偽物の名武偵   作:コジローⅡ

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武偵殺し編、決着。これにて1章終了です。


17.カメリアの瞳をした少女は

「理子。テメェ、そのままそこから逃げるつもりかよ」

 

 その錬の問いかけは、理子の胸に強く刺さった。

 だからこそ、理子はおどける。いつものように。本心は隠して。

 

「……そうだよ。あっはは、残念だったねぇ、レンレン! 力ずくでも止めてやるー、とか言ってたのに、結局こうなっちゃったね」

「ああ、そうだな。……だけどな、理子。それでも俺は、お前がそのまま俺の前から消えることは許さねぇ」

 

 その、言葉に。

 あはは、と理子はもう一度内心で笑う。

 随分勝手な言い草だ、と思う。

 思うが同時に、随分優しい言葉だ、とも思う。

 だって理子は振り払ったのだ。最後に錬が差し出してくれた手を、そこにどんな感情があったのかは別として、確かに拒絶したのだ。

 だけど、こうして有明錬はここに来た。

 もう一度。

 

(それがどんなに嬉しいことか、きっと錬にはわからないだろうね)

 

 こればかりは自分にしかわからないことだ。

 きっと。

 これが「感謝する」、ということなのだろう。

『奴』に人生の全てを無茶苦茶にされたあの日以来、理子は初めて人に感謝した。

 口元に小さく、本当に小さく微笑を浮かべる理子に、錬はさらに続ける。

 

「お前にはまだ、返してもらってねぇもんがあるだろ」

(え――?)

 

 返してもらってないもの。つまり、自分が錬に借りたもの。

 そんなものあっただろうかと理子が疑念を抱いたところで――

 

(あ……)

 

 理子は、思い出した。

 

『別に、そんな礼言われることなんざしてねぇけどな……じゃあ、そうだ。これは、あれだ。一つ、貸しってことにしとくわ。いつか返してくれりゃ、それでいい』

 

 脳内に、いままで忘れていた台詞が再生される。再生されるということは、自分は心のどこかで覚えていたのだろう。

 それは、もう半年以上も前のことだ。かつて自分が強襲科(アサルト)にいたころに、一度だけ錬と組んだ事件があった。

 その時、紆余曲折があったすえに、確かに自分は一つ貸りていた。錬に言われた通り、あれはまだ返していない。 

 

(律儀だなぁ、錬は……。あんな約束、覚えてたんだ……)

 

 あんな約束、ほとんどその場のノリで決めたようなものだ。実際、2人とも本気でそこまでの貸し借りがあるとは思っていないはずだ。

 なのに錬は、今更そんな話を持ち出した。もちろん言葉通りの意味ではなく、おそらくはただの口実にすぎないのだろう。

 だから理子も、それほどの緊張感も持たず、軽く言う。

 

「そっか……うん、そんなのもあったね。――ごめんね、それもちょっと返せそうにないや」

 

 その口調は、どこか優しく。

『武偵殺し』ではなく、峰理子として。

 ――そこまでが、落とし所だった。これ以上長引かせれば、自分に未練が生まれてしまうかもしれない。

 理子は、別れの挨拶を口にする。

 

「――本当に、ごめん。じゃあね、錬」

「ッ! じゃあねじゃねぇんだよバカ野郎!」

 

 すかさず錬が反応するも、それ以上は聞かず理子は右手に握っていた起爆スイッチを押す。

 瞬間。

 ドンッッッ! という爆音とともに、背後の壁が吹き飛んだ。

 理子はそのまま排出される空気とともに、機外へと飛び出した。

 雷雨の暗夜に抱かれながら、理子は名残を惜しむように、飛行機へと目を向けた――

 

 ――その視界に、理子同様飛び降りた錬の姿が映った。

 

(え――えええええええええっ!? なにやってんの錬?!)

 

 当然、理子の胸中を占めるのは驚愕である。

 見える限りだと、パラシュートを背負っている感じはない。そもそもあらかじめ用意でもしておかなければ、あの短時間でパラシュートを確保できるはずがないのだが。

 ということはつまり――本気で、その身一つで錬は飛び出してきたということだ。

 なぜ。どうして。意図は。作戦は。着陸方法は。

 一瞬で思考が巡る。錬の狙いを見抜こうとする。

 しかし、どれだけ考えても、錬が生きて着水できるとは思えない。下は海水だから、と舐めてはいけない。この高度、そしてこの落下速度ならば、人は海面に叩きつけられて死ぬ。あっけなく。

 だから、理子は。

 キンジたちとの戦闘中に切られてしまったテールの変わりに、自分の両手で髪をしばり、即席のテールを作り出した。

 

「んん……っ」

 

 さらに、イメージ。求めるは翼。上昇できなくてもいい。下降速度を落とせれば十分だ。

 果たして、理子のイメージどおり、擬似テールは翼のようにはばたいた。一度、二度、三度。金に輝く両翼がうなるたび、その下向きのベクトルはどんどん減衰していく。

 その間にも、理子はさらに羽ばたく方向を直下から斜め下に変えることで、錬に近づいていく。

 飛び降りた時間差から離れていた2人の距離は、こうしてぐんぐん近づいていき、そして――

 

「掴まって、錬!」

 

 伸ばされた錬の左手を掴み、ぐっと引き寄せる。そのまま理子は肩車の要領で錬の肩に乗った。

 次いで、理子は背中のリボンに手をかけ、一気に――引いた。

 直後、理子の着ていた制服が変形を遂げ、パラグライダーへと姿を変えた。あらかじめ脱出方法として改造しておいたのが功を奏した。こんな使い方になるとは想定していなかったが。

 加えて、代償として下着姿になってしまったうえに、上下の下着一枚ずつというとんでもない格好で肩車してしまっているわけだが、そこは思考の隅に追いやる。表情にこそ出さないが、さすがに少々恥ずかしい。

 と、そこまで考えたところで、やっと理子は思いついた。

 

(そっか……。錬は始めから、あたしがこうやって1人は一緒に飛べることを知ってたんだ)

 

 錬がいつから理子とキンジの会話を聞いていたのかは、定かではない。だが、あの会話の最中に確かに理子は言っていた。()()()()()()()()()()()()()――と。

 そこから推測して飛び降りたのだろうが、それにしたって賭けの要素が多すぎる。タンデムという言葉が指すものが不明瞭だし、そもそも理子が助けようとしなければ話にならない。

 つまり。

 つまり錬は――

 

「……あたしのこと、試したでしょ?」

 

 見えていないとは知りつつも、理子はジト目で錬を見下ろした。

 つまるところ、本当に峰理子は有明錬の敵に回ったのか。その命すらも見捨てられるほど、完膚なきまでに敵対してしまったのか。それを錬は試したということにはならないだろうか?

 そんな理子の問いかけに、錬は適当に答えた。

 

「あん? なんのこった、そりゃ」

 

 その言葉に、理子は苦笑する。

「さすがにそりゃそうだよね……」と、聞こえないほど小さく呟く。

 けれど。

 錬はもう一言、最後に付け加えた。

 

「ただまあ――お前なら助けてくれるって信じてたけどな」

「……そ」 

 

 なんとなくだが。

 理子にはこの一言こそが、真実を表しているような気がした。

 

 * * *

 

 あ、あぶねー……死ぬかと思った……。

 理子に助けてもらわなけりゃ、いまごろあの真っ黒い海に叩きつけられてお陀仏になるところだった。冗談ぬきでやばかったぞ、今のは。

 しかし、「試した」ってのはなんのことだろうか。とりあえず、いい感じの台詞だけは言っといたが。

 というか、俺が落ちてるとき、なんかミサイルとすれ違ったんだがあれは夢だと信じたい。背後で爆発音が聞こえたのもきっと夢だ。

 そんなことをぐるぐる考えている間にも、俺たちの高度はみるみる下がっていく。

 

「やっぱ、このまま水中コースか」

「文句いわない。なんなら今すぐ落としてもいいよ?」

「悪かった」

 

 そして大雨に濡れつつ幾ばくかの時間が過ぎ――俺たちは緩やかに海面へ着水した。

 ……って、海荒れすぎだろ死ぬぞおい!? 

 さすが台風、空模様もそうだが波模様も半端じゃない。言ってる場合じゃねぇけど。

 俺は荒れ狂う波間から必至に顔を出しながら、運動神経の差かこちらは割と余裕のある理子に、

 

「ぷはっ! おい、理子これからどうすんだ! このままじゃ、2人とも波に呑まれて死ぬぞ!」

「あー大丈夫大丈夫。もうすぐ迎えが…………ああああああああああああああああああああ!?」

「ッ!?」

 

 な、なんだこいつ。いきなり叫びやがって。

 理子の突然の奇行に、俺がいぶかしんでいると、

 

「そうだよ……ここに来ちゃうんだ」

 

 どこか呆然としたような理子の呟きが、耳朶を打った。

 来る……って、なんの話だ?

 

「おい、理子どうした? 何の話だ?」

「だから来るんだってば!」

「だから、何が!?」

 

 要領を得ない理子の説明に俺も怒鳴り返していると。

 不意に。

 ありえないことに、俺の足が()()に触れた。

 

「――は?」

 

 海中だぞ。足場なんてあるはずが――

 そう、思った瞬間。

 

 ――()()()()()()()()

 

 ズズズズズズズズ――ッ! と、とんでもない振動音とともに、俺の身体が一気に上昇する。海ごと。

 な、なんだ?! なにが起こってる?! 俺は今、()()()()()()()()()?!

 だが、その疑問はすぐに氷解することになる。

 上昇を続けた()()はやがて止まり、持ち上げられた海水がどんどん下へと落ちていく。本来なら俺も同じ運命を辿るはずなんだが、理子が俺の手を右手で掴んだ上で、左手とあの自在に動く髪の毛を()()から突き出た手すりに巻きつけている。

 やがて。海水の排出が終わり、俺はようやくその上に自力で立つことができた……んだが。それでもわからない。ホントにこりゃなんだ。とりあえずわかるのは、これが人工物であること。そして、ハンパじゃなくでかいことだ。俺が立っている位置が最端じゃないんだが、どうも長さが300mくらいあるぞ、これ。

 これ以上考えても多分わからねぇな。理子に聞いてみよう。

 

「おい理子……こりゃなんだ。これがさっき来るとかいってたやつか」

「……これは、ボストーク号。原子力潜水艦で……そして、あたしたち『イ・ウー』の本拠地だよ」

 

 イ・ウー? なんだ、そいつは?

 それよりも、原子力潜水艦って。救命艇にしちゃ大型すぎるだろ。

 ――などとのん気に考えていた俺は、本当に馬鹿だった。

 

「――やあ、理子君。おかえり」

 

 ドクン――ッ! と、心臓が()()()

 背後から聞こえたその『声』を聞いた瞬間、一瞬で理解した。

 別に今から戦えなんざ言われてないが、それでもわかる。この声の主と戦えば、俺は確実に負ける。

 ビビッたんだ。脳も、体も、心も、本能も。この声を、聞いただけで。 

 

「プ、『教授(プロフェシオン)』……」

 

 理子の、震えた声。その向かう先は、やはり俺の背後。

 ボストーク号とやらの上で、俺は激しい雨風にさらされながら、生唾を飲み込んだ。

 そして――意を決して振り返った。

 

「…………」

 

 視線の先――10メートルくらい先には、おそらくは、1人の男がいた。こうも暗いせいで詳細な顔やらなんやらはわかんねぇが……この得体のしれないプレッシャーだけは規格外だ。勝てるどころか、戦っているビジョンさえ浮かんでこなかった。

 雨か、それとも冷や汗か。俺が右頬をしたたる雫をぬぐったとき、男が口を開いた。

 

「今しがた理子君が言ってしまったが……あらためて自己紹介しよう。僕は、『教授』。もっとも、わかると思うが、ただの呼び名だよ。有明錬君?」

「……なんで俺の名前を知ってやがる」

 

 これはかなりマズイ状況だ。よくわからんやつに、こちらの情報だけ握られている。

 すでに俺の心臓は、ズキズキと痛むほど早鐘を打っている。つねに首元に死神の鎌を添えられているような、そんな気分だぜ。

 

「うん、そう言うのは推理していたよ。まあ、さすがにこれは推理と呼べるほどのものではないがね。――おっと、なぜ僕が君の名を知っているか、だったね。よし、答え合わせの時間だ。正解は簡単、君には少々因縁……というほどのものではないが、まあ()()とは縁があるからだよ」

「僕ら……イ・ウーか」

 

 それが具体的になにを表すのかはわからんが、ここまでの話だとおそらく何かの組織名。そして理子が加入しているとなると……犯罪組織、か。

 いや待て、それよりもだ。俺に、こいつらとの縁がある、だと?

 

「俺には、覚えがねぇぞ」

「それはそうだろう。()()()は知らなかったのだから。僕ら、イ・ウーという存在を」

「俺たち……? 俺たちってどういうことだ。俺以外にも、あんたらと関わりがあるやつがいるのか?」

「もちろん。()()()()()()()()()()()()()()()()()……あの、去年の12月に」

 

 キンジ……と、去年の12月?

 

「どういうことだ。なんでここでキンジが出てくる? 説明しやがれ!」

「威勢はいいが、それは見苦しいだけだよ錬君。もっと優雅に余裕を持って生を謳歌したまえ――さて。ではそろそろ行こうか、理子君。いつまでもここにいても仕様がないしね」

「はい……」

 

 男の声に続いて、理子が返事した。

 そして、傍らにいた理子は男の下に歩き始める。

 なっ……なにやってんだよ、お前!

 慌てて俺は理子を引きとめようとして――

 突如、突風が俺の身体を叩き、後方へと吹き飛ばした。 

 

「がッ!?」

 

 なん、なんだいまのは?! 自然現象じゃない。まさか、こいつも超能力者(ステルス)か?!

 強打した背中の痛みに耐えながら、俺はなんとかよろよろと立ち上がる。だいぶ距離が開いたその先では、男の隣に理子が寄り添っていた。

 男は言う。

 

「では、今宵はここまでにしよう。なに、いずれまた会える。僕はそう推理しているよ」

「ッ! ふっざけんなぁあああああああああああああああ!」

 

 立ち上がり、一気に駆け出す。だが、俺がやつにたどり着く前に男と理子の影が消えた。ハッチかなにかに降りたんだろう。

 そして、

 ズズズズズズズズッ! と音が聞こえ始めた。

 先ほどとほぼ同種の音でありながら、結果は間逆。つまり、ボストークが再び潜水を始めだした。

 や、やばい! このまま荒れた海に放り出されたら、やっぱ溺れ死ぬぞ!?

 と、そのとき、

 

「――おっと、そうだ。特別だ、君に贈ろう」

 

 とかなんとかまたあの男の声がどこからか聞こえ(風の超能力を持ってるならそれをスピーカー代わりにしたのかもしれない)、次の瞬間、輪投げのように、俺の身体を何かのわっかが通過した。

 ……ていうか、これ、

 

「浮き輪じゃねぇか! いや、助かるけども! なんでレジャー用だバカ野郎、もっと本格的な救命道具よこせよ!」

 

 つっこみに返る言葉もなく。

 ――結局、俺はキンジが手配したであろう衛生科(メディカ)――武偵活動の現場に於ける医療・救助活動を学ぶ学科――の生徒を乗せた車輌科(ロジ)のモーターボート集団が来るまで、浮き輪でプカプカ転覆しないように浮き続けたのだった。

 

 * * *

 

 ――かくして。

 嵐のような……というかまんま嵐の日も終わり、俺は再び武偵病院に搬送された。

 矢常呂先生にはそりゃもう怒られた怒られた。勝手に病院抜け出した挙句、新しい傷まで作って帰ってきたんだから。

 結局、説教は翌日の朝から始まって昼過ぎまでおよび、それが終わって解放されると俺はごろんとベッドに横になった。それから、いろいろあったおかげで訪れた眠気に身をゆだねながら、俺は今回の事件の顛末を思い浮かべていた。

 俺と同じく武偵病院に来たキンジ(昼頃には帰っていった)から話を聞くに、どうやら飛行機はミサイルに爆撃されて(夢じゃなかった)損傷するも、キンジのアイデアで無事に着陸したらしい。しかも、その着陸場所がレインボーブリッジを挟んで学園島の反対にある空き地島――地形面積はどちらも同じだ――だっつーんだから、ホントに無茶するもんだぜ、キンジ。どうせヒステリアモードだったんだろうが。

 代わりに、今度は俺も理子のことを聞かれたが……まあ適当にはぐらかしておいた。隠し事になっちまうが、キンジにはあの男の話をしたくなかったからだ。少なくとも、俺がいろいろと調べ終わるまでは。

 ――俺と、キンジと、去年の12月。

 この関連には覚えがある。俺とキンジを一まとめにして『アルケミー』にすると、『アルケミー』と去年の12月というキーワードが残る。そして、いつだったかキンジはこれに激しく反応していた。

 こりゃあ、今度にでも調べておかねぇとなぁ……。

 ……ところで。

 結局、キンジが空港にいた理由とアリアが飛行機に乗ってた理由がわかんなかったな。

 ま、多分あれだろ。あいつら、あらかじめ理子があの飛行機に乗り込むことがわかってたんだろうな。

 ……あれ? それだと今度は理子があの飛行機にいた理由が無くなる気が……。

 んー……わかんねぇや。ま、とにかくなんか理由があるんだろう。

 とりあえず、そんなことより俺は早く体力を回復させねぇと。疲労感が、半端じゃねぇ。

 じゃ、とりあえず……寝るか。

 

 * * *

 

「あー……暇だ」

 

 俺が目を覚ましたのは、時計によれば午後7時を回ったころだった。

 それが今は8時過ぎ。その間、つまりは1時間が経ったわけだけど、これは駄目だ。暇すぎる。テレビはおもしれぇの今やってねぇし。私物は持ってきてねぇし。

 しょうがない。ここは暇つぶしに、剛気にでもいたずらメールを送るとしよう。

 そんなことを思いつつ、まあ少しならいいかとベッド脇に置いていた携帯電話の電源を入れた。

 と、起動と同時に着信音が鳴った。

 やべ。メール着てたのか。誰からかな?

 俺は、まあ不知火とか時雨とかそこらへんだろうと思いながら、軽い調子で着信欄を開いた。

 

『不在着信 15件』

 

 …………?

 な、なんか多くないか? あ、ああそうか。俺がハイジャックに巻き込まれたってみんなに知れ渡って、電話かけてきたんだな。焦ったぜ。

 さて誰かなー、と俺は発信者を確認して…………、

 

「――――あッッッッッッッッッッッ!?」

 

 瞬時に、とんでもないことを思い出してしまった。

 慌ててベッドから飛び降り(全身に少し痛みが走った)、スリッパを履いて病室の外に出て(ドアに右肩をぶつけ激痛再び)、急いで昨日電話したロビーまでダッシュした。

 着信履歴から発信し、相手が出るのを待つ「ピッ」ってはえぇ!? まだ半コールだぞ!?

 驚愕の対応スピードに、イコールそれだけ相手を待たせていたという事実に怯えつつ、俺は、

 

「……は、ハロー?」

『…………』

 

 む、無言怖ぇ! なにか言ってよ!

 

「お、おーい? 聞こえてる?」

『人に頼みごとをしたあげくすっぽかした愚か者の声なら聞こえているが』

「あ、はい、ほんとスイマセンデシタ」

 

 俺は、見えてるわけはないのだがその場で深く頭を下げた。

 えーと、だな……まあ、お気づきかもしれないが、電話の相手は、ロンドン行きの手配をしてくれた友人だ。

 受話器から聞こえてくるその声は、とんでもなく底冷えしている。そりゃそうだよ。俺、ロンドン行きのチケット用意してもらった上に滞在場所まで用意してもらったのに、いまだに日本にいるんだから。これは、キレないほうがおかしい。

 こっちが悪いのは百も承知だが、それでも一応言い訳はしておく。

 

「い、いやな? それが、言っても信じてもらえねぇかもしれねぇが、こっちもいろいろあったんだよ。あ、違うよ? これ、誤魔化そうとかしてないよ? そうじゃなくてだな、なんというか不幸というか、のっぴきならない状況に――」

『……はあ。別に、もう構わないよ。ハイジャック、だったんだろう?』

「――え? お前、なんで知って……」

『さすがに意味もなくキミが約束を破るとは思わなかったからね。羽田空港でなにか起きてないか調べてみたら、一発でわかったよ。キンジも、そうだったんだろう?』 

「あ、ああ。でも、すげぇなお前。ロンドンにいるのに、もう調べがついてたのか」

『そっちでもニュースになっているだろう。そのレベルの情報なら、今は地球の反対側からでも知れる時代だ。……それに、犯人が――』

 

 ん? なんだ、今なんか小声で言ったか?

 聞き返そうと思ったんだが、それよりも早く、

 

『いや、なんでもない。それよりも、レン。ローマの時も言ったが、君は……まあ、これはキンジにも言えるかもしれないが、やはり危なっかしい』

「あん? なんだよ、いきなり」

 

 あまりに唐突すぎる話題転換に、俺は疑念を露にする。

 しかし、なかなか返事が返ってこない……いや。なんか、小声でブツブツ言ってるぞ。「あまりに早すぎるが」とか、「いやこれは会いたいからじゃなくて」とか……なんの話だ?

 さすがにそろそろ不気味になってきたので、呼びかけようとした次の瞬間、

 

『……よし。決めたぞ、ボクは』

「は? 何が?」

『い、いや。なんでもない。それより、ボクもやることがある。そろそろ切らせてもらうぞ』

「あ、そうなのか? マジで悪かったな、ロンドン行きの件。ホントに、申し訳ねぇことしちまった」

『構わない、と言っただろう? 事情はちゃんと把握してる。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()。――じゃあ、これで』 

「ああ、またな」

 

 ……よし。通話終了っと。

 はあああ、生きた心地がしなかった。しかし、心広いな、あいつ。今度、なにかお礼でも送ろうかな。外国宛ってどんくらい金かかんだろうか。

 俺は一度、大きく背伸びする。

 さて、と。それじゃあ…………うん?

 あれ。なんだ、なんか違和感がある。あいつ、さっきなんか変なこと言ってなかったっけ?

 …………忘れた。ま、いっか。どうせ気のせいだろ。

 それより、これからどうすっかなぁ。病室戻ったって、結局また暇になるだけだしなぁ。

 

「…………」

 

 よし。

 抜け出そう、病院。

 ま、ちょっとくらいならバレねぇだろ。多分。

 というわけで、俺は一旦1階のトイレに向かい、窓から抜け出て武偵病院を脱出した。 

 

「さて、抜け出したはいいが……どうすっかねぇ」

 

 救護科(アンビュラス)の専門棟を横目に見ながら、俺は夜の学園島を歩く。

 うーむ。衝動的に出てきたもんだから、存外やることねぇな。

 このまま家に帰り、ゲーム機でも持ってとんぼ返りする、という手もある。が、それは最終目標にしておこう。すぐにそれを済ませたら、また帰らなければならなくなる。

 せっかく出てきたんだからそれは嫌だなぁ、となんとなく空を見上げて――

 

「おお……」

 

 思わず、そんな感嘆がこぼれた。

 昨日の台風が過ぎ去った影響か、視界に広がる夜天には、瞬く星たちが数多光り輝き自らを主張していた。めずらしいな、東京でこんなに星が見えるのは。

 

「天体観測、ってわけじゃねぇけど……どっかに寝っころがって、空でも見るかな……」

 

 言ってから、それはなかなかいいアイデアだと思い始めた。ここ最近殺伐としてて、なんか落ち着いた感じが欲しかったんだよなぁ……。

 どっかいいところはねぇかなと左右を見渡して……俺は、第1女子寮を発見した。

 

「あー……あっこの屋上、なかなか眺めがよさそうだな」

 

 つっても、さすがに男の俺が入るわけにもいかねぇしなぁ。

 ……あ、そうだ。誰かに見つかったら、時雨に会いに来たことにでもしよう。

 俺は、本人にばれたら「ほう、なるほど。つまり君は私を出汁に使ったと、そういう見解でいいんだな?」とか詰め寄られそうな言い訳を考えながら、エレベーターが故障中だったんで、非常階段を使って屋上まで上った。

 幸い、屋上には誰もいなかった。って、そもそも屋上なんてめったにこねぇもんかもしんねぇけどな。

 俺は階段扉を出て、その側面に回りはしごをつかって上に上る。ここが、この女子寮で一番高いからな。

 登りきった俺は、そのままごろんと横になる。見上げるまでもなく、俺の視界はちりばめられた宝石みたいな星々に埋め尽くされた。

 星空の天蓋。いいね、なかなか見ない光景だ。

 なんつーか……あれだ。癒されるな、これ。心が洗われる様だ。地上に比べて、空のなんと穏やかなことか。……いや、よく考えたら俺はさっきまでお空でドンパチしてたんだったか。

 そんなことを思いながら、俺は空を眺め続けるのだった。

 

 * * *

 

 遠山キンジは自室で一人、迷っていた。

 右手に握られるのは1枚の書類。かねてから教務科(マスターズ)に提出する予定だった、転出申請書だ。

 これを出せば、キンジは晴れて4月から一般校に通うことができる。それが夢だった。望みだった。

 だけど。

 今キンジの頭と心を席巻するのは、まだほんの少しのつきあいしかない――過去を入れても、一月と共にいない――ピンクツインテールの少女の姿だった。

 

(アリア……)

 

 実を言うと、さっきまでアリアはこの部屋にいた。そして、2人でいろんな話をした。

 東京を覆う満天の星空のこと。アリアの母・かなえの公判が武偵殺しの件で伸びたこと。一連の事件のもう1人の立役者にしてアリアにとってはキンジともども初めての『仲間』である錬のこと。キンジとの約束に従いパートナーは解消すること。東京での4ヶ月のこと。そして――アリアがロンドンへ帰ること。

 アリアは言ったのだ。キンジと錬のおかげで、この世界に1人も味方がいないわけではないと知った、と。だから自分は大丈夫だ、と。

 だが。

 キンジの部屋を出たアリアは、玄関の前で泣いていた。扉一枚隔てた向こう、ドアスコープの中で、アリアは肩を震わせ、「もうあんたたち以外にパートナーなんて見つかりっこない」と涙を流していた。

 それを。

 だからどうした、と見なかったことにはできる。

 そもそもアリアが来てから自分の生活は狂いっぱなしで、転校する予定の平和な一般校とはまるで間逆だ。

 だから、これでいい。このままアリアはロンドンに帰り、自分は残りの1年を過ごし無事にここを去っていく。

 それでいいはずだ。

 そう。それで――

 

「――いいわけ、ねえだろ」

 

 キンジは小さく、けれども力強く、自分に言い聞かせるように呟いた。

 ああ、わかっている。これは同情だ。1人震える子猫のようなアリアを、ほっとけないと思ってしまった。助けたいと、そう思ってしまった。

 だったら、違うだろう遠山キンジ。お前が今やるべきことは、こんなところでつっ立っていることじゃないだろう。

 自分が今、本当にやるべきことは――

 

「――アリア……ッ!」

 

 キンジは、勢いよく自室を飛び出した。

 目指す先は、第1女子寮。その屋上、ヘリポートだ。そこに、アリアをロンドンに連れて行ってしまうロンドン武偵局のヘリがあるはずだ。

 

(行かせない! お前を独奏曲(アリア)のままで行かせない!)

 

 早く、速く。

 キンジはたたそれだけを胸に、走り続けた――

 

 * * *

 

『アリア! アリア! アリアぁぁぁあああああ!』

 

 う、ん……んだよ、うっせぇなぁ……。

 

『バカキンジ! 遅い!』

 

 だから、うっせぇよ……。大声出すな……。

 つーか……さっきからバラバラバラバラなんの音だこれ。

 

『ちょッ……おまっ!』

『――うっ? あ、あれ!? あれれ!?』

『……お、おい! ちょっ……!』

 

 あ――――――もう。

 だからよ――

 

Aria(アリア)! What're you doin'(何をやってるんだ)!』

 

「うるっせぇぇぇぇえええええええええええええええええ!」

 

 あまりのうるささに、思わず俺は起き上がりながら大声で怒鳴っていた。

 ……って、あれ。俺、もしかして寝てた? 

 なんか記憶がねぇんだが……。つーか、俺いま何に怒鳴ったんだ?

 とか思いつつ、顔を上げると、

 

 なんか黒スーツの男たちが一杯乗ってるヘリが飛んでいた。

 

「…………」

 

 いやまあ、確かにここへリポートだけども。あんたら誰?

 と思った瞬間、おっさんたちはワイヤーを使ってヘリから降り始めた。

 ……えっ、ちょっ、まさか俺が怒鳴ったから!? だからブチギレたんですかスーツさん!?

 やばいどうしよやっちまったー!? と激しく後悔していると、下のほうから声がかかった。

 

「なにしてるの錬! あんたも早く来なさい!」

「逃げるぞ錬! 早く来い!」

 

 眼下を覗き込んでみれば、そこにはキンジとアリアの姿が。

 正直なんでここにいるのかわからなかったが……そんなん、どうでもいい!

 お前ら助けてくれるのか! ホントありがとう!

 心の中で、最大限の感謝をしつつ。

 俺は、ちょっと怒鳴られたくらいでキレる沸点低い黒スーツ集団から逃げるため、2人の友達の下へと飛び降りるのだった――

 

 * * *

 

 キンジがヘリポートにたどりつくと、おそらくはロンドン武偵局の役人とともにアリアが乗るヘリは、すでに離陸を始めていた。

 プロペラが大気を攪拌(かくはん)し、巻き起こる風が周囲の音を掻き消していく。

 しかしキンジは、それでも諦めずに叫び続けた。呼び続けた。アリアの名を。

 

「アリア! アリア! アリアぁぁぁあああああ!」

 

 喉が張り裂けるほど、強く。風の音すら、切り裂くように。

 そして。

 キンジの本気の叫びに応えないほど、世界は、そしてアリアは厳しくない。

 

「バカキンジ! 遅い!」

 

 アリアが、ヘリのドアを開け放ち、キンジに負けないほど大きく返す。

 さっきまで泣いていたくせに、とキンジは内心思いながらも、しかしそれ以上に強い気持ちでアリアを待ち受ける。

 次の瞬間、アリアは勢いよく、ワイヤーを使ってヘリから飛び降りた――のだが、若干上手く行かなかったのはまあご愛嬌だろうか。

 その時、ヘリから黒スーツの男が叫んだ。

 

Aria(アリア)! What're you doin'(何をやってるんだ)!」

 

 その声は、英語が堪能ではないキンジにもわかるほど焦りと困惑を含んでいた。

 ロンドン武偵局としては、主力だったアリアの力はまさになにがなんでも確保しておきたい。だから、アリアの勝手な行動を止めようとした。

 だが、そんな心無い、損得勘定だけの言葉では、キンジの叫び以上にアリアの心を動かそうなど無理な話だった。

 ましてや。

 そこにはもう一つ、全力の叫びが追加されるのだから。

 

「うるっせぇぇぇぇえええええええええええええええええ!」

 

 単純も単純、小学生の罵倒レベルのそんな咆哮。

 しかし、その声はアリアとキンジにははっきりと届いていた。そう、心に。

 2人は同時に、階段扉の屋根とでも呼ぶべき部分に顔を向ける。そこには、2人のもう1人のパートナーが悠然と腰掛けていた。

 全く、一体いつからいたのか。このタイミングまで出てこなかった錬に、アリアは少しだけ憤慨して、そして続いて満面の笑みを形作った。

 

(来てくれた。キンジも、錬も、あたしのところに来てくれた!)

 

 ついに。ついに、実現した。心に思い描き、しかし一度は潰え、それでもまた蘇った、いつかの未来予想図が。

 アリアと、キンジと、錬の3人が。

 溢れる思いを、しかしアリアは自らの内に留める。この、生まれて初めて感じる嬉しさを独り占めするように、あるいは絶対に失いたくないと主張するように。

 そうしてアリアは錬に言うのだ。言葉は尊大に。精いっぱいの喜びと感謝を込めて。

 

「なにしてるの錬! あんたも早く来なさい!」

 

 どこまでもどこまでも澄んで、強い意志を秘めた――赤紫色(カメリア)()をした少女は、笑うのだった――

 

 * * *

 

 そんなアリアの様子を横目で見ながら、キンジはアリアが来てからの日々を回顧していた。

 全く……本当にひどい毎日だった。始まりからして最悪だったし、大きな事件にも巻き込まれた。親友は自分を庇って倒れるし、アリアとも何度も衝突した。

 自分は、ガキだ。だから誰かを傷つけるし、誰かに傷つけられる。全てをうまくこなすなんて、できやしない。

 だが同時に、せめて今だけはガキでよかったとも思う。大人ぶった連中よりも、自分に素直になれるガキだったから、こうして今ここに来れている。利害以外の感情に突き動かされて、守ってやりたいやつを取り戻せた。

 この、孤独な子猫を。ずっとひとりぼっちの独奏曲(アリア)を。

 

(だけど、もう1人じゃない)

 

 自分が、アリアを1人にしない。たとえアリアが1人で歌い続けるのだとしても、自分は一緒に歌えなくても、せめてBGMくらいにはなってやる。

 それはきっと。あそこで俺たちを見下ろしている元相棒だって、同じ気持ちのはずだ。だからここにいるはずだ。

 去年、あの相棒と決めた。自分たちはもう、組むことは無いと。

 だが、もしもまたもう一度戻れるのなら。今こそがそのチャンスだというのなら。

 自分勝手かもしれないけど、せめてここを去るまでは、あの頃に戻りたい。

 そんなことを、キンジは思った。

 だから、そう。まずはいつかのように、ガキはガキらしく――

 

「逃げるぞ錬! 早く来い!」

 

 ――怒った大人から、逃げることから始めよう。

 

 * * *

 

 それは、半年前の会話。

 ロンドンの一角にある、大きなお屋敷で交わされた、母と娘の会話だ。

 

「ねえ、聞いてママ! あのね、あたし、ローマですごい奴らにあったの!」

「へえ。あなたがそこまで言うのなら、それはすごい方たちだったのね」

「うん! しかも、ママと同じ日本人。あたし、ビックリしたわ。世界にはちゃんと、あたしについてこれる人がいたんだって」

「あら? じゃあ、その人たちがあなたの『パートナー』になるのかしら? それとも……ボーイフレンド、かしら?」

「ふぇ!? ぼ、ぼぼぼボーイフレンドとかじゃないわ! そ、そりゃ確かにどっちも男だったけど、で、でもそんなんじゃないからっ! ……だけど、そうね。いつかまたどこかで会ったら、ドレイくらいにはしてやってもいいかもね」

「あらあらこの子ったら。素直じゃないんだから」

「な!? そ、そんなんじゃないってばぁ~!」

 

 穏やかに笑う母に、慌てたように娘が言い返す。

 彼女の言葉が現実になるのは、もう少し先の話だ。

 そして。

 その時こそ、きっと――

 

 ――緋弾のプロローグが始まる。

 

第一章 緋弾のプロローグ  END




次から、魔剣編へと入っていきます。
では、また次回。

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