さて、どうしたものか。
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が痛い。金剛さんと長月の二人が、こちらを警戒するように一定の距離を保つ。金剛さんのことだ、私が《No.》に飲まれたことを察しているのだろう。
(……どうしたものかな、これは)
ふと自分の腕に装着しているディスクを見てみると、そこにはデッキがセットされていなかった。金剛さんが外したのだろう。そこまでしてもなお一切警戒を緩めないのは流石だ。
(正直、ここで金剛さんたちと睨み合っていても埒があかない。もしかしたら今またこの鎮守府のどこかで新たな《No.》使いが覚醒しているかもしれないんだし……)
となると、まずはデッキを確保するのが先決だ。確か金剛さんの話だと私の本来のデッキを持っているのは司令官だったか。なら目指すべきは提督執務室。
では、具体的にどうするか。
(狙うなら、金剛さんじゃなくて……)
「……長月」
「っ、な、なんだ……?」
名前を呼ばれただけでビクリと肩を震わす長月。この様子だとおそらく金剛さんから多少のことは聞かされているはずだ。
(なら……)
スッと両手を挙げ無抵抗を主張しながら、私は口を開いた。
「私は、君たちと争う気は無い。どうか話を聞いてくれないかな」
「……その言葉を、私たちが信じると思いますカ?」
一歩前に出ながら金剛さんが言う。その言葉はもっともだ。私だって素直に信じることはないだろう。
(けど今は信じてもらわなくちゃいけない……!)
「あっさり信じてもらえるだなんて思っていない。だからこうして投降の意思を示しているんじゃないか」
「……過去にその言葉を信じて、《No.》に辛酸をなめさせられたこともあるネ。信じちゃダメダヨ、長月」
「あ、ああ……」
きっちり長月にも釘をさす金剛さん。菊月の件での混乱が残るであろう長月なら話が通じるかと思ったが、付け入る隙がまるでない。だがこちらとて諦めるわけにはいかないのだ。
「なんども言うが私は君たちと争う気は無い。もっと言えば、《No.》すら持っていない」
「その証拠ハ?」
「ディスクに触ったなら分かっているんじゃ無いのかい? エクストラデッキになかったろう?」
「隠し持っている可能性もあるヨ」
「なら全身くまなく探してみればいいさ。《No.》も無ければ、例の模様もない」
例の模様とは、《No.》所有者の体に現れる数字のような模様のことである。
しかし。
「But……それでもまだ、信じられないネ。あなたは私の目の前で《No.》に飲み込まれタ。それを見なかったことにはできないネ……!」
その気持ちは痛いほどわかる。わかるからこそ、説得できるような言葉が出てこない。
(いっそデッキがあれば……デュエルを申し込んで無抵抗で負けるとか、色々とやりようがあったのに……)
毒をもって毒を制す、ではないが。とにかく、そう言う手は使えない。
(《スターダスト・ドラゴン》を使ったら……いや、無理か。あのカードには《No.》のようなわかりやすい特徴があるわけでもないし)
正しく打つ手なし。一挙手一投足が疑念の目で見られている今の状況では、私のどんな言葉も届かないだろう。
あとは神頼みぐらいしかないーーそう思った時だった。
救いの女神の手は、案外近くから差し伸べられた。
「……………………」
無言でディスクの電源を切った長月が、私の方へ向かってくる。
「長月……?」
金剛さんが困惑した様子でその背中に声をかけるが、長月は止まるどころかスピードを緩めることすらしなかった。
そうして私の目の前まで来た長月は、スッと体の向きを反転させ、改めてディスクの電源を入れた。
やがてゆっくりと話し出した。
「……なあ、金剛。一つ聞くぞ。響が《No.》とやらを使っている証拠は?」
「っ、長月も見たはずデース! 菊月から出た黒い靄が、響の体に吸い込まれていくのヲ……!」
「だが結局、目覚めた響が我を忘れて私たちに攻撃してくるとか、そういったことはなかった」
「……それハ……!」
「金剛。一つだけ言っておく」
先ほどまで肩を並べていた金剛さんと相対しながら、長月は言った。
「私は友を疑って得る平穏などいらぬ。そうせねばならぬくらいなら、私は友を信じて戦いの中に身を投じよう」
「長月……!」
「安心しろ、響。私はお前の味方だ」
そう言ってニッと笑う長月。その後ろ姿はとても心強かった。
さて、問題は金剛さんだが。
「………………………………」
長月の裏切りに、言葉を失った様子の金剛さん。やがてしばらくののち、一度小さくため息をついてから言葉を発した。
「……わかりましタ。長月に免じて、今回は信じてあげるネ。……デモ、もしも嘘だったとしたら、私はあなたを許さナイ。その時は全力であなたを迎え撃つヨ」
「……感謝するよ」
金剛さんと長月が同時にディスクの電源を切る。
「それじゃあ私は提督執務室に行くけど……二人はどうする?」
「お伴しマース」
「私は……菊月のところに行ってくる。睦月一人では心配だ」
なるほど。睦月と菊月の姿が見えないと思っていたが、どこかに避難しているということか。
(そんな中、一人残って私と対峙した……流石だ、長月)
「さて、それじゃあ提督執務室へ急ぎますヨ。響が《No.》を使用していない以上、他の《No.》使いがいるはずネ。なんとしても被害が出る前に食い止めるヨ」
「ああ、急ごう」
「司令官、お疲れ様。早速だけど、デッキを返してくれないかい?」
「……………………………………………………ふむ」
開口一番それだった。さすがに驚いたのか司令官も書類を整理する手を止めて私の方を見た。
「…………ふむ、まあ……結論から言おう。ノーだ。許可できない」
「っ、なぜ……!」
「そもそもだが。何故君は返してもらえると思った? 君はボロボロだ、肉体はともかくとしても、精神面で。その状態の君にそれ以上戦わせられると思うか?」
司令官の問いに言葉が詰まる。確かに、『狭間の鎮守府』でまともにデュエルができないほどに私の精神はボロボロなのだ。
「それに、君が戦う理由すら私はわからない。何故君は《No.》と戦うんだ。そんなもの、我々に押しつけてしまえば良いだろうに」
「それは……! ……私が、蒔いた種だから……」
「本当にそうか? 君がヲ級とことを構える以前に、既に奴は二度もこの鎮守府を攻撃している。それなのに何故負い目を感じる」
「ヲ級は妙高型の三人を襲った時には、あのカードを使わなかったんだ。あの……《No.》の呪いの源みたいなカードを。だから……」
「《No.》の呪いの源……ヲ級が川内に対して使ったアレか。君が戦いを挑まなければ、奴もアレを使用しなかった、と。君はそう言いたいわけだ」
書類を置き、まっすぐとこちらを見据える司令官。それに射竦められたように、思わず身がこわばる。
「しかし、そうなると一つ疑問が湧く。何故奴はそのカードを使った? 確か奴は私の狙撃を防いだ時に自らの艦載機を使っていたな。ということは自由に艦載機を使用できたということだ。それなのに何故、自身が得意とする航空戦ではなく、どんな結果になるかわからないあのカードを使った?」
「それは……」
言われて、あの時の状況を思い出す。私とのデュエルが中断され、直後に川内さんが乱入。川内さんの猛攻をヲ級は避け続け、最後に一撃もらいそうになったタイミングであのカードを使った。
しかし、よく考えてみれば川内さんの攻撃を避けながらでも艦載機を出すことはできたはずだ。まさか司令官の狙撃を防いだあの艦載機のみしか所持していなかった、なんて都合のいいことはあるまい。
そこでふとある言葉が思い出される。例のカードを使用した後のヲ級の言葉だ。
『……まあ、
(……よく考えてみれば、この言葉も不自然だ。足柄さんを襲撃することが目的ならもっと前の段階で作戦は完了といえるはずだし……)
いや、ある。一つだけ、可能性が。
「ヲ級は……
「……ほう。そう思った理由を説明願えるかな?」
私はあの夜何が起きたかを全て司令官に話した。
「なるほど。確かにその説は一理あるな。だが、それは同時に君に責任がないことの証明でもある。……一応君は病み上がりだからな、今日は休暇をやろう。わかったら部屋に戻りたまえ。《No.》は我々の方でどうにかしておく」
言うだけ言って、書類仕事に戻る司令官。取りつく島もないと言った感じだ。
と、そこで私と司令官の間に割り込む影があった。
「待ちなヨ提督。どうしてそんなに頑ななんデース?」
今までずっと黙って私と司令官の会話を聞いていた金剛さんだ。その言葉を受けて、司令官は再び顔を上げた。
「……わかっているだろう、金剛」
「
「は? ……ああ、もしかして金剛、お前……全てを話したわけではないのか?」
「話してる最中に《No.》が襲ってきたんデース」
「回収したか?」
「Of course」
金剛さんが懐から真っ黒なスリーブに入ったカードを司令官に渡す。
「そうか、響はまだ知らないか。では教えねばならんな」
「教える……? 何をだい?」
「我々の計画についてだ」
瞬間、室内の温度が五度ほど下がったような感じがした。それが司令官の放つ圧倒的なプレッシャーによる錯覚だと遅れて気づいた。
「まず、君のデッキーー正確には【EM】というカテゴリについて。何か知っていることはあるか?」
えらく抽象的な質問だ。だが、その問いに対する回答を私は持っている。
「先代秘書艦が使っていたカテゴリ、だよね?」
「正解だ。なら【魔術師】や【オッドアイズ】は?」
「それも同じく」
「ほう……こちらについても知っていたか。まあこの際誰に聞いたかは置いておくとして、だ。それなら先代秘書艦の正体も知っているんじゃないか?」
「『初期艦』にして特型駆逐艦の五番艦の叢雲さんだ」
「そうだ。では最後。何故私が君に【EM】を託したと思う?」
「それは……わからない」
「だろうな。これを知っているのは金剛と明石と……まあ、ごく少人数だ」
先ほどの口ぶりから金剛さんが知っているのはわかっていたが、明石さんもか。
「まず、知っての通り私は『番号札作戦』で叢雲を失った。その後我々は彼女を取り戻すために出来る限りの手を尽くしたが……なかなか可能性を掴めなかった」
「…………………………」
その叢雲さん本人と会った、とは言わないでおくべきか。
「そんな中、我々はある可能性に至った。《No.》の呪いを封じ込めた例のカード、叢雲はアレを介してどこか遠いところへ飛ばされたのではないか、と」
「…………!」
まさかの大正解だ。どうやってその結論に至ったのか気になるが、今はそこは重要な点じゃない。
「だがそのあたりから忙しくなってきてな。我々も叢雲の問題に専念するわけにはいかなくなった。……だから、ある計画を立てた。次に我が鎮守府へと着任した駆逐艦に叢雲の残したデッキを託し、叢雲を取り戻すための『鍵』になってもらう。これが、その計画ーー『仮称:K号作戦』の概要だ」
「……じゃあ、私を臨時秘書艦に指名したのも」
「無論、『仮称:K号作戦』の一環だ」
なんとなく、話の流れが見えてきた。
「つまり『鍵』になるべき私が《No.》と戦って、もしものことが起きたら困る、ということだね?」
「そこまで単純でもないが、まあそうだ」
知りたくなかった真実に、言葉を失う。私が特別なのではなく、
(なら……私がここに着任してからの日々にはなんの意味があったっていうんだ。ずっと敷かれたレールの上を走っているだけ。それも自分だけが気づかずに。そんなの、そんなの……!)
フラリ、と一歩下がる。と、そんな私を支える二本の腕があった。言わずもがな金剛さんだ。
「そう気を落とさないでくだサーイ、響。提督はああ言ってますけど、心の中ではyouを心配する気持ちで一杯なんデース。……提督も、私たちならともかく、響相手にその言い方はちょっとどうかと思うヨ。事実なら何を言ってもいい、なんてのはkidsの考え方ネ」
叱るような金剛さんの言葉に、黙って目を瞑る司令官。やがて、ゆっくりと頭を下げた。
「……すまない、少々思慮に欠けた言い方だった。決して君の人格を軽んじているわけではない。だが君の存在がこの計画において最も重要な位置にある事は
「……はい」
しかし、これでいくつかの疑問が解消されたのも事実だ。
(『仮称:K号作戦』か……司令官はやっぱり叢雲さんを諦めていないんだ。そして実際、私は叢雲さんの使っていたデッキを介して彼女と接した。これはその計画にとっては大きな一歩なんだろうな)
私がその事実を司令官に報告しようとした、その瞬間だった。
「ーー総員、伏せろォォォ!!!」
血相を変えた司令官の叫び声が提督執務室に響いた。
「えーー」
疑問を口にするよりも前に、上から覆い被さる形で来た金剛さんによって床に伏せさせられる。
直後。
ドッッッゴァァッッ!!! という轟音を最後に、
酷い有様だった。何者かによる攻撃を受けた提督執務室は、ほんの数十秒前からは考えられないような惨状になっていた。
まず、天井はその半分ほどが原型をとどめていなかった。響たちが立っている場所の逆側、すなわち華城のいる提督執務室向かって奥側の天井は無くなっており、一つ上のフロアとつながってしまっている。
壁も天井の破壊と連鎖するようにヒビが入ったり塗装が剥がれたりしていた。戸棚の類に被害がなかったのは唯一の救いか。
「………………」
それらを、金剛の下から這い出た響は呆然としながら見ていた。
「……無事か、響」
「っ、司令官!」
執務机の下から出て来た華城が、改めて椅子に座る。
「金剛はどうした?」
「……私を庇った時に、衝撃で気絶してしまったらしい。息はあるよ」
そうか、と言って散らばった書類をまとめ始める華城。それを手伝いながら、響は突如として起きた事柄に対する素直な疑問を口にした。
「司令官、一体何が起きた? 深海棲艦の襲撃か何かなのかい……?」
「すぐにわかる。……そら、真犯人様のご登場だ」
その華城の言葉に、響は勢いよく振り返って破壊された提督執務室入り口へと顔を向けた。
「…………なっ」
「…………………」
無言の『誰か』ーー扶桑型戦艦一番艦『扶桑』が。艤装を装備した状態で。
間違いない。彼女がその主砲で提督執務室を攻撃したのだろう。
やがて、扶桑がゆっくりと口を開いた。
「貴女が……響さんね?」
「あ、ああ……」
響も、彼女のことは知っている。が、それほど交友があるわけではない。元の艦があまりに有名だから知っているだけだ。
「ちゃんとした挨拶はまだだったわね。扶桑型戦艦一番艦、『扶桑』です。改めて、この鎮守府へようこそ、響さん」
「御託はいい。何が目的だ。吐け、扶桑」
場違いな言動に華城の横槍が入る。しかし、扶桑の様子は微塵も変わらなかった。
「あらつれない。ですがわかりました。それなら、目的を素早く達成すると致しましょう」
そして扶桑は当然のようにディスクの電源を入れた。
「ーー本丸、潰させていただきます」
サラリ、と長い黒髪が扶桑の動きに合わせて動き、その隙間から艶かしい首筋が覗く。そこには案の定《No.》使い特有の模様があった。
「……なるほど、無関係の艦娘を巻き込むわけではなく、私自身を直接叩くと。いいな、気に入った。……だが、私は横須賀鎮守府総司令官だ。簡単に潰されてやるわけにはいかないーー」
「ーーだから、私が相手をするよ」
言って、響が二者の間に割って入る。華城はその理由は問わずに、スッと目を細めながら響の後ろ姿を観察した。
(……以前デュエルした時とは、雰囲気がだいぶ変わったな。何かしら、心境の変化があったか? だが……)
華城の視線がある一点に集中する。響のデュエルディスクだ。そこにはなぜか、きちんとデッキがセットされている。
(……デッキは抜いておいたはずなんだがなあ? 金剛のものか?)
その時。ドサッ、という鈍い音とともに、椅子の背もたれに裏側から重量がかかるのを華城は感じた。そちらを見ると、椅子の背もたれに裏側からもたれかかるようにして『何者か』がいた。
その『何者か』は、華城が全艦娘の中でもトップクラスに信頼し、艦隊運営をより円滑に進めるために華城の命令を忠実にこなす、いわばスパイのような存在だった。そして昨夜、《No.》の呪いに蝕まれたために華城の手で昏倒させられ、今も入渠ドッグのベッドで眠っているはずの艦娘でもある。
すなわち、川内型軽巡洋艦一番艦『川内』。
(扶桑の砲撃でこの場が混乱している隙に響のデッキを取り返し、彼女のディスクにセットした、か? まだ全快したわけでもないだろうに……無茶をする)
だがそこまでやるからこそ信頼に値する、とも華城は思っていた。
よって、華城は彼女を
そして華城は一言、響に言った。
「負けるなよ」
「もちろん、勝つつもりでいかせてもらうよ」
「あらあら……まあいいわ。ならまずは貴女から倒させていただきますねーー」
「構わない。私も全力で行くーー!」
「「ーーデュエル!!」」
川内さんは働き者。
次回、心機一転した響さんの初デュエル。