沙条家、アルカの寝室。既に日は昇っているため、起きていたアルカとアンがベッドに座って向き合っていた。何故そんな事になったかと言えば、先に目覚めたアンが、アルカに自分が偵察に行きたいと告げたのだ。
セレアルトが居る今、アルカが外に出るのは危険だと判断し、隠密スキルを持つ自分だからこそ、適任だと言う。だが、それをアルカは止めた。仮面付け窓から出て行こうとした彼女を、アルカは腕を掴んで止める。
「……アン、今はセレアルトが冬木に居るの。だから迂闊な行動をしたら……」
『私はそう簡単には死なない。大丈夫』
アンは、アルカの中に居る愛歌から聞いた言葉を思い出していた。自分が死ぬと告げられ、それには思う所があった。けれど、その予言を貰ったのが自分でよかったと感じた。
『それにもし私が死んでも、戦力的には、大きくマイナスにはならない』
「何を言ってるの?」
アンは、この聖杯戦争で失っては行けなものはアルカと綾香だと考えていた。ブレイカーやセイバーは簡単に死ぬ事はないが、彼女達は万が一があるのだ。それならば、自分の友であり、主であり愛する彼女達の役に立ちたいと思うのがアンだ。
『何かあったら連絡する』
「何処に行くつもり?」
『昨日の場所とアインツベルン城』
「気を付けて……」
あれほど巨大な結界を用意したのが慎二だけとは考えにくい。それゆえに、何かのヒントがあるかもしれない上に、間桐はイリヤスフィールが聖杯だと知っている。故に引き籠るアルカよりも、慎二の邪魔をしたイリヤが狙われる可能性が高いのだ、だからアンは家を飛び出した。後ろから見送るアルカのことが心配ではある。本来なら自分が支えてあげるべきかもしれない。
けれど、セレアルト打倒を成さねば、アルカは幸せになれない。
アサシンである自分に出来る事は少ないのだ。故に、セレアルトの目的や、弱点を探る必要がある。人間離れしたアルカを凌駕する魔術を行使するセレアルト。あれを打倒する術がない以上、手段を考案するしかない。
朝日が差し込む冬木を脚力を生かして走るアン。その姿は気配遮断と速度のため、誰にも捉える事は出来ない。
一人を除いては。
「嫌な予感がするな」
家から飛び出したアンの後姿を見て、酷く胸騒ぎのしたブレイカーは、連れ戻すか考えるも、彼女の行動を縛る理由がないため見送るしかな出来ない。
今のブレイカーには、突然現れたセレアルトと言う存在を警戒し、マスターを護ることだけだった。
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沙条家から離れ、真っすぐにアインツベルンの城に向かった。途中の道で、昨日の戦いの場所も遠目で観察するが、慎二やライダー、セレアルトの気配を感じられなかった。身長に索敵を行いながらも、速度を殺すことなく森を駆け抜けて行く。
そしてアインツベルンの森に設置された結界を、すり抜けて城が目視できる位置に辿り着く。其処で息を殺して監視の体制に入る。まだ昼前なので、アクションがあるとは思えないが、潜伏しない訳にはいかない。
(私に出来る事は、一つだけ。最悪の場合は、イリヤスフィールを殺してでも聖杯戦争を終わらせる)
アサシンであった自分が、殺す選択を最悪の一手だと認識するようになった事に、平和ボケしたものだと感じる。そしてそれだけ、この10年が尊いものだったと改めて感じる。自分に暗殺以外の生きがいを与え、愛してくれた家族。
本来体験できなかった筈のそれを、彼女達は与えてくれた。捕縛された際に、情報を漏らさぬために作られた生贄の人格である”アン”に名前と人並の幸せをくれたのだ。サーヴァントとマスター、魔力を供給する側とされる側、それ以外の関係を築いたのだ。
陰に潜みながら、周囲を警戒しているアンだったが、死の運命は既に、空から彼女を見下ろしていたのだった。
「うふふ、会いたかったわ。アサシン」
『セレアルト!』
水銀の触手で索敵していたのに、突然滲み出るように現れたのはアルカと同じ七色の目を持った少女。容姿もアルカに居ているが、全く違う部分がある。それは彼女の笑い方だ。元々よく笑うタイプではないアルカだが、彼女の頬笑みは優しい。
(だけど、なんなんだろう。この全てを諦めきったような笑みは)
「貴方の願いを叶えてあげるわ」
『だったら、アルカのために死んで』
セレアルトが楽しげに手を広げると、アンを取り囲むように宝具の槍や剣が現れる。それはまるでギルガメッシュの宝具の様で、それらがアンに向けられた。
「貴方の願いは、私の目にハッキリ映っているの。貴方の本当の願い、叶えてあ、げ、る」
『アルカ、……ごめん』
アンが戦闘態勢に入る前に、無数の黒い宝具がアンへと射出されたのだった。そして、その数分後、アルカの手に刻まれた令呪が消失した。
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アンの令呪が消滅した時間から、数時間後。
暗い人気のない用水路の中では、傷付き両腕を失った姿の言峰綺礼が壁に凭れていた。整備されていない下水の流れる場所で、ネズミの一匹でもいそうな場所だが、生憎生命の気配はゼロだった。何故なら、今彼の前に居る黒い影を纏った少女が全て影に呑み込んでいるのだから。
先程まで投擲していた黒鍵も全て呑み込まれ、両腕も食い千切られた。そして自分を囲う様に展開する影の支配である間桐桜は、通常の精神状態とは思えない狂気の表情で自分を見る。
「神父さん、もう逃げられませんよ?」
「ふふ、ふははは」
流石に逃げ場も無くすでに令呪すら奪われてしまったとなっては、元代行者でも討つ手がない。
「私を先に狙いに来るとは、キャスターといい、随分と嫌われたものだ。誰に諭された娘」
「神父さんに恨みはないんですよ? でもアルトちゃんにお願いされたんです。私が先輩を手に入れるためには、必要だって」
「そうか、ではせいぜい目的を見失わぬ事だ。怪物にも種類がある、それをみさだめることだ」
其処まで聞いて、言峰は以前教会前で戦った怪物を思い出した。なるほど、どうやら裏で糸を引いているつもりが踊らされていたようだと失笑する。そして巨大な影が、自分の足元に広がり体が呑み込まれ始める。
「いただきます」
そして、言峰綺礼はその生涯を閉じたのだった。だが、最後に彼の令呪全てが使用されたのを、怪物は知らなかった。当然、彼と契約するサーヴァントは、マスターである彼の消失を感じとったのだった。