それは、鷹岡がいなくなった直後の岬のこんな一言がきっかけだった。
「ところで、烏間先生。無事に教師に返り咲けたことだし、何か臨時報酬とかあってもいいんじゃない?」
「そーそー、鷹岡先生もそーいうのだけは充実してたし」
陽菜乃も烏間先生におねだりした。
「ふん、甘い物など俺は知らん。財布は出してやるから街で好きなものを言え」
E組から(と、何故か今回何もしていないイリーナまで)歓声を上げた。
「でも洋菓子はいいかなぁ~…」
「有名どころのは昨日たらふく食ったし…」
その言葉を聞き逃さなかった女子が一人・・・・
「そう言うことなら!」
右側の髪をリボンでまとめて毎日変わる髪留めがチャームポイント、出席番号28番明神翼が提案した。
「みんなうちに来ませんか?」
● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎
「あ、もしもしお母さん?あのね…」
翼は自宅に電話して事情を説明した。
「話がつきました。全員分の和菓子とお茶確保です」
そんな翼に健が訊いた。
「ちょっと翼、和菓子あっても場所どうすんの?流石にこの人数は…」
「だからぁ~」
翼は意味深な笑顔で健を見つめた。
「………わかったよ」
健の翼の意を汲んだようだ。
そして、E組と烏間先生それとおまけのイリーナ(と、土下座したまま着いて来た殺せんせー)は木造でかなり年季の入ったそれなりに大きな店にやってきた。
「ようこそ、赤べこへ。いつも娘がお世話になってますぅ」
中から京都訛りが残る和服にエプロンをした女性が出てきた迎えてくれた。
「おぅ、バサの字よぉ、お前って姉ちゃんいたか?」
「何言ってんのタスク君、あれわたしのお母さんだよ」
「若っ!」
翼の母、明神香織はとても一児の母とは思えない見た目だった。
「さあさ、お菓子の準備はできてますので、翼手伝って」
「はぁ~い」
「あ、つっちゃん私も手伝うよ」
「なら女子みんなで手伝いましょ」
岬と萌が言うと陽菜乃以下女子全員が手伝う事になった。
「なら場所の準備はお願ね、“たけるちゃん”」
香織が何気なく言った一言に、E組がざわついた。
「ちょ…、もう小学生じゃないんだから皆の前でちゃん付け止めてよ小母さ…」
「ん?」
一瞬、全員の背筋が凍る程の殺気が・・・
「…香織さん」
「はいはい」
その場を包んだと思ったがすぐに治まった。
岬は健の脇腹をちょんちょん突っついた。
「ちょっと緋村、あのつっちゃんママからタケルちゃんなんて呼ばれてんの?」
「昔からね…。つーか現在進行形で世話になってるからあの人には頭上がんないんだよ。間違っても“オバサン”とか言わないでよ。香織さんか翼のお母さんって呼ばないと…、怒るから、すっごく」
健は溜息を吐くと準備に向かおうとする神崎の後ろに近寄った。
「………タスクはこしあんのドラ焼きが好きだから………」
「…っ!?」
神崎は顔を赤くするとお盆を準備してドラ焼きを山ほど乗せた。
「男子~、場所のセッティングするから着いて来て」
健はそう言うと赤べこの裏手に回り、勝手口の向かい側の建物の戸を開けた。
「ちょ…、そこ他所ん家じゃ…」
「そうだよ、隣は明神家。で、ここは緋村家」
ほとんど二世帯住宅並みに接している家の屋根を見上げた竹林が訊いた。
「緋村、あそこの屋根伝いに行き来できる部屋はまさか…」
「俺と翼の部屋だけど?」
「ふむ…、隣同士、幼馴染、行き来できる部屋………まさかとは思うが着替えをうっかり目撃したことは?」
「あるけど」
「なに~!緋村、お前明神さんの生着替えを!」
岡島も割り込んできた。
「うっかりどころかしょっちゅうあるよ。あいつ何度注意しても着替えの時カーテンしないんだから」
「ふむ…、前髪に姉と妹2人の千葉だけかと思っていたが、ここにも隠れギャルゲーの主人公がいたとは…」
「な…、なんてうらやましぃ………」
勝手な分析と殺気を放ってくる二人をほっといて健は男子を中に案内した。
緋村家の敷地は明神家のおよそ3倍はあり、その敷地の1/3を占めているのはE組の校舎並みに大きな道場だった。その入口には以前殺せんせーが持ってきて健がキレた時の看板がかけられていた。
健は道場の玄関で靴脱ぐと靴下も脱ぎ、一礼して入った。他の男子もそれに倣った。
「道場で車座になればちょうどいいから。とりあえず、雑巾掛けね」
「え…、雑巾かよ…」
「モップとかないの?」
案の定男子から苦情が出た。
「木の床板は水拭きでないとダメなの。それも固く絞った雑巾じゃなきゃ」
「みんな、こっちがお邪魔してるんだし、雑巾がけくらいやろうぜ。この人数ならあっという間…に?」
磯貝が率先して雑巾を手にしたが、その床はやけにピカピカしていた。
「あ、緋村君。雑巾掛けなら先生が終わらせておきましたよ」
道場の中央には全ての触手を総動員してまるでワックスでもかけたかのごとくピカピカになるまで磨いた殺せんせーがいつの間にかいた。
「つーか殺センコーよぉ、あんたいっつも触手のまんまだけどそのまま上がり込んでいいのかよ?」
「ぬるふふふ、相楽君にも分かるように図で説明しましょう」
殺せんせーはどこからともなくパネルを取り出した。
「外にいる時は確かに汚れが付いています。しかし、室内に上がる時には皮膚ごと中にくりっと内側に巻き込むんです。そして汚れ物質は先生の体内で燃えるか解けてしまうので、今の先生の触手の表面はこの道場の床のように綺麗でピカピ…かァ!?」
ご丁寧な解説をしている殺せんせー・・・が持っていた断面図のパネルは健の峰打ちで一刀両断されてしまった。
「何勝手なことやってくれてるんすか?道場の雑巾掛けは通過儀礼。使う俺ら自身が“殺ら”なきゃ意味無いんすよ?」
やる、のニュアンスが微妙に異なる髪を少しだけ赤黒くした健が殺せんせーに説教を始めた。
「あぁ、野球部でも終った後のグラウンドのトンボ掛けをやるようなもんか」
その後ろでは杉野が納得していた。
「だって…だって、みんなだけズルイじゃないですか!烏間先生のおごりで和菓子をワイワイ食べるなんて!先生だって和菓子食べたいんですよ!!仲間外れなんて酷いじゃないですか!!」
「………それが本音っすか」
健は髪色を元の赤毛に戻して納刀した。
「…香織さんや翼の親父さんに見られないようならいいっすよ」
「ありがとうございます!」
マッハで土下座する殺せんせーに呆れつつ、健はふとカッカッカと鳴る音方を向くと、
「おい寺坂、吉田、村松、木刀勝手に使うな!」
寺坂組の三人が壁に架けてあった木刀や六尺棒でチャンバラをやっていた。
そこに・・・、
「おまたせ~」
翼を先頭に女子たちがお茶の入ったヤカンや湯飲み、和菓子をお盆に乗せて道場に入って来た。
「あ…、ヤバ」
寺坂たちが振り回していた木刀がちょうど入って来た翼に振り下ろされた。
「………ッ!」
翼はお盆を上に投げると村松の木刀を真横から掴んで捻り、吉田には脚払いを喰らわせた。すると、2人揃ってコントのように道場の床にすっ転んでしまった。
さらに六尺棒を掴むと、寺坂はすとんと膝をついてしまった。
「………何してるのかな?」
落ちてきたお盆を受け止めると、翼は“笑顔”で訊いた。片手にはお盆を乗せているが、反対の手では棒を握ったままだった。
「は…、放せねぇ…」
「ここは道場でそれは稽古の道具。間違っても遊び場でも玩具でもないから、ね?」
寺坂は六尺棒を放そうとしたが、手どころか全身の筋肉が言う事を聞かず、それどころか上から大岩でものしかかるようなプレッシャーを感じていた。
「はいストップ!」
健の手刀が翼の頭にコツンと当たった。
「弱い者イジメすんなって、親父にも言われてたろ?」
「…そうだった………」
翼が六尺棒を放すと寺坂は糸が切れた操り人形のようにへたり込んでしまった。
「…な、なにが…?」
寺坂も村松も吉田も訳がわからないようだった。
「前にイトナ来た時、カルマが“だいたい3番目くらいに強い”って言われたけど…」
健は道場の壁に架けられた木札をひっくり返した。そこには【緋村健】と達筆な筆文字で書かれていた。さらにその隣の木札もひっくり返した。
「たぶん、この道場でならカルマよりも強いよ」
そこには同じ字体で【明神翼】と書かれていた。
2人の木札が架けられている枠にはこう書かれていた。
【師範代】、と。
「神谷御剣流(うち)の流派には剣術主体の攻撃の型と素手主体の防御の型があるの。で、俺は攻撃が得意で、翼は白刃取りを始めとした素手の防御が得意。防御に徹したらタスクにはてこずるけど、カルマとなら互角以上に渡り合えると思うよ」
「あはは…」
照れて頬を掻く翼の姿からは全く想像もできないが、今さっき寺坂達を一瞬で制圧した手並みに、E組の誰もが納得せざるを得なかった。
「寺坂くんたち、木刀は当たれば痛いし遊んじゃダメだよ、わかった?」
「「「………はい………」」」
ふと、健は道場の入口でも大盛りのドラ焼きのお盆を持って立っている神崎に気付いた。
「どしたの、神崎?」
「あの…、緋村君…、その…、道場には素足でって言われたんだけど…」
もじもじしている神崎の足下、神崎のトレードマークにもなっている黒いタイツ、を見て健は納得した。
「あ~…、うんまぁ今日は特別にいいよ。まさかそれ脱げなんて言えないし、………タスクの前で素足とか晒せないしね………」
「えっと、それじゃおじゃまします…」
おずおずと入った神崎に(正確には持っているドラ焼き)タスクはさっそく気付いた。
「お、ドラ焼きじゃん。いっただきっや~す!」
「あの…、相楽君、ありがとうね」
「あん?あにがだ?」
タスクは口をドラ焼きでハムスターにみたいにしていた。
「鷹岡先生から庇ってくれて」
「…結局、あのデブにボコボコにされちまったけどな、カッコ悪ぃったりゃありゃしねぇ…」
「そんなことないよ…、あの時の相楽君、………すごくカッコよかったよ………」
神崎は呟くように言ったが・・・
「んぐっ!が…、がんざぎ…ぢゃ…、ぐれ」
タスクはドラ焼きを喉に詰まらせて全然聞いていなかった。
そのタスクに湯のみを差し出し背中を擦る神崎は少しだけ残念そうな表情をしていた。
道場のあちこちで賑やかに菓子を囲んでいると、作務衣姿の中年男性が烏間先生とイリーナに近付いてきた。
「いつも娘がお世話になっております。翼の父明神弥七です」
「どうも。E組担任の烏間です」
「英語教科担任のイリーナ・イエラヴィッチです」
「うわ、つっちゃんパパなんか職人気質って感じだねぇ」
「渋いオジサマねぇ」
「あはは、ありがと…」
弥七は香織よりは歳相応だが、きりりとした鋭い目付きにしゅっとした立居振舞にクラスの女子は羨望の眼差しを向けていた。
宴会の途中、岬は立ち上がると健に訊いた。
「たけるちゃ~ん、トイレ貸して~~」
「ったく…、渡り廊下で母屋に行って廊下の突き当たりを左だよ」
「わかった~」
岬はニヤニヤしながらトットットと和風の緋村家の廊下を歩きながらあちこち見て回った。
「ふぅ~ん、葵屋に雰囲気に似てるなぁ~」
岬の目的はトイレではなく、ある物を見つけることにあった。それは・・・エロ本。
「ここか!」
岬は適当な部屋の襖を開けると、そこは仏間だった。
「あ…」
岬は仏壇に置かれた写真に目を止めた。健にどことなく面立ちが似ている黒髪の綺麗な女性だった。
「昔からね…。つーか現在進行形で世話になってるからあの人には頭上がんないんだよ」
ふと、岬はさっき健が言っていた言葉を思い出した。
「………」
そして、そっと襖を閉めた。
● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ◎
道場に戻ると女子達が集まっていた。その中心では電気コンロと南部鉄器の茶釜で即席の茶会が催されていた。茶を点てているのは翼の父弥七だった。そして見事な作法で喫しているのはイリーナだった。
「すっごーい。姐さん茶道の心得あったんだ」
「各国のティーセレモニーの知識と作法は一通りね。これも暗さ…、んん、女を磨く嗜みの一つよ」
イリーナは茶器を回して置くと一礼した。
「結構なお手前でした」
「…………」
その際、イリーナの谷間が見えてしまった。
「…お父さん、どこ見てるのかな?」
「ん、なんでもない」
一方、烏間先生は香織とお代の話をしていた。
「こんな大人数で押しかけて無料というのは…、せめてお茶代だけでも」
「いいんですよぉ、あと数時間もしたら廃棄するしかなかったんですから」
「しかし…」
「それに、翼や健ちゃんがお友達を連れてくるなんて滅多に無かったから、………烏間先生は今年から赴任してきたとのことですが、翼の中学二年の頃のことは?」
「…書類上でならば把握しています…」
「ちょっと陰湿なイジメにあって、不登校になって一時期はわたしや主人とも口がきけなかったあの子があんなに笑ってクラスに馴染んでいるのが親としては嬉しいんです」
「翼さんは積極的に輪の中心になったり入っていくタイプではありませんが、誰よりも和を機敏に感じ取りクラスメートとの間を取り持ったりする優しい生徒です。それに、健君も影に日向に支えになっています。安心して下さい」
「うふふ、こんな素敵な方が“担任の先生”なんて、翼も幸せ者ねぇ」
「は…、ははは…」
烏間先生は冷汗を流した。
・・・・・そしてそれを床下で聞いていた殺せんせーがハンカチを噛んで悔しがっていたことは、誰も知らない・・・・・
●―○―◎―●―○―◎―●―○―◎―●―○―◎―●―○―◎―●―○―◎―●―○
明神翼の弱点②
【中学2年の時にイジメを受けて不登校になった】
中1の三学期から始まり、2年に上がってすぐに不登校に
その際ほとんど授業や試験を受けていなかったので成績が学年で最下位になりE組行きに
塞ぎ込んでしまい、家出(と言っても緋村家に)
両親とも口がきけなかったが、健とは辛うじて話せた
その時期一日のほとんどをパソコンの前で過ごし、中二病を発症
自作動画を撮ったり(健が撮影)、衣装を作ったり、引篭もっていた反動で夏のイベントに行き『鈴木桃子』という年上の女性と知り合い、その後もオンライン上の付き合いが今も続いている
新キャラ
『明神弥七』
翼の父親
和菓子屋赤べこの店主。職人気質で厳しい
茶道の師範資格も持っている
父親が海外出張で不在の健の保護責任者
『明神香織』
翼の母親
姉と間違われるくらい見た目若い(オバサン呼ばわりするとすごく怒る)
おっとりとしているが、頑固で明神家は実はカカア天下
健を昔からちゃん付けで呼ぶ
毎日健の分の食事や弁当を作る