女傑提督の戦績   作:Rawgami

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第三幕

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 南西諸島海域の攻略作戦を実行に移すだけとなった段階で、提督は非常に厄介な事態が起こったこと知った。

 いよいよ明日から出撃を開始して順繰りに南西方面の攻略を行うはずだったが、そう言ってはいられなくなった。

 執務室で電話を受けた提督の相手は、直属の上司である将校だった。

 『君の鎮守府内部から、匿名の告発があった』

 「……」

 『艦娘の中に、君への信用を失った者が居るようだな。鎮守府の運営は任せていたつもりだが、君はそれほど無能だったか?』

 「告発内容は、一体何なのでしょう」

 『南西諸島海域への進軍は賛成であるが、我々艦娘の意見の一切を退け、強硬的な作戦を執る提督の調査追求を要請したい、とある』

 「……そうですか」

 ……おそらく明石だ。何となくそう思う。

 『そちらが上申した計画書はこちらでも確認しているが、この予定はしばらく見送ることとなる。幸い南方が犠牲になっている間、南西諸島方面は静かだからな。一、二週間の遅れは問題ないだろう』

 「…………」

 『こちらから人を送る。君もよく知っている人物だ。明日一〇〇〇(ヒトマルマルマル)には到着する』

 「なっ!? まさか……彼女ですか――!?」

 提督の背筋に薄ら寒いものが迫り上がってくる。歯が震え、カチカチと鳴るのを必死に押さえた。

 冷静だった提督が瞬時に動揺を見せたところに追い打ちを掛けるように続けられた。

 『彼女のような“敵”ならば、君の問題をしかと報告してくれるだろうからな。それに、鎮守府に詳しい人物というのも、彼女しか居まい。会議にて推薦状も提出され、可決されたことだ。この決定は揺るがない』

 なんてことだ。ただでさえ辟易していたのに。上手くやれていたとは思っていないが、それでも、これはあんまりだ。受話器を持つ手が震えだしていた。

 『調査内容は、君の勤務態度と、艦娘たちへ直接質疑応答を行うものだ。可能な限り全員に意見を聞いて回るよう言ってあるし、君が普段どういった態度であるのかを詳らかにする。その報告書を元に我々も精査に入る。君が提督として相応しくないという結論になれば、こちらとしてもこのような手段を繰り返したくはないが、更迭せざるを得ないだろう』

 「もし、そうなってしまった場合、私の後継は誰になるのですか」

 『それはまだ議論の余地があるな。妖精の審査基準を誰よりも完璧にパスした君でさえ、艦娘たちの不信を買う羽目になったのだ。要件を洗い直す必要が出るだろう』

 理不尽だ。

 自分は――彼女たちに嫌われるために提督になったのではない。

 心が痛む。

 艦娘は兵器ではない。そう主張した意見を揉み潰したのは一体どこの誰だ。今電話口にいる貴様じゃないか――!

 「――くっ」

 『悔しいかね? 人の上に立つということがどういったことなのか、今一度考えてみたまえ』

 電話はそれで切られた。

 震える手で黒電話に受話器を置く。そのまま顔を覆った。

 涙が出そうだった。あまりの悔しさに。あまりの理不尽さに。

 艦娘たちは悪くない。自分が、提督として不甲斐なかったからだ。

 「私は――ただ命令に従っただけなのに。忠実に職務を果たしていたじゃない――!」

 そうすれば上手くいく――。

 自分のことを目の敵にしている外部の敵も諦めるだろうと思っていた。

 そうすることで得体の知れぬ敵との戦争に勝利できるとも、思っていた。

 だが違う。

 結局、自分が動かなければ何も解決などしないということだ。

 逃げ出してきた自分が、消極的な行動で何かをできると思うのが間違いだった。

 『どうして提督が、機械みたいになっちゃっているんですか?』

 その質問にはっきりと、堂々と理由を話せなかった自分が全て悪い。

 明石はあんなに心配してくれていたのに。痛いほど分かっていたのに、解消させてあげることができなかった。

 自分自身に降りかかっていた問題の解決手段として、今のような提督になることが重要だと思っていたから、こうしていたのだが――。

 ついに、この時が来てしまったか。

 提督の首には、死神の鎌が差し迫ったようなものだった。

 「…………提督? っ! どうされたんです!?」

 執務室に入ってきた大淀がすぐに気付いた。駆け寄ってきて提督の肩を支える。提督の顔を見て尋常じゃない何かを感じ取った。

 「大淀……ごめんなさい。明石のこと……やっぱり失敗したみたい……」

 「ぁ……。ということは、明石が何か……?」

 「いえ、まだ確定じゃ、ないのだけど……。そうね、明石を……すぐに呼んで貰える?」

 「分かりました。……提督、しっかりしてください。涙を拭いて……」

 「私……泣いているの……?」

 言われて気付いた。涙がこぼれ落ちていた。

 「提督、やっぱり……明石には打ち明けたほうが良かったのでしょうか」

 ハンカチで涙を拭い去りながら、大淀が問いかける。二人で話し合って決めたこととはいえ、明石に冷たくしすぎてしまったようだ。

 大淀もまだ何があったのか把握できないが、提督の様子はそれこそ異常だった。ずっと冷静に事を運んできた提督が、ここぞという時に、ついに箍が外れてしまったかのように震えていたのだから。提督にとって非常に良くないことが起こったに違いない。それは確信できた。

 「……ありがとう。もう大丈夫よ」

 涙は止めた。平常心に戻らなければ。

 解決しなければ。明石のことも、あの人のことも。全てを。

 少し間を置いて、大淀の質問に答える。

 「こういうことを防ぐために……あなただけに打ち明けたつもりだったのにね」

 「……まさか、艦娘から離反が出たのですか?」

 「そっちが重要なんじゃなくてね。……私が更迭されそうなのよ」

 最悪の場合、この世から――ということは口には出せなかった。

 艦娘は兵器であるという一貫した意見を持つ上の連中は、艦娘を失うことはもちろん避けた上で、艦娘が艦娘として、つまり命令に従って戦果を得るためだけの道具として、確実に保有したままにしておきたいのだ。

 艦娘の逃亡や離反、亡命などを起こされてしまっては溜まったものじゃない。

 いざとなれば処分されるのは艦娘ではなく、提督の側であるということ。

 だからこそ提督である自分にその権利がある刺客まで送り込んで、艦娘が道具のままで居られるようにと、提督の行動を封殺したのではないか。

 「……なるほど。一刻を争いますね」

 来る時が来てしまった。そういうことだと大淀は理解した。

 噛みしめるように考えていた大淀が、そもそも……と切り出す。

 「そもそも、どうして提督は……私に打ち明けられたのでしょうか? 艦娘たちを道具として扱うために、上の方たちは……その……提督に厳命をしたのですよね。ですが提督は、それを破って打ち明けてくださいました」

 「……救いが……欲しかったのかも知れないわ」

 提督は怯えていた。だから、大淀に甘えてしまったのかもしれない。

 「……。提督、やはりまずは、“呪い”を解くことを最優先にしましょう。大淀もお手伝いします。提督にはもっと、自由な……そして、みんなに慕われるような人であって欲しいです」

 ――だから明石を除け者にするのは、もうやめてください。

 言葉裏に、そのような意味も含めてみた。もう、二人だけではどうしようもないことになってしまった。

 そして最後には、提督自身が解決しなければならない事態だ。

 「ごめんなさい。大淀にとって、明石は大切な友達だものね――。本当に、辛い思いをさせてしまっていると……わかっているのだけれど」

 「明石だけじゃありません。艦娘全員、艦娘は皆が皆仲間で、家族です。きっと……海がそうさせてくれたんです。だから、そこにあなたもお迎えしたい。……そういう気持ちがあるんだと思いますよ」

 ――海が、そうさせてくれた。

 「それなのに私は……どんどん離れていこうとしているのよね」

 「はい。私が何とか繋ぎ止めている錨となっているんです。……でも、提督が敵の思惑通りに左遷されてしまったら、大淀には押さえきれません。無理です」

 「そうよね……。私も…………私自身、この呪いが解けたらと思う時は、もう、数えきれないくらいあったわ。あんな事がなければ、もっと素直に……こんな無愛想な提督になる必要もなかったら、一体鎮守府は、どれだけ活気の溢れた場所になっただろうって」

 無機質な鎮守府だ。色彩が無いように、提督には見えていた。

 それが――機械が見る景色だった。

 「――ねえ、大淀」

 「はい」

 「前に話した私の問題、その全てが上手く解決すると、本当に思ってくれているの?」

 「はい」

 「私の話した理想も、きっと叶うかしら」

 「はい。提督は提督として信用を獲得し、さらにご自身の呪縛も解放できると、信じています」

 「……そう。ありがとう。……明石を呼んで頂戴」

 大淀は自ら退室を選び、明石を呼びつけた。

 きっと提督はこれから、提督としての仕事よりも、自分のことを優先するようになる。

 それはつまり、艦娘から見れば、また“暴走”することになる。

 そうしてもなお全てが上手くいくかどうかは、母なる海のみぞ知ることだろう。

 しかし大淀は、揺るぎなく、信じていた。

 

 

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 「率直に聞くわ。告発したのはあなたね、明石」

 「はい? 何のことですか?」

 無知を装っているが、明石はそれができるくらい聡い娘であるということくらい、わかっているつもりだった。だから、真剣に話さなければならない。

 提督は軍帽を脱ぎ去った。机に置き、立ち上がり、上着も脱いでしまう。脱いだものは椅子に掛けていく。

 「……?」

 明石は目だけでそれを追って疑問符を浮かべる。何をするつもりか見極めようとしていた。

 正装とも言うべき――トレードマークともいうべき白の軍服を脱ぎ去った提督は、最終的に上半身はタンクトップシャツだけになった。下は脱ぐわけにもいかないため、これが精一杯だ。

 「何も言わず付いてきなさい。少し急ぐわ」

 「……はい」

 いいながら提督はすぐに歩き出し、その最中、明石の目前を通り過ぎる際には髪まで解いた。

 重巡洋艦妙高のように後ろで束ねてシニヨンにしていた髪を解くと、提督は艶のある黒髪の“女性”へと変貌する。短すぎず長すぎない、背中に掛かった髪からは少しばかり汗ばんだ匂いがした。しかし香水を使っているのか、不快ではなかった。

 明石には判断が付けられないが、きっと彼女はすごく魅力的な人なのだと思う。きっとそうだ。

 明石はなんとか足を動かしてついていくが、提督は執務室から出て左右を見、明石を促す。

 「早くしなさいと言ったはずよ」

 「……分かりました」

 軽いランニングのようなペースで廊下へ飛び出した二人は、提督の先導で本棟からも出て行った。夜の闇の中、ジリジリと鳴く虫の声が煩く、明石は提督を見失いそうになってしまう。足音を追うしかないような闇だったからだ。

 「なんで明かりがついてないんです?」

 施設を結ぶ道には外灯があるはずなのだが、どういうわけか全て消えていた。

 「故障でしょうね」

 「……」

 理由は教えてくれなさそうだった。

 しかし提督も明石の質問で暗さを見て考え直し、明石に向かって手を伸ばした。

 「行くわよ」

 「えぇっ? 提督、そんな、だって、危ないです……」

 何が危ないのかは、自分にも分からなかった。レンチは持ってきていないし。

 「握りなさい」

 「……はい」

 逆らえるような声色じゃなかった。提督はきっと、怒っている。このまま工廠裏にでも連れて行かれて……夜な夜な、目撃者も居ない中……解体されるに違いない……。

 提督の手を握った明石は急に引っ張られた。何とかもつれそうになる足を奮い立たせて、提督とともに夜闇を駆けた。

 提督はもはや感覚で進んでいるようだった。大分、通い慣れているらしい。

 「……あの日の夜も、大淀とこうしたわ」

 「へ……? 大淀と?」

 「いい? 明石。……私は……精一杯努力しているつもりよ。これから、それを説明できる場所に行くわ」

 「どこなんです? それに、説明できる場所って?」

 「……今はとにかく、見つからないように」

 それ以降提督は口を開かなかった。時には草むらの影に隠れ、建物の壁に背中を付けたままカニ歩きをさせられ、土の壁を垂直に登らされ、そして……フェンスを抜けた。

 まるで……何かを避けていたかのように。

 フェンスを潜って草むらの中で身を屈めたまま止まる。車のエンジンらしき音が二つ通過すると、提督はすぐに明石の身体を引っ張りあげるようにして立ち上がらせた。

 「うぇ……はぇ!?」

 少し苦しくて声を上げた直後、目に入ってきた光景は……“未来”だった。

 いや違う、“現代”だ。

 数えきれない星空のような街の灯と、想像もできないような高さの建造物が建ち並んでいる。何もかもが、自分の知っている光景とはかけ離れている。海の記憶と艦娘たちが呼ぶ知識さえも遠く及ばない全てが、この光景に集められている気がする。

 「これって…………私たちには見せちゃいけないやつじゃ……」

 何となく察していたものの、提督と大本営は、艦娘と現代の接触を拒むような趣があった。鎮守府の中に人間が居ないことも、現代的なものがほとんど排斥されていることも、また満足な説明が受けられないこともそれに帰結していたように思う。

 提督はもしかして、鎮守府を脱走したのか――。

 「まだ終わりじゃないわ。道を渡って」

 アスファルトの上を駆けて道を渡る。すぐそこに、煌々と明かりを放っている四角い金属の箱がある。赤と青の対称的な箱二つ、ガラスの壁の向こうには、缶詰のようなものが並べられていた。

 道は左右に続いている。片方はカーブだったが、もう一方はずっと向こうまで続いているように思う。先ほど目に入った街へと繋がっているのだ。

 提督に手を引かれながら路地に入る。そのまま細い道を進んで別の道に出たかと思えば、また路地に入る。そして走り続け、提督の息も上がった頃。

 ようやく提督は止まり、明石の手も開放された。

 「はぁ……はぁ……ふぅ……」

 息を整える。明石も少しばかり疲れていた。

 「ここなら安全」

 提督が止まったのは、どこかの高架下だった。申し訳程度の外灯に照らされている。十メートルほどのコンクリートの壁上に線路が引かれていて、暗がりのトンネルの中で立ち止まったのだ。鎮守府から数百メートルといったところだろうか。こんなひと目のないトンネルに、一体何の用なのだろう。

 「……一体、何なんですか? ……こんなに遠くまで」

 「いつもはもっと余裕があるのだけれど。今日は……いえ、今は、もう一刻も争っていられないから」

 提督の表情が違うことに気付いた。いつもの仮面ではない。提督は今……提督ではないのか。

 瞳に力が宿っていて、活き活きとしていて、“人間らしい”。

 「いい、明石。正直に答えて頂戴。お願い」

 『お願い』。そんな言葉遣い、自分たち艦娘に向かって使う人ではなかったはず。いつもいつも、命令口調だったはずなのに。

 「――私のことを不信任で告発したのは、あなたよね」

 もう一度だった。今度ばかりは、明石も逃げなかった。

 「はい」

 『釈明することはあるか』そう聞かれると思って覚悟を決めていた。だが。

 「そう。分かったわ」

 提督は簡単に流してしまう。明石は信じられないものを目にしている気分になった。

 提督は何か考えながら話すように口元に手をあてがったまま、数歩後ずさる。

 「今からじゃ取り返しもつかないことだけれど、修正することは可能なはず。明日の午前十時に、外から一人の人間が鎮守府を訪ねてくることになっているわ。その人は――結果的に、私の敵というべき人よ。理由は、私に地位を奪われたと思っているから」

 「……えっと、それって……提督の立場ってことですか?」

 「そうよ。私に前任者が居たことは知ってる?」

 「前の提督ってことですか? それは……初耳です。知りませんでした。そもそも、今私の前にいるあなたが初めての提督で――……違ったんですね」

 察することができた。

 その前任者は、後から出てきた今の彼女に、提督という役職を掠め取られたと思っている。つまり、彼女のほうが適正だと判断され、急遽すげ替えられてしまったということだろうか。

 「執務室に届いていたダンボール箱の内、二つはその前任者の荷物だった。私の私物はケースに入れて持ち込んでいたから。でも、最後の小さな一つだけは、私が選んだ初期艦の鉄片だったのよ。私は手早く二つの箱を片付けて彼女に……前任者に送り返しはしたけれど。彼女は……本当に、直前まで提督になる予定だったから、怒り心頭ってだけでは済まないくらい……激怒していてね。むしろ当てつけにも思われたらしくて」

 明石は自然と聞き入ってしまっていた。提督自身が語る真実が、予想外の奥深さを持っていたからだろうか。

 「何故、どうして私が、彼女に代わって選ばれたのか……分からなかったわ。妖精が決めたとは聞いていたけど、どうして私だったのか」

 溜息とともに首を振る提督。すぐに気持ちを切り替えて顔を上げると、今度はトンネルの壁にある『定礎』のパネルの前に屈みこんだ。ポケットからペーパーナイフを一本取り出して隙間に突き刺すと、テコの原理で石版を取り外してしまう。

 その中を覗きこんだ明石は、さらに息を呑んだ。

 「……私宛に届いた彼女の嫌がらせの証拠と、現在の鎮守府が彼女の……非正規の監視を受けていることの証拠もある。そして私自身が受けた彼女の拷問に対する告発状も」

 「ご、拷問!? 提督、なんの話ですか、一体……」

 「そう言うと強すぎるわね。だから大淀にも“厳命された”と言ってあるくらい。……その、彼女は非番の私を一時的に監禁して……それで、まあ、色々あって」

 「嘘ですよ……そんな、提督、だってそんなの、ただの犯罪じゃないですか! なんで憲兵隊に報告しないんです!?」

 「今は警察ね。その警察も、ちゃんとした証拠がないと動けないし、何より内部の問題だから、打ち勝つには相応の覚悟と確実性が必要だったのよ。だから私は、大本営にとって優秀な提督を演じて、機を伺っていたというわけ」

 何よりの問題は、彼女に味方している将校が居ることだ。提督の存在と艦娘という戦力をよく思っていないが故に、彼女と利害が一致した人物。

 「大本営の中にも敵が……」

 明石は前髪をかきあげて、熱っぽくなった額を冷やそうとした。

 「……そうなるわね。だけど、私は……いえ、提督は戦争に勝利を齎さなければならない。その責務がありながらこうして余計な敵との戦いに邪魔されるわけにはいかなかった。深海棲艦を撃滅する傍らで、あなたたち艦娘には関係のない、人間同士のいざこざなんて持ち込むわけにはいかなかったのよ。……だから最初は、私だけで片付けようと思っていたの」

 「でも、大淀に助けを求めたんですね?」

 「そうとも言えるわ。でも、何よりの理由は、大淀が真剣だったから。私の中にある問題を見抜いて、問い詰めてくれたから。彼女なら頼りになるし、味方をしてくれる。そう思えたのよ」

 「提督、私はぁ? 私じゃ力不足だって思ったってことですか?」

 途端に拗ねるように口を尖らせる明石。提督はその質問の答えを持ち合わせていなかった。

 「……大淀を巻き込む時に、明石にも話しておけばよかったと……今は後悔しているわ」

 明石の口から吐息が漏れた。疑念は晴れた。

 「私、先走っちゃったなあ……。提督の正体を暴こうって意気込んで……」

 「私の素性が知りたいの?」

 私の? と再度確認のように繰り返した提督。

 「だって提督は……私たちのこと放ったらかしだったじゃないですか!」

 「だから仕返しに?」

 「そうじゃなくって……んぁー、なんていうか、はっきりとは分からないんですけどぉ……」

 歯切れの悪い明石に代わって、安心させるように言った。

 「私はただの一兵士だったわ。防衛大学で勉学に励んで、相応に野心も持っていたけれど。でも提督の任に就けっていう辞令が下って、私の人生は一変することになった。それまでのキャリアとか……ああ、経歴とか実績みたいなものは一旦白紙にされて、全く新しいけれどもその実態は不思議としか言えない“提督”を任せられた」

 「提督って……あの、実のところ階級は……」

 「さあ。少佐ってところかしら」

 腕を広げてあっけらかんととぼける提督。

 「提督に階級は関係無いらしいの。提督は提督という役職で、そういう存在なんだと聞いているわ。妖精たちや艦娘が、安心して命を預けられる存在――ということ」

 だけど。

 「私は、その安心を集められなかった。私の選択間違いで、明石や他の娘たちが悩むことじゃない。ごめんなさい。辛い思いをさせてしまったわね」

 肩を落としてしまう提督。真実を自ら明かした提督の前で、明石は、ふと思い出す。まだまだ確認していないことがある。

 「……じゃあ、提督、謝りついでにいいですか?」

 「ええ、いいわよ。何でも聞いて」

 「初出撃の時――提督は何をしようとしていたんです?」

 顎に指先を当てて、少し整理をしたようだった。

 「まず、色々と前知識を教える必要があるわね。私はあの日、陸自……陸軍にも伝手があったから、少しだけ実験をしたのよ」

 陸の人間と繋がりのある提督……。それは提督の立場になってから得たものなのか、自前のものなのかは分からなかった。

 「深海棲艦が陸を攻められずにいるのは、陸軍の武器や装備に対抗できていないから。実際のところ深海棲艦へダメージを与えるには、物理エネルギーを用いた武器を使わなくてはいけないの。これは知っているわよね」

 「はい」

 つまり、砲弾や銃弾を撃ち出して、相応の衝撃を与える兵器でなければならない。化学反応で爆発するような兵器も着弾すれば爆発の威力で損害を与えられるが、そもそもの誘導技術が無効になってしまう。だからこそ命中率を犠牲にしてでも砲弾や銃弾が有効と言えるのだった。

 そして最も有効だと判断されたのが、大戦時の主兵装だった『大砲』なのである。

 陸の上では戦車の砲台、カノン砲などそのほとんどが深海棲艦にとって効果的だった。

 そして海の上に限って言えば、軍艦に積まれた砲塔であった。

 敵は海から来る。海の上で戦うのは船だが、小型で且つ強力な深海棲艦の前では、通常の船舶はただの的であり、反抗するまもなく撃沈させられてしまう。

 深海棲艦と同じ土俵で戦うことができる船が必要だった。そして、彼らに確実にダメージを与えられるだけの装備を備えた船が。

 「その技術を研究し始めたところ、人類は妖精と出会い、その結果あなたたち艦娘の発見に繋がった。妖精が小型化した軍艦の設備を艤装と呼んで、艦娘が装備する兵器となった。これによって、海の上で、深海棲艦と同じサイズ同じ土俵で戦い、敵を圧倒できる武器が完成したということ。……海軍の上層部は、それを決戦兵器だと考えて、深海棲艦を効率的に屠ることを考えているの。それが、『艦娘は兵器』だと」

 だから。

 「陸の武器を海に持ち込んで、それで戦えるかどうかを確かめたの。結果は上々だった。……けれど、鎮守府を不法に監視している誰かさんの存在に気付いた私は、あの日、あの時のタイミング以降、自由な行動を制限せざるを得なかった」

 「詳しく、教えてください」

 「あの日の午後、初出撃の直前になって初めて、私は提督として大本営に打電した。大淀に伝えさせてね。『これから鎮守府を稼働させる』と」

 「えっと、つまり、初期艦を建造する、っていうのと同じ意味ですか?」

 「そうよ。文章は同じでも、認識が違う。そこにズレがあるから、空白の時間を作ることができたの。実際の鎮守府の稼働開始日時は、その日の前日。私とあなたたち二人が会ったあの日ね。大本営からは『事前に見学でもしておきなさい』って言われていた時間だったのよ。大本営が想定しているよりも早く鎮守府を動かした私は、初出撃の時を鎮守府の稼働開始時刻だと偽った。大本営は同時に、『提督が着任したタイミング』だと思っていたでしょうね」

 「それで……?」

 「私の前任者はあくどい人でね、大本営と共に鎮守府の中を監視しようとしていたのよ。それで、映写機を使って大本営に映像を送ることを要求してきた。だから私は徹夜しながら、建造ドックの妖精さんたちに許可を得て映写機を設置したの。それで次の日の午後、彼らとの約束の時間に建造を開始して、あのカーテンに映る影の映像を送ったまま、出撃した」

 建造ドックで建造中の船は、シルエットしか分からない。ただの映像としても退屈であるし、あの大音量を聞き続けるのはただただ苦痛になる。

 「これがあなた方の望んだ映像ですよって、こちらは『建造の様子を見るのは初めてだから、私よりも詳しい方々に、何も異変や異常は無いか、一部始終の確認をお願い』したの。だから向こうは律儀にも建造過程を見続けたのでしょうね。私の前任者も同席したまま。さらに大音量過ぎて人の声なんて届かないから、私はあとで『何も聞こえませんでした』ととぼけることもできた」

 提督は指を立てて得意気に語る。

 「その間に海に出て、人間でも海上で戦えることを証明した私は、ある程度確信を持って戻ってきた。だけどその後すぐ、私の反撃に気付いた前任者が、独断で鎮守府に監視網を引いてしまったの。間宮が来た時、鎮守府には外部から様々な物資が届けられたわね? あの時のどさくさでやられてしまったわ。それ以来、私は監視網を抜ける方法を模索するのに精一杯で、私の作戦はまた封じ込められてしまったと思った。実際、まともに動ける状態じゃなくなってしまったから、事実上、檻の中で飼われているようなものよ。今もね」

 「その人……」

 明石は、あまりの理不尽さにどうにかなりそうだった。

 「提督にひどいことをして……私たち艦娘の扱いも、道具としてしか見ていないその人……どうにかできないんですか」

 「……」

 提督は鼻から漏らした溜息で応え、両手を腰に据えた。お手上げなのだろう。

 「私は、当初から『艦娘は兵器である』という意見に反対だったわ。それは逆説的に『人間も兵器である』ということを証明できれば、覆せると思ったの」

 提督が語る、計画。それは明石にとって、いや、全艦娘にとって救いとなるものだった。

 「だから海で戦った。私自身が。そして、駆逐艦一隻とはいえ撃破した。『艦娘にしかできない』じゃない。『艦娘にしかできないことをやらせるから兵器でなければならない』と言っている連中に、『人間も戦えるのだから、艦娘だけの役目じゃない』と叩きつけてやりたかった! そうすれば、そんな意見は消えてなくなるはずだから」

 証明したまではいい。だがその後提督が出撃することは避けねばならなかったし、実際していない。人間も海で戦える。その事実を胸に秘めていることが今のところは重要だった。

 「提督……」

 提督の熱い気持ちがこもった言葉を聞いていた明石は、心が暖かくなっていることに気付いた。

 正直、自分たちでも分からない。艦娘は兵器なのか、人間なのか。

 しかし曖昧すぎて……逆に言えば、よく撹拌されてしまっている。どちらと呼んでも構わない……そんな気がするのだ。

 クモを虫だと言うか動物だと言うか、はっきりしないように。

 もちろん知識を持っている人から見れば、はっきりとした分類が可能な事実ではある。

 しかし、どちらでもいい、という曖昧な問題であることも確かだ。

 気味が悪い小さな生き物のことをひとまとめに虫という人も居るだろう。だとすればクモは虫である。かと言って、虫ではないから動物……というのも成り立たない話ではないように思う。

 艦娘が兵器であるか人間であるのか――。それは、見る人によって違う。

 自分たちでもはっきりとは言い切れない。でもすごく人間らしいと思うことだって沢山あるし、人間にはできないことをやっているから兵器である――と言えなくもない。

 だから――どちらでもいい。

 「提督は――いいえ、あなたは、艦娘は兵器だと、そう思ってはいないんですよね?」

 先ほど提督が言っていたばかりのことを、確認のためにもう一度、改めた。

 「ええ、もちろん」

 堂々と、そして一考の余地すらなく、提督は即答した。

 「……あなたたちが人間とは違う生まれ方をするのは事実。だけれど……人間って、知性や感情があるからそういう分類をしたんだと思うわ。猿から進化して、生物を事細かに分類していくうちに、自分たちが人間であると自覚した。いつの間にかそういう誇りを持って、進化を続けている。でも、人間だという自覚なんて無くても、昔からヒトはヒトだった。そういう生物だった」

 「……と、いうことは……艦娘は……」

 「艦娘よ」

 「!」

 明石の心が、色づいた。

 ――あぁ、ダメだ。大淀と同じで、泣いてしまいそうだ。

 「ぃ、今のと――同じことを……大淀にも……?」

 「ええ」

 ヒトが猿から引き継いだ多くのことを残しながらも、ヒトとしての独自の要素も多く持っているように。

 艦娘は人に作られて生まれ、人から多くを引き継いで存在している。だから、艦娘としての独自の要素も、これからどんどん生まれてくるはず。

 提督は艦娘を、心から許容していたのだった。

 「そりゃあ……提督が…………選ばれるわけですよ……! 提督は……あなたしか考えられない!」

 「ありがとう。そう言って貰えて、すごく嬉しいわ」

 提督も頷き返す。しかしその微笑みは、やはり悲しげだった。

 「それで……その、提督は、どうやってこの状況を……打破するつもりなんです?」

 「やることは山積みなのよ」

 提督は総括に入った。

 もし提督の考えが上手く行けば、提督は提督としての信用を絶対的なものにし、もはや大本営も容易には口出しできなくなることだろう。

 そのための、計画。

 「私は、艦娘たちが艦娘として生きていけるようにするために、あの初出撃の実験で結果を持ち帰った。人間である私が戦果を上げることで大本営の意識を変える。そして鎮守府の運営に彼らの意志が介在しないようにする。そうすれば艦娘はより自由な、開かれた世界を見ることができるようになるから」

 艦娘は艦娘である。その認識を絶対のものにする。

 「ここまで来てしまったら、この証拠がある限り私の前任者は……大した問題ではないのよ。あまり。あくまでも『人間が戦える』ということを完全に証明できればいいの。そうすれば大本営も、彼女じゃなく私の味方になるはずだから」

 「そんな。その人に制裁しないと、私の気が済まないです!」

 「ダメ。あれでも同僚だもの」

 「提督の……同僚? それでも、やられたことはみんな、ひどいことですよ!?」

 「そうね。でも、私は別に恨んでいないもの。まあ、事実は事実として……こうやって証拠を集めてはみたけれど。これを明るみにするかどうかは、彼女に任せようと思うわ」

 「絶対処分しちゃいますって! 私が大本営に送ってみます! そうすれば提督じゃなくて“匿名の誰か”が恨みを――」

 「ダメ。許可しないわ」

 言いながら『定礎』を元に戻してしまう。かなりの早業だった。

 「だって、提督も言ってたじゃないですか、“拷問”ですよ? それって――」

 許しがたい暴挙? 度し難い暴力だろうか。

 「それで、提督が理不尽に攻撃されているですよね!? なんで恨まないなんてことができるんですか!」

 提督はふいに、両腕を広げた。タンクトップの上半身を見せつけるように。

 「……どう?」

 「どうって……?」

 「拷問を受けた人の身体かしら?」

 「……いや、分からない……です」

 目立った傷はないし、とても健康的な身体に見える。修理箇所は無さそうだ。

 「ちょっとした言葉の綾だったのよ」

 「でも、提督は――」

 「ええ。人間らしさを奪われているといえるわね」

 「それはつまり、その人がしたことが原因なんじゃ……」

 「ある意味ね」

 提督はさらなる真実を述べる。

 「確かに……怖いわ。でも、その恐怖さえも、私は受け止めるべきだと思った」

 「……はいぃ?」

 「だから……私は確かに殴られたし、脅されたわ。でもその時、このままこの人を敵にしておいたほうが、後々助かるかもしれない……そう思ったのよ。私が狙われ続ける代わりに、いいこともあるって」

 「意味が全く分からないんですけど……」

 「いい? 私が今でも鎮守府の中で寡黙を演じているのは、あの人の監視網があるからなのよ。あの人の望む私を見せておけば、それであちらは納得してくれるから。つまり、こっちに文句を言ってこないということ。『こうやって監視を続けていれば、いずれボロを出してくれるに違いない』と思っているはず。静かにしていてくれるイコール、鎮守府に邪魔が入らない。私個人にとっては脅威だけれど、艦娘たちにとっては助かると思った」

 「え……? でもそれ、後々助かるかもしれないって、提督が鎮守府に来るよりもずっと、前のことなんですよね?」

 「艦娘ってどんな娘たちなんだろう……そうやって想像を膨らませていたこと……笑う?」

 「あ、いえ! なるほど、そういうことなんですね」

 提督は鎮守府に着任する遥か前から、『艦娘にとって良いこと』を見極めようとしていた。

 着任すると決まった瞬間から、この提督は、自分の身に何が起ころうとも、何もかもを艦娘のためにと捧げていたのだ。

 「でも、着任初日から、提督は冷たかったじゃないですか」

 「じゃあ、もしあの時から私と明石、大淀が仲良しこよししていたとして。それであの人が鎮守府に監視を敷いた後、私が急変したらどうなっていたと思う?」

 「大淀は分かりませんけど、私は文句言っちゃうと思います……」

 「そうよね。だから最初は、距離を取るしかなかったの。それでいつか大本営の意識改革を実現することができたら、あの人の件も解決になると思っていたし、艦娘たちとは心置きなく接することもできる。……長くなってしまったけど、これが全てよ。大淀に話したことよりも詳しいかもしれないわ」

 『提督は優しい人』。それを明石も完全に理解した。もう疑う余地はない。

 彼女は完璧な提督だった。艦娘たちにとっても、人類にとっても。

 両者の間に立ち、事態を見極め、解決のための道標を示そうとしている。

 互いのストッパーとなりながら、いつかその堰を緩和できるような未来を手に入れようとしているのだ。

 「鎮守府に戻ったら、あなたはここに来る前のあなたで居なさい。提督に不信感を持って、告発したことを隠している明石に。できる?」

 「待って! 提督、まだ聞いてないです。過去の話は理解しました。だから、これからの話を――」

 「ごめんなさい。時間が押しているの。鎮守府に私が居ない時間は、夜間鍛錬の時間だけだから。ここに立ち寄るためにわざわざ作った名目だけど、もう三十分を超えてしまった。これ以上消えていると怪しまれるわ」

 「じゃあ帰りながらでいいですから!」

 明石はここまで来た道を歩き出した。提督もすぐに後を追う。

 「帰りながらでも間に合わないわ。今後のことを全て話す時間はないの。私は明日に備えないと……。明日から私を更迭するための審査が入ってしまうから……まずこれをどうやって躱すか……」

 「提督、実は私、駆逐艦の娘たちと協力して、提督がどんな人なのか、暴き出そうとしていたんです。だから、提督を告発したら調査員が来るはずで、それで、その人から情報を得ようと考えてました。実際、駆逐の娘たちはしっかりと作戦を実行しようとしてます」

 「駆逐艦もグルなのね……」

 「つまり……ちょっとだけ作戦の変更を伝えさえすれば、提督の前任者が鎮守府に入り次第、こっちで捕まえられますよ!」

 「……なるほど」

 提督は立ち止まった。明石も気付いて止まる。

 「ふむ………………」

 長考だった。トンネルの中で語られた真実の濃密さからして、この提督は極めて聡明であることがもはや明白だったが、その頭脳が今、新たな計画を練っていた。

 しばしの間待つことになった。夜の街は静かだ。家々も明かりがついていても騒がしくなく、この国の人々が実際に暮らしている光景を間近で見られた。住宅の形はのっぺりとしていて見慣れないが、それでも家であることに違いはない。温かみのある町並みは、いつの時代でも変わらないのだと思う。

 そして――人の温かさも、決して変わらないのだろう。

 目の前の提督が、まるで静かなる太陽のような人であったように。

 「……明石」

 「何ですか?」

 目を合わせる。お互いすれ違ってしまったが、今ではもう、錯綜することはないだろう。

 「駆逐艦の娘たちが張り切っているところ悪いけれど。その、捕まえるっていうのは無しにしてくれていいわ。その必要はないもの。でもその代わり、明石、無茶なお願いを一つ――聞いてもらえる?」

 自然と、勝ち気な笑みが生まれた。

 「明石の出番ですね?」

 提督も微笑み返すと、すぐに明石の肩を押して進みだす。

 「お礼に、自販機で好きな飲物買ってあげるわ」

 「自販機、って何でしたっけ?」

 記憶の片隅にはあるような気もするのだが、はっきりと思い出せなかった。

 「自動販売機。……あれよ」

 指さした先には街灯があって、その明かりの下に、あの箱があった。ここに来る時に見かけた赤と青の二つの箱ではなくシンプルに白の筐体に英語の書かれた箱だったが、それでも同じような大きさで、やはり明かりを煌々と放っている。缶詰の下に金額が――。

 「って、えぇええええっ!? 百三十円もするんですか!?」

 明石の顔が一瞬で真っ青になり、首をブルブル振って拒否し始めた。

 「無理無理無理! 無理です! そんなすごい仕事やれって言われても明石には荷が重すぎますって!!」

 「えっと…………あ、そうだったわ。艦娘にとっては大金なのね」

 うっかり忘れてしまっていた。というより、現在の貨幣価値は“海の記憶”には含まれていないらしい。

 「大丈夫。百三十円は……そんなに大した額じゃないのよ。現代では」

 「ど、どれくらい……なんです?」

 「そうねえ……一日の食費分くらい?」

 「やっぱり高いじゃないですか!」

 「ふふ、嘘よ。一食に一つ買っても割に合うくらいの値段。だから、好きなもの何本でも。どんなのが好き?」

 「提督の、お仕事次第ですね。徹夜作業なら、コーヒーがいいです」

 「そう。じゃあオススメがあるわ」

 二人で一本ずつ手にとって缶を開ける。明石は提督に見よう見まねでちゃんと缶を振ってからプルタブを引っ張って開けた。

 「きっと上手くいくと願っているわ。乾杯」

 「はい。お任せください。きっとこの明石、役目を果たしてみせますから」

 缶が心地よい音を立て、満月の夜に響いた。

 「なにこれおいしい! えっ!? ……えっ?」

 あまりの衝撃に理性が全部吹き飛んでしまった。砂糖の甘味がふんだんにあるだけでなく、コーヒーの香り高さが無限のように感じられる。すごく贅沢な味だと思った。

 「はぁぁぁぁ…………♪」

 幸せだった。とにかく、幸福を感じた。

 「提督、このコーヒーがあれば私……二十四時間でも四十八時間でも頑張れそう……!」

 「他のも試してみる?」

 よく見ると自販機には十種類以上のコーヒーが並んでいるではないか。

 目移りどころではない。まるで――黄金の山に見えた。

 「全部飲んでみたいです!」

 「いいわ。それくらいのことを頼むつもりだから」

 「わぁあ♪ 提督、自販機、鎮守府に欲しいですねえ!」

 「全部解決したら、明石のために導入するわ。約束よ」

 「やったぁ! 大淀にも一本あげよーっと」

 次々に出てくる缶を抱える明石の笑顔は、とびきりのものだった。

 提督は、艦娘たちのこんな顔をずっと、見たかったのだ。




第四幕へ続く

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