絶海の戦士たち   作:小湊拓也

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第3話

 ゾス・オムモグの全身で、星が輝いた。

 金属製のヒトデ、とも言うべき星型の部分鎧の数々。それらが、

「格の違いを思い知るが良い、アテナの聖闘士たち……ディープシー・スターライトリッパー!」

 闇よりも禍々しい光を発した。

 五芒星の形をした、それらは光の刃であった。

「うぐっ……!」

 丸ノコギリの如く回転する星型の光刃が、羅針盤座の聖衣の上からぶつかって来る。

 海斗は、吹っ飛んでいた。

 漁牙も、ナギも勇魚も、回転飛翔する五芒星の直撃を喰らって微かな血飛沫を飛ばし、倒れていた。

 聖衣がなければ全員、ズタズタに切り刻まれていたところである。

 海斗は、よろりと立ち上がった。

 弱々しく辛うじて立ち上がろうとする青銅聖闘士4名を睥睨しながら、ゾス・オムモグは傲然と佇んでいる。

「運良くムナガラーを倒した事で、どうやら調子に乗ってしまったようだね。だが幸運は長続きしない……ムナガラーとの戦いで、君たちはもはや一生分の幸運を使い果たしてしまったのだよ」

「……ふざけた事……言わないで……ッ!」

 言葉を発する気力を最初に取り戻したのは、帆座のナギである。

「あたしのラッキーはね、カミュ様とデートするまで取っといてあるの。貯めてあるの! 全然、使ってなんかいないの! さっきの奴に勝ったのは幸運じゃあない、あたしたちの実力! それを思い知らせてやる!」

 邪念と欲望に満ちた小宇宙を燃やしながら、ナギが踏み込む。ゾス・オムモグに、殴りかかる。

 その時、地面が揺れた。

 どうやらルルイエという名称であるらしい、この浮上神殿そのものが、揺れている。

 あの時と、同じだった。

 聖域の訓練場で、あの結跏趺坐の男に見せられた幻覚。

 あれと同じく、地面に、石畳に、亀裂が走る。いびつな形の楼閣が、崩壊してゆく。

 ルルイエ全体が、崩壊しつつあった。

 地底に、あるいは海底に眠っていたものが目覚め、神殿を粉砕しながら起き上がろうとしている。

 あの時と同じく、これも幻覚だ。

 目覚めつつある巨大で禍々しいものが、幻覚を作り出しているのだ。

 それが海斗にはわかった。

 幻覚の中で海斗は、いや漁牙もナギも勇魚も、瓦礫の濁流に押し流されてゆく。幻覚に、逆らう事が出来ない。

「我らの大いなる支配者が、夢を見ておられる……」

 ゾス・オムモグの、声が聞こえた。

「同じ夢を見るがいい。偉大なる支配者と、狂気を共有するがいい。そして狂い死ね! 君たちにとっては、それが最も幸せな死に様となるであろうよ」

 

 

 砂浜で、海斗は目を覚ました。

 ルルイエ、ではない。南太平洋のどこかの国まで、自分は流されてしまったのか。

 否。ここは、日本だ。

 下手をしたらもう2度と帰る事はない、と思っていた国の、どこかの海岸に自分は今、倒れている。

「くっ……こ、ここは……」

 よろよろと、海斗は立ち上がった。そして見回す。

 人影が、近くに立っていた。懐かしい小宇宙も感じた。

 浅瀬に佇む、1人の聖闘士。

 その身を包む白銀聖衣はひび割れ、激戦の直後である事を物語っている。

「……ミスティ先生……」

 海斗の呼びかけに、白銀聖闘士・蜥蜴座のミスティは応えない。ただ、微笑んだだけだ。

 その美貌を、一筋の鮮血がつたう。

「先生……!」

 ミスティが倒れた。

 海斗は駆け寄り、抱き止めようとしたが、間に合わなかった。

 そしてミスティの背後に立っていた、もう1人の聖闘士と、対峙する事となった。

 同じくひび割れた聖衣をまとった、こちらは恐らく青銅聖闘士。

 血まみれだった。自身の流血と、他者の返り血。血の臭いが、禍々しい小宇宙と共に立ち昇り、渦巻いている。

 海斗は後退りをした。

 これほど戦闘的な小宇宙、聖域でも感じた事はない。

 顔は、よく見えなかった。血の汚れが、凶悪な陰影を作っている。

 その血生臭い陰影の中で、眼光が燃えている。獰猛なまでの戦闘意欲が、その両眼で燃え盛っている。

 違う、と海斗は感じた。白羊宮を守る真似事をした程度の自分とは、戦闘経験の質も量も違い過ぎる。

 この青銅聖闘士は、これほど血まみれになるまで戦い、何度も死にかけながら立ち上がり、想像を絶する場数を踏んできたのだ。

 そして今、白銀聖闘士である蜥蜴座のミスティをも打ち倒すに至ったのか。

「お前……」

 知っている、と海斗は感じた。

 ひび割れた青銅聖衣をまとう、この聖闘士を、自分は知っている。

 だが思い出す努力をする暇もなく、海斗は吹っ飛んでいた。

 流星拳だった。

 それも海斗が繰り出すようなものとは違う。

 必殺の破壊力を持つ、本物の流星拳が、音速で海斗を叩きのめしていた。

 吹っ飛ばされながら、海斗は見た。血生臭い小宇宙が形作る、怪物の姿を。

 荒々しく羽ばたきながら猛々しく駆け、その蹄であらゆるものを蹴り潰し踏み砕く、それは凶暴なペガサスだった。

 

 

 海斗は、顔面から地面に激突した。

 そこはもう、砂浜ではなかった。海岸ではなかった。日本ではなかった。

 ギリシア・聖域。

 十二宮が、崩壊していた。

 教皇の間、そしてアテナ神殿へと続く道が、瓦礫の荒野と化している。

 海斗は、弱々しく身を起こした。

 死体と、目が合った。

「……で……デスマスク……様……?」

 呆然と、呼びかけてみる。返事はない。

 黄金聖闘士・蟹座のデスマスクは、死んでいた。

 その屍を踏みつけて立つ、1人の男。

 聖闘士であろうが、聖衣は装着していない。細く力強く鍛え込まれた裸の上半身に、長い黒髪がまとわりついている。

 その黒髪の下に、龍がいた。

 男の背中に、荒ぶる龍の姿が浮かび上がっている。刺青か。いや、猛り狂う小宇宙の発現だ、と海斗は思った。

 龍を背負った、その男が、もう1つの死体を右手で引きずり起こしている。

 男の右手に髪を掴まれた、その死体もまた、黄金聖衣をまとっていた。

「……シュラ様……」

 海斗たちをルルイエに送り届けてくれた黄金聖闘士が、デスマスクと同じく、物言わぬ屍と成り果てている。

 死体ではない黄金聖闘士もいた。蠍座のミロと、水瓶座のカミュ。

 海斗の方を見て、何かを言いかけたその両名が突然、凍り付いた。

 そして砕け散った。

 氷の破片をキラキラと舞い散らせながら、1人の聖闘士が冷然と佇んでいる。

 見ているだけで心まで凍てつく、冷気そのもののような聖衣をまとった金髪の少年。

「お前……お前ら……」

 海斗は、よろりと後退りをした。

 知っている。自分は、この謎めいた聖闘士たちを知っている。だが、名を口にする事が出来ない。

 あり得ないからだ。

 彼らが聖域にいるはずはなく、そして黄金聖闘士を倒せるはずもない。

 幻覚だ。

 それは海斗も、頭では理解している。

 その幻覚の中心で、幻覚にしても起こり得ない事態が生じていた。

 1人の黄金聖闘士が、跪いている。1人の少女に向かって、まるで許しを乞うかのように。

 美しい少女だった。人間の美しさではない、と海斗は思った。

 死神の、美しさだ。

 跪いている黄金聖闘士の、顔は見えない。まとっているのが何座の聖衣であるのかも、海斗は知らない。

 だが、そのプラチナ色の髪には見覚えがある。見間違えようもない。

「教皇……!」

 海斗は呼びかける。教皇は、応えない。

 少女が、まるで死神の大鎌の如く携えた黄金の杖を、教皇に突きつけた。

 教皇は倒れ伏し、動かなくなった。

 少女が、海斗の方を向く。

 人間を、人間として見ない。あの頃から全く変わっていない傲慢冷酷な眼差しが、海斗を射すくめる。

 100人の子供たちは、この少女にとっては馬であり、犬であり、豚であった。

「俺は……自力で、聖闘士になったんだぞ……あんたたちからは、もう解放されたんだ……」

 海斗は呻き、叫び、そして駆け出した。

「なのにまだ、俺たちに絡んでくるのか! そして俺たちの居場所を奪うのかあああッ!」

 殺すしかない、と海斗は思った。

 この少女の、命を奪う。

 そのために踏み込もうとした海斗の足元に、黄金の屍が投げ出された。

 立ち止まり、硬直しながら、海斗は青ざめた。顔面だけでなく、心からも血の気が引いてゆく。

「あ……アイオリア……先生……」

 黄金聖衣をまとう死体となったアイオリアの傍で、海斗は弱々しく両膝をついた。

 1人の青銅聖闘士が、禍々しく歩み寄って来る。何か大きなものを引きずりながらだ。

 先程、海斗に流星拳を喰らわせた聖闘士。ひび割れた聖衣をまとう全身から、血生臭い小宇宙を立ち昇らせ、それが荒ぶるペガサスを形作っている。

 ペガサスの聖闘士が、引きずっていたものを放り捨てた。アルデバランの死体だった。

 幻覚である。それは海斗も、頭では理解している。

 だが今、心の内に生じて燃え盛っているのは、本物の憎悪だった。

「……お前……お前、なのか……」

 凶暴なペガサスが、襲いかかって来る。

 本物の流星拳に全身を粉砕されながら、海斗は叫んでいた。

「お前が……グラード財団の手先になって、ミスティ先生を殺して! 俺たちの居場所を奪うのか星矢ぁあああああああああ!」

 

 

 ゾス・オムモグの拳を喰らって、海斗が吹っ飛んで行く。そして楼閣の外壁に激突し、ずり落ちた。

「このっ……!」

 帆座のナギは跳躍して細身を捻り、左脚を一閃させた。

 その蹴りが、ゾス・オムモグの肩に命中した……と言うより、肩で防御されていた。

 五芒星の形をしたショルダー・アーマーが、ナギの回し蹴りを弾き返しながら光を発する。

「無駄なあがきも、ここまでだ! ディープシー・スターライトバースト!」

「くっ……セーリング・カウンター……!」

 小宇宙で組成された帆が、まるで天女の羽衣の如く、ナギの全身にまとわりつく。

 そして、全てちぎれて飛び散った。ゾス・オムモグの放った光に、粉砕されていた。

「きゃっ……あ……ッ!」

 ナギもまた吹っ飛び、石畳に激突した。

 そこへゾス・オムモグが嘲笑を浴びせる。

「ムナガラーとの戦いを、私なりに研究させていただいた。君たちは、確かに連携攻撃に関しては実に見るべきものがある。だが個々の力となると、これはもう全くお話にならない。特に、我らが偉大なる支配者と夢を共有し、心乱れた今となっては! 心を1つにしての連携など、もはや望むべくもあるまい?」

「偉大なる支配者と……夢を、共有……?」

 よろりと立ち上がりながら、ナギは仮面越しに嘲笑を返した。

「もしかして、今の……悪趣味な幻覚が、そうだってんじゃないでしょうね……」

 十二宮が崩壊し、黄金聖闘士たちが皆殺しにされていた。

 教皇も死んだ。水瓶座のカミュも、凍らされて砕かれた。

「あんなので、聖闘士の心を折ろうなんて……いやまあ折れちゃった奴もいるみたいだけど」

 倒れたまま動かない海斗に、ナギはちらりと視線を投げた。

 聖闘士の心にまで、これほどの影響をもたらすほどの幻覚。それが今、このルルイエから全世界に発信されている。

 小宇宙の修練を積んでいない一般の人々が、どのような目に遭っているのか。少なくとも「悪趣味な幻覚」で済む事態ではないだろう。

(何とか……何とか、しないと……っ!)

 焦燥の中でナギは、音楽を聞いた。

 幻聴、ではない。何者かが近くで、音楽を奏でている。

 小宇宙を、音楽という形で発現させている。

「神々は、お喋りをやめた……」

 艫座の勇魚が、竪琴を弾いていた。

「鳥たちは、歌うのをやめた……星も、しばし輝きを留める……」

 ルルイエの地下、あるいは海底に眠り、夢を見続けている邪悪な存在。

 その夢が、世界じゅうの人々に狂気をもたらしている。

 拡散する狂気の勢いが、しかし僅かに、だが確かに、弱まっているのをナギは感じた。

「……なんて、わけにはいかない。僕はオルフェ先生じゃないからね」

 竪琴を爪弾きながら、勇魚が微笑む。苦しげな笑顔だった。

 この少年は今、己の命を削りながら、小宇宙の調べを奏でているのだ。

「デストリップ・セレナーデ……まだ練習中だけど、そんな事を言ってる場合じゃない。目覚めつつある、おぞましい神を……再び、夢も見ないほどの眠りの中に……」

「させると思うか!」

 ゾス・オムモグが、勇魚に向かって踏み込もうとする。

 その眼前に、竜骨座の漁牙が立ち塞がった。

「そいつぁこっちのセリフよ。勇魚、おめえはソロライブに集中してな……このお客さんは、俺が相手してやっからよ」

「頼りないけど、任せるしかないかな……ナギ、海斗と一緒に先へ行って」

 勇魚が言った。

「僕の、この未熟な調べでは……狂気の夢の拡散を、止めておく事しか出来ない。それも、僕が力尽きれば終わりだ……だから、その前に」

「……親玉を、叩けって? 悪趣味な夢を垂れ流してる、ゲテモノの神様を」

「倒す……のは無理でも、一撃を与えて……一時的にでもいい、弱らせて欲しいんだ。僕の、この全然なってないデストリップ・セレナーデでも……眠らせられる、くらいに……」

「小賢しい真似をしようと言うのか!」

 攻撃の動きを見せたゾス・オムモグに向かって、漁牙が拳を放つ。

「おおよ! 目一杯、小賢しくいかせてもらうぜぇえスカルドラゴン・クラッシャー!」

「うぬっ……!」

 防御の構えのままゾス・オムモグが、漁牙の小宇宙に圧されて後退する。

 その間、ナギは海斗に駆け寄っていた。

「ほら、しっかりしなさいよね。あんなの幻覚だって、本当はわかってるんでしょ?」

「ナギ……」

 海斗が呻く。

「幻覚……だけど、俺は……」

「しっかりしやがれバカ野郎! あんなの嘘っぱちに決まってんだろーがああああ!」

 猛然とゾス・オムモグに殴りかかりながら、漁牙が吼える。

「ほんとに起こるワケねえだろ、あんな事! 負けるわけねえだろうが、グラード財団なんぞに黄金聖闘士がよォオオオオオッ!」


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