葛木との戦闘を終えた士郎達は、それぞれ帰路についていた。衛宮邸までセイバーに肩を借りて帰っていた士郎は、セイバーを心配させないよう自室にこもるなり、魔術回路に走る激痛に悶絶していた。一人きりになった事で、緊張が解けたのが原因だ。
畳の上に敷いた布団の上で、声を殺しながら激痛に耐える。そして如何にか眠りにつき、いつも通りの朝早くに目覚める。身体の痛みはなく、回復したと思い込んでいた彼だが、昨夜の強引な魔術行使は半身の麻痺という形で現れていた。
どうにか学校に通うと、次の時間が葛木の授業だと思いだす。まさか、来るのではと身構えるが来たのは藤村大河だった。彼女は手に英語の小テストを持ちながら、説明する。
「葛木先生は本日病気でお休みすることになりましたー」
そう告げながら、英語の抜き打ちテストを始める彼女にクラスメートたちがブーイングを始める。だが、士郎は葛木が来ない事に安心と何か企んでいるキャスターたちに不安を感じる。そして、長い事学校に来なくなった沙条達の事も気になる。
彼女達も聖杯戦争の参加者であり、必死に戦っているのだから。そして、午前で終わった学校から、帰宅する最中、凛との定期報告を忘れてしまう。
だが、彼女からの報告がない以上、進展はなかったと判断し家で留守番していたセイバーに昼ご飯を作る。だが、半身麻痺が朝よりも酷くなっている。
そして、案の定報告をすっぽかされた凛は、衛宮家に直接乗り込んできた。お昼がまだだと言う凛は、士郎に自分の昼食も要求しながら、セイバーと向かい合ってキャスターの動向について話し合いしていた。昨夜の失敗から、確実にキャスターは柳洞寺から出てこない。
故に正面からキャスターを打倒する以外彼女を倒す方法は無くなってしまった。あの場所の地形や結界などから見ても、彼女達には正面突破しか方法がない。そして、正面からいけば当然、魔法の真似ごとさえ可能なキャスターとの全力戦闘に、アサシンまで乱入してくるのだ。
そういう話をしていると、凛は、セイバーと自分から離れた位置に座る士郎に疑問を覚える。
「ていうか、なんでそんな離れた所にいるのよ?」
「俺の定位置を遠坂が横取りするからこうなったんだろ」
妙に情けない声で、定位置を奪われた事を告げる士郎。
「で、境内に上がった後、キャスターをどうやって追い詰めるかが問題よ。下手に追い詰めたら、柳洞寺ごと道連れにされかねない」
「確かにキャスターならするでしょうね」
「セイバー怖いこと言うなよ。キャスターの奴、追い詰めたら自爆するっていうのか?」
「するでしょ? そりゃ」
「しますね、恐らく」
平然と恐ろしい事を言いのける二人。明らかに息ぴったりの彼女達。どこか入れない空気に士郎はげんなりする。
どうにもやる切れない士郎は、時計を見れば夕飯前だと気が付く。
「そろそろ夕飯の支度をしないと」
急に立ちあがって、凛を見ながらそう言う士郎。凛は何が言いたいのかわからず、頬杖をつきながら士郎を眺める。
「何よ衛宮くん。人の顔をじろじろ見ちゃって――――――ははーん、そっかぁ、外じゃマスター同士ってことで気にならなかったけど、自分の家の中になったら素に戻るってことね」
「男なんだからそんなの普通の反応だ」
少し拗ねながら子供ぽく言う士郎。凛はそんな彼の仕草が面白く、ついついからかう様に続ける。
「でもおかしくない? セイバーだって女の子だし、聞いた話じゃ藤村先生も桜もここに来るんでしょ? なら私だって似たような物じゃない」
「いいからもう帰れよ」
「あら 今後の方針が出てもないのに帰れるわけないでしょ」
明らかに居座る気の凛。士郎は額を抑えながら何かいい案はないかと考える。しかし、女性相手にましてや、遠坂凛に口で勝つなど衛宮士郎では不可能。
「士郎、凛の言い分は正しいのではないですか? 別に彼女が滞在しても問題ない訳ですし」
「セイバーまで……」
さらにセイバーの援護射撃まではいれば士郎は轟沈するほかない。もう駄目だと床に寝転がりながら、全てを諦める。
「けど後で藤ね――藤村先生も来るだろうから、その時はお前が説き伏せてくれよ」
「わかってるわかってる。藤村先生のことも承知の上だから気にしないで」
「後悔しても知らないからな」
その後、夕食に鍋料理を調理をしていると、藤村大河が帰宅する。当然、凛との一悶着があったが、凛は大河を完全に説き伏せる。その鮮やかさと言ったら、まさにゆうがたれと言わんばかりだった。説き伏せる凛が凄いのか、説き伏せられた大河が弱いのか、恐らくは両方であるが見事に彼女は大義名分を手に入れてしまったのだった。
そして、夕飯のかたずけをしている際に士郎は再び半身麻痺による障害で皿を何度も落してしまう。さすがに見かねた凛が彼をサポートするために皿洗いをかって出る。セイバーも士郎の異変には気が付いており、彼を支える。
ーーーーーー
そして、時間が過ぎ大河が自宅へ帰り士郎は風呂からあがると、中庭で遠坂凛が雪を眺めていた。その姿に、何処か犯しがたい神聖さを感じて立ち止まると、彼女は僅かな気配で振り返る。
「良い結界ね。私の家とは違って人間の情を感じる。ちょっと付き合わない?」
彼女が縁側に腰掛けながら、士郎を誘う。士郎も断る理由がないため、彼女の横に腰掛けて中庭に静かに舞い降りる雪を眺める。
「なんだよ」
「ちょっとね。このうちって特殊だから、その、衛宮君はそのままでもいいのかなって思った」
「それって半人前で良いってことかよ?」
「そうじゃないんだけど、―――そうね、衛宮切嗣って人がどんな魔術師だったか知らないけど、この屋敷はすごく自然なのよ。入るのも出るのもご自由にって感じで」
凛がそう語るのなら、衛宮邸にある結界はそう言う物なのだろう。
「遠坂の家は違うのか?」
「ええ。違う。来るものは拒む、そのくせ入ってきたものは逃さない。」
そう語る彼女。それこそ魔術師の本質だと言わんばかりの結界、それが遠坂の結界なのだ。凛は人間らしくもあり、しっかりと魔術師の性質も持ち合わせている。
「遠坂は、魔術の修行キツかったのか?」
「魔術の修行? おあいにくさま、辛いなんて思った事はないし、私には競う相手が居たからね」
「競う相手? ――――沙条か」
「正解。あいつを負かしてやりたくて、必死に修行した。悔しい事もあったけど、ぶっちゃければ楽しかった。魔術師同士って交流はあまりないんだけど、同い年で目標があった私は幸せな方よ」
凛は9年前に学校に入ってきた沙条愛歌を思い出す。いつも無表情で夢感情で、それでいながらなんでもこなす彼女。凛にとって屈辱を与えるも、競う喜びを教えてくれたのも彼女なのだ。努力の意味を教えてくれ、常に向かって行く自分を彼女はぶつかって来てくれたのも事実なのだ。
充実という意味なら、凛の生活は充実していた。正直人生で、ライバルを得られる事など少ないのだ。それ故に凛は幸福とも言える。正直愛歌は苦手だし、好きとは言いたくない。けれど愛歌がピンチなら自分は彼女を助けるだろう。
「学校はどうなんだ? 魔術師としてやっていくんなら意味ないんじゃないか?」
「寄り道でしょうけど無駄じゃないわよ。学生って楽しいもの。
私ね、基本的に快楽主義者なの。父さんの跡を継ぐのは義務だけど、それだって楽しくなければやらないわ。
衛宮くんと協力してるのだって、あなたが面白いからだし」
「そっか、遠坂が楽しそうで良かった」
そう言う士郎に、凛も「貴方も楽しかったんでしょ?」と問いを向ければ士郎は神妙な顔で庭を眺める。予想外の反応に凛も、困惑する。
そして、士郎の反応からある事実に辿り着いた凛は「答えて衛宮君」と彼の答えを求める。質問ではなく、答え合わせのために。
「そうだな、魔術の修行を楽しいと思ったことはなかった。魔術そのものも……。けど、俺はまわりが幸せならそれで嬉しかったんだ。だから、魔術を習っておけばいつか誰かのためになれるかなって―――俺は切嗣のような正義の味方になりたかった。そのために魔術を習ってきた。俺の理由なんてそんなもんだけど」
士郎の口から出た答え。凛は想像通りだった事に悲しみと怒りが湧きあがってくる。
「じゃなに? アンタ、自分のために魔術を習ったんじゃないの!?」
「自分のためじゃないのか? これって。誰かのためになれれば俺だって嬉しいんだから」
「あのね、それは嬉しいんであって楽しくはないの! いい? 私が言ってるのは衛宮くん自身が楽しめるかどうかよ。
周りがどうこうじゃなくて、自分から楽しいって思えることはないのか? って聞いてるの」
「自分から楽しめることなんて言われても……」
怒った凛に詰め寄られ、何故怒られているのか理解出来ない士郎。楽しめる事と言われて考えるが、浮かび上がるのは10年前の大災害、燃える家や屍の山、助けを求める声とそれを無視して生き伸びてしまった自分。
「俺には、そんな余分な願いを持つ資格が無い――っていうか」
「ちょっとハッキリいなさい!」
凛が本格的に怒りを露わにしたことで、士郎は激しく困惑する。自分は何か彼女の逆鱗に触れる事をしたのだろうかと。
「要するにあんた! 人のことばっかりで自分に焦点があってないのよ!!」
「そんな事言っても」
「うるさい! 口答えするな!! あぁもう! 似てる似てるって思ってたけど、まさかここまで一緒と思わなかった」
頭を掻き毟りそうな凛。自分の協力者の明確な欠点を見つけ、それを見過ごしていた自分に腹が立つのだ。そして、その怒りを腹に収めたまま凛は士郎を指出す。
「衛宮君、貴方を愛歌が嫌う理由はそれよ」
「えぇ? なんだって急に」
「貴方とアイツもだけど、愛歌も貴方に似てるのよ。自分の事よりも他人を優先する所とか」
「そ、そうか?」
士郎は沙条愛歌を思い浮かべるが、自分と似ている印象はなかった。むしろ、彼女は自分とはまったく違うような気がして凛に問いかける。それを凛は頷きながらも否定する。
「アイツは、妹さん命の大馬鹿よ。でも違うのは、アンタは自分の幸せを望んでない。アイツは身の回りの人間と自分の幸せだけを求めてるのよ」
「それって」
「性質は真逆ね。愛歌は自分の幸せに貪欲よ。私よりも快楽主義者の可能性があるわ。けれど、アイツは自分だけで幸せを感じられない、だから家族という枠組みで幸福を得ようとする。幸せを諦めたアンタと、幸せを欲する愛歌、相性が悪いのは当然よ」
凛の分析を聞いた士郎は、自分のそれが欠陥だと初めて知らされた。正確には、藤村大河にも似たような事を言われた覚えがある。
だが、何が間違いなのか理解出来ないのだ。その様子を見た凛が、さらに続ける。
「いいわ!明日、あんたに参ったって言わせてやるから!」
そう言い残して、凛は衛宮邸に戻っていく。その後、彼女を家まで送ろうとした時、凛はアーチャーに宿泊道具を持って来させ、衛宮亭への宿泊を決めていた。強引な彼女のやり口に慣れた士郎は、一言だけ言った後はそれを認め、土蔵の中で魔術の鍛錬を始めた。
「―――トレース、オン。――基本骨子、解明――構成材質、補強」
士郎は土蔵で木刀に手を当てながら、日課である強化の魔術を取り行っていた。彼の魔術に反応して木刀が光り、少しづつ強化が施されていく。無事に成功した木刀を眺めていると土蔵の入口にセイバーが立って居た。
「今夜も魔術の鍛錬ですか」
「あぁ、欠かさずやれって言うのが切嗣の教えだったからな。けどさ、教えてくれたのはそれだけだったけど」
「それだけ? では、魔術師としての在り方などは教授されて居ないのですか?」
「あぁ、そもそも教えてくれた本人が魔術師らしくなかったんだよ。
困った大人だったな。楽しむときは思いっきり楽しむんだ、なんて言って子供みたいにはしゃいでたし」
セイバーは10年前の切嗣と彼の話すきりつぐがどうしても繋がらない。だが、彼の知る切嗣は間違いなくそう言う人間だったのだろうと理解する。
「そんな師が好きだったのですね」
「あぁ。憧れてた。自由で全然魔術師っぽくなくても、俺にとっては切嗣こそが本当の魔法使いだったんだ」
其処まで聞いたセイバーは、今朝からの彼の様子がおかしい事に質問した。
「士郎、あなたの半身はどうなっているのですか?」
「セイバー、気付いていたのか……ちょっと麻痺してるだけだ」
セイバー(アルトリア)に聞かれ、さすがに隠せる訳ないかと白状する。
「原因はやはり――」
「昨夜の投影魔術の反動だと思う」
葛木に殺されそうになった時、ほぼ反射でやってしまった宝具の投影。人間には、過ぎた奇跡を体現してしまったことが原因だと誰もが分かった。
「身体の大部分が麻痺したままか?」
「っアーチャー」
「当然と言えば当然だな」
突然会話に割り込んだのは土蔵の入り口に凭れかかったアーチャーだった。セイバーが警戒しながら立ちあがる。だが、士郎はセイバーを止め、アーチャーと向き合う。アーチャー自身に敵意は感じず、むしろ何かを含んだ物言いをしているため、大人しく話を聞く事にする。
「要件はなんだアーチャー」
「投影をしたと凛から聞いたがやはりそうか。半身の感覚がなく、胴体が中寄りに7cm程ずれているのだろう?」
「力になれるかもしれん」
そう言ったアーチャーは土蔵に座る士郎の背中に手を当て、彼の魔術回路の様子を解析する。そして導きだされた答えを彼に伝える。
「運のいい男だ。壊死していると思っていたが、閉じて居た物が開いただけか」
「開いただけ?」
「本来使わないはずの回路が放棄され、眠っていたのだ。お前の麻痺は一時的なものだ。
今まで使われていなかった回路に全開で魔力を通した結果、回路そのものが驚いている状態だろう。これで回路は現役に戻ったということだ」
そう言いながらアーチャーは彼の魔術回路に喝を入れる。魔力が流された回路に痛みが走るも、どこか士郎の症状を和らげていく。ショック療法とも言える強引な治療だが、士郎の体は劇的に回復していく。
「こんなところか。数日もすれば回復する。身体の動くころには以前よりはマシな魔術師になっているだろうさ」
「詳しいのですね、アーチャー」
「似たような経験があってな。私も初めは片腕を持って行かれた」
士郎の手助けをしたアーチャー。セイバーの問いにも答えるが、明確な答えとは言えず、そのまま土蔵を出ようと歩いていく。
だが、去って行くアーチャーの背中を士郎が呼びとめる。
「まてよ!」
「なんだ」
「聞きたいことがある。理想を抱いて溺死しろ、あれがどんな意味なのかってな」
「言葉のままだ」
「じゃお前は何のために戦うんだ!?」
士郎の問いに、アーチャーは含みを持たせた笑みを加えながら、答える。
「知れた事を。私の戦う意義は、ただ己のためのみだ」
「自分のためだけ……」
「そうだ。お前の欲望が、誰も傷つけないという理想であるのなら、好きにするがいい。ただしそれが、本当にお前自身の欲望ならばな。
自分の意志で戦うのなら、その罪も罰も全て自分で生み出したもの――背負うことすら理想の内だ。
だがそれが、借り物の意志であるのなら、お前の唱える理想は空想に堕ちるだろう。戦いには理由がいる。だがそれは理想であってはならない。理想のために戦うのなら、救えるのは理想だけだ」
実体験の様に話すアーチャー。誰も彼の正体を知らないが、恐らく彼はそう言う体験をしたのだろう。
「そこに、人を助ける道はない。
戦う意義とは、何かを助けたいという願望だ。少なくともお前にとってはそうだろ衛宮士郎。だが、他者による救いは救いではない。そういうものは金貨と同じだよ。使えば他人の手に回ってしまう。
確かに、誰かを救うなどという望みは達成できるだろう。だがそこに、お前自身を救うという望みはない。お前はお前のものでない、借り物の理想を抱いて、おそらくは死ぬまで繰り返す。だから無意味なんだ、お前の理想は。人助けの果てには何もない。結局他人も自分も救えない。偽りのような人生だ」
アーチャーの語るそれは、士郎には今否定することが出来なかった。心では違うと思っても、彼の言葉を否定する言葉が浮ばない。先程凛にも伝えられた自分の異常性。それを彼は浮き彫りにし、士郎が言葉が出ない様子を見ると霊体化して消える。
「違う違う、それは……」
消え入りそうな士郎の声だけが、土蔵に響いたのだった。