綾香達との戦闘から呼び戻された慎二とライダー(ペルセウス)は、空を飛びながら間桐邸へと脚を降ろした。だが、間桐の結界に触れた瞬間、慎二とライダーは謎の恐怖を感じた。
「なんか、肌寒くないかライダー?」
「理由はわからないが、ワタシの後ろにいろ。邪悪な気配を感じる」
マスターである彼を護ろうと前に出ながら、家の扉を開ける。慎二も、マスターである自分より前に出たライダーに怒る事も無く、その意見に従う。魔術回路が宿った事で、場の空気について敏感になった由縁だろう。警戒しつつ、中に入った2人は、まるで異界化している様な間桐邸の空気に危険を感じる。
だが、慎二はその気配が、間桐邸の虫蔵にあると知っているため、其処へ行こうと秘密の入り口を通って階段を下りる。
「な」
「慎二」
暗い間桐の闇と陰湿さを表す様な工房。其処で慎二は驚くべきものを見た。本来は虫が蠢く筈の工房だったが、其処には生命の反応はなく、在るのはただ広がる無だった。
「ゲフ、桜。ぬかったわ。まさか、お前が儂に、牙をむくとは……誰にそそのかされた」
「ふ―――うふふふふ。お爺様、どうして逃げるんです? 私は間桐のために、こんな力を持ってしまったと言うのに」
この虫蔵の主であり、間桐の当主である間桐贓硯は、身体を蟲へと変える事で数百年生き長らえてきた妖怪である。その精神は体を虫とした苦痛と魂の摩耗による外道へと墜ちた存在。そして今彼は、目の前に立つ黒い影の触手を身に纏った義理の孫、間桐桜に殺されかけていた。
ある時、突然彼を訪ねてきた桜は、不気味な笑みを浮かべながら、影から延びた触手によって臓硯の体を削り取った。だが、本体は別の場所にあった臓硯は、余裕を見せて彼女の心臓に仕込んだ虫を暴れさせた。どういう経緯かは不明だが、突然強大な力に目覚めた孫を利用すれば、今回の聖杯戦争に勝てると判断し殺さずに、利用する手段を取った彼だが。
桜は、自分の心臓を影の触手でえぐり、臓硯の本体を摘出した。それを潰さず床に投げ捨てられたため、無防備な本体を護るために即席で虫の体を構築したが既に後がなかった。
「慎二、おぉ慎二か。何を見ておるのだ、早く助けんか」
「あら、兄さん。帰っていたんですね」
「桜。お前何やって」
変わり果てた桜の姿に、慎二が恐れを抱く。だが桜は兄を兄として認識しつつ、背後に控える影の使い魔で臓硯の体を構成する虫を削っていく。現れた慎二が謎のサーヴァントを連れ、魔力を有している事に疑問は感じるが、臓硯では桜を抑える術はない。
「兄さん。私は、気が付いたんです。私が望む物を手に入れる方法を」
「そうかよ。で、僕やお爺様に復讐って訳か?」
「いえ、兄さんはどうでもいいんです。ですが、お爺様は駄目なんです」
「そうかよ。なら好きにすればいいさ。どうせ僕もやろうと思っていた事だ」
2人の兄妹は、互いに戦う覚悟はあるが臓硯を救うつもりはなった。現状で間桐のトップだった彼は、既に孫達の足元にも及ばないのだ。
そして、どうにかして逃げ出して生き伸びる術を考えていると、突然見知らぬ少女が桜の隣に現れる。それは瞬間移動や空間移動に等しく、魔法の域にある。そして七色の輝く目を持った少女は、臓硯を見ながら高らかに笑う。
「うふふ、素敵。実に滑稽で、実に喜劇。何と言うことでしょう。志を失った嘗ての賢者は、自分の愚かな行いによってその命を絶たれるのでした」
「小娘、貴様は何者だ? 貴様が桜を」
掌をパチパチと叩きながら、気安く桜の傍に控える少女。その存在に桜と同等か、それ以上の脅威を感じた臓硯だったが、桜が触手を動かし彼の両足を切断する。
「お爺様、騒がないでくださいアルトちゃんが怖がってしまいます」
「お前、アルト様と知り合いだったのかよ。てか、気安くちゃんとか付けるな」
「うふふ、喧嘩しないで慎二に桜。私は呼びたければ好きに呼んでいいわ。名前なんて何の意味も無いんですもの。それと、お祖父さんには名乗っておくわね。私はセレアルト・マナリストン・ティターニア、長いからアルトで良いわ間桐臓硯」
臓硯の前で淑女の礼を取るアルト。その容姿は、10年前アルカの前に現れた物ではなく、10年前に死んだ沙条愛歌の姿をしていた。彼女は七色に輝く魔眼で臓硯の全てを見透かしながら、可愛らしい笑みを向ける。それは人に対する目ではなく、動物や虫を見る子供の目その物だった。
しかし、表情自体は体の年齢に相応しくない程、妖艶であった。
「何が狙いじゃ。儂の命か」
「私は特に用はないのよ? サクラが、先輩が欲しい、間桐が憎いって言うから。手を貸してあげたの。慎二は、魔術回路や力が欲しいって言うからあげたのよ」
お菓子が欲しいから買ってあげた。そんなノリで通常の人間や魔術師、英霊ですら不可能な事象を体現する少女。それは女神か悪魔か、誰にもわからない。ただ、臓硯は得体の知れない怪物と対峙している事だけを理解出来た。
「貴方の望み、とっても綺麗だったのね。でも汚れて腐ってしまった。まるで貴方の今の姿のように、中身のない枯れ果てた理想」
何と哀れな事かと崩壊しつつある虫に変わっていく臓硯の体に触れ、アルトは力を行使した。その小さな手からあふれ出る巨大な光は、臓硯の肉体を再構築し始める。それは蟲ではなく正真正銘、体を失う前のマキリ・ゾォルケンのそれだった。
自分の体が変化した事に、臓硯は驚く。慌てて自分の肉体を眺めながら孫達に目を向ける。
「驚きです。お爺様の昔ってそんな姿だったんですね」
「お、親父そっくりだ」
流石に、何年も臓硯の姿を見てきた孫達は、若返った彼の姿に驚く。ライダーだけは、桜とアルトを警戒しつつ、慎二を近寄らせないので精一杯だった。
そして、自分の若返った姿を見て念願がかなったと歓喜する臓硯。
「あ、そうそう。忘れちゃダメよね」
若返り元の肉体を取り戻した臓硯に対して、アルトはその腕を彼の腕に突き刺す。ただ、彼には痛みはなくアルトの手は半ば霊体化しており、臓硯の摩耗した魂を掴んでいた。
そして愛らしいものを撫でるようにし、摩耗した魂を修復した。
「何をしたのだ」
「貴方の望み通り、若かったころの体と信念を取り戻させてあげたのよ……おまけ付きでね」
アルトが手を話した瞬間、臓硯の摩耗する前の魂に、この世の修正力のように是までの時間が彼の脳裏に蘇る。摩耗していくたびに汚れたのではなく、正しき信念を持った上で見せられた自分の行い。
「アアーーーー、アーアーアーーー!!」
正しき信念を持った彼に見せられているのは、己の衰退と悪逆。自身が願った未来を己が破却し踏みにじった人々の姿。それら全てが臓硯の魂を苦しめて行く。その苦悩の姿を言峰綺礼辺りが見れば、絶賛した事だろう。しかし、アルトは遊び終わったおもちゃのように苦しむ彼を無視した。
「アルトちゃん、何をしたんですか?」
「不老不死にしてあげたのよ。魂も体も朽ちることなく、永遠に苦しむ性質の悪い……ね。彼はこれから同じ時間苦しみ続けるわ、けれど目障りだから食べていいわよ」
アルトの指示を聞いて、少しだけ悩んだ桜だったが、お腹が空いたために全盛期である間桐臓硯を影で捕食した。魂が摩耗する苦しみに消化されていく苦しみを加えられた、臓硯は己の行いを己が消え去るまで味わうこととなった。
その光景を見ていた慎二が「いい気味だ」と祖父の最期を見届けた。
「はぁ、少し食べたら余計にお腹がすきました。アルトちゃん、食べていいですか?」
「馬鹿!?」
臓硯を腹に収めた事で、食欲が増した桜は、目の前にいる極上の魔力の塊であるアルトに影の触手を伸ばす。慌てて慎二が影の魔術で応戦するが、アルトのせいで在る物とリンクしている桜の黒い触手は慎二の魔術を飲みこんでアルトの体に巻き付きのも込もうとする。
「凶れ(まがれ)」
影の人型から延びる触手だが、アルトの目の前に迫った時、彼女の七色の魔眼で捉えられた部分がねじ曲がって、何千回もの回転の後、千切れる。そして桜の背後にいた影そのものが湾曲し、複雑に捻じれ続ける。
そして、原形が無くなる程、小さくなったそれを固定したまま、影の使い魔を指でなぞると、その使い魔がこの世から消滅を始める。その時のアルトの目は青い光を放ち、まるで何かが見えている様な仕草で、桜が影から伸ばす触手を指で破壊していく。
「あらら、アルトちゃん食べられたくないんですか?」
「おい馬鹿桜! アルト様に何してんだよお前!?」
「慎二、いいよいいよ。けど私を食べたいなら聖杯が完成してからにした方がいいわ。今の貴方じゃ私に勝てないもの。根源が教えてくれているもの。全てが終わってから、全力で殺し合いましょ?」
暴走してる桜だが、アルトの異常さは感じている。其処に居る筈なのにその場に居ない様な不気味な存在であるアルトと対峙すれば、せっかく手に入れた力で願いを叶える事も出来なくなる。
「わかりました。メインディッシュは最後に頂きますねアルトちゃん」
「うふふ、楽しみにしててね」
「愚図のくせに」
「落ち着くんだ慎二。刺激してはいけない」
狂気しか渦巻いていない虫蔵。ライダーは慎二の護衛をしながらも、眼の前の二人には勝てないと悟っていた。2人同時に襲われれば、慎二を逃がすことすらかなわない。
「まぁいいわ。それじゃ、今後どうするかの相談ね」
アルトが、何処からか取り出した椅子に腰掛けながら、桜と慎二に話しかける。その眼は七色に輝きつつも笑みは、深い深い闇の体現だった。
明日は投稿できるかわかりません。最近、名前のない怪物を聞きいていると、アルカとブレイカーの事のように聞こえてきてお気に入りです。