歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第七話  老人

 邸宅自体はそれほど大きなものではない。だが控えめながら確かな価値を持った調度品や、整えられた庭を見れば、ここがそれ相応の人物の住む家だというのが分かる。だが今目の前にいる人物は、それを全く感じさせない。その事こそが、この人物の本質なのだろう。

 無知や無教養とは対極にある、本物に触れ続ける事によって自然と磨かれた眼力が、この人物には備わっているのだ。おそらく本人は全くそれを意識してはいない、だからこその本物なのだ。

 こういう人物は、下手な主義主張を持たない。ただその心の琴線に触れうるか否かが、判断の基準なのだ。リ・ウェンは二人の美女に席を外すよう言った。

「ははは、若い娘さんの前で緊張する年ではありませんよ。ここ最近は姥桜しか見ていませんがな」

「旦那様」

 住み込みの家政婦が茶碗を置きながら言う。そしてウェンのボディーガードを隣の部屋に案内した。居住まいを正すウェンに、邸宅の主人は世間話を始めた。その声を聞きながら、ウェンは注意深く相手を観察する。ブンジ・タチバナは日本自治区、そしてトウキョウ特別行政区の設立に深く関わる人物であった。

 再構築戦争によって成立した枠組みは、コズミック・イラが制定された後も安定したものではなかった。各国とも、十年から二十年を掛けてその枠組みを固めていったのだ。主権国家の消滅がそう簡単に容認されるはずも無い。

 日本においてもそれは同様で、大小様々な反対運動や行政機関同士の対立、中央政府と自治政府の軋轢などが長く続いた。その時、様々な利害関係者をときに匿いときに引き合わせなどしていたのが、ブンジ・タチバナであった。

 若くして親から引き継いだ資産の大半をそういった事に使い、今ではこの邸宅しか財産が残っていないとも言われている。

 だが彼の持つ人脈は底が知れない。設立当時の日本自治政府や特別行政区の幹部は当然の事ながら、オーブ建国に携わった日本人、反東アジア共和国活動家、アングラ勢力の有力者、財界の重鎮、はては大西洋やユーラシアのスパイに至るまで、彼の人脈は続いている。ジャーナリストは言うに及ばず、文筆家や芸術家などの文化人、各種学会の著名人に至るまで、彼から恩を受けたという人物は広がっている。

「あの時代はみんな金が無かったでしたからな。出世払いができた者は少しでしたが」

 愉快そうに笑うブンジに、ウェンは得体の知れないものを感じた。

 分裂していた武装集団が日本軍という統一の団体になったのは、各派の指導者が一堂に会する会合を、彼が設定したからである。その一方で、サボタージュやストライキなどで抵抗していた特別行政区の職員組合を説得し、行政活動を再開させたのも彼であった。そこにウェンの考えるような敵味方の論理は無い。

 年齢は自分と同じくらいだろう。だが、その中身は全くと言っていいほど違うようだ。ウェンは自分の用件を切り出す。そしてブンジに促されるように、自分の話をした。

「日本人以上に日本人ですな」

「当然です」

「・・・これは失礼な事を。申し訳ない」

 最初の感嘆は慣れた物だ。だが、それに対して即座に謝罪を口にしたのはブンジだけだ。座ったままであるが深く頭を下げる彼に、ウェンは彼の秘密の一端を垣間見たような気がする。

「お話は分かりました。親分には私から話を付けておきましょう」

 その言葉に、ウェンは少しだけ肩の力を抜いた。ブンジは一言断って、ラジオのスイッチを入れる。ネットラジオと呼ばれるものだ。聞こえてきたのは邸宅の雰囲気にはそぐわない若い流行歌だった。

 ハーモナイズコミュニティという団体が紹介しているプラントの歌だという話だが、ウェンにはその良さが分からなかった。だがブンジは、その歌の良さを力説している。

 

 

 

 

 

 今でこそ、スーツにネクタイのインテリヤクザなどをやってはいるが、中学を出る前から鉄火場を渡り歩いてきた身である。腕っ節がよかったわけでもない自分がここまで昇ってこられたのは、弱い相手に取りこぼしをせず、強い相手には戦う前に引き分けへと持ち込む術を学んできたからだ。

 弱い者から取り上げ、強い者の弱みを握った上で尻尾を振る。それがヤクザのあり方であり、任侠など糞の役にも立たない、それが彼の持論であった。

 だから目の前の相手ほど御し難いものは無かった。地味なスーツを着た三十前後の女に、初老だが立派な体格ゆえに十は若く見える男。日本人特別居留区への人道援助を行っている団体、ファリロス・ファミリアの代表者と幹部である。恫喝に屈しないだけの自衛能力を持ち、国外に本拠地があるため弱みも握れない。情ではなく理と利を持って話さなくてはならない相手は、どうしようもないのだ。ヤクザには理も利もないのだから。

「お嬢さん、こっちも遊びでやってるんじゃない」

 コウキ・ヨシオカは声を低めていった。

「もちろんです。我々は旧世界の生命線だと自負していますから」

 ナタリア・ファリロスは冷たく返答を返した。日本人特別居留区への物資輸送についての会談であった。コウキが副会頭を務める凌雲会は、特別居留区への物資密輸が主な資金源となっていた。人道支援物資という無料の物資は、最悪の競争相手なのだ。

 正面から潰せる相手でも、搦め手から足を掬える相手でもないことは、今まででの事からよく分かっていた。何も言わずにナタリアの後ろに立つダルウィーシュ・ダルのように屈強な男達が、軍隊顔負けの装備で抵抗すれば、コウキの部下などその場で土下座をするだろう。だからこそこうして話し合いの場を持って、今までは輸送する物資の種類や量を取り決めてきた。

 それが今回こじれているのは、特別居留区との間で物資の購入代金をやり取りしていた凌雲会傘下の組織が、何者かの襲撃によって壊滅させられたからだ。交通や通信が事実上遮断されている特別行政区との間での資金のやり取りは特殊な方法で行われており、その組織が突如潰れた事で密輸品の代金が受け取れなくなったのだ。

 代金が受け取れないからといって密輸を止めれば、今まで凌雲会が運んでいた物資までファリロス・ファミリアが無料で配る事となる。そうなれば完全に彼らの商売は不可能になってしまう。コウキとしては譲れない一線なのだ。

 話は平行線のまま、日を改める事になった。ナタリアは、睨みつけるようなコウキの視線を受け止めて尋ねた。

「トウキョウ、これからどうなると思いますか?」

「知らんね」

 迎えの車に乗り込んだナタリアはダルに言う。コウキの話の裏を出来るだけ取るようにと。ただのマフィア間の抗争とは思えなかったのだ。現在のトウキョウのマフィアは、ほぼ全てを菱丘組が抑えている。傘下組織が襲撃されたにもかかわらず、凌雲会が動いていないという事は、マフィアではない外部勢力の動きである可能性があるのだ。

 おそらくコウキも、それは考慮しているのであろう。だが彼の持論は、ヤクザは自分のシノギを全うすればいいのであって、それ以外の事を考える必要は無いというものだ。相手が同じヤクザでないのなら、それはもうヤクザのシノギでは無い。

 それでは、これからのトウキョウを知る事はできないだろうと、ナタリアは言った。それを掴まなければ何かが起こった時になす術がない。何かが起こる事は確実、いや既に始まっているのかもしれないのだから。

 

 

 

 

 

 こちらから出向く事は多いが、人を迎える事は極端に少ない。そのため、来客をどこに通すべきか迷ってしまう。とりあえず会議室に通して自分でコーヒーを作る。本国から遠く離れているため、諜報活動の報告のために帰国する者はあっても、出先にやってくる人はいないのだ。

 豪華客船であるにもかかわらず殺風景な会議室であるが、コーヒーの香りは高級なものであった。末端の人間が飲むものであっても、はるかに上質なものが備えられているのだろう。プラントに戻ったらコーヒーが飲めなくなりそうです、そう言ってエリックは笑った。

「もう一人の方・・・ローレンスさんは?」

「彼の人生における重大任務の遂行中です」

 エリックの答えが何らかの笑いの要素を含んでいるだろう事は分かったが、その意味が分からないのをいい事に聞き流した。ジュンコ・ヤオイはコーヒーカップを置く。彼女がザフトに接触したのは、ハーモナイズコミュニティとのパイプを求めてであった。

 その単語にエリックは口の端を歪める。流石に自分だけが気付いている情報ではなかった。彼女は、その組織がプラントに端を発する組織である事から、ザフトへの接触を図ったのだろう。エリックは自分の情報を吟味する。

 表向きは、ファンサイトに端を発するサブカルチャーのコミュニティだという事になっていた。だがその根は予想外に深く、そしてありえぬ方向へと繋がっていた。クライン派、ターミナル、そういった類の関係者がコミュニティの先に見え隠れするのだ。ジュンコはそれを知って、繋がりを求めてきたのだろう。

 ターミナルと呼ばれていた経済シンジケートは、テロ支援などで一時はオーブやプラントの政権を掌握するに至った。だが大戦中の混乱における金融市場の急激な変動、戦後に連合主導で行われた大規模な預金封鎖などによって、組織は失われていた。しかし、ジャンク屋組合同様に、構成員がいなくなったわけではない。

 ターミナルの中でも、特に思想的な繋がりを持っていた者達は、組織が解体した後もアングラでの活動を続けていたのだ。彼らは、経済や軍事力によって融和と共存を達成するのではなく、別の方法によってそれを達成しようと模索していた。

「ターミナル残党がハーモナイズコミュニティと繋がるのはある種の必然です」

「問題は、それによってサブカルコミュに質的な変化が生じた事でしょう」

 ジュンコはエリックがどこまで知っているかを探るように言う。単にサブカルチャーを紹介するだけの組織なら彼女が気に留める事は無い。その組織は、世界各地のアングラ活動をネットワーク化しようとしているのだ。

 それはオタクという新時代のコスモポリタンが、サブカルチャーをカウンターとして対立と闘争のカルチャーを超越する融和と共存のカルチャーを打ち立てるなどというお題目とは全く異なる。極めて現実的、政治的な活動なのだ。

 ハーモナイズコミュニティのどの程度までが政治的な意志と目的を有しているのか、それがトウキョウ内にどの程度の網を広げ、それが共闘可能な相手なのかどうか、早急に結論付けなくてはならない。現状の枠組みが崩れたときに、保険として活用できる程度の相手であれば好都合なのだ。

「善隣幇の代わりになるような組織では無いと思いますよ」

 エリックは空になったコーヒーカップを指先で弄りながら言う。確かにジュンコの言うように、単なるサブカル集団ではなくなった側面はある。だがかつてのターミナルのように経済的利益や政治目的のために動くような組織では無いはずだ。少なくとも、彼の調査する中ではそういう情報はあがってきていない。

 視線を上げたエリックはジュンコの表情に、自分がしゃべりすぎた事を悟った。少し、手の内をさらしすぎたようだ。言いつくろう事も出来ず視線を落とした彼に、彼女は提案を持ちかけた。

 

 

 

 

 

 日勤の日の勤務は5時までのはずだ。ルーイは病院の裏手で夕焼けを眺めていた。ブレイク・ザ・ワールドによって巻き上げられた粉塵は微細なものが未だに大気中を漂っており、夕焼けはそれ以前よりもはるかに赤く見えるのだ。

 あの日以降も、彼は精力的に取材を続けていた。行く先は、タチバナ邸か孤児院・ファリロス・ファミリアのどちらかであるが。

 もともと、この仕事自体が乗り気のものではなかった。外国メディアが規制されているトウキョウで長期に渡って滞在する事自体が一種の取材であり、そう言う意味ではちゃんと仕事をしている。ルーイはそう思う事にしていた。もともとこの勤め先自体、知り合いに紹介されただけのものである。

「マシだろ、こっちの方が・・・」

「何が、ですか?」

 その声で物思いから解放される。アメリ・カグタが、微笑んでいた。ルーイは慌てて立ち上がる。その様子に、アメリは笑い、ルーイもつられた。取材の帰りですかという彼女の問いに、そうだと答えておく。

 オオサカの音楽イベントでたまたまインタビューした相手、その人にトウキョウで出会った。その偶然が、彼女に惹かれる理由では無いだろう。あのインタビューの声や言葉も、いまだはっきりと覚えているのだから。褐色の肌に映える歯の白さが、今もその声と言葉を紡いでいる。

 彼女は駅の構内の書店に立ち寄った。手にしたのは日本語のテキストだった。

「こちらで長く暮らそうと思うと、色々あるんです」

 彼女はそう言って笑う。少なくとも、日常で会話する分には何も困らないほど流暢にしゃべっているはずだ。彼女の勤め先でも飛び交うのは日本語であり、地区別行政区内でも連合公用語は辛うじて通じる程度である。

 ルーイは駅の電光掲示板を読んでもらう。テロ未遂事件があったらしく、いくつかのゲートで封鎖やレベルの変更が行われているらしい。アメリは、日本語で書かれたそれを苦も無く読んでいる。

「キリロフさんのパスなら大丈夫ですよ」

 たが彼女の持つ身分証では代官山・渋谷間が通過できないらしい。二子玉川から別の線で渋谷に向かうといった。ルーイはそれに付いて行こうと思うのだが、それではヨシトとの待ち合わせ時間に間に合わなくなる。すっぽかそうと思うのだが、彼の表情の変化を読んだのか、アメリは彼を向かいのホームに向わせる。

 名残惜しそうに振り向く彼に、彼女は鞄の中から何かを取り出した。ブンジからもらったチケットだという。音楽イベントなので取材になるだろうという。二枚差し出したのは、同僚と行けという事だろうか。ルーイはそのチケットに視線を落とした。

「私、仕事ですから」

「三日ともですか?」

 チケットは三日通しのものであった。ルーイはアメリとの約束を取り付ける。三日目に当たる日は、彼女も休みの日だったのだ。彼は彼女に手を振って別れ、足取りも軽く階段を上っていった。

 イベントは、オオサカに来たあのアイドルが再び地球に降りてコンサートを開くというものだった。主催は同じハーモナイズコミュニティ、緊急来日と銘打たれていた。

 

 

 

 

 

 高い天井をコンクリートむき出しの柱が無造作に支えている空間。幾多のライトに照らされるそこは、何か荘厳な神殿のようであった。ならば、そこを運ばれていくものは、神をかたどった彫刻であろうか。少なくとも、これが運ばれる先の者達にとっては、神の様に待ち焦がれた存在かもしれない。

 数台の台車の乗せられた部品が、作業用の機械に牽引されてゆっくりと進んでいく。遠くから見れば、その部品が腕の一部であったり足の一部であったりすることが分かるだろう。運ばれているのはMSであった。

 道路も鉄道も封鎖され、物資は小さなボートを使って川を渡している特別居留区へ、MSを運びこむ事は極めて困難であった。MSは分解するにしても限界があり、装甲板のような一体性が求められる部分はどうしても大きくなる。タマユラ地区から伸ばされている地下トンネルも、人が通れる程度の大きさしかない。

「よし、吊り上げてくれ!」

 有線の電話にヘルメットの男が怒鳴った。MSの運搬に使用しているのは、旧墨田区と旧江東区にまたがる巨大な地下調整池であった。

 ブレイク・ザ・ワールドに伴う津波で被害を受けた事から、大規模水害に耐えうるようタマユラ地区の地下に建設された調整池は、分離壁の越える形で特別居留区の地下にまで広がっている。雨水排水の経路などから当然の事なのであるが、それが大型物資の輸送に使える事もまた事実であった。

 地下50メートルの場所に深さ20メートルの水槽を設置している形なので、通常の物資輸送には使いにくく、普段は全く使われていない。はるか高さから下ろされたワイヤーがMSの装甲板を吊り上げていく姿は、どこまでも頼りなかった。

 こうして引き上げられた部品は、別のルートで運び込まれた部品などとともに組み上げられMSとなる。爆弾テロや手製のロケット弾による攻撃から脱却し、東アジア軍への本格的な攻撃も可能となる。

「ツクバからの支援も合わせれば、打って出る事も可能だ」

 引き上げられた部品を見ながら日本軍の司令官は言う。カヲ・ツォピンは曖昧に頷いておいた。そういう甘い見立てで希望をつながなくては、テロ組織など維持できないのであろう。

 真っ暗な特別居留区の空のすぐ向こう側には、摩天楼街の煌々とした明かりが見えている。これほどまでに特別行政区の傍に位置しながら、ここはトウキョウ情勢のはるか辺境であった。

 カヲはオオサカ、ヨコハマ、ヨコスカ、トウキョウを行き来しながら、情報を集めていた。上海第七銀行としてどの勢力に投資を行うべきかについては、だいたいの見極めをつけていた。あとはその裏付けをとるだけだ。

 だが彼は、その前にトウキョウで大きな動きが生じるだろう事も予測していた。東アジア共和国の枠組みに一定の変化をもたらすであろうそれは、すでにあちこちでその萌芽を見せている。東アジア中央政府が維持してきたトウキョウ特別行政区の現在の枠組みを侵食する形で、幾多の利害関係者が蠢き出している。

 そんな中、日本軍を名乗る彼らだけが、その外側にいた。従来の枠組みでのみトウキョウを見、従来の枠組みに基づいて行動する。それは中央政府と同じ思考だと言えた。カヲは、何か言っている司令官を無視し、摩天楼の虚ろな輝きを眺め続ける。

 

 

 

 

 

 鉄格子の嵌められた小さな窓に、頑丈そうな扉。部屋にはテーブルと一対の椅子、そして壁際に机と椅子が一組置いてあるだけである。大して明るくない蛍光灯が、ペンキを塗られただけの冷え冷えとした壁を照らしている。

 取調室で出される食べ物は自費だという話を聞いたことがあった。だとするといくらになるのだろうと、五食目を食べ終えて思った。扉が乱暴に開いてタバコそのものが入ってきたように部屋がヤニ臭くなる。ユ・ケディンは分かるように顔をしかめた。

「なぁ、そろそろ何か話そうや」

「弁護士を通して下さい」

 少々疲れは見えるが、冷ややかな視線を向ける余裕は十二分に残っている。シュウ・サクラは聞こえるように舌打ちをした。

 マフィアの事務所で東アジア軍の兵士が死んでいた事件、ケディンを参考人として本庁に連れて来たまではいいが、そろそろ時間だった。任意同行には応じないだろうと、公務執行妨害の現行犯で逮捕しておいたのだが、彼が勤めているという通信社から正式な手続きを踏んで弁護士が派遣されてくるという。そうなれば釈放するしかない。

 シュウとしては、軍の横槍が入ると考えていた。そうすれば上司連中を問い詰める理由になると思っていたのだが、その当ても外れてしまった。

「あんたはあそこで東アジア軍だと名乗ったよな」

「厳しい取調べのせいでしょうか、数日分の記憶だけがなくなっていまして」

「・・・弁護士が来るまでの間、その厳しい取調べって奴に変えてもいいんだがな」

「それがトウキョウの警察ですか」

「いや、ペキンの直伝さ」

 トウキョウの複雑な事情という奴は、嫌でも理解しなくてはならない。だからといって自分達の国で行う自分達の仕事を、他所の国の軍隊に邪魔されて黙っていられるほどお人好しではない。マフィアとはいえ、トウキョウの市民を標的にして軍が何を企んでいるのか。

「他にもいくつかの組事務所が襲撃されていてね・・・マル暴はヤーさんの抗争だと言い張ってたが」

 現場から採取された銃弾や薬莢を分析すれば、それが普通の銃器で無い事は一発で分かる。そして襲撃されたマフィアを調べていけば、そこに襲撃者の意図を読み取る事も簡単であった。

 トウキョウ最大のマフィアである菱丘組は、マフィア組織のトップによって構成されている。つまり一つのマフィア組織なのではなく、複数のマフィアの連合体なのだ。当然、その中には派閥があり対立がある。襲撃されたマフィアは、反東アジア色の強い右翼系の団体であった。

 襲撃者の正体が不明のままであれば、その事件は菱丘組の内部抗争に発展しただろう。そうなっていないのは、襲撃事件に東アジア軍が関与している可能性がマフィアにも伝わっているからだ。

「同胞から金を巻き上げている凌雲会なんざ、真っ先に狙われるだろうな」

 経済活動の円滑化のためであれば、行政府だろうと東アジア軍だろうと手を組むコウキ・ヨシオカのやり方に反発する者は、菱丘組の中にも少なくないのだ。

「問題は、何で軍隊様がヤーさんなんぞを狙うのかだ・・・」

「警部、弁護士の先生が見えました」

 シュウはため息をついて顔を上げた。そして弁護士が取調室に姿を現すよりも早く、ケディンを部屋から追い出す。すれ違い様に見た彼の顔に、シュウは相手がプロである事を確信した。

 

 

 

 

 

 原理が不明であっても、使用の出来るものというのは多い。いや、そういったものがほとんどなのだ。科学とは「こうすればこうなる」と記述する事であり、「こうだからこうなる」と記述する事ではない。そして何をどうすればどうなるのかが分かれば、それを使う事はたやすい。

 コーディネーターの作り方というのは、今でもネットワークを検索すれば簡単に出てくる。だがそれで、コーディネーターの全てが分かっていると考えるのは愚かな事であろう。個々の遺伝子の改変が、人間をいかに変化させるかは、未だに研究の途上なのだ。

「それは合法的な人体実験である」

 論文に書かれた無駄な一文を消去した。チン・ヤンチャンは画面の文章を保存して、椅子の背もたれに体重を預ける。別のコンピューターの画面には、ハニス・アマカシに関する比較データが映し出されていた。彼が行っているのは、SEED発現に関する研究である。

 SEED発現の直前に、身体にどのような外的影響が与えられていたのかについての詳細なデータが集められており、少なくともハニスに関してはほぼ100%任意でのSEED発現が可能であった。彼曰く「コツを掴めば簡単だ」そうだが、それによって生じる身体能力の向上は、ヤンチャンが長年行ってきたパオペイレンへの強化施術を上回るものだ。

 特に脳や神経の活性化は顕著であり、コーディネーターの身体能力はSEED発現によって初めてフル活用されると言っても過言ではなかった。逆にナチュラルでは、活性化した脳や神経の機能に感覚や筋肉がついていけないという事態を招く事もあった。

 そしてそのSEEDをどのように発現させるかが、ヤンチャンの研究課題であった。彼はコンピューターを操作して音楽を流す。昔のプラントの流行歌だ。

 彼がオーブに移った頃、ある噂がネット上の話題になっていた。ミーア・キャンベルと言う名の、ラクス・クラインの偽者の話であった。整形手術によって顔をかえて、ラクス・クラインに成りすましていたという他愛の無い話で、丁寧に整形前の顔写真まで出回っていたのだ。

 ヤンチャンはその話の出来の悪さに引っかかりを覚えた。ラクス・クラインの容姿など、彼女が作られた当時のカタログを見れば、品番付きで見つけることが出来るであろう。少なくとも外見に関するコーディネートは、費用さえ掛ければ解決できるレベルになっている。つまり、整形などではなくラクス・クラインと同じ品番のコーディネートを受けた人間を探せば、全く同じ容姿の人間を見つける事は難しい事ではないのだ。

 だが整形前という顔写真はラクス・クラインとは似ても似つかぬ顔であった。ゴシップを彩るためとしても不自然極まりない。そしてミーア・キャンベルを偽者に仕立て上げたのは、ギルバート・デュランダル元最高評議会議長だという。

 全人類の遺伝情報をデータベース化し、社会におけるもっとも適切な人的資源配分を市場ではなく科学の力によって行おうとした人物だ。そんな人間が、何故整形などというアナクロな技術で偽者を作り出そうとしたのか。

「18番染色体、第225遺伝子、GGA変異型」

 それが、ラクス・クラインとミーア・キャンベルの共通点であった。二人とも、コーディネートの対象とはならない役割の良く分かっていない遺伝子部位が、同様の小さな変異を起こしていたのだ。ギルバート・デュランダルは、それを知っていたが故に、整形などという手段で偽者を仕立て上げたのではないか。それがヤンチャンの見立てであった。ネットに流れていたのはゴシップではなく真実だろう。

 この変異型遺伝子は存在するだけで何の役割も果たさないと考えられている。だがカヲは、その変異型遺伝子がもたらす影響を突き止めていた。その遺伝子変異を持つ人間の声は、高低両方の非可聴領域に特殊な波長の音波を持つのだ。

 非可聴音と言っても、それは耳で聞こえないだけであって、音としては認識しなくとも空気の振動そのものは全身で感じている。ハニスはその非可聴音によって、SEEDの発現に成功したのだ。正確には、その非可聴音を感覚する事で大脳辺縁系の一部が急激に活性化し、SEED発現の前段階状態が出現する。ここに外的なストレスを加えるとSEEDが発現するのだ。

 幾度かのSEED発現を体験すると、前段階状態にさえあれば外からストレスを加えずともSEEDを発現できるようになるようだ。

「デュランダルも、ここまでは知っていたのだろうな・・・」

 ラクス・クラインの声がSEED発現に何らかの影響を与えている事を知っていたからこそ、同じ姿ではなく同じ声を持つ人間を整形して偽者に仕立てたのだ。ミーア・キャンベルの歌は政治的プロパガンダなどではなく、全人類にSEEDという能力を発揮させるための手段だったのだ。

 ヤンチャンの研究課題は、その音が果たして全ての人間に等しくSEEDを発現させるのかどうかという事である。だが現時点で、SEED発現に成功している者は被験者の三割以下に過ぎなかった。

 この施設のBGMで使用されている曲は全てラクス・クラインの曲であり、非可聴音をカットしない特殊な記録媒体とスピーカーを使用している。

 

 

 

 

 

 大型輸送機から吐き出されるのは、トウキョウ特別行政区に増派される軍部隊の先遣隊のMSであった。連合軍での一般配備が始まったウェルガーに加え、東アジアの独自開発機体もある。もっとも、ウェルガーに関しては正式に連合軍が組織されなくては使用できない決まりになっている。連合によるお墨付きを得る準備をしているというパフォーマンスだろう。

 昔乗った機体の方が乗り慣れていると思うのだが、今回は東アジア製のMSに乗る事になるのだろう。ヒューは派手なトリコロールのカラーリングが施された機体を見上げる。かつて採用されていた換装式ではなく、統合兵装パックパックを搭載したシャンディアンと呼ばれる機体。頭部のデザインは、ダガーやウィンダムに近いものであった。

 これのプレゼンテーションもかねて作戦が行われるのであろう、ヒューは整備員からマニュアルを受け取って目を通しておく。問題の作戦は、未だに日程が決まっていない。

 特別行政区内部での大規模な軍事行動であるため、その決定過程は紆余曲折しているはずだ。そしておそらく、作戦自体が軍上層部の先走りだったのだろう。末端の兵士は全く知らない様子であるし、ヒューら一部パイロットに対する緘口令も解かれていない。

「こっちはたまったもんじゃないぜ・・・」

 その呟きが聞こえたのか、近くにいた同僚が不思議そうな顔をする。ヒューはニカッと笑って誤魔化すと、マニュアルを読む振りをした。

 東アジア軍に義理は無いし、特別居留区の人達に恨みは無い。だが、作戦がそのまま中止になるという可能性がゼロである以上、早い事決まってくれた方が心の準備も出来るという物だ。

 少なくともこんな機体で、彼が勝手にフリーダムと呼ぶあの謎のMSに対抗できるとは思えない。何としてでも生き残る覚悟を決めるにしても、作戦は早く決まってもらうに越した事は無い。

 それに決定が遅れれば遅れるほど、情報は漏洩し敵に対策を取る時間を与える事になる。自分達が完全に情報を統制しているなどという驕りを持っているから、ヒューのような人間が軍内に潜り込んでいる事に気付けないでいる。だからこそ、軍も知らない自分の正体を知っていた、リ・ウェンという老人は不気味なのだ。

 本国の調査によれば、日本自治区の中でも指折りの反東アジア共和国派であり、善隣幇と呼ばれる華僑ネットワークの総帥だという話だった。善隣幇は、東アジアのみならず大洋州や大西洋にもつながりを持つネットワークで、表向きは華僑の相互扶助組織でありながら、裏では様々な反東アジア活動を行っているらしい。

 MSなどでは手に負えない手段で何かをやろうとしているのではないか、ヒューはそんな事を思った。マニュアルを閉じて滑走路を眺める。

 特別行政区駐留軍の中心拠点であるヨコタは、薄暮に沈み行く風景の中、煌々とライトを照らしせわしなく動き続けていた。この様子を眺めているだけで、東アジア軍の思惑など透けて見えてしまうのではないか、そう思わせるほどに、基地は威容を周囲に誇示している。

 

 

 

 

 

 店の常連になるには、そこに通わなくてはならない。さらに自分をアピールすれば、店の者に顔を覚えてもらいやすくなる。意図してそれが出来る者もいれば、意図せずしてそれを行ってしまう者もいる。キリルは後者であった。

 軍施設と貧民街が広がっている現在の南千住にある飲食店など、ろくな客が来ない。都心部で飲むような金を持たない末端の兵士に、マフィアの下級構成員、こういった連中が主な客だ。

 しかしその客層は、トウキョウの隠しえない側面である。身分証確認ゲートによって統制され普通の都市を装うとも、トウキョウは軍の抑圧と裏社会の暗躍が支配する街なのだ。それは十分に調査するに値する、キリルはそう思っていた。

「あら、ローレンスさん、いらっしゃい。マリアちゃ~ん、ご指名よ」

 ドアをくぐると、たまたまそこにいたママがキリルの顔を見て愛想よく言った。マナーが悪くトラブルはしょっちゅうであり、ケチな上に支払いは滞る。そんな街において、キリルは上客中の上客であった。きちんと酒を注文し、酔って周りに迷惑を掛ける事無く、きちんと支払いをする客には、最大限のサービスを行うのが経営というものだ。

 案内されたソファに腰掛けると、シングルの水割りがグラスの中で回っていた。差し出されたそれを手にすると、その向こう側にマリアの微笑みがある。彼女もグラスを手にし、促すように小さな乾杯をした。

 キリルは視線を落とす。胸元の大きく開いたドレスはスカートも短く、視線のやり場に困るのだ。そういった過剰な露出は、むしろ彼女の美しさを損なっているのではないだろうか。その均整の取れた女性の曲線は、強調しすぎるとただ欲情しか刺激しない。

「今日は・・・歌わないのか?」

「お客さん、今日は多いから。聞きたい?」

「・・・綺麗な、声だから」

 彼女のような女性が、どうしてこんな仕事をしているのか、キリルには理解の出来ない事だった。言葉を交わせば、彼女がちゃんとした教養や知性を兼ね備えた女性だという事が分かる。

 そんな彼女が、酔客にその体を触らせるような職業についている事が信じられず、また堪えられなかった。グラスを持つ手が、震える。

「どうか、した?」

 彼女は静かな問い掛けとともに、震えるキリルの手にそっと手を添えた。彼の心臓は早鐘を打っている。慌ててグラスを煽るが、酒の味などもはや分からなくなっていた。

 空になったグラスにウィスキーを注ぎ水割りを作る彼女を見つめる。少し前屈みになつた姿勢から、彼女の谷間がはっきりと目に映る。しかし、もう目を逸らす事ができなかった。

 水割りを作った彼女が、その視線に気付いたように、そっと胸元を隠す仕草をする。彼は顔を赤くしてうつむいた。

 

 

 

 

 

 ビジネスマンにとって、時間は厳守である。約束の時間に遅れるという事は、信頼を失う事と同義であり、決してしてはならない事の一つなのだ。約束の時間から30分遅れて、彼らは到着した。

 二人で深く頭を下げ平謝りするが、先方は別段気に留める様子もなった。逆に、よく30分の遅れで済んだものだと感心さえしていた。そして立ったままの二人に席を勧める。タルハ・アンワール・ガニーと、ユンディ・ミナカミの二人は、恐縮しながら席に着いた。シュバルベ工業の作業用汎用機械のセールスに、特別行政区の都市整備部局を訪問しているのだ。

「テロだの何だので、軍がピリピリしていましてね」

 身分証確認ゲートのレベル変更が頻繁に行われているのだと言う。最近では慣れた人間でも、乗り継ぎや道順に迷う事もあると言う。ましてや商用のビザでは、さらに使用可能なルートが限定される。タマユラ地区から特別行政区本庁舎のある新宿まで、大変だっただろうとねぎらってくれた。

 出されたお茶を口にしてようやく落ち着いた二人は、言い訳じみていると思いながらも自分達がどのように道に迷ったかを説明した。都市整備部の担当者は、うなづきながら聞いてくれた。

 その不便さは、外国企業に対する一種の障壁であった。トウキョウで自由に企業活動が出来るのは、東アジアの企業の中でもペキンの中央政府に近い企業ばかりである。苦労してトウキョウに進出しても、なかなか上手く行かないのが実情のようだ。

「我々としても迷惑しています」

 担当者は苦笑いとともに言った。ペキンの中央政府が直接統治するといっても、高級幹部がペキンから派遣されてくるだけであって、実際の行政事務を行うのは彼らのような人である。特別行政区の幹部に対して忠誠心を持っているわけでも、駐留する東アジア軍を歓迎しているわけでもない。

 メンタリティとしては日本自治政府と同様に、中央政府による直接統治という方法に反発心を抱いているだろう。

「今日、提案させていただくのは・・・」

 タルハがパンフレットを開いて商品の説明を開始する。従来の建設重機には無い汎用性を有した多脚多腕型作業機械。専用のオペレーションシステムを搭載し、作業に応じてインストールされているアプリケーションソフトを選択するだけで、様々な用途に使用が出来る。作業用の腕部の取替えも、機械自身のマニュピレーターによって可能であるため、大幅な省力化がなされていた。

 東アジアの中央政府とは何の関連もない会社だからこそ、商品の魅力を丁寧に説明すれば好印象を与えられるはず。日本自治区では既に自治政府による認証を得るための段階に入っており、その辺りの実績もしっかりとPRしておいた。




 次回は、火曜日を予定しています。

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