どうにか下宿する安アパートに帰ってこられたウェイバー。橋の底から地上まで空いた大きな穴に魔術師ではない一般人から警察までが出動、神秘の秘匿を第一とする魔術協会は、事態の終息に尽力し、逃げ出した封印指定の魔術師や聖遺物を盗んだウェイバーの捜査は後回しにされたのだ。そして、少女を背負って駆け抜けるシュールな姿を晒したウェイバーだが、少女が身に纏う認識阻害と気配遮断の付与したカーテンは、彼らを隠蔽していた。
彼は背負っていた少女を床に降ろすと、息も絶え絶えに旅の準備を始める。
彼の部屋は、家具がほとんどなく論文に使う本や資料が積み上げられた机と本棚には彼の趣味である推理小説やジグソーパズルが置いてあった。
「あんまり勝手に動くなよ。て言うか、僕誘拐犯になるのかこれ? でも、今さら帰せないし、最悪日本に着いたら警察か大使館にでも」
旅の道具や必需品をトランクに詰め込み、とっさの判断で連れてきてしまった謎の多い少女の処遇を悩む。一方で少女は、初めて見る世界に視線を動かし続ける。そして、棚にある写真立てが気になり手を伸ばすが、身長が足りない。
「あ」
「こら! 勝手なことすんなって言っておいただろ。なんだよ……これか?」
近くにあった椅子によじ登って、写真立てに手を伸ばす少女。しかし、バランスを崩す姿が見えていたウェイバーがあわてて支え、横転せずに助かる。
そんな恩人のお叱りを聞かない少女は、写真立てに手を伸ばし、ウェイバーがそれを手にとって渡した。
「……」
「……なんだよ。それは僕の両親と祖母だよ。もういないけど」
写真の中で笑う男女と老婆とウェイバーを見比べる少女に、彼はばつが悪そうに頬を掻いてそう告げる。だが、興味深そうに写真とにらめっこする少女は、いまいち反応を示さない。
大人しくしてるなら良いかと再び準備を始める。そして、パスポートを手に取った瞬間忘れていた事実を思い返す。
(そういえば、飛行機にどうやって乗せるんだ?)
身分証明のない少女を外国行きの飛行機に乗せられる筈がないし、第一カーテンを着ただけの幼児を国外に連れだそうとしている段階で逮捕される。というか自分は少女の身元すら知らないと思い出した。
「そういえば、お前、名前は? 」
「……なまえ、わかんない。なにも,おぼえて……ない」
「はぁ、つまりなにか記憶喪失って事か?」
よくよく見れば少女の格好と時計塔という場所にいた事、これらが彼女の境遇を想定させる。時計塔は、法律や一般常識の外側に位置する。この少女がどこかの魔術師に誘拐され、魔術の実験台になろうとも、大きな騒ぎにならなければ魔術協会はなにも言わない。
そういう魔術の一面があると彼も理解していた。許容できるかは別として。
記憶を消され、奇跡的に逃げ出したのがこの子なのだろう。
「でもな」
飛行機に乗せられない上に記憶喪失の少女の処遇は、頭を悩ませる。第一に相当な厄介事を背負い込んだと理解した。これから聖杯戦争に参加しようとする自分が不安要素を抱えたまま戦えるのだろうか? それに敵意がないことはわかるが、少女の魔力は自分よりも上なのだ。これがもしや罠だったら……マイナス方面に考えが動く。 しかしこのまま返してあげられない……最悪実験で死ぬ場合もあるのだ。それにもう時計塔には帰れない。
「……」
「ほんとに、どうしようかな」
ため息が漏れる。このまま警察に預ける方法もあるが間違いなくウェイバーは、事情聴取で足止めされる。そんな時間はないのだ。せめて、飛行機に乗せられるのなら……とこちらを見上げる少女の肩をつかむ。
そのとき、あることに気が付いた。
「これ、礼装だ。それもかなり上等な認識阻害と気配遮断……」
少女がまとっていたカーテンは、中々の魔術礼装としての機能を持っていた。その効果は、魔術師にも有効で一般人なら接触しない限り気付かれない。こんなものをカーテンに付与できるのなら少女は、役に立つのではないかと考える。
(これなら飛行機だって乗り込める……よし)
第一条件をクリアーしたことで、ウェイバーは腰を曲げて少女と目線を会わせる。少女七色に輝く瞳で彼を見つめる。
「お前、僕と来るか? 正直危険だと思う。もし嫌なら警察に預けるけども、ロンドンにいたら最悪時計塔に回収される」
ウェイバーは、この正体不明の少女を見捨てる判断はできなかった。頼りなさげな手で自分に助けを求めるような存在を彼は残酷な思考で切り捨てられない。それに日本に行けたら、聖杯戦争になるが危険だったりすれば審判役の聖堂教会で保護してもらうという手もある。それで駄目なら大使館や世界一安全という日本警察に預ける。それに礼装を作れるのなら少なからず戦力にだってなる。
さらにハンデの一つくらい自分なら物ともせずに聖杯戦争を勝ち抜いて見せる。むしろ、そのほうが時計塔の連中を見返すことができると自意識過剰な理由もあった。
そして、少女の答えは「……行く」だった。
「わかった。なら尚更名前がいるな。そういえば僕も名乗ってなかったな、僕はウェイバー・ベルベッド」
「……ウェイバー」
「呼び捨てかよ……まぁいいや。記憶喪失なんだよな……」
目の前の少女が名前を持っていないので、自分がつける事に決めた。しかし、いきなり名前が浮かぶはずもない。
そして悩んでいる時、少女が握りしめている写真が目に入る。
「アルカって呼ぶことにする。僕のお婆様の名前だ。今回の聖杯戦争で勝ち残るベルベット家の初代様だ光栄に思えよ」
「アルカ……わかった」
名前をもらったとき、無表情の少女が少しだけ微笑んだように見えたウェイバー。何故だが恥ずかしくなってそっぽ向く。そのようすが理解できない少女、アルカは首をかしげる。
--------そして時は進む。
「チケット代が浮いたのはありがたいけど、ひやひやしたな」
「耳が……」
空港に行き、彼についてくるアルカは一般人から見えないとしても無駄に緊張したウェイバー。挙動不審になりかけ、危うく事務所に連れていかれそうになった。そして、一つ発覚したのが少女の隠密礼装は、彼女と接触した人物にも効果が及ぶということだ。さすがに全裸にカーテンでは、可愛そうだと自分の子供の頃の服を着せその上からカーテンを纏わせた。
国外逃亡する誘拐犯の気分は、彼の精神をごっそり削り飛行機が飛び出した今、座席にもたれ掛かっていた。となりに座っていたアルカは、気圧の変化を体験して不思議そうだった。
「慌てなくても直になおるはずだよ」
「……おー」
「のるなよー」
耳鳴りを気にしつつも、外の景色の方が気になったアルカ。窓際にウェイバーがいるため彼の膝の上に乗ることで外を見た。感動するという機能がなくても、初めて見る空は何かをアルカに与えた。
ぎゅるるるるるる……ぐうるる
「お腹すいたのか?」
ぽっこりお腹から物凄い音がなり、ウェイバーは訝しげにアルカを見る。当事者たるアルカは、お腹が鳴るという事を初めて体感していた。
そういえば自分も食べてなかったと思い、お腹が空いてきた。ちょうど狙ったように機内での売店販売が回ってきた。
「仕方ないな。すいません」
「はい、何になさいますか?」
ウェイバーは、その場でお菓子とジュースを購入した。二人分のため多くはなったが、たいした額じゃなかった。ウェイバーからもらったジュースを飲んだ少女は、美味しいという味覚を取り戻し、パサパサしたお菓子は、美味しくないと感じた。
その後は、ウェイバーから聖杯戦争の話やこれからの予定、決して自分から離れるななどの約束をさせられた。機内食ではパンを多目に貰い二人で食べ終え、夜になると毛布を借りて眠りについた。
完全に就寝したウェイバーとアルカは、寄り添うように眠っていた。そんな彼らの後ろの席で見守る存在がいた。
「マスターの奴、俺の事いつ話すつもりなんだ? 令呪は、隠蔽したけど……ばれると思うんだよな普通」
空席のシートに持たれながら、謎しかない少女の正体不明の英霊は、腕を組ながら夜空を眺めていた。
「聖杯戦争か……めんどうなことこの上ないな」
tobecontinued