言峰教会での戦闘が行われている時、衛宮士郎は右肩にある浅くない傷を抑えながら、自宅への道を呆然と歩いていた。この日は、遠坂凛の勧めで昼間に出かけ、久々の休日を楽しんだ。自分にないものを凛は必ず教えると言う彼女の気持ちは、士郎も嬉しく感じた。
だが、そんな楽しい時間も長くは続かなかった。帰りのバスに乗っていた時、キャスターの罠に嵌められた士郎達は、士郎にとって姉でもある女性、藤村大河を人質に取られた事で、キャスターの宝具”破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”によりセイバーとの契約を解かれ、彼女をキャスターに奪われてしまった。
その後は、凛の危機に駆け付けたアーチャーによって逃げることには成功するが、自身に大怪我とセイバーを奪われる失態を犯した。
そして、キャスターを倒しに一人で向かった凛を射かけた士郎だったが、彼女は傷でまともに動けず、足で纏いでしかない士郎を見て。
「今のあなたじゃセイバーを助けることなんてできない」と告げた。それでも自分も黙ってはいられないと言う士郎を凛は、突き離してアーチャーと共に戦場へと向かったのだった。確かにサーヴァントを失い、まともに動けない士郎に何が出来るのか。
だが、セイバーの事や街の人々を思い浮かべれば、大人しくしていられない。だからこそ凛に突き離されたのだろう。彼の握る右手には、聖杯戦争初日に一度死んだはずの自分の傍にあった宝石、それと全く同じ形をした凛の部屋にあった宝石が握られている。
「俺に、出来る事はないのか」
サーヴァントの足を追える筈がなく、士郎は自宅に帰るしかなかった。だが完全に諦められた訳ではなく、今は頭を冷やさなければいけないと感じる。傷も開いているような感覚があり、一晩だけでも安静にしようと思い限界に辿り着いた時だ。
「な、え」
士郎は思わず間抜けな声を出してしまう。何故なら、家の門の前に人が倒れているからだ。
「おい、あんた。……失礼」
倒れているのは、長い金髪を三つ編みにした外国人の女性。見たところ自分とあまり年齢差は無さそうだが、聖杯戦争の最中に外国人が現れると警戒してしまう。
何故か家ノ前の道路で倒れている女性の手の甲を確認する。マスターの可能性は、ひとまず薄まった。次に息をしているか確認すれば、彼女はすぅすぅと呼吸していた。
「息はしてる。だけど、――おい、こんな所で寝てたら凍死するぞ」
「あ、え、と」
士郎は満を持して、女性の肩をゆする、すると目を覚ました女性は、士郎を見て驚きながら衛宮邸の壁まで下がる。目が覚めて知らない人間の顔があれば驚くのは当然だろう。悲鳴を上げられなかっただけ運がいい方である。
「あんた、日本語わかるか?」
「は、はい」
見るからに外国人の女性。言葉が通じるか不安だったが、不安そうに胸の前に手を置きながら答える女性は日本語を話した。
「あんた、何でうちの前に?」
「あ、ここは貴方のお家でしたか、すいません。すぐに」
人の家の前で倒れていたと知って、女性は申し訳ないと頭を下げながら立ち去ろうとする。だが、彼女が立ちあがった瞬間、ぐるるると大きな腹の虫が鳴き、フラフラと地面にへたりこむ。それを見た士郎は何かを察した。一方、失態を犯してしまった女性は顔を赤く染め「見ないでください」と告げる。
事情を察した士郎は、厄介なことになったと頭を掻きながら、悪い人には見えない彼女を家に招いた。
「こんな所で倒れてたなら、身体も心配だし、とりあえず上がってくれ。何か、摘めるものでよかったら作るよ」
「いえ、そんな。見ず知らずの貴方に其処までして頂くことはできないです」
「そんな事言っても、家の前で人が倒れてるのに平然としていられるか。それに今の冬木は危険なんだ」
士郎は、眼の前の清純そうな女性が、巻き込まれるのを黙って見てはいられない。凛の事も気になるが、今は自分にできる事をするしかない。そういう考えで空腹で動けない女性に手を貸す。彼女も最初は戸惑っていたが、鳴りやむ事ないない腹の虫に観念したのか「ごちそうになります」と途切れそうな声で告げる。
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そして、衛宮家にお邪魔した女性は、暖房の前で凍えそうな身体を温めながら、士郎の後姿を眺めていた。彼の家の居間に案内された時、士郎の傷や血のついた服を見て「大丈夫ですか? すぐに治療しないと」と慌てた女性だが、士郎は既に治療は終わってると告げる。かなり苦しい訳だが、突っ込まれる前にコートを洗濯物に混ぜて、着替えた士郎は、ストーブの前で震える女性に食べやすいようにと温かい食事を作っていた。
「あんた、名前はなんていうんだ?」
「私ですか? そう言えば名乗っていませんでした。私はレティシアと言います」
「レティシアさんか、俺は衛宮士郎。もうすぐ出来るから、少し我慢してくれ」
「シロウ君ですね」
そして、士郎は即席で作った暖かい雑炊を運ぼうとするが、腕に痛みが走る。それを見かねたレティシアが、士郎の代わりに配ぜんする。そして、異国の地で生き倒れていた所を、年下の少年に救われたレティシアは、手渡されたレンゲで、恐る恐る美味しそうな匂いのする雑炊をのぞく。
「食べよう。いただきます」
士郎がそう言って手を合わせると、レティシアも額の前で十字架を切りながら食事前の祈りを捧げる。それを見て国が違うと色々変わるのだなと感じた士郎。祈りを終えたレティシアが、我慢できないとレンゲを持って暖かな雑炊を掬いあげる。熱々のそれを息で冷ましながら口に含む。
「おいしい、それにとても温かいです!」
「口にあって何よりだ。落ち着いたら、話を聞かせてくれないか?」
レンゲを口に含み、出汁と程良い味付けに感動するレティシア。その姿に何処かセイバーを思い出した士郎は、一瞬辛い表情をする。
だが、心配そうな顔でこちらを除くレティシアに心配させまいと気持ちを切り替える。そして自身も何も食べていなかった腹に優しい味が広がり、少しだけ落ち着いた。
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「――財布を落として、今朝から何も食べてないのか」
「お恥ずかしい限りです。シロウ君に助けて頂けなかったら、今頃木の根でも齧ってた気がします」
レティシアから事情を聞いた士郎。3日前にフランスから日本へと来た彼女は、ホテルなどに泊まりながら冬木の街を回っていたらしい。そして彼女は今朝早くに、街の人に聞いた教会へと祈りを捧げるために訪れたが、その後財布がない事に気がついた。そして、一日中財布を探したものの、見つかる事はなく、途方に暮れてさまよっているうちに空腹で倒れてしまったと言う。
見知らぬ土地でお金も無く、頼る相手もいない状況で心細かっただろうと感じる。彼女と自分にお茶を入れながら、話を聞く士郎。
何故、冬木に来たのかを聞けば彼女は少し答えにくそうな表情をする。そして、少しだけ考えた後、「社会勉強の一環ですと告げる。日本でもホームステイで海外に留学があるので、フランスではそうなのだろうと士郎も納得する。
「レティシアさんは日本にはいつまで居るつもりなんだ?」
「そうです、ね。後一週間くらいでしょうか」
「結構アバウトなんだな」
「向こうの学校がお休みなので、余裕があるんです」
「でも、財布がなくて帰国できるのか?」
そう士郎が問えば、彼女は肩に掛けたバックからチケットを取りだした。それには8日後にフランス行きの飛行機の搭乗券とパスポートだった。
士郎はなるほどっと察した。
「それじゃ、それまでは何処かで過さないといけないのか」
「えぇ、なのに私ったら……」
財布を落とした事を酷く後悔する彼女。それなら仕方ないなと、士郎は「だったら、帰国までの間、うちに泊まって行くといいさ。部屋はいっぱいあるから」という。
「そ、そんな。突然上がり込んでご飯まで頂いたのに、そんなことまで」
「いいよ。せっかく日本に来てくれたんだし、嫌な思い出で帰えすって言うのもなんだし。大したお構いは出来ないけど、宿の変わりにして貰っていいよ」
酷く親切な士郎の言葉に、レティシアは口元に両手をあて、彼の聖人のような優しさに祈りをささげそうになる。しかし、年下の男の子、それも今日会ったばかりの彼に甘えていいものか悩むが、最終的に「不束者ですが……」と間違った言葉を発する。
「それは、何か間違ってるな」
「え、そうなんですか?」
士郎に開いている部屋を案内され、風呂の用意までされたレティシアは「このご恩は必ず」と告げ、その夜は疲れもあったのかぐっすりと布団の上で熟睡した。