アンが家を出た2時間後、アルカは目を覚ました綾香についていた。長い時間魔力を吸い上げられた事で、綾香の目はアルカと同じ七色の魔眼へと変貌していた。慎二に誘拐された後のことをアルカが尋ねるが、目覚めた綾香の様子は少し変だった。
「綾香、何処か体調が悪いとかある?」
「うそ、アンお姉ちゃん……夢? お姉ちゃん、アンお姉ちゃんは何処?」
目覚めた綾香の手を握るアルカに対して、酷く汗をかいた綾香は怯えたように尋ねる。その必死さにアルカは、「アンは今、アインツベルンに……」と告げる。
「駄目! すぐに連れ戻さなきゃ」
「どうしたというの綾香? うそ」
激しく取り乱す綾香。どうにか宥めようとするアルカだったが、自分の左手の令呪が消えて行く。それを見て目を大きく開いたアルカ。悪夢が徐々に現実になり始めている事に驚く。
「アン……」
「令呪が消えたってことは……今アンお姉ちゃんが闇に呑み込まれる夢を見たの」
悪夢を見たと語る綾香だが、アルカは胸が苦しくなって何も言えなくなる。瞳から涙がこぼれ、魔力回路が不安定になり始める。深呼吸を繰り返し、平静を保とうとしているが、アンとの繋がりが切れた恐怖は想像以上だった。
崩れ落ちそうになる所を踏ん張って、アルカはアンの消滅を信じたくなかった。本当なら止めたかった。だがアンの止めないでと言う目には、逆らえなかった。必ず帰ってくると言って出て行った親友の悲報は、酷く自分を不安定にさせる。
セレアルトの存在のせいでただでさえ、平静を保てないのにである。徐々に自分の中でどす黒い感情が渦巻き始める。それは内包した聖杯の泥に干渉し、自分の心を汚して行く。
そして、アルカの魔力の乱れを感じ、ブレイカーが部屋をノックして入ってくる。そこで彼は、アルカの右手の令呪がない事に気が付く。そして、セイバーも部屋に入り、2人はアンの消息が立たれたと知る。
黙りこむブレイカーやセイバーだが、一番初めに話を切りだしたのはアルカだった。
「……アンは、消息がつかめない。でも、キャスターによって契約が解除されただけと言う可能性もあるわ」
「そ、そうだよね」
それが酷く希望的観測に過ぎない事は二人もわかっていた。サーヴァント達も生存は難しいだろうと判断した。2人はアルカからセレアルトについて聞いた。だがアルカの知っている情報は少ない。元々記憶喪失の彼女に、過去の自分の情報がある筈がないのだ。セレアルトの存在よりも、残っているサーヴァントの可能性も考えた。現状、サーヴァントは一体たりとも脱落していない。
だが消耗したライダーや籠城しているであろうキャスターたちは、含まない。そして衛宮と遠坂は、セイバーの居ない今、アンに手出しをする余裕はない筈。なればランサーとルーラー、そしてギルガメッシュが候補に挙がる。
この場合最悪の展開を考えるなら、ギルガメッシュだろう。ギルガメッシュも聖杯を望んでいる事は、ブレイカーが彼から直接聞いている。増えすぎた有象無象を間引くという、人類より上の視点を持つ彼にしか出てこない発想を。故にアンが消えた場所がアインツベルンの城なら、ギルガメッシュが聖杯を狙って動いた可能性がある。それにアンが巻き込まれた可能性だってあるのだ。
敵はセレアルトだけでは決してない。
「この聖杯戦争に、必勝は消えたな。すでにライダー陣営につけ狙われているのは確定だ。セレアルトの能力は、今のところ未知数だが、今のマスターよりは強い事だけ発覚している」
ブレイカーは、机に描かれた地図で間桐陣営との避けられない対立を矢印で描いた。間桐慎二の危機に現れたという時点で自分のマスターの畏れる過去の自分(セレアルト)が肩入れしているのは明白。ブレイカーは、セレアルトの狙いはアルカであると確信している。明らかにマスターである彼女より、得体の知れない力を持っている。
その力を使えば、マスターを殺しに来る事も可能な筈。もちろん自分が傍に居れば、傷一つ負わせる気はない。しかし、相手の意図がつかめない。明らかにマスターを嬲っていくように、綾香やアンに攻撃を仕掛けて行く。他者の不幸を楽しむタイプなのか、それともマスター(アルカ)を絶望させることに意味があるのか。
「アンの反応が消えたのは、アインツベルンの森だ。最悪の場合、アインツベルンも襲撃を受けている可能性が高い。何の事はないな、聖杯を確保しておこうと言う動きだろう」
10年前に聖杯の正体を内包する参加者の知識で知った。故に、アインツベルンを狙う動きが発生しても不思議ではない。言峰教会で死んだと思われる神父なら平然と行うだろう。
それを聞いて、アンを失なったことに悲しみで涙を流す綾香の肩を支えているセイバーが口を出す。
「聖杯を確保されると、どう言った危険があるんだい?」
「一つは俺達がやろうとした聖杯戦争の強制的な終結。もう一つは、他の陣営が手に入れる筈の聖杯の横取り、後は好きな場所での聖杯の顕現だ」
そこまで説明されたセイバーは、頭を悩ませる。
「俺たちに影響はないな。聖杯を望んだことがないからな」
「……セレアルトは、この世全ての悪そのもの。この聖杯戦争に綾香を巻き込んだのも……全部全部あいつ」
部屋に飾られた姿見をアルカは自分の腕で殴りつけ、そういう。声には明確な怒りと殺意が含まれており、割れた鏡で出血する拳を限界まで握りしめながる。ポタポタ地面に落ちる血液が、彼女の堪えきれない怒りを表していた。
「絶対……許さない」
「おい、マスター?」
「……セレアルトを殺せば、全部終わる。この悪夢も、なにもかも」
「お姉ちゃん、しっかりして」
「自棄になっちゃいけない愛歌」
無表情のまま、割れた鏡に映る自分を殴るアルカ。明らかに自分に対して攻撃している彼女の腕をブレイカーが掴んで止める。サーヴァントである彼の腕力に叶うはずもなく、辞めざるを得なかった。動きは止めたが怒りは収まっていない。
一切感情が現れていないが、目を見ればどれだけの怒りの炎が渦巻いているかがハッキリする。
「やっぱり一度、衛宮君達と合流しない?」
「僕も考えていた。愛歌が彼等を苦手にするのは分かるが、仲間は多いに越した事はないよ」
セイバーと綾香が、すぐにでももう一つの陣営に助けを求める提案をする。
「……ん。そうね、行きましょう。すでに私達の処理能力を越えてる」
「珍しいな。俺は渋ると思っていたが?」
「……もう、衛宮士郎に対する嫌悪なんて、何処かに行ってしまったの。使える手駒があるなら、使うわ」
そう呟き、準備をしましょうと言ったアルカ。彼女の背後に控えていたブレイカーだけが、彼女の顔に笑みが浮かんでいたのを確認する。二度見した時には、無表情に戻っていたが、サーヴァントですら寒気を感じる笑みを浮かべるマスターの危険を感じる。
衛宮というよりも、遠坂凛との接触を求めて、着替えた一行。4人なのでブレイカーの運転する車で、衛宮家と遠坂邸に向かった。
丁度彼等と行き違いになっているとは知らずに。