず飛び込んでくる。その様子からするに、敵襲でもあったのだろう。それか、新しい深海棲艦の動きがあったか――。

 提督になることを夢見ていた時に、何度も頭の中に浮かんだ光景の一つだった。

 『提督、敵襲です』

 『何? どこだ』

 『南方より大規模な敵艦隊が接近中とのこと。すぐに迎撃部隊を編成してください!』

 『任せろ!』

 ――なんて。

 「提督! 哨戒中の第ニ艦隊が想定外の敵艦隊を発見したとのことです。幸い損傷も軽微で全艦撃沈したとのことですが……」

 「分かったわ。妙高、それで、原因は分かる?」

 「はい。突発的な渦潮を避けたところ、新しい海流のせいで艦隊の流れが南方へと吸い寄せられるようにずれ込んでしまったと、旗艦天龍から報告がありました」

 「南方……」

 「はい。……提督、どうされますか?」

 上品な姿の艦娘だ。成熟した雰囲気があり、ひと目で長女だとわかった。これはあくまでもただの、勘だったが。

 「南方から深海棲艦が出てきた……ということね。だとすれば考えられる最悪のケースは本土強襲……」

 「……あたしなら、ここを狙うね」

 ふいに口が勝手に動いた。

 空気と化していた大淀も含め、全員の視線がこちらを向いた。

 「ぽっと出の輩に好き勝手される気持ちならよく分かる。南方を占領していい気になってたところに、斥候を潰され南西諸島まで狙われてると知れば……当然大本を叩きに来るだろ」

 「……一理あるわね」

 提督は一考し、妙高ではなく大淀に伝えた。

 「大淀、すぐに天龍に通達。可能な限り索敵を行って、他に敵部隊が居ないかを探らせて頂戴」

 「はい。すぐに」

 大淀は駆けるように出ていき、同時に妙高も執務室を後にした。

 執務室には、二人だけとなる。

 「天龍型は偵察機を持ってるのか?」

 おいおい、何を言っているんだ。何でこいつを助けるような風に口が動くんだ。

 「いいえ、偵察機は搭載できないのよ。……せめて川内型だったなら、偵察機を出せたのだけれど」

 それはつまり、この提督にとっても本当に想定外だったということらしい。

 事前に少しでもその可能性があったなら最初から川内型に任せていたに違いないからだ。

 「空母は居ねえのかよ」

 「……まだ、着任していないわ」

 少しだけ悔しそうに肩を落とす提督。

 「地上支援があるとはいえ……もし敵の主力艦隊が別に居るのなら非常に危険よ。……狙いもあなたの言う通り“ここ”なら……」

 「“大和”に反逆されちまうことになるのかね? あたしらは」

 何が『あたしら』だ。いつの間にそんなに仲良くなりやがった? なってねえだろ。

 もう遠い昔になってしまったように感じるが、訓練学校でのことを思い出しそうになっていたなんて、そんなことあるわけない。

 「……それだけは考えたくないわね。でも……やれるだけのことをしないと」

 そこに、追い打ちを掛けるように執務室の黒電話が鳴り響いた。

 「私よ。………………分かったわ。天龍には撤退を伝えて。少しだけ時間を頂戴」

 「……」

 こっちが相当『教えて欲しがっている』とでも思ったのか、提督は最新情報を伝えた。

 「敵潜水艦による攻撃を受けたと報告があったわ。主力に近づけさせないためね」

 「……なんで教えるんだよ」

 「あなたは私と違って、実力で大本営の側に選ばれていた提督だったのよ。妖精に選ばれたなんていうお伽話チックなものではなくて、あなたは……硬派な提督になれたはず」

 「お前が軟派だったとは知らなかったぜ」

 軟派な悪魔だ。少なくとも……こっちの認識は。

 「あなたなら、どうする?」

 「…………。対潜装備の駆逐艦と重武装の重巡を迎撃艦隊として送る。駆逐艦に余裕があれば対空兵装も」

 「鎮守府の全戦力を使うことになるけれど、潜水艦、水上艦、空母全てに対応できるわね。そうしましょう」

 同意見だったらしい。

 黒電話を使って大淀に指示を与えると、提督は執務机に両手を突いて、深く息を吐いた。

 「……もう、することはないのか?」

 「これが提督の仕事よ。あなたたちも望んでいたことでしょう。提督は操り人形で、深海棲艦を沈めるのは艦娘の仕事。……『艦娘は兵器』。そうじゃなかったの?」

 「む…………」

 「もどかしい? やるせない? ……待っているのが、わずらわしい?」

 「……」

 また、唇を噛んでしまった。

 「そういうことで悩むのが嫌だったから、私はあの意見を上申したのよ」

 「……『艦娘は兵器ではない。艦娘は艦娘であり、人間と一緒に多くを学び、成長し、そして強くなっていく。共に戦い、共に悩み、共に勝利を分かつ存在である』……だったか?」

 「ええ」

 「だから『一緒に海に出て戦う許可をください』なんてアホなこと言い出したんだろ?」

 「別に、アホなことだとは思っていないわ。私なりに考えた提案だったもの」

 バカだ。こいつは、幾重にも重ねた仮面の中に、たまにどうしようもなくマヌケな、バカとしか言えないような顔を持っている。

 あの深海棲艦相手に……海で、自ら戦うなんて。…………あり得ない。

 したくてもできないと思えるだけの理由がある。

 そりゃあ、自分だって、そうできるなら…………していた。

 だが敵は。深海棲艦は、そんなに簡単に太刀打ちできる相手じゃない。

 人間が海に一人出たところで、まともに戦うことなどできない。

 だから艦娘を使うしかないのではないか。

 何でそんなことも分からず、『海に出て戦う』なんて、バカげた発想ができるんだ。

 「……親族を殺されてしまったのだから……深海棲艦に対する恐怖心は、人並み以上にあるのでしょうね」

 嘲笑するような声色ではなかった。ただ心の底から、哀れんでいる。慈しんでいるのだ。

 「でも私は、その恐怖を――人類が皆持ってしまっている同じような恐怖心を、払拭できると思ったの。――人類だって、まだ海の上で戦うことができるって証明できれば、まだ希望は残されていると断言できるから」

 「そんなこと…………できねえから追い詰められてるんだろうが。陸に押し込められちまってるんじゃねえかよ」

 「…………」

 「何とか言えよ。お前だってどうにもできないって痛感してるから、ここで黙ってるんだろ」

 提督は、冷静だった。

 自らの行いを、否定した。

 「――ええ、そうね。海に出て戦うのは、人類にとっては難しすぎるわ。実際にやってみての感想よ」

 「……は?」

 「武器を借りてやってみたの。あなたたちの知らない間に。……敵を倒せはしたけれど、簡単じゃなかった。それにその時は、敵はこちらに反撃をしなかった。敵が本気でこちらを沈めようと思っていれば……もしくは混戦の最中だったりしたら、海の上で人が船に乗って戦うなんて、到底無理よ。攻撃手段はあっても、気休め程度にしかならない」

 腕を組んで、諦めを吐露した。

 「だから私は出撃をやめた。海で戦うのはやっぱり、彼女たちが適任よ。任せるしかないと察したわ」

 「……」

 「そういうわけで、私はあなたたちの思惑通りの、傀儡提督になった。艦娘に不信任されるような提督にね。もちろん、あなたの妨害があったというのもあるけれど」

 さらに続けた。

 「明石は信じてくれていたけど、大淀には訊かれたわ。『何故、提督は自ら戦えることを証明したのに、それを大本営に伝えないのですか』って。私には分かっていたから。私が運良くあの時に戦えたのは、本当にタイミングが良くて、敵が逃げることを選んだから。偶然と言ってもいい出来事だったのよ。だから、継続的に、連戦連勝を自らの手で勝ち取ることなど不可能だと分かっていたの」

 提督は提督でなければならない。それは、死んだら意味が無いというのと同じ意味である。

 「私の無謀な計画は、私が海上で戦ってしまえることを証明したことで頓挫してしまった。自分で自分の首を絞めたのよ。あなたにも恨まれていたし、艦娘からも不信感を得た。このまま行くと私に提督としての未来なんて無い、と……すぐに見えた」

 「それで……この証拠をあたしに明け渡して、お前は辞めさせられることすらも良しとするのか? “提督”は、もう辞めなのか?」

 悪事の証拠を利用しないと断言している以上、本当にどんな目に遭っても文句は言えないのだぞ、と忠告してやる。

 「…………辞めたくないわ。まだ、やれることが残っているもの」

 「なら、こんな証拠あたしに渡すんじゃねえよ……」

 箱を蹴って押し返す。

 「てめぇがやれ。あたしはもういい。提督なんてやってられるかよ」

 足に当たった箱を見下ろしてから、礼を呟いた。

 「ありがとう」

 箱を持って壁の方へ追いやる。その背中には、風格のようなものが見えた。

 この鎮守府の長であるということと同時に、人と……艦娘にも好かれる何かがあるように思うのだ。

 だから妖精が彼女を選んだのかもしれない。

 よくは、分からないが。

 「私はやるわ。……やってみせる」

 「…………何をだよ」

 背中を向けたまま、提督は最後の願望を口に出した。

 それが実現すれば――確かに、彼女は全てを手に入れられるだろう。

 人間同士のいざこざを解消して、提督の地位への脅威と和解した直後。今度はその地位を固め、狙いをさらに上へと定めている願いを。

 彼女が望む“提督”が、そこにある。

 これまで失敗を繰り返してきた提督が、このようなことを言い出すのはさぞ勇気が必要だっただろう。

 偶然に選ばれたことで、前任者から恨みを買った上、逃げてしまった提督。

 自らの行動で自らの願望が実現しないことを証明してしまった提督。

 その後の失意のまま艦娘との交流をないがしろにし、信用を失った提督。

 離反者さえ出してしまった、自らの無能さに歯噛みした提督。

 理想や願望が叶うと信じて、甘すぎる考えを平気で口にする提督。

 それでも――もう決して、諦めない。

 いつか叶う。叶えてみせる。それこそ理想論の極地だろうが、彼女はそれを願っているのだ。

 「――ったく。ほんと……分からねえヤツだよ――」

 いいさ。やれるというのなら、やってみせてくれ。

 むしろ興味が湧いてきたくらいだ。

 この提督が、本当の意味で“提督”へと成る瞬間を見たくなった。

 彼女はまだ――孵化を待つ卵だったのだから。

 

 

  3

 

 鎮守府本棟を出て一人になったところで、鎮守府には似つかわしくないスマートフォンを使って、上司に連絡を入れる。自分にとっては、味方をしてくれる将校というだけで貴重な存在だ。自分のような強硬派を受け入れてくれていただけでもありがたい。しかし、自ら『あなたの思い通りにはできなかった』という失敗の報告をしなければならないというのは、心苦しいものだ。

 提督は今後の作戦を練るのに忙しそうだ。このまま鎮守府を去ってもいいのだが、最大三日間と言われていた調査期間が、わずか三十分もしない内に『看破される』という情けない結果に終わってしまったため、それもそれで恥ずかしい。

 「申し訳ありません。こちらの手の内が全て把握されていて……手も足も出ませんでした」

 『息巻いて出て行った挙句がそれかね。……全く。やはり彼女も相当の曲者のようだな』

 「はい。何せ……合法的な手段を取ることができなかったこちらの不手際です。……処分は、受け入れるつもりです」

 本当に対岸から監視という離れ業ができていればよかったのだが。自分もそうだが、電話の向こうに居る上司でさえも手が届かない場所だったのが悪い。敵味方の派閥のせいで、強引な手段にせざるを得なかった。

 『君がそれほど殊勝になるとはね。絆されたか?』

 「いえ、そのようなことは。ただ……“提督”はもう、彼女に託しました」

 『ほう……。君ほど敵意を剥き出しにする人間がそんなことをするとはね。それを絆されたと言わずになんというべきだ? 誑かされたとでも?』

 「……言葉もありません」

 妖精などという存在に科学技術の大半を上回られ、艦娘という存在の確立で自らの地位を危ぶんだお偉方が、こうして派閥を作るようにして政治的争いを軍内部に持ち込んでいるのがそもそも、全ての発端だ。

 彼らの世代は本物の船を使って軍事作戦を実施してきたのだ。彼らなりの苦境も乗り越えてきただろうし、深海棲艦という新たな敵が出現してからの十年以上の期間、実際に最前線で戦ってきた英傑たちなのだ。

 それが……若者、特に妖精に選ばれたなどという、本来あるべき経験や過程の何もかもをすっ飛ばしてやってきた者に、戦争の全てを委ねざるをえないような現状へと切り替わってしまった。

 自分たちが戦ってきた戦争であるにもかかわらず、急速な発展によって実質の指揮権を取り上げられ、自分たちは隅に追いやられるようになってしまった。

 その理不尽は理解できる。自分だって経験したのだから。

 だから、同じ経験をした者としてこうして……乱暴者の自分を使ってくれていたんじゃないか。

 しかし……。そう、しかし、だ。

 自分は間近で見てしまった。

 妖精に選ばれた提督が、彼女なりの全てを賭けて全力で戦争に取り組んでいることを。

 彼らが戦っていた時代と変わらない。いや、むしろ苦労や惨劇を分かち合えていただけ、彼らのほうがマシだったと言える。

 今は、彼女が一人で背負わなければならないのだから。

 例え何が起こっても、全ての重責が彼女の肩に伸し掛かっていくことになる。

 だから自分たちのようなはぐれ者は、むしろ……彼女を支えてやるか、それができないなら黙って去るべきだったのだろう。

 もっと早くそれを理解できていれば……妖精に選ばれたのは、自分だったかもしれない。

 そんな自嘲を含んだ笑みを浮かべた時だった。

 電話の向こうで、きっと痺れを切らしていたのだろう壮年が、静かに……低い声で言った。

 『南方から出た深海棲艦の前衛部隊と接敵したようだと報告を受けたが……』

 「はい。実際に執務室で、そういった報告を聞きました」

 『そうか。ではこちらから捕捉情報だ。敵の前衛主力艦隊が、我が軍の護衛艦を追って鎮守府に接近している……君は今のうちに、鎮守府から離れたまえ。……これは、忠告だ』

 「…………一体どういう――」

 何故護衛艦が出撃し、南方の前衛主力などと呼べる艦隊を引き連れる結果になっているんだ。

 『我々の求めるところは百も承知だろう。……彼女は、少しばかり遅きに失した。こちらからその遅れを取り戻させる』

 意味を理解した瞬間、スマートフォンを握る手に力が入った。それも並大抵の力ではなく、握力だけで壊せてしまいそうなくらいの力だ。ギリ、と機械が鳴く。

 さらに――鎮守府の厳戒態勢を告げるサイレンがけたたましく唸り出す。

 『言ったはずだ。忠告だ、と。早くそこを離れることを勧める』

 電話は切られた。

 「――クソジジイどもォ――! なんてことやりやがる――!!」

 艦娘と提督に、人間同士の諍いをこれ以上持ち込むんじゃねえよ! バカバカしい! なんて考えなしだ、なんて無駄なことに全力を出しやがるんだ。いくら暇だからって、そこまでやるのか!?

 立っていた場所からでも見えた。鎮守府本棟を出たすぐそこだ。海に面した本棟は、当然水平線まで全てを見渡せる。

 その海で、護衛艦が一隻走っていた。言うまでもない。本物の船舶だ。

 掻き分ける波の高さからして、相応の速度を出している。その護衛艦がこの厳戒態勢の原因だ。

 そして――この鎮守府を危機に陥れた犯人でもある。

 血管がはち切れんばかりに怒り狂っていた。すぐに振り返り、執務室に居るはずの提督を見上げる。

 丁度、窓を開けていたところだった。こちら同様、護衛艦を目にしたはずだ。そいつに向かって声を張り上げる。

 「おい!!」

 すぐに気付く。言われるまでもなく、彼女が求める答えを叫んだ。

 「“上”の罠だ!! 深海の連中にちょっかい出したのはあの船だ! あれがヤツらを南方から連れてきやがった!! 分かったな!?」

 「――ええ! 理解したわ!」

 すぐに執務室に引っ込む提督。

 本当に、とんでもないことをしやがった。

 提督をこれ以上煩わせるんじゃねえ。クソ共が。

 だが――あとでいい。あとで必ずてめぇのクソをてめぇの鼻っ面に叩き込んでやるから、覚悟しておけ。

 今は――――ひとりでも多く戦えるヤツが居たほうがいいだろう。

 それが例え、無力な人間一人でも。

 

 

  4

 

 『こちら横須賀鎮守府。停泊は許可できない。繰り返します。当湾内への進入は許可できない。こちらの指示に従い、転進せよ』

 「深海棲艦に追われているんだ! そちらが何とかしてくれ!」

 通信兵の叫びは本物だ。死ぬ思いでここまでやってきたのだ。

 再三助けを求めた鎮守府に、見捨てられたかのような思いだった。

 『理解しているわ。いいから聞きなさい。このまま入港すれば、瞬時に湾内が戦地と化すことくらい分かるわね? 陸の人間も容赦せず砲撃をするでしょう。そちらの船にも被害が出ることは避けられないわ』

 「だが――! すぐそこまで来てる!! 入港許可を出してくれ頼む!!」

 兵士はレーダーの観測結果を見て焦りが強くなる。深海棲艦の反応が多数接近している。南方から離脱する際にすれ違った艦娘たちによれば、潜水艦も存在している可能性が高い。いつ魚雷が飛んできてやられるか――。そんな瀬戸際に居るのだ。

 『艦娘の応援は出せるわ。だけどその前に、転進しなさい。北東へ針路を取り、敵深海棲艦を引き付けるのよ。そうすればこちらが敵を有利に叩ける。丁字戦くらい分かるわね』

 「死ねというのか!」

 『説明している時間はないわ。ケツを撃たれて死にたくなければ、少しでも戦いなさい!!』

 「なッ――」

 喝を入れられた水兵は、思わず無線機を取り落としてしまった。

 深海棲艦の影響で艦娘が使う艤装以外の長距離無線が繋がらなくなってしまっているため、こうして鎮守府に入電できたのはほんの少し前だ。いきなりになってしまったことは確かだが、こちらは命懸けで逃げてきたのである。その上で、彼女――評判に聞いている“提督”とやらは、護衛艦にも戦うように命じていた。

 そして、無線機が別の人物に取って代わられた。

 「――部下が失礼をした。以後、そちらの指示に従おう。北東に転進し、深海棲艦を引き付ける。……後は頼んだぞ」

 それは艦長だった。そろそろ老齢と言っても間違いない男性で、深海棲艦との激戦を生き延びた生ける伝説である。

 鎮守府を通さない政府からの勅令に応え、南方敵棲地への強行偵察作戦を成功させたものの、その成果を持ち帰る背中に敵を連れてきてしまった。これはこちらの失態ではあったが、その尻拭いを頼む以上、こちらにもやらねばならないことが残っている。

 船と深海棲艦で戦争を行う時代は終わった。今は、艦娘と深海棲艦がぶつかる時代だ。

 それを理解していた艦長は、無線の向こうに、若いころの自分を見たような気さえしていた。

 意志が強く、諦めが悪く、勝利に貪欲であり、そして――仲間を一人でも多く生き残らせるために立ち上がった時、より一層強く燃えあがる情熱の持ち主。

 噂にしか聞いていなかった提督と初めて交信した。この一瞬のやりとりで、彼女が信頼に足る人物であることはよく分かった。

 何より、自分がそうやって生き延びてきたのだから。

 深海棲艦を迎撃し、撃滅する。それが現状最優先事項。陸に近づけさせるわけにはいかないというのなら、海の上で始末を付けるしかあるまい。

 陸からの支援が届く警戒線内には入っているが、恐らく提督はその支援を権限で止めているだろう。その理由も推測できる。提督はこれから出撃させる艦娘の安全を確保するつもりのようだ。正直に言えば、陸の防衛戦力は対空に特化しており、砲撃戦力の方は、時折やってくるようなはぐれ艦や偵察機の迎撃のためにある。敵の主力が攻めこんできた場合にも相応の火力を発揮することは可能だろうが、しかし十全とはいえない。あくまでも陸地にまで侵攻された場合にも戦うことができる、という程度の認識で間違いはない。海岸線で抑え、兵員を侵攻ルートに配置して最終的に撃退する、という方法を採っている陸自のやり方も間違っているとは言えないだろう。だから国土近海で深海棲艦の“艦隊”を相手にする場合は、海上で艦娘に任せるのが得策だ。

 『ご理解感謝します。必ず守ります!』

 提督も動き出すために通信を切断した。艦長もそれに倣い、どすの利いた声で号令を出すのだった。

 

 

  5

 

 敵艦船は護衛艦を追う形で近海へと到達しようとしていた。最大船速で可能な限り引き離していたおかげで攻撃は免れていたが、入港を巡る悶着の間にも深海棲艦は距離を詰めてきていた。鎮守府観測台から目視できたという妖精の報を受け、水平線内にまで侵入されたこと知る。

 だが敵の狙いは、南方という蜂の巣を突付いてしまった護衛艦であるはず。彼らには悪いが、もう少しだけ囮になって貰わなければ。

 天龍の報告で空母がいた事は明らかになっている。同じような前衛部隊の一つと考えれば編成は同じだろう。その空母に既に空襲を受けていてもおかしくない距離であるが、それが今のところないということは、あくまでも狙いは護衛艦であるということ。

 護衛艦は、南方で安穏としていた敵泊地に近付いて悠々と掻き回し、そして逃亡した。何をしていたかは具体的に判明していないが、先程まで恨み辛みで一触即発だったあの人によれば、上層部の暴走の結果だ。鎮守府近海に敵を連れてくることが目的だったらしい。護衛艦が撃沈されてしまえばそれまでの杜撰な計画だが、それを成功させてしまえるだけの艦長が選ばれていたということ。できれば犠牲は出さないという考えでは一致しているが、向こうがしたことはただの友軍への故意の銃撃と同じである。

 この事態を招いた人物の考えは恐らく、鎮守府近海にまで敵の侵入を許し、命からがら逃げてきた護衛艦を失い、さらに地上へ被害を出したという責任を提督に取らせるというもののはずだ。だから提督としては、護衛艦を湾内に入れることだけは一番に避けねばならなかった。

 護衛艦が入港しなかったことで、深海棲艦が護衛艦を追い続けるのか、それとも目的を転じて鎮守府を攻撃するのかの判断をさせる。そうすることで既に、犯人の狙いを幾分か外せる可能性を引き出した。いくら陰謀を手招きした人物といえど、深海棲艦を正確に操ることなど不可能であるからこそ成立する。

 敵が護衛艦を追えば、今のところ鎮守府は深海棲艦にとっても重要拠点ではないということ。

 上からの圧力に屈することなく南方海域への強行偵察も実施していないし、南方を脅かすような艦娘戦力も敵側に確認されていないのだから、そもそも鎮守府という施設の脅威度を低いままに保つことができた。彼らは南方に作った拠点を育てるのに精一杯で、鎮守府近海から南西諸島方面への静かなる反抗が起こっていたことを、まだ認知していない可能性さえある。

 ――戦力の拡充を計ってはいたが、戦艦級と空母級を建造できていなかったことが幸いした。

 しかし、もし敵がこのあと鎮守府へと狙いを変えた場合、それが裏目に出ることになる。

 こちらが戦力的に劣っている状況で、しかも本土近海にまで攻め込まれているのだ。

 早期に全戦力を海上に投入し、決着させなければならない。

 その際鎮守府は――。

 「――それで、どちらを狙うのかしらね」

 既に艦娘への出撃命令は下してある。重巡洋艦と軽巡洋艦を配備した高耐久の水上部隊で、対潜のために駆逐艦も付けた。

 敵を罠に嵌め、そして撃滅することが至上命題だ。

 だがそれはあくまでも、護衛艦という餌で敵を釣れた場合に限る。

 そうでなかった場合、艦娘たちは深海棲艦と正面衝突することになる。

 「なあ、この鎮守府には防衛設備はあんのか?」

 当たり前のように作戦司令室に同行してきていた彼女も、かつてなれなかった提督の補佐として、今だけ動くつもりだった。

 「公的なものは、電探だけよ」

 「機銃も高射砲も無いのか?」

 「ええ。海岸線を守るのは陸自の仕事だもの。それに、鎮守府に戦艦と空母が配備され次第空襲に備えることが可能になるから――人間を可能な限り入れないという方針を守るには、防衛を捨てなければならなかったのよ」

 かといって艤装は妖精だけでは扱えないものも多い。艦娘が使うことで初めて機能するものがほとんどだ。特に機銃や高射砲などは、艦娘が狙いを定めて引き金を引き、妖精が装填を行い、狙いを外さないようアシストすることになる。妖精だけでは防衛ができないのだ。

 「クソ。じゃあ陸自の真似事もできねえな」

 「…………どうかしら」

 「あん?」

 提督の言い方が今になって何か引っかかったが、それを追求する時間はなかった。

 大淀が管理する無線機が鳴る。出撃した艦娘からの報告だ。

 『司令部へ! こちら妙高。深海棲艦の転舵を確認しました! 護衛艦を追っています!』

 「鎮守府は一先ず、安泰ね」

 そう、一先ず――。

 「これで艦娘も敵を背後から狙えるんだな」

 海図を眺めて状況を予測する。針路を変えた護衛艦の駒を進ませ、深海棲艦を表す赤の駒も同じ方向へと移動させる。艦娘を表す青は、鎮守府から真っ直ぐ進行中だ。

 その後の予測を立てるならば、護衛艦はさらに陸地を離れていき、深海棲艦もそれに準じ、艦娘がそこに追いつく。背後からの奇襲となればいいのだが――。

 「敵の偵察はザルなのか?」

 奇襲は可能なのか、という質問。

 「間違いなく気付かれているでしょうね。でも、さらに選択肢を迫るわ。護衛艦と艦娘どちらを狙うかという選択で、敵も混乱するでしょう」

 餌を前に、その後ろから艦娘が追ってくれば、敵艦隊は前後を挟まれる。両方を同時に攻撃するには、戦力を分散するしかない。

 「なるほどな。……今確認されてる敵艦隊、報告と違うんじゃないのか?」

 「天龍によれば空母が居たという話だけれど……今のところここで確認したのは重巡と駆逐艦だけね。同じ水上部隊同士、互角にはなるわ」

 「空母が居るならアウトレンジから来るだろ。万が一に備えて敵艦隊が分裂した可能性は無いのか?」

 新しい赤い駒を手に取って海図の端の方、鎮守府から見ればかなりの南方へ置く。それが彼女の言う空母だとしたら……。

 「ここまで護衛艦を追ってきたヤツらが実は偵察を兼ねていて、護衛艦の転進に合わせた仲間内の通信で、待機させていた空母に、攻撃指示を出したとしたら? 水上艦は護衛艦、空母部隊が鎮守府を狙える」

 敵の艦載機を表す小さな赤の駒をばら撒き、鎮守府まで線を引っ張った。

 深海棲艦は護衛艦が本土へと帰ることを予想して敢えて尾行していたという発想。そして本土が近付いたことを確認して空母を待機させ、鎮守府という目標を定めるために近海まで誘われてきたように見せかけた――。

 現在空母が近海に確認できない以上、彼女の予想は当たっている可能性が高い。

 深海棲艦らしくないと言えばらしくない非常に高度の戦術だが、深海棲艦が大陸を狙う道に立ちはだかるこの国を狙っているという予測は、提督も建てることができていた。深海棲艦側の利益も加味すれば、この状況を優秀な護衛艦一隻で生み出すことも可能なのか。

 思わず舌を巻く。自分は相当に厄介な人物を敵に回してしまったらしい。

 これを仕掛けた犯人は、本当に優秀な海の男だ。そんな人間でも味方を撃つまで変えてしまうように、この戦争を巡る軋轢は大きいのか。

 早く、解決しなければならない。

 提督の中では、その軋轢を解消するためのステップが次々に踏まれていたように感じた。

 相手が英雄たる海の男なら、こちらはその間違いを正す女神にでもなってやろうじゃないか。

 「――さすがね。私はまだ、海戦の方には自信が持てないままだったのよ」

 平然と、嘘をついてしまった。しかし、彼女のことを褒めたのは本心だ。彼女だって本当に優秀な提督になれたに違いない。

 「対空装備の水雷戦隊も出しましょう。外回りの警戒に当たらせ、同時に敵水上艦を囲い込む」

 海図に新たな青の駒を並べる。別働隊は護衛艦と敵を避けるように外洋側へと出て行き、対空警戒に当たらせる。既に打撃部隊の追撃を受けているであろう敵艦隊は逃げ道も失う。

 「いいんじゃないか。だが、対潜艦も付けるべきだ」

 「もちろんよ。二隻ずつ、対潜、対空、そして砲撃戦重視にするわ」

 「六人か。それだけしか出せないのか?」

 囲い込むための戦術ラインの維持には少なすぎる。対空戦闘も、精々敵艦載機の発見が早くなる程度になってしまいそうだ。

 「鎮守府に残るのはあと六人ね。重巡二人を含む打撃部隊がもう一つ作れるわ」

 ここまでの予測が正しいのならば、この部隊は空母を含む敵の主力を叩くのに最適だ。

 「なんでまず戦艦を作らなかったんだよ。戦力としてなら絶対に押さえておくべきだったろうが」

 「今はそんなこと論じている場合じゃないわよ」

 大淀に、対空防衛の別働隊の出撃を指示する。すぐにこの作戦が実行に移されるだろう。

 「なあ、お前のことだから、どこかに戦艦を隠してたりしねーよな?」

 「残念ながら本当に戦艦は居ないのよ。空母もね」

 「あたしならまず“長門”を作ったね」

 「……妖精に嫌われると、建造はうまくいかないわよ」

 そのぼやきにも聞こえた呟きが、糸口になった。……もちろん、提督いびりの方の。

 「あん? じゃあ何だ? お前は艦娘からだけじゃなく妖精からも嫌われて『戦艦を作れなかった』のか?」

 「……さあ。どうかしら」

 「はっ! それでできたのが重巡以下の巡洋艦ばかりってか! ふはは! ウケる!!」

 面白すぎて腹を抱えて転げそうだった。

 「頭はいいのによぉ! 運が無えよなお前って、ほんとによう!」

 「…………」

 あの提督が、バツの悪そうな顔をしている。自覚があるらしい。

 「分かった分かった! この戦いが終わったら、あたしに建造やらせてみろ。お前に戦艦プレゼントしてやるよ」

 「あなたは幸運だものね。……ああ違ったわ、悪運よね」

 「幸薄よりは全然マシだ。ぷっ、くく……っ。『戦艦が作れなかった』だと……くふふふ!」

 また笑いがぶり返してきた。だがそこで、大淀が口を挟む。

 「……お二人は一体、何をしているのですか」

 「よく言われるんだよ、仲悪いのになんで連んでるんだってよ」

 「大淀はそういう意味で聞いたんじゃないわ。指揮に戻れと言っているのよ。……あと、別に連んでいたつもりはないわ。同期で同僚だっただけ。そうよね?」

 「そうかぁ? まあそうなのかもな」

 含みのある笑い。提督の地位についての諍いで一方的に恨みと怒りが強くなってしまっただけで、それ以前は、ごく普通の同僚だったと思う。話す時は話すし、殴り合う時は本気だった。

 「この通り仲直りはしたぜ? 今だけかも知れねえけど」

 「仲良くなりたいのか敵対したままで居たいのか、はっきりしなさいよ」

 「どっちも嫌だな。ああ。そう思うことにした」

 ふざけるだけふざけて、急に真面目なトーンに戻る。そういう人だった。

 「どうせこの後本部に帰っても爪弾きだ。海自なんか辞めて、お袋の待ってる田舎に帰るよ」

 「……そう」

 励ますべきか同情すべきか迷った。だが思い直す。彼女はそのどちらも求めていない。本人がそうだと割り切ってしまえば、後はどんなことを言われようが大したことじゃないはずだ。

 「っ」

 遠方から、砲撃の音が次々に響き始めた。本棟にある作戦司令室の窓も微かに揺れる。

 続いて大淀が声を上げる。

 「第一艦隊が砲撃戦を開始しました。護衛艦は速度を上げて海域の一時離脱を図っているようです。それから、第三艦隊も配置について警戒態勢です」

 第二艦隊は天龍率いる遠征部隊だ。哨戒を終えて帰ってくるはずだが、まだ連絡はない。無事は確認されているものの、無駄な無線連絡も避けねばならないため、どこに居るのか詳細は分からなかった。予定では――帰港も近いはずだ。天龍ならば帰投次第海戦に参加させても問題ないだろう。だから、この作戦上においては第二艦隊という扱いにしておく。現状においては、こちら側の隠し球とでも言える戦力だからだ。

 「第二艦隊に打電可能か確かめて。まだ燃料と弾薬が残っているなら、敵空母への奇襲が可能かもしれない!」

 「第二艦隊……」

 補佐は提督の横で、壁にある編成一覧を見てメンバーと装備を簡単に確認した。

 天龍を旗艦とする遠征部隊。元々海上の護衛任務だったようで装備は十全。予定外の航路で敵と遭遇して戦闘。南方から敵が出てきていることを察知した。

 もしこの第二艦隊が接敵した前衛部隊とやらが、敵にとっては後衛艦隊だった場合。

 敵の主力は現在逃走中の護衛艦を追い北上していた。後衛艦隊が艦娘を発見して一時離脱し、その後撃沈される。艦娘側は他にも深海棲艦が居ないかと周辺を哨戒したが、その頃にはもう主力は本土に向けて全力疾走中だった。そして現在は、ここに居る。

 だとすれば、背後から敵の主力を叩くことは充分可能だ。

 問題は、その水雷戦隊で敵の主力を叩けるかということ。戦力的に上回られている場合、奇襲をしても勝つ見込みは薄くなる。

 空母が一体や二体であれば、駆逐艦の機動力を活かして接近してしまえばいい。だが、仮に戦艦クラスが居た場合は、それだけで戦力のバランスが逆転されると見て間違いない。

 「敵の主力がどこにいるかも分からないし、戦力差も分からないまま。下手に消耗したまま突っ込ませても無駄だ。どうする?」

 「……そうね。天龍に通信を。意見を聞くわ」

 「了解しました。第二艦隊天龍に打電します」

 海図に第二艦隊を置く。大淀との通信で正しい場所が分かった。現在鎮守府に向けて航行中、敵艦を捜索しながら遊撃に移りたいとのこと。了承しておいた。

 「これで天龍とやらは自分の判断で戦線に加わるわけか。優秀なのか?」

 「こと戦闘に関しては勇猛果敢で的確よ。特に仲間のためなら尚更強くなるわ」

 「へえ……。骨のありそうなやつだ」

 そして入れ替わりにこちらの主力である妙高から報告が上がる。

 『こちら妙高。敵水上部隊は壊滅しました。綾波が軽度の損傷、敷波は直撃弾を受け曳航中です。二人を帰投させてあげてください』

 頷いた提督を見て、大淀が返信する。

 『分かりました。ですが、未だに敵潜水艦を発見できません。このままでは、奇襲もあり得るかと』

 妙高は重巡洋艦として鎮守府でも頼れる姉のような役割だ。戦場にいながらも冷静で、懸念の意見もしっかりと述べる。それが結果的に悲劇を防ぐのに重要であるのだ。

 「対潜装備の駆逐艦に頼るしかないわね。それか……もしかすると、潜水艦は主力の護衛についているということもあるわね」

 「ここまでに潜水艦の攻撃がない以上、近海には居ないのかもな。だったらそっちの方が理に適ってる」

 提督は指先を口元に合わせて一考する。

 決断は早かった。

 「少し先走ることになるけど、足柄を旗艦とした第四艦隊を編成して即時出撃。敵主力を発見し次第、強襲させるわ」

 大淀の素早い打電があった。これですぐに出撃が行われるだろう。

 しかし鎮守府の中に残る艦娘がこれで全員出払うことになる。戦闘のために出撃した三艦隊と、天龍たちの艦隊、さらに二部隊が遠征で遠洋にいるため、鎮守府の残存戦力はゼロ。現状行える全力の戦いだということだ。

 「どうやって見つける?」

 「――たった今売った恩を、返してくれそうな船が居るじゃない」

 「あぁ。確かにレーダーの性能だけなら少しはマシか。……やっぱりお前は腹黒いよ」

 艦娘の偵察装備に不安がある現在、護衛艦に搭載されたレーダーが有効ならばそれ以上に強力な装備はない。使えるものは全て使わなければ。勝てるものも勝てなくなってしまう。

 「護衛艦に伝えるわ」

 無線機を取って連絡を入れようとした提督だったが、大淀の息を呑む声で動作が止まった。

 「提督! 第三艦隊が敵艦載機を発見! 対空戦闘を開始しました。数はおおよそ百以上、このままでは――」

 「爆撃を受けるわね」

 「……クソッタレ。間に合わなかったか」

 護衛艦に積まれているイージスシステムも、敵艦載機を感知できないため意味が無い。空の防衛は艦娘に頼るしか無いが、百機以上の艦載機を全て撃ち落とすなど夢のまた夢。間違いなく空爆を受けてしまう。

 窓の外、上空を見上げた。

 虫のような黒い粒が、大量の弾幕を受けながらも回避行動を繰り返し、そして再編成し、こちらに向かってくる様子が見える。

 「地下へ避難! 大淀、あなたも!」

 「はい!」

 「待機中の戦力はもう居ないんだったな!?」

 「ええ、全員出払ったわ!」

 「おい、マジで鎮守府は空だったのか! マジで守る気ゼロかよ!」

 言いながらも駆け、階段に飛び込むようにして地下室へと退避した。

 あとは耐えるだけ。そう思った時だ。

 提督が絶望を浮かべた。鎮守府に残されている“戦力”はもう居ない。だが――。

 「! 明石――!!」

 大淀もその声を受け、すぐに取り乱してしまう。

 「私が行きます!」

 駆け出そうとした大淀の肩を掴んで押し戻すと、提督が飛び出した。防空壕の鉄扉を押し上げて外に出る。

 「何でお前が行くんだッ!?」

 あまりの早業に反応が遅れた。閉められようとしている鉄扉の隙間に見えた提督は、一つ、頷いた。

 まるで、『何かあったら後はお願い』とでも言うような顔で。

 「ふっざけ――――――」

 直後、経験したことのない大地震のような地鳴りが襲いかかった。耳を劈かんばかりの爆音が次々に鳴り響く。裸電球が明滅しながら派手に踊り狂い、天井からは土埃が落ちてくる。

 残された二人は、壁に手をついて耐えるしかできなかった。

 

 

  6

 

 重巡妙高と那智は、護衛艦――自分たちが知っている船の姿とはずいぶん違う――を防衛しきった。艦の方は敵重巡リ級の砲撃が一発だけ至近弾となり、装甲の一部がかすり傷程度の被害を受けただけで、護衛艦は北へと直進を続けていった。

 そしてこちらは、反転してきた深海棲艦たちと相対することになった。一時的に護衛艦のことを忘れ、背後から接近してきたこちらと戦うことを選んだのだろう。

 赤の靄を纏っている深海棲艦のエリート級との戦闘は、つい最近になって艦娘たちの間でもやや恐怖と共に語られるようになってはいたが、火力で優っていたこちらの先制攻撃で始末できたのが何より助かった。そうして士気を上げた那智の号令で、駆逐艦たちも全力を惜しみなく発揮することができたようだった。

 対潜警戒をしていた綾波が不意打ちで損傷を受け、さらに綾波に向かった追撃を敷波が庇ったことで大打撃を受けはしたものの、その隙に再度砲撃を行った重巡二人と軽巡二人で倒しきった。

 気を失っていた敷波を曳航しながら、水中探信儀にて潜水艦を見つけようとしていた綾波だったが、提督の許可を得て止む無く帰投させた。普段はおっとりとしている娘だが、戦闘となると少しだけ雰囲気が変わる艦娘だ。少しだけ悔いを残しているような顔だったが、仕方ない。それも、過去の活躍の影響なのだろう。

 だが、問題はその後に起こった。

 綾波によると敵の水上部隊の近辺に潜水艦は居らず、さらに鎮守府近海に展開した防衛部隊の報告でも潜水艦は発見されていない。目視による潜望鏡発見も当然無かった。

 どうやら近海に潜水艦は居ないようだという結論を皆が出した直後、防衛線を展開していた駆逐艦から、敵艦載機の襲来が告げられた。

 こちらも持っている装備で援護をしたが、百機以上の艦載機をすべて落とすことはできなかった。それに、敵は――この近海全てを焼け野原にするのではないかというくらいの、絨毯爆撃を敢行したのである。

 防衛線の駆逐艦たちに向けて艦攻隊を送り、対空戦闘ではぐれたと見せかけた部隊はこちらに向かってきた。二手に分かれたと思われた編隊だったが――ニ部隊の気を引き付けている間に、今度は対空砲火を逃げ切った大部隊による鎮守府への爆撃が開始されたのである。これを防ぐことができなかったのが、何より妙高にとって屈辱であった。さらに言えば、二部隊に向かったはずの艦載機すら、主力編隊が攻撃を抜けたことを察知すると、同様に鎮守府に向かっていったのである。つまり、全艦載機が最初から鎮守府を狙っていたということ。

 どこかに隠れている敵空母の攻撃目標は護衛艦でも艦娘でもなく、鎮守府だったのだ。

 提督の指示を受けて、妹である足柄と羽黒も出撃したばかりだっただろうし、綾波と敷波も鎮守府に向かっていた。きっとすれ違いになっているだろうから、妹二人が守ってくれたとは思うが――。

 爆撃の直前、鎮守府の埠頭近くで対空機銃の弾道が見えたが、あまり効果があったようには見えなかった。幸いなのは、敵の目標が鎮守府の施設の方にあって、出撃直後だった艦娘たちが狙われた様子が無かったことだ。

 足柄たちを含めれば、鎮守府内の戦力は全て海に出てしまっている。爆撃で真っ赤な炎と黒煙を噴き出す鎮守府には、提督と大淀、明石が残っていたはずだ。もう一人の客人がどうなったかは分からない。

 三艦隊による対空射撃を受けて敵艦載機の編隊はバラバラになっていて、思い描いていた通りの絨毯爆撃とはいかなかったようではあるが、それでも凄まじい数の爆弾が、絶え間なくスコールのように降り注いでいく光景は――艦娘たちにとって悲劇以外の何物でもなかった。

 無機質な提督だが大淀は信頼していたようだし、自分たちを編成して実際に戦果を上げていることからも、悪くない提督なのだと思う。妖精が選んだということは聞き及んでいて、代わりが居ないということも知っている。どんな提督であっても、最終的に提督の命を守れなければ敗北と同じだ。彼女が死んでしまえば――自分たちを率いてくれる人がいなくなる。

 その言い知れない不安が、艦娘たちの心に影を差したことは、言うまでもない。

 「――――」

 鎮守府が攻撃を受け、敵艦載機は陸地を離れようとする。しかし、人類側の本土防衛力は提督も断言するほど進歩していた。海から地上に向けて飛行していた艦載機は、爆撃を終えて当然反転しようとした。その飛行ルートは、陸の上。

 引き付けるだけ引き付けてから――自分たちの陣地へと誘い込んだ艦載機たちに、まるで蚊柱に向けて火を噴きつけるかのように、容赦の無い対空砲火が襲いかかった。

 鎮守府のある湾岸には、鎮守府以外の地上基地が多数存在する。その基地全ての全兵装を用いての対空一斉射。艦娘だけでは落としきれなかった全ての艦載機が、一瞬にして焼き払われてしまった。

 何故、もっと早く――鎮守府が焼かれるよりも前に同じことができなかったのだろう。

 海上戦闘への支援攻撃が無かったのは提督の指示だと聞いている。誤射、誤爆を防ぐためだと納得できるが、対空戦闘は別だったはず。何故ほんの一分か二分、早く撃てなかったのだろうか。

 何故誰も――提督を守ってくれなかったのだろう。

 提督へ不信を叩きつけた艦娘が居たという噂はどこからともなく漏れ出した。誰かが撒いたというわけではなく、そういう雰囲気のようなものがあった。そして実際に、彼女の身辺調査を行うための客人もやってきた。偶然二輪車のエンジン音を聞いて見に行ったという足柄から聞いたが、相当に鬼気迫る顔で、敵意のある人だったらしい。提督は叩きのめされるかも、と思ったという。

 艦娘から絶対的な信頼を得ていたわけではない提督だが、それでも自分たちは、鎮守府のことはあの人に任せようと決めていた。あの人が提督なのだから、鎮守府は安全だと――どこかで思っていた。

 それに、鎮守府がある場所の周囲には、先ほど対空砲火を行った地上基地が山ほどある。いざというときにはその基地たちが鎮守府を――提督を守ってくれるはずだと思い込んでいた。

 なのに、守ってくれていなかった。

 むしろ鎮守府は、先ほど護衛艦にしたことと同じような扱いを受けた。餌として使われ、敵を撃滅するための囮として。

 そして提督は――もしかすると、亡くなったかも知れない。

 あの密度の爆撃では、地下壕が崩れるようなことがあってもおかしくないからだ。

 一体提督には、どんな敵が居たというのだろう。

 護衛艦が南方海域に強行軍を実施した帰りだというのは知れ渡っている。だがその目的は一体なんだったのだろう。

 たった一隻の護衛艦が敵地の最深部を刺激して、敵を連れて、全速力で帰ってきた。

 その結果だけ見れば、鎮守府が壊滅的被害を受けたということになる。

 仮にこれが――護衛艦に指示を出した人間の思惑通りだというのなら――。

 鎮守府を訪ねてきたばかりの“提督の敵”。その敵と同じ考えを持っていた人間が居たとして――鎮守府が目障りだったのだとしたら。

 今起こっている全ての事象が――戦争に政治を持ち込んだ愚者の仕業だとしたら。

 提督は、権力に命を狙われていた――ということになる。

 だとすれば、対空砲火が遅かった理由も推察できる。

 これは――悲劇を装った計画的なものだ。

 誰かが提督を殺そうとした。

 ――私たちの、提督を。

 確証はないが、怒りは湧いてきた。

 そこに通信が入る。丁度いい、時機だった。

 『妙高姉さん! 聞こえてる?』

 足柄だった。すぐに応対する。

 『鎮守府に戻ったほうがいいかしら? 提督を探す? それとも――』

 「いいえ。足柄、今するべきことは一つよ。この戦い、引くわけには参りません」

 足柄の望む言葉を口に出そう。提督がどんな人であれ、彼女は戦いに勝とうとしていた。

 だから――。

 通信を全艦に切り替えて宣言する。

 「深海棲艦の主力への反撃へと移行します! 全艦の指揮は、提督が復帰されるまでこの妙高が執ります!」

 『いいわ! 漲ってきたわ! 妙高姉さんの本気が見られるのねっ!?』

 「提督が警戒していた敵潜水艦の発見を最優先にしましょう。敵艦載機は壊滅的で、空母は無力化したと見て間違いありません。この近海の、どこかに居るはずです。恐らく潜水艦と空母による変則的な艦隊が、どこかに居ます。水中探信儀と水上電探を持った艦娘を起点に、索敵を開始してください!」

 『私と羽黒、偵察機持ってきてるわ! 飛ばすわね!』

 足柄の用意の良さに感心しながら了承する。

 「いいですか、こちらの全戦力が協力すれば、敵を打ち負かすことは難しくありませんわ。各艦は役割を明確に」

 いつの間にか、すぐ後ろに軽巡龍田が寄ってきていた。きっと何か言いたいことがあるのだろう。

 「それから、艦隊の再編成を行います。主力を集めて近海に待機。偵察艦隊が敵主力を発見し次第攻撃に転じます」

 『じゃあ妙高姉さんに合流するわ! 行くわよ羽黒! 特型の娘たちも、この足柄に付いてきなさーい!』

 『足柄姉さん! 針路を変えてから言うのやめてくださいぃ……!』

 後ろのほうで小さく羽黒の慌てる声まで聞こえた。

 微笑ましい限りだが、まだ戦闘中であることを忘れてはならない。通信を一時切断した妙高に、龍田が話しかけてくる。

 「天龍ちゃんのこと、何か聞いていないかしら~?」

 「いいえ……。大淀さんによれば、帰投中だったかと。……それ以上は。連絡もないということは、まだこの辺りには到着していないのかもしれませんね」

 「天龍ちゃんなら、喜び勇んで駆け込んでくると思ったのに~……」

 彼女の性格を思い出すと、思わず微笑んでしまいそうなくらい容易に想像できた。しかし龍田も龍田で周りくどい心配をするものだ。

 「大丈夫ですよ。長女というのは、妹のことを必ずどこかで気にかけているものですから」

 龍田の瞳が丸くなり、妙高の言葉の意味を反芻しているようだった。

 「必ず駆け付けてくれます。それも、格好良く。そうではありませんか?」

 龍田はゆったりと頷いて、にこりと笑った。

 「そうだったわぁ。天龍ちゃんったら、どこかで登場の機会を待ってるのね~」

 気が晴れたのか、龍田はUターンして艦隊後方の持ち場へと戻った。入れ替わりに、すぐ後ろでずっと電探による警戒を行っていた那智も一言告げる。

 「頼りになる長女を持って、僥倖だ」

 「もう、照れてしまいますわ……」

 無駄話もこれくらいにしなくては……と眉間に真剣味を与え、気持ちを改めるためにも水平線の彼方を一望する。

 そして、背後から、短い汽笛が聞こえた。想定以上に大きい音で耳を覆ってしまったが、振り返ってみると正体が分かった。護衛艦だ。深海棲艦を撃滅したため安全となった海域へと戻ってきたのだ。

 艦娘と通信する手段を持たない護衛艦は、汽笛で知らせるしかなかったようだ。

 すぐに信号旗が目に入った。意味は『貴艦と通信したい』。こちらが手を振って応えると、モールスによる伝令が始まった。信号用探照灯の明滅を見逃さないよう、那智と共に読み取っていく。

 「……本艦が索敵を行う……」

 「……なるほど。電探よりも高性能なものを積んでいるようですね。素直にお願い致ししましょう」

 こちらは返答する手段を持っていなかったため、両手で大きな○を作って応えた。

 汽笛が一度鳴り、護衛艦は針路を少し変え、より遠洋の方へと向かうようだった。

 「ふむ。どうやらあの船にも、優秀な艦長が搭乗しているようだな」

 那智の静かな言葉は、提督の指示無く、さらに鎮守府の損傷よりも敵の撃滅を優先する辺りの勇猛果敢さに感心していたようだった。そうではあるのだが、大きな船はその分、的になってしまいかねない。ここは素直に鎮守府に向かい、人員を使って提督の救助をお願いしたいくらいだった。

 だが、敵の主力を発見できない以上、索敵能力に自信のある船を頼ることも間違いではないだろう。彼らなりの恩返しだと思うべきだ。

 「単独で航行させるのは危険じゃないのか?」

 「いいえ。だってあの船は、南方海域から敵を引き連れたまま、遠路はるばるこんなところまで来たのですよ。きっと素晴らしい“家族”なのでしょう」

 船にとって乗員は家族のようなもの。一体となって初めて、戦果をあげられる。

 「なるほどな。合点がいった。……さて、足柄とも合流できたし、後は敵の発見だけだな」

 那智の言葉で気付いた。遠くから呼ぶ声がする。

 「妙高姉さーん! 羽黒を一人お届けよー!」

 「は、離してください足柄姉さぁぁん……!」

 足柄に腕を組まれて引っ張られている様子の羽黒。危うくバランスを崩して転倒しそうだ。当の羽黒は泣きそうな顔をして足柄に追従していた。離して、と口では言いつつ、しがみついているのは羽黒の方にも見える。

 「……全く。羽黒はおもちゃじゃないぞ」

 那智が頭を抱える。

 「でも、私たち姉妹の中では屈指の頑張り屋さんですわ」

 「それに異論はないさ。だが羽黒はもっと、足柄を上手く扱えるようになるべきだ」

 「いいじゃない。かわいいんだもの」

 妙高が幸せそうに笑う。長女の愛とでも言うのか。余裕のある顔だ。

 いつか那智も、同じような雰囲気のようなものを得ることができるだろうか。手本にすることは多くあっても、妙高のような立派な姉になれるとは思っていない。偉大な姉だった。

 「まあ……その、なんだ。四姉妹が揃ったのだ。敵などすぐさま粉砕してやろう。……楽しみだな」

 「胸を張って持ち帰ることのできる戦果を上げましょう」

 「二人して何の話? 勝利のための作戦会議なら、私も混ぜなきゃダメじゃない?」

 足柄は勝利に飢えている。いつもこうだった。

 「やることはもう決まっている。索敵を厳とし、敵を破砕する」

 「そうよね! 思いっきりやっちゃってもいいのよね! あぁ……戦場が、勝利が私を呼んでいるわ! 声が聞こえるのよ!」

 また足柄が変なことを言い出した……と呆れる那智の下に、そっと足柄の呪縛を抜けた羽黒が報告をしにきた。足柄はどこでもない海に向かって何やら騒ぎたてたままだった。

 「あの、鎮守府の埠頭近くで、綾波ちゃんたちと一時合流しました。それで……その、綾波ちゃんが鎮守府を捜索してくれるそうです。……あ、あと、司令官さんがご無事であれば、すぐにでも戦線に復帰したいと……」

 「一人でも多いほうが助かりますね」

 妙高もそれを了承したところで、足柄の叫びが一際大きくなった。

 「あっち! あっちよ! この方角から、私を呼ぶ声がするの!」

 海の向こう、何もない水平線を指さして目を輝かせている足柄。だが、何やら絶対的な自信でもあるかのような口ぶりだった。

 「……足柄、貴様はついに幻聴まで……。全く、姉として嘆かわしいぞ……」

 「足柄? もしかして、偵察機からの通信ではないのですか?」

 「あれ? ……あっ! ほんと、そうだったわ! ありがとう妙高姉さん!」

 耳を澄ませるようにして『呼び声』とやらに集中してようやく気付いたようだった。

 「それならそうと、早く言え……」

 那智は呆れが一層強くなったが、もしかすると足柄はお手柄だったのではないだろうか。

 「えーっとなになに? ……敵軽空母ヌきゅっ――――」

 足柄が報告を口に出していた最中だった。絶妙なタイミングで、護衛艦の汽笛が聞こえた。そういえば、足柄の指さしていた方向は、護衛艦も向かっていた方向だ。

 もしかすると護衛艦の艦長は、これまでの戦闘を整理して、まだ索敵が充分でない海域を洗い出してからこちらに接触してきたのでは? そうなのであれば、こちらの想像以上の英傑のようだ。

 「やっぱりそうだわ! 私の勝利がそこにあるのよ!! 姉さんたち! 羽黒! それから特型の娘たちも! すぐに出発するわよー!」

 後ろのほうで元気のいい駆逐艦が『はい!』と斉唱した。意外にも足柄は旗艦の才能があるのだろうか。

 「全艦、足柄機の報告に従って航行を開始してください! すぐに叩きます!」

 妙高が手を上げて宣言。さらに全艦にも同じことを伝えた。艦娘側の打撃部隊が、敵主力を叩く瞬間がやってきたのだ。

 「それから足柄、偵察機の通信内容を正しく教えてください。敵の編成は?」

 「待って。……よしっ。空母ヲ級一隻、軽空母ヌ級一隻、さらに戦艦ル級が一隻よ」

 「三隻か。空母二隻は無力化したはずだ。艦載機の数も計算が合う」

 「待ってください……! 敵の主力は今や……潜水艦と見て間違いないと思います!」

 羽黒も発言し、それらしくなってきた。彼女も出撃となると少しだけ勇気を振り絞ることができる艦娘だ。

 「今のまま私たちが突撃するのは危険だと思います!」

 「対潜装備の駆逐艦が先に到達できるだろうか?」

 「航行距離はほとんど同じですから、駆逐艦に先行させるべきです。戦艦は脅威ですけど、こちらにとっては潜水艦が何よりの脅威ですから……!」

 水上に見えている敵艦よりも、水中で見えない潜水艦。どれだけ数が居るかも分からない以上、下手に近づけばやられるのはこちらだという判断だ。

 「さっすが羽黒! 私が確実に勝利するために必要なことをぜーんぶ言ってくれるわ!」

 「お前だけのためじゃない。羽黒はみんなのために言っているんだ」

 「へぅっ!? あの、ご、ごめんなさい……!」

 「謝ることはない。敵潜が脅威なのは間違いないことだ」

 妙高は羽黒の提案を受けて、防衛線から出撃している対潜駆逐艦たちに考えを伝えた。了解の声を聞くと、随伴艦に告げる。

 「私たちも同等の速度で敵に近づきましょう。危険は承知ですが、敵の攻撃を引き付けます」

 「……何?」

 那智は耳を疑った。それは囮作戦というのだ。

 「敵の潜水艦が主力を守っているのであれば、近づいてくる部隊に対して先制攻撃をするために必ず動き出すでしょう。つまり前に出てきます。探信儀はありませんが、こちらは龍田さんと多摩さんを警戒に当てて潜水艦を監視。敵の先制攻撃に合わせて魚雷を回避することで、敵を引き付けます」

 「任せるにゃ」

 今まで本物の猫のように気配を断っていた多摩――元々、自ら積極的に発言する方ではない。それこそ気まぐれな猫のように――だったが、自分の出番となれば違ったようだ。龍田と共に役目を担う。

 「そこを側面から叩くように伝えました。主力から引き剥がした潜水艦の頭上を通過できれば、駆逐艦が圧倒できます」

 妙高は両手で空中に図を描いていた。

 潜水艦を表す左の拳が上から下に降りてくる。その下にある自分たちを表す右拳が転進して逃げると、追ってきた潜水艦の横から、位置を変えた右の拳がぶつかってくる。その位置とタイミングがぴったり合えば、間違いなく潜水艦は爆雷で撃沈できるだろう。

 「厳命しますが、敵主力に対する一斉射を実現するためには、味方部隊とすれ違う形にならなければなりません」

 潜水艦を攻撃する駆逐艦の航跡を左の拳が担うようになり、再び右の拳が自分たちを表す。そちらが駆逐艦とすれ違うと、敵主力までへの射線が開くことになる。

 「この時点で戦艦の反撃は免れないでしょうが、攻撃の好機としては、こうするしかありません」

 艦娘の戦い方は実際の船とは随分と感覚が変わる。船と比べてかなり機敏になるため、より細かな艦隊行動が取れるのだ。また、単純に『避けろ』や『すぐに砲撃戦に移行』というものの行動全てが人間サイズの行動速度に準拠しているため、まるで歩兵戦のような立ち回りすらも可能になっている。その上移動は、地上で言えばローラースケートでも履いているようなものだ。地上との違いは、地面が自在に形を変えるという点のみか。

 そのため基本的には、すばしっこく動いて確実に討ち取ることが重要になる。

 しかし相手は戦艦と潜水艦。こちらとしてはかなり戦いにくい編成をしている。駆逐艦は戦艦に狙われたらおしまいだし、潜水艦を野放しにすれば痛い反撃を受ける。だから、同時に叩くしかないと判断する。

 味方と至近ですれ違うなど、船舶サイズでは極めて難しい。しかし艦娘ならそれがいとも簡単に実現できる。

 「勝てればいいのよ!」

 「単艦で突っ込むような真似だけはするなよ、足柄」

 「それは夕立ちゃんの仕事っぽい! ……ふふ、大丈夫よ。ちゃんと姉さんたちにも獲物は残しておくから!」

 「貴様……」

 那智の頬が引き攣った。

 「足柄姉さぁん……那智姉さんを怒らせるのはやめてください……」

 「別に、怒ってなどいない。ただ……」

 「ただ、足柄が心配なだけですわ」

 「ぐぬ……」

 四姉妹揃うと、何故か自分だけが恥を掻く気がしてきた那智であった。

 妙高もまた、これ以上無駄な会話は必要ないと判断したのだろう。すぐに表情に真剣さが戻った。それも、視界にあの護衛艦が映ったからだ。つまり、敵主力ももう近い。

 「話はここまで。気を引き締めて行きましょう」

 「……ああ」

 那智も掻いたばかりの恥を隅に置き、戦闘の覚悟を決める。

 「勝ちに行くわよ!」

 足柄は特に変わった様子はない。それがむしろ、羽黒にとっては救いだった。

 「姉さんたちの背中は私が守ります……!」

 宣言した羽黒の後ろから、龍田が囁く。

 「あら~。私たちはどうでもいいってことかしら~? 潜水艦には気を付けないと、どうなってもしらないから~」

 「やめるにゃ。龍田は多摩が守る……にゃ」

 「……あら~……」

 何も言えなくなってしまったらしい。多摩は密かに、龍田の表情が緩んだことを見て取った。龍田は天龍と連絡が取れないことをずっと不安に思っている。励まされたとしても、定期的に不安はぶり返す。多摩は球磨型軽巡の次女で色々と手間のかかる妹たちがいることを知っている。まだ鎮守府には大井以外着任していないが、海の記憶がそう言っていた。だから忖度も得意なのであろう。

 「特型の娘たちも、大丈夫ですね?」

 ずっと艦隊の後ろで警戒を行っていた四人の駆逐艦たちがそれぞれ頷く。

 「では戦闘態勢に。これより敵艦隊と接敵します――!」

 

 

  7

 

 駆逐艦綾波は、足柄たちと共に対空防御に参加した後、鎮守府へ入港して艤装を下ろした。丁度意識を取り戻した敷波には待機を命じて、そのまま惨状となってしまった鎮守府の中へと足を踏み入れることにした。

 「司令官! どこですか!」

 きっと提督は作戦司令室に居たはず。最上階の執務室は跡形も無くなってしまっていたが、作戦司令室は万が一にも備えて本棟の裏側に別棟として建っている。一種の管制室であるため背も高い。空爆が行われた以上、目標物と定められていてもおかしくないだろう。

 しかし遠目から見ても作戦司令室の高いアンテナは健在だった。ひとまずはそこに向かおう。

 「司令か~ん!」

 防空壕もあるし、鎮守府に残っていた艦娘の仲間たちは居ないと足柄に聞いた。つまり鎮守府内に残っていたのは極少数。防衛線からの報告も遅くはなかったから、まず間違いなく避難は完了していたはず。きっと大丈夫。

 焦燥を隠すように辺りを見回すと、突然大きな音が鳴った。ガン、という重い金属が鳴らす音で、誰かが扉を破ろうとしているようだった。

 耳を澄ますと、微かに声も聞こえた。

 『クソッタレ開かねえ! 誰か居ねえか!?』

 思い切り叫んでいるようだが、それほど大きな声として聞こえない。しかし綾波にとっては聞き覚えのない声で、それもかなり怒気をはらんだ声だったため、少し尻込みしてしまいそうだった。

 けれどこの鎮守府の生存者とは、イコールで提督と言って間違いない。イメージとは違うが、綾波はもしかしたらこの声の主が提督である可能性も無いとはいえない――と葛藤しながら、声に近づいていった。

 防空壕があったと記憶している場所に、本棟から吹き飛んできたと思われる大量のレンガが伸し掛かっていた。壁の形が残ったままの部分もあったが、綾波一人でも、何とかできそうだった。

 「あの! 司令官ですか!?」

 精一杯の声を張り上げて問いかける。すると少し間を置いて、大淀の声が聞こえた。

 『大淀です! 地下に閉じ込められました! 救援をお願いします!』

 「分かりました! 少しだけ待っていてください!」

 綾波は疾走して、埠頭まで戻った。すると、敷波の傍に見覚えのある姿もあった。

 「間宮さん! ご無事だったんですね!」

 敷波を介抱していた間宮がしっかりと頷いた。

 「私は私で隠れていましたから」

 綾波は先ほど下ろしたばかりの艤装を手に持った。海の上を行く必要はないので、12.7cm連装砲の砲塔だけを選び、肩掛け紐を身体に巻いた。

 「綾波、司令官……見つかった?」

 間宮の膝に臥せて動けないままの敷波だったが、それでも意識ははっきりしていた。戻ってきた綾波もしっかりと頷く。

 「はい! 大淀さんと一緒に避難していたみたいです。助けに行ってきますね」

 間宮も安心したように呼気を漏らしていた。

 「うん……頑張って……」

 敷波の応援を受けて再び走り、鉄扉に向けて呼びかける。

 「一番奥まで下がっていてください! ちょっとだけ――撃ちます!」

 『は、はい! 分かりました!』

 大淀の声に動揺はあったが、大量のレンガを自分の腕力だけで除去するのは難しい。でもこの砲塔があれば、一人で充分。大丈夫。丈夫に作ってある地下室だから、そんなに簡単には壊れないはず。

 自分の身も守らないと。充分に距離をとって……。

 「よ~く狙って…………」

 大丈夫。狙ったものに当てる自信はある。上手く爆風でレンガを吹き飛ばせるように、少し手前で。そして……鉄扉にだけは直撃させないように……。

 「――てぇぇええ!!」

 掛け声と共に引き金を引く。一発だけ装填された砲弾が直線的に着弾し、爆発。バラになっていたレンガは砕け散り、壁は崩壊した。いくつか欠片がこちらにも飛んできたが、当たることはなかった。

 砲塔を置いて駆け寄る。土煙と燻る火種が残っていたが、綾波は記憶を頼りに鉄扉に近付いて、残ったゴミを取り除き、そしてようやく取っ手に手が届いた。少しだけ熱かったが、あとで入渠できれば、これくらいは平気。

 「大淀さん! 司令官! 綾波が助けに参りました! もう大丈夫です!」

 階段を降りて奥の方を見やる。即興で作ったと思われる棚のバリケートが壁のところにできていて、その向こうから大淀が立ち上がった。

 「ありがとう綾波さん! 混乱させて申し訳ないのだけど、提督は――ここにはいないの」

 「えっ?」

 更に一人、奥から人が立ち上がった。目付きが悪い大人の人で、顔には怒りがありありと浮かんでいる。その人を見てようやく、先ほどの怒鳴り声が提督のものではなく彼女のものだと理解した。同時に彼女こそ、明石が昨晩駆逐艦に回した手紙に書かれていた人物だと結びつく。もちろん口には出さないようにした。

 「――助かった。だが……」

 ――あいつ、出て行っちまった。

 その呟きの直後に、大淀は綾波に向かって言う。

 「引き続き、提督を探してください。明石を探して出て行ったきり行方がわからないんです」

 「はい。了解しました」

 頷いたのを見て大淀は振り返る。

 「私は艦隊指揮に戻るつもりですが――あなたは、どうされますか」

 目付きの悪い人はまだ迷いがあるようだった。しかし――。

 「あいつ、頷いたんだ。こっちを見て」

 「……はい。私も見ました」

 その意味も、理解したつもりだ。

 正直、もはや本望ではない。そんな考えがはっきりと出ている顔で決断する。

 「大淀と共に作戦指揮を執るのが、あいつの頼みだったはずだ。……クソッタレ。任せるっつったばっかだろうが」

 「決まりですね。私たちは指揮に。綾波さんは提督をお願いします」

 「はい!」

 敬礼してすぐに振り返り、防空壕を飛び出した。

 明石を迎えに行ったという提督は、ここからどちらに向かっただろう。

 答えは明らかだ。工廠しかない。

 防空壕を飛び出して工廠への最短ルートを通る。瓦礫だらけで、例えどこに居ても、目視だけでは発見が難しいように思った。やはり、声を出そう。

 「司令か~ん! 返事をしてくださーい!」

 呼びかけ続けたが、道中で返答はなかった。結局工廠まで辿り着いてしまう。ということは提督は、きっと間に合ったのだ。爆撃は多少バラけていたし、奇跡的に爆弾を避けながら工廠に飛び込むことができたに違いない。

 工廠の建物はすごく丈夫だと聞いていたが、それでもあれだけの規模の空襲を受けてしまっては、被害は免れなかったようだ。屋根の一部に穴が開いていたし、壁には生々しい焦げ跡がいくつもついていた。コンクリートや石の床も損傷がひどい。

 しかしそれでも、やはり工廠は丈夫だったと言えるだろう。レンガ造りの本棟と比べると、その被害の違いは歴然だった。

 明石の秘密基地に一番近い扉を選んで中に入った。

 「司令官! 明石さん! 居たら返事をしてくださーい!」

 呼び声に応えたのか、綾波の前に飛び出してきたのは、多くの妖精だった。

 「ふわぁぁ! そんなに引っ付かないでください~!」

 たくさんの妖精がまるで綿のように飛びかかってきて、まとわりついてくる。しかし妖精たちの目的は一つだった。綾波を引っ張っていこうとしたのだ。

 「ほ、ほっぺたは引っ張らないで~! ついひぇいきみゃすから、ほっぺたはぁ~!」

 妖精はみな真剣な顔をしていた。彼らのやる気を引き出すことができれば当然その顔になるが、真剣な顔で艦娘を引っ張っていく妖精たちなど、めったに見ることはないだろう。

 妖精との和解に成功した綾波は、妖精の指差す方向へと走った。そこは間違いない、明石の秘密基地――駆逐艦から見れば宝物の宝庫だからそう言われていた――だった。

 ――やっぱり司令官は、ここまで逃げることができたんだ。

 そう確信した直後、目に入ってきたのは――そこにあったはずの分厚い鉄扉だ。

 「……そんな」

 丁度、至近弾を受けたのだろうか。

 廊下一本挟んで外との壁が一枚あるだけの、工廠の端っこにある倉庫だ。その壁が大きく吹き飛んでいて、廊下の床もコンクリートが剥き出しになってしまっている。そして、肝心の鉄扉が吹き飛んでしまっていた。

 足元に注意しながら鉄扉があった場所を潜って、工房に入る。明石と妖精が趣味で使っていた部屋は、やはり爆撃の衝撃を受けて散らかっていた。完成品とジャンク品問わず全てが崩れてしまっていて、一部の工具は電気系統が壊れたのか火花を散らしている。

 「し……司令官! 明石さん! ご無事ですか!?」

 身体にしがみついていた妖精たちが次々に地面に飛び降りていって、一つの瓦礫の山に集まっていた。

 「そこなんですね!」

 駆け寄ろうとして、崩れた瓦礫で転けそうになってしまいながらもすぐに、手が届いた。

 妖精と協力することで辛うじて動かすことのできた瓦礫の下から、見慣れた白い軍服が現れる。背中だった。

 「司令官!」

 背中を叩いて呼びかける。頭の方に伸し掛かっていたのは鉄骨だが、幸い、少しだけ空間ができているようだった。大丈夫。大丈夫そうだ。それに、背中は温かかった。

 妖精とタイミングを合わせて、全員で強く押した。鉄骨は勢い良く転がって、いくつか瓦礫を動かすと提督のはだけた髪が目に入った。そして、明石も。提督が明石に覆いかぶさるようにして倒れていたのだ。二人とも気を失っていたが、瓦礫を動かして光が差して眩しかったのか、明石が呻いて目を開けた。

 「うっ……~ん……。あれ、ここは……私、何が……」

 そして、すぐ目の前の提督に気付いて、全てを思い出したようだ。

 「はっ――! 提督! 起きてください!」

 提督の下でもぞもぞと動き、そして綾波にも気付いた。

 「綾波ちゃん! 助けに来てくれたんだ、ありがとう!」

 「はい! ご無事でよかったです!」

 「提督を起こしてあげて! もしかしたら何か、怪我しちゃってるかも……!」

 まだ重みが伸し掛かっていて身体を起こすことはできないようだ。提督を動かせるようになれば、明石も起き上がれるだろう。

 すぐに瓦礫を動かすと、明石が両手で提督の身体を持ち上げて脱出、そして彼女を寝かしたまま肩を揺さぶった。

 「提督! 提督! 起きてください!」

 呼び掛けて反応がないことを確認しても、明石は焦らなかった。脈があることを確認して、呼吸もしていることを確かめる。続いて身体を触診して異常がないかを見ていった。

 「損傷箇所は………………うん、無さそう。気を失ってるだけだと思う……」

 自分に言い聞かせるようにして、眠るように倒れたままの提督の頬を、手の甲で少し強めに叩いた。

 綾波は脇で見ていて、そんなことをしていいのかと一瞬だけ思った。

 でも、明石も明石で必死なのだと思い直す。

 「司令官! みんなはまだ海で戦っています! 司令官が居ないと、勝てなくなってしまうかもしれません!」

 「そうですよ、提督! 早く起き……て?」

 明石の目に入ったのは、バケツ一杯――といってもミニサイズ――の水を持った妖精だった。青ツナギのあの妖精は、提督の顔に中身をぶっかけた。

 

 ――

 

 「ふぁ!!」

 びっくりするほど瞬時に意識を取り戻した提督は、顔にかかった液体から何やらいい匂いがすることに気付いたが、その直後に明石と綾波を見て、工房の惨状を確認し、何度か瞬きをした。

 「……はぁ。良かった。死にかけたわ」

 何やら動悸が激しい気がするが、きっと気のせいだ。そう思う。

 「良かったぁ……! 提督、明石を守ってくれて、ありがとうございました!」

 提督の手を握って顔を見つめる明石。両の瞳は少し潤んでいて、握手の強さが信頼の強さだと言わんばかりに、強く握られていた。

 「提督が飛び込んできてくれなかったら私、寝たまま……海じゃないところで死んじゃっていたかも……」

 自分で言っていて、明石は段々と感極まってきた。今更になって安堵が押し寄せ、気づくと提督に抱きついてしまっていた。

 提督は小さく微笑み、明石の背中をそっと撫で擦りながら、彼女の重みを受け止めていた。

 綾波はまだ困惑が抜けきらなかったが、明石が思っている提督と、綾波が思っている司令官のイメージは、ずいぶんと違うものなのかもしれない……とは感付き始めていた。そして今目にしている光景は包み隠せない真実なのだから、司令官は、本当は、とっても暖かい人なのかも。

 ひとしきり泣いてしまった明石だが、ふいに……気付く。

 「……あれ……? 提督」

 「何かしら」

 「……間宮さんは……?」

 「彼女は大丈夫。間宮にも地下室があるのよ」

 「へ? 初耳です」

 明石の返答に、提督は手早く答える。少しだけ気恥ずかしそうだった。

 「あの……明石から逃げてしまった時があったわよね」

 「ぅ、あの時ですか」

 明石にも心当たりがあったものの、蚊帳の外だった綾波は首を傾げていた。

 「間宮に設備の点検を頼まれてそれで、『地下冷蔵庫』の調整も含まれていたの。ほら、間宮が扱う食材がどこに保管されているのか、疑問に思ったことはない? あれ、地面の下にあるのよ」

 指で地面を差す提督。彼女が言った通り、明石は食材がどこに保管されているかは知らなかった。なるほど、地下ならば説明がつく。

 「もし鎮守府に何かがあっても、食料だけは確保できるようにかなり頑丈に作ってあるから、間宮もそこに避難したと思うわ。もちろん基本的にはネズミ対策なのだけれど、ちゃんと攻撃にも耐えうるわ」

 「へぇぇ……。それで、提督は間宮さんよりも、私を……優先、してくれたんですか……?」

 「そう、なるわね。ええ」

 気持ちが伝わったかどうかは分からないが、ともかく提督はまだまだ絶好調のようだ。

 「間宮さんなら今、敷波を見てくれていますよ」

 綾波がそっと報告すると、明石もやっと安堵できたようだった。提督も頷いていた。

 そして明石はもう一つ気付いたことを言う。先ほど抱きついた時からずっと鼻腔をくすぐっていた匂いがあった。

 「……ところで、提督。高速修復材、被って大丈夫なんですか?」

 「これ修復材なの? 道理でなんだか……気絶から起きたばかりとは思えないくらい調子がいいのよね……」

 「妖精サイズでしたけど……それでも、その……人が被っちゃったら……どうなるのかなー……なんて、ちょっとだけ、興味が……」

 どうやら明石も少しばかり修復材の影響を受けてしまっているように思える。

 「ものすごく値の張る栄養ドリンクを沢山飲んだ後みたいよ……。夜、寝られるのかしら」

 「て、徹夜でも明石がお付き合いしますから! 大淀も一緒に、どうです?」

 「あなた二日連続徹夜しても大丈夫なの?」

 「ちょっとずつ仮眠をとるのがコツなんですよ」

 お堅いイメージだった提督像が崩れ去った綾波は、二人の間に割り込むことを決意した。

 

 ――

 

 「あの!」

 そう、まだ戦闘は継続中なのだ。綾波は、また出撃したいとさえ思っている。仲間が海で戦っているのだから。そしてまだ、敵は残っているのだ。

 「司令官! まだ戦闘継続中です! 早く指揮に戻ってください!」

 明石の顔からも和やかな雰囲気が消えた。そうして彼女はすぐに提督から離れて、立ち上がる。提督に手を貸して、別人かと思うくらい真剣な声で言った。

 「私は入渠ドックを見てきますね。戦いが終わったら、みんなが入れるように。まずは敷波ちゃんのためにも」

 明石はいくつか工具を見繕って瓦礫から探し始める。

 「お願いね。……綾波、大淀はどこに居るか把握している?」

 提督も綾波の今までのイメージ通りに戻ったが、提督の素顔を知ってしまった今、彼女への信頼度はむしろ、自分なんかの呼び掛けに応じてすぐに立ち上がってくれたこともあり、増していた。

 「大淀さんと民間人が一人、作戦司令室に入っています!」

 「そう。その人も、指揮に関しては信頼できるわ。もし今後その民間人からの指示があっても、私と同等の権限があると思って頂戴」

 「はい!」

 「良い返事ね」

 言った提督の顔は、綾波から見てもすごく安心できる、優しい人の顔だった。先ほどまで明石に見せていたような、素顔なのだ。

 これが――私の司令官。

 綾波はここに来て初めて、提督の素顔を見た。

 見た者を瞬時に安心させることができるような――そんな人柄が滲み出ているように思った。

 「今までは隠していてごめんなさい。でも、もう安心して。私の仕事は、あなたたちを守ることだから。今日ここで、それを確たるものにしてみせるわ」

 その意味の全ては分からなかったが、提督はまだまだ何か作戦を隠し持っているらしい。

 「提督! 提督の帽子、ここにありましたよ!」

 瓦礫の下から見つけた帽子を、明石は綺麗に払ってから提督に投げた。

 「ありがとう」

 髪は流麗に解けてしまっているが、その上から軍帽を深く被る。

 「あとこれも! 予定通り仲直りしたんだったら、もう隠すこともないですよね?」

 弾薬ベルトのように工具を身体に巻いた明石が持ってきたのは、大きな細長い箱だった。持ち歩けるように取っ手のついたケースだ。長さは綾波の身長くらいあるのではないかというほど。衝撃で吹き飛んだことで傷が目立ったが、明石と提督にとっては非常に重要なものであるようだ。

 「明石特製ですからね。ちゃんと使って、それで、提督の威厳を見せつけちゃってください!」

 「ええ。予定よりは大分早くなってしまったけれど、結果同じことはできそうね」

 「なんていうか、提督の敵の人たちは――すごくせっかちですよね」

 「本当にね。少しは信頼して欲しいものだわ」

 右手でケースを持った提督は、左手で髪を掻きあげた。

 また蚊帳の外だった綾波だったが、提督はその後すぐに綾波に向き直った。

 「綾波、あなたは補給を済ませてから再出撃して構わないわ。どの隊に合流するかは司令室の指示を聞いてね」

 「は、はい!」

 綾波は少しだけ恐れ多かったが、許可を得ずに発言することにした。

 「あの、司令官! その――司令官は、どこに向かうのですか?」

 何となくそう思った。先ほど綾波が出会ったばかりの民間人――提督によれば信頼できるのだから、恐らく軍人――に指揮権を渡しているかのような口ぶりだったし、明石と二人で何かを企んでいるようだった。それに、提督の敵とは一体……。

 「鋭い娘なのね。大丈夫。あなたたちを見捨てたりはしないから。今は、深海棲艦との戦いに集中して頂戴」

 「了解、しました」

 少しだけ躊躇いはしたが、きっと、大丈夫。綾波は提督を信じることにした。

 提督はその返事を聞いて頷くと、綾波の頭をふわっと撫でて、工房から立ち去った。

 あまりに唐突な行為で、綾波はしばし呆然としてしまった。

 しかし、元気を貰うことができた。綾波はこれでまた、頑張れる。




第五幕へ続く

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