女傑提督の戦績   作:Rawgami

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第二幕

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 鎮守府の運用が開始され、提督は上層部から次々に送られてくる指令書の束に囲まれるようになっていった。大淀や提督は『任務』と単純に呼び、大本営のお望み通りの働きを艦娘にさせるよう動き出した。

 鎮守府の稼働時メンバーは明石と大淀を含めて十四人。数日後には給糧艦間宮が着任することとなった。その間にも提督は戦力を増やし続けており、艦娘の数も着々と増えていった。出撃させて敵を撃退し、その海域に漂っていた船の残骸を回収できたときは持ち帰る。それを素材にして建造された艦娘が仲間に加わる。そのようなサイクルができつつあった。

 駆逐艦、軽巡洋艦を中心に大幅な拡充をしていた鎮守府は賑やかになったし、艦娘同士の交流が盛んになったことで、徐々に提督という存在が艦娘たちにとって遠い存在となることは必然であった。

 学校でいうところの校長や理事長などといった存在へとなっていた提督について、いつのまにやら、このような噂が立つようになる。

 『私たちの提督は、初陣で訓練と偽って危険海域へと出撃させ、自身の手で敵を撃退した。それも見たことのない噴進砲にも見える兵器を使っていた。提督は非常に好戦的で、いざとなれば戦場を荒らしまわるようになるかもしれないような怖くて危ない人』だと。

 その噂の源流は、事実を知っている如月と磯波だけであった。大淀ならば真実を知っているかも知れないとされているが、艦娘の間に広がるこの噂に対し、真実が公表されることはなかった。

 そもそも噂が浸透するようなこともなかった。あくまで、そういう見方もできるという程度。誰が広めたかもわからない、根も葉もない暴言である――と。

 提督と大淀は互いを信頼し合っている様子であることは誰の目にも明らかだったが、『何故提督が静かなのか』を説明できる艦娘は、存在し得なかったのである。

 そのような好戦的な人ならば、今だって艦娘の出撃に立ち会って、その兵器を乱射していてもおかしくない。だが、提督はそんなこと、今では一切しない。新入りの艦娘と顔合わせはするし、任務の説明時や艦娘の編成時、招集時には当然顔を出して声も発するが、基本的に提督は、あくまでも『司令塔』なのであった。

 駆逐艦長月によれば『仕事はできるようだが、頼れる人かと問われると分からないな』であり、軽巡洋艦大井によれば『あの人は事務的すぎます。私たちのことを何だと思っているのかしら』である。

 そう、好戦的だという提督は、新しく入ってきた艦娘にとっては、存在しないのである。

 だからこそ噂が少しだけ広まった際には、その時鎮守府に配属していた十四人に注意が向いたわけであるが、あの時一緒に出撃していた十二人は提督の行動を不可解だとは思いつつも、結果的に敵の駆逐艦を撃滅したことは確かだと言う。

 磯波と如月だけははっきりとその兵器を目にしていたし、最終的に敵に致命的な損害を与えたものがどうやら迫撃砲らしいということまでは答えることができた。しかし真相は、提督と大淀の中だけであるらしい。

 

 提督は着任初日から徹夜をして、夜な夜な水雷戦隊編成のための人数を揃えた。そしてその間に、鎮守府に設置されている防衛用の電探に細工をしていた。一部部品固定を緩め、アンテナの角度を曲げることで不具合を生み出していた。さらに実際の兵装に細工をし、演習用の装備であると偽っていた。そのまま十二人の艦娘と大淀、そして提督本人が海へ出た。

 提督は急遽進路を変更し、演習海域から出て進撃をしていた。電探の防衛網にできた穴へと向かったのだ。明石が電探を修理した直後に、提督の不可解な行動が次々に起こり始める。

 磯波によれば『言い争っている様子だった』大淀の意見具申を退け、充分な説明をしないまま武器を用意した。全艦に停止させ、その地点から二本の武器による攻撃を実施。友軍の射程外であったため、攻撃できたのは提督が持ち込んでいた武器のみだったことは明らかだろう。

 直後に全艦に単縦陣を組むよう発令し、最大船速で敵に接近した。夜戦時並みの至近距離での撃ち合いになるところだったが、敵は反転して横っ腹を見せていた。そこで提督の迫撃砲が、イ級に着弾したという。トドメに全艦一斉射を命じ、その後撤退している。

 港に帰投した際の大淀は意気消沈、茫然自失といった様子だった。かなり心配したし、提督に何かされたのではないかと本気で尋ねた。だが、大淀は『提督に真実を聞かねばなりません』と呟いて、執務室へ向かった。

 翌朝の大淀は目元を腫らしていて、『少し、半日だけの休暇を頂きました』と謝罪していた。しかし、休暇といいながら大淀は思いつめた顔で鎮守府内を歩きまわっていたし、それどころか、一番忙しなかったようにも感じた。日が暮れてからの大淀の行動は知らない。

 当然、疎外感を覚えた。

 あの日、皆が知らない大淀を目撃していた明石の中には、一層強く疑問が浮かび上がる。

 一体あの時、提督は何がしたかったのだろうか。

 そして何故、それ以降提督は“なり”を潜めたのだろう。

 ただ静かに――業務を義務的に行っているのだろうか。

 大淀は確実に真実を知っているだろう。

 鎮守府の未来を託す提督が、皆に心からは信頼されていない現状。おそらく二人がそうした。

 ずっと大淀と二人だった明石は、寂しさを感じざるを得なかった。

 

 

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 明石は、大淀に直接聞いてみるのが一番だと思った。鎮守府の執務室正面にある階段を降りた二階で、彼女が出てくるのを待つ。大淀は朝一番の任務確認を提督と打ち合わせて、順番に指令を出して片付けていく。打ち合わせが終わり次第一旦部屋を出て朝食を取るか、見回りながら任務の通達を済ませるのが日課だった。

 我ながら大淀の行動を把握しすぎてちょっとだけ気持ち悪いが、どれもこれも大淀が黙っているのが悪い。そういうことにしておきたい。

 大丈夫。そう言い聞かせながら、明石は待った。

 「明石さん、おはようございますなのです」

 「電ちゃん。おはよう」

 駆逐艦電は、暁型四姉妹の一人だ。第六駆逐隊を構成していたことで有名であり、この鎮守府でも四人が揃って仲良く駆けまわっているのを見かける。明石の工房も探検遊びで発掘されてしまい、それ以来少しばかり懐かれたようだった。

 「朝、早いね。こんなに早起きしてたの?」

 「あの……電は、その、牛乳を貰いに行くのです……」

 恥ずかしそうに頬を赤くして俯いてしまう電。なるほど、これは彼女にとって内緒にしたかったことらしい。

 「そうなんだ。じゃあ……大淀に見つからないようにね。もしかしたら『規律違反です』って言われちゃうかも」

 眼鏡をくいっと上げる真似も付けておどける。牛乳程度で大淀はそんなこと言わないだろうが、明石は当の大淀を待ち構えて詰問しようとしている身。早いところ追い払いたかったのかもしれない。

 「気をつけるのです。……あの……その、明石さんは、何をしているのですか?」

 「私は……ちょっと大淀に用があってね。朝は大体、執務室から降りてここを通るから……それで」

 ごまかしきれないかぁ、と自分で喋りながら落胆していた。

 そんな明石の微妙な表情の機微を察知した電は、優しい性格そのままに明石のことを見上げた。

 「あの……もしかして、その……明石さんと大淀さんは、喧嘩中……なのです?」

 「へ? どうしてそう思うの?」

 「はわわ……あの、なんでもないのです! ただ、ちょっとだけ、明石さんが、不安そうだったから……なのです……」

 「私、不安そうに見えてる? ……あちゃー……じゃあ、大淀にもバレちゃうなあ……」

 痒くもない頭を掻いて、バツが悪そうにする。実際明石は、居心地の悪さを感じていた。

 親友である大淀を、理不尽に問い詰めようとしている。心が痛まないわけがなかった。

 「あ、あの!」

 「うん?」

 電はそんな明石のことをどうしても放っておけず、言った。

 「い、電もよく、雷ちゃんと喧嘩をしちゃうのです。でも……いつの間にか仲直りもしているのです……。だからその、ちゃんと、いつも通りの仲良しさんで居られれば、絶対に仲直りできるのです」

 「……うん。そうだね。でも、別に喧嘩してるわけじゃないんだ。ただちょっと……気になることがあるから、それを聞こうとしてるだけ。ありがとう電ちゃん。……さ、早く行かないと、牛乳こっそり飲めなくなっちゃうよ」

 囁くように言って背中を押す。電は一礼して小走りに駆けていった。

 そういえば電は寮から出てきたわけではないようだった。てっきり姉妹四人揃って寮で寝ているものだと思っていたが。鎮守府本棟には座学の時間にやってくることがあるが、それ以外で駆逐艦がここに立ち入ることはそれほど無いだろう。

 ……もしかすると、四人で探検に出たまま適当な空き部屋で寝泊まりしたんじゃないだろうか。

 すごく微笑ましいが、規律にうるさい艦娘に見つかると怖い目に遭いそうだなぁ、と勝手な心配をしていた。

 「……明石? どうしたの、こんなところで」

 階段の踊場を見上げた。そこには、大淀が紙束を抱えて立っていた。明石が居たことに心底驚いているようだった。不思議がりながらも階段をそっと降りてくると、立ち止まってくれた。

 「何か用? 新装備のアイデアなら、ちゃんと妖精さんと話し合って形にしてからお願いね?」

 仕事モードの大淀だ。でも、明石は電に元気づけられて緊張がほぐれていた。

 「違うの。ねえ大淀、聞きたいことがあるんだけど……すごく、真剣な話になると思う」

 「ん……、そう。分かった。……そうね、十分くらいなら」

 感覚で概算したのだろう。作業の遅れを取り戻せる時間が十分ということらしい。

 「ありがとう! じゃあちょっと、聞かれないようにこっちに来て」

 大淀の手を取って引っ張っていく。前はこうして二人でやりたいことをしていた。大体は明石が珍妙なことを思いついて大淀を引っ張っていったのだが。

 事前に人が居ないことは確認済みの大部屋に入って、窓際まで進んでから振り向いた。

 「大淀、素直に答えてね?」

 「はい。何なりと」

 お茶目なところもある大淀は、そう茶化しながらも真剣な応対を約束していた。目がそう言っている。

 「私の事、嫌いになっちゃった?」

 「…………………………はい?」

 「へっ? あれ? 今私なんて言った? あれぇ?」

 「『嫌いになっちゃった?』と……」

 「うわぁぁ! 違う! 違うの! ほんとに違くて! そんなこと聞くつもりこれっぽっちも無かったの!」

 苦笑した大淀だったが、それでも頷いて明石の手を握った。

 「やり直した方がいいかしら? もう一回、入るところから」

 「いい、いい! やり直さなくていいよ!」

 首を振って必死に拒否し、深呼吸をして混乱を治めた。

 でも、大淀は前のままだった。ちょっとだけ疎遠になっただけで、自分たちの関係は何も変わっていない。そう思えた。

 電の言うとおり。いつも通りにしていれば、絶対に仲直りできる。

 ……いや、だから、そもそも喧嘩をしていたわけでもないのだけれど。

 「はぅ……じゃあ、今度こそ、聞くね?」

 「うん」

 大淀はいつの間にか、手に持っていた紙束をすぐそばにあった机に置いていた。明石の話以外に気を向けないという心遣いだった。

 「……大淀」

 「何でしょう」

 「初めて出撃したあの日、提督から何か、聞かされたんだよね? だから、大淀は泣いてた。……違う?」

 大淀の瞳が固まった。唇も少しだけこわばると、喉も鳴った。

 聞かれたくないことだったらしい。でも、すぐに大淀は息を吸って、ゆっくりと鼻から吐息を漏らした。

 「あれからもう、二週間は経ったかしら……」

 「大淀はずっと忙しそうだったしさ、愚痴なら何でも聞くつもりだったのに、全然話してくれないしさー……」

 拗ねたように言い続けると、大淀は宥めるように微笑んだ。

 「確かにあの日の夜は、提督から色々とお話を聞かされました……それで、少しだけ、感情が高ぶってしまったんです。夜も遅かったのでそのまま寝てしまって……」

 だから目が腫れてしまいました、と。

 「ぶー。大淀が『ですます』使う時は、嘘ついてる時ぃー」

 「それじゃあ私が、普段から嘘しか言わないみたいじゃない! やめて」

 「じゃあ答えてよー」

 「もう……っ。……いい? 嘘じゃないわ。提督は私に打ち明けてくれたのよ」

 「何を?」

 がっつくようなタイミングになってしまった。大淀はそれでも言葉を選ぶように慎重に答えた。

 「私の一存で全てを暴露してしまうのは、提督との約束に反してしまうから……。その、そうね、提督は、並々ならぬ思いを持ってこの鎮守府に着任してくださったんです。その理由と、あの出撃の時どうして自らの手で戦おうとしたのか、これから何をしようとしているのか、何が目的なのか――全て、説明していただきました。何故そうしたいのか、というのも聞き及んでいます。……明石には特別に、このことだけは教えてあげるけど……」

 「それ以上は教えてくれないの?」

 「その……ね。提督は、あの日のあの時でなければできないことをやったのよ。それで、今は言うなれば『機を待っている』状態。だから私も精一杯お手伝いさせてもらっているわ」

 「じゃあ、大淀はあの提督のこと、もう微塵も疑ったりしないんだ? そんなにすごいこと?」

 「ええ。もう微塵も。何の疑念が入る余地もないわ。彼女は……提督は、必ずこの戦いに勝利をもたらしてくれますし、私たち艦娘にとっても最善の選択をしてくれる。だって提督ったら本当はすごく優し……あっ、これは……」

 大淀が自分の口を信じられないと思いながら手で押さえた。

 「あれ? 大淀が口を滑らせた? ほんとに? メモっておかなきゃ……!」

 「ちょっと!」

 「提督はすごく優しい人……。しかも『彼女』って呼んだね? 呼んだよね?」

 「ああしまった……。失敗よ、本当に」

 大淀が頬を紅に染めている。仕事でミスはしない大淀が、まさかこんなところでミスをしてくれるとは。しかもかなり真剣に照れている。やり場のない目線が地面に落ちているほどだから、相当である。

 これは重要に違いない。提督は“すごく優しい”。これがキーワードになるのだろうか。

 「やってしまいました……。ごめんなさい、提督……。大淀、まさかの自爆です……」

 合わせる顔がないらしく、両手で顔を覆ってしまう。

 「むぅぅー」

 そのままむくれてしまう大淀。顔を上げたかと思ったら明石を恨めしげに睨みつける。対する明石は予想外の収穫に楽しんでいた。

 「なるほどねー。大淀がそこまで信頼してるんだったら、もう私も、変に詮索はしないよ」

 「本当に?」

 「そりゃ、提督が不可解で、理解できないような人だっていう不安は残ったままになるけどさぁ。……だけど、それが艦隊全体にあるままだと、士気が落ちたりしないかな?」

 「……そうね」

 「なんていうか、私たち艦娘でしょ? だからさ、感情もあるし、個性だってある。そういうのは全部、海からの贈り物だって納得してたけどさ」

 「ええ」

 神妙に説明を始めた明石の言葉を真剣に聞く大淀。艦隊の運営に関わる懸念なのであれば、聞き逃すわけにもいかない。

 「大淀は知らないかもね。私は、大淀と提督に放っておかれて穀潰しみたいになってたからよく知ってるつもりなんだけど」

 「嫌味よね? 明石ったらやっぱり、怒ってるじゃない」

 「ちょっとくらい言わせてよ。それくらい我慢したんだから!」

 「もう……」

 呆れながらも、大淀にも罪悪感はあったらしい。それ以上の文句はなさそうだった。

 「でね、何がいいたいかって言うと、今の大淀と提督は、この艦隊の艦娘たちにとって……そうだなぁ、緞帳の降りた舞台の中で何やら見世物をしてる奇術師、みたいな感じ?」

 「……言い得て妙ね」

 「うん。とにかく、ハトが飛び出したり、何やら火がついて燃えた瞬間に早変わりしたりしてるんだろうし、観客である私たちにとっても、何かスゴイことをしているっていうのは分かるわけよ。……でも、その奇術師が素人なのかプロなのかも分からないし、このまま演目を見続ける意味はあるのかなって、そう思っちゃう娘だって居ると思う」

 「艦娘には個性もあるものね」

 「そう! 我慢しきれなくて席を立つ娘も出てくるだろうし、私みたいに、立ち上がって舞台の下まで行ってさ、大声で『あんたたち一体どこのどいつなんだー!』って野次を飛ばす娘も出てくるかもしれない。そりゃ奇術師って口も達者だから、姿が見えなくてもそういうお客さんを宥めることもできるかもね? 助手さんが絶大な信頼をおいている奇術師さんは、上手いこと言いくるめて最後までやり通すつもりなんだよね?」

 「もちろん。それができなければ……奇術師さんは、舞台に立った目的さえ塗りつぶしてしまうことになるから」

 明石は途端に口を噤んだ。大淀の言った喩え話が、核心を突いている気がしたから。

 「…………」

 大淀もそれを理解した上で喋ったのだから、今度は失敗だと恥じたりはしなかった。

 明石の意見は尤もだった。提督もそれを懸念していたし、実際、そのような事態になるまでの間に提督の思いが成就しなければ、この艦隊が瓦解もあり得る、と。

 「じゃあ……喩えついでにもう少しだけ、教えてよ」

 「……」

 「提督は、私たちの助けも必要としているの?」

 「艦隊として、艦娘の力を必要としているわ」

 つまり現状は……『兵器』として。

 「私たちから、離反のような行動に出ようとした娘が居た場合は、どうするの? 逃亡とか」

 「出入り口を封鎖してでも、阻止するわね」

 「……」

 絶対にこの鎮守府から出さない、ということ。

 「提督は『機を待っている』。だったら、その時が来るまで、私たちは何もさせてもらえないわけ?」

 「いいえ。基本的には自由に行動できるわ」

 それは助かる。出撃や遠征の任務をこなしながら、休暇には自由を与えられるということ。

 「提督の準備は……順調?」

 「………………」

 何とも言えない、らしい。

 確実性が無い何かを待っているということになる。

 「つまり提督には確かな目標があるし、それについて準備をしているけれど、絶対にうまくいくとは言い切れないことで、艦娘とは関係ないところで終わる話――ということ」

 「それは質問かしら? だったらそれには答えられないわ」

 「――――」

 もし手にレンチを持っていたなら、耳の裏辺りを掻いていたかもしれない。

 「もうそろそろ、時間が……。明石、そろそろ解放してもらえない?」

 「ごめんあと一個だけ聞かせて!」

 明石はそう呼び止めてから必死に考えを絞りだすように、しばらく掛けて最後の質問をした。

 「えっとえっと……その……だから、そう……。『提督は優しい人』というのは、具体的に、どんなところが優しいと言い切れる、かな……?」

 これまでの質問に比べるとかなり抽象的だった。

 明石の中には考えがあって、それまでの質問の答を元に、自分がやるべきことを整理しながら思い描いて、そうしてその過程で重要になってくることだと思ったから、聞いた。

 「それこそ、例えばどんな状況で?」

 大淀が喩え話を所望した。明石は、いくつかシチュエーションを思い描いた。

 「うーんと……。じゃあ、艦娘たちが結託して何かやろうとしたらどうすると思う?」

 「しようとしていることに依るわよ、そんなの。悪いことだったら怒るのは当たり前だし、逆だったら……何も言わないかも」

 「じゃあ、仮に命令違反したら?」

 「それも状況によるじゃない。結果として責められる点が残ったりしなければ、見逃してくれるんじゃないかしら」

 「本当に?」

 「明石……あなた何を企んでるの?」

 「それは内緒。大淀だって提督のこと内緒にしてるんだから、私はじゃあ、艦娘たちのことを内緒にする! そういうこと!」

 「はぁ……」

 「なあに、そのため息は! お互い様じゃん!」

 「…………構わないけど、でも、明石や他の娘たちが知らずの内にでも提督の目的の邪魔をしてしまって、その結果失敗したりしたら、私たちもその後どうなるか……分からないのよ。それだけは留意しておいて」

 何となく、概要は掴めていた。

 提督は優しい人。それはつまり、個性豊かな艦娘と同じく、提督もまた感情豊かであり、様々なことに共感して、悩み、抱え込み、それでも目的のために必死に解決策を編み出すような、熱さも持っている人なのだ。

 その結果暴走のように見えてしまうこともしてしまうだろうが、それは大淀が心の底から信頼するほど崇高な目的のためであるらしい。つまり、緞帳の向こうでマジックショーを行うという理解不能な現状も、大淀にとっては素晴らしいこと。提督にとっても正しいことであるらしい。実際に観客からは舞台の中で何が起こっているのか正確に把握することはできないわけで、全く予想の付かない事態が繰り広げられていることも考えられるのだ。

 いつの間にか緞帳の向こう側へ行ってしまった大淀。明石はそれを、最前列の舞台下から見ていることしかできないと思っていた。だが実際には、観客たちを先導して舞台をぶち壊すこともできるし、むしろ盛り上げてしまって、ショーを全く奇抜で斬新なものとして祭り上げることだってできるに違いない。

 それが分かっただけでも、救いだった。

 幸い大淀によれば、提督は艦娘たちが怪しい動きをしても咎めないらしい。舞台の中から出てこない奇術師は、観客たちがどういう行動に出ても、ショーを続けるつもりのようだ。

 ただしそのショーを途中で見限って退出することは許さない。それは逆を言えば、観客たちに楽しんでもらいたいと思っているからではないのだろうか?

 提督は優しい人。善意でこのショーを開いているし、観客を楽しませたいと思っている。だが、観客は無数にいて、全員が全員辛抱強く座っていられるわけではない。それも、舞台演目の最後の最後にやってくるであろうネタばらしの瞬間まで全員が行儀よく居てくれるわけではない。とても難しいことだが、やらなくてはならないらしい。

 もしくは別のパターン。例えばその奇術師は、外の世界が恐ろしい怪物によって壊滅的被害を受けるであろうことを知っていて、観客として村の人々を集め、怪物の脅威が去るまで舞台の中で結界を貼る儀式を行っているのかもしれない。

 本当は、通常では考えられないほどの聖人君子でありながら、なかなか理解が及ばない――理解されない存在なのではないか。

 明石が考えたのは、どちらかと言えば後者のほうだった。

 艦娘たちの自由な生涯を保証するために影に徹し干渉しないことを選んだというよりは、提督という立場を越えて鎮守府にも振りかかり得る理不尽な脅威を、艦娘たちに及ばないよう食い止めているかのような。

 大淀が涙するほどの真実は――そのほとんどを、明石の前に現していたのだった。

 大淀も何だかんだ言いつつ、とても優しい艦娘だ。

 「分かった。ちゃんと、提督の邪魔をしないよう気をつけるよ。――ありがと、大淀」

 「こちらこそ、教えてあげられなくてごめんなさい。いつか分かる時が来るから」

 「うん。そう願ってる。追いつけるなら、追いついてみせる」

 大淀は明石に頷きかけて口角を上げて微笑むと、背を向けて去った。

 親友同士だ。お互いがどうするかくらいは、大体分かる。

 明石が大淀の言葉から何となくの事情を理解したように、大淀もまた、明石の表情や態度でこれから明石がどうするか、少しだけ察したに違いない。

 明石は艦娘を纏めようと思った。一番個性豊かな駆逐艦たちが結託してさえいれば、個々の離反や逃亡などは防ぐことができるから。

 そのためには、明石が少しばかり汚れ役を引き受けなければならないだろうが……でも、大丈夫。明石は大淀を信じていたから。

 

 

  2

 

 明石は一旦工房に戻って、ブルーシートに簀巻きにされたままの材料を仕舞い直した。結局これをプレゼントする機会は失われてしまったし、しばらく組み立てることもなさそうだった。ブルーシートごと引っ張りだして材料を紐で縛り、完成品を並べて悦に浸る棚と壁の角へと立てかけておいた。わだかまりを整理して、明石は腕が鳴る思いだった。

 ついでに工房の掃除もした。大量のおがくずで空気が悪いし、油の香りも充満してしまっていたからだ。明石が掃除を始めると妖精も集まってきて彼らなりに手伝ってくれる。工廠はいつも妖精たちの住処で、明石はそこの一部屋を使わせてもらっている形になっているが、妖精にとっては明石も艦娘も等しく仲間なのだろう。もちろん、提督も。

 三十分程を使ってゴミの整理を終えることができた。

 「ありがとう、助かったよ」

 妖精たちにもお礼を言うと、敬礼と共にどこかへと散り散りに消えていった。

 鎮守府のしきたりに従う形で、ゴミ袋にひと通り詰め込んだものを両手に持って工房を後にした。鍵も施錠した。しばらく留守にするつもりだったからだ。

 鎮守府の中に仕入れられるゴミ袋は等しく真っ黒のポリ袋だった。この中にゴミを詰めて集積場に出しておけば、回収してくれる人が居て、処分を請け負ってくれると聞いている。ゴミ捨て場は鎮守府の門の近くにあって、収集車で乗り入れて回収後、すぐに出て行くそうだ。

 その辺りの組織立ったものは大淀が詳しいけれど、明石も鎮守府で生活して長いのだ。自然とそういった事は身についていく。それに、間宮もよく調理で出たゴミを出しているから、よく顔も合わせる。それは今朝でも同じだった。時間帯は丁度朝食の準備を終えた頃だったのだろう。

 「あら、明石さん。おはよう」

 「間宮さん! どうも!」

 鎮守府での生活、主に食事面をサポートするために着任した間宮は、朝昼晩の食事を用意して艦娘たちに振る舞う。さらにそれ以外の時間には与えられた食事処を開業しており、食事だけでは足らなかった補給を済ませる艦娘たちも多い。

 明石としては、その“大量の”食材が一体どこに保管されているのかを知らない。鎮守府の艦娘たちのお腹を満たす沢山の食材を、間宮はどこに隠しているのだろうか。

 ともかく、柔和で包容力のある間宮は特に駆逐艦たちには大人気だ。甘味の質も高いから、明石も時折疲れを癒やすために寄ることがある。恐らく間宮に行ったことのない艦娘は居ないだろうと思っている。

 「珍しいのね、朝にゴミ出しなんて。急にお片づけ?」

 確かに、いつもここで顔を合わせるのは昼間か夕方だ。朝に会ったのは数えるほどしか無いと思う。どれも明石が工房で寝泊まりしたあと慌ててゴミを集めた時だった。

 「ちょっとだけ、整理したくなって。大淀が忙しそうにしてるのに、私もいつまでも工房で遊んでるわけにはいきませんから」

 「あら、じゃあ酒保の方が本格営業? 私の方も調味料が足りなくなったりした時に頼れると思うから、助かるわ。あとは金物ね。やっぱり作る量が多いから、すぐにだめになることが多くて……」

 フライパンとか、すぐに焦げちゃうのよねえ、と愚痴をこぼす間宮。

 「まだ二週間ちょっとじゃないですか。多分それ、ケチられてますよ! 大淀に報告した方がいいですね。私から言っておきましょうか?」

 「そう? あ、じゃあ、明石さんに調理器具をお願いする……というのも、アリなのかしら?」

 「いいですよ。この明石に、お任せください。現物を見せてもらえれば、同じものを作れると思います」

 感心を露わにしている間宮が、両手を合わせて言った。

 「丁度朝ごはんの用意が終わったところで時間があるから、もし良かったら……今からなんてどう? そちらは大丈夫?」

 やりたいことはあるが、それは朝食の場から動き出そうとしていたところだ。朝食まではまだ余裕もあるし、問題はない。

 二つ返事で頷いて間宮についていくことにした。工房は一時閉めたが、金物を作るくらいならすぐにできる。妖精にも手伝ってもらえば、良い物ができるはずだ。

 道中、間宮はここぞとばかりに自らの疑問を口にした。

 「ねえ、この際だから、ちょっと確認したいことがあるの。いい?」

 「何です?」

 「私、提督に着任の挨拶をして以来、提督のお顔を……見てないの。これって普通かしら?」

 「あー……あはは……」

 タイムリーな話題に思わず口をついて出たのは苦笑だった。

 「うちに来る駆逐艦の娘たちもね? 提督ってどんな人なんだろうってしきりに盛り上がったりしてるのよ? だって、そういう娘たちも着任の時の顔合わせ以外、提督と会うことがほとんど無いらしくて」

 「みたいですねー」

 「それに、あの噂……。提督が本当はすごく危なっかしい人なんじゃないかって……言う娘も居たわ。大淀さんが黙って付き従っている以上、暴走を抑えてくれているんじゃないかって私は思っているのだけど。同じく鎮守府の先輩でもある明石さんなら、何か知っているんじゃないかと思って」

 間宮は艦娘との距離が非常に近い場所に居る。だからこそ、様々な会話が聞こえてくるのだろう。それを彼女は客観的に見て、心配していた。

 「でもね、本来だったら……確かに、私たちの指揮をしている人と交流するなんていうことは、無いのが当たり前だとは思うのよ? だけど艦娘としてこうして生まれてからは……なんていうか、もっと他の人のことを知りたくなったというか、そんな気がして。だからみんなももしかしたら、提督についてもっと、知りたいんじゃないかって……。私たちがどんな人の指揮下にいるのか、知りたくてうずうずしてるんだと思うの」

 「間宮さんもそうなんですか?」

 「そうねえ……提督の好みが知られたら、もっと美味しいレシピを作ることもできるわねー……と、思わなくもないかしら~♪」

 ご飯を作るのが楽しくて仕方がないという様子。そして美味しく食べてもらえるともっと嬉しいのだろう。間宮のことが好きになる駆逐艦の気持ちがよく分かる。

 明石は少しだけ考えた。やはり新しく入ってきた艦娘にとって提督と大淀は、すごく遠い存在に見えているようだ。ただ自分たちに命令を与え、自分たちはそれを遂行する。報酬は美味しいご飯と自由な休暇。新しい友だちと新たな……人生か。

 そこに提督との繋がりを深める要素は、無い。そして大淀によれば、提督はこの状況を意図的に作った。提督と艦娘が近づき過ぎないようにしているのか。

 「でも間宮さんの勘も当たってますよ。この明石の親友である大淀が、提督にゾッコンなんですから。何の疑いも抱いてないみたいなので、私も別に心配とかはしてないんですけど」

 「あらら、親友なのに距離ができちゃったの?」

 「……うーん。そういうわけでもないみたいなんですけどねー。でも、提督がみんなと距離を置いてるのは確かだと思います。大淀はきっと忙しいだけです」

 「士気が下がったりしなければいいけど……。提督はそのことも考えているのかしらね? 明石さんはどう思う?」

 「多分、みんなをまとめ上げるだけの考えくらいはちゃんとしてますよ。大淀だってついてますから」

 「そう……。なら、私があれこれ心配するのも下世話かも知れないわね」

 「いえいえ、間宮さんはそういう立ち位置なんだと思います。みんなの動向をちゃんと、一番近くで把握できるのは、きっと間宮さんだけですから」

 「そうよね。だったら私も、もっと耳を大きくしなくちゃ……!」

 これでも諜報は得意なの、と間宮は意気込み、明石も少しだけおかしくて笑った。

 そうやって話しているうちに到着したのは、本棟近くに建築されている食事処間宮の本格的な厨房だった。ここで作った食事は直通通路一本で繋がった寮の食堂に運ばれ、艦娘たちの食事となる。配給……いや給食のような方式で当番たちが間宮から各自の寮へと運搬する役を担う。しかし駆逐艦では大変だという声を受けて、主に重巡洋艦が運搬を請け負うことがほとんどだったりする。

 「あぁぁ……いいですねえ、間宮さんの豚汁大好きなんですー」

 厨房に入った瞬間鼻腔を刺激する出汁と味噌の匂い。

 「もちろん一番はカレーですけどね!」

 聞かれてもいない釈明をしながらも、次々に感じる朝食の匂いにお腹が鳴ってしまいそうだった。和定食の品目はやはり良い。身体が求めている感じさえする。

 「うふふ、ありがとう」

 間宮は厨房を進んで、だめになってしまった調理道具を集めた。すぐに明石の前に並べる。普段は艦娘たちが座るカウンター席の机に金物が並べられた。

 「フライパンは焦げ付いちゃうし、鍋なんかは取っ手が緩んじゃって、いつ抜けるかと思うと怖いのよ。幸い、みんなの料理を入れる大型のはすごく丈夫なんだけどね、どうしても小物のほうが、その……粗悪品みたい」

 はっきりと言うあたり、間宮も悩んでいたようだ。

 「あー、これは確かに、あんまりよくないみたいです。加工が雑だし、正直薄っぺらいですね」

 叩くと音が軽い。軽すぎる。それだけで明石には眉を顰めてしまいたくなるほど貧弱な物品だった。白金に輝く金物は明石にとっては初見で、軽すぎるところもただの不安要素だった。

 次にフライパンも見てみる。やはり持ってみるだけで分かるほど軽い。鉄フライパンのはずが必要以上に黒ずんでいるように見えるし、知らない模様がついている。

 「これなんていう加工なんだろ……。見たことないなあ……。……うわ、すっごい滑る! 摩擦係数低いなあ……!」

 フライパンの底を撫でてみた明石は驚きの声を上げた。ものすごくさらさらと指先が滑るのだった。金属特有の触感ではない。

 「そのフライパン、油汚れはすぐに落ちるのよ。だから洗う時はすっごく助かるわ。でも……どうなのかしら、強火で使うのがいけなかったのかも……」

 「かも知れないですねえ。薄くて軽いっていうことは、鉄をケチってるってことです。その鉄だって純度が高くないかも。中で不純物が小さな爆発とか起こして……実はボロボロになってるとか……」

 明石はまだ知らないし、間宮も知りようがないのだが、この厨房に仕入れられていた調理器具のほとんどは現代の技術で作られたものだった。安くて仕入れやすく、実用の面で変わらないと判断されたためだ。ややカラフルな彩色が施され見た目に違和感はあるかも知れないが、言われなければ分からないだろうと高をくくっていたに違いない。

 “現代”という概念から艦娘を遠ざけようとしているようだが、このような小道具一つ一つまで厳密に演出することはできなかったようである。

 汚れにくく、とにかく軽いステンレス製の小鍋や、テフロン加工を施されたIH対応フライパンを見て、明石が粗悪品だと思ってしまうのも無理はない。特にフライパンは、正しく使用しなければすぐに焦げ付くようになってしまう欠点があるからだった。

 「うーん……この摩擦の少なさは、ちょっと私でも再現できないかも……。それに、軽くしようと思ったらやっぱり鉄は減らさないといけないし……」

 「大丈夫、鉄フライパンの扱いなら慣れているわ。少しくらい重くても平気!」

 「それなら、全く新しい鉄フライパンを私が作ってもいいですか? つまり、新品を」

 「本当? 助かるわ」

 「任せて下さい。あと、鍋の方は、取っ手をしっかり固定しなおせば使えますよね」

 「そうね。怖いのは取っ手だけなのよ」

 「じゃあそっちはビスを付け直しますね。他には無いんですか?」

 明石の職人魂に火が付き、やれることならやりたいと思った。間宮の方も明石が頼れると分かり、いくつかさらに細かく気になっているものを集めて相談を始める。

 いつの間にか朝食の時間が来てしまって、大淀の号令が流れてくるまで、二人の取引は続いていた。

 

 

 

 駆逐艦寮の食堂に紛れ込んでいた明石は、手早く食事を済ませて片付けも終えてしまう。早食い自慢の駆逐艦たちと同着といったところだった。一回り年上に見える身体のサイズはあるため、彼女が立ち上がると自然と皆の注目が集まった――気がする。

 駆逐艦も駆逐艦でとにかくアクの強い性格の持ち主が多く、マイペースな娘ほど明石の存在に気付いてさえいなかったことだろう。しかし真面目な娘などは明石が何の用でここにいるのか、しきりに気にしていたようである。

 正確な数は覚えていなかったが三十人に近くになった駆逐艦たちに向かって、明石は手を叩いた。

 「はいちゅうもーく! ご飯中ごめんね、少しだけみんなに聞きたいことがあって」

 口々に『なになに?』やら『早く済ませてよね』だとか聞こえてくるが、それでも見た目年齢的にも現在の軍歴的にも先輩である明石の話は、ちゃんと聞いてくれるつもりなようだ。

 明石は皆の視線を集めやすいよう、給仕が食事を配る中央部へと立った。

 「この後大淀がいつもみたいに今日の任務を伝えに来るだろうから、その前に手早く終わらせるね。みんなもできれば、騒がず、手短にお願い」

 大淀はまず、指揮系統の上の方から順に食堂を回っていく。現在のところ空母、戦艦の居ないこの鎮守府では重巡洋艦が最初だ。その後に軽巡洋艦のところにも通達し、最後に駆逐艦となる。だからまだ時間はあるはずだ。

 前置きはそれだけにしておいて、明石は直球に尋ねた。

 「みんなここの提督について正直どう思ってる? まずは――特型の娘たちから聞かせて?」

 「えぇっ? 私たちですか?」

 吹雪が真っ先に反応し、周りの白雪深雪たちと顔を見合わせる。深雪は調子よく請け負うような口ぶりだった。

 「いいじゃんさっさと答えちゃえよ吹雪!」

 「私が代表で?」

 「それがいいと思う」

 白雪も頷く。初雪は無関心そうだったし、磯波は申し訳無さそうにうつむくだけだった。五人はこの鎮守府の最初の十二人でもあるから最初に選んだ。

 「えぇーっと……」

 質問の答えは、もう彼女たち姉妹の中で出ていたようである。つまり、同じ話題が出たことがあるということだった。

 恐る恐るという様子で吹雪は立ち上がり、睦月型や綾波型の視線を受けて恥ずかしそうに変な笑いを漏らしていた。

 「前に白雪ちゃんたちと話したことがあります。えっと、司令官が直接指揮を取っていたのは最初の出撃の時だけで、それ以降は……離れてしまったみたいで、ちょっと寂しいと……ね? 磯波ちゃんそう言ってたじゃない?」

 「ぇっ……あの……はぃぃ……」

 消え入りそうな声で磯波は頷いた。顔は真っ赤だった。

 「そうだぜ。司令官ってば、あれ以降遠征ばっかだし。特型といえば主力じゃなかったのかねぇ?」

 深雪の言を受けて、明石にも心当たりのあることがあった。

 「そういえば、睦月型と特型で遠征任務が増えてたね」

 「そうです。それも大事な仕事だと思いますけれど……」

 白雪が丁寧に答えるが、顔にはやはり『司令官は謎が多い』と出ていた。

 「特型の総意は分かった。ありがとう。……じゃあ次は睦月型。誰が答える?」

 「如月でいいのかしら?」

 如月が笑顔とともに手を上げた。特型が鎮守府の初期メンバーであることから、睦月型の中で唯一初期から居た如月は、代表にはもってこいだったろう。

 他のカラフルな姉妹艦たちも特に反対意見は無いようだった。

 「こちらも話題が出たことは同じよ。もぅ、司令官ったら、恥ずかしがり屋さんなんだわ……って」

 色気のある声で平然と述べ、睦月型の意見を発した。

 「長月ちゃんや菊月ちゃんは頑張り屋さんだからもっと戦いたがっているけれど、如月や睦月ちゃんはそうでもないの。例え遠征でも、司令官のお役に立てるのなら、それでいいのよ」

 「ふむ……」

 「だから実は、意見はまとまっていないの。けれど、ちゃんと命令をくれる人なのだから、一先ず文句はないみたいね。私はもっと、お近づきになりたいわ」

 怪しい空気については触れないことにして、長女であり姉妹艦の中でも特に明るい睦月にも目を向けて問いかけてみる。

 「ちなみに、長女としても同意見?」

 「およ? まさかのバトンタッチですか~? でも、睦月も文句はないかも。睦月型はどうしても戦力としては他の娘たちに負けちゃうから、如月ちゃんの言ったとおり、お仕事をくれるだけでもうれしい……かな!」

 「そっか。分かった。……ちなみに後の娘たち、綾波型、暁型とそれから……白露型、陽炎型の娘たち、今の意見とは別の意見、あるかな?」

 なるべく省略して早く本題へ進めたかった。全員に聞くのは時間の関係でそもそも論外だったため、こうして代表の意見を聞いてみたが、このように質問を変えたほうがさらに早くなりそうだった。

 寂しいという意見と、仕事をくれるならいいという意見。どちらともない意見とは……つまり。

 「…………無いっぽい?」

 夕立が沈黙に耐えかねた様子で呟くと、自然な頷きの波が起こった。並んだ頭たちが少しだけざわつく。

 「じゃあ手を上げて? 吹雪たち特型と同じ意見だよって娘は?」

 寂しいという意見に一致する娘たちが手を上げた。中には性格からか、かなり控えめに上げた者もいる。

 丁度半分くらいか。

 「一応聞かせて。どっちにも当てはまるよっていうのは?」

 少し時間は掛かったが、結果的に全員が手を上げた。

 「なるほどね。……協力ありがとう。手は下ろしていいよ」

 「それで、何がしたいのさ」

 菊月が問いかける。それにも頭たちが騒がしく同調していた。

 「えっとね。つまり……提督と私たちって、やっぱりまだ『分かりあえていない』って思わない?」

 「せやなぁ……。折角おしゃべりもできる身体になったんやから、もっと仲良くできたらええなあ」

 陽炎型、黒潮がはんなりと答えた。その隣で同型姉妹の不知火が黙々と食事を続けている。長女の陽炎も不知火に合わせているのか特段口は挟まないつもりのようだった。

 そのすぐ隣にいた暁が、最後に牛乳を何とか飲み干し、ようやく口を開いた。

 「ぷはぁ。……もう、明石さんったら、人が食事している最中なんだから、ちょっとくらい待ってよね! レディは静かに食べるものなのよ!」

 胸を張っているが、口元には牛乳の口ひげができていた。響が何も言わず布巾を取り出すと、雷がそれを取って拭った。

 「そういう暁は、いつもと違ってすごく早食いだったじゃない。それはいいの?」

 「そ、それは、先輩の明石さんが話してるからちゃんと聞かないとって……もう! 私のことはいいのよ!」

 「……何の話だったかな。司令官と私たちが、分かりあえていない……だったか」

 響が締めると姉妹も落ち着きを取り戻す。そういうバランスになっているようだった。

 「そうそう。提督についてわからないことが多いから、私たちも不安になっちゃうことがあると思うの。そこはどうかな」

 「なるほどな。それで、明石さんはどうしたいんだい?」

 響は他の駆逐艦と比べてみると頭ひとつ抜けて冷静だった。こういう場では助かる。

 「大淀は提督にかかりっきりで、今じゃ提督と二人で秘密を共有したまま頑張ってる。提督がどんな人か知った上で、私たちに隠してるんだよね。まあ、意地悪とかそういう気持ちでやっていることじゃないんだけどさ、でも、君たちからするとやっぱり、どうなのかなって私は思ったわけ」

 「士気が下がるって言いたいの?」

 そこで声を上げたのは、先程は口を噤んでいた陽炎であった。駆逐艦の中ではやはり精神的に年長のような印象がある彼女もまた、冷静に事を眺めていただけだったようだ。

 「艦娘になった私たちには感情がある。そうでしょ?」

 「まあ、そうね。不知火とも仲良くできるのは、感情があるからよねー」

 「……どうして不知火に振るのです」

 口元を布巾で拭ってから両手を合わせていた不知火は、静かに低い声で応えた。

 「何となく?」

 それに対しツインテールの先を指でくるくるしながらとぼける陽炎だった。

 「…………」

 黒潮が手振りで『気にせんでええよ』と促してくれたので言葉を繋げることにした。

 「そう、士気が下がると私は思う。だからね、大淀と提督っていうコンビができちゃった以上、あなたたち艦娘の側にも頼れるお姉さんが居ないと対等じゃないっていうか。分かる?」

 「明石さん……野心が溢れてますよ……」

 吹雪が若干引いていた。吹雪から見るとそうかもしれないが、これはいわゆる労働組合のようなものだ。そういう組織があるとどこかで聞きかじったことがある。

 「違うって。そういう個人的なものじゃなくてさあ」

 明石は少しだけ言葉を練り直した。

 「規模は違うけど、権力で言えばあの二人は強力だよ? 鎮守府としてなら、大本営にも口を出せる二人だしね。だけど今のあなたたちはどう? 駆逐艦だけじゃなくて、軽巡や重巡の人たちも含めてさ、ただただ機械のように、兵器のように使われるだけの現状に、思うところはない? 提督や大淀、果ては大本営に対して言いたいことの一つや二つ、無いかな?」

 「――不知火は構いません。現状でも、役目を果たせていると判断します」

 ひときわはっきりと宣言した不知火は、駆逐艦の中でもかなりの“武人派”だった。戦闘が好きと言え、好戦的で、現状に異を唱えないタイプであることは明石も承知である。

 「私も賛成だ。司令官との距離を縮める必要性は、悪いが感じないな」

 長月だった。彼女も同じタイプ。

 「うん。二人の意見は聞いた。……その上でも、やっぱり私は艦娘側のまとめ役として立たなきゃいけないと思うの。艦娘たちの意見を聞いて、ちゃんとあの二人に伝える役目。そして必要なら――あの二人に反抗しないといけない立場になる。だって、大淀にはっきりと文句言えるのって、今のところ私くらいしかいないし、あはは」

 茶化すのも大概にしないと、もう真面目に受け取ってくれないかもしれないなぁ、と反省し、明石は声の調子を落とした。

 「じゃあもう一つみんなに質問。みんなは提督についてほとんど何も知らない。私も知らないけど、みんなよりは知ってる。そして誰より大淀を知ってるのは、私だけ。……それで、現状は絶対的な場所からただ命令を下すだけの提督が、もし、とてもじゃないけど承諾できない無茶な命令を出したら? みんなも噂で聞いたはず。それに、ここには経験者も居る。提督は暴走する可能性があるってことを、薄々不安に思っているはず」

 「……」

 誰も、口を開かなかった。明石が喋っているからというのもあるが、言い返せなかったからだ。

 「その命令に反対するとして、みんなで執務室に乗り込む? 提督の命令は間違っているって――自信を持って言えるのかな」

 「……どういう、意味でしょうか」

 白雪が緊張した面持ちで問う。

 「私たちは提督のことを知らないんだよ。知らなさすぎる。だから、初出撃したあの時の提督の行動が、全く理解できない。提督なりに筋道の通った理由があるんだとしても、それが何なのか見当もつかない。艦娘から見たらあり得ない作戦でも、提督には確実に成功させるだけの判断材料があるのかも知れない。だけど、提督を知らないとそれも見当が付けられないの。そんな状態で提督の執務室に押しかけても、提督は絶対に折れないよ。そもそも私たちとは持っている情報が違いすぎて、話すら噛み合わなくなるからね」

 「……以前は、それで成り立っていたと思うけれど」

 響だ。あまり言及したくはないが、彼女の艦歴は長い。この食堂に集まっている誰よりも、長い。だからこそ、老練したかのような判断ができる。

 「でも、不安を抱えたまま動くということがどれだけ嫌で、自分自身の動きを鈍らせることか、想像できる?」

 「それは……分からないな」

 「提督の判断はきっと間違っていないんだろうけど、自分じゃ全くそう思えない無茶苦茶な作戦をやらされる羽目になる。そんな状態で、つまり……“感情”を持った私たちが、そのまま戦えるとは到底思えないのよ」

 明石は必死に訴えていた。普段の明石からしても考えられないくらい情熱的に、皆の賛同を得ようとしていた。

 「明石さん……すごく燃えてるね」

 睦月が如月に耳打ちする。如月もそっと頷き、動向を見守る。

 「だから私は、そういう時に、みんなの代表をして提督と大淀に真意を聞く。それをみんなに伝えるよ。みんなが納得できる回答を得ない限り折れない。約束する。提督の暴走を抑止できるのは、誰でもないみんな自身だってこと、忘れないで。明石がその代表を務めてみるから」

 一歩間違えば悲惨な結果になっていたであろう初出撃の時、提督の暴走を止められる者は居なかった。大淀でさえこの世の終わりかも知れないという顔をしていたくらいなのだから。

 あのようなことは、もう繰り返させない。もう大淀にあんな顔、させたくない。

 「つまり明石さんは……その、敢えて……大淀さんと……あの、争うような立場に、なるのです?」

 今朝会ったばかりの電がそっと発言した。

 「そうじゃないよ。大淀は私がそういうことをしそうだって分かってるはずだから」

 「そう……なのです?」

 「……うん」

 少しだけ自信がなくなって、目をそらした。その先で夕立、時雨、五月雨が顔を寄せあって何かを打ち合わせ、そして三人ともが頷きあった瞬間を目撃した。

 そして、こちらを向く。

 「明石さん! ちょっとだけいいですか?」

 「いいアイデアがあるっぽい!」

 「僕たちの意見だよ。白露型の、ね」

 この三人は、陽炎、不知火、黒潮の三人組と同様に見て間違いないくらいの仲良しだ。それに初期艦である五月雨も居て、駆逐艦の中での発言力は多少なりとも高いはずである。さらに時雨と夕立という、色々と凄まじいコンビがいるのでは、なかなか正面から立ち向かうことはできなさそうだ。

 全員がその三人組の言葉に耳を貸した。明石も、じっと聞く。

 「そんなに難しい話ではないんじゃないかな、と思うんだ」

 「そうそう、だって明石さん、最初に言ってたことと最後の方で言ってること、違うっぽい」

 「……え? そうかな?」

 「最初は、提督がよく分からないから、僕たちも不安になってしまう、と言っていたよね」

 「てっきり、それを解消しようっていうお話かと思っていたんです」

 「でも今は、よく分からない提督に、ただ意見をぶつけようとしてるだけっぽい」

 「結局どっちがどっちなのか、よく分からなくなってしまいました……」

 五月雨が気付いたのだろうか。それともやはり、三人の力なのか。

 「僕たちの意見を聞いているつもりで、明石さんは自分の意見をいつの間にか声高に述べるようになっていたね。黙っていようかとも、思ったんだけど」

 「夕立、明石さんがそんなに必死な顔してるの、初めて見たっぽい!」

 「うっ……ごめん。私、ちょっと前が見えなくなってたかも……」

 鋭い指摘に、何も言い返せなくなっていた。

 「あの、明石さん。それで……三人で考えたんです! 明石さんもきっと不安になってしまって、ちょっと寂しくなっているだけです。あの、元気を出してください!」

 五月雨の応援が心にしみた。瞳が少し潤うのを感じながら、頷き返した。

 「それで考えたのは、結局、明石さんが何を望んでいるか……なんだ」

 「私が何を望んでいるか……?」

 「明石さんはただ、……そう、ただ単純に、提督と大淀さんの間に何があるかを知りたいだけなんじゃないかな」

 「そうっぽい!」

 「私も気になっていました! 提督はちょっと難しい人なのかなって思っていたんですけど、やっぱりもっと提督のこと、知りたいんです! それがもし誤解だったりしたら、ごめんなさいしないといけないですし……」

 律儀で健気な五月雨と、冷静で達観している時雨、そして素直で力強い夕立。

 この三人と、もっと早く仲良くできてたらなあ……。

 そう思わざるをえない明石だった。

 やはり、工房に引きこもっているだけではダメだったのだろう。

 提督に大淀を取られたなんて……そんな思いをずっとひた隠しにして趣味に没頭していただけだ。それで大淀を問い詰めて、勝手に知った気になって、駆逐艦の娘たちを間接的に利用さえしようとした。自分の感情的な行動が、結果的にみんなの時間を無駄にしていただけになってしまった。

 もっと冷静にならなきゃ……。でも、駆逐艦たちの目は、何とか自分に向いてくれたようだった。提督への不信感は明石に言う、そういう向きができれば、明石としては万々歳だったのだ。

 これは……間宮甘味の大盤振る舞いじゃ済ませられないかなあ……。

 「……みんな――」

 明石が頭を下げて謝罪しようとした瞬間だった。食事を終えてからずっと、机に腕枕を敷いてだらけていた初雪が、ふと廊下に気配を感じて顔を上げた時、そこに、通路を歩いてくる提督と大淀の姿を見たのだ。

 他の皆が難しい話をしている間、初雪はずっと狸寝入りをしていたわけであるが、明石は提督たちが来ない間に終わらせようとしていた。きっと見つかると厄介なのだろう。初雪にとっても、これ以上だだっ広い食堂に釘付けにされるのも好ましくない。

 だから、教えてあげることにした。

 しゅた、と音が聞こえそうなくらい、機敏な挙手だった。

 「えぇ!? 初雪ちゃん急に何!?」

 正面に居た吹雪が椅子から落ちそうになるくらい驚いていた。

 「敵襲……です」

 「? はっ! 明石さんやべーぜ! 司令官と大淀さんが来てる!」

 深雪が気付いて代弁してくれた。明石はそれを聞いて仰天する。

 「嘘……逃げなきゃ!」

 逃げ道を探す明石。まだ高らかに上げられていた初雪の手が、ゆったりと動いた。その指先は、窓を向いている。

 「分かったありがと! あぁみんな、ここで話したこと、全部内緒ね! お願い!」

 明石は窓へと駆け寄って開けると下を見て、迷わず飛び出していった。一階であるし気にするものはない。初雪は、もし自分が重要な任務を与えられそうになった場合に備え、機敏に逃亡するための通路を教えただけである。自分ならそこから逃げる、と。

 「それじゃね!」

 明石が窓から走り去ると同時、食堂の入口が開いて、今日の任務を伝令するための集会が始まったのだった。

 

 

 

 明石は一先ず駆逐艦たちに思いを伝えることはできたと思い、間宮に頼まれていた鍋とフライパンの修繕と製作に取り掛かった。妖精にお願いして材料の鉄を成形してもらう――造船用のプレス機を使ってもらった――と、後は工房へ持ち帰っての作業となった。閉めたばかりの工房だったが、これが今のところ本当に最後の作業になりそうだった。艤装のない明石では艦娘たちの艤装を直すことはできないし、この工房が役に立つ場面は今のところ少ない。この工房の新たな、より実用的な使い方のアイデアくらいはあるが、それが実現するにしても、随分と先の話になりそうだった。

 妖精と協力して作った電動の回転工具を一つ、手早く改造。回転する材料に同じく鉄のへらを押し当て、テコの原理を使った製品の成形を行う。すぐに見慣れたフライパンの形になった。

 まさかの一発成功だったので手早く面取りと表面加工も終わらせ、次の作業に入った。ビスを打ち込む場所を決めてから、鍋の方のビスも取り外しておく。両者に柄を取り付けるまでの明石は、まるで本物の職人のようであった。ちなみに柄は木材で作ったが、これは例のアレの失敗作から削り出したものだ。

 「ふぅ…………」

 我ながらいい仕事をした。間宮から相談を受けたなかで特に重要だった二つの案件は片付けた。実のところ、他の細々とした問題は、直接提督側に申請してもらったほうが早いと思い、間宮にもそう伝えた。彼女の方から相談を受ければ、大淀が手配してくれそうだった。

 だから明石はこうして手先を使って直接何かをするものだけ請け負って、完成品を洗浄して早速間宮に向かったのだった。

 いつの間にか時間は午後になっていて、鎮守府の運営も一日の佳境に入る頃だった。間宮にとっては昼食の用意も終わっていて、夕飯について考えている頃合いだと思った。

 間宮のお店の表から入ることはなんだか気が引けて、裏口から入ることにした。厨房傍の勝手口で、すぐに間宮に会えると思ったからだ。

 だが、現実は時に予想外を引き起こす。運命のいたずらがあるとすれば、まさに今だった。

 「こんにちわー。間宮さーん、フライパンと鍋を……――えっ? 提督!?」

 思わずフライパンを構えてしまった。しかし全く失礼な行為だと思い直し、よく分からない動きをした後とりあえず、直立に収まった。

 提督は厨房に立って真剣な顔をしていた。明石の声を聞いて振り返り、しばらく目だけを動かして何かを考えていたようである。そして、明石の頭に浮かんでいる疑問の答えを短く言った。

 「間宮からいくつか申請があったわ。明石に、そうするよう言われたと」

 「そ、それで直接視察ですか……?」

 「大淀は出撃中の艦隊指揮に従事しているから」

 つまり、手が空いているのは提督しかいなかった、と。

 相変わらずの能面のような顔で、提督は厨房を見渡しながら検査表に何かを書き込んでいく。

 「…………」

 明石は何を言うべきか分からなくなった。そもそも、提督と会話するようなことは持ち合わせていない……。

 向こうもその必要がなければ何も喋ることはないだろう。

 ……いや、ここは、勇気を出してみようか。

 大淀は踏み込んだんだ。だから今はああやって、提督の思いを知ることができていて、信頼しあっている。自分は置き去りにされたような疎外感を覚えてしまって、恥まで掻いた。

 提督は……優しい人。提督のことはまだ信じ切れないが、大淀のその言葉を信じてみよう。

 だから思い切って……聞くんだ。

 提督は検査表の一番下の欄に何かを書き込むと、明石を一瞥してから、厨房を出ようとした。明石が立っている傍の裏口ではなく、表から出るつもりらしい。その背中を既のところで呼び止めた。

 「提督!」

 立ち止まった提督は、ちゃんと振り返って明石の言葉を待ってくれた。

 「……」

 無表情の瞳が明石を見ている。怯みそうになったが、そっと切り出した。

 「提督は……今、間違いなく提督としての仕事を……その、してると思います。ちゃんと、しっかり。……でも、私たち艦娘はみんな、感情を持って生まれてきたんです。こうして、ちゃんと立ってます。そして、悩んで……不安になって、自分でも何をやろうとしてるのかわからなくなるくらい、無闇矢鱈に、ヤケになったみたいになっちゃうこともあります」

 自分のことだ。戒めのためにも、しっかりと言葉に出した。

 「私たちが悩んで、誰かのことを心配し合ったり、どうにかしてあげたいとか、そういう風に思って“生きて”いるのに……どうして提督は……」

 言うんだ。拳に力が入った。

 「どうして、提督が一番……機械みたいになっちゃっているんですか……?」

 提督の瞳が、見開かれた。急激な驚きによるものではなく、心に言葉が突き刺さった顔だ。

 「機械みたいに、大本営から受信した信号をそのまま私たちに伝えているような……そんな風になっちゃっているんですか? 私は……明石には、それが分からなくて」

 趣味を楽しいと思える。楽しいと思うことに没頭できる。困った人を助けようと思える。実際に助けられる力がある時もある。艦娘としての人生は、全く悪くない。

 素晴らしいとさえ、思っている。大淀との思い出も、胸を張って、艦娘として生まれたからできたことだと言える。

 なのに提督にはそれが……ない。提督が一番無感情で、無関心で、無存在になってしまっているのか。それが分からないから、言い知れない不安ばかりが募るのだ。

 だからはっきり答えて欲しい。答えが欲しかった。

 「…………か……艦娘は」

 「提、督……?」

 苦渋の表情で床を睨む提督。唇も噛み切らんばかりで、眉間に力も入っていた。

 怒らせたのだろうか。それとも、いくら何でも言ってはいけない事だったのだろうか。

 ふいに大きく息を吸った提督。顔を上げた時には、明石の知っている無感情の提督だった。

 「――――艦娘は兵器よ。無駄なことは考えないで、命令に従っていなさい」

 「っ!」

 おかしい。提督はおかしい。こんなのは絶対におかしい。

 どうして、もっと素直に助けを求められないの? どうして相談をしてくれないの?

 明石の方が、怒ってしまった。

 「何で!? 一体何が提督にそんなことを言わせてるのさ!? 何でそんな悲しいことを!!」

 提督の表情がまた歪みそうになっている。これ以上核心を突かれると壊れてしまいそうな、そんな脆さが、うっすらと――感じ取れた。

 「同じ鎮守府の仲間なのに! なんで頼ってくれないんですか!? ねえ!!」

 声は止まらなかった。明石は思いの丈を全て提督にぶつけるつもりだったが、提督は、もう耐えられないといった様子で、逃げるように消える。お客用のテーブルと椅子をかき分けて追う。提督は引き戸を開けて走り去る。明石も追い縋り、表の通りにまで飛び出した。だが――提督の姿が無い。どこかに隠れたか、路地に入ったんだ。

 「ああもうっ!! こんなの――なんでこんな不具合だらけなの――?」

 頭を抱えてしまう。やり場のない悔しさとか、やるせなさが溢れていた。

 だが、ようやく分かった。

 言い方は悪いが、この鎮守府で一番壊れているのは提督だ。

 提督の問題を解決しないことには、明石の悩みも解決しない。

 つまり明石はずっと、自分の中に巻き起こった『言い知れない不安』という不具合で悩み、その原因が提督であることに気付いた。

 提督が何かを隠し続けていることが、何よりも明石にとってはストレスになっていたのだ。

 もっと気楽に、もっと仲良く、お互いに寄り添えるような関係を望んでいたのだ。

 それは、明石と大淀の関係にほぼ等しい。明朗快活な性格である彼女は、誰とでもそういう関係を築ける自信がある。飾らない関係を望み、時には頼り、時には頼られる。そんな理想的な関係が良いのだ。

 だからこの悩みを解決するには――必然、提督の隠し事を暴かねばならないということになる。

 大淀には邪魔はしないようにと言われているが……こうなってしまっては、どうにも我慢できそうにない。

 明石の手には、提督と交わした最初の握手の感触がこびりついていた。

 『絶対仲良くなれる』と確信したあの握手。それが、その次の瞬間には綺麗に裏切られた。

 あの時から提督は……明石を裏切ってばかりだった。

 大淀は先を行っている。提督との間にある不具合を修正して、整合性を得た。だから同じ言語で通じ合えるし、同じ環境に居られるのだ。

 明石も、そこに入りたい。

 もっと仲良く、なれるはずだから。

 その輪を広げていくことができれば……この鎮守府は、もっと楽しくなる。

 記憶の隅に、誰が言ったのかわからないこんな言葉がある。

 『人生は、楽しまなきゃ損である』、と。

 

 

  5

 

 「明石さん! お邪魔するっぽい!」

 寮の部屋がノックされたのは夕食の後のことだった。同室の大淀はまだ執務室で提督と仕事中で、今日一日の総括に入る頃。つまり、明石が食堂で演説した時と同じような、間隙だった。

 夕立の声に呼ばれて扉を開ける。駆逐艦たちがわらわらと集まっていた。

 「な、何事……?」

 「お部屋に入れてっぽい!」

 「他の人に聞かれちゃうしね」

 時雨の言葉で理解が及んだ。この二人が先頭であるということは、朝の続きを所望のようだった。明石にとってもありがたい訪問だった。すぐに扉を全開にして、招き入れる。

 「入って」

 集まっていた駆逐艦たちを招き入れる際、部屋に入ってくるメンバーを観察した。

 夕立と時雨、吹雪と深雪、そして雷と電、如月が続き、不知火が入ってきて、最後が五月雨だった。

 扉を閉め、こちらが尋ねるまでもなく、時雨が切り出した。

 「あれからみんなでも、話し合ったんだ」

 「明石さん、なんだかすごく悩んでいるみたいでしたし……」

 吹雪もまた心配そうな顔だ。

 「お昼時には、なんだか修羅場だったわね?」

 如月が楽しんでいるかのような言い振りをしたが、それはちょっとしたお茶目なようだった。

 「司令官と殴り合ってたって聞いたぜ?」

 「深雪ちゃんどこでそんなこと聞いたっぽい?」

 「あれ? 違ったっけ?」

 「はわわ、さっそくお話が逸れてしまっているのです!」

 「そうだね……僕が代表して話すから……。そう決めたじゃないか」

 事前に決めたことがすぐさま崩れてしまうくらいに、みんながみんな明石を心配してくれていたようである。

 「なんていうか……みんなありがとう。というか、不知火が居るのが、すごく意外」

 明石はようやく口を挟めるタイミングを見つけて、それだけ聞いてみた。

 不知火は手袋を直すふりをしながら、そっけなく答えた。

 「黒潮に頼まれました。陽炎とともに海上護衛の任についていなければ、本人が来たことでしょう。不知火は代理です」

 「そういうこと」

 納得した。不知火は不知火で非常に義理堅いと聞いている。友人に頼まれれば断らないのだろう。

 「暁とか響とか、睦月なんかも行きたいって言ってたけどなー。でもあいつら防空射撃演習だかなんだかで疲れちまったみたいで、もう寝ちまってたよ」

 深雪がさらに補足したあと、ようやく時雨が口を開く。

 「僕らで話し合ったことを、明石さんにも聞いてもらいたくて来たんだ」

 「分かった。聞かせて」

 時雨ならば安心して聞いていられる。

 「明石さんは昼間、提督と言い争っていたそうだね。念のため確認させて。本当のことかな?」

 「……うん。恥ずかしながら。あれで謹慎処分とかが飛んでこないのが不思議なくらい」

 肩を落として首を振った。自分があんなに冷静さを欠くことになるとは。溜息はもう出尽くしていた。

 「言い争っていた内容は、やはり朝話していたこと関連かな」

 「そうだよ」

 簡単に事情を説明した。提督に答えて欲しかったが満足な返答を得られなくて、『兵器だ』と宣言され、怒ってしまって――私はそれを解決したいと思ったことも。

 説明を終える頃になって、ずっと後ろのほうでちょこちょこと動いていた五月雨が戻ってくる。

 「みんな、お茶を淹れてみました! 明石さんもどうぞ」

 「ありがとう。貰うね」

 ――。

 「うん……ありがたいんだけど……夏場に温茶かあ……」

 仕方ないが、一口すすってみた。味は普通だった。部屋に備え付けの緑茶である。

 ちょっと不知火、後ろのほうでバレないからってそっと盆に戻してる! ずるい。

 深雪は舌を火傷しかけていたし、電は必死に息を吹いて冷まそうとしていた。個性豊かで微笑ましい。そう、こういう光景が、色んな所で見られるようになるといい。そう思った。

 お茶でひと休憩挟んだところで、やはり時雨が切り出す。いい仕切り役だと思った。

 「でも良かった。ちょうど、僕らで考えていたことと同じみたいだ」

 「どういうこと?」

 「僕らは同じ鎮守府で頑張る仲間だから、仲間の悩みは解決してあげたい。だから、明石さんがすごく悩んでいるなら、それを解決するお手伝いをしたい。そういう結論が出た」

 「それで明石さんが何を悩んでいるのかもう一度聞こうと思っていたんですけど、さっきのお話で大体分かりました」

 吹雪が意気込むと、時雨も頷く。

 「明石さんの悩みは、提督の隠し事を知ることでしか解決できそうにない。……だから、僕らは提督の隠し事を暴く手伝いをしようと思う」

 「そんな……だって、私はともかく、みんなは普通に怒られるかもしれないよ?」

 「いいんだ。元々僕らも気になってはいたことだしね。提督が隠し事をしたままなのが気になる、そういう気持ちを持った娘は多いんだ。僕らは物言えぬ船じゃなくなったから、行動を起こせる。僕たちの命を、二度目の命を預けられる人のことを知る権利があると思う」

 「……」

 「正当なことだよ。納得しないことには、無茶な命令は聞けない。そういうことを明石さんも朝、言っていたじゃないか」

 「うん……」

 明石は嬉しさを噛み締めていた。そこに、雷。

 「明石さんったら、朝の演説の時すっごく辛そうな顔してたのよ? 自分じゃ気づいていなかったかもしれないけど、見てられなかったわ!」

 「今もそうっぽい」

 「うっ」

 自分でも鏡を見て気付いていた。もちろん、部屋に帰ってきてからの話だ。見るからに落ち込んでいたし、憔悴しているようだった。

 「どう反応すべきか、みんな飲み込めていなかっただけなんだ。明石さんはきっと助けを求めているけれど、どう助ければいいのか、あの時は分からなかったから。一日話し合って、こうやって、決めることができた」

 「あの……明石さん」

 電が小さな声で明石を呼んでいた。

 「何……?」

 電の中には、牛乳を飲んでいる秘密を応援してくれた明石が居た。優しくて頼れる、鎮守府のよろず屋的存在。お姉さん。

 「明石さんにも、もっと……電たちを頼って欲しいのです」

 「僕たちのことは気にしないでよ。ただ、明石さんを助けたいだけなんだ。提督に怒られたりするのは別のことだよ。それに、怒られないかもしれないしね」

 「でも、どうやって?」

 明石はその提案を受け入れたいと思った。みんなで提督の謎を解き明かすなら、こんなに心強いことはない。だけど、その取っ掛かりをまず見つけなければ。

 どこから掘り下げていけば……提督を暴けるのか。

 そこでさらなる意外な人物が口を開いた。そう、不知火である。

 「……こんな謀反とも取れることを推奨する気はありませんが……」

 そう前置きしながらも、不知火は小首を傾げるようにしていた。自分でもどちらの味方なのか考えあぐねている様子である。

 「陽炎や黒潮に知られたら、下手な暴走をしかねません。……黙っておくことにします」

 「どういうこと?」

 近くに居た吹雪が問いかけると、不知火は虚空を見ながら言った。

 「ここでのことは、二人には伝えません。適当に繕って、何もなかったかのように報告します。ですが……ここに立っていた以上、不知火も呉越同舟ということは避けられません」

 「なに遠回しに言ってるのよ。もっとはっきり言っちゃいなさい? 『不知火も頼っていいのよ』って!」

 「違います」

 「何が違うのです?」

 「中立を選ぶということです。積極的な協力はしませんが、強いて止める気もないということです」

 「つまり、客観的に見守ってくれるってことね。やり過ぎだと思うことは反対するし、そうじゃない場合は助けてくれることもある……と」

 明石の言葉に頷いた。

 「そうなりますね」

 「それで、不知火は今、助太刀してくれるの?」

 何となく、そんな気がした。

 提督について調べる一番初めの取っ掛かりを、不知火は知っているのではないか。

 みんなの注目が集まると、不知火は自分の右腕を左手で抱くようにして、やや目線を逸らした。

 「……陽炎と黒潮が、南西諸島方面の海域へ出撃する艦隊に選出されました。作戦開始は近日中と聞いています。新しい海域ということで、大淀さんも艦隊指揮に集中するでしょう」

 「その話初耳だわ」

 明石だけが知らなかったようでもある。実際に出撃している艦娘たちの情報に敵うものは残念ながら無いらしい。

 「そして司令ですが、南西諸島海域攻略を成し遂げた折には、大本営に召喚される予定だそうです。恐らく定例報告を兼ねたものでしょう」

 「ちょっと待てよ不知火、一体どこでそんな情報を掴んでくるんだ?」

 深雪でさえも分かるほど、不知火は情報通に過ぎる。あまりにも駆逐艦離れした知識の差に、愕然としたのだろう。

 「不知火は陽炎たちと同様、南西諸島海域の攻略作戦に編入される予定ですが、海域深度に違いがあります」

 その海域における敵の脅威度が増すほど、深い場所と言うことができる。南西海域は大きく四つの海域に分類されているが……まさか、最も深い場所、沖ノ島近海のことを言っているのだろうか。

 つまり陽炎たちが最深部への道を切り開いた後、海域攻略の主力として編入されている、ということになる。不知火は事実として、頭ひとつ抜け出していたらしい。

 「…………ですが、不知火はこの作戦に懸念を抱いています」

 「どういうこと?」

 「南西諸島海域への侵出とオリョール海付近に展開する深海棲艦の通商破壊までは、現戦力でも可能かもしれません。ですが、沖ノ島周辺海域を攻略しようとするのは、無茶なのではないかと。戦艦や空母の戦力がなければ厳しい戦いになると判断しています」

 「それを進言したことは?」

 「……いえ。進言は控えました」

 つまり、と不知火は続ける。

 「今のまま司令が沖ノ島海域の攻略を進めようとするのであれば、それは間違いです。明石さんが朝に言っていた状況とも一致する状況……というわけですね」

 提督が間違っているという意見を通すことができない状況。不知火にとっては『やろうと思えばできる』が、彼女が『黙殺』してしまえば、状況は同じになる。

 駆逐艦の意見を提督に通す者が必要だと、不知火は言っているのだ。

 明石の背筋が、すっと伸びた。

 「でも……私がそれを代弁する形で提督に進言しに行っても、昼間と同じようなことが起こりかねない……」

 「ええ。ですから明石さんには……もっと“上”へと進言することを推奨します」

 「不知火ちゃん、本気なの?」

 吹雪が不安を露わにする。だが、やるからには徹底的に、という性格がにじみ出ている不知火のことだ。間違いなく本気で言っている。

 「大本営に……直接かぁ……」

 明石は頭を抱えた。前髪をかき分けて額を押さえる。熱でも出そうだった。

 「司令のことを暴こうとするのであれば、何よりもこちらに足りないのは情報です。鎮守府の外の世界と繋がっている情報源がありませんから、司令のことを一番知っているはずの外部の人間に聞くという、最も確実な方法を取ることができません。だから……呼び込んでしまえばいいのです」

 「大本営に提督の指揮に問題があることを報告して、直接文句を言いにこさせる……? うわ、本当に謀反になっちゃいそうだよ……」

 「閉鎖空間である鎮守府の中から事を起こすのであれば、それくらい大それたことでなければなりません。それともあなたは、艦娘として不安定のまま、ここで働くのですか?」

 「それは嫌だよ」

 「ならば、やるしかありません。外部の人間を鎮守府に呼び込み、そこで聞き出すのです」

 不知火の意見はかなり強引なものだ。提督を間接的に叩きのめす結果にもなりかねない。

 それが『邪魔』にならなければ、いいのだが。

 「そうと決まれば、僕たちの役目も決まったようなものだね」

 不知火の話を聞き終えた時雨も述べる。

 「この鎮守府に偉い人が来たら、その人と提督を引き剥がす役だ。何か少し騒ぎを起こせば、その隙にどうにかできると思う。そういう作戦を立てよう」

 「司令官の指揮に不満があると報告しているから、何か騒ぎを起こせば反乱かもって焦るわね。だからその間に分断してしまおう……っていう作戦なのね?」

 雷が自分なりにまとめて反復する。

 「幸いなことに鎮守府は、外部からの干渉を受けない設計になっています。そのことは誰の目にも明らかでしょう」

 「逆を言えば、多少問題が起こったところでお咎めがあるとは思えない。それくらい大事にされている、ということだね」

 深海棲艦に対抗できる戦力をひとまとめにしておける施設。それが鎮守府である、という認識を持っていた。そのことに疑問の一つや二つ、みなあったのだろうが、戦うという至上命題の前には些細な問題だったのだろう。

 しかし明石が真剣に悩んで苦しんでいるのを見て、皆が変わったのだ。

 この無機質な鎮守府で戦い続けることだけじゃない。自分たちはそれ以外のこともできるのだ……と。それを自分たちが示さなければ、何も変えることはできない。

 その『宣誓行為』の先に、明石が求める真実がある。

 提督とは一体、どのような人間なのか。

 一体どんな過去を抱えて、あのような支離滅裂な、無理やり二つの生き物を繋ぎ合わせてしまったかのような不自然な人になってしまったのか。

 前向きの頭と後ろ向きの頭が毎日喧嘩をしているような、そんな提督の正体を明かさないことには、明石の悩みは解消されない。

 鎮守府を覆っている、朝靄のような、全てを曖昧にしてしまう緞帳を引き裂き、提督が何故そうなったのかを明かさないことには。

 大淀との話し合いで納得したつもりだったが、やはり、やらないことには気が済まない。

 「分かった。やるよ。みんなの助けが要る。提督の謎を暴いてみせる。そして私と……みんなが、すっきりした気持ちで戦って、そして帰ってこられるような鎮守府にしよう!」

 駆逐艦たちの声が、高らかに重なった。

 

 




第三幕に続く

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