舞い上がる砂塵、吹き付けるは肌を焼くほどの風。彼はそんな中を平然と歩いていく。先ほどの百足を撃退してからそこまで時間は経っていない。水がないのはやはり危険だろうが、今からこのあの洞窟に戻って水を汲んでくるという事の方が危険だ。先程は避けれても、今回もそう上手く逃走できるとは思えない。あの百足とはそう何度も戦いたくはない。
運の良いことに、そこまで村と思われるものまでは遠く無さそうだ。それなりに歩きはしたが、あと百メートル程度だろうか。
今のうちに現状の整理をしなければ...死んだと仮定すれば、ここは地獄という事になる。だが、聞いていたものとは全く違う。三途の河を渡った覚えもなければ、鬼を見てすらいない。だが、それは全て人間の憶測であったはずだ。本当の地獄を見た人間などいない。現実はこうだったという事だろうか?
それならば、閻魔がいるかどうかも怪しいが、会えるかもと思うだけでどっと楽になった。俺があちらで犯した罪を裁いてくれる。これで俺の罪が軽くなるのかは分からないが、きっとそうしたほうが良いんだろう。それが、一般的な常識だ。
あともう少しで村に着くというときに村から何者かが出てきた。
三途の川を渡してくれる死神だろうか?然し、だんだんと近づいて来るそれは角の生えた妖怪。おそらく鬼だ。
どうやらその鬼は俺の方に走って来ている。流石は鬼というところだろうか?それほど待つこともなく、鬼が俺のところまで来た。まぁ、距離も既に100メートルは無かった事もあるからそれほど速いとも思わなかったが、砂漠であったということを考慮すれば十分速い。
「お前か?あの大百足を倒したのは?」
敵対だろうか?本来はあそこで処理されるべきだったなら申し訳ない。
「倒しては無い、逃げただけだ」
「覚妖怪がまだいたことも驚きだが、覚妖怪が大百足とやり合って無事とはな」
取り敢えず、敵対心は無いようだ。だがそれ以前に俺の事を覚妖怪とよんだ。この鬼から見ると俺は妖怪なのだろうか?どう考えても人間だろうに。いや、もしかすると鬼達の間では人間の事を覚妖怪というのかもしれない。だが、それではまだ居たのかと驚く理由にはならない。そんなにも地獄に人が落ちないわけがない。
「飲めるか?」
余りにも唐突すぎる発言に一瞬思考が停止する。しかし、直ぐに回転を始めた脳が最善手を探す。閻魔に使える鬼がこれから断罪される者に酒を進めるとは如何なものか。
「酒はまだ飲めない」
その鬼は残念そうにしたが直ぐに元気を取り戻したようだ。というか何故いきなり飲ませようとしたのか。それ以前に、俺は見た目的にもまだ高校生だ。背も高くない為に稀に中学生と間違われる事もある。
拗ねた様に地面を向いた後、笑顔を浮かべながらこちらの顔を見る。
「まぁ、それでも良いか。飲もう」
元気になったと思ったがそういう事か。なんて強引な鬼だ、地獄でこれから裁かれるのにその前に居酒屋に行くなど愚かすぎる。罪を増やすわけにはいかないが、既に飲酒は仕事の関係上で何度かしている。
「いや、また今度で良いか?」
「ダメだ」
即答、恐ろしいぐらいの即答。鬼と言うだけあってか、恐ろしいほどの力で腕を掴まれ、半ば引きずられる様に村に連れられ、店に入れられる。そのまま、椅子に座らされてしまった。
店内は現代にもある少し古風な感じだ。ただ違うのは明らかな人外が店主ということと客が全員人間では無いということだ。目が身体中に付いているもの、目が一つのもの。その全てが好奇の目で彼を見つめていた。
「何を飲む?今回は私のおごりだ」
おごりか、それはありがたいが本当に裁かれる前にこんな娯楽に近いものをして良いのか。普通に考えればダメだと思うのだが。
「オススメなのを」
やはり裁かれる前にはと思ったが、水。と言ったら隠語だなどと言って酒を飲ませかねないだろう。足で逃げ切れるとも思えない。
それならば、まだ年齢的には本来飲めないがアルコールが入っているものを我慢して飲むことにした。砂漠を通った事もあり、喉も渇いている。
仕事の関係上で耐性はついた事もあり、度数が50以上のものを割らずに大量に飲まされない限り大丈夫だと思う。
「やっぱりお前さん良いセンスしてるな。じゃあ、いつものアレを」
鬼はいかにも親しげな笑みを浮かべながら店長と思われる妖怪に注文をした。仲が良いのだろうか?店長もどうやら顔なじみの様だ。そうでも無ければいつものアレと言われすぐに商品は出せない。
「ほい、勇儀さん。隣の君もかい?」
「そうらしい」
そう言うと店主は俺にも勇儀に出したものと同じであろうものを出してきた。どうやらこの鬼は勇儀というらしい。まぁ、どうでも良いが。
酒を受け取り鼻元に近付けてみたが臭いはそこまでアルコール臭くない。
ちらっと横にいる鬼を見ると一気にいけ、とでも言いたげにこちらを見ていた。全く、まさか16で初めて仕事以外の他人と飲む酒が鬼と一緒とは、いや、鬼は人では無いな。そんな事を思いつつ酒を口に付け一気に飲み干した。
臭いは強くなかったはずだがアルコールは割と強かった。30度ぐらいだろうか。
「良い飲みっぷりだね!飲み比べするかい?」
「いや、勝てる気しないし遠慮する」
あと10杯はいけるだろうが流石にそれ以上飲むと酔いそうだったので止めておく。勇儀はどれくらい行くのか分からないが。まぁ、鬼なのでもっと飲めるだろう。
それにこれから裁かれにいくのに酔っていたら流石にマズイだろう。
「ところでそろそろ閻魔の所で裁かれたいんだが?」
周囲から一斉に笑われる。一体何が面白いのか。
「ハハハ!なんの冗談だい?ここは旧地獄、もう閻魔はいないよ。まとめ役ならいるがな」
閻魔がいない?ああ、こいつはもう酔ってるのか。気付かぬうちに酒樽を近くに置いていた。というかその量を飲むつもりなのか、まさか飲みきったのか...?勝負をしなくて本当に良かった。
恐らく店員に持ってきてもらったんだろう。にしても全く気付けなかった。まさに神がかり、いや鬼がかり的なスピードだ。
「じゃあ、そのまとめ役に会わせてくれ」
ここにいても意味はない、それにいたところで何か良い結果を得られるわけでもないだろう。
「ここを出て右手に大きな屋敷がある。そこのさとりと言う奴に会いな」
酒を啜っている勇儀に変わり店主が教えてくれた。軽く会釈をし、椅子を立つ、そのまま店を出ようとした時だった。
「そうだ、お前さん名前は?」
杯から口を離した勇儀が問いかけてきた。
そういえば名前を言っていなかった気がする。
しかし、名前か、何を使おうか。まぁ、本当の名前など無いのだから生きていた時、最後に戸籍に登録されていた名前でいいだろう。
「秦 空だ」
名前だけ言って店をあとにする。右を見ると確かに大きな館が見える。そこまでは水路を挟むように今ではあまり見ない木製の住居が並んでいた。そしてその道を行く異形の者たち。
そんな異質な光景を眺めながらその大きな建物へと歩き出す。 人間がよほど珍しいのか周りを歩いている鬼たちは好奇の目でこちらを見ている。そんな視線を浴びながら歩いていると背後に何かの気配を感じた。振り向くが人外の通りが多いので誰がつけてきているのかわからない。
そういった時は裏道に入って追跡者を特定する。こう習った、なのでそれに従って裏道へと入る。少し裏道を歩いてから振り返る。そこにいたのは猫、黒地の毛に赤毛が混ざっている猫。どうやらこの猫だったようだ。
せっかくなので座って撫でる。しかし、直ぐに異常に気付いた。
異常に死体臭い。匂いの強いもので体を洗っている様で物凄い芳香剤の様な匂いがするがその裏には死体の匂いがあった。それに、尾が二股に分かれている。
「お前、猫じゃ無いだろ」
一歩後ろに下がり、短剣に手をかける。
「ばれちゃったか、流石だね。1人であの大百足と戦うだけはある」
猫が喋っている。人を食べる類の妖怪だろうか?この世界では恐らく俺の常識は通用しない。予想もあてにならないだろう。
「大きな館に行くんでしょ?」
「ああ、そうだが?」
「案内しに来たんだよ」
案内か、この死体臭さはそうやって騙され殺された人間の物だろうか?警戒しない事に越した事ない。
「自己紹介でもしようか。私は火車の火焔猫 燐。お燐とでも呼んで」
いつの間にか姿が変わっている。猫ではなく人間?いや、近いが人間に耳は生えないし、尻尾は生えない。一部の人々はそれを付けて楽しんでいた気もしたが......あれは別だ。まずまず、そういった人々も猫にはなれない。
「わかった。お燐、お前は随分と死体臭いが日常的に何をしているんだ?」
鎌をかけて見る事にした。このまま連れ去られて、この猫女の土俵で戦う事になれば、勝率は確実に今より低くなる。
「よく分かったね。そんなに臭い?」
「そこまででは無いが。何故そんな匂いがつく?」
まぁ、あれをしていたのもあって、ある程度鼻も聞く様になっているから一般人にはわからないだろう。ただ、妖怪は知らないが。俺はあくまで人間目線でしか語れない。
「主に死体を運んで捨ててるからかな」
「なるほどな」
死体臭いわけだ。にしても、また妖怪。ここにきてから人間に一度も会っていない。
「取り敢えず案内するから付いてきて」
一応頷いておいたので意思は通じたのかお燐はこの路地裏の奥へと進みだした。
「何故奥に行く?大通りから行くんじゃ無いのか?」
「裏道だよ」
裏道らしい。まぁ途中で異変を感じれば逃げ切れるだろうし、今は付いて行っておくか。それに、本当に裏道だった場合楽になる。お燐はいつの間にか猫に戻った様で屋根の上を歩き奥に入っていく。
さっきから少し歩いたが、今の所異変は感じないので大丈夫だろう。どんな風に裏道を歩いたのか分からないが目の前が開けた。
そこに建っていたのは白い屋敷。どこも外では見た事ない様な白い石で作られている。しかし、驚いたのはその大きさ、あちらの世界では見たことも無いサイズ。これを見てしまったらきっと城ぐらいしか大きく感じなくなるかもしれない。そう言う次元の大きさ。
「ようこそ、地霊殿へ」
門など無いらしく普通に中に入ることが出来た。この警備の甘さは問題だと思うが、口にしないでおく。中庭、というべきだろうか?そこには大きな噴水があり、その奥に館の入り口があった。
「でかいな。ここまで大きいものは初めて見る。何が住んでるんだ?ここまで大きいと巨人が住んでいてもおかしくなさそうだが」
「ここにはあたいの主人のさとり様とその妹のこいし様、そしてさとり様のペットが住んでるんだいるよ」
人間的な名前の人が2人しかいないのだが。まぁ、今気にするべきはこの館に2人の人間と思われるものしか住んでいないという事。
これだけの大きな屋敷にたったの2人しかいない。という事はそれだけその2人が大きいのだろうか?
まぁ、それはあってみればわかる事か。そんな事を考えているうちに入り口の前に着く。
ドアは非常に良くできていて綺麗な彫刻が施されていた。高価な物だろう。
中で待って居たのは一人の可憐な少女、見た目はごくごく普通にいそうな少女。ただ、違う事は3つ目の目がコードの様なもので体とつながっている事だ。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
挨拶はされたら返す、それは常識だろう。その程度の常識はある。
「お燐、この人を私の部屋に連れてきて」
そう言い残しその少女はこのロビーと思われる空間にある階段を登っていく。
「ああ、そうですね。夕飯は作ってくださいお燐、私はこの人と少し話します。出来たら呼んでください」
「わかりました。さとり様」
今の会話に少し違和感を覚えつつ、このさとりという少女の後ろ姿を追う。
「付いてきて」
気付けばお燐が階段の上からこちらを呼んでいる。一応階段を駆け上りお燐の元に向かった。
階段を登りきると、外の明かりを利用したステンドグラスがはられている。そのステンドグラスは別に特別に凝った様な事はされていないがどれも非常に精巧に出来ていた。やけに照明も少ない事もあり、ステンドグラスからの光が映えている。
少し歩いた所でお燐は足を止めた。開けろ、という事だろう。
やはりこの扉も精巧な細工がされていた。非常に綺麗に花が描かれている。蓮だろうか、確か花言葉は「神聖」「離れ行く恋」「清らかな心」
少年はその扉をゆっくりと押し開ける。