思いのほか僕もいた街   作:久路土 残絵

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再上映

「八代!俺は!お前の未来を知っているぞ!」

 

 冷え切った夜空に轟く慟哭。

 

 それを発するのは窓から押し寄せる水流に揉まれる少年だ。

 

 白い小型バンが少年を乗せたまま湖中へと沈んで行く。それを背に、男は悠然と歩いた。

 

 この男――八代学(やしろがく)こそがこの街で起こる連続児童誘拐殺人の犯人だった。

 

 少年――藤沼悟(ふじぬまさとる)は未来で八代に殺された母を救うため奇跡に縋り、藻掻き、足掻いて、そして正義の味方であろうとした。

 

 しかし今、その悟も哀れな犠牲者の一人になろうとしている。

 

「……」

 

 意味深な怨嗟の声を背に受けた八代は、湖に一瞥して、また歩き出す。自らを追い詰めた少年への畏敬と、更新された最大の愉悦を胸に。

 

 

 

「くそっ! くそっ! ふざけるな!」

 

 悟は最早誰へとも届かぬ罵倒を叫んだ。

 

 八代に細工されたシートベルトは、金具が外れず、子供の力では引きちぎろうにも子供の力ではビクともしない。

 

 冷水に晒され弱った力では尚更だ。

 

「くっ、がぼっ、あ」

 

 遂には車内が水で満ちた。息を止めて耐えるも直ぐに限界が来る。肺に水が流れ込んで胸が引き裂かれる様な感覚がした。

 

 全身から酸素が失われる。四肢が痺れて自由が失われていく。

 

 どれだけ抵抗しても返ってくるのは苦痛のみ。少しするとそんな感覚さえも無くなった。

 

 昏い、昏い無音の世界。

 

 妙に、思考が落ち着いた。

 

 ――俺は、失敗したのだろうか。

 

 加代をヒロミを中西彩を俺は守った。

 

 再上映(リバイバル)の結果はいつも±0。もしくは俺が少しだけ割を食う。

 

 なら、皆の命の代わりに俺の命が失われる。と言うのは当然なのかも知れない。

 

 母さんを……守れたのかな。

 

 なら、

 

 ならば、

 

 正義の味方としては上出来だったんじゃないだろうか。

 

 そう思ったら力が抜けて、意識さえも水に溶けて消えていくようだった。

 

 走馬灯だろうか、まるでフィルムの早回しの様に記憶が流れてく。

 

 

 

 母さんとの記憶。

 

 元の時間じゃつまらない事で喧嘩して、家を出てそれから疎遠になっちまったんだっけ。

 

 ずっと、後悔してた。

 

 だから俺は誓ったんだ。俺が忘れてた、当たり前に持っていた筈の宝物を守るんだって。

 

 

 

 みんなとの記憶。

 

 踏み込めなかった俺はいつだって愛想笑いを浮かべて傷つける事を、傷つく事を怖がっていた。

 

 再上映(リバイバル)して、思い切り踏み込んで、皆を巻き込んで雛月を守った。

 

 ヒロミの時、中西彩の時なんかは、みんなは何も言わずに手伝ってくれたっけ。

 

 それはもう友達なんかじゃなくて、まるで……。

 

 ああ俺、そう言えば小学校の文集にそんな事書いたんだっけ。

 

 母さん、ケンヤ、雛月、ヒロミ、カズ、オサム。

 

 あぁ、もったいねぇなあ。せっかく……叶ってたのに。

 

 不意に、目尻から熱が溢れた。

 

 これからみんなは僕だけがいない街で暮らしていくんだろう。

 

 笑って、怒って、泣いて、でもそこには僕だけが居なくて。

 

 記憶の僕はいつか思い出として消えていく。

 

『く、そ』

 

『嫌だ』

 

 こんなワガママ正義の味方らしくない。失格かもしれない。

 

 それでも。

 

 僕は、俺は―――前よりずっと大切になったみんなと、同じ時間を生きて行きたい。

 

 神様でも悪魔でもなんでもいいからさ、頼むよ。

 

 せめて今までの再上映で俺が割を食った分だけでいいからさ、返してくれよ。

 

『俺も、みんなと――』

 

 しかし、そんな無様な願いに答える者などいる筈もない。

 

 やがて俺の意識は、昏い湖へと溶けて消えた。

 

 

 

 ――

 

 

 

「おはよう。悟」

 

 次に目が覚めた時、目に飛び込んできたのは涙を流す母さんの姿だった。

 

 窓からの日差しが瞳を焼いた。小さな音全てが耳を刺激する。薬品の匂いが鼻をつく。体には、鈍い痛みが走る。

 

「か……ぁ……」

 

 泣いている母さんに何か声を掛けたかった。

 

 けれどカラカラに乾いた喉は痛むばかりで上手く声出してくれない

 

 それどころが、俺自身涙が止まらなくてどうしようもなかった。

 

 俺は生きていた。俺は、生きている。

 

 流れた涙が首筋まで達した所で拭おうとするが、体は言うことを聞かない。

 

 ゾクリと、体に悪寒が走った。言い知れぬ恐怖に嫌な汗が流れた。

 

「大丈夫。 寝たきりだったから身体の機能が弱ってるだけだべさ」

 

 俺の不安を見透かした言葉でそれは霧散した。

 

 

 

 妖怪め。

 

 

 

 それからすぐに医者が呼ばれた。

 

 俺は何度も奇跡だと繰り返す医者の問診を受けた。

 

 窓の外に目をやると雪が降っていた。どうやら季節は変わらず冬のようだ。

 

「最後に覚えている記憶は何かな」

 

 白髪をオールバックにまとめた壮年の医師が、極めて穏やかな口調で俺に問いかけた。

 

 俺は気を引き締めた。

 

 最後の記憶は勿論、八代学。拭いがたい敗北の記憶。

 

 早く伝えなきゃ、八代が犯人だ。

 

 俺は睡眠薬を飲まされて――。

 

 ――?なんだ睡眠薬って。

 

 違うだろ、俺はスケート中の事故に見せかけられ――。

 

「がっ……あぁ!」

 

 頭が、痛い。

 

 これはなんの(・・・)記憶だ?

 

 何で、八代に嵌められた記憶がこんなに(・・・・)ある?

 

「大丈夫かい? 焦らなくてもいい。 ゆっくり、ゆっくり思い出すんだ」

 

 見かねた医師が俺を落ち着かせようと声を掛けてくる。

 

「記憶の混乱、頭痛。 やはり脳にダメージが……本来ならば……」

 

 老医師は、息を切らしながらもどうにか落ち着いた俺を観察している。

 

 手に持った紙にボールペンが手元の紙に忙しなく走っていた。

 

 母さんが不安げにこっちを見ている事に気づいた。

 

「誕生会……したんだ。 俺と、雛月の。 みんなで」

 

 俺は混濁した記憶から間違いなく言える最後の記憶を引き出し、それを告げだ。

 

 すると、母さんの表情が僅かに和らいだような気がした。

 

 それに満足した俺は深く息を吐いて、そして疲労感に引きずられるように眠りについた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 次に目を覚ますと、もう次の日になっていて、幾分か気分が落ち着いていた。

 

 少しすると母さんと連れ立って数名の警察が病室に訪れた。

 

 彼らは俺に訪ねた。

 

「あの日、君に何があったんだい?」と。

 

 どうやら母さんはその質問をさせたくなかったようだけれど、仕方がない事だろう。

 

 男の問いを受けた俺は、自分自身に落ち着けと言い聞かせた。

 

今度こそ。

 

 切り札はここにあるんだ。八代に勝てる。

 

 何度も深呼吸してから俺は話した。

 

「犯人は八代先生だ」

 

「車で湖に連れて行かれた――」

 

「シートベルトに細工がされていた――」

 

「車ごと湖に――」

 

 昨日のアレはきっと医者の言っていた通りに記憶が混濁していたんだ。

 

 けれど、落ち着いて思い出した。

 

 あの日あったのは間違いなくコレだ。冷たい湖に沈んでいく恐怖は今も鮮明に思い出せる。

 

 俺がそう話すと警察は面を食らっていた。

 

 余りに早口でまくし立てた所為だろうか。

 

 けどコレで八代は終わりだ。なんたって被害者の証言があるのだから。

 

 しかし、警察官は嘆息一つ。そして首を振った。

 

「やはり、記憶に乱れがあるようです。 またの機会にしましょう」

 

 頭を振る警察官に、母さんは頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした」

 

 警察官は「お大事に」と残し、母さんがそれを見送る。

 

「ちょっと、ちょっと待ってくれ! なんでだよ! 本当に八代が!」

 

 なんだ、なんだこれ。

 

「悟、やめなさい」

 

 警察官の背に言葉をぶつける。しかしそれを母さんが止めた。

 

「違う! 母さん! 本当なんだ! 」

 

 母さんにまで嘘を吐いたと思われたなら凄く、嫌だ。

 

 昔、雛月の件で取調を受けた時の事がフラッシュバックする。

 

 くそっ、また!

 

「大丈夫、悟。 母さんはお前を信じてるべさ」

 

 狼狽する俺を母さんはそう言って俺を抱き締めた。母さんの体温を感じると、僅かばかり心が落ち着いた。けど、納得いかない。

 

「今は休みなさい」

 

「でも!」

 

 俺が眠っている間、八代は手を出してこなかった。

 

 俺が目覚めるとは思っていなかったのだろう。八代の周到な手口からすればあり得ない油断だ。

 

 なら、すぐにつけ込まなければいけない。これは八代の唯一の穴かもしれない。

 

 なのに、なのに――!

 

 余程酷い顔をしていたのだろうか、母さんは俺をひと撫でして、慈愛に満ちた声音で告げた。

 

「信じてる、母さんは悟の事信じてるべさ」

 

「母さんも、母さんの友達も先生が怪しいと思ってるべさ。 けど、どれだけ調べても証拠は無かった。それと、」

 

「悟の話にはありえない事があるべ」

 

「ありえ、ない?」

 

 もう一度、思い出す。

 

 俺は八代の車に乗って、湖に連れて行かれ、そこで車ごと落とされた。

 

 何度思い起こしても間違いなんて――。

 

「湖に車なんか無かったんだべさ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 窓の外を見ると、靄の中で太陽が幻想的な光を漏らしていた。冬の夕日だ。

 

 時刻は17時になろうとしている。

 

 俺は、一人呆然としていた。

 

 何が起きた。

 

 俺に何が起きている。

 

 確かに俺は八代に車ごと湖に落とされた、筈だ。

 

 嘘なんて吐いていない。

 

 だけど、一番疑っているのもまた俺だった。

 

 狼狽える俺に母さんは、あの日何が起きたのか教えてくれた。

 

 1988年3月14日。

 

 ケンヤ達の証言から、俺が美里を一人にさせないためにアイスホッケー大会の会場に行った事が確認されている。

 

 会場でも数人の観客が俺の事を覚えていた。

 

 そしてここで俺の目撃証言が途絶える。

 

 ここまでは記憶通りだ。

 

 その後、まんまと八代に嵌められた俺は奴が見繕ったダミーの車と共に湖底へと沈んだ。

 

 けれど警察の調べによると湖の中に車など無く、俺は湖に意識不明で浮かんでいるところを通りがかった獣医師に救助されたらしい。

 

 警察は当初、俺がスケート靴を履いていた事から、湖でスケートをした小学生が誤って転落した事故と考えたらしい。

 

 しかし、俺の体から僅かに睡眠導入剤が検出された。

 

 その事から事件の線での捜査が開始された。

 

 そして数人が捜査線に浮かぶものの、皆アリバイがあり犯人は特定できずに今に至るそうだ。

 

 睡眠導入剤? スケート靴? 俺はどっちも覚えがないぞ。

 

 医者が言っていた通りに俺の記憶に障害が起きているのか?

 

 考えれば考える程に自分の記憶全てが偽物になって行くような感覚に怖気が走る。

 

 俺は一体、どうなってしまったんだ?

 

 思考が恐怖に染まりかけたその時、廊下から病院にあるまじき慌ただしい足音が聞こえた。

 

 なんだ、と心中で呟いて首だけを廊下に向ける。

 

 すると間を置かずにタン!と大きな音をたてて病室の戸が開いた。

 

 

 

 あぁ――。

 

 

 

「「「悟!」」」

 

 

 

 ケンヤ、雛月、ヒロミ、オサム、カズ。

 

 飛び込んできた幼馴染達を見ると恐怖なんて吹き飛んだ。

 

 少なくともこいつらとの思い出は偽物なんかじゃない。

 

「久しぶり、みんな」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 記憶の事ばかり気にして忘れていたけど、俺が意識不明になったあの日から、およそ三年の歳月が流れていた。

 

 今は1991年12月2日。

 

 中学生二年生になったみんなは学生服に身を包み、俺の真新しい記憶よりも背が伸びて少し大人びていた。

 

 しかし俺にとっては過去に一度見た姿だ。驚きは――。

 

「悟!悟!」「悟君!」

 

「いだだだだだ」

 

「ごっ、ごめん」

 

 雛月とヒロミが寝たきりの俺の腹に飛びついてきた。

 

 他の三人は一歩引いて呆れ顔だ。ケンヤなんて特に。

 

 衰えた俺の体は二人の体重だけでで骨が折れるのではないかというほどに痛んだ。いや本当に折れる折れる。

 

 けれどこの痛みが今を生きていることを俺に実感させるようで、二人を引き剥がす気にはならなかった。

 

「本当に、目が覚めたんだね。 夢じゃ、夢じゃ無いんだよね?」

 

「ざどるぐん〜〜」

 

 雛月が潤んだ瞳を近づけてくる。

 

 隣には涙目で笑っているヒロミ。

 

 そこで俺は気づいた。二人は元の時間では五年生の時点で死んでいた。

 

 俺が雛月とヒロミの中学生時代を見るのはこれが初めてなんだ。

 

 そう思ったら自然に笑みが溢れた。

 

 これが俺の行動の結果だとすれば、十分過ぎる報酬だ。

 

 ヒロミは、少し男らしくなったな。

 

 雛月は、「綺麗になったな」

 

 

 

「なっ……」

 

「うわぁ、悟君だいた〜ん!」

 

「悟。変わってないな、本当に」

 

「てんねんジゴロってやつか!?」

 

「それカズが言う?」

 

 

 

 声に、出てた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 閑散とした広い部屋に苦しげな雄叫びが響いた。しかし、声を上げる少年の口角は高い。

 

「が、あ゛ぁぁ!」

 

 俺はまだ早いと言う医者の静止を振り切り、こっそりとリハビリを始めていた。

 

 リハビリは早い方がいいというのが通説だ。医者が止めたのは脳の方を慮っての事だが、見えない問題に怯えちゃ始まらない。

 

 俺は握り潰さんばかりの力(気持ちだけ)で平行棒を掴み、一歩、また一歩とフローリングを踏みしめる。

 

 骨が軋む、筋繊維が千切れる。

 

 でも構やしない。

 

 俺は、またみんなと同じ時間を過ごしたい。みんなと会ってその想いが強くなった。早く学校に行きたい。

 

 それに、

 

 八代とはまた会う事になる。そんな確信があった。

 

 この前みんなが来た時、ケンヤが耳打ちをして来た。

 

『八代か?』と。

 

 俺は静かに頷いた。

 

 相変わらず頭が切れる親友だ。29歳でようやく張り合ってるよ。

 

 ケンヤはある程度の確信を持って八代を疑っているようだった。

 

 なら、やはり犯人は八代だ。たとえ自分の記憶が信じられなくても親友の事なら信じられる。

 

 奴と再び相見えた時、寝たきりじゃあ洒落にならない。

 

 その為にも今は少しでも早く――。

 

「あっ」

 

 汗で手が滑って平行棒からずり落ちた。

 

 とっさに動く筋力なんて俺にはまだ無い。

 

 このまま受け身も取れずに倒れれば骨折だってあり得る。

 

 そうなればみんなと過ごせる時間が更に遠のく。

 

「くっ」

 

 俺は後悔を胸に、目を閉じ痛みに備えた。

 

 しかし、何かに支えられた感触。俺に痛みが訪れる事はなかった。

 

 ゆっくりと目を開く。視界に飛び込んで来たのは黒いスーツ。赤いネクタイ。

 

「無理なリハビリはとても危険なんだ。 お医者さんの言う事は良く聞くべきものだよ、悟」

 

 

 

 良く、聞き覚えがある深みのある声音。

 

 

 

「八代――先生」

 

 

 

「お前の意識が戻ったって聞いて急いで駆けつけたんだ。良かったな。 先生は本当に嬉しいよ」

 

 

 

「本当に」

 

 

 

 玲瓏な声が静かに部屋に染み入った。


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