【完結済み】東方贖罪譚〜3人目の覚妖怪〜   作:黒犬51

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55話

 外套を取るまでもなくわかっていた。そこにはいるのは彼の恋してしまった少女。妹を幻想郷に壊された姉。たった一人残され、耐えてきた忌み嫌われた妖怪。

 

 

「さとり...」

 

 

少しの沈黙。花々はただ風に揺られ、木々はそれを見守っていた。

 

 

「やっと気付いてくれましたね」

 

 

 いつもは落ち着く笑顔だが、今は何の安心も得られない。あちらに駒が揃ってしまった。俺はもう能力は使えない。彼女たちは俺を異形にすることは出来る。更に、俺は感情を取り戻した。となればもう、抵抗のしようが無い。感情が無かったという、これまでが奇跡だった、今はもうその奇跡はない。

 

 

「確かに、おかしかった。百足が俺を砂漠までは追って来なかったのにわざわざ地底の街に突入し、さとりを襲った事。羅刹が襲撃しているのにペットが誰一人主人を庇おうとしなかった事。そして、覚妖怪同士では読心は出来ないと言っていたのに出来た事。おかしなことばかりだったんだがな。なぜ気づけなかったかな」  

 

 

 皮肉った笑みを浮かべながら、たった一本の短剣を握る。

今思えば、その時から好きになっていたのかもしれない。恋は人を盲目にするとはどうやら本当だったらしい。

そんな彼とは対照的にさとりは外套を脱ぎ捨て、突然彼に優しく抱き着く。まるで壊れやすい陶器でも扱うかのように、生まれたばかりの赤子を守るかのように。

 

 

「ああ、こんなに傷ついて。もう無理はしないと言っていたのに、でももう大丈夫です。私が守りますからね」

 

 

 彼をしっかりと抱くさとりをほほえましそうに楓は眺め、花畑に寝る。彼女達はにもう、言葉は届かない。

 彼に残ったのは悔恨。誰も救えなかった。自分の存在までも賭けに乗せたのにも関わらず。愛した少女に裏切られ、逃した者も、恐らく異形にされたか、殺されたかした。これから彼は異形にされるか軟禁されるか、感情を操られるか、記憶を操られるか。なんにせよ、何もしなければ、彼女たちの物になる。

 

 

「ごめんな、さとり。これだけは。これだけはダメなんだ」

 

 

 抱きついていたさとりを突き放し、短剣を投げつけ、躱した先に飛び込み両の手で首を締め上げる。すでに半分以上消滅しかけている体では人くらいしか殺すことはできない。きっとさとりは殺せない。それは理解していた。なぜなら覚妖怪も妖怪、いくら妖怪の中では弱いといっても大の男が数人がかりでやっと捕らえることができる程度。そんなものを弱り切った同族が首を締め上げた程度では殺せない。

 これがきっと、最後だ。これまでの話が間違っていた。罪人にはハッピーエンド以前に。幸せになる権利も、愛される権利も、正義の味方を演じる権利もない。にもかかわらず、彼は英雄と称えられ、恋人ができ、幸せになった。この結末は彼からすればハッピーエンドかもしれない。記憶を良いように改ざんされ、感情を取り戻せば、彼はきっと古明地 うつろとして、幸せになるだろう。だが、それが秦 空ではないからと言って罪人であることに変わりはない。それに、古明地 さとりも楓も罪人だ。人の感情をもてあそび、多くの妖怪を、人間を殺した。となれば、この結末は罪人の作った世界で、罪人が幸せになるというものだ。

 

 故に、この終幕は認められない。

 

 きっと、神もお認めにならない。

 

 ならどうすべきか...

 

無かったことにする他ない。

 

 どうすればこの現状を打開できるか。答えは一つだった。もう一度この世界をやり直せば良い。だが、今の彼にはもうすでに能力を使う余裕はない。

 遅れて異変に気付いた楓が跳ね起き、彼を異形にする為に感情を操る。

元から異形にする気ではあった。これはさとりも同意の上。それに、今の彼の体が透けている状態からして、異形化でもさせなければ肉体を維持できない筈。能力をフルで発動し元英雄を狂わせる。

 能力の対象となった彼の中では怒り、喜び、哀しみ、苦しみ。色々な感情が暴発するほど高まり、理性を七色のペイントで塗りつぶしていく。

 

 

「楓!やめて!」

 

 

 読心で彼の考えに気付いたさとりが楓を止めるが、もう遅い。一度沸き起こった濁流のような激情は留まることはなく全てを洗い流す。だが、その直前、彼は能力を使った。異形化の直前の一瞬、その時ならば能力を使えるかもしれないという賭けだった。

大きな賭けに勝利した彼の体は実体を取り戻し、いつかの漆黒の竜へと変わっていき、空へと昇る。その果て、幻想郷の全てが見える場所で罪人は能力を行使。世界が少しずつ崩れる。地鳴りと共に地面が崩落し、天が堕ち、底のない闇が口を開き全てを飲み込み始める。

 

 

「うつろ...どうしてですか?」

 

 

崩壊する世界の中で、竜はは二人の少女と対面する。彼の事を愛し、愛された罪人が悲しそうに笑う。

 

 

「貴方ならわかってくれると思ったのに、私は家族をこの世界に奪われたんです。私達は何も悪い事はしてないんですよ。ただ、ひっそりと暮らしていただけ、なのにあの醜い奴らは私達を執拗に追いかけ回して捕まえては老若男女関係なく殺し、見つかった女は年に関わらず犯された後に殺されました。私達姉妹は両親が命を賭けて逃してくれたおかげで生き延びれたんです。でも、その時はまだ、覚妖怪の読心という能力が他人からすればどれだけ恐ろしいかを考えてなんとか納得しました。でも、そうじゃ無かったんですよ。怖かったからじゃ無かったんです。ただ、邪魔だっただけなんです。邪魔だった、それだけの理由で私の家族は妹は...!」

 

 

何もいえなかった。彼が今の暗殺者となってからは家族などいない。故に、大切な人を失うという感情がわからなかった。だが、今はわかる。彼は家族を殺された復讐を果たす為に自らを犠牲にした。どこか彼女と似ている。しかし、決定的に違うのはその結末。まだ彼女は救える。だが、今の彼女は救えない。救ってもその先がない上に、彼女も罪人だ。罪人は救えない。

 

 

「お願いですうつろ。私と一緒に過ごしましょう?私はもう何も失いたく無いんです」

 

 

甘い言葉だ。それが俺自身にとっては最も幸せな選択である事に間違いはない。

崩壊する世界。少しずつ崩れ、壊れ、消えていく。もう既に崩壊はかなり進行し、彼女達の周りは無くなりかけていた。

 

 

「無理だ。俺は幸せになれない。だから、さとり。お前だけでも。幸せになれ」

 

 

そう言い残した竜に手を伸ばすが、その手は絶望的なまでに届かない。また救えなかったという虚無感。自らの存在に対する無力感を実感する。

 

 

「どうして...?どうして貴方はいつも自分を犠牲にするんですか?」

 

 

遥か上空で崩壊する世界を見守る竜に涙を流して問いかける。

 

 

「俺が、英雄じゃないからだ。これは俺という罪人の贖罪譚。ひとりのバカな男が守りたいものを見つけて守るお話だからだよ」

 

 

竜の姿が崩れ、懐かしい彼の姿が落ちてくる。黒いサードアイ、黒い髪。何もかもを見透かすような黒い瞳。彼女の手と彼の手が触れる直前、世界は堕ちた。


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