少年が男を無表情で見下ろし、男に悲痛な叫びを上げることを強制していた時。妖怪の山ではあの竜の攻撃で生き残った白狼天狗たちが山の中にある藁葺き屋根の質素な家で集会を開いていた。
議題は勿論、襲撃による被害状況の確認と今後の対策。ただ、今回は最大規模の被害となったため。仲間意識の強い白狼天狗達には相当厳しい結果が待っていた。
「今回の襲撃による負傷者は?」
重苦しい空気をかき消すかの様に1人の白狼天狗の凛とした声が響く。
「椛様、我々村の女子供以外は全員、負傷、または死傷しています。ただ、あの戦況での怪我となると...」
「......」
もし、今この状況でまたあの竜の様な者がここを襲撃すればどうなるか。それは目に見えている。
「にしても、あの鴉共っ...!」
椛の正面で足を組む屈強そうな男の天狗が体を震わせ、狼の唸りにも似た様な声を上げる。
それを見た椛は正面に置いた鴉天狗からの書簡に再度目を通す。字体はとても綺麗とは言えず、適当に書いたとも思われる様なレベル。内容は、【襲撃者:竜の死体と生存者の明細を今晩のうちに送れ】ただ、それのみ。
我々が妖怪の山を守ったのにもかかわらず我々に対する一切の敬意はなく、一切の賞賛の言葉もない。その代わりと言わんばかりに生存者の人数を送れと記してあった。
「奴ら我々を一体なんだと思っているんだ...!」
今度は正面の男の横に座っている男が唸る。それに呼応するかの様に2人の白狼天狗を除いた天狗が個々で唸りだす。
「取り敢えず、生存者はここにいる人数と子供女のみって事で良いのかな?」
そんな中、楓のみが非常に陽気そうに問いかける。勿論、彼女も本心から陽気なわけでは無いだろう。ただ、この場を少しでも和ます為の仮面と言うことはここの一同が理解している。
「ああ、その通りだ」
白狼天狗の社会では女は基本的に戦わせない。ただ、周囲から一線を超えた強さを持つ白狼天狗と認められた場合のみ、女も男と同じ様に戦士として認められる。そのため、今回は女子供には被害は出なかった。ただ、もう一度襲撃されれば話は別だ。
「じゃあ、伝えてくる。と言いたいところだけど。今回のこれは私も少し気に食わなくてね。折角なら秦 空。彼を攫ってこようと思う。どうかな?」
突然の提案、ただ、彼は間違いなく。我々を救ってくれていた。それは私達2人には間違いなく真実。彼は身を呈する、とまではいくまでもなかったようだが、たった1人であの竜を殺した。その彼が鴉天狗に連れて行かれるのを私の千里眼で確認した。
と言うことは、鴉天狗は襲撃には気付いていたということになる。それなのにも関わらず援軍も寄こさず、我々に無理を強いた。
許せるわけが無い。私たちの仲間が、友人が、家族が。あんなにも悲惨な殺され方をした。それをただ、見物していただけなど。許せるわけが無い。
「はぁ、全く皆野蛮だなぁ。そんなに毛を逆立てて、怒ったところで行動しないと何も変わりはしないんだよ?」
毛を逆立て、唸りを上げる同族の中で楓だけが1人何も感じていないかのように冷静を保っていた。
「貴様、忌子の分際で...!」
1人の白狼天狗が、言ってしまったこの発言で場が凍り付いた。
「へぇ、ここでそれを言うんだ」
突然、1人冷静を保っていた楓から怒気では無く、純粋な殺意が溢れ出す。その殺意はその禁忌を口にした白狼に襲いかかり、その喉元を締め上げていく。
「楓...!」
これ以上は危険と察知した椛がすかさず楓に声をかけ、落ち着かせる。しかし、締め上げられた白狼は気を失い、泡を吹いていた。
「また能力を使ったな...!この忌子...!」
その周囲にいた椛と部屋の奥に座っている男を除く白狼が一斉に楓から距離を取り、武器を抜く。その刹那、1人の白狼の怒声が響いた。
「いい加減にしろ」
大声でもなく、小声でもなく、ただ確実に全員に聞こえるように発せられた声とその身体から溢れんばかりに発せられる怒気に凍り付いて場は解け、怯えが支配した。
「貴様らは何だ、ここに来て仲間割れをして種族を終わらせたいのか?私が貴様らを召集したのはそんな理由では無い。これからを話し合わせる為だ。ここで争うならば纏めて殺すぞ?」
ずっと無言を保っていた奥に座っていた白狼が声をあげた。その事により、場は静まり無言で皆が元の場所に戻る。
「ありがとうございます、父上」
椛が奥に座る白狼に片膝をつき、感謝を述べ、そして、すぐに元に向き直った。
「秦 空を誘拐すると言っても何か策はあるの?」
そして何事も無かったかのように楓に声をかける。
「勿論、普通に拷問は我々ですると言えばいい。それに、被害を受けたのは奴らでは無い。私達が拷問するのが適切だろう?と言っておけばいいのさ」
常識的にはそう言っておけば確かに相手は秦 空を引き渡さざるおえないだろう。だが、今回の相手にそれが通用するとは到底思えない。何故なら相手は我々より立場が上で、今となっては人数的に戦力も上。そんな事を言ったところで到底応じるとは思えない。
何か弱点でも握れていれば良いのだが、上から連絡が来るのはこう言った場合のみ。それ以外は文さんが取材に来るかセクハラに来る時くらいのものだ。
「もしそれに応じなかった場合はどうするつもりだ?」
「私の能力を行使する」
一瞬周囲の男が騒めく。楓の能力、それは白狼天狗の中でずっと秘密にしていたものだ。上も知らず、その上白狼天狗の中でもごく限られた者しか知らない。
「本気で言っているのか?!それは反逆になるぞ」
「なら、黙って証拠隠滅されて、私達を救ってくれた男をいいように利用された上で処刑されてもいいのかな?それは恩を仇で返すと言うのも良いとこだと思うよ」
また、奥に座っていた白狼が声をあげる。
「承認する。ただし、失敗は許されない」
「ありがたき幸せ」
楓は膝をつき、そう言うと残った白狼天狗の人数を炭で早々と書き示し、小屋を出て 直ぐに飛行。鴉の屋敷の門まで直行した。
一方、拷問を受けている筈の秦 空は目の前で犬のような鳴き声をあげている男からその男が知る限りの情報を聞き出していた。
「で、お前らの長は一体なんで俺を捕えたんだ?」
空の足から垂れる血を舐めている男ににこやかに問うと、男は血の混ざったよだれを垂らし、快楽に歪んだ顔を向けながら告げる。
「今の主人は貴方様ですが。あの長はきっと覚妖怪の立場を危うくして、地底を攻めようとしているんだと思います」
成る程、まぁ、思った通りではある。ただ、これは本人から聴き出さなくては意味がない。この男の発言では、ただの憶測だ。
「そうか、ならもうこの拘束具を解いてくれ。犬」
犬と呼ばれる事に快感を得ているのか男は身体を震わせると彼の拘束具を外し彼を自由の身にした。
「これで如何ですかご主人様」
「ありがとう犬。じゃあ、申し訳ないが自害しろ」
そう言って秦 空は即座に作り出した短剣を男に渡す。
「了解しました。ご主人様」
そう言うと、犬は短剣を拾い。自らの喉元に突き刺し赤い噴水と化して血の海に沈んだ。
血の海に沈み、しっかりと動かなくなった事を確認した後少年は落とされた短剣を拾い上げ、首と胴体を切り離し、首を自らの座らされた椅子に乗せ。血の匂いの充満した拷問部屋から外に出る階段をゆっくりと登って行く。
「もう一度会いに行こうか」
そう言った少年は一切の躊躇いも無く、後悔も無く、感情も無く、振り返る事も無く扉を開けもう一度大天狗という少女のいるであろうあの場所を目指した。
既に日は沈み、廊下に点々とある火の灯った蝋燭のみが彼を導くように並んでいた。そんな廊下を連れてこられた際に数えた歩数と照らし合わせながら歩いて行く。
またその頃、楓は扉を開けられ、中に入り。既に大天狗と面会していた。
「秦 空の拷問をやらせて欲しいだと?」
既に内容を聞いた大天狗が怪訝そうに答える。
「その通りでございます。こちらにも拷問のプロが居りその者がどうしてもと言っておりまして」
誰でも吐ける様な簡単な嘘。到底こんな物には引っかかるとは思えない。にしても、酷い血の匂いがする。既に秦 空が拷問されているのだろうが一体何をすればこんなにも血の匂いが充満するのか。
「それはできない。秦 空の身体は我々が預かる」
大天狗は淡白にそう言い。自分の前に出された茶を啜り書簡に目を通す。
対する楓も茶を啜り、一度目を瞑ってから開き覚悟を決める。
「今回のこれで、貴様らには一体何の被害があった?貴様は今回何をした?何も無いだろう?貴様らがもっと早く援軍をよこしていれば白狼がこれだけ人数が減らされなくても済んだはずだ。それで我々を救った者を私利私欲の為に殺させると思うのか?」
突然の豹変に大天狗は少々驚いた様で、少しばかり目を見開いたが、直ぐにまた茶を啜る。
「それの何が悪い。覚妖怪は悪だ。奴らは害悪でありこの世界の均衡を壊しかねない存在だ。それはお前らにとっても同じことのはずだが?」
その時だった、扉の方から血の匂いが増したかと思うと。突然何かが空を切る音がし、護衛の2人が音もなく崩れ落ちた。そして響く、男の声。
「成る程、これで証言は取れたな。ただ、思うんだよ。結局の所、読まれて嫌って事は自分の心が汚いから、罪を犯しているからだろう?それを見られて贖罪せずに隠そうってのは更なる罪だと思うんだが、違うのかな大天狗?」
扉は開けられ、そこには首から上の無い護衛が2人。血飛沫を上げ崩れ落ちるそれの間に他人の血で真紅に染まったそれは居た。
「罪人は処刑だ。それは当然だろう?その罪がが重ければ重いほど処刑も辛さを増す」
「貴様...!どうやって出てきた!」
額に汗を浮かべ焦り出す大天狗、彼奴は間違いなく拷問中の筈。なら、そこに居るあれは一体何なのか。他人の血で自らを赤く染め、両手で持った鎌の刃には器用にも護衛の首が乗っている。
あまりに突然で、反応出来なかったのか全く表情のない生首2つは死を感じさせない。だが、直ぐに目や口、切断面から鎌を伝って床に垂れる濃度の高い赤い液体が死んでいる事を証明している。
「どうやって?あんな物で俺がどうにかなると思っていたのか。まぁ、お前のお陰で色々できる様になったがな」
そう言った少年は鎌を傾け乗っていたものを地面に落とす。落ちたそれは地面をまるで何かの無機物の様に転がり、赤い線を描きながら部屋の端で壁にぶつかり生々しい弾力で停止した。
「秦 空まさか自分から出て来るなんて驚きましたよ」
ここで初めて楓が口を開いた。
「驚きました、ねぇ...まぁ、想定の範囲内だろう?」
「どうでしょうかね」
楓は少し口元を緩めると大天狗に向き直り再度口を開く。
「さぁ、どうします、我々に秦 空を渡して頂けますか?」
対する大天狗は苦虫を噛み潰したかの様な顔をしながら黙っている。成る程、俺を此処まで来てわざわざ迎えに来たのだろう。
「さぁ、どうする大天狗。俺を此処で白狼天狗に渡すなら、此処での処刑はやめておいてやる」
この際だ、一層の事利用して地底に帰ろうか。そうすれば時間には遅れてしまっているが、まぁ、お咎めは避けれそうだ。
「わかった、承認しよう。ただし、」
その瞬間大天狗の横を何かが一瞬で通過し壁と衝突。響く鈍い金属の振動音と衝撃音。
「ただし?そんな事決める権利はお前には無い。今、立場は俺たちの方が上だ。そこの所、しっかり理解しろ」
冷や汗を流す大天狗に少年が興味無さげに言い放った。
大天狗は衝撃音のした方を見るがそこにあったのは何かがぶつかった様な跡のみ。肝心のそこに衝突した物が無かった。
「貴様一体何をした...!」
そう言って振り返ったそこには、既に2人の影は無く、残された護衛の首無し死体と壁へ転がった生首が無意味に虚空を眺めていた。
「まぁ、良い。後はあの悪魔に任せておくか」
そんな中1人不敵に笑う大天狗。その笑みに追われながら彼らは地上へと降りていく。