タイトルの主人公たちとは、原作の主人公たちという意味です。
※被お気に入り数1600突破。みなさん、ありがとうございます。
白雪がキンジ宅に引っ越してきてから、およそ1週間の時が流れた。
その間なにがあったかといえば、これが驚くほど何もなかった。懸念されていた『
……というか、だな。現状、護衛メンバーに俺が入っている意味がわからないんだが。
放課後、男子寮への道を歩きながら、アリアが取り決めた白雪護衛スケジュールを脳裏に思い浮かべる。
まず、朝4人で登校する。これはいい。
午前の授業中はアリアが白雪の教室で護衛。なるほど。
昼休みにまたみんなで合流して、放課後はキンジが護衛。ふむふむ。
……で。
俺の、出番は? どこにもないんですが。
という俺の疑問には、ご主人様ことアリア様が答えてくださった。
曰く、
『あんたは万が一のときのための予備戦力よ。切り札、と考えてもいいわ。もしも「魔剣」が近くまで迫ってる場合、あんたまで見えるように護衛したら、敵にあんたがボディーガードに参加してるってバレちゃうでしょ? だから、あんたはあくまでただ同じ部屋に住んでるだけってスタンスに留めておくべきなのよ』
だそうだ。
まあ……筋は通ってる。間違ったことは言ってないだろう。
とはいえ、こちらとしては拍子抜けだ。なんだろうね。巻き込まれたーとか思ってたはずなのに、やることないと言われたら、それはそれでなんか微妙な感じだ。
ま、それはそれとして、そんなわけで最近の俺は仕事もなく、割と暇だった。蘭豹から押し付けられた火薬運搬係りも、結局動くのはアドシアード期間中だしな。
ちなみに今、白雪はキンジを護衛に伴って、生徒会で行われている『アドシアード準備委員会』に出席している。割と忘れがちになるが、白雪は生徒会長だからな。……そういや、時雨も副会長だっけな。アドシアードの準備で忙しいとかぼやいてたっけ。
そんでアリアの方は、さっきメールが来てた。なんでも
「で……俺はどうすっかなぁ」
こうなってくると、本格的に俺はやることがない。
キンジの部屋で夕飯を作るという手は使えない。昨日作ったカレーがまだ余っているので、今日はそれを食べる予定なんだ。
俺は歩を進めながらどうするかを考えて……そして、一つ思いついた。
「護衛中に不謹慎だが……ゲームするか」
前にも言ったかと思うが、俺の暇つぶし手段はたいていゲームだ。まだクリアしてない
さすがに護衛中にそれはどうかと思ったが、今のところなにも起こんねぇし、俺より遥かに有能な武偵が2人もついてんだ。まあ、大丈夫だろ。
そうと決まれば善は急げということで、俺は少し早足になりながら帰宅する。
そして、目的地にたどり着いての第一声。
「なんか、随分久しぶりな気がするな……こっちは」
という台詞を俺が言った場所は、最近入り浸っていたキンジの部屋ではなく、その隣にある俺の部屋だ。PS3が俺の部屋にしかないもんで、こっちに来たわけだ。
考えてみれば、新学期からこっち、数えるほどしかここにはいなかった。懐かしさを感じるのも、ある意味じゃ当然なのかもな。
そんなことを思いながら、俺は自室からPS3一式とソフトをリビングに運び込み、32インチの薄型テレビに配線を繋いでいく。
「おっと……こいつを忘れちゃダメだろ」
その途中ふと思い出し、俺はテレビ脇に置かれたヘッドホンの端子も差し込んだ。ゲームをやるときは、俺はなるべくそれに集中できるようにこうやってヘッドホンで雑音をカットする。ま、本当はあんまりよくねぇんだろうが。
「AAをやるのいつぶりだっけか? 最近いろいろあったからな、せっかく買ったのにほとんどできてねぇや」
パッケージからソフトを出してPS3にセットしつつ、俺はぼやく。
AAというのは、『アームド・アドベンチャー』の略だ。武器を擬人化、あるいはモンスター化した世界を冒険する、RPGものである。伝説の武器がエリアボスだったりするんだ。エクスカリバーとかロンギヌスとかな。
さってと、じゃあ――久しぶりに、がっつり進めるとしますか!
勢い込んで、俺はメニューから「続きから」を選択した。
* * *
ジャンヌ・ダルク30世。
世界的犯罪組織『イ・ウー』の構成員・『魔剣』。
自身強大な実力を有し、それ以上に策を弄すことにかけてはまさしく一流という、まさに生粋の犯罪者であるこの少女は今、
武偵高のセーラー服姿で、潜伏先の脱衣所の鏡相手にポーズを取っていた。
手を首の後ろに持っていってみたり、角度を作って立ってみたり、しなをつくって妖艶さを醸してみたり。ファッションショーよろしく、ジャンヌは様々なポーズを取っていく。
「ふ、ふふふ……理子は武偵高は美人ぞろいと言っていたが、私も負けていない……いや、これは
この脱衣所は、窓からは見えない。ゆえに電気をつけて、夜中であるこの時間帯でも、潜伏中にもかかわらず一人ファッションショーを開催することができていた。
可愛らしい制服を着た自分を見て悦に入るジャンヌの口元が、鏡の中で抑えきれない喜びに弧を描く。
実はこのジャンヌという少女、『イ・ウー』の仲間内の誰も知らない(もしかしらたら組織の頭首は知っているかもしれないが)趣味がある。
少女趣味。長身で、どちらかといえば可愛いよりも綺麗という形容が似合うジャンヌが、自分にない可愛さに憧れたゆえの趣味だった。
今まではただ心の内に秘めていただけだったのだが、今回の作戦において星伽白雪に変装する必要が生じ、理子から武偵高の制服を調達してもらったことで、そのうっぷんが爆発した。
もちろん、始めは違ったのだ。制服に合わせ、理子が作成した特殊マスクと、同じく理子に習った特殊メイクを併用し、その姿で神崎・H・アリアにトラップを仕掛ける。そうすることで、彼女たちの不和を引き起こす狙いだった。
だが、思いのほか武偵高の制服が可愛いことに気づいたジャンヌは、ある日変装無しで制服を着込み、今日のように鏡の前に立ってみた。
そこに映る愛らしい自らの姿(誤解ではなくジャンヌにはナルシストのケがある)を目撃した彼女は、以降たびたびこうしているのだった。
(『イ・ウー』に戻れば、こんな格好は出来ないからな。今のうちに堪能しておかねば……)
出来るなら他の洋服――たとえば理子のようなロリータファッションなど――にも手を出してみたいところではあるが、さすがにそれは自重した。ちなみに、白雪がよく着用している巫女服もあるにはあるのだが、ジャンヌ的には食指が動かなかったらしい。
そんなわけでせめてこの制服だけでも思い切り堪能しておこう、とジャンヌはさらに先の領域へと手を伸ばす。
「そう言えば、理子が言っていたな。「下着姿にリボンは最強」、だったか。……いやいや、さすがにそれは……いやだがこんなときくらいしか……というかそれはもう制服関係なくないか?」
なんだか策士の一族とはとても思えないような方向に悩み始めるジャンヌに、幸か不幸かストップがかけられた。
『ただいまー』
「(ビックゥ)!?」
突如廊下から聞こえてきた声に、ジャンヌはもう完全に策士とは呼べない慌てぶりを見せた。
しかしすぐにここが空き部屋であることを思い出し、では今の声は……? と首を捻ったところで、ジャンヌは第3男子寮に監視カメラおよび盗聴器を仕掛けていたことを思い出した。
万が一誰かがこの部屋に入ってきた可能性を考慮して、そろそろと脱衣所の扉を開けたジャンヌは、そうっと隙間からリビングに置かれたモニターに目を向けた。
そこでは丁度、いくつかに分割された画面の一つに、家主である遠山キンジと
ジャンヌはほっと一息ついてリビングに向かい、モニターの前に座って画面の中のキンジに指を突きつけた。
「まったく、私を驚かせるとはどういうことだ遠山。覚悟はできているのだろうな?」
覚悟もなにもキンジにとっては冤罪以外の何物でもない。
が、それはともかくとしてジャンヌは盗聴器から並行して流れてくる音声に耳を澄ませた。
『キンちゃん、錬君が帰ってないみたいだけど……』
『だな。さっき電話したんだが、出なかった。どこか行ってるんじゃないのか?』
(なるほど。有明は今この部屋にはいないのか。護衛の任務を放り出すとは思えないが……さて)
聞こえた会話に、ジャンヌは眉を寄せる。
実のところ、アリアが対策した錬を隠し玉にする作戦だが、当然ジャンヌにはバレていた。護衛拠点であるキンジ宅を監視していれば、そんなことはすぐにわかった。
(ふむ……ならば、好都合だ。そろそろなにか仕掛けたいと思っていたところだしな)
ここでジャンヌはようやく常のクールな表情と思考に戻り、かねてから考えていた、白雪とアリア――あるいはキンジとアリアを引き離す作戦を実行に移すことにした。具体的な策はまだないが、なにかするとしたら、錬がいない今が最適なタイミングだった。
監視を続けること、3時間弱。それまでは特になにごともなくさすがにジャンヌも飽き始めたころ、キンジと白雪に動きがあった。
『白雪。俺は、少し風呂入ってくる』
『あ、うん。じゃあ、私はお部屋で鬼道術の練習してるね』
言葉通り、キンジは脱衣所の方へと向かい、白雪は自らに割り振られた部屋へと入っていった。
そして、15分ほどが経過して、脱衣所の監視カメラ映像の中でバスルームの明かりが消える。
と同時に、玄関に設置された監視カメラ映像に、帰宅してきたアリア(手にはももまんの袋を抱えている)が映った。
(好機――ッ!)
即座にジャンヌは一瞬で頭を巡らせ、素っ裸で脱衣所に出てくるであろうキンジを見ないためにモニターから目を逸らしつつ、非通知で白雪に電話をかけた。
基本的に携帯電話をすぐ傍に置く(キンジからの連絡に即時対応するためだ)白雪が電話に出た瞬間、ジャンヌは得意の変声術でキンジの声を模倣し、白雪に言った。
「すぐ来てくれ白雪! 来い! バスルームにいる!」
返事は聞かずに、ジャンヌは通話を切る。
直後、すでに下着をはいたキンジがいる脱衣所のカーテンが開き、
『――キンちゃん!? どうしたの!?』
『は、はっ!?』
唐突にやってきた白雪に狼狽しつつ、キンジは白雪から「電話でキンジに呼び出された」という話を聞く。
当然風呂場からそんなマネができるわけがないので抗議する中、白雪はキンジが半裸になっていることに遅まきながら気づき、
『――ごっ、ごめんなさいっ! ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい!』
廊下に向かって跳躍し、土下座しながら着地するという荒業を見せつけ、ものすごい勢いで謝罪しはじめた。
しかしこれでは終わらない。とりあえず落ち着かせようとするキンジに対し、超絶白雪理論が働いた結果、
『おあいこ! キンちゃんも私のお着替えを見れば、公平になるんだもん!』
『――はっ!?』
「いやその理論はおかしいだろう」
けしかけたジャンヌすらつっこむほどの暴論により、白雪はその場で巫女服を脱ぎ始める。
そんなことをされてはヒステリアモードになってしまう! とキンジは慌てて白雪の脱衣を阻止しにかかる。
しかし白雪も強情なもので、諦めずにさらに衣服をはだけさせていく。
『キンちゃんやめて、放して!』
『おとなしくしろ!』
――言い方が悪かった。
状況は、さらに悪かった。
真実を知る者ならどちらが被害者(?)かはわかっただろうが、
『ただいまー』
今しがた帰ってきたばかりのアリアにそれを察しろと言うのは酷な話だった。
――その後の展開はお察しの通りである。
当然のようにキンジが白雪に襲い掛かっていると勘違いしたアリアは、激昂の末にキンジを追い詰めて夜の東京湾にダイブさせたのだ。
この珍騒動の陰なる犯人であるジャンヌは、いまだ部屋で暴れるアリアと白雪を眺め、
「ま、まさかこんなに上手くいくとは……」
自分が仕掛けた事態に、少しだけ驚いていた。
* * *
……ええ、まあ、なんといいますか。
しばらくぶりにプレイすると、一気にうっぷんが解放されるな、ゲームってのは。
これはしかたないと思う。なんだかんだで、ゲームは人間が熱中できるようにと作られた物だ。それをあんた、ずっとおあずけ喰らってたら、そりゃ爆発的に再燃しますって。
5時間とか平気でやっちゃいますって。
「…………」
……いや、言いたいことはわかるよ。護衛任務中になにやってんだよお前って感じだよ、今の俺。
俺もそこのところはちゃんとわきまえてて、キンジたちが帰ってくるまでには終わろうとは思ってたんだが……もう確実みんな帰ってるよ、これ。とっぷり暮れてるもん、窓の外。
……うん。サボり発覚からの風穴コンボが目に見えるようだ。
で、でも大丈夫だから! 今丁度ボス戦だから! これ終わらせたら速攻そっち行きますんでホント!
というわけで俺は現実から目を逸らし、代わりにテレビの画面を見る。
そこでは、この面のボスである『デュランダル』という怪物が両手を広げて俺のパーティーを迎え撃っていた。
奇遇にも、こいつは白雪を狙っているかもしれない例の犯人と同じ名前だ。代償行為ではあるが、これは叩き潰してやらねぇとな。
……ん? 『デュランダル』がなにやらチャージをし始めたぞ。
ははーん、
「お見通しだぜ、『デュランダル』。テメェが今なにしているか、全部な」
後に待つであろう現実を忘れて高揚してきた俺は、思わずそんなことを口に出す。どうせ誰が聞いてるわけじゃない。
バカめ、『デュランダル』。そのチャージからの攻撃は、剛気から聞いてんだよ。そいつは光線系の技だろ? アイテム『リフレクト』で跳ね返してやる。
「テメェにゃ見えねぇだろうがな、俺にはお前をぶっ潰す手段がある」
俺は相手からは見えていないだろうアイテムストレージから『リフレクト』を使用する。こいつは使用した次のターン、相手からの光線系の技を全て跳ね返すというアイテムだ。
そしてターンは、相手に移る。さあ『デュランダル』、さっさと撃ってきやがれ――いや、その前にボスの脇を固めるザコキャラ(なぜか人間の敵だった。『デュランダル』に操られているという設定らしい)が攻撃するのか。
……おっ、ラッキー。偶然にもこいつも光線系の技使う気だ。
丁度いいぜ、これを『デュランダル』の前のデモンストレーションとしよう。
「――こんな風にな」
俺は先ほどの台詞に続ける形で、唇を歪めながら言った。
そしてボタンを押し、「『リフレクト』発動」というコメントを進めてエフェクトを起こそうとしたところで――すぐ近くをゴキブリがダッシュするのを目撃した。
――うおっ!?
思わず立ち上がってしまい、その拍子にブヅッ! とヘッドホンの端子が外れて、さらに同時にボタンを押し込んでしまった。
瞬間、
「ぐわぁあああああああああああああ!?」
という男の声優を起用したやたらリアルな断末魔が、テレビから響いた。ゲームのBGMすらかき消すほどの音量って、このゲーム会社は力の入れ所間違ってるだろ。
とはいえいつまでもこんな声を垂れ流しにしてたらどこかから苦情なり通報なりがありそうなので、俺は瞬時に端子を繋ぎなおす。
あ、焦った。まさか、ゴキブリが出るとは。やっぱ長い間家を空けるもんじゃねぇな。
ちょっとしたハプニングがあったが、その後は何事もなく『デュランダル』も無事に撃破。セーブしてから、俺はゲームを終了した。
ヘッドホンを外し、一息つく。
――と、その時、タイミングを見計らったように携帯電話が鳴った。
慌ててポケットから取り出しディスプレイを見ると……相手は、アリアだった。
当然、俺は迷った。出るべきか、出ざるべきか。
だが護衛をサボったあげくに電話を無視したりすれば、きっと口に出すのも憚られるようなお仕置きが待っているに違いないので、俺は諦めて通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「もし――」
『錬! あんた、今どこにいるのッ!』
2秒で後悔したね。
アリアの声は明らかに怒気を孕んでいる。こりゃ、下手なことは言えねぇぞ。
かといって素直にゲームしてましたとは絶対言えないし……よし。ここは賭けに出よう。
「今は、俺の家だ。長らく空けてたから、少し様子を見にな。さっきまでは
俺、犯人の才能があるんじゃねぇだろうか。まさか、こんな息をするようにそれっぽい嘘をつくなんて。
いや、だが信じられないことにアリアはシャーロック・ホームズの子孫だ。もしかしたらバレるかもしれない。
という俺の懸念は杞憂だったようで、
『そう! そういうのが正しい武偵よ! なのに、キンジのやつ……ッ!』
ん? 俺に怒ってるわけじゃないのか?
というかキンジ。お前また何かやったのか。
「なんだ。なんかあったのか?」
『なにかあったどころの話じゃないわ! さっきあたしが帰ったらね、下着姿のキンジが廊下で白雪のふ、ふふ服を脱がそうとしてたのよ!? 白雪のバカは「合意の上だ」なんて言ってたけど、たとえそうだとしてボディーガードとしてそれは
まあ、確かに
「で? そのキンジは今どこに?」
『あたしが東京湾に追い落としてやったわ!』
「……そ、そうか」
ここ、3階なんだけどな。
『とにかく、あんたもこっちに帰って来なさい! キンジが登って来たら、一緒にあいつを説教するわよ――って、こら白雪! なにするのやめなさい!』
『アリアこそ、キンちゃんにお仕置きなんて許さないよ! あれは合意だったのぉー!』
ガッチャンガッチャンと、破壊音らしき何かがスピーカーから聞こえてくる。
ああ……また、部屋が壊れてんのか。せっかく直したのに。
まあ……、
「とりあえず、俺のほうはなんとか誤魔化せたのかね」
自業自得っぽいキンジの心配はハナからせずに、俺はがりがりと頭をかく。
それから俺は、おそらく戦争状態であろうキンジの部屋へ向かうため、玄関の方へ歩いていった。
* * *
アリアと白雪が戦っているのを尻目に、ジャンヌはモニターの前から立ち去り、今度は別口のスピーカーのほうへと向かった。
目的は、有明錬の部屋にしかけた盗聴器を起動させるためである。
『
しかし肝心の錬は入院中でまったく部屋に戻ってこない上に、退院してからもキンジの部屋に居候するらしく、結局ジャンヌは念のために盗聴器だけ設置しておくに留めていたのだ。
そのことをつい先ほど思い出したジャンヌは、もしかしたら錬はそちらの部屋にいるのかもしれないと思いつき、遅ればせながらその盗聴器のスイッチを入れた。
ザザ……ッ、とノイズが一瞬走る。
しかし、その後には何も続かない。ただ、無音だった。
これは無駄足だったか、とジャンヌが嘆息したその瞬間、
『お見通しだぜ、「
と、スピーカーから声が響いた。
「…………は?」
ジャンヌは、思わず呆けた声を出す。
スピーカーから、有明錬の声が聞こえた。それ自体はなんの問題もない。
だが、その内容。あたかもジャンヌがこの瞬間、錬に盗聴を仕掛けていることがバレているようなその台詞に、ジャンヌは背筋を凍らせた。
最悪の想像が、脳内を駆け巡る。
(ま、さかコイツ……
神崎・H・アリアは、部屋に無数の監視カメラを設置することで、『魔剣』の動向を監視しようとした。
だがジャンヌはその裏をかき、逆に白雪たちを監視していたのだ。
しかし、もしも。
脳裏に、以前理子が言っていた言葉が蘇る。
――あいつらを、舐めるな。
(いつだ? いつ私の居場所がバレた? いや、そもそも私の居場所が知られているなら、なぜ攻めてこない?)
想定の遥か埒外の事態に、ジャンヌの頭脳は空転する。策を練る者は、往々にして想定外の事態に弱い。偉大な策士の一族を継いでいるとはいえ、まだ十代のジャンヌにはそういう精神的な脆さがあった。
しかし、とはいえ時間を置けば彼女は冷静になれただろう。冷静になって、なにかしらの答えや対抗策を弾き出したはずだ。
だが。
有明錬はそれを許さない。
『テメェにゃ見えねぇだろうがな、俺にはお前をぶっ潰す手段がある』
追撃のように、スピーカーの向こうで錬はそう言った。
見えない。それはつまり、監視カメラの未設置を意味しているのだろう。
完全にこちらの手の内が暴かれていることに戦慄するジャンヌは、後半の台詞に眉を寄せた。
そんなジャンヌの様子を知ってか知らずか、錬は続けて言う。
『――こんな風にな』
一拍置いて。
次の瞬間、
凄まじいまでの怨嗟の絶叫が、スピーカーを割らんばかりに轟いた。
「――ッ!?」
小さく、喉がひきつけを起こす。
反射的に、ジャンヌは盗聴器のスイッチを切った。
先ほどの絶叫が嘘のように、シンと静まり返る室内……否、ジャンヌが発する荒い呼吸が空気を揺らしていた。
「なん、だったんだ……今のは」
具体的に、スピーカーの向こうで何が起きたのかはわからない。聞こえてきた悲鳴も、誰の物なのかわからない。
しかしそれが逆に、ジャンヌの恐怖感を煽っていた。
なぜか喉がやたらと渇く。えもいわれぬ焦燥感が、ジャンヌを包み始める。
「とにかく、ここにはもういられない。私の居場所が知られている以上、ここにいてはマズイ」
ジャンヌは冷や汗をぬぐうこともせずに、すぐさま撤退準備を始める。幸い、第3男子寮とこの第1女子寮は距離がある。逃走時間は十分に稼げるはずだった。
それぞれの機器からデータを消しながら、ジャンヌは
(気づけなかった……! この私が、一切!)
屈辱。ジャンヌの胸中を占めるのはその感情だ。
策に嵌めたつもりが、いつのまにか嵌められていた。
狩人と獲物、その立場が気づけば逆転していた。
未だジャンヌに攻撃の手が伸びていないことが、まるで見逃されているかのようだった。
今はまだ、見逃してやる。だが、直接俺の仲間に手を出せば――喰らうぞ。
そう、言われているようだった。
「クソ……ッ!」
自分に惨めさを、有明錬に悔しさを感じながら。
ジャンヌ・ダルク30世は、『使われていない部屋』から脱出していった。
* * *
「
亮のエッジの効いた歌声に合わせ、剛気のドラムが、キンジのエレキギターが、そして亮本人が演奏するもう一つのギターが、強襲科の体育館に響き渡る。
彼らのバンドから少し離れたところでは、アル=カタのチアを練習するチアリーダー集団がポンポンを揺らして練習していた。その中にはアリアの姿もあって、胸元に銃弾型の穴が開いた衣装で小さな体を躍動させていた。
初めて見たが……上手い、な。バンドもチアも。なにより楽しそうだ、みんな。キンジはチアの女子たちに嫌そうな顔をしてるが。
しかしキンジのやつ……もう風邪治ったのか。治りはえぇな。
キンジは昨日、学校を風邪で休んでいる。どうやら一昨日の夜東京湾に落とされたのが原因らしい。まあ、時期的にはともかく半裸で海に落ちたんじゃ、それもしかたねぇかもな。
……まあ、それはともかく、
「本当なら、俺もあっち側だったんだけどな……」
体育館の端で、キンジたちの見学という名目で護衛メンバーに加わっていた俺は、そんなことをポツリと呟く。
あいつらは自分の役割を楽しんでるってのに、俺は蘭豹に押し付けられた火薬運搬係り。万が一引火でもさせようものなら、学園島は吹っ飛び、俺は一気に大量殺人犯だ。
「やるせねぇぜ……」
若干気落ちしてきたテンションの俺に構わず、練習は進む。
キンジたちが演奏する曲――『フー・ショット・ザ・フラッシュ』――が終わりに近づき、チアたちは一斉にポンポンを頭上に投げた。
本来はここであのポンポンを2丁拳銃で撃ち、バラバラにする演出が入るんだが、さすがに今日はそこまではしないようだ。
で、最後の一音がかき鳴らされ、白雪の合図とともに本日の練習は幕を閉じた。
「おーう、錬! どうだったよ、オレたちの演奏は?」
スティックを仕舞いながら、剛気は大声でそう訊いてくる。
俺は彼らの方へ近づきながら、
「上手かったと思うぜ。まあ、素人意見だけどな」
「有明君も、参加すればよかったのに」
スポーツドリンクで喉を潤す亮に俺は肩をすくめて、
「そういうわけにもいかねぇんだ。言ったろ、本番じゃ雑用が入ってんだよ」
「あはは、それはご愁傷様というしかないなあ。……あれ? 遠山君、どこ行くの?」
つられて視線を向ければ、いつのまにかギターを下ろしたキンジがどこかへ行くところだった。
「ちょっと屋上に行ってくる。ここは、女子が多くてかなわん」
「おいおいキンジぃ、そこがいいんじゃねえかよ」
「お前と一緒にするな、武藤」
半眼で剛気を見やってから、キンジは階段の方へ歩いていこうとする。
俺はそれを慌てて引きとめ、キンジの耳元に口をやり、小声で、
「(おい、いいのかよ。白雪置いて離れても。ボディーガードだろ、お前)」
「(アリアがいるし、いざとなればお前もいるだろ。なら、大丈夫だ)」
同じく小声で返すキンジに、俺は眉を寄せる。
言ってることは間違っちゃねぇのかもしれねぇが……ボディーガードとしてどうなんだ、その態度は。というか頼むから俺を戦力として期待しないでください。
ここは一度なにか言っておくべきだろうかと俺が逡巡していると、
「(というかだな、俺はそもそもこのボディーガードの必要性自体疑ってるんだ。『魔剣』なんて、ただの都市伝説だろ。だってのに、アリアのやつは居もしない『魔剣』を捕まえようと躍起になってる。辟易してるんだよ、俺は。――そういうわけだ。じゃあな)」
「あ、おい!」
一気にまくし立てて去っていくキンジに、俺は制止をかける。が、彼が止まることはなく、さっさと階段を上っていった。
まったく、あいつは。せめて任務くらいはちゃんとやれよな。
そんなことを思いながらキンジが去っていった方向を見ていると……トコトコと小走りで、チアリーダー姿のアリアが階段へと向かっていくのが見えた。どうやら、キンジを追いかけていったらしい。もしかしたら、護衛をほっぽりだしたことを糾弾しにいったのかもな。
病み上がりなんだから風穴は勘弁してやれよ、と心中で考えてから、俺は剛気たちとの会話に戻る。
そして、数分後。
突如、ドガガガガガガッ! と連続した発砲音が上――屋上から響いてきた。
あ……あの、
「悪ぃ! ちょっと様子見てくるわ!」
剛気たちにそう告げて、俺は慌てて階段に向かってダッシュする。さすがに、今の病み上がり状態のキンジに対して発砲はやりすぎだ。これでボディーガード要員が減ることになれば、目も当てられない。
幸い、屋上には階段を一階分上ればつく。あまり時間はかからないだろう。
だが、踊り場あたりまで来たところで、再び轟音が――今度は、発砲音と着弾音が混ざったような音が聞こえてきた。撃ちすぎだろ、おい。
そして、俺は残りの半分も上りきり――丁度その瞬間、眼前にあった屋上へと続く扉が、バガァン! と蝶番が吹っ飛ぶのではないかと思うほどの勢いで開いた。
そこから飛び出してきた小柄な少女は、やはりというかチアリーダー姿のアリアだった。
一目で、発憤していることが見て取れるほど、彼女は荒々しい怒気を身に纏っていた。
しかしそれだけではなくなにか悲しいことでもあったのか、その大きな両目には今にも零れそうなほど涙が溜まっている。
その姿を見た俺は、思わずたたらを踏んでしまった。出会いがしらだったからというのももちろんあるが、さすがに病人への発砲は看過できないと告げるつもりが、まさかこんな表情を見せ付けられるなんて、思ってなかった。
そんな俺に、アリアもまた気づいたようで、
「錬……あんた、いつからそこにいたの?」
溢れる寸前だった涙をぐしぐしと腕で拭いながら、アリアは俺に尋ねる。
俺はどこか居心地の悪さを感じながら、
「あー……今来たばかりだ」
「そう……もしかして、さっきの聞こえてたの?」
いまだ冷めやらぬ怒りがあるのか、
「まあ、あんだけでかけりゃ、な」
と、答える。
さっきのというのは、おそらく銃声のことだろう。1発2発なら武偵高の常として聞き逃したかもしれないが、さすがに直上であれだけ連射されれば、いくらなんでも馬鹿でかい音になるからな。
と、俺はそんなつもりで返答したわけなんだが、ちらりと視線を戻した先でなぜかアリアは表情を曇らせ、
「そう、聞いてたの……。じゃあ、あんたも思ってるの? あたしのことを、キンジとおんなじように……思ってるの?」
そう問いかけた、アリアは。
どこか、がけっぷちに追い込まれているかのような、思いつめた表情をしていた。
まるで、俺の返答しだいで全てが終わってしまうと、そんなことを考えていそうな雰囲気だった。
……ど、どうしよう?
正直に申し上げよう。さっぱり、なんの話かわからない。
だが、この場面で「なんのことだ?」なんて聞き返せるわけがない。さすがにそんな回答が許される状況じゃないことくらい、わかる。
考えろ、俺。この状況から、答えを導きだせ。
キンジが屋上へいった。アリアはそれを追いかけた。(おそらく)アリアが銃を撃った。アリアは今、泣きそうになっている。その原因は多分、キンジがアリアを傷つけるような言動をした……ってことだろう。状況的に見て。
では、キンジは何をした?
……ダメだ、そんなのわかるわけ――
『「魔剣」なんて、ただの都市伝説だろ。だってのに、アリアのやつはいもしない「魔剣」を捕まえようと躍起になってる。辟易してるんだよ、俺は』
瞬間。
俺のシナプスが、繋がった。
これだ……これだよ。おそらく、キンジがアリアに言ったのはこれだ。
屋上へ行ったキンジを追いかけたアリアはきっと、キンジを叱ったはずだ。護衛を放り出すとは何事か、と。
だがキンジは、このボディーガードに必要性を感じていない。なぜなら、『魔剣』などいないと思っているから。
対して、アリアは真逆。『魔剣』は絶対いるものとして、その逮捕に尽力している(なぜかはわからんが)。
意見が分かれた末に待つのは、衝突だ。そして普段からよくケンカになるあいつらのことだ、言い合いに発展したのは間違いないだろう。
そこで、おそらくキンジは言ったのだ。「『魔剣』なんていない」、と。アリアの努力を、全て無駄だという形で切って捨てたんだろう。
だから、アリアは今ここにいる。泣きそうな顔で、ここにいる。なんせ、パートナーと呼んだ相手から、全否定されたのだから。
ならば。
俺がこの場面で言う台詞は、これしかないだろう。
「いや、俺はキンジとは別意見だな」
「え……?」
きょとん、と。そんな擬音が似合いそうな顔で、アリアは小さく零した。
俺はそんな彼女の顔を見返し、
「俺は、お前が間違えてるとは、思ってねぇよ。そりゃ、絶対にとは言えねぇけどな、まあそのぐらいは信用してんだ、俺は」
俺自身が会ったわけじゃないから確証はないが、おそらく『魔剣』はいる。なんせ、教務科が直々に白雪に護衛をつけようとしたんだ。あいつらは、滅多なことでもなけりゃ、自主的には絶対生徒を守ろうとしない。つまり、生徒を守らないはずの教師が動いた。これが逆説的に、白雪が本当にやばい状況にいることを指している。
……言っててなんだが、なんて嫌な信頼関係だ。助けてくれないことを信用している教師なんて、世界広しといえど武偵高くらいじゃねぇのか?
まあ、それはおいといて、だ。
俺は怒った仔ライオンを刺激しないように笑みを浮かべつつ、
「だから、大丈夫だ。俺は、ちゃんとわかってるから。それに、キンジだってお前を拒絶したいわけじゃねぇはずだぜ?」
だから怒らないでね、と心中で続けつつ、俺はキンジへのフォローも入れておく。なにせあいつが否定したのは『魔剣』であってアリアじゃないんだ。さすがにアリア本人を否定なんぞしてたら、フォローできそうにないが。
で、俺の渾身のフォローを受けたアリアは、
「…………」
と、無言で顔をうつむけた。ピンク色の前髪が、彼女の表情を隠す。
……あ、あれ? なにこれ? なんか、想定してたリアクションと違うんですけど。
もしや爆発の前兆かー!? と俺が危惧を抱いた瞬間、
「――――」
アリアが、なにかをぽつりと呟いた。
? 今、なんて言った?
それを俺が聞き返そうとして、
アリアは、だっと駆け出して階段をものすごい勢いで下っていってしまった。
階下へと消え行く小さな背中を、俺は呆然と見送った。
……お、おう?
アリアの行動の意味を考えるも、さっきとは違い、今度は俺のシナプスさんは活躍してくれなかった。
ので、
「……ミスったのかな?」
と、俺は一人首をかしげた。
* * *
有明錬の推理は、大枠では当たっていた。
確かに、彼の予想通り、
最初に爆発したのは、意外というべきかやはりというべきか、キンジの方であった。
家を破壊されたあげくに勝手に要塞化を施され、ただでさえ女性を忌避するキンジに構わず白雪を同居させたり(これはまあ護衛の観点上必ずしも間違っているとは言えないが)、あげくの果てに現在強制的な早朝訓練にて、あの有名な達人技『
前述した脳天への蹴りは制裁兼白刃取りの訓練だったこともあり、キンジはまずそこからアリアを弾劾した。真剣白刃取りなど、一朝一夕でできるはずがないと反論したのである。
しかし、
「ダメよ! この前あんたにも言ったでしょ! 『魔剣』は剣の名手、その剣は鋼をも斬るって話よ。そんなの防ぐためには、白刃取りしかないでしょ! それに、前に
「だからどうした! 俺は、あいつじゃない! 俺とあいつを、同列に見るな!」
「でも、あんたは錬とパートナーだったんでしょ!? だったら、あんたにも同等の力があるはずだわ、できないわけがない!」
「こ、の……ッ!」
らちがあかない。キンジは端的にそう思った。
あるいは、ヒステリアモードのキンジだったならば、まだ現実味のある話だった。だが、
しかし、アリアはそれを理解しない。いや、できない。もちろんヒステリアモードのことを知らないというのもあるが、それ以前の話だ。
アリア自身は、白刃取りができる。そして、錬も可能らしい。
それは、天才の理論だ。自分が出来る。だから相手もできるだろう。むしろ、なぜできないのかがわからない。そういう領域の住人なのだ、この少女は。
そこが、キンジにはついていけない。ヒステリアモードという力を持っているとはいえ、大部分において凡人と呼べるキンジには、アリアを理解できない。
それに、
「そもそも、『魔剣』なんていねえんだよ! 結局、いままで白雪にはなにもなかっただろ! お前は、かなえさんを助けたいばかりに願っちまったんだよ! 『
「ッ!」
キンジの言葉に、アリアは唇を引き結んだ。
神崎かなえ。今は新宿警察署に拘置されている、アリアの母親だ。
彼女はイ・ウーに懲役864年の
そしてその罪を着せた者のなかに、『魔剣』の名があった。
だからアリアは、白雪の護衛を引き受けた。彼女を付け狙う『魔剣』を、迎えうち逮捕するために。
だが、とキンジは思う。
都市伝説である『魔剣』が実在する証拠はどこにもない。ましてや、白雪が狙われている可能性など、輪をかけて少ないだろう。それは至極まっとうな意見ではあった。
だが、とアリアもまた思う。
『魔剣』は、いるはずなのだ。でなければ、かなえに着せられた罪が説明できない。いや、そんな論理以前に、アリアの
「『魔剣』は、いるわ! あたしのカンでは、もうすぐそこまで来てる!」
「カン!? ふざけんなよ、アリア! 武偵は、そんなもん頼りにしねえ!
「でも、いるの! 絶対に!」
「
――その、続きを。あるいはキンジは言うべきではなかったのかもしれない。
アリアの
しかし彼は、言った。
「
直後。
アリアの顔が蒼白に染まった。
反射的に、キンジは気づいた。今自分が放った言葉が、アリアの胸を抉る刃に変貌したことを。
遠山キンジは、今、神崎・H・アリアという少女そのものを否定したのだということを。
だけど、咄嗟に謝れない。冷静ではない頭が、それを拒否する。
そしてアリアは2、3歩後ずさり、刹那表情を変えた。
衝撃から、憤怒へと。
「そう……あんたも、そう言うんだ。みんなと一緒で、あたしをわかってくれないんだ。先走りの、独り決めの、弾丸娘――ホームズ家の欠陥品だって、あんたも思うのね!」
ドウッ! という気迫をキンジは受けた。
彼女の声から、彼女の目から、彼女の雰囲気から、キンジは悟る。自分は今、アリアを心底怒らせた、と。
アリアの言は続く。
「あたしにはわかる! すぐ近くまで、敵は来てる! でも、それをうまく言葉にできない! 論理立てて、推理として、シャーロック曾お爺さまみたいに証明できないのよ! だから誰も信じてくれないし、あたしはいつだって
「……もう一度言うぞ、アリア。
「――ッ! あんたは、あんたたちだけは信じてくれるって思ってたのに……!」
アリアは、ギリリと歯の根を思い切りかみ合わせると、唐突に左右のレッグホルスターから二丁のガバメントを取り出し、
「こ、の……バカキンジィ――――――――ッ!」
叫んで、両手の引き金をめちゃくちゃに引いた。
乾いた音が連続で響き、亜音速の弾丸が幾筋もキンジの体を掠める。
(ちょ……っ!?)
しかし、それだけでは終わらない。助走をつけたアリアは、キンジの顔面に飛び乗り、さらに跳躍。キンジが地面にもんどりうつのを尻目に、屋上に設置されていた貯水タンクに再装填した弾丸をこれまた連続で叩き込んだ。
そしてアリアは、着地すると同時に、すぐさま階段へと通じる扉に駆け寄り、勢いそのままにドアノブを捻った。
強烈な音を響かせながら開いた扉の向こうへ体をすべりこませ――そこでアリアは、一人の少年に会った。
そこにいたのは、先ほどまで体育館にいたはずの黒髪の少年、有明錬だった。
驚いたような表情をしている彼に、アリアは問いかける。
「錬……あんた、いつからそこにいたの?」
知らず溜まっていた涙を腕で拭うアリアに、錬はどこか気まずそうに落ち着かないしぐさで、
「あー……今来たばかりだ」
と、答えた。
その回答に、アリアは少々ほっとする。錬の言葉が本当なら、さっきの言い合いは聞こえてなかっただろうから。
だが、この妙に気忙しない態度が気にかかる。本当になにも聞いてなかったなら、こんな様子を見せる必要があるだろうか?
だからアリアは、
「そう……もしかして、さっきの聞こえてたの?」
と、探りを入れた。
錬はますます居心地が悪そうに視線を斜向けつつ、
「まあ、あんだけでかけりゃ、な」
(なによ……やっぱり、さっき来たなんて嘘じゃない)
確かに、アリアの怒鳴り声はさぞや大きかっただろう。だが、いくらなんでも階下に届くレベルではなかったはずだ。ということはつまり、錬はそのときからここにいたことになる。
(嘘が、下手なんだから……)
聞かれていたことが確定し、アリアはその玉容に陰りをつくる。
次いで、
「そう、聞いてたの……。じゃあ、あんたも思ってるの? あたしのことを、キンジとおんなじように……思ってるの?」
その時のアリアの心情を一言で表すなら、『諦観』というのが的確かもしれない。
あるいは、自棄になっていると言ってもいい。訊かなければ、これ以上傷つくことはないのに、それでもアリアは訊いた。その先でキンジ同様否定されれば、確実に自分という殻に閉じこもってしまうだろうことを、どこかで感じながら。
しかし。
有明錬は、そんな
「いや、俺はキンジとは別意見だな」
あっさりと。なんでもないように。
有明錬はそう言った。
「え……?」
アリアは咄嗟にはその言葉を理解できなくて、そんな呆けた声を出した。
しだいに、スポンジが水を吸収するようにじんわりと理解が追いついていく。
その間にも、錬の言葉は続く。
「俺は、お前が間違えてるとは、思ってねぇよ。そりゃ、絶対にとは言えねぇけどな、まあそのぐらいは信用してんだ、俺は」
信用。信じている。錬は、そう言った。
――俺は、お前を信じられない。
最前、キンジに告げられた台詞が想起される。
信じていると、信じられない。正反対の言葉。
遠山キンジが、神崎・H・アリアを否定したとすれば。
有明錬は、神崎・H・アリアを肯定した。
「だから、大丈夫だ。俺は、ちゃんとわかってるから。それに、キンジだってお前を拒絶したいわけじゃねぇはずだぜ?」
錬は、笑いながらアリアを諭した。
アリアは、そんな錬の顔を見上げる。今のアリアには、どこか錬が大人びて見えた。
彼女はたまに、錬がとても年上であるかのように錯覚することがある。普段はむしろ子供っぽいところがある彼が、どういうわけか時折包み込むような雄大さを見せるときがあるのだ。
まるで、敬愛する父親のように。あるいは、彼女に実兄はいないが、子供の頃に夢想した兄のように。
(うわ、わ……っ)
そんなことを思った瞬間、急に気恥ずかしくなったアリアは、慌てて顔を下に向けた。今錬に顔を見られるのは、どうにも許容できそうになかった。
気づけば、数刻前までの憤りが、消散していた。代わりに、いろんな感情が渾然一体となってアリアの心中を占めていた。
たとえば、羞恥心だったり。たとえば、随喜だったり。たとえば――
「……ありがと」
アリアは、感謝の気持ちを籠めて小さく呟いた。
それがまたくすぐったくて、アリアは錬の反応も待たずに、急いで階段を駆け下りていった。
体育館へ下りて、そのまま外へと駆け出していった少女の口元には、しっかりと弧が描かれていた。
* * *
――ちなみに。
(……で、出るに出られねえ)
扉越しに錬たちの会話を聞いていたキンジは、複雑な思いを胸に、あおむけになって屋上の地面へと身を横たえていた。
貯水タンクに弾痕で書かれた、『バ カ キ ン ジ』と読める穴から溢れ出る水の音は、キンジには最悪のBGMに聞こえたそうだ。
錬が白刃取りをやったという話は、一話をご参照ください。
投稿間隔は、だいたい三日一話で予定してます。投稿がない日は、たまに活動報告を書く予定です。昨日(今日?)も書きました。
では、また次回。