歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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第五話  SEED/エヴィデンス

 広い窓から見える山々には少し霞がかかっているが、穏やかな日差しは建物の中にも届いている。白を基調としたシンプルな内装のカフェスペースには、昔の流行歌がBGMとして流されていた。青年が一人、それに合わせて微かにリズムを取っている。

 あどけなさの残る顔だが、それ以外にはこれといった特徴の無い普通の顔。ただ、深く吸い込まれそうな目の色だけが印象的だ。

 それを遠目に眺める男の顔はすぐれない。時々、道を間違えたのではないかと思ってしまう。少なくとも、今の研究課題は自分の理解の範疇を超えていると男は感じているのだ。

「チン博士、どうなさいました」

 同じように白衣を着た若い男が快活な声を響かせる。ミツネ・ササ、現在行われているもう一つの研究の責任者だ。オーブから難民としてプラントへ行き、ザフトの開発部門に在籍していたが、クライン派失脚のあおりで地球に逃れてきたという話だった。軽食の乗せられたトレイをテーブルに置き、向かい側の椅子に座る。

 二人の研究はともにSEEDに関連するものであった。その発現に関する研究と、発現によって生じる現象に関する研究である。後者の研究を行っているのがミツネであり、それは実用ともいえる段階に入っていた。滔々と自説を述べているのは、その自信からであろう。

 だが実用といっても兵器への転用であり、その原理については未だに不明な点の方が多い。チン・ヤンチャンはそれを指摘しておいた。

「もちろんです。ですが、使えるとアピールしなくては資金も何も手に入らない」

 そしてミツネは、早く研究成果の開示を行えば良いとヤンチャンに勧めた。彼の研究も、既にある程度の結果は出ているのだ。それには返事をせずに、BGMに耳を済ませている青年へと視線を向ける。

 SEED、「超進化的要素を定められた個体」。この概念が登場したのがいつごろであり、また何者が提唱したのかは諸説ある。もともとは、プラント系の新興宗教に関連する人間が言い出したという説が有力であるが、少なくとも前大戦時には既に存在していた言葉である。ただ、もともとが学術用語で無いだけに、それについて研究を行う者は皆無であった。

 そんな言葉がクローズアップされたのは、レクイエム戦役におけるフリーダムの異常な戦闘能力であった。機体性能をカタログ上で評価すれば、フリーダムとザフトの制式機であったザクとの性能差は、いかに核動力を用いていたとしても、1対0.1を下回るはずがないとされている。だが実際には、フリーダムはただの一機でザフトの宇宙要塞を破壊した。

 戦後、ザフト、連合ともに、フリーダムの異常な性能を新兵器へとフィードバックさせるために研究を進める事となった。だがその研究は、フリーダムのパイロットがメンデルで作られた最高のコーディネーターである事が判明して以来、下火となる。あれを兵器として使用するには、コストもリスクも大きくなりすぎるという判断であろう。

 だが一部の研究者は、異常な性能を発揮したMSの中に、通常のコーディネーターやナチュラルが搭乗していたものがある事を突き止めていた。そこにSEEDという言葉が当てはめられる事となる。

 現在その言葉は、「超進化的要素を定められた個体」という意味で使用される事は無い。特殊な条件下で人間の脳組織・神経組織が一時的に特異な活性化を見せる現象、といった程度の意味で用いられている。

 チン・ヤンチャンは、SEEDを発現させるための条件らしきものを一つ発見していた。彼の視線の先で、青年はずっとBGMのリズムに乗っている。

 

 

 

 

 

 役所の縄張り意識は、役所の内部に留まるものではない。その関連する業界も、役所の縄張りに従って、線が引かれてしまうのだ。その線を跨ごうとする者は、理屈よりも先に警戒されるのが常である。それを避けるためには、その線を跨がないように注意するか、常にその線を無視して移動するかである。シュウ・サクラは、後者の人間であった。

 日本人特別居留区との境である国道14号線以北の隅田川と荒川の川沿いには、一般住民はほとんど住んでいない。だが決して寂れてはいないのだ。濁ったような賑わいがそこにはある。

「にいさん、勘弁してくれよ」

 立ち飲み屋で隣り合った男にそう言われた。シュウは缶詰のサンマを口に運びながら、笑っていない目を男に向ける。カップ酒をもう一つ注文し、男に勧めた。渋々それを受け取った男が、周りを気にするように口を開く。

 もともと彼のいる警備部は、一般的な捜査活動をする部署ではない。だが対テロ作戦の前線に立つ者としては、独自の情報を持っていた方が安心できるのだ。彼が今いる浅草界隈は、テロ支援組織の中枢であった。

 テロ支援組織といっても、特別居留区に住んでいるのは日本人であり、日本軍とは無関係な一般住民も多い。特別行政区の政策によって、生活必需品の輸送まで厳しく制限されている特別居留区にとって、これら支援組織が運び込む物資が生活を支えているのだ。

 幅にして百メートルほどの川である。夜の闇に紛れて小さなボートで食べ物や衣類を運ぶのを全て摘発できるわけも無い。

「お仕事、ご苦労様です」

 その声にシュウが振り返ると、立ち飲み屋には似合わないスーツの男が丁寧にお辞儀をしている。その温和な微笑みは、慇懃無礼という言葉がぴったりだと思う。カップ酒をおごった男はいつの間にか逃げていた。シュウは残った酒をあおる。

「セレブに用はねぇよ。それより親分に挨拶したいんだが」

「親父も忙しくてね。ま、立ち話も何です、別の店に行きましょう」

 スーツの男は、表に止められていた車に乗り込む。取り巻きの連中に促され、シュウも車に乗った。男は指定暴力団・菱丘組の最大会派である凌雲会副会頭、コウキ・ヨシオカである。

 テロ支援組織と言えば大事であるが、ようはマフィア組織が特別居留区との密貿易を取り仕切っているのだ。特別行政区にも食い込む彼らの政治力が、それを可能としている。

「親父も耄碌してね。ヤクザが天下国家を語り出したら終わりだよ」

「語らんと、生きていけなくなるぞ」

 コウキが嫌な顔をする。シュウは自分の持つ情報をいくつか提供した。どれも断片で、使い道の分からないものばかりなのだ。コウキが示した情報もまた、断片ばかりであった。南千住をうろつく見慣れないコーディネーター二人組の話、タマユラ地区の警備保障会社にオーブの元公安警察官が着任したという噂、そして善隣幇の活動活発化。

 二人はしばし顔を見合わせる。どうやら、トウキョウ特別行政区を舞台にしたゲームは、かなりの数のプレイヤーを抱えているらしい。

 

 

 

 

 

 もとは高級住宅街だったそうだが、特別行政区の発足に伴って住民の数が増えているそうだ。身分証確認ゲートによる移動の不便さやテロ事件の発生を嫌って、都心部から引っ越してくる人が多いのだという。そのせいか、住民同士の交流が減って防犯にも悪影響があると家政婦の女性はこぼしていた。

 ルーイはブンジ・タチバナの邸宅に足しげく通っていた。老人のどこまで本当か分からない武勇伝を聞きとめ、骨董品の自慢に耳を傾ける。取材自体が目的で通っているわけでは無いので、それで十分だった。

 タチバナ邸にはいつも来客があった。ルーイより先に来ている客がいないことが無く、ルーイより後に来る客が絶える日は無い。そしてどの客も、ルーイよりはるかに身なりのいい人達である。

「長生きすると人付き合いも増えてな・・・ヨシエさんや、昨日先生が持ってきてくれたお菓子、アレ出しなさい」

 応接間に現れたブンジが、家政婦の女性にそう言いつけて向かいの椅子に座る。手にしていた掛け軸の説明を始めたブンジの話を聞く振りをしながら、庭の緑を眺めていた。だから話題が変わったことに気付けなかったのだ。

 普通なら、そういう話題になりそうな時は、機先を制して別の話題に持っていくのだが、骨董自慢からユーラシアの政治情勢に話が変わるとは予想外だったのだ。ルーイは時間を稼ぐように出された菓子に手を付ける。

「いや、彼女の政策は間違っておらんよ。確かに現実主義が過ぎるきらいはあるが、極めて真っ当だ。そして周りの国が嫌がる事をよく分かっている」

 現在ユーラシア連邦の首相を務めるのは、ルーイの母親であった。もっとも、実の親ではなく養母である。おおっぴらに言いふらしているわけではないが、隠していた訳でもない。どこからかそういった話を聞いて話題にしたのだろう、ルーイは曖昧に笑っておく。

 尊敬もしているし、愛してもいる。だが、それでもなお複雑な感情を抱かざるを得ない親なのだ。自分の出自や養子という事とは無関係に、彼女らの生き方に、疑念のようなものを感じている。

 だからブンジが言った、いつか政界への転身を考えているのかという問いには、即座に否定を返しておいた。ユーラシアの政治事情や外交的思惑など、ルーイには無関係な話であるし、そういう話題を求められても困るだけですと言う。

 ブンジは気に留めた風も無く、話題を変えた。次に彼が取り出したのはサイン付きの音楽ディスク。オオサカで行われた、ポップスハーモナイズサマーライブの限定ディスクであった。彼は掛け軸の時よりも熱心に、その限定ディスクの素晴らしさを力説する。

 

 

 

 

 

 日本人特別居留区への物資は正規の配給品か人道援助物資でない限り、マフィアによるものである。そしてそれは生活関連物資ばかりではない。流石に火薬や武器などをそのままの形で流す事は少ないが、日本軍の活動資源となっている事は確かである。

 特別居留区の人々は、日本自治区の各地に散らばっている親類縁者からの送金やシンパによる寄付金などを原資として物資の購入資金としている。そして、日本軍の資金源は覚醒剤であった。

 特別行政区側から原料を仕入れ、それを化学処理して覚醒剤にするのだ。現在主流となっている覚醒剤は、特殊な薬品を使用するものの化学処理工程そのものは簡便なため、特別居留地内部でも作成が可能なのだ。それらは再びマフィアの手によって、東アジア各地へと流通させられる。

「そんなもんを首都のど真ん中に存在させ続けてるってのがね・・・」

 エリックはパック牛乳のストローを咥えながら言った。実際、テロ組織と言っても大戦中はほとんど活動実態が無く、特別行政区としてもマフィアの一組織程度の認識しかなかったというのが実情らしい。それだけに、爆破事件をはじめとするテロ活動を活発化させている近年の状況に、神経を尖らせているのだ。

 確かに、このような東アジアの内部情勢は調査すべきものであるし、マフィアなどそのままアングラの組織である。こういった連中の根っこがアキキバラのジャンク屋残党に繋がっている可能性はあった。

 だがザフトの提携相手としてマフィアやテロ組織が相応しいかどうかは別の話だ。リスクは大きく見返りは少ないのでは無いだろうか。だが、キリルはやけに熱心に調査を進めていた。

 広大な貨物駅を横目に見ながら駅前へと足を進める。先を歩くキリルの背中を見ながら、堅物の彼にしては珍しい事だとエリックは思う。

「何だ?」

 その視線に気付いたようにキリルが振り向いた。エリックは何も答えずに、帰りの時間を確認しておく。夕闇が迫り、駅前はようやく賑やかになりだした。飲食店と風俗店でほとんどを占める駅前である。昼間に空いている店などほとんど無い。

 客は東アジア軍の人間が多いようなのだが、いわゆる将校の姿はほとんど無く、下士官以下の者で占められている。あとは、この近辺を根城にしているマフィア組織の人間とその取り巻きといったところだろう。ガラの悪さで言えば、甲乙付けがたい連中であった。

 ナチュラル相手に喧嘩で負けるつもりは無いが、そういう事の苦手なエリックとしては面倒に巻き込まれない事を願うだけだ。もっとも、キリルが同じ思いかどうかは知らない。きっと、真っ先に行うべきは彼が酔客を叩きのめす前にそれを止めることだろう。

 早くも路上に客引きが立ち始めている。だがキリルに対して、「たまにはおネエちゃんと一緒に飲まねぇ?」と言ってみようとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 出張というのが嘘だというのは、宿泊場所に指定されたのがホテルではなく短期入所者用のマンションだった時点で分かっていた。だが、それも悪くないと思い始めたのは、ここにいる限り残業やのべつまくなしにかかってくる取り引き先からの電話から逃れられるからだ。

 創業者である社長に誘われ夫婦そろって入社したはいいが、ろくに新婚気分すら味わえない生活が続き、幾度かその結婚生活に危機も訪れていた。だから、このトウキョウ出張は渡りに船のようなタイミングだった。1LDKの部屋に、夕飯の支度をする音が響く。

「お帰り、ダーリン」

「ただいま」

 フライパンを握る妻と軽くキスを交わし、夫はシャワールームに向う。妻の方は用件が先に済んだために、一足早く戻ってきて食事の支度をしていたのだ。まだ日の沈まないうちにシャワーを浴び、妻の手料理をつまみにビールを飲む。夫の目頭には熱いものがこみ上げる。

 これが人間らしい生活というものだろう。夫婦はともにコーディネーターであるが、この出張中に子供が出来ても何ら不思議は無いと思っていた。

「あ、社長からファックス。報告書遅いって」

「この前のじゃダメってか・・・」

 食事をしながらお互いの仕事の経過を報告しあう。何はともあれ、彼らは社会人なのだ。地球における自社製品の販路拡大が今回の出張の目的であるが、単なるセールスで地球に降りてきたのではない。他社製品の調査や地球の情勢分析、市場のリサーチなどやる事は多岐に及んでいる。

 MS技術の遅れていた東アジアが、MS技術から転用した作業用汎用機械の有望な市場だという事に間違いはない。しかし、問題は政治であった。経済の中心となっているシャンハイや、マスドライバーの本格始動に向けて動いているカオシュンなど、南の方は安定しているのだが、北の方はゴタついている印象だ。

 日本自治区もその影響を受けている。ペキンの中央政府が統括するトウキョウ特別行政区とシャンハイとの繋がりが強い日本自治政府の間には、隙間風のようなものが吹いていた。

 それが何をもたらすのかは、誰にも分からない。だが、その隙間風は突如突風になるかもしれないのだ。

「オーブも政府としてはこの地区をいつまでも租借地とし続けるつもりは無いのでしょう。ですが、ここに出資しているのは政府だけではない」

 今日会った警備保障会社の人がそう話していたのを思い出す。単に東アジア内部に留まる話では無いようなのだ。民生品の売り込みは、日本自治区情勢が沈静化してからでなくては不可能との報告が必要かもしれない。

 プロモーション用に本社から回されて来た機械がコウベに到着したという報告があった。日本自治政府へのPR活動は、オオサカに滞在している社員がやる事になっているので、特に関係はなさそうだ。

 グラスに残ったビールを喉に流し込む。後片付けは夫が引き受ける事になった。

 

 

 

 

 

 特別行政区に駐留する東アジア軍の増派が決定された。既に先遣部隊がヨコタに到着し、東シナ海方面に配備されていたMS空母も二隻、東京湾に向っている。房総半島の一件は衝撃だったのだろう。ヨコスカの大西洋軍を刺激する事になるだろうが、致し方ない。

 問題は、自分の部署が要請しておいた増員の要求が不十分にしか通らなかった事である。軍のプレゼンスだけで事態が好転するとでも思っているのだろうか。

 そもそも房総半島の事件は、東アジア軍の存在そのものが、治安に対して張子の虎以下の効果しか持っていないから起きたのである。数を増やしたところでそれが改善するはずも無い。ましてや、下手なデモンストレーションは敵を無用に刺激し事態を悪化させかねない。

 書いても無駄と分かりつつ書かずにはいられない報告書を送信し、ユ・ケディンは眼鏡を拭いた。報告書の文面を整えると、今日の論説記事としてデスクに提出する。どうせこっちもボツだ。

 久しぶりに顔を出した報央社のトウキョウ支社にもめぼしい情報は入っておらず、無駄な一仕事をさせられただけであった。報央社は世界各地に支社を持つ東アジアの報道機関であるが、それが軍諜報機関の隠れ蓑だというのは、その筋では公然の秘密のようなものだ。ケディンは部下と連絡を取り社を出る。

 彼は自分のポジションに限界を感じていた。他にも複数の諜報機関が活動しているのだが、他のセクションとは情報共有すらまともに出来ていない。事態はそんな縄張り争いを許すほど余裕があるわけではないにも関わらずだ。

 謎のMSに関して、いくつか有力な手がかりらしきものを見つけてはいるのだが、その繋がっている先は、軍の諜報機関が単独で動けるようなものではない。東アジアにかつて存在した特殊部隊や、アングラの団体、そして海外の企業の影すらチラつく。ミラージュコロイド搭載の空中砲台まで運用するとなると、根拠地は特別行政区の外側だろう。

「この上、まだ悪い報せか?」

 落ち合った先で部下に愚痴る。恐縮しながら簡単なレポートを差し出した部下に、ケディンはため息しかつけなかった。日本人特別居留区に対する、大掛かりな軍事行動が計画されているようだ。以前、アンノウンの介入で失敗したテロリスト掃討作戦よりも徹底的な作戦である。

 空爆ではなく明確な対地攻撃と20機以上のMSによる降下作戦。テロリストと一般市民の区別を付ける気は全く無くなっている。単に、特別居留区の日本軍を壊滅させるだけではなく、特別行政区いや日本自治区の全ての市民に対する示威行動と言えるだろう。さらにそれは、ユーラシアや大西洋同様に、再・再構築を検討しだしたシャンハイに対するペキンの回答だといえた。

 反発も覚悟の上ではない。反発すれば同様に軍の標的にするぞという脅しなのだ。下手な事この上ないデモンストレーションだった。

 諜報部局には、作戦と同時に特別行政区内の反東アジア活動家の拘束が命じられる事になっているようだ。報央社には、作戦に関する全ての報道の統制が命じられるはずだ。ケディンはコーヒーでなく紅茶を頼めばよかったと思う。イラつく頭にコーヒーは逆効果だ。

 東アジアを分割させない。その最終的な目的は正しいが、そのための手段が下手すぎる。だが、走り出した軍が作戦を変更する事は無い。ならばその下手なやり方をどこまで誤魔化せるかだ。ケディンはメガネをはずして鼻筋を押さえた。

 

 

 

 

 

 朝早くから、都会は人が動き回っている。身分証確認ゲートが、通勤ラッシュ緩和のためのモードに切り替わる前に移動したいと考える人も多いそうだ。時差出勤を強制する仕組みがある事で、人々の動きは自然とそれに対応したものになっていくようだ。

 ルーイ達の今日の取材先は大洋州に本拠を置く慈善団体だった。場所が荒川の東側なので、行くのに不便な場所であった。朝早くに出たのはそのためである。

 日本人特別居留区を横切る形で通っている路線は全て封鎖されているため、かなり遠回りをしないと目的地に到着しないのだ。つくづく不便な都市であった。そこまでしてもなお、固執するだけの意味があるのであろうか。窓から延々と都市の見える風景を見つめた。

「ようこそいらっしゃいました」

 町中の平屋の建物がその団体のトウキョウ支部であった。立派なNGO団体を予想していたルーイとしては、拍子抜けする感じである。だがその団体の代表者は、予想通りの人物であった。大洋州の本部はスタッフに任せ、ここで陣頭指揮を取っているのだそうだ。

 凛とした姿勢の女性は、優雅な物腰で椅子を勧めると自らティーカップを取り出し紅茶を淹れる。たくさんの職員を雇う余裕はありませんからと笑って、カップを配った。

 この団体を取材の対象に選んだのは、特別居留区への人道援助を継続的に行っているほぼ唯一の組織だったからだ。人道援助とはいえ、特別居留区への援助は簡単なことではないはずだ。そう問いかけるヨシトに代表の女性は、だから職員を雇う余裕が無いと言って笑った。

「ありていに言えば、金ですか?」

「大きな声では言えないですけど」

 特別行政区のトップが気に留めない規模の援助を、現地の行政関係者に便宜を図ってもらうという形で行っているのだ。限りなく黒に近い合法だと女性は言う。行政だけではなく、様々な関係者がそこに介在しているので、困難も多いようだ。

 特別居留区との間で密輸まがいの事を行っているマフィアとの折衝なども、この女性が行っているのであろうか。清楚だが地味なたたずまいからは、少し想像し難いような気がした。だが彼女を呼びに来た男性の姿に、少し納得を覚える。

 スーツの上にエプロンという妙な格好をした男性だが、屈強な体つきと精悍な顔つきはマフィア相手でも大丈夫だと思わせる。

 御覧になっていきますかと、女性は施設を案内してくれる。建物は孤児院なのだ。裏には小さいながら、芝生の院庭があり、子供たちがめいめいに遊んでいた。その相手をしているのが、これまた屈強な男達であった。子供達が代表の女性を見つけて駆け寄ってくる。

「お嬢! あのね・・・」

「こら坊主、お嬢じゃない。ちゃんと院長先生と呼ばねぇか」

「あなた達が私の事をいつまでもそう呼ぶから、子供達が真似するのです」

「ですが、お嬢・・・いや、院長・・・」

 女性は子供達の話の全てに耳を傾け、言葉を掛けていく。その様子を見ればこの団体が、少なくとも子供達にとってはまともな団体だろうという事が感じられた。

 軍の攻撃で親を失った特別居留区の子供や、テロで被害を受けた家庭の子供などを、現時点で14名受け入れているという。代表の女性は、施設規模などを考えるとそれが限界である言った上で、何人受け入れようと焼け石に水だと言った。熱心にメモを取っているヨシトの横で、ルーイは別の方向を見つめている。

 建物の中で、女の子達に囲まれてピアノを弾いている女性。美しい褐色の横顔に、ルーイは見とれるように視線を注いでいた。開け放たれた窓から聞こえるのは、彼女の国の言葉なのだろうか、歌詞は分からないが少し物悲しいピアノの旋律と歌声だった。

 彼の視線に気付いたのか、横にいた子供が教えてくれる。院長先生のお手伝いに来てくれるアメリ先生だと。

 

 

 

 

 

 噂という物は、正確な情報がなければそれだけ手に負えなくなるものである。だが情報を持つ物は、それが分かっていてなお正確な情報を出したがらない。特別行政区駐留の東アジア軍内はまさにそういった状態であった。兵士達の間で飛び交う二つの噂、幽霊MSと怪物兵士の話はもはや尾ひれが付き過ぎて訳が分からなくなっている。

 房総半島で起こった襲撃事件は、厳しい緘口令が敷かれたにもかかわらず、謎のMSの存在が知れ渡っていた。これに加えて、爆弾テロの犯人を追跡していた特殊部隊が返り討ちに遭ったという話も広まっていた。

 どちらも人知を超えた力を使い、遭遇した者は誰一人生きて帰っていないという事になっている。ヒューはその噂に苦笑した。堀切でアンノウンに遭遇した彼は、こうして生きているのだ。

 だが、人知を超えた力というのはあながち間違っていないと思う。少なくとも、あのMSが使用した兵器は未だに分かっていない。

「映像データだけじゃ、なんとも言えんわな・・・」

 ヒューがもたらした戦闘記録のコピーは、ヨコスカから大西洋の本国に送られているはずだが、どのような分析結果が出たかは伝えられていない。彼としても、他に色々な案件を抱えてしまい、その事だけに関わっている余裕も無かった。

 もともとMSの運用に関するノウハウが不足している東アジア軍は、その技術を持った人間を積極的に登用している。ヒューもそれを利用して、大西洋軍所属という経歴を偽って潜入していた。相変わらずな仕事をしている自分に、暗澹たる思いを抱く事もあるが、どうしようもなかった。

 当初は東アジア軍のMS運用能力に関する情報の収集が目的だったのだが、トウキョウ特別行政区に関わる情勢が変化した事に伴い、それに関する広範な情報収集に任務が変化していた。駐留東アジア軍の増派に関する情報は既に伝えてあるが、肝心の本国の方針が定まっていない。

 再・再構築が検討され、地球連合という枠組みが変化していく可能性を秘めた中、東アジアの島国にどのような政治・経済・軍事における価値が存在するのか。それが見極められないといった所であろう。ユーラシアが北海道の返還に動いている事も、この列島に関する国際的な意味合いが変わりつつあることの証明である。

 現場でそれを考えても意味は無いが、ともかく上がしっかりしてくれなければ現場で危ない橋を渡っている方が困ってしまう。

「ジョン・マグナルド大尉、司令がお呼びです」

 食堂の椅子から立ち上がったヒューは大きく背伸びをする。軍内で外人部隊と呼ばれる外国から登用されたMSパイロットで、謎のMSに対応する部隊を創設する話が出ていた。今日はそのための準備会合である。あんな化け物をまた対峙しなければならないということに、うんざりとしたため息をついた。

 そして、その手の化け物にどうやら縁のあるような自分の運命を呪った。彼はあのMSをフリーダムと勝手に命名している。

 

 

 

 

 

 アッザムの鎮座する地下施設は、MSの整備も行われていた。だがカスタマイズされた二機のウィンダムⅡは、簡単な検査が行われているだけである。随伴機として用意されたのだが、今のところ使う場面が無かった。

 整備を受けているのは、俗にガンダム顔と呼ばれている頭部をしたMS。ここではエヴィデンスと呼ばれているMSだ。作業着の整備員に混じって白衣姿の人間がいるのは、このMSが極めて実験的な装備を搭載しているからである。研究途上の装備であるが、その成果は順調に出ていた。

 油で汚れた白衣をゴミ箱に捨て、ミツネ・ササは施設内部に戻った。あとは部下に任せても構わない部分だ。

「お疲れ様です、チン博士」

 MS整備の様子を見ていたのであろうチン・ヤンチャンの姿を認めて、彼はそう声を掛けた。ヤンチャンは黙って会釈だけをする。そんな彼の姿を、ミツネは不思議なものだと思った。

 科学者らしくないというか、何か屈折したものを抱えている感じなのだ。ヤンチャンの業績は、確かに一般の学術論文としては発表しにくいものが多いが、どれも一流のものばかりである。おそらくプラントであっても、彼ほど総合的に人間の能力に関する知識を有している者はいないのでは無いだろうか。

 前大戦時から蓄積された豊富なデータは、人としての限界がどこにあるのかを知らしめようとしている。コーディネーターが目指す新たな人類を定義できるのは、きっと彼に違いない。

 だがヤンチャンはそんな自分の業績を誇る事をしない。むしろ自分の研究に恐怖のようなものを感じているのではないかと思わせる節があった。

「博士は、エヴィデンスについてどう思われます?」

「成果は、順調に・・・」

「いえ、あのクジラの事です」

 ジョージ・グレンが木星圏から持ち帰ったといわれる、宇宙生物の化石。未だにその真偽が議論されたりもするが、そのエヴィデンス01と呼ばれる物がかつて宇宙に存在した事は疑うべくも無いというのが通説であった。

 その姿から羽クジラなどと呼ばれたりするその存在について、唐突に問われた事をヤンチャンはいぶかしむ。

「宇宙空間で羽やヒレに意味はありません。ですが、あれがコンバーターと同様のものであれば・・・」

 ミツネは言う。自分が手に入れようとしている技術とは、人がそのフロンティアをさらに広げていくためのものではないのかと。そしてヤンチャンの研究とは、全ての人間がその技術にアクセスするためのものでは無いのかと。

 力強くそう言うミツネにヤンチャンは曖昧な笑みを返した。確かにここには潤沢な資金と十分な施設があるだろう。だが、そんな環境を渡り歩いてきたヤンチャンに、ミツネの力強さは無かった。

 ただミツネのような意欲と能力が、こんな場所でくすぶる事は不幸だとヤンチャンは思う。




 次回は、金曜日に投稿します。

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