歌と爆弾 ~コズミック・イラ 東京異聞~   作:VSBR

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(今回は、少し長めです)


第二十一話 幕引き

 日が暮れた街は一気に暗くなる。街灯や信号機が軒並み壊されているからか、そもそも電力供給に支障を来たしているからかはよく分からないが、トウキョウの街は真っ暗であった。もし明るい場所があるのであれば、それは火事の現場である。消火作業に当たる人間が、今のトウキョウにどれほどいるのだろうか。

 数台のオートバイが、ブレーキの音もけたたましく停車する。ヘルメットを取った女性の顔を見て、敷地の入り口を守っていた男達が深く頭を下げて、その女性を迎え入れた。

「お嬢、ご苦労様です」

「院長です。それより子供達は?」

 代々木の爆発事件から始まった大規模な暴動が、荒川を越えて孤児院の周辺にまで波及するのに、それほどの時間は掛からなかった。ここに被害が及ばなかったのは、院の職員が中心となって周辺住民と共に暴徒が住宅街に入り込むのを防いだからだ。

 暴動は、都心部だけではなく郊外の広い範囲にまで及んでおり、一部では商店に対する略奪や住宅街での大規模な窃盗事件なども発生しているようである。ナタリアは強面の職員達の姿に、心底感謝した。

 子供達は早くに寝かしつけているため、院はひっそりと静まり返っていた。日本人特別居留区から戻った者達も、物音を立てないように気を配りながら建物の中に入る。女性職員がシャワーを勧めてくれるが、疲れた体にはそれも億劫であった。着替えだけしてソファーに体を沈める。

 都心部の状況を探りに行った職員からの情報によれば、想像以上に酷い状態であるらしい事は分かった。日本人特別居留区への攻撃が失敗に終わった時から、ヨコタを始めとする区内の基地で、暴動や大規模テロに対する警戒はしていたらしい。そのため軍部隊の区内展開が早く、あちこちで市民との衝突が発生したようなのだ。

 市民に対する無差別の発砲も許可されていたらしく、犠牲者の数はさらに想像以上だろう。偵察に行ったまま戻ってこない職員もいるのだ。

「とりあえずは・・・」

 大洋州にある本部と連絡を取って、情勢が落ち着き次第援助活動が開始できる態勢を整えておかなくてはならない。日本人特別居留区の状況は何ら改善をしていないが、一部を特別行政区での救助活動に振り向けなくてはならなくなるだろう。

 やらねばならない細かな事が、次から次へと浮かんできて考えが一向にまとまらない。眠ってしまえれば楽なのだが、今はそうも言っていられないだろう。部屋のドアの開く音に、ナタリアはさっと振り向く。

 引き摺るように毛布を持っている子供が、驚いたように立っていた。

「サチ・・・起きていたの?」

「・・・ママ、これ」

 ナタリアは気が付いた。彼女は毛布を持って来たサチを手招きし、ソファーの上で彼の体ごと毛布で包まった。自分がこの子の事を心配しているように、この子も自分の事を心配しているのだ。ならば、やらねばならない事は一つしかない。

 眠いのを我慢してずっと起きていたのだろう。ナタリアの胸の上で、サチはもう寝息を立てていた。彼をそっと抱き締めながら、ナタリアは眠る事にする。

 

 

 

 

 

 夜になってからが勝負だと、警備保障会社の顧問は言っていた。暗視スコープで外を見張っていた男が合図を出す。敵が動き出したようだ。通信機からは、港の方で集会を行っていた市民の一部が騒ぎ始めたと伝えている。

「下手な陽動だな」

 タルハ・アンワール・ガニーが、機械の最終調整を行いながら呆れたように言った。肩をすくめるだけのユンディ・ミナカミは黙々とキーボードを叩いている。

 特別行政区で騒乱が起こると、タマユラ地区は特別行政区との間にかかる橋とトンネルの全てを封鎖した。特別行政区から避難してくる人を受け入れるべきかどうかで揉めたらしいが、一切の例外を認めずに封鎖したようだ。それと同時に、タマユラ地区で行われていた全てのイベントを強制的に終了させ、一般市民には外出の自粛を呼びかけたのだ。

 混乱なくいったわけではないが、とにかくトウキョウで起こっているような大規模な騒乱は発生を抑える事ができていた。タマユラ地区の行政担当者や警備保障会社は、こういった事態を想定し、対応策を用意していのだろう。

 あとは、一部強硬派の暴発を食い止めるだけである。オーブは租借地となっているタマユラ地区を、期限通りに今年で返還する予定であり、既得権益の維持を狙う連中に余計な事をされては迷惑なのだ。富裕層や企業家の租税回避、アングラ勢力のマネーロンダリングなど、この土地はオーブ政府にとっても頭痛の種なのである。

「完了・・・あとは、ちゃんと動いてくれるだけでいいわ」

 ユンディはそう言って、外の様子が映し出された映像を見る。日本人特別居留区とタマユラ地区を隔てる分離壁、その一角に大型のトレーラーが何台も停車していた。コンテナが開かれると、中から六本の脚で歩く機械が現れる。シュバルベ工業製の多脚多腕型作業重機。それが建設重機として使われていないのは、その手に装備されている物を見れば分かる。どれも、軍用の兵器が搭載されているのだ。

 モニターを見ていた男性が舌打ちをした。どの武器もザフト製らしく、武器の出所をたどってもせいぜいジャンク屋くらいまでしかたどり着けないだろう。黒幕連中に突きつける証拠にはなりそうに無い。

 その武器で分離壁を破壊し、日本人特別居留区の被災者を難民としてタマユラ地区に大量流入させるのが、彼らの狙いであった。人道的危機を理由とすれば、オーブ政府も動かざるを得なくなるという考えである。

 そして難民保護を名目としてタマユラ地区の租借期限を延長させる。トウキョウでの騒乱の後であれば、東アジア中央政府も日本自治政府も文句を言えないはずだった。

「そんな事になる前に・・・」

「何とかしましょう」

 二人が合図を出して機械を起動させる。量子ウィルス送信装置、無線でコンピューターウィルスを侵入させる機械であり、そのウィルスはプログラムそのものを書き換えるほどに強力なものである。

 不安点はその送信精度の低さであったが、そこはどうやらクリアーできたようだ。モニターに映る機械が一斉にその動きを止め、運転席から出てきたオペレーターが慌てた様子で点検を始めていた。付近に隠れていた警備保障会社の社員が一斉に飛び出し、犯人達を検挙していく。

 ユンディとタルハは軽い抱擁を交わした。自社製品の不正使用を防ぐ、それが今の二人にできる精一杯の事だった。

 

 

 

 

 

 見覚えのある機体、そして覚えのあるシチュエーションだ。エヴィデンスが放つ斥力をかわす動き、間違いなくあの時のパイロットだ。ハニス・アマカシは、画像検索システムの追尾機能がきちんと稼動している事を確認して、ペダルを踏み込んだ。深く透き通った瞳が、真っ直ぐに敵を見据えている。

 すっかり暗くなった空に、暗緑色のMSは溶け込むようであった。モニターは夜間用の映像へと切り替わっているが、ハニスは警戒する。照明弾やフラッシュなどの目くらましを行うには絶好のシチュエーションだ。敵MSから撃ち込まれるビームを全て上空へと弾く。地上には彼の歌姫がいるのだ。

 エヴィデンスの周囲を旋回するようにこちらを窺う敵の出方を、ハニスはじっくりと見極める。敵がバッテリー機である以上、長時間の戦闘は不可能なのだ。必ず先に動いてくる。

「来いよ・・・へっぽこナイト」

 あの声の価値など分かりようの無い男に、歌姫を引き渡す事など出来るはずが無い。あの声は人類全ての者に進化の福音を告げるものであり、一人の男に愛をささやくためのものではないのだ。牽制の斥力を発生させると、敵はそれに応じるかのように動いた。

 真横から突っ込んでくる敵MSの方を向く事もしない。ビームライフルの攻撃を真っ直ぐ弾き返し、突進コースを遮る。敵の回避コースを潰すように斥力を連射し、そのうちの一つが敵のシールドを捉えた。

 アルミ箔でも破るかのように簡単に引き裂かれたシールドは既に放棄された物であり、エヴィデンスの眼前にはビームサーベルを振りかぶる敵の姿があった。振り下ろされたビームサーベルは、文字通りに折れ曲がった。

 それでも敵は怯まない。そうなる事を予想していたような自然な動きで、腕部に装備された機関砲を乱射する。至近距離から撃ち込まれる砲弾は、全て空中で静止し空き缶のように潰れていく。エヴィデンスは腕を振りかぶった。

「ぬぁっ!!」

 ハニスは思わず目をつぶる。機関砲弾の中に含まれていた曳光弾が弾け、モニターが一瞬だけ白くなる。作戦か偶然かを問うより先に、ハニスは周囲に展開している斥力の出力を上げた。MSごと吹き飛ばすつもりだ。

 回復したモニターに敵の姿は映っていない。それどころか、あの女の画像を追尾していたモニターも、今の光で目標を見失っていた。舌打ちしたハニスは怒りを込めて、エヴィデンスの腕を体ごと背後に向けて振るった。敵MSが構えていたビームライフルが捻じ曲がって爆発する。

 

「もう少し・・・」

 キリルの目が一瞬だけ地上の映像へと向う。マリアの無事と、彼女が逃げる方向だけは確認できた。今は、目の前のMSをその場から少しでも遠ざけるだけだ。

 幸いにも、トウキョウの騒乱は市ヶ谷に収斂しつつある。彼女の逃げた方向はそれとは逆方向。安全とは言わないが、今はガルバルディで助けに行く事の出来る状況では無い。目の前の敵を排除しなければならないのだ。このMSは確実に彼女を狙っている。

 ガルバルディにビームサーベルを握らせ、宙に浮かぶ敵の周囲を旋回する。前回は、敵が突然動きを悪くしたため辛くも撤退に追い込めた。しかし、そんな幸運が二度起きるとは思っていない。ならば、どうするか。キリルはレバーを押し込んだ。

 加速度を全身で感じながら敵の動きに集中する。謎の力が発生する部位は腕と翼。その内、翼は空中に浮かぶためにも使われているのだろう、攻撃への転用は少ない。それらの動きを見て機体を左右に振る。当たれば一発でアウトだが、回避に専念すれば凌ぐ事も可能だ。

「でも、それじゃ・・・!!」

 意味が無いとビームサーベルを振り下ろす。相変わらず情けない形に曲がるビームサーベルに、キリルは歯噛みする。ならばと、左腕の機関砲の砲口を敵の装甲へと密着させた。

 暴発覚悟で放った砲弾は、ガルバルディの左腕部のみを破壊する。おそらくビームサーベルでやっても同じ事だ。あの斥力は装甲表面を覆うようにも展開されているのだろう。バランスを崩したガルバルディは、そのまま左腕全体を捻じ切られる。辛うじて距離を取って機関砲を乱射した。

 先ほどの事を警戒したのか、敵の追撃が緩い。だがラッキーパンチの効果も、敵を仕留める事には役に立ちそうに無い。自分の焦りが反映されているのか、敵の動きに余裕が出てきたように見える。もはや、バッテリーと推進剤の事は考えていられなかった。

 通信機が音を拾った。Nジャマー濃度を考えれば、目の前の機体が飛ばしている電波であろう。それは、聞き覚えのある歌だった。

「・・・マリアの?」

 そのつぶやきは敵にも通じたのであろう、歌の向こう側から哄笑が聞こえた。

「それが歌姫の名前か。だがお前が知ってるのは女の名前だけだ」

 吹き飛びそうになった冷静さを繋ぎとめ、キリルは機体を振る。斥力が巻き起こした突風が機体を揺らした。

「それにMSの通信機じゃ、この歌の真価は伝わらんだろうな!」

 男の言葉の意味は分からない。だが、マリアが狙われなくてはならない理由がそこにあるのだという事は分かる。そしてそれは、あのMSが持つ奇妙な力とも関わりのある事なのだろう。

 それらは、ザフトにとっても何らかの有益な情報なのかもしれない。しかしそれを得るためには、あのMSをパイロットごと鹵獲しなくてはならない。撃墜すら出来ない相手に、それは不可能な事であった。無線機をそのままにし、音声を記録できるようにしておく。

 キリルはガルバルディを高速道路の高架へと着陸させる。既にマリアのいた場所から十分に引き離す事ができていた。カメラを上空に向け、キリルは気合を入れ直すように宙に浮く敵を睨む。

 

 

 

 

 

 なまじ相手の保有戦力を把握していたため、無駄に多くの人員を投入する事になってしまった。特殊な身体強化措置を施された兵士によって構成された特殊部隊に対抗するため、施設内に溢れんばかりの兵士を突入させていた。その結果は、犠牲者ゼロである。

 トウキョウ特別行政区に対する揺さぶりのため、日本自治政府が極秘裏に設立・支援していた武装組織の拠点であったツクバの秘密施設は、もぬけの殻であった。正確に言えば、組織の中核である実働部隊が研究者達とともに行方をくらませていたのだ。施設に残っていた一般職員は、大挙して現れた兵士の姿を呆然と眺めている。

 運用されていた特殊兵器などのデータは、綺麗に消されているであろう。慌てて逃げたわけではなく、こうなる事を予測して事前に準備を始めていたという事だ。おそらくただ逃げたのではなく、次の引き受け先まで見つけた上での脱出だ。

「MSが?」

 部隊の指揮官が上がってきた情報に首を傾げる。ツクバが運用していたMSが、現在トウキョウで交戦中だという。十分に確認の取れた情報では無いので、判断が難しい。だが、例えそのMSの情報が事実だとしても、それがここに戻ってくる可能性は極めて低い。重要なMSであれば持ち去っているだろうし、そうでないのなら自分達にとっても確保する価値は無い。

 施設の調査や一般職員への取調べなどは専門官に任せる。指揮官は部隊を取りまとめ、直ちに利根川へと向かう事を決定した。多摩川方面の部隊は川を渡り始めているはずの時間だ。

「第一、第三京浜に産業道と東名、首都高・・・」

 多摩川にかかる橋は多いが、MSキャリアーなどの大型車両を動かせる道となると限られていた。そのため、守る側はそれを念頭に置いた布陣となる。最悪の場合橋を爆破してでも封鎖すればいい。だが現状の駐留東アジア軍は、日本人特別居留区侵攻の失敗によってMSなどの大型兵器の数は少なく、多摩川に掛かる全ての橋を守れるほどの兵力は有していなかった。

 そのため、第二京浜道路と稲城大橋に装甲車や兵員輸送車を主とする部隊が現れた時、対応が遅れた。日本自治政府の主力と思われる部隊は、既に東名高速の川崎インターに迫っており、ヨコタを出撃した東アジア軍の残存MS部隊は全て東名高速へと集まっていたからだ。

 いまだ騒乱の続く都心部へ迅速に兵力を投入し事態の収拾を図る、それが日本自治政府の目的であった。中央道なら新宿までノンストップであるし、第二京浜道路を使えば皇居まで一直線である。ゼネストだの謎のイベントのお陰で、障害となる一般車両は当初から少なかった。

 自治政府はMS部隊を囮として東名高速で移動させ、歩兵を中心とした部隊を本命として別ルートを進ませたのだ。わざわざ多摩川でMS戦などせずとも、特別行政区の中枢をトウキョウから追い払えば駐留軍は撤退する。

 そもそも、市民と軍が衝突する都市部での騒乱において、MSなど使い勝手の悪い兵器でしかない。しかし東アジア軍が、使い勝手など考えずにMSを投入すればどうなるだろうか。MSによる対人掃討戦闘、想像すらしたくないものだ。

「だから、ここで足を止めてもらおう」

 自治政府のMS部隊は、本命である歩兵部隊の移動を支援するための囮であると同時に、特別行政区市民から駐留東アジア軍の残存MS部隊を引き離すための囮でもある。

 東名高速を上っていた車列が多摩川を目前にして停車した。そして次々とその荷台を起き上がらせる。自治政府のマークを光らせたダガーが、川の向こう側に潜んでいるだろう東アジア軍のMSを威嚇するようにそのカメラを発光させた。

 

 

 

 

 

 廊下に響いていた銃声と銃弾が壁を削る音が、ようやく静まった。代わりに血の臭いが充満している。窓の無い廊下であるため、その臭いは容易には消えないだろう。毛足の長い絨毯が血をたっぷりと吸い込んで、おどろおどろしい染みをあちこちに作っている。同様に、壁や天井にも血痕が飛び散っていた。

 大きくヒビの入ったヘルメットは、もはや使い物にならない。ユ・ケディンは忌々しげにヘルメットを脱ぎ捨てる。生き残った部下は片手で数えるほどしかいなかった。

 トウキョウで始まった謎のイベントは、代々木で発生した爆発事件によって暴動へと発展した。少なくとも、自分の知る範囲でその爆発事件に関与した者はいない。そのためそれを、善隣幇による自作自演と判断したのだ。リ・ウェンが当初からトウキョウにおける大規模暴動を企図していた事は明白なのだ。

 おそらく、あのイベントは彼にとってもイレギュラーだったのだろう。そのためあのような爆発事件を発生させ暴動を誘発させたのだ。

「・・・この二人は、リ・ウェンのボディーガードのはずだ」

 もはや標的を守る者はいない、ケディンはそう言って武器のチェックをする。足元に転がるのは、奇妙な笑みを浮かべたまま全身を蜂の巣のようにされた二人の女であった。おそらくコーディネーターか何かであろうこの二人のために、ここまで突入してきた彼の部隊は、全滅に近い被害を受けたのだ。

 チャイナドレスの中から手品のように取り出される様々な刃物が防弾装備の隙間を狙うように投げつけられ、壁や天井すら走るように異常な身体能力によって弾丸は避けられ、手にした刀によって鮮やかに首を刎ねられた。リ・ウェンに対して、幾度かの暗殺が試みられているのだが、その全てが失敗に終わった理由は、おそらくこれだったのだろう。

 生き残った部下が、拳銃を構えて廊下を進む。渋谷にそびえる超高層ビルの最上階、それがリ・ウェンの居場所である。

 暴動発生時、東アジア軍は急変する事態に対応しきれず、その動きは想定より鈍かった。一方、当初は各地で自然発生的に起こっていただけの暴動は、あっという間に軍や特別行政府機関を標的にしたものへと変質した。そこに善隣幇や菱丘組などのマフィアが介在していた事は明らかである。

 そのため通常の部隊とは別に、この暴動を裏で指揮する組織を標的とした部隊も出動させていた。ケディンが指揮する部隊は、その総本山ともいえる善隣幇のトップを狙っているのだ。

 だが、障害はマフィアだけではなかった。通常部隊が暴徒に対する発砲を始めた事から、区内に展開する保安局員は東アジア軍への敵対を明確にしたのだ。そのため、機動隊などとの交戦も余儀なくされた。日本軍のテロに対する備えとして重武装化の進んでいた保安局は、軍部隊にとっても大きな脅威だった。

 ケディンの部隊も、このビルにたどり着くまでに多くの犠牲者を出す結果となっていた。彼は低くつぶやく。

「意地くらいは見せるさ・・・」

 どの道、東アジア軍はトウキョウを撤退するしかない。日本自治政府がこの状況を放置するはずもなく、トウキョウ特別行政区を東アジア中央政府が統治するという仕組みは維持できなくなるだろう。だからこそ、ただ逃げるなどという結果にはしない。

 それ相応の犠牲と被害を代償として与えなければ、東アジア共和国という国家そのものが形骸化する。当然、反東アジア活動家には死が与えられなくてはならない。

 最上階の突き当たり、重厚なドアがゴールを告げている。部下がドアの両側に控え、中へと飛び込む体勢を取った。突然、背後のエレベーターホールで、この場に緊張感に不釣合いなチンという音がする。

 振り向いたケディンの眉間に、銃弾がめり込んだ。

「へ・・・ハハハハハハっ! このヨシオカ様をなめてんじゃねぇぞ、コラぁ!!」

 ブランド物のスーツでみっともなくめかしこんだ男が、拳銃を片手にあらん限りの罵詈雑言を口にしていた。さらにコウキ・ヨシオカは、酔った様な足取りでケディンの死体に近づき、銃弾を浴びせ続ける。

 その白いスーツが自分の血で染まるのに、時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 高速道路の高架の上でモノアイを上に向けているMSの姿に、自分がおびき寄せられた事に気付く。歌姫のいるであろう場所からずいぶんと離れてしまったようだ。ザフトがあの声の正体に気付いたとは考えにくく、おそらくはパイロットの独断での行動であろう。

 無視するには大きすぎるリスクに、ハニスはため息をつく。彼女を手で掴んだままでは高度も上げにくく速度も出しづらい、つまりあのMSを振り切って逃げる事は難しいという事だ。SEEDコンバーターに影響を与える可能性がある事から、エヴィデンスはコクピットに複数の人間を乗せることを想定しておらず、もう一人を乗せるようなスペースはなかった。

 このままじっくりと時間をかければ、やがて推進剤とバッテリーを失い、敵MSは動けなくなる。それまで、こうやって睨み合いを続けても良かった。

「だから、その前に!!」

 キリルは自分を叱咤するようにそう怒鳴ると、ペダルを踏み込む。ガルバルディをかすめる様に飛んだ斥力が、高速道路の遮音壁を薙ぎ払う。

 敵の真上に躍り上がったガルバルディが、腰のグレネードを投下する。空中で静止するような格好になったグレネードは、爆発と共に黒い煙を吐き出す。熱紋センサーをもくらませるフレアスモーク。そのまま背後に回りこみ、腕部の機関砲を乱射する。

 煙の全てを吹き飛ばすように斥力が展開された。機関砲は一発も装甲に届いておらず、羽ばたくように動かされた背部ユニットから撃ち出される斥力が、ガルバルディを揺さぶる。

 振り向き様に振るわれた腕から伸びる斥力は、空間そのものを歪めているかのように周囲の景色を揺らめかせた。強く発光したカメラが、敵の苛立ちを伝える。

「いい加減・・・してもらおうか!!」

 ハニスの声に反応するように、SEEDコンバーターの出力が上がる。その深く澄み渡った瞳は、モニターに映るMSの動きを酷く緩慢なものに見せていた。それが余計に、彼の苛立ちを募らせる。

 彼の目的はあくまでもあの女であり、その奪取が成功するのであれば、それ以外は別にどうでもいいのだ。戯れにMSを撃墜するような時間の無駄は、彼の趣味では無い。

 しかしどうやらこのMSに関しては、早くに撃墜しなければ時間の無駄になりそうだ。ハニスは叫ぶ。

「あの声の価値も知らぬ者がぁ!」

 プラントという小さな構造物を、コーディネーターという卑小な被造物を、その手にしただけで満足してしまった人類。それらは本来、人間のさらなる進化への足がかりに過ぎないものだ。人はもはや、地球というささやかな揺り篭に眠る幼子であってはならない。成熟した知的生命体として、宇宙という広い世界へと踏み出すべき存在なのだ。

 そのために必要な進化、それを促すのがあの声だ。人の遺伝子の中に眠る進化の種、それを芽吹かせる恵みの雨、それが彼女の声なのだ。

 そして進化を果たした人間は、あのクジラのように宇宙へと自由に羽ばたくのだ。

「俺とエヴィデンスは、その先駆けなんだよ!!」

「世迷言!!」

 混線する無線にキリルは怒鳴り返す。それは自分自身を押し切るためでもあった。敵の語る事は、まさに彼が信じたコーディネーターの理念そのものだからだ。そこに空疎さを感じたのは、敵がマリアをただの手段として語るからである。

 今のキリルはその言葉に共鳴できない。人類の進化や、コーディネーターの存在意義は、マリアを救い得ないからだ。トウキョウの片隅で、その美しい歌声をか細く響かせていた女性に必要なものは、そんな抽象的な言葉では無い。もっと、具体的な力だ。だから彼はガルバルディのコクピットにいる。

 今、この瞬間、彼女を危険から遠ざけるために、彼が行使できる最も具体的な力。キリルの瞳が見開かれた。

 

 

 

 崩れ落ちたビルの瓦礫が山のように道を塞いでいた。それを駆け上ったルーイは、それ以上の勢いで駆け下りていく。コーディネーターとして生まれた事に感謝する暇もなく、彼は道を駆ける。

 上空で戦闘していたMSは遠ざかったようだが、それで危険が去ったわけではない。殺気だった目をした人々が、続々と市ヶ谷方面へ向っている。それらの人々を出来るだけ避けながら、ルーイの目はアメリを探し回る。

 夜の空を時折鮮やかな光が横切った。しばらくして聞こえるのは、ビームライフル独特の甲高い音。MSはいまだに戦闘を続けている。ルーイは大声を出す。

「アメリ! そっちは危ない!!」

 足を止めた彼女に追いつき、キリルはその手を取る。MSが戦闘を行っている首都高速に近づかず、かつ人の流れに巻き込まれないよう、ルーイは外堀通りから早稲田通りへと入った。右手上空では、二機のMSがしきりに交錯しているのが、夜空の中でもはっきりと見える。

 空を飛んでいるMSである、このくらいの距離は無いに等しいであろう。ルーイは彼女の手を引くのをやめ、やおらその体を抱え上げた。こうやって走った方がはるかに速い。少し驚いた顔のアメリに微笑みかけると、ルーイは足を速める。

 彼の首に抱きつく形だったアメリがその力を緩めた。ちゃんと掴まっているようにと言おうとしたルーイの前で、アメリは指を指した。足を止めた彼は、今まさに決着が付こうとしているMS戦を見つめる。

 

 

 

 敵の動きが変わった。いや、エヴィデンスの動きが鈍くなった。ハニスの目は計器の数値の上を走り回っている。ツクバに戻ったときも、不調に陥った理由ははっきり解明できず、SEEDコンバーターのパイロットに対する感受性を強くする調整を行ったのみであった。

 そのツケがこんな形で現れた。両腕に発生させた斥力を交差させるようにしてビームサーベルを受け止め、その圧力を利用するように距離を取る。反撃に移ろうにも、コンバーターの出力が思うように上がらない。機関砲弾の衝撃がコクピットに伝わるのは、十分に弾を跳ね返せていないからだ。

 防御用に展開させている斥力を腕に集めて、突っ込んでくるMSを薙ぎ払う。完全に見切られていたその攻撃は、ただ虚しく空気を揺らす。モニターに敵のモノアイが大写しになった。

「SEED持ちか・・・!!」

 間一髪で間に合った斥力もビームサーベルの威力を殺しきれず、装甲の一部が融解した。それ以上にハニスを驚かせたのは、SEEDコンバーターの反応である。

 人間の脳神経系にSEED現象が発現すると、それに反応した特殊無機超高分子が斥力を発生させる。SEEDコンバーターは、その斥力を制御するための装置でもある。

 もし仮に、ハニス以外にSEED現象を発現させる者がいればどうなるか。ハニス以外のSEED現象に反応して生み出される過剰な斥力を制御しようとする方向に、コンバーターは働くはずだ。現に計器の数値は、コンバーターのセーフティーが発動する直前の数値を示していた。強制的に出力を低下させる事によって、発生した斥力による機械の自壊を防ごうとしているのだ。

「・・・あの声」

 敵のパイロットはあの女と共にいた。それなりの時間を過ごしていたのかもしれない。そうやってあの声に触れ続けていた人間がSEEDを発現させる事は、ごく自然な事だ。少なくとも、ハニスの考える理屈の上ではそういう結論になる。斬撃を受け止めようとした腕が斬り落とされた。

 エヴィデンスとガルバルディが交錯する。

 

「はんっ!!」

 息を詰めるような声を上げ、キリルはレバーを押し込んだ。ガルバルディの頭部に接触した敵の腕は、そのまま顔を押し潰す。そして振り下ろされたビームサーベルは、敵の機体の肩口から脇腹へと抜けていた。

 溶けた金属の爛れた傷口を見せながら、敵は力なく落下していく。爆発しないその機体は、切断された姿のまま地面に転がった。ガルバルディにも、もはや軟着陸を行う余裕は無かった。

 エアバッグだらけになったコクピットから這い出したキリルは、コクピットからケーブルを延ばして自爆コードを設定する。周辺被害は免れないが、とりあえず人の姿はなかった。

 本来なら、敵の機体の回収などを行えるようにするべきであろうが、キリルにそんな事を考えている余裕は無い。自機の処理を忘れなかっただけマシなのだ。パイロットスーツのまま駆け出す彼が考えるのは、ただマリアの事だけである。

 敵のパイロットが話していた事も、不意に自分の集中力が増して、敵の動きが先読みできるように感じた事も、今の彼には関係のない事だ。ましてや、背後で爆発炎上するMSや自分の傷の事などに気を留める事は無い。

 

 

 

 

 

 港の一角で行われていた何かの集会は、解散させられたようだ。トウキョウの方ではまだ騒ぎが続いているようだが、タマユラ地区は静かに夜明けを待っている風情である。川一本を隔てた向こう側が地獄のような光景である事を、この街は知らないまま終わるのだろうか。

 柄にも無いそんな物思いを消し去ったのは、ブレーキ音であった。大型のコンテナを引くトレーラーが三台、それにマイクロバスが二台である。バスから降りてきた男に、ジュンコ・ヤオイは近づいて挨拶をする。そして、さっそく始まったコンテナの積み込み作業を見ながら言った。

「お聞きしていたものより多いですね」

「ええ、説得に成功しまして」

 ミツネ・ササは、バスの方を見た。そこには、チン・ヤンチャンも乗っている。

 もともと日本自治政府がツクバを切り捨てるだろう事を警告したのはヤンチャンである。ミツネらはその警告にしたがって、研究成果や重要な実験機材などを伴って脱出する準備をしていた。

 特別行政区を拠点とするジャンク屋組合を通じて、新たな研究の引き受け先を見つけてくれたのもヤンチャンであった。そのため彼らは、安全にツクバから脱出する事ができたのだ。

 だが、当のヤンチャン自身は、何故か脱出をしようとしなかった。そんな彼を説得というより強引に連れ出し、研究資材などをとりあえずまとめて運んだため、コンテナが一つ増えたのだった。ミツネがバスに戻ると、バスはそのまま船の中へと進んでいく。ヤンチャンは、ただ自分の顔の映る窓を見つめていた。

 若い者が、自分の能力を買ってくれる事には感謝する。だが彼にはもはや、科学者としてのモチベーションがなかった。自分自身の研究が、人類に対して何らの足跡も残さないであろう事に、戦慄のような物を覚えるのだ。

 名誉が欲しいわけではない。ただ、言いようの無い虚しさを感じる。若い頃に持っていた野心が解消され、管理職まがいの仕事から解放された時、彼は始めて科学の意義を考えるようになった。そして出た結論は、自分自身の研究の無意味さであった。

 今のヤンチャンがすべき事は、手遅れになってから虚しさに気付く事がないように、若い研究者を指導する事なのかもしれない。

「出航は夜明けです。オーブからは飛行機でカーペンタリアへ、あとはシャトルで上がるだけですので」

「ご協力、感謝します」

 若い責任者が律儀に頭を下げた。ジュンコは微笑を浮かべる。世間知らずの科学者連中だと思った。彼女にとって、彼らは商品でしかない。中古MSよりもはるかにリスクの高い商品だが、リターンはそれに見合うものである。

 正直、彼らの研究がどのようなものかは知らない。だがそれに興味を示し、向こうの当初提示額の二倍の手数料を請求したにもかかわらず、あっさりとそれを承諾する組織がいた。それでビジネスは成り立つのだ。彼女が悔やむのは、三倍の請求にしておけばよかったという事だけである。

 そして、その情報に食いつかなかったザフトには見る目がないとも思った。グレートバリアリーフ号にいる、あの生意気な男がこの事をどう思っているだろうか。ジュンコは一人笑った。

 もっとも、この研究者達を受け入れたのは、どうにも胡散臭いオカルト色の強い組織だ。ハーモナイズコミュニティの一組織という話だが、ターミナル残党の影が濃く残っているという情報もあった。それを考えれば、この連中がろくな研究をしていないという事だけは分かる。ザフトが食いつかなかったのも、その辺の事情かもしれない。

 ジュンコはこれで得た収益を元手に、オオサカの日本橋で新たにジャンク屋を始めるつもりだった。すでに事務所の準備もしている。

 出港後は、オーブの業者が引き継ぐ事になっていた。コンテナの積み込み作業が完了したのを確認し、彼女は船を降りる。そのまま迎えの車に乗り込んだ彼女に、船の中で起こった騒ぎを知る術はなかった。

 

 

 

 

 

 トウキョウ特別行政区の高級幹部は、東アジア中央政府から派遣された者である。新宿の庁舎が暴徒に占拠されたとき、彼らは市ヶ谷の東アジア軍基地に避難していた。本来なら専用のヘリコプターでヨコタまで脱出するはずなのだが、特別行政区の職員の多くが暴徒の側に立っていたため、ヘリを飛ばす事ができなかったのだ。緊急用の地下通路を使って、市ヶ谷まで移動していた。

 今は、ヨコタから脱出用のヘリが飛んでくるのを待つだけである。先ほど到着したヘリは、着陸直前に撃ち落されてしまっていた。保安局の高圧放水車両を甘く見すぎていたようだ。

 区内各地で暴徒の排除を行っていた部隊は、全て市ヶ谷に集結している。正確に言えば追い詰められたのだ。市ヶ谷までたどり着けずに区内で孤立してしまった部隊は、全て全滅の憂き目にあっているだろう。市ヶ谷は暴徒に包囲されていた。

「四面楚歌ですな・・・」

「所詮は烏合の衆です!」

 周囲から聞こえてくるのは、東アジア軍の排除を訴える声と日本万歳の声ばかりである。この期に及んで、まだ抵抗の意志を失っていない将校の士気に、行政府の高級幹部は頼もしさよりも呆れを感じる。

 多摩川と利根川に展開していたヨコタのMS部隊は、日本自治政府軍との交戦に入ったという通信を送って後、連絡が無い。市ヶ谷に来ないという事は、来られないという事であろう。ヨコタは完全に戦闘能力を失ったという事だ。後は、上での話し合いで決着が付いて、ここを無事脱出できる事を祈るしかない。

 もともと市ヶ谷は戦闘基地ではなく、集まった部隊が簡易の陣地を構築して備えているだけである。周囲を埋め尽くす暴徒が一斉に押し寄せたら、それこそ波に浚われる砂の城と同じだ。

「やはり敵は北面と東面が薄い。戦闘車両でこれを突破し、外苑東通りと靖国通りの機動隊を基地からの支援攻撃とともに排除する。機動隊を潰せば暴徒も崩れるはずだ」

 軍の行動に口を挟む権限は有していないが、今のこう着状態をこちらから崩すメリットを見出せない。高級幹部は、窓の外を見ようとした。防弾仕様のガラスの向こう側は夜の闇であるが、そこには気勢を上げるトウキョウの市民がひしめいているのだ。

 

 それを押さえ込むには、自分達が体を張らなければならない。シュウ・サクラは空になったタバコの箱を投げ捨てる。片町交差点に陣取る彼の部隊の後ろからは、市民の歌声が聞こえてくる。

「日本の国歌は立派なもんだな・・・他所の国の国歌なら、全員突撃してもおかしくない」

 今の状況とはかけ離れた曲調に、シュウはそう言った。再構築戦争で旧世紀の国家の枠組みが失われたにもかかわらず、そういったものは根強く残り続けるのだ。状況を打開する糸口は見えないが、ともかく市民と軍の衝突を抑える事はできていた。

 もっとも交差する二つの道には、多数の犠牲者がそのままの姿で転がっている。夜でなければ、正視に耐えない光景であろう。機動隊による陣地構築が完了する前に、市ヶ谷基地への突入を試みた集団がいくつもあり、彼らはみな基地からの攻撃によって排除されている。

 だが区内で活動していた日本軍の残党や善隣幇は、迫撃弾やロケット砲のような大型火器も有しており、これにダイナマイトやガスボンベを使ったマフィアの自爆攻撃が加えられた事で、市ヶ谷の側にも大きな損害が出ていた。

「ヤーさんどもが死ぬなら構わんさ」

 犠牲者の多くは一般市民である。このトウキョウの形容しがたいうねりに飲み込まれたように、石や鉄パイプだけで銃口の前に突進していく人達がたくさんいた。そういった人達を守ろうと、隊員の多くも犠牲になった。

 だからといって、ヘリの撃墜はやりすぎである。殺気だった隊員達もまた、このトウキョウのうねりに飲み込まれていた。

「八幡町の隊からの通信です! 装甲車の部隊に突破されたと!!」

 耳を疑う暇もない。基地からの発砲も始まり、各隊は反撃を開始している。背後の群集の声が大きくなり始める。聞き慣れてしまった飛翔音は、迫撃弾の音だ。どこかのビルの屋上から、基地に向けて撃ち出しているのだろう。

 突進してくる装甲車の前に滑り込んだ機動隊の車両が、車体を折り曲げながら装甲車を止める。スクラムを組むように機動隊車両や消防車が集まり、本村町交差点を封鎖する。横道に逸れようとした装甲車が仕掛け爆弾に引っかかり横転した。

 装甲車の機関砲と基地から撃ち込まれる機関砲が、封鎖車両を削り取るように破壊していく。それを阻止せんと、基地の入り口に構築されていた陣地に機動隊員が突撃を敢行した。閃光手榴弾が光り、高圧放水車が二十気圧以上の水を噴射する。

 銃弾に撃ち抜かれた隊員は盾に、倒れた隊員は踏み越える。陣地の機関銃手が放水によって吹き飛ばされ形勢が傾いた。陣地に取り付いた機動隊員は、組体操のようにバリケードを乗り越え陣地内へと侵入していく。自動小銃や機関拳銃が役に立たない距離で、盾を手にした機動隊員が兵士を次々と押し倒し制圧していく。

 怒声はやがて歓声に代わり、陣地の機関砲が装甲車を狙いだした。

「靖国通りは止まったんだな・・・」

 燻る車の陰で腕を押さえるシュウは、搾り出すような声でそう言った。外苑東通りを突進してきた二両の戦車は、片町交差点の陣地を一蹴して住吉町交差点へと向きを変えた。集まっている人を轢き殺し、砲弾を周囲のビルに撃ち込みながらである。

 人が一番多く集まっている新宿方面へと向うつもりであろう。犠牲者が何人になるかなど、分かったものではない。シュウは伝令を飛ばす。この際、多少巻き添えにあう人がいたとしても、仕方が無い。

 血の道を作りながら爆走する戦車の姿を遠くに見ながら、タイミングを計る機動隊員は唇を噛み締める。血の味を感じながら冷静さを保ち、その時を待った。その足元にあるのは、発破装置のスイッチである。押し込まれると同時に軽い衝撃が足元を揺らす。

 同時に戦車の姿が忽然と消えた。区営新宿線に仕掛けられた起爆装置が作動し、曙橋駅の天井部分を爆破したのだ。住吉町交差点は大きく陥没し、二両の戦車はその穴の中で瓦礫に埋もれていた。戦車の上面ハッチから這い出してきた兵士に、火炎瓶が直撃する。

「バリケードを作り直せ・・・次は戦車も止めれるやつだ」

 そう言ったきり、シュウは動かなくなった。

 

 

 

 

 

 あてなどあるはずがなかった。それでも走らずにはいられない。彼女の無事をこの手で確かめなくては、何のためにここにいるかも分からなくなる。

 謎のMSのパイロットが話していた事、それは彼女に深い関わりのある事なのかもしれない。だがそれは、キリルの知っているマリアには、何ら関係のない事だ。ただ美しく聡明な人、そしてただただ狂おしいほどに愛しい人。それこそが意味のある事であり、キリルにとってのマリアだった。

 人類も進化も遺伝子もSEEDもコーディネーターも、何一つとして意味は無い。だから、自分がザフトの人間である事も今は意味のない事であった。今必死に走っているのは、キリル・ローレンスという男である。

 もつれる足を叱咤し、上がる息を抑えつけ、遠のく意識を手繰り寄せる。それでも、目に映る瓦礫だらけの光景が混濁していくのを止めることが出来ない。

「手間かけさせんな!」

 微かに戻った意識が捉えたのはキリルが探していた人ではなく、キリルを探していた人間だった。エリック・リブーと数名のメンバーが、横たわったキリルを助け起こす。

「マリアは・・・」

 言葉を発したつもりだったのだが声が出ていなかったのだろう、エリックが一方的にまくし立てる。彼らはガルバルディの爆破処理現場から、血痕を追って彼に追いついたのだ。キリルの左足には、べったりと血が付いていた。それが十分に乾いていないのは、出血が続いているからだ。

 応急手当を受けながら、キリルはそれでも起き上がろうとした。周りの人間が何かを言っているのは分かるが、全く聞こえない。男の一人がアンプルと注射器を取り出したのが見えたところで、キリルの記憶は途切れる。

「薬だけで持つのかよ!?」

「持たせろ! コーディネーターはヤワじゃない!」

 手持ちの輸血パックでは量が不十分で、強心剤の投与で心臓を動かしている状態だ。エリック達は乗ってきた車にキリルを乗せ、猛スピードで発進させる。後部座席の人間が、時折空に向って携帯用の信号弾を発射している。

 日本自治区政府軍が区内に入り始めており、市ヶ谷では東アジア軍が降伏しその撤退が始まっている。多摩川と利根川で残存MS隊を排除した部隊は、そのままヨコタとイルマの基地へと向っているらしい。トウキョウ特別行政区は、完全に日本自治政府が掌握していた。

 もうしばらくすれば、区内全域で自治政府軍が治安維持活動を開始するだろう。そうなれば、ザフトの人間が平然と車を運転してはいられなくなる。上空の飛行規制が始まれば、脱出は困難になるだろう。

「その先のグラウンドで回収する!!」

 真上からスピーカーで呼びかけられた。サンルーフから見上げると、ドゥルが着陸のために変形をしたところであった。なりふり構っていられる状況では無いため、ここまでMSで侵入してきたのだ。再び変形したドゥルが開放したハッチに車を飛び込ませた。

 機体が急上昇する感覚を全身に感じながら、エリックは輸血パックの置いてある場所を聞いた。怒鳴るようなその声が、狭い車中に響く。

 

 

 

 

 

 いくつものサーチライトに照らされながら、ヘリコプターが上昇していた。市ヶ谷に立て篭もっていた東アジア軍の最後の部隊が、撤退していくのだ。だが向う先のヨコタからも、早晩撤退しなくてはならなくなるだろう。リ・ウェンはそれを苦く見つめる。

 彼がいるのは渋谷の高層ビルの最上階ではあるが、市ヶ谷周辺の様子までははっきりと見えない。配下の者が撮影した映像が、部屋のモニターに映し出されているのだ。基地の周囲を取り囲む人達は、歓喜の雄叫びを上げ続けていた。

 だが、その中心にいるのはリ・ウェンではない。日本自治政府のマークをペイントした戦闘車両が、まるで最後に現れたヒーローのように、人々の喝采の中にいた。

「・・・ツメが甘かったか」

 ブンジ・タチバナの仕掛けたトウキョウでの大規模イベント。それは、菱丘組傘下のテキ屋組織やハーモナイズコミュニティ、さらには急進的な動きから距離を置いていたいくつかの労働組合など、ウェンが計画のために利用していた組織の一部を使う事によって、彼の意図を阻止しようと計画されたものだったのだろう。配下の実働部隊は保安局にマークされており、対処する手立てすらなかった。

 そのため、一度は計画の中断すら考えた。しかし何者かが突発的な爆弾テロを起こした事によって、状況は幸運にもウェンが考えていた方向へと転がった。

 だがそれによって、一日半もの時間を無駄にしてしまった。自治政府の付け入る隙を与えてしまったのだ。結果、日本自治政府はまるで解放軍のように東京へと入ってきた。徒手空拳で東アジア軍に対峙していた人々にとって、日本語で呼びかけ東アジア軍へと銃口を向ける軍隊の姿は、頼もしく映って当然である。

「だが・・・奴らはこの国を捨てる!!」

 ウェンは握り締めた拳を机に叩き付けた。彼が夢見る日本の独立を、自治政府は果たそうとしないだろう。彼らとは幾度となく接触をしていたが、ウェンが自治政府を計画のパートナーに選ばなかったのは、その点における決定的な考え方の相違である。

 だからこそ、東京で日本独立の声を上げる必要があったのだ。その声は日本『自治』政府を間違いなく揺さぶるはずだった。

「李大人、準備が出来ました。お早く」

 部屋に入ってきた幹部の声に、ウェンは大きく息を吸って気持ちを落ち着けた。今は身の安全を図ることが先決である。自治政府は東京を東アジアから取り戻すだけでなく、次の災いの芽を摘んでおこうとするはずだ。連中にとって、日本独立を画策する者は危険分子でしかない。それが『自治』政府の発想だ。

 血でどす黒く汚れた絨毯、ここまで入り込んで来た者がいたのだろう。だがその血痕はダミーの扉の前に固まっていた。ウェンのいる部屋は、エレベーターホール脇の小さな扉から出入りするのだ。

 エレベーターで屋上に出ると、ヘリコプターが待機していた。ヨコハマの本部まで戻れば、ひとまずは安全である。今後の事は、そこで考えればいい。

 命さえあれば、次のチャンスはあるのだ。寿命が訪れる瞬間など誰にも分かりはしない、ならばその瞬間まで機会を追い求めればいい。日本独立の夢は、決して潰えるものではない。

 黒いスーツの男達が警戒する中、ウェンはヘリコプターへと乗り込む。自治政府軍の航空機が東京の空を抑える前に脱出する。ローターの回転数が上がり、ヘリコプターは上昇を開始する。

 機首が僅かに下がり滑る様に前進を始めたヘリコプターに、異音が走った。機体が傾き、ローターの羽根が一枚千切れ飛ぶ。屋上の男達が驚愕の悲鳴を上げ、ヘリコプターはビルの壁面を転がるように落下していく。粉々になったビルの窓ガラスがキラキラと光りながら、落ちていくヘリコプターを彩る。

「こちら地上班、ヘリの墜落を確認」

「了解、これより撤収する」

 設置されていた大型のライフル銃を手際良く解体しながら、スーツ姿の男達が狙撃ポイントから姿を消した。

 

 

 

 

 

 街のあちこちで歓声が上がっていた。白地に赤い丸の旗が、道を走る装甲車に向って振られている。装甲車のスピーカーから流れる声は、連合の公用語ではなく現地の言葉だ。医療関連の支援部隊がトウキョウに向かっている事を伝え、負傷者を運びこむ先を指示しているようだ。

 小さな公園に集まっていた人達は声を掛け合って、怪我人を指示された場所へ連れて行く準備を始めている。焚き火だけが周囲を照らすような夜の闇の中でも、人々の声には張りがあった。騒乱の終結を感じたルーイは、無事を確かめるようにアメリを抱き締める。

 遠くからの光に照らされるだけの彼女の微笑みは、とても疲れたものに見えた。これだけの目に遭ったのだ、当然の事かもしれない。

「とにかく、指示された避難所に向おう」

 トウキョウから出る算段は、そこで休んでから考えればいい。オオサカのユーラシア領事館と連絡が付けば、彼女を難民としてトウキョウから連れ出す事も出来るはずだ。引受人は、自分がなればいいのだ。

 抱き上げようとしたら自分で立てると言うので、彼女の手を取って立ち上がらせる。公園の入り口に一両の装甲車が横付けされ、武装した兵士達が人々の誘導を始めた。

 この騒乱では、マフィアが大規模な活動を行っていたり、商店への略奪行為があったりした。東アジア軍が撤退したからといって、即座に治安が回復するわけではない。保安局は区内全域で活動できる状態になく、現在は自治政府軍が治安維持の任務を行っているのだ。

 公園を出ようとする二人は兵士に呼び止められた。二人の兵士が立ち塞がるような姿勢で、二人を見つめる。

「外国の方ですか?」

「・・・ええ。ユーラシアのテレビ局の者です」

「その女性は?」

「彼女は、トウキョウで働いている研修生です」

 ルーイは身分証を差し出した。特別行政区が発行した物であっても、瞬時に信用力が失われたわけではないだろう。パスポートはホテルに預けたままなのだ。しかし、アメリには差し出すものがなかった。身分証を紛失したという。

 これだけの騒ぎである、その事に不自然な点など無いであろう。だが兵士達の姿勢は変わらなかった。

「男性の方は行ってもらって結構です。女性の方は、こちらに来ていただけますか」

「待って下さい、彼女の身元は私が証明できます!」

 半分はでまかせだが、ルーイはアメリに手を伸ばした。彼の手は兵士の体によって遮られる。

「何でもない簡単な調査です。騒乱に関わったマフィアには、外国系の構成員が多数いたという情報がありますので、念のためのものです」

 ルーイは言葉を失う。不意に『外国』という壁が立ち塞がったような感じだ。あの騒乱に関わっていたほとんどの人間は、トウキョウの一般市民だ。それにもかかわらず、この連中は『外国人』をピンポイントで狙っている。自分が許され、彼女が許されなかったのは、身分証の有無だけなのだろうか。

 言葉はなくとも体は動いた。いっその事、この兵士達を殴り飛ばして連行されれば、彼女の傍にいられるかもしれない。だが応援に来た兵士を含めて五人がかりで押さえつけられ、アメリが別の車に乗せられるのを見つめるしか出来なかった。車に乗せられる瞬間に振り返った彼女は、いつものように柔らかく微笑んでいた。

 しかし彼が届けられたものは、彼女の名を呼ぶ叫び声だけだった。

 

 

 

 

 

 長い夜が明けようとしていた。

 騒乱に加わっていた人よりもずっと多くの人々は、自宅で不安な時間を過ごしていた。空が白み始める頃にテレビの放送が再開され、日本自治政府が発表する区内の情勢が伝えられるようになった。一安心とはいかないが、不安の一端は解消されつつある。しかし、一家そろって無事だった家ばかりではない。安否の分からない家族がいる家も多かった。

 住宅街の一画が、ほんの少し騒がしくなる。夜通し町の見回りをしていた町内会の人々が、町内で亡くなった人が出た事を人づてに伝え合っていた。その家の前には、立派な車が何台か止まっている。

 朝早くから弔問客だろうかと噂し合う人々に、その家の家政婦が葬儀は内々で行うのでお気遣いなくと伝える。

「先生が亡くなったと言うのは本当ですか!?」

 飛び込んできた男を家政婦が案内する。右腕を三角巾で吊り、頭に包帯を巻きつけ、右目に眼帯までつけたスグル・ハタナカが、タチバナ邸の床の間に通された。騒乱の中で大怪我を追ったのだが、ブンジ・タチバナの訃報を聞いて救護所を出てきたのだ。

 白い布が顔に被せられたブンジが、布団に横たわっている。普段彼はベッドのある寝室で寝起きをしているのだが、この日に限っては床の間だった。布団を囲むように座っている者も、どこか状況を飲み込めていないような顔である。

 彼が懇意にしていたフリーの記者が、一枚の紙を差し出す。毛筆で書かれたそれは、遺書であった。自殺である。

 遺書の内容は、トウキョウにおける大規模な騒乱に伴う多数の死者へあてた謝罪であり、それを防ぎ得なかった自分自身に対する悔悟の言葉であった。そして、このような形で責任を取る者を自分一人に留め、トウキョウの復興に各人が各人の役割を十二分に果たすようにとの激励であった。涙で遺書が濡れぬよう、スグルは顔を上げた。

「何で・・・間違いだと・・・」

 ユウゾウ・カトウが畳に手を付いて、絞り出すような声で言った。この騒乱に、彼が率いる菱丘組は大きな役割を果たしていた。遺書には、日本独立という気運が不可避である事と、その思い自体は間違いでないという事が書かれていた。

 だがそれがもたらした事の重大さを前にすれば、ユウゾウの行動も大きな過ちであると言わざるを得ない。だがブンジはそれを言わなかった。彼らがこのトウキョウで果たしてきた役割は小さくなく、今後果たしていくであろう役割もまた小さくない。

 再構築戦争の時から、混乱した東京で行き場を失った者達を引き受けてきたのは、行政機関ではなく彼らなのだ。彼らは必要悪であっても、不要な悪ではなかった。必要悪が不要とされる日まで、彼らにも役割は残り続ける。

「それでは、私はこれで」

 カズヤ・イシが立ち上がり、家政婦に頭を下げる。遺書に書かれたことを、彼なりのやり方で実行に移さねば、ブンジの死は無駄死にとなる。

 彼は『このような形で責任を取る者を自分一人に留め』と書いてあった。それは直接的には、ユウゾウのような人間に死ぬなと言ったのだろう。だがカズヤは、こうも読み取った。このような形で責任を取らされる者を出すな、と。

 このトウキョウでの騒乱がどのような形で決着するのか分からない。だが、自治政府と中央政府が、何らかの取引を行うような形での決着は、トウキョウ市民に納得をもたらす物では無いだろう。

 その時、誰かが目に見える形で責任を取らされる。その欺瞞を告発するのは、ジャーナリストの役目だ。カズヤは空を見上げる。

 この空模様では、ようやく昇った朝日もすぐに隠れてしまうかもしれない。




 最終回は、土曜日に投稿する予定です。

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