森に入った瞬間、濃度の濃い魔力が一行を包んだ。濃厚な魔力の塊のようで、警戒していたはずの一行は、またたく間に視界を奪う。
「なんだこの霧」
「何らかの罠の可能性が高いですね。綾香、どうですか?」
士郎が疑問を感じ、セイバーが隣にいるはずの綾香に話しかけるが、返事がない。
「沙条? おい、遠坂、沙条が」
綾香の返事がないことに疑問を感じ、士郎が周囲を見渡すと今度は凛もいなかった。それどころかランサーやルーラー、セイバー、アサシン、皆が霧が晴れた後その場にいない。
「!?」
「シロウ、皆はどこに行ったの?」
「イリヤ! よかった。皆は霧に呑まれたと思ったら、居なくなってる」
士郎は、自分の背中を引っ張るイリヤを見て、安心する。もし全員がはぐれてしまった場合、サーヴァントを連れていないイリヤが一人になる可能性もあったからだ。
イリヤの手をはぐれないように握る士郎。突然皆と分散されたことで、不安げなイリヤの手を右手でしっかりつかむ。
「たぶん罠だと思う。俺達が来るのを見越して、分散する感じの」
「それで士郎はどうするの?」
イリヤの質問は、確かに考えなければいけない。サーヴァントのいない状態で森の中を彷徨う、敵は無数のサーヴァントが居るのだ。一度撤退か合流を考えるべきなのだが、既に退路はなかった。
背後を振り返れば深い霧に覆われ、おそらく出られないと感じる。それはイリヤも感じ取っているのか、進むしかないと前を見る。森の木々の隙間から、のぞける位置に巨大な岩でできた塔と空に突然発生した黒い孔が、士郎達に見えた。
「イリヤ、あれって」
「そうだよ。あれが聖杯、冬木の地にある大聖杯」
二人して雲行きの怪しい空にそびえ立つ塔と、地獄にでも繋がってそうな孔を見ながら、握った手に力を込める。進まなければならない、たとえそこが地獄だとしても。
「遠坂や沙条も、あそこに向かってるはずだ」
「そうね。いまさら帰れないもの」
二人の姉弟は、聖杯戦争を、桜を、セレアルトを止めるために森を進み始める。そして、二人で進むこと5分ほどしたとき、士郎とイリヤのいる森が震えた。それは地震ではなく、音による震え、恐怖による震え、大地を揺るがすような咆哮が耳に入る。
士郎はとっさに、イリヤを抱えて木の影に隠れる。それは反射的な行動だった。捕食者の接近に対して、獲物である自分が取れる本能的な行動。
「■■■■■■■■■■―――――!!!!!」
大地を震わせる咆哮の主は、木々を手に持った巨大な岩の斧剣で蹴散らし、その鋼の体をバネにして士郎達に向かってくる。その声は士郎にとって死の象徴で、イリヤにとって最も頼りになる男の声。
ドシンと、森を駆け抜けてきた暴力の塊が、士郎とイリヤの隠れる木の傍で停止する。野生の獣のように荒い息を繰り返し、咆哮を上げる存在。その存在は木に隠れる士郎達の前を素通りして、唸り声をあげながら、傍にあった木々を破壊していく。
((バーサーカー!?))
息を潜め二人は気配を感じられないように、口を塞いで近くをうろつくバーサーカーを見た。背中が目に入った時、二人は声を上げそうになる。彼らの前にいるのは間違いなくイリヤと契約していたバーサーカー、大英雄ヘラクレスその人だった。
ギルガメッシュに殺されたはずの彼が何故、此処にいるのか。そしてその見た目も、全身が溶けており、体中から血が噴き出している。だがその血は、泥のようで汚染された聖杯の力を感じる。
サーヴァントが一人もいない状況で、最強の刺客と対峙する羽目になった士郎達。
「どうするの?」
「逃げられるなら、逃げたほうがいい。だけど、俺たちは彼を倒さなくちゃいけないと思う」
敵の罠なのだ。此処を平然とスル―できるはずはない。何よりバーサーカー相手にイリヤを抱えて逃げ切るなど不可能だ。幸い相手は顔面が腐食しており、目が見えていないらしい。その証拠に士郎達の横を通り過ぎても、気が付いていなかった。
勝機などみじんもない、だが勝利するしかない状況。問題はどうやってバーサーカーと戦うかだった。だが、ふと思考が戦闘に傾いたとき、頭の中で声が聞こえる。
(最強の衛宮士郎をイメージしろ。お前の辿りつく遥か先、お前の理想が砕けぬ限り、お前は倒れはしない)
アーチャーの声が聞こえ、左腕に熱がこもる。移植された左腕、それを見ながら士郎は決意をする。左腕に巻かれた聖骸布に手をかける士郎。相手は端から全力で来ている。ならば敵に劣る衛宮士郎に温存の文字はない。
衛宮士郎にささげるものなど己の体のみ。ならばそれを酷使せずに死ぬほど、無意味なことはない。
「シロウ、それを取ったら」
「大丈夫だイリヤ。俺は、託されたんだ。だからこそ、前へ進む。立ち止まったりはしない」
アーチャーの腕を解放した場合、すぐさま士郎の体をアーチャーが浸食する。巨大すぎる力は士郎の体を蝕むだろう。だが、イリヤが傍におり、他のみんなも全力を尽くしているのだ。正義の味方になる。それが衛宮士郎の願いであり、目的。
なら、ここで怖気ついていては、前に進めない。
バーサーカーが木々をなぎ倒していく中、士郎は自分の左腕の聖骸布をはぎ取る。それによって士郎の中にアーチャーの思念や記憶が流れ込む。本来なら、士郎に器はなく、あふれ出たそれによって破裂する定め。しかし、衛宮士郎はアーチャーとの戦いで、固有結界を学んだ。
見て感じ、自分の中にそれをはっきりと理解した。衛宮士郎の心象風景、彼の持つ唯一の魔術が器となり、アーチャーの記憶を受け止める。それはピースが噛みあう音とともに、衛宮士郎を一つ先の領域に引きずり込む。
士郎の瞳の色が灰色に変わり、髪の色も赤から白へと少し変色する。だが、痛みはなく、ズレはなく、浸透していくアーチャーの力。それを受け入れ、自分の形にした士郎は、頭の中に浮かび上がるバーサーカーを倒す武器を選択した。
褐色の腕を振り上げた士郎は、彼自身の魔術回路を起動した。何十年も先に到達するはずの領域を、今ここに先取りして。
「――投影、開始(トレース、オン)」